日本のリーダーとしての安倍首相の言動に対する違和感について

こういう現実の展開もあったと思うのです。


2012年暮れの総選挙に大勝して長期政権を望める政権を発足させた、日本のリーダーたる総理大臣が、先ず

在任中は、靖国神社には参拝しない、と宣言。

2012夏に尖閣諸島問題で排日運動が吹き荒れた中国、竹島及び慰安婦問題で険悪な関係になっていた韓国、及びアジア諸国に対して、明確なメッセージを送る。
(総理大臣を辞めてから、いくらでも何回でも靖国に参拝すればよいことで)
そして、例えば、

昨年10月に来日したケリー国務長官ヘーゲル国防長官と共に、千鳥ヶ淵にて献花する

当然、その映像は世界に配信されると同時に、ネットで繰り返し閲覧されたことでしょう。
中国や韓国は、いちゃもんの、失礼、これを糸口に日本を非難することはできなかったでしょう。
アメリカだって、国務長官と国防長官の二人を動員して下手なわかりやすいパフォーマンスした甲斐があったというもので、日米の親密さも増したことでしょう。

というような展開も、あったのではないでしょうか?過去における仮定ですけど。
これで、八方上手く納まっていたかも、という展開が。


実際の現実はそうではありません。
昨年末、安倍首相は、靖国陣社に参拝。
「私人」としてとはいえ、モーニング姿の礼装で、公用車に乗って靖国神社を訪れ、「玉串料」という神道における神社や神官への謝礼を支払い、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前で記帳し、その名前で献花しました。

( ↑ これを「私人」と言う方が無理だと思いますが・・・)
当然と言えば当然ですが、中国や韓国はここぞとばかり反発し、アメリカでさえも「disappointed」というコメントを出しましたが、これも当然のことで、ケリー氏やヘーゲル氏がわざわざ千鳥ヶ淵で献花したことがないがしろにされて、面目丸つぶれです。
世界各国の新聞やニュースサイトのトップを飾ったこのニュースを、中国や韓国、アジアにビジネスや留学で滞在する日本人はもとより、アメリカ、ヨーロッパ、世界各地にも大勢の日本人ビジネスマンや留学生が滞在していますが、彼らがこの安倍首相の参拝を歓迎したでしょうか?安倍首相が日本国内メディアに説明しているのと同様に、「国のリーダーが、戦争で命を落とした人を尊崇の念を持ってお参りするのは当然だ、靖国神社A級戦犯が祭られているとしても。」と現地で胸張って言えるでしょうか?
駐英大使や駐独ミュンヘン総領事の方々ですら、テレビや会議の席上でしどろもどろではありませんか。


(語学力、振る舞い方、突っ込みどころ満載ですが)



一番のポイントは、この安倍首相の靖国神社参拝は「国益にかなう」ものであったか?
ということです。

「第一次安倍政権で靖国神社に参拝できなかったのは、痛恨の極みであった」と言う、安倍首相の個人的な怨念の解消や、政治的達成感以外に、今回の安倍首相の靖国陣社参拝が、日本国民にとってプラスに働いた面ってあるのでしょうか?
日本が少しばかり荒ぶるとそれで憂さが晴れるのか、嬉しがる人々を喜ばしただけなんじゃないでしょうか、それも一時的に。
日本が荒ぶるのを喜ぶ一部の国民は、「次」を求めることでしょう、もっと刺激が強い荒ぶり方を。
安倍首相がそれに応えて、荒ぶり方をエスカレートさせて行った先には何があるのか?



さて、その一国の総理大臣、安倍首相が発する言葉なんですが。
先般の「特定秘密保護法案」が衆参で可決した後の安倍首相の会見で、記者に厳しい世論について聞かれて*1

まず、厳しい世論については、国民の皆様の叱正であると、謙虚に、真摯に受けとめなければならないと思います。私自身がもっともっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと、反省もいたしております。

という、一見殊勝な言葉がありました。
今回も参拝後の会見談話で、

これからも、謙虚に、礼儀正しく、誠意を以て、説明し、対話を求めていきたいと思っております。

という文言がありました。
同じパターンが続きます。
安倍首相ではなく、女房役の菅官房長官の言葉ですが、ケネディ駐日大使の、イルカ追い込み漁に対するtwitter上の発言に対して、

アメリカ側に対して日本の立場を説明していくこととしたい、このように考えています。

と言っています。
も一つおまけですが、ダボスで、今の日中関係を第一世界大戦前のヨーロッパを例に挙げて話した安倍首相の発言に関して、菅官房長官は又しても会見で*2

外交ルートを通じて首相の真意をしっかりと説明する

と述べました。
何かやる度に、後から小賢しい言い訳したり、子供の悪戯の尻拭いのように官房長官が「しっかり説明していく」と後始末しなければならないのなら、一国のリーダーとして先ず熟慮してから行動すべきだと思いますね。
思うに、靖国神社参拝にしたって、ちゃんと外交的メリット・デメリットを計算して、「日本の国益にかなう」と確信して行ったのかどうか?
安倍首相の靖国参拝の後、日中関係、日韓関係共に、最悪になり、日米関係までがギクシャクしている現状を考えると、「国益を計算し間違えた」というこの一点をとっても首相の資質として如何なものか?
『積極的平和主義」とかわけわからないことを唱えていますが、一連の安倍首相の言動は、国益にかなうどころか、あちこちにマッチで火を点けて回ったようなものです。



安倍首相のスピーチライターは、本当に手練(てだれ)であると思います。
独断専行の行為の後の会見で、日本人の心をくすぐる「反省」「謙虚」「礼儀正しく」「誠意」という言葉を散りばめていますよね。
これは全くの欺瞞で、本当に「反省」するのならば強行採決しなければよかったのですし(つまり「反省」なんてしていない)、安倍首相の外交姿勢は、口では「対話のドアは開いている」と言いながら、「謙虚」と「礼儀」に欠けるものであり、「誠意」の真逆なのですから。
日経ビジネスの記者、谷口智彦氏が安倍氏のスピーチライターであることは、知っている人は知っていると思いますが、ネットを見ない大方の国民の中には、「安倍さん、スピーチの文章が上手いねえ。」と、あたかも全てが首相自身の言葉のように美しく?誤解している人(インターネットとは無縁の75歳の実母)もいて、思わずのけぞってしまいましたが、そう思っている人、多いのではないかと思います。
まあ、スピーチライターに原稿を書かせたとしても(それは世界中の指導者はやっていることでしょう)、最終的にその内容、言葉の一言一句に責任を持ってスピーチするのは政治家本人のはずですから。
スピーチライターの谷口氏は、経済記者として海外生活が長く英語が堪能とのことですが、僭越ながら、経済問題に関するスピーチならまだしも、国際政治に関するスピーチや、欧米諸国間の中での歴史観を問われるスピーチでは、どんなものなのでしょう?
映画「ウォールストリート」の中でインサイダー取引で有罪となったゴードン・ゲッコー氏の言葉をもじった「Buy my Abenomics.」を事もあろうにNY証券取引所で嬉しそうに言うというのは、民間企業の経営者ならギリギリセーフかもしれませんが(品位ある経営者なら言わないと思います)、日本の首相の言葉としてはどうなのか?とか、第一次世界大戦前のイギリスとドイツの例を、事もあろうに第一次世界大戦勃発から100年の今年ダボスで持ち出すか、ということについては、スピーチライター及び首相周辺の人々の致命的ミスではないかと思うのですが。
ただ、どんな「手練」のライターを使っているとはいえ、スピーチした瞬間から全ての責任はスピーチをしている本人に帰されるのは当たり前のことです。
ゴードン・ゲッコー氏が映画の中でどのように描かれているのか、その言葉を一国の総理が口にするというのはどのように映るのか。第一次世界大戦前夜の英独関係はどうだったのか、また今日それを国際会議場で持ち出すことはどのような意味合いになるのか、ということについては、スピーチライターの責任というよりは、全て最終的には喋った本人安倍首相の責任です。

この谷口氏が書いているのはスピーチ原稿だけではないかもしれません。靖国参拝後の記者会見(ぶら下がり)では、安倍首相は、最初に自身の心情を、まるで暗記した原稿を読み上げるように話し、その後の記者からの個別の質問に対しても、余計なことを言って失言になるのを避けるためでしょうか、質問に対する答にはまるでなっていない、暗記原稿を読み上げるが如くの対応でした。
例えば、記者が
靖国神社には多くの戦犯が祭られているが、戦争指導者の戦争責任についてどう思うか?」
と聞いたのに対して、

今までも随時国会で述べてきた通りであります。我々は過去の反省に経って、戦後しっかり基本的人権を守り、民主主義、自由な日本を作って参りました、今やその中において世界の平和に貢献しているわけであります。今後もその歩みには些かの代わりがないことを申し上げておきます。

という答。これは質問に対して答えていませんね。スピーチライターが書いた原稿(「失言」と言われないように十分に配慮されているのでしょう)の中から、適当にピックアップして答えたフリをしているだけのように見受けられます。
この記者会見の文言も、国民と国際世論を舐めているとしか思えないのですが、

中国あるいは韓国の人々の気持ちを傷つけるという気持ちは毛頭ございません。

母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、そしてリーダーとして手を合わせる、このことは世界共通のリーダーの姿勢ではないでしょうか。これ以外のものでは全くない、それをこれから理解をしていただく努力を重ねていきたいと思っています。

これからも謙虚に礼儀正しく誠意をもって説明をし、そして対話を求めていきたいと思います。

「傷つけるつもりは毛頭ない」というのに、参拝している事実。参拝した後で「傷つけるつもりは毛頭ない」と後から言い訳するいつものやり方。
「母」「愛する妻や子」という情緒的な言葉の後に、「このことは世界共通のリーダーの姿勢」とたたみかける。「戦犯」やら「宗教」やらは曖昧にしたまま。
「努力を重ねていきたい」「謙虚」「礼儀正しく」「誠意」「対話を求めていきたい」という日本人が好む言葉を羅列する。アメリカの懸念を無視し、参拝前夜に韓国に通知する(しかもその前日、日中韓首脳会談の実現に向けて、三国の事務当局が協議したばかり)、というのに、どこが「謙虚」「礼儀正しく」「誠意」なのか?
アメリカに対しても非礼であるばかりでなく、中国、韓国から見れば、不誠実、傲慢としか見えないのでは?
再三、A (merica)くんから、「C (hina)くんとK (orea)くんが必ず怒るから、殴ってはいけないよ。」と言われていたのに、J (apan)くんは、殴ってしまってから、「ボクは礼儀正しくて謙虚だよ。誠意をもって対話していくよ。」と親に言い訳しているようなものですね。


また、最近は鳴りを潜めてはいますが、安倍首相は、憲法改正の要件を変えることによって憲法改正に着手しようとしています。
歴代の総理大臣、色々な方がいましたが、誰一人として「先ず96条を改正して改憲のハードルを下げる」ということは、口にも出しませんでした。
安倍首相が言っていることは、一見如何にも理にはかなっているように見えます、「改憲の発議を、衆参国会議員の三分の二以上から過半数にしてハードルを下げて、憲法を国民の手に委ねる。改憲を決めるのは、その後の国民投票であり国民である。」←字面だけ見ると、何ともご立派に見えるわけですが、では何故、歴代の総理大臣はそれをしなかったのか。
それは、「憲法」という国の根幹をなすものに対して、この方法は「正しくない」と歴代総理は考えたからだと思います。「不謹慎」だと考えたからだと思います。「破廉恥」だとも考えたからだと思います。
例え、ブレーンの学者がこの方法に言及したとしても、それを一刀両断で退けるだけの、リーダーとしての品格と見識はあったのだと思います。
安倍首相にはそれがないのでしょう。
内閣法制局長官の人事によって集団的自衛権行使の容認を目指す、NHKの会長人事によって報道をコントロールする、皆、同じ発想です。
実は私は、憲法改正にも集団的自衛権にも賛成なのですが、この安倍首相のやり方には反対、という悩ましさなのです。
このまま安倍首相が突っ走って、憲法改正やら集団的自衛権行使の容認を実現した時、私は「結果は同じだから」と納得すべきなのでしょうか?

オリンピックの東京招致のプレゼンにおける「The situation is under control.」もそうでした。
オリンピックを招致するためとはいえ、心ある日本人ならば誰もが「ええっ???」と驚いた、この国際的舞台でのハッタリ発言。
歴代首相なら口にはできなかったと思います。
どの発言も、如何にもイージーなのです。
一国のリーダーの発言の影響は大きいのです。安倍首相のこの発言によって、日本の国民は、「そうか、被災地のことも原発事故のことも忘れて、オリンピックに浮かれても良いのだ。オリンピックのためには電気が必要だから、原発を再稼働しても良いのだ。」というムードになってしまったではありませんか。
この発言によって、国民は知らず知らずのうちに、共犯になってしまいました、またもや日本人が好きな「みんなで渡れば恐くない」の世界です。
「みんなで原発再稼働すれば恐くない」んですよね。
思い遣りや誇りも奪われました。
東日本大震災の時の日本人の行いが世界から称賛され、日本人全員が「被災地のために」と一丸となっていた、あの気持ちが奪われてしまいました。
電気の最大消費地である首都圏ですが、2011年の春から夏にかけて、歯をくいしばって計画停電やら節電を耐え抜きましたよね。
あの時には、確かに人々の心の中には、被災地、とりわけ福島の人々に対する思いがあったのです。
そういう思いがあったからこそ、また、あの時あちこちで見られた「頑張ろう、日本!」という垂れ幕に日本人としての誇りが掻きたてられたからこそ、あの計画停電や節電を耐え抜けたのだと思います。
「The situation is under control.」という言葉は、その思いや誇りを奪ってしまいました。
元々「経済再生」を旗頭にしている安倍政権ですが、「経済さえ良くなればよい、後はそれから」「オリンピックが第一、後はそれから」というムードに日本全体がなってしまったのです。



前述の、スピーチライターによる巧みな人心掌握だけではありません。
この際言わせてもらうと、一昨年の自民党総裁選で久方ぶりに安倍首相の姿を見て(突然の退任後、存在感ありませんでしたよね)、あれ?小泉さんの真似?とすぐに思いました。大臣経験もないのに幹事長に抜擢された頃の安倍首相のヘアースタイルは、父安倍晋太郎氏そっくりの、ぺったり押さえつけた四分六分け。それが今では、何故か前髪が隆起してウェーブがうねっています。「ライオンヘアー」と呼ばれた嘗ての小泉総理大臣のヘアースタイルと、おでこ上の部分がそっくりです。

(第一次安倍政権時のヘアースタイル)

(お父上である故安倍晋太郎氏とそっくりです)

(近影)
小泉元首相を副官房長官、幹事長として間近で見て、あの熱狂的な人気、カリスマ性は安倍首相でなくとも羨望を覚えるものだったことでしょう。
また、衆議院の本会議場やら、官邸で、軽やかに小走りに走る姿は、10歳以上年下のオバマ大統領そっくりです、政治信条に隔たりがあるオバマ大統領とは、個人的関係は到底築けないとは思いますが。
サブリミナル効果ではありませんが、誰もがよく知っている既出の好感度のイメージをなぞって、自分のものであるかのように振る舞う手法は、誰の指南なのかはわかりませんが、見事です。
スピーチの言葉も、ヘアースタイルも、お坊っちゃまらしいファッションも、若々しいリーダーであるような所作も、これも見事なイメージ戦略です。
現代の政治家は誰もがイメージを戦略的に使っているとは思いますが、安倍首相に関して最も気になるのは、安倍首相が、自分の信念や政治家としての信条を表すためにイメージを使うのではなく、衆参両院で過半数を取った与党を後ろ盾として「手段を選ばず」何かを成し遂げた後、国民に言い訳するため、許して貰うために、そういうイメージを使っているのではないか、と思われることです。
まあ、現状ではこのイメージ戦略は大成功のようで、安倍首相の言動を、如何にも若々しく、勇ましく、誠実に思える人が多いのでしょうね。
安倍首相は、自らが投げ出した第一次安倍政権の後の5人の首相が持っていなかったもので、ミーハーな国民が欲しているものを、わかりやすく国民に見せているということです。
外国の首脳と並んでも遜色のない長身、毛並みの良さ、若々しさ、ソフトで洒落た印象を与えるヘアースタイル、服装、それでいて日本人が大好きな言葉、「丁寧に説明」「謙虚」「反省」「礼儀正しく」「誠意」を散りばめた会見。
ついでに、檜舞台での英語でのスピーチ。英語で苦しんでいる日本人の願望やコンプレックスを、見事に鷲掴みしています、わかりやすく。
(安倍首相の本当の英語力がどれくらいのものなのか、についてはここでは触れませんが)
また、昭恵首相夫人が韓流好きなことも、「家庭内野党」という言葉を使って、逆にソフトなイメージの向上に利用しています、ヘイトスピーチには目をつぶるのに、この巧みなイメージ戦略!
こうやって一度イメージを国民に刷り込んでしまえば、後は何をやってもイメージに守られて、そのやり方や方向は国民の監視を免れることになるでしょう。



冒頭の展開、

日本の首相が「在任中は、靖国参拝はしない」と明言し、「戦犯とも宗教とも関係のない千鳥ヶ淵で、アメリカの閣僚と共に献花する」

という展開になっていたら?と、詮無い事だと思いつつ、ついつい考えてしまいます。

しかし、現実は。
対外的には日本の国益は砂時計の砂が減っていくように少しずつ落ちていく一方であるのに対して、国内的には安倍政権は、着々と布石を打ち、後は力任せに実行していくだけ、国民もそれを止められない状況になってきています。

外国と対等に渡り合っている(ように見える)姿、勇ましい言葉、夢よ再びの好景気、失われた古き良き時代(に見える)の家族の伝統や教育・・・。私たち日本人が、閉塞したこの十何年間にぼんやり無意識に夢見てきたそれらのことを、わかりやすく体現していますから、安倍首相。
でも、本当にそれでよいのでしょうか?

ずんぐりむっくりでも、頭髪に障害があっても、英語でスピーチできなくても、鈍臭い振る舞いでも、そんなことは、本当はどうでもよいのです、国民の安全と、国民の誇りと、そして国益を守ってくれる人物こそが、本来はリーダーであるべきなのです。
代わりのリーダーを輩出すべき自民党が何故か最近はだんまりを決め込んでいるのは、安倍首相の巧みなイメージ戦略を間近に見て、「とても自分にはできない」と思っているのか、それとも、そうやって出来上がった安倍首相のイメージに喝采を送る国民に怯んでいるのか?
だとしたら、真にリーダーとなるべき政治家を怯ませ臆させている国民の側も、考えなくてはいけないのでしょう。
美しい言葉と勇ましい行動、それが国益を損ねるものであるのに、その一時的な心地よさに酔っていてよいのでしょうか。
安倍首相個人の悲願であった在任中の靖国神社参拝だけが、日本の選択肢ではなかった、と思います。
冒頭に書いた展開だってあったはず、真の意味での国益が守られた展開があったはず。
歴代のどの首相とも違った危うい道を歩いているリーダーである安倍首相に対する違和感から逃げない事、目を逸らさない事。
それが国民である私たちが先ずしなければならないことだと思います、オリンピックや景気や株価に惑わされることなく、もっと大事なことを思い出して。