*ソチオリンピックの開会式を見て、4年後の平昌オリンピックと6年後の東京オリンピックを心配することなど

ソチオリンピックの開会式を見ていて、色々と感じるところがありました。

五輪の輪が、四輪になっていたことについてではありません。


「ロシアの歴史」を扱った壮大なあのアトラクション。
ソチオリンピックの開催を文字通り先頭に立って引っ張ってきた、プーチン皇帝、いえ大統領もさぞご満悦であったことでしょうし、会場やテレビ中継でこれを見たロシア国民も、さぞや「ロシア人」としての愛国心を掻きたてられたことでしょう。
1952年生まれというツァーリプーチン大統領は、前回ロシア(当時はソビエト連邦)で行われた1980年のモスクワオリンピック開催時には、28歳。
東西冷戦時代には、オリンピックが政治的に利用されるということもありました。
上述のモスクワオリンピックは、ソ連のアフガン侵攻に抗議して、西側諸国がボイコットしたので、ソ連としては面目丸つぶれ、なかなかに屈辱的なオリンピックだったと思います(その4年後のロスアンゼルスオリンピックでは逆に、アメリカのグレナダ侵攻に抗議した東側諸国のボイコットを主導して、きっちり借りを返していますけどね、ソ連)。
モスクワオリンピック当時、御歳28歳、既に立派なKGB職員であったプーチン大統領は、今回のソチオリンピック開会式のアトラクションによって、自身からも国民からも、西側諸国にボイコットされた惨めなモスクワオリンピックの記憶を、完全に拭い去ることに成功したのではないでしょうか。
2000年からロシアの最高権力の座に就き続けているプーチン大統領にとって、これは何としても成し遂げなくてはいけない最後の仕上げだったかもしれません。


一方。
国際情勢が絡んだ「オリンピックのボイコット」のような、そういう政治的利用はなくなったとはいえ、この近年は、また別の形が生まれてきているように思います。
オリンピックが、スポーツと平和の祭典というよりも、開催国のわかりやすい国威発揚の場として利用されている、というか、それもすごく内向きな形で、「我々はこういう素晴らしい歴史を持つ、誇るべき国民である」というアイデンティティを与える場、として使われているような気がします、特に開会式。
プーチン大統領の頭にあったのは、先住民族にも配慮したシドニーバンクーバーオリンピックの開会式アトラクションではなく、完璧なイングランド讃歌だったロンドンオリンピックのそれ、だったのだと思います。
英独仏と並んで、ロシアもヨーロッパの中の大国である、という対抗意識は強くあるでしょうし。
北京オリンピックでの、中国文明礼讃のアトラクションも脳裏にあったかもしれません。
というのも。
冷戦時代、西側で作られる映画や小説の中では、いつも「ソ連」や「ソ連人」は徹底的に悪役。
宇宙に最初に人類を送り、最新鋭の武器を持つ巨大な軍隊を誇る偉大なるソ連という国のイメージとは裏腹に、そこに暮らす庶民は、パンを買うにも行列、言論の自由は勿論、あらゆる人権を制限されている、一党独裁の悲惨な社会主義国家というイメージでした。
私なんか、ずっとそのイメージでしたね、「ロシア」ではなく「ソ連」という国が。
小学校高学年になって地図帳を開くと、世界地図のページを跨いでそこに現われる巨大な国は、ソ連!だった、という世代です。
極東の島国に住む子供さえ、「ソ連」というのは何か恐ろしい国である、と映画や小説や「アメリカ万歳!」の当時の世の中から刷り込まれていたわけですが、あながちそれは間違ってはいなかったようです、結果的には。
いくら宇宙開発で世界最先端を走ろうと、強大な軍隊を誇ろうと、それだけでは、ロシアの大地に暮らす国民は真に満たされてはいなかったのでしょう。
自分の国が独裁国家であったり、自国民から自由を奪っているような国家であるということは、どうやってもその自分の国に誇りを持てないように人間の心は作られているのではないか、と思うのです。
それがわかりやすい形で表れていたのが、オリンピック。
当時(東西冷戦時代)、ソ連を筆頭に東側諸国は国を挙げてスポーツ・エリートを養成し、オリンピックでは沢山メダルを獲得し、メダリストには生涯特別な年金が払われたり、優遇措置がとられたそうですが、東側の選手はインタビューを受けても表情のないロボットのように答えるのみ、そしてオリンピックが終わると、必ず何人かの選手が西側に亡命した、というニュースが報道されたものです(最近はとんと聞きませんね)。
競技で勝っても、メダルを獲得しても、国に帰ったら生活が保証されていても、それでも自国に誇りが持てなかったのでしょう、スポーツ・エリートのメダリストでさえ。
オリンピックというのは、それを利用して国威発揚を図った東側諸国の思惑とは裏腹に、そういう人間の心(=スポーツ・エリートでさえ、社会主義国家の自国に誇りを持てない)を国民の前にさらけ出してしまう結果になったのかもしれません。


今回はモスクワオリンピックの時とは違って、ロシアは既に社会主義国家ではなく、(一応)民主主義国家のようですし、世界のどの国からもボイコットされたり(一応)後ろ指さされる国ではなくなっていますから、それを更にわかりやすく国民に自覚してもらうには、今回のソチオリンピックは絶好のタイミングであり、アトラクションは絶好の場であったと言えます、ついでに、メドベージェフ氏ではなく、プーチン皇帝の治世下で。
ロンドンオリンピックのアトラクションは、イングランド讃歌とはいえ、ぎりぎり政治臭を排して、文化や産業の発達にフォーカスしたものでしたが、今回のソチのアトラクションは、ピョートル大帝のイメージが大きく使われ、スターリンこそ登場しませんでしたが社会主義国家であった頃のイメージも使われていました、あくまでも美しく、ですが。
文化と政治はきれいに切り離せるものではないですから、仕方がないことかもしれませんが、少なくともこのアトラクションの責任者、演出家は、プーチン皇帝が喜ぶもの、ロシア国民が今求めているもの、を差し出してみせたことは確かだと思います。
専制政治だったピョートル大帝も、(スターリンこそ出てきませんでしたが)共産主義国家であったソ連時代のことも、全て偉大なるロシアの美しく輝かしい歴史であり、その先にれっきとした民主主義国家ロシア国民である自分たちがいる、という、プーチン大統領とロシア国民が求めているイメージを。
そのイメージをロシア人全体が共有できたのですから、五輪の輪の一つが開かない、などということは、取るに足らない些事であったことでしょう。

(往年のソ連ならば、責任者は間違いなくシベリア送りだったかも)




で、思ってしまったのです。
4年後に韓国で開催される冬のオリンピック、平昌オリンピックでは、どんなテーマのアトラクションになるのか?
韓国の国民は、何を求めているのか?
またまた6年後の東京オリンピックでは?
6年後の日本人は、自分たちのイメージがどうあってほしいと考えているのか?

両方とも、あまり想像してみたくありませんね、今の状態では。

今から4年後、平昌オリンピックのアトラクション、それはきっと韓国の人々の誇りを表すものになることが予想されますが、それがどういうものであったとしても、多くの日本人が最低でも隣国の文化に敬意を払う姿勢を保って冷静に観られるように、と、私は思いますし、そして今度は6年後の東京オリンピックのアトラクションもまた、韓国からだけでなく中国からも、歓迎されるものであってほしい、日本国内だけで内輪に盛り上がる自己満足であってほしくない、と、私は思います。
特に、隣国の文化や人々を貶める日本の大人たちの言葉や行為は、決して子供たちに見せたくない、と、私は願います。
しかし、目下の現状を見るに、それはなかなか悲観的です。
たった2年の間隔を挟んで、韓国と日本でオリンピックが開かれる、というのは運命のいたずら、運命が日本人に突きつけた課題かもしれません。




個人対個人であっても、信頼関係を築くのには時間がかかる一方、喧嘩別れするのは一瞬です。ましてや、仲直りには最初に良い関係を築いた時にかかった以上に時間がかかります。
国と国では、もっともっと長い時間がかかるでしょう、外交だけではなく、それぞれの国民の関係が良い方向に向かうには。
今すぐに、両国の首脳レベルで、信頼関係構築へ向けて歩み出したとしても、4年後の隣国の冬季オリンピックに間にあうのか?6年後の東京オリンピックに間にあうのか?


東京都知事選挙で、田母神候補が61万票を集めたこと、出口調査では、20代では当選した舛添氏に次ぐ支持を集めていること。
この結果だけを見て、これからの様々な選挙において、政治家は、当選するために、もっと右寄りの言葉を使うようになるでしょう。
若者の票を得るために、隣国を非難する勇ましい言葉を使うようになるでしょう、元幕僚長の真似をして。
その結果、ますます、世の中の軸が右にズレることになるでしょう。
そして、そんな状態のまま、4年後の平昌オリンピックや6年後の東京オリンピックを迎えようとするのか?
そういう方向へ国民を導くことは、日本の政治家として正しいことなのか?



・・・とまあ、ソチオリンピックの開会式を見た後、都知事選挙の結果もあったりして、つらつら考えていると憂鬱になってきたわけです。
で、選挙や政治や外交はこの際置いておいて、一つだけ言えるのは、

平昌オリンピックに対する日本と日本人の態度が、そのまま東京オリンピックに対する韓国と韓国人の態度に跳ね返ってくる

という、当たり前のことです。
東京オリンピックを成功させたいと、日本人の誰もが思っているはず、だとしたら、なのですが。

 東京大学の推薦入試の詳細を見て感じた8つの疑問

東京大学平成28年度の入試から行う推薦入試の詳細が発表になりました。

平成28年度推薦入試について(予告)
今までも、メインストリームの前期入試の他に、後期入試というものがありました。
後期入試は、科目や配点の移り変わりもあり、「英語読解力やら数学的解析力やら論述力を問う」などと色々と建前はつけていましたが、一貫して「前期入試でまさかの不合格だった受験生の救済」というものでした。
後期試験も前期試験同様、センター試験の点数で「足切り」があるわけですし、その足切り最低点は得点率9割に迫るものです。
それが、今回の入試改革である推薦入試は、前期試験の遥か前、センター試験の遥か前に行われます。
つまり、言葉は悪いですが、「青田刈り」ですね。
東京大学、お前もか、という感ありです。
しかし、この青田刈り、いえ、推薦入試ですが、東京大学側の意向が実現するのかどうか、私の疑問を書いてみます。

一つ目の疑問。

欧米の有名大学へ合格できる高校生のおこぼれを集めることになるのでは?
今回の推薦入試で、推薦に際して求めている書類等は、学部によって違いますが、大方の学部で提示しているのは、
数学オリンピック、科学オリンピック等々の大会での入賞歴、TOEFLやIELTSのスコア
です。
東京大学、間違っていると思います。わかっていないと思います。
TOEFL100点、IELTS7点(←薬学部、医学部医学科、医学部健康総合科学科が示しているスコア)のスコア所持者で、数学オリンピックや科学オリンピック入賞者って、ハーバードやイェールに十分アプライできる高校生なんですよ?
彼らが、好き好んで東大の推薦入試を受けるでしょうか?それも薬学部や健康総合科学科?
被ってしまうんですよ、欲しい高校生が。
しかも、TOEFL100点IELTS 7点やら数学or科学オリンピック入賞やら、という素晴らしい結果を高校生の間に持達成した日本人高校生は、そんなにいない=希少だと思われるのですが、推薦入試にこういう条件を挙げることによって、却ってそういう希少な高校生が海外の有名大学への進学を考えるきっかけになってしまい、結果的に東京大学は「欲しい高校生」を逃してしまうことになるのでは?と思いますね。
東大は、この推薦入試を導入するにあたって、ハーバードやイェールのアドミッションのスケジュールを考慮したのでしょうかね。
この東大の推薦入試には、

・学校長が責任をもって推薦できる者
・合格した場合、必ず入学することを確約できる者
・推薦入試の書類審査と面接の後に行われるセンター試験で、「概ね8割」以上の得点をとること

という「縛り」が付いています。
3番目の条件などは、何の為の推薦入試?と思ってしまいますが、それは後述するとして、注目すべきは2番目の条件です。
アメリカの名門大学の出願には、「Early Action」というものがあって、各大学によって少しずつ条件は異なりますが、例えばハーバードやイェール大学だと、11月1日が締切で、それぞれの大学へ「専願」で出願できます。
「専願」ですから、一般の出願よりは有利だと言われているのですが(それでも競争率はもの凄く高い)、それの合否の通知は12月半ばに来ます。
ハーバードとイェールのサイトをちょろっと見た限りですが、この2校は、「専願」の中には、「アメリカ以外の国での出願は含まない」となっています。
つまり、ハーバードかイェールに「専願」で出願して、アメリカ以外の国である日本の東京大学の推薦入試に出願することは可能なのです。
東京大学側には、出願時の制限はないですからね。
ということは、こういうことが可能になります。

11月1日までにハーバード、イェールその他の海外有名大学に、「Early Action 」で専願出願

11月上旬 東京大学の推薦入試に出願

12月半ばに、ハーバード、イェールその他の大学から合格通知を貰う

東京大学の推薦入試を辞退する

東大の推薦入試の最終合格者の発表は2月なので、合否が決まる遥か前の12月半ばに辞退しても、「合格したら、必ず入学を確約できる者」という条件には反しませんよね。
まだ合格していないんですから。
困った立場に立たされるのは、各高校の校長先生でしょう。
他の大学の推薦入試でも言われることですが、合格が決まってから辞退したりすると、「来年後輩が受験する時に影響が出る」「自分さえ良ければいいのか?」とか、如何にも日本らしい浪花節で脅されたりするのですが、この東大の推薦入試については、合格が決まる前なんですし、論理的にはOKなことだと思います。
また、開学以来初の東大合格者を目指す高校ならともかく、東大合格者数番付上位10位に載るような高校だと、校長先生の立場からすると逆に、推薦入試で一人合格者を稼いでも仕方ないわけで、寧ろ海外有名大学に合格する可能性が高い生徒には、東大の推薦入試など勧めずに、第一希望を海外有名大学にするように指導するでしょう。
推薦するとしたら、「海外有名大学には行ける実力はないけど、東大の推薦入試には引っかかるかも」という生徒になるのではないかと思われます。
生徒の立場に立ってみても、これから海外の大学に行こうとする生徒が、浪花節のような学校の都合に縛られていてどうするのか?後輩だろうが、校長先生の立場だろうが、蹴散らしてチャンスを掴んでこそ、「グローバル人材」というものです。
ハーバードやらイェールやらに入学してから彼らのライバルになる、インドやバングラデシュからアメリカの有名大学に進学してくる生徒は、もっともっと多くの同級生を出し抜き蹴散らして、入学を勝ち取ってくるのですから。
つまり。
東大の推薦入試は、海外有名大学の滑り止めになってしまうのでは?
もしくは、
海外有名大学に合格する実績や語学力はないけど、東大の推薦入試なら何とか合格する、という生徒を集めるだけのものになるのでは?
という恐れがあるのです。
これは、この推薦入試に、TOEFLやら科学オリンピックの入賞歴やら、という条件を付けたことで、東大が墓穴を掘ってしまったからなのです。
本当の意味で優秀な高校生を青田刈りしたいのならば、各予備校がやっている、東大オープンやら東大実践模試で、学年に拘らず「総合1位」をとった高校生にすべきでしたね。
高校2年生の夏や秋の模試でもOK、という条件にしたら、もっとgap yearも有効に使えるかもしれないのですけどね。
・・・本気になさる方がいるとマズいので予め申し上げておきますが、上3行は「冗談」(それもたちの悪い)です・・・。



そして2つ目は素朴な疑問。

東京大学の看板とも言える、前期教養との整合性は?
そもそも東大が学部ではなく、科類で入学者を募集するのは、大学に入学した後、前期教養の間に幅広い分野の知見に触れることによって進路を決めることが重要である、ということなんでしょう(実際は、点数による振り分けであっても)?
入学前に学部を決めるなんて、前期教養の意義とは何ぞや?になりませんか?
「推薦入学者に対するカリキュラム・ポリシー及び入学後の措置」というのを見ていると、前期課程から「専門科目の早期学習」とか「早期受講」という文字が見られますが、大学入学後の2年間はみっちり「教養課程」で学ぶことが、東京大学のウリじゃなかったんでしょうか?
同じ大学で、ペーパーテストの入試で合格した学生と、推薦入試で合格した学生とでは、施す教育のポリシーが違うのでしょうか?
いえいえ、最初にリンクを貼った推薦入試のアドミッション・ポリシーには何故か

この教養教育において、どの専門分野でも必要とされる基礎的な知識と学術的な方法が身につくとともに、自分の進むべき専門分野が何であるのかを見極める力が養われるはずです。

と、まるで入学前から学部別に選考する推薦入試とは真逆のことが書いてあるのです。
つまり。
この推薦入試は、前期教養の意義とは相反するもの、なのです。



3つ目は、推薦入試で入学後に起こる問題

推薦入学した学生は、転部や専攻を変えることが出来るのか?
2つ目の疑問と関連しますが、各学部への推薦入試合格者は、東京大学が誇る駒場の前期教養の授業において、運命的出会い(学問上の、ですよ)があっても、入学後は専門を変えることができないのでしょうか?
前期教養の意義を考えると、例え推薦入試で入学した学生であっても、「前期教養を学んでいる間に気持ちが変わって専門を変えて転部したい」というのならば、認めないわけにはいかないですよね?
しかし、そうなると、各学部の中で比較的推薦入試が簡単そうな学部を選んで入学し、入学後に「気持ちが変わって」医学部医学科に進学することも可能なんでしょうか?
↑ もしこういうことが可能になるとしたら(前期教養の建前から言って可能なはず)、予備校や塾など受験界隈が騒然とすることでしょう。
つまり。
今までの東大の教育に、この推薦入試は上手く練り込めていないのです。
推薦入試を今後も押し進めていくのならば、前期教養やら進振りやらが変わらなくてはなりません。
逆に今までの東大の教育を堅持するのならば、そもそも推薦入試は不整合なのです。
まあ、そんなことよりも、平成28年度から実際に推薦入試を経た学生が入学してくるのならば、少なくとも彼らに対しては責任を持って受け入れ態勢を整えておくべきでしょう。
前述のように推薦入学者の大学入学後の扱いについてもしっかり定めておかないと、現状の後期入試入学者に対してですら、根拠のない優越感を持っているらしい前期入試入学者から不満、批判が巻き起こり、この推薦入試の制度自体が早々に崩壊してしまうかもしれません。



4つ目の疑問

東大は優秀な学生を集める本気が本当にあるのか?
というのは。
この推薦入試には、変な「縛り」がもう一つあります。
それぞれの高校で、校長先生が推薦できる生徒は、「男女各1人、合計2人まで」というものです。
これには補足があり、「男女いずれのみしか在籍しない学校においては、推薦できる人数は1人まで」となっています。
この奇妙な、一見「男女平等」風の「縛り」。
如何にも東大らしい、お役所的考えですね。
考え方が一回り古いのではありませんかね?
この「縛り」は、「男女各1名にして、女子生徒が推薦される機会を男子と均等にして、東京大学が女性活用に対して積極的な姿勢を見せよう」という浅知恵、失礼、お考えからきたのでしょう。
これこそが、男尊女卑なんです、なんちゃって男女平等なんです。
「別学の高校なら1人しか推薦されないのに、共学の高校に限って2名推薦される」というのもとても奇妙なことですが、東大が考えていることはこうです。
「共学の高校からの推薦枠は、能力的には当然(と・う・ぜ・ん)男子2人になるところだけど、女子も一人入れてあげる、だって東大は先進的な大学だから。」
いや〜、まだ何気にこういう考えの方がいるんですね、集団で。
「共学の高校で、推薦されるべき優秀な高校生が女子2人の場合、女子2人が推薦される機会を奪う可能性がある
ということには思いが至らないんでしょうかね?
正しい人数設定は「各学校1人」でしょう、天下の東大なんですから、せめて学校一の秀才を集めなくては!
一番じゃないと駄目なんですよ、二番では駄目なんです、東大ですもの!
まあ、そもそもこの推薦入試には単純な不平等があるんですよ、首都圏には一学年の生徒数が500人近い男子校があったり、地方の共学の県立高校で一学年80名というところもありますから、先ず高校から推薦される時点で公平性という点では色々と問題があるのに、「男女各1人、合計2人まで」と、そこだけ律儀に数だけ合わせても駄目なんですってば。
人数だけ合わせても、東大の推薦入試には小保方さんは入学してきませんよ。
つまり。
東大は、優秀な高校生を獲得したいという本気度がまだ不十分である、のです。
男子であろうが女子であろうが、一人でも多く、学校一の秀才を全国からかき集める、という気迫がまるで感じられません。



疑問5つ目。

推薦で入学して、何か「お得」なことがあるのか?
ここで私が言う「お得」とは、極めて下世話な話で、授業料免除、とか、入学金半額、とか、設備が整って大学にも近い寮に優先的に入寮できる、とかそういうことですが、そういう特典は何もないようですね。
東大側は、「前期教養の間から専門科目が学べる」とか、「大学院の科目を早く受講できる」とか、「留学を奨励する」とか、を、高校生が有難がる「お得」なものだと上から目線で考えているかもしれませんが、これって本当に今の高校生、大学生にとって「お得」なんでしょうか?
これだと、例えば早稲田や慶應が同じ時期に同じ条件で推薦入試をやって、合格した優秀な高校生には、入学金・授業料免除、生活費支給、学生寮無償、とやったら、地方の学生ならば、東大よりもそちらを選ぶんじゃないでしょうか?
早稲田と慶應、私立大学の強みを生かして優秀な高校生を入学させるチャンスです。
ましてや、海外の有名大学が繰り出してくる豪華な奨学金に太刀打ちなんてできないじゃないですか。
最初に言ったように、この東大の推薦入試に合格する可能性がある高校生と、海外有名大学に合格する高校生は、まるで被っているんですよ。
大学の世界ランキング、ネームバリュー、教育環境、研究水準、学生寮などの設備、どれをとっても、東大はハーバードやイェールだけでなく、アメリカの数多の有名大学にはかないません。
それだけでも東大はハンディがあるのに、何も「お得」なことがなければ、例えばハーバードやイェールにも自費で留学させられるくらい経済的に恵まれた家庭の高校生で、尚且つ、TOEFL100点、科学オリンピック入賞歴がある都内の私立中高一貫校に通う高校生は、最初からこの東大の推薦入試に出願するメリットは全くなく、こういう高校生を海外の有名大学にとられてしまうことになるでしょう。
逆に、海外有名大学に行ける実力があるけれども、経済的にそれが出来ないという生徒をかき集めなくてはならないのです、この推薦入試で。
それにしては、いかにもショボい「お得」感です。



疑問6つ目。

学生を育てるのが大学ではないのか?
何が悲しくて、「留学経験」とか「TOEFL」や「IELTS」とかを、東大はこの推薦入試では求めるのでしょうか?
経済的に豊かでない家庭からでは、高校生で留学など無理でしょうし、TOEFLは1回受験するのに225ドルかかるテストであること、IELTSはそれ以上の受験料が必要でしかも限られた都市でしか受験できないこと、それを東大は知っているのか?
皆様の東京大学、明治以来青雲の志を抱いた学生、仮に貧農の生まれであっても優秀でさえあれば受け容れて、国家のためになる人材を育ててきた東京大学ではなかったのか?
もう既に出来上がっている高校生、留学経験があったり、海外で暮らした経験があり、高校生でTOEFL100点のスコアを取れるような、しかも数学オリンピックや科学オリンピックで既にオフィシャルに才能が認められている高校生を、東大が集めてどうするのですか?
既に何らかのお墨付きを持っている高校生を推薦入試でとるのならば、早稲田や慶應もとっくにやっている訳で、それと同じ事を東大がする意味はあるのでしょうか?
東大が探してくるべきなのは、
将来外交官になるのを夢見ているけれども、TOEFLが行われている会場に行くのに半日かかるド田舎の秀才高校生で、海外経験どころか生まれてこの方「外人」に一度も会ったことがなく、インターネットで英語勉強しました、という高校生であったり、
同じくド田舎の天才高校生で、田舎すぎて数学オリンピックや科学オリンピックの存在さえ知らなかったけれど、理数的思考力はずば抜けたものがある、という高校生であったり、なのでは?
東大のアドミッション・オフィスが、日本津々浦々、地方の高校を回り、校長先生に、こういう高校生を「どうぞ東大に推薦してください」と頭を下げてお願いするべきなんじゃないでしょうか?
映画「マイフェアレディ」のヒギンズ教授のように、訛り丸出しのイライザのような、地方に埋もれている天才や秀才を発掘して、教育を施すだけではなく、エリートとしての身の処し方、振る舞い方までも、東大の教育の中で身につけさせ、イライザを見事社交界にデビューさせたように、グローバルに活躍する人材に育て上げる、という気概は、東京大学には最早ないのでしょうか?



疑問7つ目

何故、運動枠を作らなかったのか?
この推薦入試は、「学部学生の多様性を促進し、それによって学部教育の更なる活性化を測ることに主眼を置いて実施します」とありますが、推薦される要件として、何故、数学オリンピックや科学オリンピックの入賞経験はOKで、「甲子園出場経験」は駄目(とはっきりは書いていないけど)なんでしょうか?
例えば「甲子園出場経験」がある高校生で、出身高校の校長先生の推薦があって面接を突破すれば、入学させればいいではありませんか?
そういう学生が野球部に入れば、目下連敗続きの東大野球部が悲願の一勝をあげることができるかもしれません。
何より、それが「秋入学」やら「グローバル化」だのと、バタバタもがくよりも、効果的な東大起死回生への突破口になりはしませんか?
野球枠で学校長から推薦される高校生は、勿論地方の県立高校もあるでしょうが、意外に、早実とか慶應塾高からも推薦入試を受ける野球部員が出てくるかもしれません。
今まで、特に首都圏では、中学、高校の段階で、優秀な生徒の一部分は、早稲田や慶應の付属校に流れてしまっていましたが、そういう付属校から優秀な高校生を東大に呼び込む端緒になりはしないでしょうか。
推薦入試の運動枠で大学付属校から東大に入学する学生が出れば、その他の推薦入試でも、一般入試でも、という流れもできるかもしれません。
受験マシーンのような中高一貫校出身者とはまた違った優秀な学生を入学させることになり、ひいては、「多様性の促進」と「更なる活性化」に繋がりますよ。
何より、東大野球部が一勝すれば、いやいや、関西と違ってせっかくの入れ替えなしの東京六大学リーグにいるのですから、東大がリーグ優勝すれば、これは盛り上がりますよ。
在校生だけでなく、卒業生も、そして東大を目指す受験生も。
プライスレスな宣伝効果になります、ノーベル賞受賞者を出すよりもインパクトが大きいかも。
素人のオバサンである私でも、これくらい考えつくのに、では何故「運動枠」がないのか?
それはやはり突き詰めると、東大にも東大生にも、「ペーパーテストで優秀であることが一番の価値」という拭おうにも拭えない強固な価値観があるからだと思います。
どんなに「多様性」とか言っても、所詮この価値観が東大内部にある限り、推薦入試は失敗すると思います。
この推薦入試を成功させるためには、推薦入試で入学させた学生を、大学が肝を据えて育てる覚悟が不可欠だと思いますが、運動枠がないということは、結局は腰が引けているのではないでしょうか。
「多様性」と言っても、それはペーパーテストで入学した秀才というメインディッシュの添え物であるパセリでしかないのならば、この制度の将来はないでしょう。



疑問7つで終われば数がよかったのですが、仕方なく疑問8つ目

受験生である高校生にとっては、これが一番引っかかるところだと思いますが、
書類審査を通過し面接で上手くいった感触があっても、その後のセンター試験で8割取らないと落とされる
というシステムになっているのは、何故なのでしょう?
これでは、「多様性」も何も、形ばかりの書類審査と面接ではないでしょうか、結局はペーパーテスト重視?みたいな。
従来から私立大学の推薦入試でも、「早い時期に推薦入試の合格を出すと、その後学生が勉強しなくなり、学力が低下する」と言われていますが、東大も同様に、早い時期に推薦入試の合格を出すと、その学生が遊んでしまうのではないかと疑っているんでしょうか。
それとも、自らが書類審査して面接して合格を出した高校生が、センター試験で8割取れなかったら、東大自らの「選抜眼」よりもセンターの点数を優先する、ということなのでしょうか?
どちらにしても、情けないというか、悲しい話です。
推薦要件にTOEFLなどを課して合格させるのならば、さっさと12月の半ばに最終合格者を発表し、「入学式までは海外でボランティアをするなり、何でも好きな事をやってね。」くらいやったらどうですか?
東大に推薦入試で合格すべき優秀な高校生が、センター当日まさかのインフルエンザで追試験はノロウイルスとかで、8割取れなかったら、「はい、さようなら」なんでしょうかね。






今までは、入試制度が変わる度に振り回されるのは、受験生の側でした。
しかし、今回の東京大学の推薦入試についての発表を見るに、この推薦入試は東大側が受験生に見限られるものだと思いました。
東京大学が欲しいと思い描いている高校生は、この入試制度を利用しないでしょう。
却って腹を据えて海外の大学に行くことを真剣に考え始めるのではないかと思いました。
超高校級に優秀な高校生にそう決意させるのは、この推薦入試の概要に透けて見える東京大学の真意そのものが、そうさせるのです。
「世界中から、日本中から、一人でも多く、将来リーダーになるべき優秀な高校生を集めよう」という本気が見られないのです、この推薦入試の内容は。
受験生でなくとも、些かショックでもあります、「秋入学」だのグローバル化」だの言っていたけど、東大の本気はこの程度なのか!?というショック。
結局、何だかんだ言っても東大は、今まで通り、センター試験でミスをせずに高得点、且つ、高校1年から予備校の東大受験生向けの授業で鍛えて二次試験をそつなくこなした、「ペーパーテストの鉄人」が欲しいのです。
大学側はそういうペーパーテストの鉄人が、日本の優秀なリーダーになるといまだに考えており、当のペーパーテストの鉄人たちも、「東大合格」というトロフィーだけで、就活も世渡りもやっていけるといまだに思っています。
ペーパーテストの鉄人たちもまた、大学から大事にされていないことに気がついてほしいものです。
ペーパーテストの鉄人たちを東大の教育で鍛え上げて、世界に出て行けるリーダーを作る気はなさそうです、だって、早期の専門受講やら留学やらは、推薦入試で募集する、既にスコアや評価を持っている学生専用のようですから。
推薦入試で入学させる学生に対しても、東大は、大した特典も与えないケチっぷりの上に、転部の自由も許さないつもりのようですし、推薦入試で得た多様多彩な人材で大学を改革する、という考えさえもさらさらなく、お皿の上のパセリ扱い同然です。
もう一つだけ言っておきます。
平成28年度の入学試験が終わって、初夏の風が吹く頃、各高校がホームページの「進学状況」に、卒業したばかりの生徒の大学進学状況をアップするのですが、東大の推薦入試の責任者は、片っ端からチェックしてみるべきだと思います。
先ずは東大合格者数番付上位の進学校で、「海外の大学」に進学した人数がどれくらいいるのか?
今でも、灘やら開成やら桜蔭やら筑駒やら学附やらから、海外の有名大学に進学していますよね。
もしそれが加速していたら、東大の推薦入試は失敗、ということになるでしょう。
だって、海外の有名大学に進学するような高校生こそが、東大が欲しい人材なんでしょ?
逃げられた、ということですものね。
冗談抜きに「大学教育の国内空洞化」の流れを、東大の推薦入試が作り出してしまわないように願うばかりです。

 日本のリーダーとしての安倍首相の言動に対する違和感について

こういう現実の展開もあったと思うのです。


2012年暮れの総選挙に大勝して長期政権を望める政権を発足させた、日本のリーダーたる総理大臣が、先ず

在任中は、靖国神社には参拝しない、と宣言。

2012夏に尖閣諸島問題で排日運動が吹き荒れた中国、竹島及び慰安婦問題で険悪な関係になっていた韓国、及びアジア諸国に対して、明確なメッセージを送る。
(総理大臣を辞めてから、いくらでも何回でも靖国に参拝すればよいことで)
そして、例えば、

昨年10月に来日したケリー国務長官ヘーゲル国防長官と共に、千鳥ヶ淵にて献花する

当然、その映像は世界に配信されると同時に、ネットで繰り返し閲覧されたことでしょう。
中国や韓国は、いちゃもんの、失礼、これを糸口に日本を非難することはできなかったでしょう。
アメリカだって、国務長官と国防長官の二人を動員して下手なわかりやすいパフォーマンスした甲斐があったというもので、日米の親密さも増したことでしょう。

というような展開も、あったのではないでしょうか?過去における仮定ですけど。
これで、八方上手く納まっていたかも、という展開が。


実際の現実はそうではありません。
昨年末、安倍首相は、靖国陣社に参拝。
「私人」としてとはいえ、モーニング姿の礼装で、公用車に乗って靖国神社を訪れ、「玉串料」という神道における神社や神官への謝礼を支払い、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前で記帳し、その名前で献花しました。

( ↑ これを「私人」と言う方が無理だと思いますが・・・)
当然と言えば当然ですが、中国や韓国はここぞとばかり反発し、アメリカでさえも「disappointed」というコメントを出しましたが、これも当然のことで、ケリー氏やヘーゲル氏がわざわざ千鳥ヶ淵で献花したことがないがしろにされて、面目丸つぶれです。
世界各国の新聞やニュースサイトのトップを飾ったこのニュースを、中国や韓国、アジアにビジネスや留学で滞在する日本人はもとより、アメリカ、ヨーロッパ、世界各地にも大勢の日本人ビジネスマンや留学生が滞在していますが、彼らがこの安倍首相の参拝を歓迎したでしょうか?安倍首相が日本国内メディアに説明しているのと同様に、「国のリーダーが、戦争で命を落とした人を尊崇の念を持ってお参りするのは当然だ、靖国神社A級戦犯が祭られているとしても。」と現地で胸張って言えるでしょうか?
駐英大使や駐独ミュンヘン総領事の方々ですら、テレビや会議の席上でしどろもどろではありませんか。


(語学力、振る舞い方、突っ込みどころ満載ですが)



一番のポイントは、この安倍首相の靖国神社参拝は「国益にかなう」ものであったか?
ということです。

「第一次安倍政権で靖国神社に参拝できなかったのは、痛恨の極みであった」と言う、安倍首相の個人的な怨念の解消や、政治的達成感以外に、今回の安倍首相の靖国陣社参拝が、日本国民にとってプラスに働いた面ってあるのでしょうか?
日本が少しばかり荒ぶるとそれで憂さが晴れるのか、嬉しがる人々を喜ばしただけなんじゃないでしょうか、それも一時的に。
日本が荒ぶるのを喜ぶ一部の国民は、「次」を求めることでしょう、もっと刺激が強い荒ぶり方を。
安倍首相がそれに応えて、荒ぶり方をエスカレートさせて行った先には何があるのか?



さて、その一国の総理大臣、安倍首相が発する言葉なんですが。
先般の「特定秘密保護法案」が衆参で可決した後の安倍首相の会見で、記者に厳しい世論について聞かれて*1

まず、厳しい世論については、国民の皆様の叱正であると、謙虚に、真摯に受けとめなければならないと思います。私自身がもっともっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと、反省もいたしております。

という、一見殊勝な言葉がありました。
今回も参拝後の会見談話で、

これからも、謙虚に、礼儀正しく、誠意を以て、説明し、対話を求めていきたいと思っております。

という文言がありました。
同じパターンが続きます。
安倍首相ではなく、女房役の菅官房長官の言葉ですが、ケネディ駐日大使の、イルカ追い込み漁に対するtwitter上の発言に対して、

アメリカ側に対して日本の立場を説明していくこととしたい、このように考えています。

と言っています。
も一つおまけですが、ダボスで、今の日中関係を第一世界大戦前のヨーロッパを例に挙げて話した安倍首相の発言に関して、菅官房長官は又しても会見で*2

外交ルートを通じて首相の真意をしっかりと説明する

と述べました。
何かやる度に、後から小賢しい言い訳したり、子供の悪戯の尻拭いのように官房長官が「しっかり説明していく」と後始末しなければならないのなら、一国のリーダーとして先ず熟慮してから行動すべきだと思いますね。
思うに、靖国神社参拝にしたって、ちゃんと外交的メリット・デメリットを計算して、「日本の国益にかなう」と確信して行ったのかどうか?
安倍首相の靖国参拝の後、日中関係、日韓関係共に、最悪になり、日米関係までがギクシャクしている現状を考えると、「国益を計算し間違えた」というこの一点をとっても首相の資質として如何なものか?
『積極的平和主義」とかわけわからないことを唱えていますが、一連の安倍首相の言動は、国益にかなうどころか、あちこちにマッチで火を点けて回ったようなものです。



安倍首相のスピーチライターは、本当に手練(てだれ)であると思います。
独断専行の行為の後の会見で、日本人の心をくすぐる「反省」「謙虚」「礼儀正しく」「誠意」という言葉を散りばめていますよね。
これは全くの欺瞞で、本当に「反省」するのならば強行採決しなければよかったのですし(つまり「反省」なんてしていない)、安倍首相の外交姿勢は、口では「対話のドアは開いている」と言いながら、「謙虚」と「礼儀」に欠けるものであり、「誠意」の真逆なのですから。
日経ビジネスの記者、谷口智彦氏が安倍氏のスピーチライターであることは、知っている人は知っていると思いますが、ネットを見ない大方の国民の中には、「安倍さん、スピーチの文章が上手いねえ。」と、あたかも全てが首相自身の言葉のように美しく?誤解している人(インターネットとは無縁の75歳の実母)もいて、思わずのけぞってしまいましたが、そう思っている人、多いのではないかと思います。
まあ、スピーチライターに原稿を書かせたとしても(それは世界中の指導者はやっていることでしょう)、最終的にその内容、言葉の一言一句に責任を持ってスピーチするのは政治家本人のはずですから。
スピーチライターの谷口氏は、経済記者として海外生活が長く英語が堪能とのことですが、僭越ながら、経済問題に関するスピーチならまだしも、国際政治に関するスピーチや、欧米諸国間の中での歴史観を問われるスピーチでは、どんなものなのでしょう?
映画「ウォールストリート」の中でインサイダー取引で有罪となったゴードン・ゲッコー氏の言葉をもじった「Buy my Abenomics.」を事もあろうにNY証券取引所で嬉しそうに言うというのは、民間企業の経営者ならギリギリセーフかもしれませんが(品位ある経営者なら言わないと思います)、日本の首相の言葉としてはどうなのか?とか、第一次世界大戦前のイギリスとドイツの例を、事もあろうに第一次世界大戦勃発から100年の今年ダボスで持ち出すか、ということについては、スピーチライター及び首相周辺の人々の致命的ミスではないかと思うのですが。
ただ、どんな「手練」のライターを使っているとはいえ、スピーチした瞬間から全ての責任はスピーチをしている本人に帰されるのは当たり前のことです。
ゴードン・ゲッコー氏が映画の中でどのように描かれているのか、その言葉を一国の総理が口にするというのはどのように映るのか。第一次世界大戦前夜の英独関係はどうだったのか、また今日それを国際会議場で持ち出すことはどのような意味合いになるのか、ということについては、スピーチライターの責任というよりは、全て最終的には喋った本人安倍首相の責任です。

この谷口氏が書いているのはスピーチ原稿だけではないかもしれません。靖国参拝後の記者会見(ぶら下がり)では、安倍首相は、最初に自身の心情を、まるで暗記した原稿を読み上げるように話し、その後の記者からの個別の質問に対しても、余計なことを言って失言になるのを避けるためでしょうか、質問に対する答にはまるでなっていない、暗記原稿を読み上げるが如くの対応でした。
例えば、記者が
靖国神社には多くの戦犯が祭られているが、戦争指導者の戦争責任についてどう思うか?」
と聞いたのに対して、

今までも随時国会で述べてきた通りであります。我々は過去の反省に経って、戦後しっかり基本的人権を守り、民主主義、自由な日本を作って参りました、今やその中において世界の平和に貢献しているわけであります。今後もその歩みには些かの代わりがないことを申し上げておきます。

という答。これは質問に対して答えていませんね。スピーチライターが書いた原稿(「失言」と言われないように十分に配慮されているのでしょう)の中から、適当にピックアップして答えたフリをしているだけのように見受けられます。
この記者会見の文言も、国民と国際世論を舐めているとしか思えないのですが、

中国あるいは韓国の人々の気持ちを傷つけるという気持ちは毛頭ございません。

母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、そしてリーダーとして手を合わせる、このことは世界共通のリーダーの姿勢ではないでしょうか。これ以外のものでは全くない、それをこれから理解をしていただく努力を重ねていきたいと思っています。

これからも謙虚に礼儀正しく誠意をもって説明をし、そして対話を求めていきたいと思います。

「傷つけるつもりは毛頭ない」というのに、参拝している事実。参拝した後で「傷つけるつもりは毛頭ない」と後から言い訳するいつものやり方。
「母」「愛する妻や子」という情緒的な言葉の後に、「このことは世界共通のリーダーの姿勢」とたたみかける。「戦犯」やら「宗教」やらは曖昧にしたまま。
「努力を重ねていきたい」「謙虚」「礼儀正しく」「誠意」「対話を求めていきたい」という日本人が好む言葉を羅列する。アメリカの懸念を無視し、参拝前夜に韓国に通知する(しかもその前日、日中韓首脳会談の実現に向けて、三国の事務当局が協議したばかり)、というのに、どこが「謙虚」「礼儀正しく」「誠意」なのか?
アメリカに対しても非礼であるばかりでなく、中国、韓国から見れば、不誠実、傲慢としか見えないのでは?
再三、A (merica)くんから、「C (hina)くんとK (orea)くんが必ず怒るから、殴ってはいけないよ。」と言われていたのに、J (apan)くんは、殴ってしまってから、「ボクは礼儀正しくて謙虚だよ。誠意をもって対話していくよ。」と親に言い訳しているようなものですね。


また、最近は鳴りを潜めてはいますが、安倍首相は、憲法改正の要件を変えることによって憲法改正に着手しようとしています。
歴代の総理大臣、色々な方がいましたが、誰一人として「先ず96条を改正して改憲のハードルを下げる」ということは、口にも出しませんでした。
安倍首相が言っていることは、一見如何にも理にはかなっているように見えます、「改憲の発議を、衆参国会議員の三分の二以上から過半数にしてハードルを下げて、憲法を国民の手に委ねる。改憲を決めるのは、その後の国民投票であり国民である。」←字面だけ見ると、何ともご立派に見えるわけですが、では何故、歴代の総理大臣はそれをしなかったのか。
それは、「憲法」という国の根幹をなすものに対して、この方法は「正しくない」と歴代総理は考えたからだと思います。「不謹慎」だと考えたからだと思います。「破廉恥」だとも考えたからだと思います。
例え、ブレーンの学者がこの方法に言及したとしても、それを一刀両断で退けるだけの、リーダーとしての品格と見識はあったのだと思います。
安倍首相にはそれがないのでしょう。
内閣法制局長官の人事によって集団的自衛権行使の容認を目指す、NHKの会長人事によって報道をコントロールする、皆、同じ発想です。
実は私は、憲法改正にも集団的自衛権にも賛成なのですが、この安倍首相のやり方には反対、という悩ましさなのです。
このまま安倍首相が突っ走って、憲法改正やら集団的自衛権行使の容認を実現した時、私は「結果は同じだから」と納得すべきなのでしょうか?

オリンピックの東京招致のプレゼンにおける「The situation is under control.」もそうでした。
オリンピックを招致するためとはいえ、心ある日本人ならば誰もが「ええっ???」と驚いた、この国際的舞台でのハッタリ発言。
歴代首相なら口にはできなかったと思います。
どの発言も、如何にもイージーなのです。
一国のリーダーの発言の影響は大きいのです。安倍首相のこの発言によって、日本の国民は、「そうか、被災地のことも原発事故のことも忘れて、オリンピックに浮かれても良いのだ。オリンピックのためには電気が必要だから、原発を再稼働しても良いのだ。」というムードになってしまったではありませんか。
この発言によって、国民は知らず知らずのうちに、共犯になってしまいました、またもや日本人が好きな「みんなで渡れば恐くない」の世界です。
「みんなで原発再稼働すれば恐くない」んですよね。
思い遣りや誇りも奪われました。
東日本大震災の時の日本人の行いが世界から称賛され、日本人全員が「被災地のために」と一丸となっていた、あの気持ちが奪われてしまいました。
電気の最大消費地である首都圏ですが、2011年の春から夏にかけて、歯をくいしばって計画停電やら節電を耐え抜きましたよね。
あの時には、確かに人々の心の中には、被災地、とりわけ福島の人々に対する思いがあったのです。
そういう思いがあったからこそ、また、あの時あちこちで見られた「頑張ろう、日本!」という垂れ幕に日本人としての誇りが掻きたてられたからこそ、あの計画停電や節電を耐え抜けたのだと思います。
「The situation is under control.」という言葉は、その思いや誇りを奪ってしまいました。
元々「経済再生」を旗頭にしている安倍政権ですが、「経済さえ良くなればよい、後はそれから」「オリンピックが第一、後はそれから」というムードに日本全体がなってしまったのです。



前述の、スピーチライターによる巧みな人心掌握だけではありません。
この際言わせてもらうと、一昨年の自民党総裁選で久方ぶりに安倍首相の姿を見て(突然の退任後、存在感ありませんでしたよね)、あれ?小泉さんの真似?とすぐに思いました。大臣経験もないのに幹事長に抜擢された頃の安倍首相のヘアースタイルは、父安倍晋太郎氏そっくりの、ぺったり押さえつけた四分六分け。それが今では、何故か前髪が隆起してウェーブがうねっています。「ライオンヘアー」と呼ばれた嘗ての小泉総理大臣のヘアースタイルと、おでこ上の部分がそっくりです。

(第一次安倍政権時のヘアースタイル)

(お父上である故安倍晋太郎氏とそっくりです)

(近影)
小泉元首相を副官房長官、幹事長として間近で見て、あの熱狂的な人気、カリスマ性は安倍首相でなくとも羨望を覚えるものだったことでしょう。
また、衆議院の本会議場やら、官邸で、軽やかに小走りに走る姿は、10歳以上年下のオバマ大統領そっくりです、政治信条に隔たりがあるオバマ大統領とは、個人的関係は到底築けないとは思いますが。
サブリミナル効果ではありませんが、誰もがよく知っている既出の好感度のイメージをなぞって、自分のものであるかのように振る舞う手法は、誰の指南なのかはわかりませんが、見事です。
スピーチの言葉も、ヘアースタイルも、お坊っちゃまらしいファッションも、若々しいリーダーであるような所作も、これも見事なイメージ戦略です。
現代の政治家は誰もがイメージを戦略的に使っているとは思いますが、安倍首相に関して最も気になるのは、安倍首相が、自分の信念や政治家としての信条を表すためにイメージを使うのではなく、衆参両院で過半数を取った与党を後ろ盾として「手段を選ばず」何かを成し遂げた後、国民に言い訳するため、許して貰うために、そういうイメージを使っているのではないか、と思われることです。
まあ、現状ではこのイメージ戦略は大成功のようで、安倍首相の言動を、如何にも若々しく、勇ましく、誠実に思える人が多いのでしょうね。
安倍首相は、自らが投げ出した第一次安倍政権の後の5人の首相が持っていなかったもので、ミーハーな国民が欲しているものを、わかりやすく国民に見せているということです。
外国の首脳と並んでも遜色のない長身、毛並みの良さ、若々しさ、ソフトで洒落た印象を与えるヘアースタイル、服装、それでいて日本人が大好きな言葉、「丁寧に説明」「謙虚」「反省」「礼儀正しく」「誠意」を散りばめた会見。
ついでに、檜舞台での英語でのスピーチ。英語で苦しんでいる日本人の願望やコンプレックスを、見事に鷲掴みしています、わかりやすく。
(安倍首相の本当の英語力がどれくらいのものなのか、についてはここでは触れませんが)
また、昭恵首相夫人が韓流好きなことも、「家庭内野党」という言葉を使って、逆にソフトなイメージの向上に利用しています、ヘイトスピーチには目をつぶるのに、この巧みなイメージ戦略!
こうやって一度イメージを国民に刷り込んでしまえば、後は何をやってもイメージに守られて、そのやり方や方向は国民の監視を免れることになるでしょう。



冒頭の展開、

日本の首相が「在任中は、靖国参拝はしない」と明言し、「戦犯とも宗教とも関係のない千鳥ヶ淵で、アメリカの閣僚と共に献花する」

という展開になっていたら?と、詮無い事だと思いつつ、ついつい考えてしまいます。

しかし、現実は。
対外的には日本の国益は砂時計の砂が減っていくように少しずつ落ちていく一方であるのに対して、国内的には安倍政権は、着々と布石を打ち、後は力任せに実行していくだけ、国民もそれを止められない状況になってきています。

外国と対等に渡り合っている(ように見える)姿、勇ましい言葉、夢よ再びの好景気、失われた古き良き時代(に見える)の家族の伝統や教育・・・。私たち日本人が、閉塞したこの十何年間にぼんやり無意識に夢見てきたそれらのことを、わかりやすく体現していますから、安倍首相。
でも、本当にそれでよいのでしょうか?

ずんぐりむっくりでも、頭髪に障害があっても、英語でスピーチできなくても、鈍臭い振る舞いでも、そんなことは、本当はどうでもよいのです、国民の安全と、国民の誇りと、そして国益を守ってくれる人物こそが、本来はリーダーであるべきなのです。
代わりのリーダーを輩出すべき自民党が何故か最近はだんまりを決め込んでいるのは、安倍首相の巧みなイメージ戦略を間近に見て、「とても自分にはできない」と思っているのか、それとも、そうやって出来上がった安倍首相のイメージに喝采を送る国民に怯んでいるのか?
だとしたら、真にリーダーとなるべき政治家を怯ませ臆させている国民の側も、考えなくてはいけないのでしょう。
美しい言葉と勇ましい行動、それが国益を損ねるものであるのに、その一時的な心地よさに酔っていてよいのでしょうか。
安倍首相個人の悲願であった在任中の靖国神社参拝だけが、日本の選択肢ではなかった、と思います。
冒頭に書いた展開だってあったはず、真の意味での国益が守られた展開があったはず。
歴代のどの首相とも違った危うい道を歩いているリーダーである安倍首相に対する違和感から逃げない事、目を逸らさない事。
それが国民である私たちが先ずしなければならないことだと思います、オリンピックや景気や株価に惑わされることなく、もっと大事なことを思い出して。

 永遠の問い「持ち家か?賃貸か?」 60歳から90歳までの30年間だけでなく  ド素人の雑感


一生賃貸で暮らすにはどのくらい蓄えが必要か 「まさか」に備えるための全課題 PRESIDENT Online


筆者の方のプロフィールを見ると、数々の国家資格を取得していらっしゃり、著書も数多く出されている方のようなので、私のようなド素人が楯突くのも気が引けますが、ド素人はド素人なりに書いてみたいと思います。


上記の記事の内容で、何が問題かと言って、
「一生賃貸で暮らすにはどのくらい蓄えが必要か」
というタイトルであるのに、この記事を読むと、この「一生」というのは、
「60歳から90歳までの30年間」
ということらしい、という点です。
このエントリーは、よくネット上で議論されている、本当の意味での「一生」つまり若い頃から生涯にわたっての「持ち家か?賃貸か?」という論争とは別物です。
タイトルに釣られて読み始めて「あれ?」と思った若い方もいるかもしれませんね。
この記事で書かれていることは、「60歳以上90歳までの30年間」という期間限定でのお話になります。
文中に

年金収入だけで、これだけの負担に耐えることができるかどうかです。


とあるように、定年退職して年金生活に入ってからの「持ち家か?賃貸か?」ということになんですね。
しかも、タイトル「一生賃貸で暮らすためにはどのくらい蓄えが必要か」とは相反して、賃貸で暮らすための蓄えの目安やアドバイスといったことは余り書かれていなくて、寧ろ筆者は、賃貸よりも持ち家を勧めているようにしか思えない書きぶりです。

いずれにせよ、維持費しかかからなくなった持ち家派と比べれば、賃貸派の月々の出費はどうしても多くなってしまいます。もちろん、ニーズに応じて自由に引っ越せるというメリットもありますが……。


読者が一番知りたい情報が書かれていないどころか、根拠も示さずに「持ち家」がよいと誘導しているような記事です、何ですか、この文末の「が.....。」は?
とても専門家の方が用いるべき修辞とは思えません、私のような市井のオバサンが書くのならばともかく(はい、私はこれを多用してます)・・・。
最近では、年金生活に入ったシニアの中でも、子育て時期に購入した郊外のマイホームを売却して、都心に移り住む方が増えているとも聞きますが、その場合、都心の新しい住居は「持ち家」がいいのか「賃貸」がいいのか、それぞれのメリット・デメリットさえ示されていません。
筆者は、30年間にかかる賃貸の場合の住居費として、賃貸の家賃と更新料、敷金・礼金・手数料の合計を3,870万円としています。
この数字だけを見るとドキッとしてしまいますが、大体、定年まで賃貸派だった人たちには、マイホームという巨額な買い物をしていない分だけそれまでの貯蓄というものもあるでしょうし、60歳までは持ち家派であっても、定年後賃貸生活に入るために持ち家・所有マンションを売却した人たちには、売却したお金もあるであろうに、それには全く触れられてはいないのです。
おまけに、「では持ち家の場合の住居費はいくらかかるか?」ということについては、「維持費しかかからない」としか筆者は書いていません。
「維持費」として想定しておくべきことは、算出されていないのです。
後で述べますが、持ち家の場合の維持費、それはそれでかかります。
ということで、ド素人の私ですが、専門家の筆者が書いていないことを書いてみます。
そして、「持ち家か?賃貸か?」は、別に年金生活者のシニアに特化した問題ではないので、もっと広い視点で考えてみたいと思います。
尚、当方は、ローンを組んで通勤時間1時間の郊外に建てた一軒家を繰り上げ返済、その自宅を賃貸で他人に貸し、自分たちは都心のマンションに賃貸で住んでいます(3軒目)。あっ、それからまだまだ年金受給年齢には遠い(←少し見栄はってます)世代です。


-維持費について
筆者は「維持費しかかからなくなった持ち家」と書いていますが、持ち家が一軒家の場合この「維持費」が結構かかることが問題なのです。
内装は徐々に古びていきますが、それは「慣れ」と「見て見ぬ振り」で何とかなりますが、何とかならないのが、外壁や屋根、そして水回りです。
定年前だろうが定年後だろうが、或る日突然、高額の修理が避けられない事案が起こります。
ガス給湯器が壊れた!とか、エアコンが死んだ!とか、壁に雨水のシミを発見!とか。
床下点検でシロアリ発見!ということもあるでしょう。
また新築当時に「ガーデニングやバーベキュー」をするために作ったものの、子供達が大きくなった後は殆ど放置されていたウッドデッキが経年劣化で朽ちてきて作り替えるか解体か、ということもあるでしょう。
カーテンやブラインドも、何十年も同じものというわけにはいきません。
30年間の間に、外壁を何度塗り替えることになるのか?
屋根やフェンス、内装の壁紙や建具、カーテンやブラインド、そして大きなところでは水回りのお風呂やトイレやキッチンのリフォーム。
「維持費しかかからなくなった持ち家」と筆者は言いますが、どうしてどうして、30年住むのならば、かなりの額になりそうです。
「持ち家」が分譲マンションならばどうでしょう?
マンションは入居時から「管理費」が徴収されます。そして「修繕積立金」なるものも。駐車場を借りていれば、駐車場料金も。
持ち家のマンションにかかる「管理費」「修繕積立金」「駐車場料金」って、「維持費」じゃないんでしょうか?
そして当然のことですが、自宅マンションに住み続ける場合、年金生活に入っても永遠にそれらを払い続けなくてはなりません。
サービスの質が高いマンションは当然ながら管理費も高くなりますが、仮に現在の管理費が月に15,000円として*1、それが今後30年値上がりしなくても(←それはありえませんが)30年だと540万円です。
修繕積み立て金というのは、とにかくマンションを売りたいデベロッパーが、実際に修繕にかかるであろう金額よりもかなり低く設定しているらしいですから、実際の修繕時に更にまとまった修繕費を各戸が負担するであろうことをこの際無視しても、修繕費が月に7,000円として、それが値上がりしなくても(←これもありえませんが)30年で252万円です。
もし駐車場を借りていたら、(疲れたのでもう計算しませんが)駐車場料金も30年分かかります。
立体式の駐車場ならば、30年の間に数回、機械のメンテ、交換費用もかかってくるでしょう。
何やかんやで、マンションを賃貸でなく「所有」していれば、リフォームなど全くしなくても、そのまま住んでいるだけで30年間で1,000万円くらいは必要になるのではないでしょうか。
全面的にリフォームしたりすると、上記の「管理費+修繕積立金」を加えると30年間分の賃貸の家賃くらいの額がかかってしまうかもしれませんね。
「持ち家」である一軒家やマンションの「維持費」、これは「ほとんどかからない」というレベルでは決してないのでは?


-家族の状況の変化
自宅を建てたり、マンションを買ったりする時、誰しも、その時の家族の状況に合わせて、間取りを考えたり選んだりしますよね。我が家もご多分に漏れず、子供部屋を二つ作り、子供の友達が大勢遊びに来ることを想像して多目的ルームなんてものも作りました。
もし今も自宅に住んでいたとしたら、大学生になって家を出て行った息子の部屋は不要になっていたでしょうし、多目的ルームなんて物置になっていたことでしょう。
また、今の高校生や大学生は、自宅で勉強しなくなっていることをご存知でしょうか?
自宅の自室のような、漫画やゲーム機や携帯電話といった誘惑物がいっぱいの場所ではなく、今の高校生や大学生は、マクドナルドやスタバのような「他人の目がある」場所で勉強したり、塾や予備校の自習室(携帯電話を預かってくれるところもあるそうです)で勉強するのです。
自室は「寝る場所」になっていますから、日当りの良い南向きの子供部屋なんて小さい頃だけのものですよ、大体、日が高い間に家になんか帰ってきませんから。
一方、通勤する親の方は、若い頃は郊外から電車に一時間乗っての通勤も何てことなかったのが、段々負担になってきます。朝もツラいが、夜もツラい。体調がすぐれない時も、気軽にタクシーに乗って帰ることができる距離ではありませんし。
親の介護問題も今や避けては通れません。少しでも介護に便利な場所に転居したり、自宅をダウンサイズして住み替えて親が住んでいる近くにもう一軒アパートを借りるという選択肢も、賃貸ならば可能です。
また筆者が示す「60歳から90歳」の間にだって、状況の変化というものはあります。
夫婦のどちらかが車椅子の生活になったら、郊外の無駄に広い二階建て一軒家よりも、都心のコンパクトでフラットなマンションの方が余程暮らしやすい、ということになるかもしれません。
高齢で一人暮らしになったら、尚更、不便な郊外の一軒家の持ち家では住み辛いでしょう。
家族の状況のそういう変化に、固定化した「持ち家」は対応できません。
素人の私達が本当に知りたいのは、その時にどういう選択肢があって、どのようにすれば限られた資金を有効に使えるのか?ということなんですけどね。



-気楽さ
これもマイホームを購入する時には予想不可能なのですが、何の因果か、モンスター隣人に悩まされることになるかもしれません。
そういう場合、身動きが取りにくい「持ち家」の場合、負のコストは家族が長い年月負わなければなりません。
マンションの上階に騒音を出す住民がいて何度苦情を申し入れても変化がなくノイローゼになりそうな場合、ちょっとした行き違いから隣家の主婦に事ある毎に嫌がらせを受けるようになって神経が参りそうな場合、引っ越しすることは「負け」なんでしょうか?
さっさと引っ越して、心安らかに生活を始める方がどれほど建設的か。
ただ、それは「持ち家」だと、心理的にも経済的にも高いハードルがありますけど、「賃貸」ならばまだ簡単です。
そして、「この隣人と死ぬまで隣同士」と思うからストレスが増幅するので、「いつでも引っ越せる」と思うだけでストレスも変わってくるのではないでしょうか?
特にシニアの方にとっては、折角の人生の円熟期に、隣人とのトラブルで貴重な日々をストレスフルなものにはしたくないはずです。
また、町内会や自治という問題があります。
一軒家なら町内会、マンションならば管理組合とか自治会の役職という仕事が回ってきます。
仕事や子育てで忙しい時期、持ち回りでそういう役職が回ってきたら、そこは若さでこなさなければなりませんが、それでも大変です。
シニアとなって、時間はたっぷりあるかもしれませんが、今度は体力的になかなか大変です。
私は一軒家に住んでいる時、順番で町内会長の役職が回ってきましたが、ゴミの集積所の問題、その集積所の清掃の問題、町内会費だけでなく年に何度もある◯◯募金の徴収、等々、大きくない町内だったのがまだ救いでしたが、本当に疲れました。
その時に知ったのですが、町内の住民でも例えば賃貸のテラスハウスに住んでいる方には、町内会長の役職は回ってこないのです(場所によって違うでしょうが)。
中には町内会費さえ、「それは大家さんから貰ってください、そういうことになってるんで。」と払わない人もいましたね。
そして時は流れ、今度は賃貸でマンションに住むことになって、全く逆の立場になりました。
賃貸で住む住民には、マンションの自治会の役職は回ってこないのです、管理組合の会合に出席する義務もありません。
全ての賃貸物件に当てはまるのかどうかわかりませんが、マンションの管理費や修繕積立金も、大家さんが払うことになっており、借主の我が家が払うのは家賃のみ。
管理組合で話し合われていることは多岐にわたります。
ゴミ出しのマナーとか、ペットや楽器についての取り決めとか、共用部分の修理とか、駐車場・駐輪場の管理とか、マンションの資産価値を下げるようなものが近隣に出来そうな時には反対運動の取りまとめとか・・・。
自治会長の役職が回ってこないことは勿論、そういう話し合いに出る義務もないのです、賃貸居住者は。
義務がないということは、意見も言えないということですけど。
けれども考えようによっては、マンションの規約に納得が出来なければ転居すればよいことです。
上下左右に騒音を出し続ける住民がいればこちらが引っ越すこともできますし、マンションの玄関の正面に駐車場付きの24時間営業大型カラオケボックスができようが「資産価値が下がる」と騒ぐ必要はありません。
また、上述の「維持費」のところと関係しますが、賃貸マンションに住んでいて何か修理が必要なことが起こった場合、借り主である私がすることは、不動産管理会社に電話するだけです。不動産会社が大家さんに連絡し、修理の手配が行われます。
自分の家だと、先ず複数の業者さんに見積もりをとり、そこから選んで依頼し、勿論修理代も払わなければなりませんが、賃貸だとそういう手間や費用は一切ありません。
マンションや大家さんによると思うのですが、エアコンが最初から設置されていることも多いです。場合によっては、一部の部屋のカーテンやブラインドも。
家賃と管理費を別に納める場合もあるでしょうが、我が家の場合は今のところ、家賃だけを払っています。
マンションの住民の自治が大事だということは事実ですが、例えば子育て中の若い共働きの夫婦の場合であっても、ただでさえ生活が忙しくキャパシティいっぱいの生活の中、「気楽さ」というものは、その時その時に事情を抱えた生活をこなしていく上でもとても大事な要素だと思いますし、ましてやシニアになって、一軒家にしろマンションにしろ、修理や手入れそのものだけでなくそれに関わる手続きさえも億劫になってきたり、容赦なく回ってくる自治会や管理組合の仕事をこなせなくなってきたりすると、そういう煩わしさとは無縁の「賃貸」というのは、魅力的な選択肢ではないか、この「気楽さ」はお金に換算出来ないプライスレスな価値があると考えると、「持ち家」と比べて金銭的にそんなに損ではないのでは?と、私は実感として思います。




-「マイホーム」の呪縛」
以前からサラリーマンのジンクスやら都市伝説みたいに言われていますが、「マイホームを建てたら/買ったら、転勤になる」というのがあります。
知人の中にも、
「ローン組んでマイホーム建てたら、半年後に九州の支店に転勤になり、子供にもう一度転校させるのが可哀想で、おとーさんは単身赴任」
という人がいたり、
「マンションの抽選に落ち続けてやっと買ったマンション。そこに惚れて買った角部屋のコーナーウィンドゥに合わせてオーダーしたソファーが家具屋さんから届いて設置しているまさにその時に、夫から『転勤の内示が出た』とメールがきた」
という人がいたり。
戦国時代の人質ではありませんが、マイホーム(を買うために会社で組んだローン)が人質になっているのです。
また、首都圏では、受験をして中学から電車通学で都心の学校に通う子供も大勢います、どころか、私立小学校に通う子供も珍しくありません。郊外の駅では、朝6時台の電車にランドセルを背負った小学生が、大人と同じく満員の通勤電車で通学する姿が見られます。
その学校を選んだのはそれぞれご家庭の事情があるのだと思いますが、数年後に起こると言われている地震や、犯罪に巻き込まれることを考えたら、せめて小学生や中学生の間だけでも、また、せめて一駅でも二駅でも学校に近いところに転居する選択肢というのはないのでしょうか?
きっともう郊外にローンを組んで買った「マイホーム」があるから、子供はずっと電車通学を強いられることになるのでしょう。
シニアになってもこの「呪縛」は続きます、ある70代後半の方から聞いた話。
「子育て時代(即ち高度成長期)に郊外に建てた『庭付き一戸建て』に住み続けているのだけれど、子供達も家を出て行って、年をとった今は広すぎて、住み辛い。掃除も大変、2階に上がるのも大変、庭の手入れも大変、駅までバスに乗っていかないと病院通いも買い物もできないのも大変。10年前に思い切って自宅を売って、マンションに移ろうと思ったら、独立して年に数回しか帰ってこない子供達が『自分たちが育った家を売るなんて!』と大反対したので、思いとどまった。今はそれを後悔している。夫が何度も入院するたびに、病院に通うことさえ大変で、家に帰っても、冬なんか特に寒々とした部屋で何をする気力も起きない。」
上記の様々な例をみるに、知らず知らずのうちに、「マイホーム」というものに呪縛され、「家族にとって自分にとって最適な場所に転居する」という選択肢があるということさえ、思いが至らなくなっているのではないでしょうか。
本来「家」というのは、生活を楽しみ、家族で暮らし、人生を豊かに彩るはずの場所です。
それが反対に、「マイホーム」に縛られて、家族が別々に暮らす破目になったり、人生の大事な毎日が苦痛になってしまうものになっているとしたら、本末転倒です。




-自己防衛
冒頭のリンク記事には、東日本大震災のことも、福島の原発事故のことも、全く書かれていないことに驚いてしまうのですが、私たちは、あの体験を、無かったことの如きに忘れていいのでしょうか。
勿論、被災地は、先祖代々でその土地に住んでいる住民が殆どだったり、持ち家率が都会よりも高い地域であったのですが、だからこそ、津波で家が流されて更地になった土地であってもそこを売って他の場所へ動くことが心情的に難しく、また新たに都市計画を立てようとしても、土地にはそれぞれ先祖代々からの持ち主がいてそれぞれの事情から立ち退きに反対だったり、という被災地の状況が、そのまま首都圏には当てはまらないことはわかっています。
しかし、首都圏の場合、地震が起こって自宅に長期間住むことができなくなった時、個人としてどうするのか?と考えておくことは、3.11を経験したのであるならば、避けては通れないでしょう。
「持ち家」の一軒家が地震で倒壊してしまったとしたら、建物の価値がゼロになるだけでなく、再建しなければ住めません。「維持費がほとんどかからない持ち家」じゃなくなります。倒壊しなくても大規模な修理が必要になるかもしれません。家が無事でも、ガスや電気、水道などのインフラが復旧するまでは自宅には住めませんが、その場合でも防犯や火災が心配で、遠くの地域に仮住まいもできないでしょう。
「持ち家」がマンションでも同様です。インフラが復旧するまでは高層階でなくても住めないですし、一軒家同様、地震を境に、資産価値は激減してしまうかもしれません。
19年前に起こった阪神大震災の時も、マンションの補修・建て替えは大変であったようです。
神戸の知人の住むマンションは、倒壊は免れたものの、大規模補修ではなく建て替えを住民が選んだそうなのですが、先ず、それを決めるまでが大変だったそうです。数週間の避難所暮らしの後、大阪北部にアパートを借りて仮住まい。各戸が負担する建て替えの費用の割当やら、建て替えたマンションでどれだけの専有面積を所有することになるのか、一般住民である知人でさえ、大阪から神戸まで毎回の話し合いに出向くだけでも一苦労、毎回夜遅くまでの話し合いに疲労困憊したそうです。震災当時にマンションの自治会長だった方は、市や区や建設会社との話し合いだけでなく、住民それぞれの要望を聞いて合意に持っていくという気が遠くなる過程の中で、倒れてしまわれたそうです。
これって、今首都圏で続々と売り出されているタワーマンションだとどうなるのでしょう?
人口が密集する首都圏のような地域では、個人が資産の殆どと注ぎ込んで購入する「持ち家」ではなく、個人としても身動きがとりやすく、また災害があった場合に事後の対応がとりやすく、よりよい都市計画の素早い実施が可能になるように、「賃貸」の方が適しているのではないでしょうか?
特にシニア世代であれば、もう一度ローンを組んで自宅を再建したり、何十回もの話し合いに出て莫大な建て替え費用を負担し長い仮住まい生活を経て自宅マンションの建て替えに臨んだり、ということが可能でしょうか。貴重な時間と体力を費やせるでしょうか。
また、原発事故の後、子供への放射能の影響を怖れて、福島から離れた母や親子が沢山いました。
首都圏でも、外資系に夫/父親が勤める家族は、関西に避難した人が多かったといいます。大阪や神戸、京都のホテルに滞在していたそうです。
ネット上で、「放射脳」とか揶揄されていますが、実際、東京でも乳児にミネラルウォーターのボトルを自治体が配っていた時期があったわけですし、あの年の3月20〜21日には首都圏でも放射性物質を多く含んだ雨が降ったりしたわけです。
あの時期には、「これから東京は、日本はどうなるんだろう?」と誰しもが感じたことを、「無かったこと」にしてもよいのか?
今回は今のところ原発事故が一応は収まった(ように見える)から、「放射脳」とか言えるんじゃないかと思いますが、奇跡的に爆発しなかった2号機の格納容器が爆発していたり、本震に匹敵する余震が起こって4号機のプールが倒壊したり、という事態になっていたら、民族大移動の如く、首都圏から人々は逃げ出していたでしょう、今「放射脳」とか言っている人たちも含めて。
そうなった時に、国や自治体が頼りにならないことは今の被災地の現状を見れば明らかですが、その時、自分は、家族はどうなるのか、どうするのか、をほんの少しでも頭の中でシミュレーションしておくべきです。
持ち家である自宅やマンションにとどまってそこで踏ん張る、という考え方も勿論あると思います。
一方、とにかく安全な場所へ家族と移動する、という考え方もあるでしょう。
じゃあ、その時に「持ち家」と「賃貸」とどちらがメリットがあるのか?
そういう「3.11以前なら考えなくてもよかったこと」も十分加味して、「持ち家か?賃貸か?」という永遠(?)の問いを考えなくてはいけないのではないか、と思いますし、FP(ファイナンシャル・プランナー)というプロならば尚更、専門家としての見識を情報として提示して頂きたいものです。




-保証人と更新の問題
一つだけ、筆者が記事の最後の最後に書いている問題で、「賃貸派」が考えておかなくてはならない重要な点があります。
それは、保証人、です。
借りる本人が若くて収入があっても、不動産を借りるには、保証人が必要です。
一昔前ならば、親、兄弟、または親戚のおじさん、知人に頼んだのだと思います、「保証人になって」と。
今は、例え兄弟、親戚、知人がちゃんと職業を持ち収入があったとしても、「頼む」ことが難しくなっています。
収入証明書(それで年収がわかってしまう)やら印鑑証明やらを必要とする保証人を、親には頼めても、もう兄弟や親戚やましてや知人には頼めない、人と人との距離感になっているんだと思います、世の中が。
実際、我が家もマンションを借りる時、私と夫の兄弟がそれぞれ首都圏に住み、関係も良好なのですが、だからこそ、兄弟といえども年収がわかってしまう保証人は頼めませんでした。
一番遠慮なく頼めるのは親なのかもしれませんが、その親だって、ある年齢を越えれば収入がなくなって、保証人にはなれなくなります。
そこで、今は保証会社という、言わば保証人の代行してくれる業者を利用する方法があります。
勿論その場合、保証料が、家賃、敷金、礼金に加えて必要になります。
年金生活のシニアの場合、子供に保証人になってもらうこともできますが、この時代、子供が正社員で定収があって保証人になれるかどうか、ということは見通せません。
その場合、どうするのか?という問題ですが、これはこの先、人口は減っていくのに、子供がいないシニアの夫婦、単身者の数が爆発的に増えていく現状の中で、保証会社が高齢者の保証を引き受けるサービスができるのではないか?とド素人の私は楽観的に考えています。
一方では保証人になってくれるような身内がいないシニアが増え、一方では空き家が増えていくのならば。
また、筆者が賃貸の場合のデメリットとして書いている、賃貸の場合の「更新」ですが、一つには定期借家で借りるという手もあるでしょうし、更新を前向きに捉えることもできるのではないでしょうか?
賃貸で住んでいる住居で、定期的にくる更新時期に、気持ちも新たに「今の場所、今の住み方で良いのか?他の選択肢はないのか?」と考えるきっかけにする、という捉え方もあるでしょう。
持ち家に住んでいると、そうやって立ち止まって考えるきっかけはありません。押し入れに「とりあえず」突っ込んだものが、引っ越しがないので未来永劫そのままになっているのと同様に。
シニアの場合ならば、次の更新まで今までと同様自立して暮らせるのかどうか、を数年毎に自らに問うことは、その後の日々を後悔せずに暮らすためには、寧ろ大事なことではないでしょうか。




先祖代々が住んで来た土地で生まれ、育ち、暮らす。
父方母方共に、祖父母の代からサラリーマンというか勤め人として、転勤&都会にマイホーム、という暮らしをしてきた私にとっては、そうやって「故郷」と言える土地がある生き方は羨ましいですし、憧れでもありました。
だからでしょうか、思えば私も、ささやかながらもマイホームを建てた頃は、当然のように、ずっとそこに住むのだと思っていました。
ところが、事情もあって、ここ数年間賃貸に住んでいる間に、東日本大震災が起こりましたし、家族の状況も変わりました。
「老後」という遠い?先のことは、まだ実感として考えられませんが、例えばもうすぐ就職を考えなくてはならないムスメに、「私が結婚して子供ができたら、近くに住んでね。イクジイとイクバアやってくれるんでしょ?」と言われたり、それどころか自分たちの「老後」より夫婦それぞれの親の「介護」が秒読みになっている今、どこに「定住の地」を求めたらよいのかなんて、実際のところ考えられません。
人生のそれぞれの時期に、どこにどのように住むのか?
それは、少子高齢化、女性の社会進出、などの影響もモロ蒙る問題です。
今こそが、従来の「賃貸と持ち家、どちらが経済的か?」という狭い発想ではなく、新しい考え方が求められているのだと思いました、冒頭のリンクの記事を反面教師にして。

*1:参考:http://suumo.jp/edit/mansion/m_sonsuru/090819/ ファミリータイプだと実際はこれよりも高くなるようです

ケネディ駐日大使の「イルカ追い込み漁」に関するtweetが意味していること、を考えてみました。


キャロライン・ケネディ駐日大使が、twitterでイルカの追い込み漁について「深く懸念している」(Deeply concerned)と発言されたことが話題になっています。

そのtweetを見ました。
英語と日本語と両方でtweetされているので、それぞれにRetweetがされています。



誰でも予想できることですが、英語のRetweetは、ケネディ氏の発言に賛同するものばかり。
対して日本語のRetweetは逆に、「牛や豚を食べるのはいいのか?」「内政干渉だ!」というものばかりですが、その書きっぷりというかtweetぶりの感情的&ナショナリスティックな激しさは、私の予想を超えるものでした。


イルカの追い込み漁だけでなく、同様な問題として、捕鯨というものも日本は抱えています。

日本で伝統的に行われてきた捕鯨については、「ウェールズ系日本人」であるC・W・ニコル*1の小説「勇魚」やその他のエッセイなどを読んで、私は初めて知りました。
ま、「日本人以上に日本のことを知っている外国人」が書いたものに教えてもらうくらい、つまりその程度の知識しかないほどに、捕鯨は私にとって遠い話でした。
実際、殆どの日本人にとってはそうだと思います。
日本人として生きてきた人生の中で、何回鯨肉を食べたことありますか?
一回でもイルカを食べたことがありますか?
ケネディ駐日大使に激しくRetweet(日本語の方で)している方々は、ケネディ大使の発言によって、今後大好物のイルカや鯨が食べられなくことへの怒りとか、家族に代々伝わる生業である捕鯨やイルカの追い込み漁が出来なくなるかもしれないことへの心配、っていうわけではないんですよね。

それを踏まえた上で、個人的意見を。


たとえば。
鯨肉大好き人間でもなく、捕鯨やイルカの追い込み漁が家族の職業でもない日本人、即ち私のような大多数の日本人が、例えばイギリス、もしくはBBC放送の電波がフツーに入る国に住んだとします。
キャロライン・ケネディ氏の母国アメリカでの状況は私の知るところではないのですが、ヨーロッパだと、定期的に「反捕鯨キャンペーン」、もっと正確に言うと「捕鯨という残虐な漁をする日本に抗議しようキャンペーン」が行われます。
不思議なことに、ヨーロッパ内にある同じく捕鯨を行っている国ノルウェーは、全く非難の矢面にはならないのですね。
そして大抵、その「反捕鯨キャンペーン」の出所は、イギリス、BBC放送だったりします。
BBCが熱心に特集を組んで放送するものですから、それの受け売りをイギリス以外の現地のテレビも放送したりします(←ニュースがない時なんかは特に)。
そして、小規模ながらも「反捕鯨」デモやらが行われたり、「非人道的な行いを、日本大使館に抗議しよう!」というビラが撒かれたりするのです。
日本国内にいれば、海外で日本をターゲットにした「反捕鯨キャンペーン」が繰り広げられようが、何てことないのです、そもそもそんなことは日本では報道されませんから。
ところが、現地に住んでいたらどうなるか?
「外国」に住む日本人だとどうなるか?
日本にいたら遠い話であった、捕鯨やイルカの追い込み漁や太地町のことが、逆に、俄然、自らの答を求められる身近な問題になってしまうのです。


「反捕鯨キャンペーン」なんかが詳しく現地のテレビで放送されたりしたら。
以下、ドイツに住んでいた自意識過剰な私の例です・・・。

いつも歩く町を歩く時でも、何故かビクビク。
私が日本人だとわかると、何か言われるだろうか、非難されるのではないだろうか?
何と言っても、ドイツ人、自然保護意識がハンパじゃないし。
よく行くスーパーのハム売り場のでっぷり太ったドイツ人のオバサンは、やたら政治や国際ネタが好きで(私はJR福知山線脱線事故のニュースを、遠く離れた異国ドイツでこのオバサンから聞いて知りました!)、彼女は絶対にこのネタで絡んできそうだから、今日はあのスーパーには行きたくないなあ。
案の定、プライベートレッスンを受けていたドイツ語の先生から、
「あなたは、捕鯨について賛成か?反対か?」「日本人は本当に鯨の肉を食べるのか?」
と、質問の嵐だったし。
子供を学校(インターナショナルスクール)まで迎えに行けば、数人で話しているママたち(欧米人)の目が、心なしか冷たく感じられる。
近所の人たちも、我が家が「日本人」ということはわかっているから、どう思ってるんだろう?
残虐な捕鯨をする、超野蛮人と思われてるんじゃないだろうか?
まさか今の時代、ドアにドクロの絵とか描かれたりしないよね、でもここは、かのドイツだから・・・。
向かいの家の奥さんは、ノルウェー人って言ってたけど、いいな、ノルウェー人だと外見では同じ白人だから。


↑ こ〜んな感じなんですよ。
それまで「日本は捕鯨を継続すべきか否か」なんて考えたこともなかった人間が、遠い外国でこの問題をいきなり突きつけられるのです。
日本では捕鯨なんて無関係だった人間ですら、「捕鯨をする国日本から来た日本人」ですからね、海外では。
誰だって、海外で祖国日本のことを褒められれば、嬉しいですし誇らしい気持ちになります。
その反対に、日本と日本人が非難されるとツラい、特に「残虐である」と言われると、かなりこたえます。
在外邦人の数は120万人(こんなに多くの日本人が海外にいるとは!)だそうですが、滞在している地域の差はあれ、気持ちは同じだと思います。
そしてこれは他人事ではなく、明日あなたも海外赴任の辞令が出るかもしれませんし、あなたの家族が仕事や留学で海外に住む可能性は大きいのです、何たって120万人ですから。

そんな在外邦人の中には、チキンな私なんかと違って、やたら勇ましい日本のオジサンもいます、大概は現地に進出した日本の企業のエラい方なのですが。
そういう方は、日本人だけの集まりの場では、
「『反捕鯨』とか言うけれど、欧米人の方がずっと野蛮なんですよ。十字軍とか滅茶苦茶やりたい放題やってますからね。彼らは、自分たちのことは棚に上げて、経済的に成功した日本人のことばかりあげつらう。私は言ってやりたいですよ、『オマエらの方が、よっぽど野蛮人だ!日本人は平和を愛する文明人だ!』とね。」
とか、大和撫子のご夫人方がいるせいか、勇ましくていらっしゃるのですが、その野蛮な欧米人も数多く出席している場所では、「お〜う、りありぃ?はっはっはぁ〜」なんて、野蛮人相手に相好を崩してぺこぺこしちゃってますからね。
今回のケネディ氏の発言に対して、同じことをやっているオジサンいましたね、この方。
インディアスの破壊についての簡潔な報告 池田信夫 blog
ケネディ駐日大使の自民族中心主義 池田信夫 blog
池田信夫氏とあろうものが(?)、私のような「市井のオバサン」が見ても幼稚でしかない反論をしているなんて、驚きです。
前述の「十字軍」と同様、キリスト教徒が新大陸で行った残虐な行いをあげつらってどうするのか?
本気で論戦する気なら、相手はそれこそ歴史的にはまだ記憶に新しい、日本軍が第二次世界大戦中行った捕虜虐待やら中国大陸で行った蛮行やらを山ほど挙げてくるでしょう。
この問題は、そんな水掛け論になるレベルの問題ではないことを、池田氏は気付いていないのか、気付いているけどわざと幼稚な反論をしているのか(←な、はずない)?
ケネディ氏の日本語のtweetRetweetしている方々の内容の頂点にあるものが、この池田信夫氏の発言だと思いますが、池田氏にしても、これをケネディ駐日大使の前で主張できるのでしょうか?
本人の前で主張は出来ずに、「お〜う、りありぃ?はっはっはぁ〜」になってしまうのだとしたら、いたずらに若者を煽るようなこの発言はなされるべきではなかったと思います。



BBC放送に、どういうスイッチが入ると「反捕鯨キャンペーン」になるのかわかりませんが、ただ一つ言えることは、これは一過性の問題ではないのです、年に2〜3回、執拗に行われる、ということです。
日本人である私が、「人の噂も75日」でそろそろ皆が忘れ始めた頃かな〜、と思った頃に、また始まるんですね。
以前のエントリー、イギリスはヨーロッパではないにも書きましたが、「反捕鯨キャンペーン」の火元は大概イギリスです、再度申し上げますが、これは日本在住の日本人に是非覚えておいて頂きたいことです。

私の解釈はこうです。
第二次世界大戦が終わって70年が経とうとしているのに未だに「VJ-Day」(対日勝利記念日というものがあるイギリスです。
「対日」ですよ、「今再びの日英同盟」なんて言っているアホな日本人いますけど、おめでたいとしか言えません。
「VJ-Day イギリス」でちょっとぐぐって頂ければわかると思います、日本では決して報道されないイギリス人の対日観を、日本人でイギリスに住んでいらっしゃる方が沢山書いています。
日本人には何故かイギリス贔屓の方が多いのですが、これは大きな勘違いというか、少なくとも片思いであると私は思います。
イギリス人は、このVJ-Dayでもそうですし、同じくRemembrance Day(これについても前掲のイギリスはヨーロッパではないに書きましたが)というのもそうですが、嘗ての大英帝国であり落ちぶれても尚、老練な外交大国のイギリスは、毎年「対日勝利記念日」を祝うことによって、絶えず日本にメッセージを送っているのです。
捕鯨キャンペーンも同様です。
何故イギリス政府は、「もう戦後70年も経ったのだから、いい加減に日本を名指しした戦勝記念日は廃止しよう」とも、「反捕鯨で日本だけをターゲットにするのはやめよう」と言わないのか?
を、日本人は考えてみなければならないのです。
イギリスが日本に執拗に送っているメッセージとは何か?
それは、こういうことではないでしょうか。
「日本は、第二次世界大戦中に、我がイギリスの将兵に非人道的な残虐な仕打ちをした。それによって、多くのイギリス人将兵が命を落とした。イギリスは戦争に勝利し、戦後年月が経ち、日本は復興し経済大国になったが、我々イギリス人は、そして勿論日本人自身は過去の事実を忘れてしまってはいけない。我々は、過去の日本が行った残虐な仕打ちは許したけれども、忘れてはいない。」
ということでしょう。
VJ-Dayの日、BBCでは、第二次世界大戦中、骨と皮に痩せこけたイギリス人捕虜が泰緬鉄道建設現場で働かされている映像が延々と流されたりして、否が応でも「日本人は残虐である」、もしくは「日本人は残虐であった」というメッセージを感じずにはいられません。
捕鯨キャンペーンでも同様で、映画「The Cove」(見ましたが、色々と問題がある作品だと思います)の映像とか、日本の捕鯨船の甲板にずら〜っと並んだ鯨とかが、これでもかと映されて、同じメッセージ「日本人は残虐である」を感じます。
こういう報道がなされる中で暮らしていると、それぞれ個々の人間として海外で暮らしていると言っても、やはり「日本人は〜」「日本は〜」という大きな見方からは逃れられないのであり、大袈裟に言うと、遠く離れた故国日本の政府の一挙手一投足が、海外に住む日本人の安心や不安に直結する、ということです。



そして、この「日本人は残虐である/あった」というメッセージは何のためなのか?
大英帝国の栄光が遠いものになった今もなお外交だけは老練なイギリスは、極東の日本にまで目を配り、日本を牽制しているのです、あらゆるレベルにおいて。
第二次世界大戦間に、イギリスの将兵が日本軍の捕虜になって蒙った数々のことが、余程腹に据えかねる、というか、イギリス史上最大の屈辱であったことのでしょう。
先の大戦での日本人の残虐行為を思い出させることによって、「軍事的レベルで日本が存在感を持つことは許さない」「日本が右傾化することは許さない」と、絶えずねちねちと牽制しているのです、イギリス人。かなりの執念深さだと思います。


今回のケネディ駐日大使のtwitter上の発言は、同じ構図なのではないでしょうか?
日本の一地方の小さな町のイルカ追い込み漁を、駐日大使が唐突に「深く懸念」してみせることは、何の目的なのか?
キリスト教徒はもっと蛮行を働いている」という低レベルな反論などは当然予想していたでしょう(著名なコラムニスト池田氏がこのレベルで反論してくることは予想していなかったでしょうが)。
大体、駐日大使という立場の方が、脈絡も何もなく、唐突に、日本の海辺の小さな町のイルカ追い込み漁を「深く懸念している」とtweetしたのは何故なのか?ということに関して、イルカの肉を食べたこともなく、追い込み漁が何たるかも知らないのに、「牛や豚を食べるのはいいのか?」とか「内政干渉だ」と頭を沸騰させていないで、冷静にもっと深く考えてみるべきではないでしょうか?
このtweetは、大金持ちのセレブであるアメリカ人オバサンが自然保護意識に目覚めてちょっと言ってみたもの、とは全く違うんですよ。
「米国政府=USG」が次の文の主語なんですよ!
良いか悪いかは別にして、アメリカらしい手順の踏み方なんじゃないでしょうか?



昨年の10月に、アメリカは、極めてシンプルな練習問題を日本に出しました。
それは、
「ケリー国務長官ヘーゲル国防長官が、揃って『千鳥ヶ淵』(『靖国神社』ではなく)で戦没者に献花する」
というものです。

入試ならば「サービス問題」とも言えるこのシンプルな問題に対して、日本政府が最低でも合格点数が貰える解答は、
「首相は靖国神社参拝を見送る」
でしたが、ご存知の通り、安倍首相は、
靖国神社に参拝」
という、アメリカから見ると、最悪の答案を提出してしまいました。
この問題に対する答の中で、最高点が与えられるべき解答は
「安倍首相が『在任中は靖国神社に参拝しない』と明言し、千鳥ヶ淵のみで献花する」
もしくは
「新たに戦没者の追悼施設を作ることを明言する」
だったのでしょう。
それが、事もあろうに、日本では26日でしたが、アメリカでは、キリスト教徒にとって家族で過ごす一年で一番大事な日であるクリスマス当日12月25日に安倍首相は靖国神社を参拝したのですから、アメリカ政府は、この出来の悪い生徒の対応に頭を抱えたに違いありません。
アメリカから「こんな簡単な問題も解けないのか?!」と落第生の烙印を押されてしまったんだと思います、安倍政権。
(ついでに、中国では「毛沢東生誕120周年」のその日ドンピシャだったのですが)

しかし、寛大なアメリカ人、大事な同盟国政府をたった一度の失敗で「落第」と判断してはいけない、と思ったのでしょうか、違った角度からもう一度日本に練習問題を出してきたのですよ。
それは、兄弟国であるイギリスがやってきた手法です、捕鯨の問題に見せかけて、日本政府にメッセージを送るというものです。
それが、今回のケネディ駐日大使のtweetなのではないでしょうか?
で、落第寸前の我が安倍政権の菅官房長官は何と解答したかというと、

官房長官 記者会見での発言

先ずイルカを含むこの鯨類は、重要な水資源であって、科学的根拠に基づき持続的に利用すべきというように考えています。
イルカ漁業は我が国の伝統的漁業の一つであって、法令に基づき適切に実施されているものと考えています。
またイルカは国際捕鯨委員会の管理対象外であり、各国が自国の責任によって管理を実施することと致しております。
まあ、いずれにしろ、アメリカ側に対して日本の立場を説明していくこととしたい、このように考えています。

いわゆる「問題文の読み間違い」であり、添削されるとしたら「問題文をよく読みましょう!」と赤ペンが入る答です。
駐日大使が、USG=アメリカ政府という言葉を出して、わざわざ日本の一地方の漁法についてtweetするはずがないじゃありませんか。
これはイギリスがやっているのと同様、「日本人は残虐である」というイメージをイルカ追い込み漁にことかけて公にちらつかせて、日本に
「どういう行動をとるべきか、どういうステイトメントが求められるのか、まさかちゃんとわかっているよね?」
という問題文を投げかけたんじゃないでしょうか。
では、合格点を貰える解答とはどういうものでしょうか?
先ず、合格答案に絶対に入れなくてはいけない要素は、
「日本人は残虐な国民ではない。自然保護意識、動物愛護意識を十分に持った国民である。」
という自己アピールでしょう。
官房長官の解答には、この要素が全くありません。
一方、日本の文化を「深く懸念」されてしまったのですから勿論日本政府として一言反論しなければなりませんが、それをどの位の割合でブレンドするか、ここが最大のポイントです。
「日本のごく一部の地方で行われているイルカ漁業は伝統的なものであるが、世界的な関心が高まる自然保護と動物愛護の精神も今後考慮しなくてはならないと考えている」
という塩梅にするか、
「世界的関心が高まる自然保護と動物愛護の精神は十分尊重しつつ、日本のごく一部の地方で行われているイルカ漁業の伝統もまた守るべきものと考えている」
という塩梅にするか、それこそが、菅官房長官の腕の見せ所であったのですが・・・日本と日本人のイメージを一ミリたりとて向上させるような答弁でもなく、在外邦人120万人の置かれた立場を一ミリたりとて考慮する答弁でもありませんでした。。
それどころか、「クール・ジャパン」や世界無形文化遺産の和食が一生懸命押し上げてくれている日本のイメージに、冷水をかけるが如きのものでした。


アメリカが出してきた、決して難しくないシンプルな問題を、二度までも全くハズしてしまった、安倍政権。
「救いようがないヤツ」、とアメリカに思われているんじゃないかと・・・。


今朝の朝日新聞に載っている、ケネディ駐日大使の独占インタビューも読みました。
今回の、イルカ追い込み漁に関するtweetについては、

ここ数週間、私や大使館に多くの手紙やツイート、メールや電話が寄せられました。米国は1972年から海洋哺乳類を保護する政策をとっており、それをはっきりと示すことが大事だと考えました。


とあったので、私はますます、件のtweetは、単に気まぐれに為されたものではなく、赴任したばかりの日本の国民から批判されることを承知で日本政府に送ったメッセージだと思いました。
安倍政権が、これほどわかりやすいアメリカのメッセージを読み取れないのならば、また、アメリカのメッセージを下敷きに日本の国益を最大限に組み立てることが不能なのならば、更に、日本の国益を守るための最低限のレトリックさえ使えないのならば、元々意味不明な「積極的平和主義」など、国際社会でどこの国に理解してもらえるのか、落第生の独り相撲でしかありません。



ただ、私は、安倍政権の帰趨なんかよりも、もっと心配してしまうことがあります。
それは、ケネディ駐日大使へのRetweetの数々に図らずも垣間見えてしまった、ナショナリスティックな日本人の心情です。
ケネディ大使も、(彼女からみたら友好国であり同盟国である)アメリカの大使に対してここまでの、激しい感情的な批判は予想していなかったと思います。
激しい反対意見のretweetが、逆にアメリカ政府にますます「日本は右傾化しつつある」という警戒感を抱かせることになるかもしれません。
日本が好き、日本の文化が好き。それは日本人として当然です。
けれども、それは逆ギレして「牛や豚を食べるのは残虐ではないのか?」と他国の食文化を攻撃することではありません、日本人だって牛や豚は食べてるんですし、そもそも鯨やイルカなどは食べたこともない一般の日本人がここまで逆ギレする、その感情の元は何なのでしょうね。
また、他国の遠い過去の残虐行為を挙げつらうような幼稚なことをするべきでもありません、過去において、残虐行為なしに戦争や内戦を経てきた国はないのですから、ブーメランのように日本にも返ってくるだけです。
今回の騒動を受けて、太地町関係者の発言として、以下のようなことが報道されていました。

「ここは小さな田舎町でほかに大きな産業もない。来ればわかると思う。多くの漁師がこれで生計を立てているし、ほかにもたくさんの人が加工工場などで働いている」、「現実を見てほしい。生あるものを屠殺しているので、ありがたくいただいている」と語った。また、「より人道的な屠殺を行っている。脊髄を切断するから血もでない。昔のような屠殺はしていない」とも述べている。
AFPBBニュース


21世紀の日本で、「イルカ追い込み漁は伝統文化」と言い切って疑義も批判も受けつけない姿勢も問題だと思いますが、「イルカ追い込み漁以外に大きな産業がない田舎町であること」だけがイルカ追い込み漁の「大義だとしたら、それは、今までの政治や行政の怠慢であり、これからの政治や行政によってどうにか出来ることではないのでしょうか?
逆ギレする発言をされている方々は、太地町が「大きな産業がない田舎町」だから、これだけ世界中から批判されてもイルカの追い込み漁を続けることに関しては、どう考えているのでしょうか?今のままでよいと?
そういう方向には議論が進んでいかず、駐日大使の発言にただただ逆ギレする、硬直した世論の方を心配してしまいます。
そういう議論を進めることは、「日本が好き、日本人が好き、日本文化が好き」という気持ちを損なうことでは決してありませんし、在外邦人120万人のみならず、日本人全体が誇りを持てる日本になる道だと思うのですけどね。

ケネディ駐日大使の今回の発言に、一般人のみならず識者や政治家までが、殆ど「逆ギレ」反応を示したこと、私はこれこそを「深く懸念(Deeply concerned)」するものです。

 ユーミンの歌が流れない時代  酒井順子著「ユーミンの罪」を読んで 雑感


ユーミン聴いて青春過ごした世代なので、大変面白く読ませて頂きました。

が、今この歳になってユーミンを聴くことは、精神衛生上極めてよろしくないのと同様、大変重い読後感でした。

ユーミンは今年でデビュー42周年だそうです。
どれだけの時間、私の人生でユーミンの歌が流れていたでしょうか。
古くからのファンからも彼女の子供ほどの年頃のファンからも「荒井由実」でも「松任谷由実」でもなく、60歳の還暦を迎えた今も尚「ユーミン」と呼ばれる彼女と彼女が作ってきた時代について書くとしたら、「負け犬の遠吠え」の著者酒井順子氏をおいては他にいないですし、その期待を裏切らない著作でした。
酒井氏は、こう言います。


 ユーミンは女性達にとっての、パンドラの箱を開けてしまったのです。ユーミンという歌手が登場したことによって、成長し続ける日本に生きる女性達は、刹那の快楽を追求する楽しみを知りました。同時に、「刹那の快楽を積み重ねることによって、『永遠』を手に入れることができるかもしれない」とも夢想するようになるのです。
 日本の若い女性達にそのようなうっとりした気持ちを与えたのは、ユーミンの大きな罪です。刹那と永遠、両方を我が手に抱こうとした女性が大量に出現したことは、世の中にも少なくない変化を与えたのだと思う。
 今思えば、ユーミンが見せてくれた刹那の輝きと永遠とは、私達にとって手の届かない夢でした。しかもその時、それらはあまりにも甘く、魅力的に見えたのです。歌の世界に身を委ねることによって、私達は今よりももっと素敵な世界に飛んで行くことができましたし、未来もずっと「今よりももっと素敵な世界」が続いていくように思えたのですから。

つまり、ユーミンが歌っていた世界は幻影であった、ということです。
都会を舞台にしたお洒落な恋愛や失恋、彼氏と行くスキーやサーフィン、ラグビー選手の彼氏、恋人が遠距離にいても都会のオフィスで頑張る私、etcというキラキラした快楽の「刹那」を積み重ねても、人生の「永遠」の幸福には辿り着けないと、同時代の歌としてユーミンを聴いてきた世代、around40=アラフォー、around50=アラフィーが、今2010年代に至ってわかってしまった、と。
「たかびーである」「歌唱力」以外に、批判される要素がない強固なキャラを築き上げているユーミンと、彼女が歌う歌の世界観に関して、はっきりと勇気ある指摘をしたのは、酒井氏ならでは、でしょう。
バブル期には毎年毎年記録的なセールスを上げ、その頃から続いている苗場プリンスでのコンサートには、未だに大勢の中年の男女(「ポロシャツの襟を立てている人もいれば、脱いだセーターを肩にかけている人もいて、まるで80年代みたい」と酒井氏に言われちゃっていますが)がやってくるという、一種の教祖様的な地位にまで登り詰めたユーミンですが、要するに、念仏を上げているだけでは極楽へは行けないことに気付いた信者が出てきたのです。

ユーミンに対しては、「いい夢を見させてもらった」という気持ちと、「あんな夢さえ見なければ」という気持ちとが入り交じる感覚を抱く人が多いのではないでしょうか。かく言う私も、その一人。ユーミンを聴かずにもっと自分の足元を見ていたら、違う人生もあったかもね、とも思います。


ベストセラーも出して成功した作家である酒井氏をして言う「違う人生」とは、卑近なレベルで言えば、「結婚して、子供の一人も二人もいる人生」のことなのだとしたら、実際ユーミンの罪」は深いと言えましょう。
また大きく世の中を眺めれば、女性の晩婚化、それに伴う少子化、そして何よりそういう犠牲を払ったのに未だ女性が働く環境が整っていない、という現状にも、ユーミンの歌は寄与していると言えるかもしれません。
それほどに、ユーミンの歌と存在は、怖いほど時代とリンクしてきたのです。


この本は、書き下ろしではなく、「小説現代」の連載に加筆されたもので、1973年のデビューアルバム「ひこうき雲」から、1991年の「Dawn Purple」まで20枚のアルバムをピックアップして、アルバム毎に章立てで、アルバムが発売された当時の世相や酒井氏個人の思い出が綴られています。
それぞれの章の中の曲に関しての酒井氏の卓越した分析は(シチュエーションソングの名曲「Downtown Boy」を「チャタレイ夫人の恋人」になぞらえているのには、感動のあまり爆笑させて頂きました!)、実際に本を読んで頂くとして、この本一冊読了した不肖わたくしが、酒井氏の分析を使って、「ユーミンの罪」ならぬユーミンの大罪」についてまとめてみたいと思います。

先ず、ユーミンが、自身が歌う歌の中の女性の生き方について、以下の1〜3の要素を、同時に、または断続的に詰め込んだことが、「大罪」に値すると申せましょう。


1.「男にしがみつかない」女性を歌ったユーミン
ユーミンは、それまでの演歌やフォークソングに歌われた「男にしがみつく」女性像とは違って、恋愛に関して「男にしがみつかない」強く前に進む、「ダサくない」女性を歌いました、否、正確に言うと、そういう女性像を新しく創造し、女性を励ましたのです。しかし、それは同時に従来の演歌&フォークソング的女性がやっていた「なりふり構わず男にしがみついて」「男とつがいになるためには手段を選ばない」という、ユーミン的には「ダサい」生き方を否定することになった結果、女性から結婚を遠ざけた、と酒井氏は言います、

「男にしがみつかない女」は、確かにダサくはありませんでした。が、客観視の結果として見えてしまうダサさを怖れるあまり私達は、野太い生命力のようなものを失った気もするのです。


つまり、ユーミンの歌を聴いて「男にしがみつかない女」になることを学んだ女性は、それとは真逆の、ダサかろうが演歌だろうが男にしがみついて「結婚」を勝ち取り、人生をばく進していく、なりふり構わぬ「野太い生命力」を失ったのです。
このトラップの恐ろしさは、年月をかけて、ボディブローのように効いてくることです。
一番生命力が充溢している時期が過ぎてしまってから、その時期だけに許される野太い生命力の眩しさに気付くことになったのです。
そして、その虚しさや後悔の念については、ユーミンは何も歌ってはくれないのです。



2.「恋愛/結婚よりも仕事」を選ぶ女性を力強く後押ししたユーミン
14章で採り上げられているアルバムタイトル「DA・DI・DA」(1985年リリース)を、酒井氏は「女の軍歌」アルバムと呼んでいます。その中の「メトロポリスの片隅で」という曲について酒井氏いわく、

 そう、これは男に未練を持たない、潔い「Single Girl」を礼讃する歌であり、そんなSingle Girlへの応援歌。今までどれほど多くの女性が、男と別れた翌日にも会社に行って仕事をしなくてはいけないという時、この歌を聴くことによって自らを奮い立たせたことでしょうか。
 そして、私は、このアルバムが出た当時、男と別れる度に「メトロポリスの片隅で」を聴いて「仕事をがんばろう!」という気になっていた若い女性達こそが、いわゆる負け犬の潮流なのではないかと思っています。仕事という拠り所がなければ、独りでいることの寂しさに負けて、彼女達はあっさり結婚したのではないか。


そしてアルバムの最後の曲、「たとえあなたが去って行っても」という歌は、最初から最後まで勇ましいテンションで、最後のサビに入る前には進軍ラッパよろしく高らかなトランペットの間奏が入り、コーラス付きで歌われるという、まさに軍歌なのですが、歌詞の内容はといえば、男性が結婚を提示して自分についてきてほしいと言ってきたのに対して、自分を曲げてあなたに従うくらいなら別れる、という道を選んだ「Lonely Soldier」(「兵士」!)である女性の歌です。
それまでの日本の若い女性も、そして彼女たちを歌う演歌もフォークソングも、「好きな男からの結婚の申し込みを断って、仕事を選ぶ」という状況など、先ず「想定外」でした。「ボクについてきてほしい」と好きな男性に言われれば、それこそが「幸せゲット!」であり、自分の仕事なんか問題ではなく喜んで彼についていったものでした。ユーミンの歌「たとえあなたが去って行っても」の中で歌われる、その状況をひっくり返す女性達は「Soldiers」であり、彼女達を励ます歌は「軍歌」である、と、酒井氏は鋭い指摘をしています。

 この歌を聴いて励まされた人は、たくさんいることと思います。どうして男に唯々諾々と従わなくてはならないのか。私達はもっと「自分」を大切にしてもいいのだ、と。勇壮に響くトランペットは、そんな女性達の気持ちを鼓舞したことでしょう。しかし、アルバム発売から四半世紀以上たってから聴く私の耳には、そのトランペットの音色は、世の中の女性達が晩婚化への道を突き進むことを促進する伴奏のように聞こえるのです。(中略)
 私を含め、メトロポリスの片隅において、ユーミンの歌を聴いてテンションを上げた女性はたくさんいるはずです。(中略)
 「DA・DI・DA」におさめられているような女の軍歌をユーミンが歌ったことによって、我々が気分よく独身のままでいられたという事実はあるのではないか、と私は思います。
 独身の私は、今でも「メトロポリスの片隅で」や「たとえあなたが去って行っても」を聴くと、ついつい尚武の精神が湧いてきて「そうそう、もっと遠くへ一人で旅を・・・」などと思ってしまうのですが、次の瞬間我に返り、「あの頃とは年が違うことを思い出せ!」と自らを諌めるのでした。

3.しかし一方で、「助手席に座る女の子」「サーフィンやスキーやラグビーをする彼を見つめる女の子」を描いたユーミン
ユーミンの歌には、都会のお洒落なデートの小道具として、今じゃ「若者の車離れ」と言われているほど若者の物欲を掻きたてない「車」がよく出てきますが、歌のヒロインは殆ど例外なく「助手席」に座っているのであり、ハンドルを握るのは恋人である男性です(私の能う限りの記憶を総動員しても、女の子がハンドル握っているのは、「DANG DANG」くらいしか思い浮かびません。)。「コバルト・アワー」「中央フリーウェイ」「ナビゲイター」「潮風にちぎれて」「埠頭を渡る風」「Corvett 1954」・・・どれも、女の子は助手席です。
酒井氏はこれをユーミンの歌における助手席性」と呼んでいます。
自分自身のことを「助手席評論家」と言っていることから、ユーミン自身免許を持っていないのではないか疑惑もありますが、単に「免許を持っている/持っていない」ではなく、酒井氏が言っているのは「男性に運転を任せて、自分は助手席に座る女性」ということです。
酒井氏は、これは決して「自主性がない」ことを表しているのでは全くなく、寧ろ逆で、「どの車の助手席に乗るかは自分で選ぶ権利があった」と言っていますが、同時に、バブル直前の1978年(「流線形80」リリース年)あたりから、保守的で男性受けする(男性にもわかりやすい)ニュートラだのハマトラだののファッションが流行したことと同じく、男性に対して「あなたのハンドルを決して奪ったりはしませんよ」という、保守的で、男性の領分を決しておかすことがない「良き助手席体質」の女性をユーミンは多く描いているとも言っています。
また「助手席体質」と同じく、ユーミンの歌に出てきてブームになったサーフィンもスキーも、歌のヒロインは、自らボードに乗って沖へ漕ぎ出したり雪の斜面を滑降したりはせずに、自分は浜辺やロッジから彼氏を見ているだけ、なのです。それを酒井氏は、「つれてって文化」と呼んでいます。
「No Side」のラグビーが更にそれに加わります。要するにサーフィンやスキーやラグビーのスポーツとしての本質などどうでもよくて、「バドミントン部とか少林寺拳法部」のような地味なスポーツではなく、「サーフィンやスキーのようなお洒落なスポーツをする男性や、ラグビー部やアメフト部のレギュラーである男性の彼女である自分」に陶酔する歌だと言うのです。
そして、それは、酒井氏に、心理学者の小倉千加子氏による「短大生パーソナリティ」という言葉を思い出させます。一流企業に就職を望むけれども、それは総合職としてキャリアを積むためではなく、結婚したら専業主婦にならせて貰えるだけの経済力を持った男性と出会うためである、という傾向です。「男にしがみつかない女」を「女の軍歌」で歌い上げた同じユーミンが、真逆のクレドである「短大生パーソナリティ」を「つれてって文化」を「助手席体質」を肯定する歌を歌うのです。
自分では決してハンドルは握らず、自らが動いて旬の場所へ足を向けるのではなく「つれてって」もらうだけ、そして「彼氏が◯◯をするのを見つめるガールフレンドである私」に自己満足・自己陶酔できるシチュエーションソングが、実はユーミンには幾つもあります。
酒井氏は、実際の世の中の女性達のメインストリームは、この「短大生パーソナリティ」と「つれてって文化」と「助手席体質」であることを熟知していたユーミン巧みなマーケティングを指摘しています。実際はマジョリティである彼女たちの心理に訴える歌を多量に作ったからこそ、巨大なセールスに繋がったのだと。
女性の生き方の文脈とはズレますが、
・パワースポット巡りなどがブームになる以前からのユーミンの歌のスピリチュアルな世界
・携帯電話やPCが普及するのとシンクロしたIT時代の恋愛
・「女子会」という言葉がなかった頃からの「女に好かれる女」戦略
・これまた「ストーカー」という言葉がなかった頃からのストーカーもどきの「女の業」
全てが時代の半歩先を行っていたユーミンの歌ですが、これもまた彼女の感性というよりは、巧みなマーケットセンスの賜物だったのではないかと、今では思えます。


歌っていうのは、宗教の伝道にも使われるように、何度も何度も聴いているうちに、教祖様の教えが知らず知らずのうちに浸透していきます。
何が「大罪」と言って、上記の1,2と3を振り子のように行ったり来たりしながら、曲を介してリスナーである若い女性に吹き込んだことですね。
1と2だけなら、まだマシでした。3だけでも今よりはマシだったかもしれません。
1と2は似たようなものです。男性と同様、女性も仕事を人生の核に据えていこうとするのならば、断固として1と2の路線で行かねばなりません。それだけの本気を見せなくてはなりません。「メトロポリスの片隅で」という軍歌を歌いながら、恋人との別離もものとはせずに腰を据えて仕事に励む女性達が入社後10年、否、30歳までそうやって働くところを見せれば、最初は女性の総合職をどうやって扱ったらいいのかわからなかった会社の側こそが腰が座って、女性の総合職も男性と同様に扱えばいいのだという当たり前のことがわかって、2014年の今、もっと女性が働きやすい環境になっていたかもしれません。ところが、「メトロポリスの片隅で」が入っているアルバム「DA・DI・DA」は、男女雇用均等法制定の年と同じ年にリリースされているのですが、勇ましい軍歌を歌っていたはずの女性総合職「Soldiers」は、10年どころか5年も持たずいつの間にか会社を辞め(酒井氏も総合職で入った広告代理店を3年で辞めたそうです)、女性にも男性と同様開かれたはずの職場は、気がつけば「国破れて山河あり」になっていたわけです。
ユーミンの歌を聴いてかどうかは別にして「都会の高層ビルのオフィスでバリバリ働こう!」と思っていた女性は、「都会で高学歴で」という層ですから、日本国全体から見ると、元々マジョリティではありません。また、長らく「男性から一歩引くのが女性」「男性を立てるのが女性」という教育を受けてきたのですから、生粋のSoldiers体質でもない女性も多く、幾分かの「助手席体質」があったり、「都会で高学歴で」というのはそもそもお嬢様ですから、専業主婦が当たり前の母親の世代からのプレッシャーもあり、早々と、次々と、討ち死にしたわけです。
では、3でユーミンの「助手席体質」ソングのまま一般職で入社して、経済力のある男性と結婚し念願の専業主婦になった、マジョリティである「助手席体質」「つれてって文化」「短大パーソナリティ」の女性達はどうなったのでしょうか?「ラガーマンの彼女である私」に自己陶酔したまま、人生が進んで行くはずはないんですよね。子育てが一段落した時期が不況の真っただ中、家計の足しに働こうとすると、これまた「助手席体質」の会社阪である「パートタイム」でしか働く場所がありません。同じ時間、同じ仕事をしても、又しても、ハンドルは握れず、行き先も決められない「助手席」なのです。彼女達は、新たなる、強制された「助手席」に自己陶酔はできません。

ユーミンは、実に罪深い影響力を及ぼしているとは思いませんか?
男女雇用均等法制定は1985年ですが、それから実に30年も経つというのに、ユーミンを聴いてきた世代の女性達は、上の世代に比べて、社会で重要なポジションを獲得したでしょうか?
世の中は、Soldiersやら助手席体質やら全てひっくるめた女性達にとって、良き方向へ進んだでしょうか。
私は、30年という短くはない年月をかけたにしては、惨憺たる現状だと思います。
ユーミンを聴いてきた世代の女性達は、「バブル世代」と持ち上げられても、それは「財布の紐がユルい」と商売のターゲットにされているだけです。均等法制定から30年経っているのですから、30年前に入社した第一期の総合職の女性達が働き続けていれば52歳。大企業の役員・部長クラスにもっと女性がいてもいいはずですが、実際は全くそうではありませんし、役員どころか管理職さえ希少な状態です。女性総合職のトップランナーが少ないので、結婚して子供ができても働ける環境も30年経ってもまだ出来上がっていません。子供が出来ても働ける環境がないので、逆に若い女性には「専業主婦願望」が多いという、何とも拗じくれた現象が起きている有様。

時代と歌がリンクしているって、恐ろしいことです。
あの時代、あれだけアルバムが売れたのです。
都会の女子大生で、ユーミンを聴かない人なんていませんでした。当時、「ヘビメタが好き!」と言っている子ですら、「隠れキリシタン」ならぬ「隠れユーミン(他人に公言はしていないが、こっそりとユーミンを聴いて歌に浸っていること)でしたからね。
また、酒井氏のこの本には取り上げられてはいませんが、ユーミンの歌には、「ヤンキー」と親和性がある曲も沢山ありますから(名曲「よそゆき顔で」など)、日本津々浦々で、学歴とは関係なく、ヤンキーの文脈(都会でなく高学歴でもない)でも、あの時代、ユーミンは多くの女性に聴かれたのでしょう。
「たかが流行歌」と侮らないでください。当時はiTunesiPodもありませんでしたが、カセットで聴くウォークマン(時代が・・・)がありました。毎日通勤時に、アルバムからカセット(後に一時的にMDになりますが)に録音されたユーミンの歌が聴かれたということは、「門前の小僧習わぬ経を読む」状態になりますよ。プロパガンダは繰り返されれば、繰り返されるほど、浸透していくのです。
バブル期に就職して今企業の幹部として残っている希少な女性たちも、同じ時期に就職したものの「寿退社」して専業主婦になったマジョリティの女性たちも、青春時代は、同じくユーミンの歌を口ずさんでいました。
もしユーミンの歌があの時代に存在しなかったら?
と、想像しようとしても、私には想像できません。じゃあ他の何を聴いていたのか?恋愛や都会での生活に関して何を指針にしていたのか?何が時代的にカッコ良くて何がダサいのかを、どうやって判断していたのか?全く想像ができないのです。
それほどユーミンの歌は、毎年出されるアルバムによって波状攻撃的に若い女性の心に浸透していたのだと思います。

酒井氏の本に沿って今改めて俯瞰してみると、ユーミンの歌とは、あの時代を生きた大勢の女性に対して、片方では「男にしがみついて結婚をゲットするのはダサい」「自分を曲げて結婚するよりも、自分の道を行く方がカッコいい」と煽りつつ、「助手席で彼をサポートする自分もいいかも」と真逆のメッセージを送ったものでした。
これは、どちらか片方のメッセージを強力に発信するよりも、数段タチが悪い。
結局、ユーミンのデビューから40年近く、均等法制定から30年も経って、女性が置かれている状況は、「永遠の幸福」とはほど遠いものですし、世の中も、晩婚化と少子化が極限まで進んでいます。
冒頭で紹介した、酒井氏のユーミンに対する感慨、

ユーミンに対しては、「いい夢を見させてもらった」という気持ちと、「あんな夢さえ見なければ」という気持ちとが入り交じる感覚

まさに、これに同感します。
夢から醒めて、「ユーミンの罪」を超えてどこへ行くのかは、今度はユーミンの歌抜きに考えなくてはならない私達なのです。





さて、同じくこの「ユーミンの罪」についての著名人の書評から、「これは酷い!」と私が感じたものを二つ挙げておきます。
一つ目は、

『ユーミンの罪』私たちは恋愛資本主義を超えられたのか:常見陽平 アゴラーライブドアブログ

著名な「人材コンサルタント」とやらの常見陽平ですが、酒井氏と年齢が一回り違うせいなのか、まるでわかっていないのです、「ユーミンの罪」を。

最初に、酒井順子さんに言いたい。あなた、相当、ユーミンが好きだろ。


↑ 私が酒井氏ならば、この文章読んだ瞬間、頭にかけた薬缶が沸騰すると思います。
「好き」とか「嫌い」じゃないんだってば!
70〜80年代に青春を過ごし、ユーミンの歌をリアルタイムに聴いていた世代にとっては、ユーミンの歌は「好き/嫌い」なんかのレベルではないんですよ、宗教だったんです。
イスラム教国に生まれた人が、コーランを毎日聞くように、あの時代は、ユーミンの歌がコーランだったのです。
バリキャリを目指していても、腰掛け就職&寿退社を目指していても、ヤンキーで箱乗りしていても、時代を流れている歌はユーミンだったのです。
それがわからない人(特に男)にとっては、こんな皮相的な書評しか書けなくて、それでいて「私たちは恋愛資本主義を超えられたのか」という、看板に大偽りあり!のタイトルをつけるところだけが、さすが「人材コンサルタント」の真骨頂というべきか。

ユーミンは「女の業」を「肯定」しつつ、「甘い傷痕」を残してきたのだ。

もっとも、読み返してみて、これだけ日本人が恋愛に一生懸命だった時代があったのかと感じた次第である。若い世代はユーミンをどう聴くのだろうか。この本をどう読むのだろうか。大変に興味がある。

ユーミンは『女の業』を『肯定』しつつ、『甘い傷痕』を残してきたのだ。」という一文は、本の帯の表と裏に書かれているキャッチコピーをくっつけただけのものですから、念のため。
肝腎の「罪」についての見解はこれっぽっちもありません。
更に、「これだけ日本人が恋愛に一生懸命だった時代があったのかと感じた次第である。」っていう、読解力ゼロの的外れな感想。
酒井氏が言っているのは、それとは全く反対のこと、「恋愛よりも自分を大事にする女性を歌ったのがユーミン」ということでしょ?
彼についていくよりも自分らしさを失わないことを選ぶ女性、恋愛そのものに陶酔するのではなく◯◯な彼を見守る自分に陶酔する女性を歌ったのがユーミンなんですけどね。
流し読みで書評が書ける本もあるかもしれませんが、この本はその類いの本では決してない、ということが、常見氏の「書評」を見るとよくわかります。
あ、ちなみに、「若い世代がユーミンをどう聴くのだろうか」に関しては、若い世代は「サウンドが古い」「ありえないくらい歌が下手」で一蹴(ソースは我が家の子供たち)、じゃないでしょうか。


二つ目は、前社民党党首、福島瑞穂

福島みずほのどきどき日記「ユーミンの罪」(酒井順子著)を読んで

ですが、これがまた酷い!
そもそも、選択的夫婦別姓を唱える福島氏なんですが(私は、彼女の政治的信条には、何ら共感するものはありません)、
松任谷という名前カッコいいから、松任谷由実の名前で出しちゃおう」「私の美意識では松任谷由実となるのがすごく合っていたのかもしれないね。名前も重みがありっぽいし」*1
と、夫婦別姓どころか、旧姓「荒井」から「松任谷」にあっさり変えちゃった、女の見栄丸出しで、由緒ある名前に聞こえることを承知の(現に、夫君松任谷氏は親族に経済人、芸術家が多い名門「っぽい」)玉の輿願望の女もどきの、保守的な考えの持ち主であるユーミンをここまで持ち上げちゃって、そしてずっとユーミンを聴いてきた、と言ってしまっていいのでしょうかね、社会民主党の前党首の方が?
福島氏自身は、パートナーである弁護士、海渡雄一氏とは事実婚で、勿論名前は旧姓の「福島」のままですが、「海渡」の方がカッコいいから、と「海渡」に名前変えちゃいそうなのが、ユーミンなんですよ?
それなのに、

私は20代をほぼユーミンの歌と共に過ごしました。テープやCDで聴いたり、家の中で、ユーミンの歌を流しっぱなしにして、勉強したり、読書をしたり、仕事をしたり、家事をしたりしてきました。ユーミンの歌を聴くと、ポジティブに肯定的に元気になる。人生なんとか前向きに生きていける、とてつもなく人生前向きに生きていける気になる歌でした。


まさに、「ひぇ〜〜〜!」ですよ。
朝まで生テレビ」で、社会民主主義的発言をされていた同じ頃、ご自宅ではテープやCDで「ユーミンの歌を流しっぱなし」にしていたって、どれだけ人格が分裂しているんですか?
っていうか、あれだけコーラン、失礼、ユーミンの歌を聴いても、彼女のメッセージが正しく福島氏に伝わっていないことそれ自体が驚きです。

助手席の女ではなくて自分がやるのだというように、 10代から思っていた私はそこは少し合わなかったところかもしれないんですが、でも揺れる女の子たち、女性の自立と助手席と両方欲しいという感じも上手く描いています。


「少し合わない」どころじゃないでしょーが!と思いますよ。
福島氏が弁護士として、また政治家として奮闘しても、日本の女性の地位がまだまだ低く、働く女性の環境は全く改善されていないことの元凶は、男女雇用均等法成立に逆行して、助手席体質の女性を大量生産してきたユーミンの歌なんじゃないでしょうか。
助手席の女は、いつまで経っても助手席の女なんですよ、元々彼女達は「女性の自立」なんて欲しいと思ってなかったわけですし。
ところが、助手席の女は、結婚して専業主婦という助手席を手に入れたのはいいけれど、子育てが一段落して今度はささやかな報酬を得て家計の足しにしたいと思っても正社員ではなくパートという助手席しか与えられないのですが、「両性平等社会」を理念の一つに掲げる社民党におかれましては、そういう助手席体質を煽った歌なんて、天敵と言ってもいいくらいではないのでしょうか?

ユーミンがソフトなフェミニズムと言うと変だけれど、女の子をいろんな形で励ましてきたんじゃないか。


↑ これほどの誤読があるでしょうか?ユーミンの歌に関する誤読と、「ユーミンの罪」(「罪」ですよ、「罪」!)というタイトルのこの本に対する誤読!
この脳天気なまでのねじ曲げ方、これは、「自衛隊を改変・解消して非武装の日本を実現する」*2のと同様のねじ曲げであり、だからこそ、友党であるドイツやフランスの社民党が政権を担っているのとは大きく違って、日本の社民党は政権どころか存続さえも危ぶまれている状況なんだと、私は勝手に得心しましたね。
枝葉末節的な揚げ足は取りたくないのですが、福島氏のカラオケでの愛唱歌は「赤いスイートピー」(「呉田軽穂」というふざけた名前でユーミンが作詞した松田聖子の代表曲の一つ)なんだそうですが、その歌詞の解釈が、これまた脳天気なねじ曲げ方なのです。

私はカラオケで「赤いスイートピー」をよく歌うのですが、「あなたについて行きたい」、女の子がちゃんと私を口説いてよーって気弱な男の子に思っているんだけれども、でも、私はあなた連れて行きたいと歌う。それは演歌的な「ついて行きます」ではなくって、羽の生えたブーツで飛んで行くっていうわけだから、そこはポップで、軽くて、また力強いところもある。


ぶりっ子全盛期の松田聖子が歌ったこの曲の歌詞には、どこにも「私はあなた連れて行きたい」という歌詞はないんですよ。「羽の生えたブーツ」は、ひたすら繰り返される「I will follow you.」のためのもの。これぞまさに「演歌的な『ついて行きます』」を、英語にしただけなんですけど。
まあ、選択的夫婦別姓を唱えている方が、「I will follow you.」と歌うっていうのもお立場的にどうなんでしょう?
ここまで自分に都合がよい解釈をされると、福島氏の他の議論も疑ってしまって当然ですよね。

実は、数年前に、福島瑞穂社民党党首をめぐる雑感という、福島氏に関するエントリーを書いたことがあるのですが、今更ながら過大評価だったかも、と深く反省しております。



さて、最後に。
全くの偶然なのですが、青春時代からユーミンのアルバムが出る度に買っていた私が最後に買ったアルバムが、酒井氏が最終章で採り上げ、酒井氏自身もこのアルバムを最後にユーミン断ち」をしたという、1991年リリースの「Dawn Purple」でした。
思えば、ユーミンのアルバムを買うと言っても、最初は「レコード」で、途中の数枚は「カセット」で、そして「CD」になったのはどのアルバムからだったか。
最後に買ったアルバム「Dawn Purple」の1曲目は、「Happy Birthday to You〜ヴィーナスの誕生」です。
この曲について、酒井氏は、

タイトルだけ見ていると、バースデーソングのように思える歌なのであり、1991年当時の私も、歌詞をあまりよく聴かず「誕生日の友達にカラオケで歌ってあげる歌ではないか」と思っていたフシがある。
 しかし今、ちゃんと聴いてみると、これは何と出産の歌なのでした。


と言っているのですが、私も全く同じです。出産の歌と気がついたのは、その後生まれた娘を抱っこして、暇つぶしにこのCDを流した日曜日の昼下がりでした。
リアル出産の実況中継なのです、この歌。
私が当時思ったのは、
「ここまでリアルに出産について歌っているということは、もしかしてユーミンは秘かに子供を産んだのではないか?それも女の子?」
ということでした。
酒井氏は、当時この歌の歌詞「前へ 前へ 前へ進むのよ 勇気だして」という部分を、

赤ちゃんが産道を「前へ 前へ 前へ」と進むべきなのに、我々は六本木通り青山通りを、前へ前へと進む行進曲代わりにしていたのですから。


と「誤聴」していたことは認めていますが、この歌のことは「早すぎた『出産の歌』」としか看做していません。
しかし、その後ネットの力を借りて私が推論するのは、これは親友小林麻美氏に対して捧げた歌ではなかったでしょうか。
80年代、「いい女」の筆頭格であった小林麻美氏ですが、1991年に突然引退発表、事務所社長との間に既に子供が生まれていることがわかり世間を驚かせましたが、未だに伝説的な女優&歌手です。
彼女が引退したのはこのアルバムが出た年1991年ですから、出産は少なくともそれ以前。
元々、この「Happy Birthday to You〜ヴィーナスの誕生」は、小林麻美氏が1987年に出したアルバム「Grey」に収録されていた「遠くからHappy Birthday」という、ユーミンが彼女のために書いた曲が、原曲になっています。
この原曲は、ユーミンのよくある「元カレ」ソングで、レストランで偶然元カレの誕生日に出くわす、というシチュエーションです。
その曲のメロディーをそのまま使って、歌詞だけが「出産の歌」になっているということは、これはユーミンから、出産した「Dear Frend」小林麻美氏を讃えて送った歌なのだと思います。
その小林麻美氏も、今やユーミンと同じくアラ還(アラウンド還暦)で、お子さん(歌詞とは違って男の子らしい)も、もうとっくに成人なさっているようです。
この「Happy Birthday to You〜ヴィーナスの誕生」を除いて、妊娠や出産、子育て、山あり谷ありもしくは平凡で冗長な結婚生活を歌う歌は、ユーミンにはありません。
また、人生の折り返し地点である40歳を過ぎたあたりから感じ始める老いやら死(それは「ひこうき雲」のような美しい死ではありません)について歌う歌もありません。
ましてや、バタバタと同期や後輩の総合職の女性が辞めていくなか、「これが天職」と思い定めて仕事を頑張る40歳女性への応援歌も、もうユーミンは歌いません。

酒井氏は、あとがきの中で、

ユーミンが描くキラキラと輝く世界は、鼻先につるされた人参のようだったのであり。その人参を食べたいがために、私達は前へ前へと進んだのです。
鼻先の人参を、食べることができたのかどうか。それは今もって判然としないところなのですが、人参を追っている間中、「ずっとこのまま、走り続けていられるに違いない」と私達に思わせたことが、ユーミンの犯した最も大きな罪なのではないかと、私は思っています。

嘗ては、女の軍歌を歌い上げ、助手席体質も女子会もストーカー傾向も全て肯定してくれたユーミンは、その後、信者を地上に残したまま、制作費が30億円を超えるという豪華なコンサートツアーやら、スピリチュアルな「永遠ソング」やら、という高みに上っていきました。
晩婚化、少子高齢化が進んだ下界では、崖っぷちまできてやっと、女性たちが自分自身で「前へ前へ」進むことを始めました。
男女雇用均等法制定から実に30年の時を経て。
ぶら下がった人参を追うのではなく、自分たちの速度で、ユーミンの歌が流れない時代を。

*1:エッセイ『ルージュの伝言松任谷由実著からの引用

*2:社民党ホームページより http://www5.sdp.or.jp/vision/vision.htm

 クリスマス疲れから、日本のお正月を取り戻す!  「和食」のユネスコ無形文化遺産登録に寄せて


去る12月5日に、我が日本の「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたそうです。

それ自体はとてもおめでたいことです。

農林水産省のホームページ*1に出ている、

ユネスコ無形文化遺産に登録申請した「和食;日本人の伝統的食文化」とは

という説明には、

「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」を、「和食;日本人の伝統的な食文化」と題して、ユネスコ無形文化遺産に登録申請しています。

とあり、また、

・正月などの年中行事との密接な関わり
日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。

なんだそうです。

しかし。
ユネスコ無形文化遺産になった目出たさはさておき、日本における「和食」は、果たしてこの文言通りの現状なのでしょうか?

安倍首相がオリンピック招致のプレゼンでぶち上げた「The situation is under control.」という言葉が福島原発の現状を表していないのと同様、実際の日本における「和食」文化は、実は崩壊しつつあるというのが現状ではないでしょうか。
料亭や高給割烹の話ではありません、個々の家庭での話です。
特に私が物申したいのは、「正月などの年中行事との密接な関わり」です。この点に関しては、ユネスコ及び世界に対して大見得をきれないのではないでしょうか、日本人。


折しも、今日はクリスマス・イブです。
小さな子供がいる家庭の主婦にとっては、12月はまさに毎日が戦場です。
大掃除とクリスマスとお正月の準備で、風邪をひいている間もありません。
先ず、スケジュールが目白押し。
幼稚園や、子供会や、習い事先でのオフィシャルな(?)クリスマス・パーティー
プライベートでも子供の友だちとそのママたちと「持ち寄りクリスマス・パーティー」、ママ友だけでの忘年会も兼ねた「クリスマス・ランチ」、天皇誕生日の祝日でもある23日に家族、友人を招いてのクリスマス・ディナー。
手作りで焼くクッキーもケーキもクリスマスのデコレーション。「持ち寄り」のオードブルやサラダも赤と緑でクリスマス・アレンジ。日本の主婦の料理能力と感性のレベルはとても高いので、これしきのことは当然です。
お料理以前に、11月の下旬からは、家中がクリスマス・テイストで飾られます。大きなツリーを飾るのは当然のこと、玄関ドアにはクリスマス・リース(手作りが望ましい)、クッション・カバーやテーブルクロスなどは全てクリスマス・プリントのものに変え、外から見える窓には、サンタクロースとトナカイのシールを貼って、部屋のコーナーにはクリスマス・グッズを並べ、クリスマス柄のナプキンやタオルは元より、カップやお皿などの食器もクリスマス柄を揃えて、クリスマスを待ちます。
デキる主婦だとアピールしたいのならば、一羽丸ごと焼いたローストチキン!お客様にも出すとなると、3 キロ超のものをオーブンにぶち込んで3時間近く焼かねばなりません。
「えっ?一羽丸ごとのローストチキンを焼くなんて、特別な家庭だけじゃないの?」とおっしゃる皆様、クックパッドをご覧くださいませ!日本の主婦の底力、裾野レベルの実力の高さがおわかりになると思います。素人の主婦だけで、しかもキリスト教国ではないのに、これだけのレシピ(どれもがかなり本格的)を投稿している国なのです。
クックパッド以外でも山ほど、日本人による「一羽丸ごとローストチキン」のレシピがネット上で見られます。そして、これは勿論、ローストチキンは「和食」ではありません。

クリスマスって、かくの如く、準備や手配についつい熱中してしまう類いのイベントなのです、それは否定しません。
私も嘗ては、上記に挙げたことを全てやっておりました、若き頃(遠い目)。
しかし。
ここに大きな問題があります。
それは、クリスマスとお正月の間が近過ぎて、体力も財力も、ついついクリスマスに吸い取られてしまって、ユネスコ無形文化遺産である「和食」、中でも「年中行事」としては最も重要であるはずのお正月やお節料理にかける体力、財力がなくなってしまうこと、です。
最近では12月に入ると、スーパーではクリスマス用の食材と、お正月用の食材が平行して売られていますが、デフレ不況に入る前は、12月24日の閉店までは、「ジングルベル」や「ホワイト・クリスマス」の店内音楽を狂ったように鳴らして、クリスマス用の鶏やらケーキやらを売っていたと思いきや、翌日25日の朝、その同じスーパーに行ってみると、あら不思議、一夜のうちに商品を入れ替えて(店員さんの機動力と苦労が偲ばれます)、売り場はお節用品一色でした、店内音楽も、琴の音も雅な「春の海」がぽろろ〜ん、って感じで。
本当はおかしな話なんですよね、だって本当のクリスマスって25日なんでしょう?
でも、日本人にとって、否、正確に言うとクリスマスをお商売として見ている人たちにとっては、24日の閉店時間までが「クリスマス」なんでしょう。
それは今でも変わっていません。クリスマス当日の25日には既にクリスマス・コーナーは撤去されています。
寧ろ平成になって12月23日が天皇誕生日で祝日になってしまったので、不敬の輩(キリスト教に対しても、天皇陛下に対しても)である我々日本人にとっては、祝日である23日にクリスマス的行事は済ませてしまって23日でクリスマス終わり!という、「何のこっちゃ?状態」になっているのが現状です。
日本人のクリスマスが23日に終わろうと、24日に終わろうと、それから大晦日・元旦までは一週間!です。
先ずクリスマスツリーを片付けて、その他家中のクリスマス臭を消し去らなければなりません。
「和食」を愛する日本人の繊細な美意識は、「六日の菖蒲、十日の菊」でございますから、旬を一日でも過ぎると、あれだけ情熱を込めて飾り付けしたものでも、一刻も早く片付けてしまいたいものになるのですね(欧米では、そのまま1月までツリーが平気で飾られていますが)
それだけでも重労働なのに、お節料理の買い出し、調理に入らなければなりません。
大掃除だってあります。12月の初旬に早めにお掃除していたとしても、クリスマスにケーキ焼いたりチキン焼いたりしたら、レンジもオーブンも換気扇もギットギトです。
そして、肝腎のお節料理は、黒豆、数の子、田作り、昆布巻き、きんとん、なます、たたき牛蒡、お煮しめ ・・・etc 加えてその土地その土地でお節に加えるメニューもあり、実際の作成作業は勿論、買い出しからして大変です。
大変ですけど、何たってユネスコ無形文化遺産に登録もされる「和食」、そのなかでも「自然の恵みである「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。」と登録理由にあるお節料理ですから、日本の主婦(主夫でも可)たるもの、一年中で一番腕によりをかけて料理・・・と果たしてなっているでしょうか、平成のお節料理?
早いところだと10月の下旬、普通なら11月の終わりには、デパートやスーパー、ネットで、出来合いのお節料理を「予約」して終わり!、になっていないでしょうか?
ユネスコ無形文化遺産の「和食」の中でも、肝心要のお節料理が、家庭での手作りではなく業者に外注、ってマズくないですか?
それだけではありません。
美しく盛りつけられた出来合いのお節料理ですが、これの問題点は、大抵の場合12月31日に配送され、賞味期限が1月1日である、ということ。そして、例えば3つ盛りつけてある昆布巻きが3つとも食べられてなくなったらそれで終わり、ということです。
何でもその昔、と言ってもそんなに昔ではありません、コンビニがない時代で、デパートやスーパー、一般商店、ファミレスを含む飲食店がお正月三ヶ日は休業していた時代には、「三ヶ日はおせち料理を食べるもの」でした。
私も子供の頃は、お正月も3日になると、お節に飽きてしまって、「カレーが食べたい!」(←レトルトカレーのCMに大いに影響受けてました!)とか駄々こねていましたね。
その当時だと、例えば昆布巻きやお煮しめも3切れだけ作るというわけではなくお鍋いっぱい作ってストックしておくわけですから、重箱の中の盛りつけられた昆布巻きやお煮しめがなくなっても、またストックから補充されるので、それを食べきってしまうまで、お正月は「お節料理」を食べていたのでした。
そもそもお節料理とは、「お正月に女の人が立ち働かなくてもいいように、大量に作っても日持ちがするものになっている」だったらしいです。
それが今じゃ、業者に外注した出来合いのお節料理を元旦に一度だけ食べて、後は普通の食事(カレーやピザやハンバーグ)に戻る、ということになっています。
これがバレると、ユネスコ無形文化遺産取り消されたりしませんかね?


こうなってしまっているのには、様々な理由があると思いますが、私は、日本における「クリスマス」の存在が無駄に大きいのではないか、と思うのです。

戦後、アメリカから日本に入ってきた商業主義的クリスマスが、ここに来て究極の形、即ち食品だけではなく「クリスマス」に紐付けして売れるものは全て「売らんかな」状態になっています。
1年のうちで最も効果がある販売促進の一環なのです、日本のクリスマス。
本来の宗教的意味合いでの「クリスマス」を考えてみる、ということは、日本では商売上はタブー、触れてはいけないことのようです。
キリスト教徒が人口の1%しかいないと言われている日本ではそもそも「クリスマス」を「祝う」に相応しい日本人は、ほんの一握りしかいない、という事実もタブーのようです。
聖書を一行だって読んだことがない日本の子供たちは棚ぼたで当然のようにプレゼントをサンタクロースからだけではなく、祖父母からも幾つも貰い、カップルは身分不相応な高価なプレゼントを交換し身分不相応なレストランでフランス料理を食べおまけに身分不相応な高級ホテルで一夜を過ごし(「クリスマス・キャロル」のスクルージ爺さんもびっくりの強欲)、パテやらフランスパンやらスモークサーモンやらローストチキンやら◯ンタッキーフライドチキンやらが家庭の食卓に並ぶ日本のクリスマス。

今年は奇しくも伊勢神宮出雲大社の両方で遷宮が行われた、「神の国」(by 森喜朗元首相)日本が、国を挙げて異教の祭りに狂奔して、国民がクリスマスに財力と体力を吸い取られてしまうので、結果、お節料理は出来合いのものになり、元旦から営業するコンビニやスーパーやデパートがそれを補っているのです。
元旦から営業するためには、正月早々家族を家に残して働く正社員だけでなくパートの主婦も動員しなければなりませんから、尚更、年末にお節料理を手作りして、それをゆっくり家族で味わうということは、到底無理であり、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録申請した理由の一つである「日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである『食』を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。」なんて、絵空事でしかなくなってはいないでしょうか?


こんな状態で、「和食」がユネスコ無形文化遺産になったと喜んでいてよいのか?


クリスマスとお正月の順序が逆ならば、まだマシだったかもしれません。
先にお正月に全力投球して、余力でクリスマスを楽しむとか。
もしくは、中国や台湾、ベトナムシンガポールのように、お正月を旧暦で祝うのならば(←この方が「新春」という感じがしますが)、まだマシだったかもしれません。
それだとクリスマスが終わって旧暦のお正月まで一ヶ月以上ありますから、クリスマス疲れで疲労の極みの日本の主婦も何とか体勢を立て直して、お正月に臨めるでしょうから。
しかし、運命の悪戯なのか、アメリカ由来の商業主義に全面降伏したせいなのか、お正月という、本来は日本人にとって最大のイベントであるはずのものが、日本の伝統とは何の関係もないクリスマスのせいで手薄になってしまっているのです。
SUSHIが海外でブームになったり、和食のお店がミシュランに載ったり、ということだけで、「日本の伝統文化である『和食』は素晴らしい!」と喜んでいる場合なのか?こんな現状なのに、ユネスコへの申請理由には、虚偽がないのか?


12月の初めに、デパートの家庭用品売り場に行く機会があったのですが、「ここは日本なのか?」と思ってしまうほど、欧米のデパートも見劣りするくらい、センス良く見事なクリスマスのテーブルセッティングが並んでおりました。
クリスマス柄の食器やテーブルデコレーショングッズも溢れており、大勢のお客がそれらを買い求めておりました。
そして一応片隅には、お正月を意識したテーブルセッティングや、漆器、焼き物のコーナーもありました。
1年に一度しか使わないという意味では「クリスマスツリー」と一緒ではあるのですが、持っていない家庭が殆どだと思われる塗りの屠蘇セット、お節料理が詰められるはずの重箱、普段使いとは違う蓋付きのお椀、お目出度い柄の取り皿、干支をあしらった杯、縁起物をあしらった箸置き。
日本で作られた、素晴らしい美意識に裏打ちされたそれらの商品を手に取って見ている人はまばらです。
11月になるかならないかくらいからさんざん「クリスマス!クリスマス!」と煽られているので、どうしても「クリスマス用品」に先に目が行き、そういった「お正月用品」は後回しになってしまうのですよね(←経験者は語る)。
でも。
本当は本当は、ちょっと背伸びして高価な塗りのお重を買ってそれにお節料理を詰めて家族で元旦を迎え、そしてその習慣を重箱共々将来子供に伝えたり、毎年干支の食器を揃えていってお正月に楽しむ、というとかいうことをしなければならないのでは?と思うのです。
「日本の伝統工芸を守る」とかいうのなら、尚更。
日本各地で作られた◯◯塗りのお重やお椀やお箸、◯◯焼きのお皿や箸置き、を、外国の高級ブランドのクリスマス限定柄の食器を買うより先に揃えるべきなのに、クリスマスのせいで(?!)財力と気力と体力が回らないのです。


ユネスコ無形文化遺産としての「和食」を守るために、ここまで蔓延した「クリスマス」に対処するとしたら、クリスマス禁止!しかない、というのは極端として、「クリスチャン以外の日本人は、クリスマスを祝ってはいけない」とか、「クリスマスグッズを購入する際には、『クリスチャンである』という証明書を見せること」とするとか、でしょうかね(非現実的)?
最近暮らし辛くなりつつある日本ですが、痩せても枯れてもまだ「信教の自由」はあるはずなので、クリスチャンの方々が宗教的行事を祝うのは何の問題もありませんし、クリスチャンであり同時に日本人なのですから、クリスチャンである日本人の方々がお正月を祝うことも何の問題もありません。
っていうか、大多数の日本人の気持ちの問題なのです。
キリスト教の信仰を持たない人間が、祝日だからって(それも天皇誕生日!)、12月23日あたりに、何故鶏の丸焼きやら◯ンタッキーフライドチキンやケーキを食べなくてはいけないのか?
ユダヤ教徒の人たちは頑なくらいクリスマスなんて祝いませんし(当たり前といえば当たり前)、アラブ諸国イスラム教徒の人たちだって同じだと思います。
伝統や宗教をどう考えているのか、それを子供たちにどう伝えているのか、という問題だと思います。
近隣の国のことを云々するくらい愛国心が強いのならば、またそこまでいかなくても「和食」がユネスコ無形文化遺産になったことを日本人として喜ぶのならば、日本人がこの先も子供たちに伝えていくべきものは、何なのか?と考えてみてはどうでしょうか?
子供たちに伝統として伝えていくべきは、宗教心のカケラもなく、伝統に裏打ちされたものでもない、ただ商業主義に乗らされているだけのクリスマスなのか、それとも、クリスマスの一週間後にやってくる、「和食」の原点とも言うべきお節料理を家族揃って一年の初めに食べるお正月なのか。


これから大晦日にかけての一連の労働から逃避したくて、長々書いてきましたが、何を隠そう私も昨日23日に、天皇誕生日のニュースを見ながらローストチキンを食べ、イブの今日は、もう朝からクリスマス関係の飾りをせっせと片付けている、典型的(?)日本人です、本当のクリスマスは明日の25日なのに。

朝の連ドラ「ごちそうさん」などを見ていると、クリスマスがない時代(大正時代)の日本では、「師走」の忙しさの中にも、お節料理の準備をしながら、ゆっくり一年を振り返り新年に思いを馳せる、時間と財力と心の余裕があったのだと思う、2013年クリスマス・イブ。