ケネディ駐日大使の「イルカ追い込み漁」に関するtweetが意味していること、を考えてみました。


キャロライン・ケネディ駐日大使が、twitterでイルカの追い込み漁について「深く懸念している」(Deeply concerned)と発言されたことが話題になっています。

そのtweetを見ました。
英語と日本語と両方でtweetされているので、それぞれにRetweetがされています。



誰でも予想できることですが、英語のRetweetは、ケネディ氏の発言に賛同するものばかり。
対して日本語のRetweetは逆に、「牛や豚を食べるのはいいのか?」「内政干渉だ!」というものばかりですが、その書きっぷりというかtweetぶりの感情的&ナショナリスティックな激しさは、私の予想を超えるものでした。


イルカの追い込み漁だけでなく、同様な問題として、捕鯨というものも日本は抱えています。

日本で伝統的に行われてきた捕鯨については、「ウェールズ系日本人」であるC・W・ニコル*1の小説「勇魚」やその他のエッセイなどを読んで、私は初めて知りました。
ま、「日本人以上に日本のことを知っている外国人」が書いたものに教えてもらうくらい、つまりその程度の知識しかないほどに、捕鯨は私にとって遠い話でした。
実際、殆どの日本人にとってはそうだと思います。
日本人として生きてきた人生の中で、何回鯨肉を食べたことありますか?
一回でもイルカを食べたことがありますか?
ケネディ駐日大使に激しくRetweet(日本語の方で)している方々は、ケネディ大使の発言によって、今後大好物のイルカや鯨が食べられなくことへの怒りとか、家族に代々伝わる生業である捕鯨やイルカの追い込み漁が出来なくなるかもしれないことへの心配、っていうわけではないんですよね。

それを踏まえた上で、個人的意見を。


たとえば。
鯨肉大好き人間でもなく、捕鯨やイルカの追い込み漁が家族の職業でもない日本人、即ち私のような大多数の日本人が、例えばイギリス、もしくはBBC放送の電波がフツーに入る国に住んだとします。
キャロライン・ケネディ氏の母国アメリカでの状況は私の知るところではないのですが、ヨーロッパだと、定期的に「反捕鯨キャンペーン」、もっと正確に言うと「捕鯨という残虐な漁をする日本に抗議しようキャンペーン」が行われます。
不思議なことに、ヨーロッパ内にある同じく捕鯨を行っている国ノルウェーは、全く非難の矢面にはならないのですね。
そして大抵、その「反捕鯨キャンペーン」の出所は、イギリス、BBC放送だったりします。
BBCが熱心に特集を組んで放送するものですから、それの受け売りをイギリス以外の現地のテレビも放送したりします(←ニュースがない時なんかは特に)。
そして、小規模ながらも「反捕鯨」デモやらが行われたり、「非人道的な行いを、日本大使館に抗議しよう!」というビラが撒かれたりするのです。
日本国内にいれば、海外で日本をターゲットにした「反捕鯨キャンペーン」が繰り広げられようが、何てことないのです、そもそもそんなことは日本では報道されませんから。
ところが、現地に住んでいたらどうなるか?
「外国」に住む日本人だとどうなるか?
日本にいたら遠い話であった、捕鯨やイルカの追い込み漁や太地町のことが、逆に、俄然、自らの答を求められる身近な問題になってしまうのです。


「反捕鯨キャンペーン」なんかが詳しく現地のテレビで放送されたりしたら。
以下、ドイツに住んでいた自意識過剰な私の例です・・・。

いつも歩く町を歩く時でも、何故かビクビク。
私が日本人だとわかると、何か言われるだろうか、非難されるのではないだろうか?
何と言っても、ドイツ人、自然保護意識がハンパじゃないし。
よく行くスーパーのハム売り場のでっぷり太ったドイツ人のオバサンは、やたら政治や国際ネタが好きで(私はJR福知山線脱線事故のニュースを、遠く離れた異国ドイツでこのオバサンから聞いて知りました!)、彼女は絶対にこのネタで絡んできそうだから、今日はあのスーパーには行きたくないなあ。
案の定、プライベートレッスンを受けていたドイツ語の先生から、
「あなたは、捕鯨について賛成か?反対か?」「日本人は本当に鯨の肉を食べるのか?」
と、質問の嵐だったし。
子供を学校(インターナショナルスクール)まで迎えに行けば、数人で話しているママたち(欧米人)の目が、心なしか冷たく感じられる。
近所の人たちも、我が家が「日本人」ということはわかっているから、どう思ってるんだろう?
残虐な捕鯨をする、超野蛮人と思われてるんじゃないだろうか?
まさか今の時代、ドアにドクロの絵とか描かれたりしないよね、でもここは、かのドイツだから・・・。
向かいの家の奥さんは、ノルウェー人って言ってたけど、いいな、ノルウェー人だと外見では同じ白人だから。


↑ こ〜んな感じなんですよ。
それまで「日本は捕鯨を継続すべきか否か」なんて考えたこともなかった人間が、遠い外国でこの問題をいきなり突きつけられるのです。
日本では捕鯨なんて無関係だった人間ですら、「捕鯨をする国日本から来た日本人」ですからね、海外では。
誰だって、海外で祖国日本のことを褒められれば、嬉しいですし誇らしい気持ちになります。
その反対に、日本と日本人が非難されるとツラい、特に「残虐である」と言われると、かなりこたえます。
在外邦人の数は120万人(こんなに多くの日本人が海外にいるとは!)だそうですが、滞在している地域の差はあれ、気持ちは同じだと思います。
そしてこれは他人事ではなく、明日あなたも海外赴任の辞令が出るかもしれませんし、あなたの家族が仕事や留学で海外に住む可能性は大きいのです、何たって120万人ですから。

そんな在外邦人の中には、チキンな私なんかと違って、やたら勇ましい日本のオジサンもいます、大概は現地に進出した日本の企業のエラい方なのですが。
そういう方は、日本人だけの集まりの場では、
「『反捕鯨』とか言うけれど、欧米人の方がずっと野蛮なんですよ。十字軍とか滅茶苦茶やりたい放題やってますからね。彼らは、自分たちのことは棚に上げて、経済的に成功した日本人のことばかりあげつらう。私は言ってやりたいですよ、『オマエらの方が、よっぽど野蛮人だ!日本人は平和を愛する文明人だ!』とね。」
とか、大和撫子のご夫人方がいるせいか、勇ましくていらっしゃるのですが、その野蛮な欧米人も数多く出席している場所では、「お〜う、りありぃ?はっはっはぁ〜」なんて、野蛮人相手に相好を崩してぺこぺこしちゃってますからね。
今回のケネディ氏の発言に対して、同じことをやっているオジサンいましたね、この方。
インディアスの破壊についての簡潔な報告 池田信夫 blog
ケネディ駐日大使の自民族中心主義 池田信夫 blog
池田信夫氏とあろうものが(?)、私のような「市井のオバサン」が見ても幼稚でしかない反論をしているなんて、驚きです。
前述の「十字軍」と同様、キリスト教徒が新大陸で行った残虐な行いをあげつらってどうするのか?
本気で論戦する気なら、相手はそれこそ歴史的にはまだ記憶に新しい、日本軍が第二次世界大戦中行った捕虜虐待やら中国大陸で行った蛮行やらを山ほど挙げてくるでしょう。
この問題は、そんな水掛け論になるレベルの問題ではないことを、池田氏は気付いていないのか、気付いているけどわざと幼稚な反論をしているのか(←な、はずない)?
ケネディ氏の日本語のtweetRetweetしている方々の内容の頂点にあるものが、この池田信夫氏の発言だと思いますが、池田氏にしても、これをケネディ駐日大使の前で主張できるのでしょうか?
本人の前で主張は出来ずに、「お〜う、りありぃ?はっはっはぁ〜」になってしまうのだとしたら、いたずらに若者を煽るようなこの発言はなされるべきではなかったと思います。



BBC放送に、どういうスイッチが入ると「反捕鯨キャンペーン」になるのかわかりませんが、ただ一つ言えることは、これは一過性の問題ではないのです、年に2〜3回、執拗に行われる、ということです。
日本人である私が、「人の噂も75日」でそろそろ皆が忘れ始めた頃かな〜、と思った頃に、また始まるんですね。
以前のエントリー、イギリスはヨーロッパではないにも書きましたが、「反捕鯨キャンペーン」の火元は大概イギリスです、再度申し上げますが、これは日本在住の日本人に是非覚えておいて頂きたいことです。

私の解釈はこうです。
第二次世界大戦が終わって70年が経とうとしているのに未だに「VJ-Day」(対日勝利記念日というものがあるイギリスです。
「対日」ですよ、「今再びの日英同盟」なんて言っているアホな日本人いますけど、おめでたいとしか言えません。
「VJ-Day イギリス」でちょっとぐぐって頂ければわかると思います、日本では決して報道されないイギリス人の対日観を、日本人でイギリスに住んでいらっしゃる方が沢山書いています。
日本人には何故かイギリス贔屓の方が多いのですが、これは大きな勘違いというか、少なくとも片思いであると私は思います。
イギリス人は、このVJ-Dayでもそうですし、同じくRemembrance Day(これについても前掲のイギリスはヨーロッパではないに書きましたが)というのもそうですが、嘗ての大英帝国であり落ちぶれても尚、老練な外交大国のイギリスは、毎年「対日勝利記念日」を祝うことによって、絶えず日本にメッセージを送っているのです。
捕鯨キャンペーンも同様です。
何故イギリス政府は、「もう戦後70年も経ったのだから、いい加減に日本を名指しした戦勝記念日は廃止しよう」とも、「反捕鯨で日本だけをターゲットにするのはやめよう」と言わないのか?
を、日本人は考えてみなければならないのです。
イギリスが日本に執拗に送っているメッセージとは何か?
それは、こういうことではないでしょうか。
「日本は、第二次世界大戦中に、我がイギリスの将兵に非人道的な残虐な仕打ちをした。それによって、多くのイギリス人将兵が命を落とした。イギリスは戦争に勝利し、戦後年月が経ち、日本は復興し経済大国になったが、我々イギリス人は、そして勿論日本人自身は過去の事実を忘れてしまってはいけない。我々は、過去の日本が行った残虐な仕打ちは許したけれども、忘れてはいない。」
ということでしょう。
VJ-Dayの日、BBCでは、第二次世界大戦中、骨と皮に痩せこけたイギリス人捕虜が泰緬鉄道建設現場で働かされている映像が延々と流されたりして、否が応でも「日本人は残虐である」、もしくは「日本人は残虐であった」というメッセージを感じずにはいられません。
捕鯨キャンペーンでも同様で、映画「The Cove」(見ましたが、色々と問題がある作品だと思います)の映像とか、日本の捕鯨船の甲板にずら〜っと並んだ鯨とかが、これでもかと映されて、同じメッセージ「日本人は残虐である」を感じます。
こういう報道がなされる中で暮らしていると、それぞれ個々の人間として海外で暮らしていると言っても、やはり「日本人は〜」「日本は〜」という大きな見方からは逃れられないのであり、大袈裟に言うと、遠く離れた故国日本の政府の一挙手一投足が、海外に住む日本人の安心や不安に直結する、ということです。



そして、この「日本人は残虐である/あった」というメッセージは何のためなのか?
大英帝国の栄光が遠いものになった今もなお外交だけは老練なイギリスは、極東の日本にまで目を配り、日本を牽制しているのです、あらゆるレベルにおいて。
第二次世界大戦間に、イギリスの将兵が日本軍の捕虜になって蒙った数々のことが、余程腹に据えかねる、というか、イギリス史上最大の屈辱であったことのでしょう。
先の大戦での日本人の残虐行為を思い出させることによって、「軍事的レベルで日本が存在感を持つことは許さない」「日本が右傾化することは許さない」と、絶えずねちねちと牽制しているのです、イギリス人。かなりの執念深さだと思います。


今回のケネディ駐日大使のtwitter上の発言は、同じ構図なのではないでしょうか?
日本の一地方の小さな町のイルカ追い込み漁を、駐日大使が唐突に「深く懸念」してみせることは、何の目的なのか?
キリスト教徒はもっと蛮行を働いている」という低レベルな反論などは当然予想していたでしょう(著名なコラムニスト池田氏がこのレベルで反論してくることは予想していなかったでしょうが)。
大体、駐日大使という立場の方が、脈絡も何もなく、唐突に、日本の海辺の小さな町のイルカ追い込み漁を「深く懸念している」とtweetしたのは何故なのか?ということに関して、イルカの肉を食べたこともなく、追い込み漁が何たるかも知らないのに、「牛や豚を食べるのはいいのか?」とか「内政干渉だ」と頭を沸騰させていないで、冷静にもっと深く考えてみるべきではないでしょうか?
このtweetは、大金持ちのセレブであるアメリカ人オバサンが自然保護意識に目覚めてちょっと言ってみたもの、とは全く違うんですよ。
「米国政府=USG」が次の文の主語なんですよ!
良いか悪いかは別にして、アメリカらしい手順の踏み方なんじゃないでしょうか?



昨年の10月に、アメリカは、極めてシンプルな練習問題を日本に出しました。
それは、
「ケリー国務長官ヘーゲル国防長官が、揃って『千鳥ヶ淵』(『靖国神社』ではなく)で戦没者に献花する」
というものです。

入試ならば「サービス問題」とも言えるこのシンプルな問題に対して、日本政府が最低でも合格点数が貰える解答は、
「首相は靖国神社参拝を見送る」
でしたが、ご存知の通り、安倍首相は、
靖国神社に参拝」
という、アメリカから見ると、最悪の答案を提出してしまいました。
この問題に対する答の中で、最高点が与えられるべき解答は
「安倍首相が『在任中は靖国神社に参拝しない』と明言し、千鳥ヶ淵のみで献花する」
もしくは
「新たに戦没者の追悼施設を作ることを明言する」
だったのでしょう。
それが、事もあろうに、日本では26日でしたが、アメリカでは、キリスト教徒にとって家族で過ごす一年で一番大事な日であるクリスマス当日12月25日に安倍首相は靖国神社を参拝したのですから、アメリカ政府は、この出来の悪い生徒の対応に頭を抱えたに違いありません。
アメリカから「こんな簡単な問題も解けないのか?!」と落第生の烙印を押されてしまったんだと思います、安倍政権。
(ついでに、中国では「毛沢東生誕120周年」のその日ドンピシャだったのですが)

しかし、寛大なアメリカ人、大事な同盟国政府をたった一度の失敗で「落第」と判断してはいけない、と思ったのでしょうか、違った角度からもう一度日本に練習問題を出してきたのですよ。
それは、兄弟国であるイギリスがやってきた手法です、捕鯨の問題に見せかけて、日本政府にメッセージを送るというものです。
それが、今回のケネディ駐日大使のtweetなのではないでしょうか?
で、落第寸前の我が安倍政権の菅官房長官は何と解答したかというと、

官房長官 記者会見での発言

先ずイルカを含むこの鯨類は、重要な水資源であって、科学的根拠に基づき持続的に利用すべきというように考えています。
イルカ漁業は我が国の伝統的漁業の一つであって、法令に基づき適切に実施されているものと考えています。
またイルカは国際捕鯨委員会の管理対象外であり、各国が自国の責任によって管理を実施することと致しております。
まあ、いずれにしろ、アメリカ側に対して日本の立場を説明していくこととしたい、このように考えています。

いわゆる「問題文の読み間違い」であり、添削されるとしたら「問題文をよく読みましょう!」と赤ペンが入る答です。
駐日大使が、USG=アメリカ政府という言葉を出して、わざわざ日本の一地方の漁法についてtweetするはずがないじゃありませんか。
これはイギリスがやっているのと同様、「日本人は残虐である」というイメージをイルカ追い込み漁にことかけて公にちらつかせて、日本に
「どういう行動をとるべきか、どういうステイトメントが求められるのか、まさかちゃんとわかっているよね?」
という問題文を投げかけたんじゃないでしょうか。
では、合格点を貰える解答とはどういうものでしょうか?
先ず、合格答案に絶対に入れなくてはいけない要素は、
「日本人は残虐な国民ではない。自然保護意識、動物愛護意識を十分に持った国民である。」
という自己アピールでしょう。
官房長官の解答には、この要素が全くありません。
一方、日本の文化を「深く懸念」されてしまったのですから勿論日本政府として一言反論しなければなりませんが、それをどの位の割合でブレンドするか、ここが最大のポイントです。
「日本のごく一部の地方で行われているイルカ漁業は伝統的なものであるが、世界的な関心が高まる自然保護と動物愛護の精神も今後考慮しなくてはならないと考えている」
という塩梅にするか、
「世界的関心が高まる自然保護と動物愛護の精神は十分尊重しつつ、日本のごく一部の地方で行われているイルカ漁業の伝統もまた守るべきものと考えている」
という塩梅にするか、それこそが、菅官房長官の腕の見せ所であったのですが・・・日本と日本人のイメージを一ミリたりとて向上させるような答弁でもなく、在外邦人120万人の置かれた立場を一ミリたりとて考慮する答弁でもありませんでした。。
それどころか、「クール・ジャパン」や世界無形文化遺産の和食が一生懸命押し上げてくれている日本のイメージに、冷水をかけるが如きのものでした。


アメリカが出してきた、決して難しくないシンプルな問題を、二度までも全くハズしてしまった、安倍政権。
「救いようがないヤツ」、とアメリカに思われているんじゃないかと・・・。


今朝の朝日新聞に載っている、ケネディ駐日大使の独占インタビューも読みました。
今回の、イルカ追い込み漁に関するtweetについては、

ここ数週間、私や大使館に多くの手紙やツイート、メールや電話が寄せられました。米国は1972年から海洋哺乳類を保護する政策をとっており、それをはっきりと示すことが大事だと考えました。


とあったので、私はますます、件のtweetは、単に気まぐれに為されたものではなく、赴任したばかりの日本の国民から批判されることを承知で日本政府に送ったメッセージだと思いました。
安倍政権が、これほどわかりやすいアメリカのメッセージを読み取れないのならば、また、アメリカのメッセージを下敷きに日本の国益を最大限に組み立てることが不能なのならば、更に、日本の国益を守るための最低限のレトリックさえ使えないのならば、元々意味不明な「積極的平和主義」など、国際社会でどこの国に理解してもらえるのか、落第生の独り相撲でしかありません。



ただ、私は、安倍政権の帰趨なんかよりも、もっと心配してしまうことがあります。
それは、ケネディ駐日大使へのRetweetの数々に図らずも垣間見えてしまった、ナショナリスティックな日本人の心情です。
ケネディ大使も、(彼女からみたら友好国であり同盟国である)アメリカの大使に対してここまでの、激しい感情的な批判は予想していなかったと思います。
激しい反対意見のretweetが、逆にアメリカ政府にますます「日本は右傾化しつつある」という警戒感を抱かせることになるかもしれません。
日本が好き、日本の文化が好き。それは日本人として当然です。
けれども、それは逆ギレして「牛や豚を食べるのは残虐ではないのか?」と他国の食文化を攻撃することではありません、日本人だって牛や豚は食べてるんですし、そもそも鯨やイルカなどは食べたこともない一般の日本人がここまで逆ギレする、その感情の元は何なのでしょうね。
また、他国の遠い過去の残虐行為を挙げつらうような幼稚なことをするべきでもありません、過去において、残虐行為なしに戦争や内戦を経てきた国はないのですから、ブーメランのように日本にも返ってくるだけです。
今回の騒動を受けて、太地町関係者の発言として、以下のようなことが報道されていました。

「ここは小さな田舎町でほかに大きな産業もない。来ればわかると思う。多くの漁師がこれで生計を立てているし、ほかにもたくさんの人が加工工場などで働いている」、「現実を見てほしい。生あるものを屠殺しているので、ありがたくいただいている」と語った。また、「より人道的な屠殺を行っている。脊髄を切断するから血もでない。昔のような屠殺はしていない」とも述べている。
AFPBBニュース


21世紀の日本で、「イルカ追い込み漁は伝統文化」と言い切って疑義も批判も受けつけない姿勢も問題だと思いますが、「イルカ追い込み漁以外に大きな産業がない田舎町であること」だけがイルカ追い込み漁の「大義だとしたら、それは、今までの政治や行政の怠慢であり、これからの政治や行政によってどうにか出来ることではないのでしょうか?
逆ギレする発言をされている方々は、太地町が「大きな産業がない田舎町」だから、これだけ世界中から批判されてもイルカの追い込み漁を続けることに関しては、どう考えているのでしょうか?今のままでよいと?
そういう方向には議論が進んでいかず、駐日大使の発言にただただ逆ギレする、硬直した世論の方を心配してしまいます。
そういう議論を進めることは、「日本が好き、日本人が好き、日本文化が好き」という気持ちを損なうことでは決してありませんし、在外邦人120万人のみならず、日本人全体が誇りを持てる日本になる道だと思うのですけどね。

ケネディ駐日大使の今回の発言に、一般人のみならず識者や政治家までが、殆ど「逆ギレ」反応を示したこと、私はこれこそを「深く懸念(Deeply concerned)」するものです。