クリスマス疲れから、日本のお正月を取り戻す!  「和食」のユネスコ無形文化遺産登録に寄せて


去る12月5日に、我が日本の「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたそうです。

それ自体はとてもおめでたいことです。

農林水産省のホームページ*1に出ている、

ユネスコ無形文化遺産に登録申請した「和食;日本人の伝統的食文化」とは

という説明には、

「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」を、「和食;日本人の伝統的な食文化」と題して、ユネスコ無形文化遺産に登録申請しています。

とあり、また、

・正月などの年中行事との密接な関わり
日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。

なんだそうです。

しかし。
ユネスコ無形文化遺産になった目出たさはさておき、日本における「和食」は、果たしてこの文言通りの現状なのでしょうか?

安倍首相がオリンピック招致のプレゼンでぶち上げた「The situation is under control.」という言葉が福島原発の現状を表していないのと同様、実際の日本における「和食」文化は、実は崩壊しつつあるというのが現状ではないでしょうか。
料亭や高給割烹の話ではありません、個々の家庭での話です。
特に私が物申したいのは、「正月などの年中行事との密接な関わり」です。この点に関しては、ユネスコ及び世界に対して大見得をきれないのではないでしょうか、日本人。


折しも、今日はクリスマス・イブです。
小さな子供がいる家庭の主婦にとっては、12月はまさに毎日が戦場です。
大掃除とクリスマスとお正月の準備で、風邪をひいている間もありません。
先ず、スケジュールが目白押し。
幼稚園や、子供会や、習い事先でのオフィシャルな(?)クリスマス・パーティー
プライベートでも子供の友だちとそのママたちと「持ち寄りクリスマス・パーティー」、ママ友だけでの忘年会も兼ねた「クリスマス・ランチ」、天皇誕生日の祝日でもある23日に家族、友人を招いてのクリスマス・ディナー。
手作りで焼くクッキーもケーキもクリスマスのデコレーション。「持ち寄り」のオードブルやサラダも赤と緑でクリスマス・アレンジ。日本の主婦の料理能力と感性のレベルはとても高いので、これしきのことは当然です。
お料理以前に、11月の下旬からは、家中がクリスマス・テイストで飾られます。大きなツリーを飾るのは当然のこと、玄関ドアにはクリスマス・リース(手作りが望ましい)、クッション・カバーやテーブルクロスなどは全てクリスマス・プリントのものに変え、外から見える窓には、サンタクロースとトナカイのシールを貼って、部屋のコーナーにはクリスマス・グッズを並べ、クリスマス柄のナプキンやタオルは元より、カップやお皿などの食器もクリスマス柄を揃えて、クリスマスを待ちます。
デキる主婦だとアピールしたいのならば、一羽丸ごと焼いたローストチキン!お客様にも出すとなると、3 キロ超のものをオーブンにぶち込んで3時間近く焼かねばなりません。
「えっ?一羽丸ごとのローストチキンを焼くなんて、特別な家庭だけじゃないの?」とおっしゃる皆様、クックパッドをご覧くださいませ!日本の主婦の底力、裾野レベルの実力の高さがおわかりになると思います。素人の主婦だけで、しかもキリスト教国ではないのに、これだけのレシピ(どれもがかなり本格的)を投稿している国なのです。
クックパッド以外でも山ほど、日本人による「一羽丸ごとローストチキン」のレシピがネット上で見られます。そして、これは勿論、ローストチキンは「和食」ではありません。

クリスマスって、かくの如く、準備や手配についつい熱中してしまう類いのイベントなのです、それは否定しません。
私も嘗ては、上記に挙げたことを全てやっておりました、若き頃(遠い目)。
しかし。
ここに大きな問題があります。
それは、クリスマスとお正月の間が近過ぎて、体力も財力も、ついついクリスマスに吸い取られてしまって、ユネスコ無形文化遺産である「和食」、中でも「年中行事」としては最も重要であるはずのお正月やお節料理にかける体力、財力がなくなってしまうこと、です。
最近では12月に入ると、スーパーではクリスマス用の食材と、お正月用の食材が平行して売られていますが、デフレ不況に入る前は、12月24日の閉店までは、「ジングルベル」や「ホワイト・クリスマス」の店内音楽を狂ったように鳴らして、クリスマス用の鶏やらケーキやらを売っていたと思いきや、翌日25日の朝、その同じスーパーに行ってみると、あら不思議、一夜のうちに商品を入れ替えて(店員さんの機動力と苦労が偲ばれます)、売り場はお節用品一色でした、店内音楽も、琴の音も雅な「春の海」がぽろろ〜ん、って感じで。
本当はおかしな話なんですよね、だって本当のクリスマスって25日なんでしょう?
でも、日本人にとって、否、正確に言うとクリスマスをお商売として見ている人たちにとっては、24日の閉店時間までが「クリスマス」なんでしょう。
それは今でも変わっていません。クリスマス当日の25日には既にクリスマス・コーナーは撤去されています。
寧ろ平成になって12月23日が天皇誕生日で祝日になってしまったので、不敬の輩(キリスト教に対しても、天皇陛下に対しても)である我々日本人にとっては、祝日である23日にクリスマス的行事は済ませてしまって23日でクリスマス終わり!という、「何のこっちゃ?状態」になっているのが現状です。
日本人のクリスマスが23日に終わろうと、24日に終わろうと、それから大晦日・元旦までは一週間!です。
先ずクリスマスツリーを片付けて、その他家中のクリスマス臭を消し去らなければなりません。
「和食」を愛する日本人の繊細な美意識は、「六日の菖蒲、十日の菊」でございますから、旬を一日でも過ぎると、あれだけ情熱を込めて飾り付けしたものでも、一刻も早く片付けてしまいたいものになるのですね(欧米では、そのまま1月までツリーが平気で飾られていますが)
それだけでも重労働なのに、お節料理の買い出し、調理に入らなければなりません。
大掃除だってあります。12月の初旬に早めにお掃除していたとしても、クリスマスにケーキ焼いたりチキン焼いたりしたら、レンジもオーブンも換気扇もギットギトです。
そして、肝腎のお節料理は、黒豆、数の子、田作り、昆布巻き、きんとん、なます、たたき牛蒡、お煮しめ ・・・etc 加えてその土地その土地でお節に加えるメニューもあり、実際の作成作業は勿論、買い出しからして大変です。
大変ですけど、何たってユネスコ無形文化遺産に登録もされる「和食」、そのなかでも「自然の恵みである「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。」と登録理由にあるお節料理ですから、日本の主婦(主夫でも可)たるもの、一年中で一番腕によりをかけて料理・・・と果たしてなっているでしょうか、平成のお節料理?
早いところだと10月の下旬、普通なら11月の終わりには、デパートやスーパー、ネットで、出来合いのお節料理を「予約」して終わり!、になっていないでしょうか?
ユネスコ無形文化遺産の「和食」の中でも、肝心要のお節料理が、家庭での手作りではなく業者に外注、ってマズくないですか?
それだけではありません。
美しく盛りつけられた出来合いのお節料理ですが、これの問題点は、大抵の場合12月31日に配送され、賞味期限が1月1日である、ということ。そして、例えば3つ盛りつけてある昆布巻きが3つとも食べられてなくなったらそれで終わり、ということです。
何でもその昔、と言ってもそんなに昔ではありません、コンビニがない時代で、デパートやスーパー、一般商店、ファミレスを含む飲食店がお正月三ヶ日は休業していた時代には、「三ヶ日はおせち料理を食べるもの」でした。
私も子供の頃は、お正月も3日になると、お節に飽きてしまって、「カレーが食べたい!」(←レトルトカレーのCMに大いに影響受けてました!)とか駄々こねていましたね。
その当時だと、例えば昆布巻きやお煮しめも3切れだけ作るというわけではなくお鍋いっぱい作ってストックしておくわけですから、重箱の中の盛りつけられた昆布巻きやお煮しめがなくなっても、またストックから補充されるので、それを食べきってしまうまで、お正月は「お節料理」を食べていたのでした。
そもそもお節料理とは、「お正月に女の人が立ち働かなくてもいいように、大量に作っても日持ちがするものになっている」だったらしいです。
それが今じゃ、業者に外注した出来合いのお節料理を元旦に一度だけ食べて、後は普通の食事(カレーやピザやハンバーグ)に戻る、ということになっています。
これがバレると、ユネスコ無形文化遺産取り消されたりしませんかね?


こうなってしまっているのには、様々な理由があると思いますが、私は、日本における「クリスマス」の存在が無駄に大きいのではないか、と思うのです。

戦後、アメリカから日本に入ってきた商業主義的クリスマスが、ここに来て究極の形、即ち食品だけではなく「クリスマス」に紐付けして売れるものは全て「売らんかな」状態になっています。
1年のうちで最も効果がある販売促進の一環なのです、日本のクリスマス。
本来の宗教的意味合いでの「クリスマス」を考えてみる、ということは、日本では商売上はタブー、触れてはいけないことのようです。
キリスト教徒が人口の1%しかいないと言われている日本ではそもそも「クリスマス」を「祝う」に相応しい日本人は、ほんの一握りしかいない、という事実もタブーのようです。
聖書を一行だって読んだことがない日本の子供たちは棚ぼたで当然のようにプレゼントをサンタクロースからだけではなく、祖父母からも幾つも貰い、カップルは身分不相応な高価なプレゼントを交換し身分不相応なレストランでフランス料理を食べおまけに身分不相応な高級ホテルで一夜を過ごし(「クリスマス・キャロル」のスクルージ爺さんもびっくりの強欲)、パテやらフランスパンやらスモークサーモンやらローストチキンやら◯ンタッキーフライドチキンやらが家庭の食卓に並ぶ日本のクリスマス。

今年は奇しくも伊勢神宮出雲大社の両方で遷宮が行われた、「神の国」(by 森喜朗元首相)日本が、国を挙げて異教の祭りに狂奔して、国民がクリスマスに財力と体力を吸い取られてしまうので、結果、お節料理は出来合いのものになり、元旦から営業するコンビニやスーパーやデパートがそれを補っているのです。
元旦から営業するためには、正月早々家族を家に残して働く正社員だけでなくパートの主婦も動員しなければなりませんから、尚更、年末にお節料理を手作りして、それをゆっくり家族で味わうということは、到底無理であり、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録申請した理由の一つである「日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである『食』を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。」なんて、絵空事でしかなくなってはいないでしょうか?


こんな状態で、「和食」がユネスコ無形文化遺産になったと喜んでいてよいのか?


クリスマスとお正月の順序が逆ならば、まだマシだったかもしれません。
先にお正月に全力投球して、余力でクリスマスを楽しむとか。
もしくは、中国や台湾、ベトナムシンガポールのように、お正月を旧暦で祝うのならば(←この方が「新春」という感じがしますが)、まだマシだったかもしれません。
それだとクリスマスが終わって旧暦のお正月まで一ヶ月以上ありますから、クリスマス疲れで疲労の極みの日本の主婦も何とか体勢を立て直して、お正月に臨めるでしょうから。
しかし、運命の悪戯なのか、アメリカ由来の商業主義に全面降伏したせいなのか、お正月という、本来は日本人にとって最大のイベントであるはずのものが、日本の伝統とは何の関係もないクリスマスのせいで手薄になってしまっているのです。
SUSHIが海外でブームになったり、和食のお店がミシュランに載ったり、ということだけで、「日本の伝統文化である『和食』は素晴らしい!」と喜んでいる場合なのか?こんな現状なのに、ユネスコへの申請理由には、虚偽がないのか?


12月の初めに、デパートの家庭用品売り場に行く機会があったのですが、「ここは日本なのか?」と思ってしまうほど、欧米のデパートも見劣りするくらい、センス良く見事なクリスマスのテーブルセッティングが並んでおりました。
クリスマス柄の食器やテーブルデコレーショングッズも溢れており、大勢のお客がそれらを買い求めておりました。
そして一応片隅には、お正月を意識したテーブルセッティングや、漆器、焼き物のコーナーもありました。
1年に一度しか使わないという意味では「クリスマスツリー」と一緒ではあるのですが、持っていない家庭が殆どだと思われる塗りの屠蘇セット、お節料理が詰められるはずの重箱、普段使いとは違う蓋付きのお椀、お目出度い柄の取り皿、干支をあしらった杯、縁起物をあしらった箸置き。
日本で作られた、素晴らしい美意識に裏打ちされたそれらの商品を手に取って見ている人はまばらです。
11月になるかならないかくらいからさんざん「クリスマス!クリスマス!」と煽られているので、どうしても「クリスマス用品」に先に目が行き、そういった「お正月用品」は後回しになってしまうのですよね(←経験者は語る)。
でも。
本当は本当は、ちょっと背伸びして高価な塗りのお重を買ってそれにお節料理を詰めて家族で元旦を迎え、そしてその習慣を重箱共々将来子供に伝えたり、毎年干支の食器を揃えていってお正月に楽しむ、というとかいうことをしなければならないのでは?と思うのです。
「日本の伝統工芸を守る」とかいうのなら、尚更。
日本各地で作られた◯◯塗りのお重やお椀やお箸、◯◯焼きのお皿や箸置き、を、外国の高級ブランドのクリスマス限定柄の食器を買うより先に揃えるべきなのに、クリスマスのせいで(?!)財力と気力と体力が回らないのです。


ユネスコ無形文化遺産としての「和食」を守るために、ここまで蔓延した「クリスマス」に対処するとしたら、クリスマス禁止!しかない、というのは極端として、「クリスチャン以外の日本人は、クリスマスを祝ってはいけない」とか、「クリスマスグッズを購入する際には、『クリスチャンである』という証明書を見せること」とするとか、でしょうかね(非現実的)?
最近暮らし辛くなりつつある日本ですが、痩せても枯れてもまだ「信教の自由」はあるはずなので、クリスチャンの方々が宗教的行事を祝うのは何の問題もありませんし、クリスチャンであり同時に日本人なのですから、クリスチャンである日本人の方々がお正月を祝うことも何の問題もありません。
っていうか、大多数の日本人の気持ちの問題なのです。
キリスト教の信仰を持たない人間が、祝日だからって(それも天皇誕生日!)、12月23日あたりに、何故鶏の丸焼きやら◯ンタッキーフライドチキンやケーキを食べなくてはいけないのか?
ユダヤ教徒の人たちは頑なくらいクリスマスなんて祝いませんし(当たり前といえば当たり前)、アラブ諸国イスラム教徒の人たちだって同じだと思います。
伝統や宗教をどう考えているのか、それを子供たちにどう伝えているのか、という問題だと思います。
近隣の国のことを云々するくらい愛国心が強いのならば、またそこまでいかなくても「和食」がユネスコ無形文化遺産になったことを日本人として喜ぶのならば、日本人がこの先も子供たちに伝えていくべきものは、何なのか?と考えてみてはどうでしょうか?
子供たちに伝統として伝えていくべきは、宗教心のカケラもなく、伝統に裏打ちされたものでもない、ただ商業主義に乗らされているだけのクリスマスなのか、それとも、クリスマスの一週間後にやってくる、「和食」の原点とも言うべきお節料理を家族揃って一年の初めに食べるお正月なのか。


これから大晦日にかけての一連の労働から逃避したくて、長々書いてきましたが、何を隠そう私も昨日23日に、天皇誕生日のニュースを見ながらローストチキンを食べ、イブの今日は、もう朝からクリスマス関係の飾りをせっせと片付けている、典型的(?)日本人です、本当のクリスマスは明日の25日なのに。

朝の連ドラ「ごちそうさん」などを見ていると、クリスマスがない時代(大正時代)の日本では、「師走」の忙しさの中にも、お節料理の準備をしながら、ゆっくり一年を振り返り新年に思いを馳せる、時間と財力と心の余裕があったのだと思う、2013年クリスマス・イブ。