ユーミンの歌が流れない時代  酒井順子著「ユーミンの罪」を読んで 雑感


ユーミン聴いて青春過ごした世代なので、大変面白く読ませて頂きました。

が、今この歳になってユーミンを聴くことは、精神衛生上極めてよろしくないのと同様、大変重い読後感でした。

ユーミンは今年でデビュー42周年だそうです。
どれだけの時間、私の人生でユーミンの歌が流れていたでしょうか。
古くからのファンからも彼女の子供ほどの年頃のファンからも「荒井由実」でも「松任谷由実」でもなく、60歳の還暦を迎えた今も尚「ユーミン」と呼ばれる彼女と彼女が作ってきた時代について書くとしたら、「負け犬の遠吠え」の著者酒井順子氏をおいては他にいないですし、その期待を裏切らない著作でした。
酒井氏は、こう言います。


 ユーミンは女性達にとっての、パンドラの箱を開けてしまったのです。ユーミンという歌手が登場したことによって、成長し続ける日本に生きる女性達は、刹那の快楽を追求する楽しみを知りました。同時に、「刹那の快楽を積み重ねることによって、『永遠』を手に入れることができるかもしれない」とも夢想するようになるのです。
 日本の若い女性達にそのようなうっとりした気持ちを与えたのは、ユーミンの大きな罪です。刹那と永遠、両方を我が手に抱こうとした女性が大量に出現したことは、世の中にも少なくない変化を与えたのだと思う。
 今思えば、ユーミンが見せてくれた刹那の輝きと永遠とは、私達にとって手の届かない夢でした。しかもその時、それらはあまりにも甘く、魅力的に見えたのです。歌の世界に身を委ねることによって、私達は今よりももっと素敵な世界に飛んで行くことができましたし、未来もずっと「今よりももっと素敵な世界」が続いていくように思えたのですから。

つまり、ユーミンが歌っていた世界は幻影であった、ということです。
都会を舞台にしたお洒落な恋愛や失恋、彼氏と行くスキーやサーフィン、ラグビー選手の彼氏、恋人が遠距離にいても都会のオフィスで頑張る私、etcというキラキラした快楽の「刹那」を積み重ねても、人生の「永遠」の幸福には辿り着けないと、同時代の歌としてユーミンを聴いてきた世代、around40=アラフォー、around50=アラフィーが、今2010年代に至ってわかってしまった、と。
「たかびーである」「歌唱力」以外に、批判される要素がない強固なキャラを築き上げているユーミンと、彼女が歌う歌の世界観に関して、はっきりと勇気ある指摘をしたのは、酒井氏ならでは、でしょう。
バブル期には毎年毎年記録的なセールスを上げ、その頃から続いている苗場プリンスでのコンサートには、未だに大勢の中年の男女(「ポロシャツの襟を立てている人もいれば、脱いだセーターを肩にかけている人もいて、まるで80年代みたい」と酒井氏に言われちゃっていますが)がやってくるという、一種の教祖様的な地位にまで登り詰めたユーミンですが、要するに、念仏を上げているだけでは極楽へは行けないことに気付いた信者が出てきたのです。

ユーミンに対しては、「いい夢を見させてもらった」という気持ちと、「あんな夢さえ見なければ」という気持ちとが入り交じる感覚を抱く人が多いのではないでしょうか。かく言う私も、その一人。ユーミンを聴かずにもっと自分の足元を見ていたら、違う人生もあったかもね、とも思います。


ベストセラーも出して成功した作家である酒井氏をして言う「違う人生」とは、卑近なレベルで言えば、「結婚して、子供の一人も二人もいる人生」のことなのだとしたら、実際ユーミンの罪」は深いと言えましょう。
また大きく世の中を眺めれば、女性の晩婚化、それに伴う少子化、そして何よりそういう犠牲を払ったのに未だ女性が働く環境が整っていない、という現状にも、ユーミンの歌は寄与していると言えるかもしれません。
それほどに、ユーミンの歌と存在は、怖いほど時代とリンクしてきたのです。


この本は、書き下ろしではなく、「小説現代」の連載に加筆されたもので、1973年のデビューアルバム「ひこうき雲」から、1991年の「Dawn Purple」まで20枚のアルバムをピックアップして、アルバム毎に章立てで、アルバムが発売された当時の世相や酒井氏個人の思い出が綴られています。
それぞれの章の中の曲に関しての酒井氏の卓越した分析は(シチュエーションソングの名曲「Downtown Boy」を「チャタレイ夫人の恋人」になぞらえているのには、感動のあまり爆笑させて頂きました!)、実際に本を読んで頂くとして、この本一冊読了した不肖わたくしが、酒井氏の分析を使って、「ユーミンの罪」ならぬユーミンの大罪」についてまとめてみたいと思います。

先ず、ユーミンが、自身が歌う歌の中の女性の生き方について、以下の1〜3の要素を、同時に、または断続的に詰め込んだことが、「大罪」に値すると申せましょう。


1.「男にしがみつかない」女性を歌ったユーミン
ユーミンは、それまでの演歌やフォークソングに歌われた「男にしがみつく」女性像とは違って、恋愛に関して「男にしがみつかない」強く前に進む、「ダサくない」女性を歌いました、否、正確に言うと、そういう女性像を新しく創造し、女性を励ましたのです。しかし、それは同時に従来の演歌&フォークソング的女性がやっていた「なりふり構わず男にしがみついて」「男とつがいになるためには手段を選ばない」という、ユーミン的には「ダサい」生き方を否定することになった結果、女性から結婚を遠ざけた、と酒井氏は言います、

「男にしがみつかない女」は、確かにダサくはありませんでした。が、客観視の結果として見えてしまうダサさを怖れるあまり私達は、野太い生命力のようなものを失った気もするのです。


つまり、ユーミンの歌を聴いて「男にしがみつかない女」になることを学んだ女性は、それとは真逆の、ダサかろうが演歌だろうが男にしがみついて「結婚」を勝ち取り、人生をばく進していく、なりふり構わぬ「野太い生命力」を失ったのです。
このトラップの恐ろしさは、年月をかけて、ボディブローのように効いてくることです。
一番生命力が充溢している時期が過ぎてしまってから、その時期だけに許される野太い生命力の眩しさに気付くことになったのです。
そして、その虚しさや後悔の念については、ユーミンは何も歌ってはくれないのです。



2.「恋愛/結婚よりも仕事」を選ぶ女性を力強く後押ししたユーミン
14章で採り上げられているアルバムタイトル「DA・DI・DA」(1985年リリース)を、酒井氏は「女の軍歌」アルバムと呼んでいます。その中の「メトロポリスの片隅で」という曲について酒井氏いわく、

 そう、これは男に未練を持たない、潔い「Single Girl」を礼讃する歌であり、そんなSingle Girlへの応援歌。今までどれほど多くの女性が、男と別れた翌日にも会社に行って仕事をしなくてはいけないという時、この歌を聴くことによって自らを奮い立たせたことでしょうか。
 そして、私は、このアルバムが出た当時、男と別れる度に「メトロポリスの片隅で」を聴いて「仕事をがんばろう!」という気になっていた若い女性達こそが、いわゆる負け犬の潮流なのではないかと思っています。仕事という拠り所がなければ、独りでいることの寂しさに負けて、彼女達はあっさり結婚したのではないか。


そしてアルバムの最後の曲、「たとえあなたが去って行っても」という歌は、最初から最後まで勇ましいテンションで、最後のサビに入る前には進軍ラッパよろしく高らかなトランペットの間奏が入り、コーラス付きで歌われるという、まさに軍歌なのですが、歌詞の内容はといえば、男性が結婚を提示して自分についてきてほしいと言ってきたのに対して、自分を曲げてあなたに従うくらいなら別れる、という道を選んだ「Lonely Soldier」(「兵士」!)である女性の歌です。
それまでの日本の若い女性も、そして彼女たちを歌う演歌もフォークソングも、「好きな男からの結婚の申し込みを断って、仕事を選ぶ」という状況など、先ず「想定外」でした。「ボクについてきてほしい」と好きな男性に言われれば、それこそが「幸せゲット!」であり、自分の仕事なんか問題ではなく喜んで彼についていったものでした。ユーミンの歌「たとえあなたが去って行っても」の中で歌われる、その状況をひっくり返す女性達は「Soldiers」であり、彼女達を励ます歌は「軍歌」である、と、酒井氏は鋭い指摘をしています。

 この歌を聴いて励まされた人は、たくさんいることと思います。どうして男に唯々諾々と従わなくてはならないのか。私達はもっと「自分」を大切にしてもいいのだ、と。勇壮に響くトランペットは、そんな女性達の気持ちを鼓舞したことでしょう。しかし、アルバム発売から四半世紀以上たってから聴く私の耳には、そのトランペットの音色は、世の中の女性達が晩婚化への道を突き進むことを促進する伴奏のように聞こえるのです。(中略)
 私を含め、メトロポリスの片隅において、ユーミンの歌を聴いてテンションを上げた女性はたくさんいるはずです。(中略)
 「DA・DI・DA」におさめられているような女の軍歌をユーミンが歌ったことによって、我々が気分よく独身のままでいられたという事実はあるのではないか、と私は思います。
 独身の私は、今でも「メトロポリスの片隅で」や「たとえあなたが去って行っても」を聴くと、ついつい尚武の精神が湧いてきて「そうそう、もっと遠くへ一人で旅を・・・」などと思ってしまうのですが、次の瞬間我に返り、「あの頃とは年が違うことを思い出せ!」と自らを諌めるのでした。

3.しかし一方で、「助手席に座る女の子」「サーフィンやスキーやラグビーをする彼を見つめる女の子」を描いたユーミン
ユーミンの歌には、都会のお洒落なデートの小道具として、今じゃ「若者の車離れ」と言われているほど若者の物欲を掻きたてない「車」がよく出てきますが、歌のヒロインは殆ど例外なく「助手席」に座っているのであり、ハンドルを握るのは恋人である男性です(私の能う限りの記憶を総動員しても、女の子がハンドル握っているのは、「DANG DANG」くらいしか思い浮かびません。)。「コバルト・アワー」「中央フリーウェイ」「ナビゲイター」「潮風にちぎれて」「埠頭を渡る風」「Corvett 1954」・・・どれも、女の子は助手席です。
酒井氏はこれをユーミンの歌における助手席性」と呼んでいます。
自分自身のことを「助手席評論家」と言っていることから、ユーミン自身免許を持っていないのではないか疑惑もありますが、単に「免許を持っている/持っていない」ではなく、酒井氏が言っているのは「男性に運転を任せて、自分は助手席に座る女性」ということです。
酒井氏は、これは決して「自主性がない」ことを表しているのでは全くなく、寧ろ逆で、「どの車の助手席に乗るかは自分で選ぶ権利があった」と言っていますが、同時に、バブル直前の1978年(「流線形80」リリース年)あたりから、保守的で男性受けする(男性にもわかりやすい)ニュートラだのハマトラだののファッションが流行したことと同じく、男性に対して「あなたのハンドルを決して奪ったりはしませんよ」という、保守的で、男性の領分を決しておかすことがない「良き助手席体質」の女性をユーミンは多く描いているとも言っています。
また「助手席体質」と同じく、ユーミンの歌に出てきてブームになったサーフィンもスキーも、歌のヒロインは、自らボードに乗って沖へ漕ぎ出したり雪の斜面を滑降したりはせずに、自分は浜辺やロッジから彼氏を見ているだけ、なのです。それを酒井氏は、「つれてって文化」と呼んでいます。
「No Side」のラグビーが更にそれに加わります。要するにサーフィンやスキーやラグビーのスポーツとしての本質などどうでもよくて、「バドミントン部とか少林寺拳法部」のような地味なスポーツではなく、「サーフィンやスキーのようなお洒落なスポーツをする男性や、ラグビー部やアメフト部のレギュラーである男性の彼女である自分」に陶酔する歌だと言うのです。
そして、それは、酒井氏に、心理学者の小倉千加子氏による「短大生パーソナリティ」という言葉を思い出させます。一流企業に就職を望むけれども、それは総合職としてキャリアを積むためではなく、結婚したら専業主婦にならせて貰えるだけの経済力を持った男性と出会うためである、という傾向です。「男にしがみつかない女」を「女の軍歌」で歌い上げた同じユーミンが、真逆のクレドである「短大生パーソナリティ」を「つれてって文化」を「助手席体質」を肯定する歌を歌うのです。
自分では決してハンドルは握らず、自らが動いて旬の場所へ足を向けるのではなく「つれてって」もらうだけ、そして「彼氏が◯◯をするのを見つめるガールフレンドである私」に自己満足・自己陶酔できるシチュエーションソングが、実はユーミンには幾つもあります。
酒井氏は、実際の世の中の女性達のメインストリームは、この「短大生パーソナリティ」と「つれてって文化」と「助手席体質」であることを熟知していたユーミン巧みなマーケティングを指摘しています。実際はマジョリティである彼女たちの心理に訴える歌を多量に作ったからこそ、巨大なセールスに繋がったのだと。
女性の生き方の文脈とはズレますが、
・パワースポット巡りなどがブームになる以前からのユーミンの歌のスピリチュアルな世界
・携帯電話やPCが普及するのとシンクロしたIT時代の恋愛
・「女子会」という言葉がなかった頃からの「女に好かれる女」戦略
・これまた「ストーカー」という言葉がなかった頃からのストーカーもどきの「女の業」
全てが時代の半歩先を行っていたユーミンの歌ですが、これもまた彼女の感性というよりは、巧みなマーケットセンスの賜物だったのではないかと、今では思えます。


歌っていうのは、宗教の伝道にも使われるように、何度も何度も聴いているうちに、教祖様の教えが知らず知らずのうちに浸透していきます。
何が「大罪」と言って、上記の1,2と3を振り子のように行ったり来たりしながら、曲を介してリスナーである若い女性に吹き込んだことですね。
1と2だけなら、まだマシでした。3だけでも今よりはマシだったかもしれません。
1と2は似たようなものです。男性と同様、女性も仕事を人生の核に据えていこうとするのならば、断固として1と2の路線で行かねばなりません。それだけの本気を見せなくてはなりません。「メトロポリスの片隅で」という軍歌を歌いながら、恋人との別離もものとはせずに腰を据えて仕事に励む女性達が入社後10年、否、30歳までそうやって働くところを見せれば、最初は女性の総合職をどうやって扱ったらいいのかわからなかった会社の側こそが腰が座って、女性の総合職も男性と同様に扱えばいいのだという当たり前のことがわかって、2014年の今、もっと女性が働きやすい環境になっていたかもしれません。ところが、「メトロポリスの片隅で」が入っているアルバム「DA・DI・DA」は、男女雇用均等法制定の年と同じ年にリリースされているのですが、勇ましい軍歌を歌っていたはずの女性総合職「Soldiers」は、10年どころか5年も持たずいつの間にか会社を辞め(酒井氏も総合職で入った広告代理店を3年で辞めたそうです)、女性にも男性と同様開かれたはずの職場は、気がつけば「国破れて山河あり」になっていたわけです。
ユーミンの歌を聴いてかどうかは別にして「都会の高層ビルのオフィスでバリバリ働こう!」と思っていた女性は、「都会で高学歴で」という層ですから、日本国全体から見ると、元々マジョリティではありません。また、長らく「男性から一歩引くのが女性」「男性を立てるのが女性」という教育を受けてきたのですから、生粋のSoldiers体質でもない女性も多く、幾分かの「助手席体質」があったり、「都会で高学歴で」というのはそもそもお嬢様ですから、専業主婦が当たり前の母親の世代からのプレッシャーもあり、早々と、次々と、討ち死にしたわけです。
では、3でユーミンの「助手席体質」ソングのまま一般職で入社して、経済力のある男性と結婚し念願の専業主婦になった、マジョリティである「助手席体質」「つれてって文化」「短大パーソナリティ」の女性達はどうなったのでしょうか?「ラガーマンの彼女である私」に自己陶酔したまま、人生が進んで行くはずはないんですよね。子育てが一段落した時期が不況の真っただ中、家計の足しに働こうとすると、これまた「助手席体質」の会社阪である「パートタイム」でしか働く場所がありません。同じ時間、同じ仕事をしても、又しても、ハンドルは握れず、行き先も決められない「助手席」なのです。彼女達は、新たなる、強制された「助手席」に自己陶酔はできません。

ユーミンは、実に罪深い影響力を及ぼしているとは思いませんか?
男女雇用均等法制定は1985年ですが、それから実に30年も経つというのに、ユーミンを聴いてきた世代の女性達は、上の世代に比べて、社会で重要なポジションを獲得したでしょうか?
世の中は、Soldiersやら助手席体質やら全てひっくるめた女性達にとって、良き方向へ進んだでしょうか。
私は、30年という短くはない年月をかけたにしては、惨憺たる現状だと思います。
ユーミンを聴いてきた世代の女性達は、「バブル世代」と持ち上げられても、それは「財布の紐がユルい」と商売のターゲットにされているだけです。均等法制定から30年経っているのですから、30年前に入社した第一期の総合職の女性達が働き続けていれば52歳。大企業の役員・部長クラスにもっと女性がいてもいいはずですが、実際は全くそうではありませんし、役員どころか管理職さえ希少な状態です。女性総合職のトップランナーが少ないので、結婚して子供ができても働ける環境も30年経ってもまだ出来上がっていません。子供が出来ても働ける環境がないので、逆に若い女性には「専業主婦願望」が多いという、何とも拗じくれた現象が起きている有様。

時代と歌がリンクしているって、恐ろしいことです。
あの時代、あれだけアルバムが売れたのです。
都会の女子大生で、ユーミンを聴かない人なんていませんでした。当時、「ヘビメタが好き!」と言っている子ですら、「隠れキリシタン」ならぬ「隠れユーミン(他人に公言はしていないが、こっそりとユーミンを聴いて歌に浸っていること)でしたからね。
また、酒井氏のこの本には取り上げられてはいませんが、ユーミンの歌には、「ヤンキー」と親和性がある曲も沢山ありますから(名曲「よそゆき顔で」など)、日本津々浦々で、学歴とは関係なく、ヤンキーの文脈(都会でなく高学歴でもない)でも、あの時代、ユーミンは多くの女性に聴かれたのでしょう。
「たかが流行歌」と侮らないでください。当時はiTunesiPodもありませんでしたが、カセットで聴くウォークマン(時代が・・・)がありました。毎日通勤時に、アルバムからカセット(後に一時的にMDになりますが)に録音されたユーミンの歌が聴かれたということは、「門前の小僧習わぬ経を読む」状態になりますよ。プロパガンダは繰り返されれば、繰り返されるほど、浸透していくのです。
バブル期に就職して今企業の幹部として残っている希少な女性たちも、同じ時期に就職したものの「寿退社」して専業主婦になったマジョリティの女性たちも、青春時代は、同じくユーミンの歌を口ずさんでいました。
もしユーミンの歌があの時代に存在しなかったら?
と、想像しようとしても、私には想像できません。じゃあ他の何を聴いていたのか?恋愛や都会での生活に関して何を指針にしていたのか?何が時代的にカッコ良くて何がダサいのかを、どうやって判断していたのか?全く想像ができないのです。
それほどユーミンの歌は、毎年出されるアルバムによって波状攻撃的に若い女性の心に浸透していたのだと思います。

酒井氏の本に沿って今改めて俯瞰してみると、ユーミンの歌とは、あの時代を生きた大勢の女性に対して、片方では「男にしがみついて結婚をゲットするのはダサい」「自分を曲げて結婚するよりも、自分の道を行く方がカッコいい」と煽りつつ、「助手席で彼をサポートする自分もいいかも」と真逆のメッセージを送ったものでした。
これは、どちらか片方のメッセージを強力に発信するよりも、数段タチが悪い。
結局、ユーミンのデビューから40年近く、均等法制定から30年も経って、女性が置かれている状況は、「永遠の幸福」とはほど遠いものですし、世の中も、晩婚化と少子化が極限まで進んでいます。
冒頭で紹介した、酒井氏のユーミンに対する感慨、

ユーミンに対しては、「いい夢を見させてもらった」という気持ちと、「あんな夢さえ見なければ」という気持ちとが入り交じる感覚

まさに、これに同感します。
夢から醒めて、「ユーミンの罪」を超えてどこへ行くのかは、今度はユーミンの歌抜きに考えなくてはならない私達なのです。





さて、同じくこの「ユーミンの罪」についての著名人の書評から、「これは酷い!」と私が感じたものを二つ挙げておきます。
一つ目は、

『ユーミンの罪』私たちは恋愛資本主義を超えられたのか:常見陽平 アゴラーライブドアブログ

著名な「人材コンサルタント」とやらの常見陽平ですが、酒井氏と年齢が一回り違うせいなのか、まるでわかっていないのです、「ユーミンの罪」を。

最初に、酒井順子さんに言いたい。あなた、相当、ユーミンが好きだろ。


↑ 私が酒井氏ならば、この文章読んだ瞬間、頭にかけた薬缶が沸騰すると思います。
「好き」とか「嫌い」じゃないんだってば!
70〜80年代に青春を過ごし、ユーミンの歌をリアルタイムに聴いていた世代にとっては、ユーミンの歌は「好き/嫌い」なんかのレベルではないんですよ、宗教だったんです。
イスラム教国に生まれた人が、コーランを毎日聞くように、あの時代は、ユーミンの歌がコーランだったのです。
バリキャリを目指していても、腰掛け就職&寿退社を目指していても、ヤンキーで箱乗りしていても、時代を流れている歌はユーミンだったのです。
それがわからない人(特に男)にとっては、こんな皮相的な書評しか書けなくて、それでいて「私たちは恋愛資本主義を超えられたのか」という、看板に大偽りあり!のタイトルをつけるところだけが、さすが「人材コンサルタント」の真骨頂というべきか。

ユーミンは「女の業」を「肯定」しつつ、「甘い傷痕」を残してきたのだ。

もっとも、読み返してみて、これだけ日本人が恋愛に一生懸命だった時代があったのかと感じた次第である。若い世代はユーミンをどう聴くのだろうか。この本をどう読むのだろうか。大変に興味がある。

ユーミンは『女の業』を『肯定』しつつ、『甘い傷痕』を残してきたのだ。」という一文は、本の帯の表と裏に書かれているキャッチコピーをくっつけただけのものですから、念のため。
肝腎の「罪」についての見解はこれっぽっちもありません。
更に、「これだけ日本人が恋愛に一生懸命だった時代があったのかと感じた次第である。」っていう、読解力ゼロの的外れな感想。
酒井氏が言っているのは、それとは全く反対のこと、「恋愛よりも自分を大事にする女性を歌ったのがユーミン」ということでしょ?
彼についていくよりも自分らしさを失わないことを選ぶ女性、恋愛そのものに陶酔するのではなく◯◯な彼を見守る自分に陶酔する女性を歌ったのがユーミンなんですけどね。
流し読みで書評が書ける本もあるかもしれませんが、この本はその類いの本では決してない、ということが、常見氏の「書評」を見るとよくわかります。
あ、ちなみに、「若い世代がユーミンをどう聴くのだろうか」に関しては、若い世代は「サウンドが古い」「ありえないくらい歌が下手」で一蹴(ソースは我が家の子供たち)、じゃないでしょうか。


二つ目は、前社民党党首、福島瑞穂

福島みずほのどきどき日記「ユーミンの罪」(酒井順子著)を読んで

ですが、これがまた酷い!
そもそも、選択的夫婦別姓を唱える福島氏なんですが(私は、彼女の政治的信条には、何ら共感するものはありません)、
松任谷という名前カッコいいから、松任谷由実の名前で出しちゃおう」「私の美意識では松任谷由実となるのがすごく合っていたのかもしれないね。名前も重みがありっぽいし」*1
と、夫婦別姓どころか、旧姓「荒井」から「松任谷」にあっさり変えちゃった、女の見栄丸出しで、由緒ある名前に聞こえることを承知の(現に、夫君松任谷氏は親族に経済人、芸術家が多い名門「っぽい」)玉の輿願望の女もどきの、保守的な考えの持ち主であるユーミンをここまで持ち上げちゃって、そしてずっとユーミンを聴いてきた、と言ってしまっていいのでしょうかね、社会民主党の前党首の方が?
福島氏自身は、パートナーである弁護士、海渡雄一氏とは事実婚で、勿論名前は旧姓の「福島」のままですが、「海渡」の方がカッコいいから、と「海渡」に名前変えちゃいそうなのが、ユーミンなんですよ?
それなのに、

私は20代をほぼユーミンの歌と共に過ごしました。テープやCDで聴いたり、家の中で、ユーミンの歌を流しっぱなしにして、勉強したり、読書をしたり、仕事をしたり、家事をしたりしてきました。ユーミンの歌を聴くと、ポジティブに肯定的に元気になる。人生なんとか前向きに生きていける、とてつもなく人生前向きに生きていける気になる歌でした。


まさに、「ひぇ〜〜〜!」ですよ。
朝まで生テレビ」で、社会民主主義的発言をされていた同じ頃、ご自宅ではテープやCDで「ユーミンの歌を流しっぱなし」にしていたって、どれだけ人格が分裂しているんですか?
っていうか、あれだけコーラン、失礼、ユーミンの歌を聴いても、彼女のメッセージが正しく福島氏に伝わっていないことそれ自体が驚きです。

助手席の女ではなくて自分がやるのだというように、 10代から思っていた私はそこは少し合わなかったところかもしれないんですが、でも揺れる女の子たち、女性の自立と助手席と両方欲しいという感じも上手く描いています。


「少し合わない」どころじゃないでしょーが!と思いますよ。
福島氏が弁護士として、また政治家として奮闘しても、日本の女性の地位がまだまだ低く、働く女性の環境は全く改善されていないことの元凶は、男女雇用均等法成立に逆行して、助手席体質の女性を大量生産してきたユーミンの歌なんじゃないでしょうか。
助手席の女は、いつまで経っても助手席の女なんですよ、元々彼女達は「女性の自立」なんて欲しいと思ってなかったわけですし。
ところが、助手席の女は、結婚して専業主婦という助手席を手に入れたのはいいけれど、子育てが一段落して今度はささやかな報酬を得て家計の足しにしたいと思っても正社員ではなくパートという助手席しか与えられないのですが、「両性平等社会」を理念の一つに掲げる社民党におかれましては、そういう助手席体質を煽った歌なんて、天敵と言ってもいいくらいではないのでしょうか?

ユーミンがソフトなフェミニズムと言うと変だけれど、女の子をいろんな形で励ましてきたんじゃないか。


↑ これほどの誤読があるでしょうか?ユーミンの歌に関する誤読と、「ユーミンの罪」(「罪」ですよ、「罪」!)というタイトルのこの本に対する誤読!
この脳天気なまでのねじ曲げ方、これは、「自衛隊を改変・解消して非武装の日本を実現する」*2のと同様のねじ曲げであり、だからこそ、友党であるドイツやフランスの社民党が政権を担っているのとは大きく違って、日本の社民党は政権どころか存続さえも危ぶまれている状況なんだと、私は勝手に得心しましたね。
枝葉末節的な揚げ足は取りたくないのですが、福島氏のカラオケでの愛唱歌は「赤いスイートピー」(「呉田軽穂」というふざけた名前でユーミンが作詞した松田聖子の代表曲の一つ)なんだそうですが、その歌詞の解釈が、これまた脳天気なねじ曲げ方なのです。

私はカラオケで「赤いスイートピー」をよく歌うのですが、「あなたについて行きたい」、女の子がちゃんと私を口説いてよーって気弱な男の子に思っているんだけれども、でも、私はあなた連れて行きたいと歌う。それは演歌的な「ついて行きます」ではなくって、羽の生えたブーツで飛んで行くっていうわけだから、そこはポップで、軽くて、また力強いところもある。


ぶりっ子全盛期の松田聖子が歌ったこの曲の歌詞には、どこにも「私はあなた連れて行きたい」という歌詞はないんですよ。「羽の生えたブーツ」は、ひたすら繰り返される「I will follow you.」のためのもの。これぞまさに「演歌的な『ついて行きます』」を、英語にしただけなんですけど。
まあ、選択的夫婦別姓を唱えている方が、「I will follow you.」と歌うっていうのもお立場的にどうなんでしょう?
ここまで自分に都合がよい解釈をされると、福島氏の他の議論も疑ってしまって当然ですよね。

実は、数年前に、福島瑞穂社民党党首をめぐる雑感という、福島氏に関するエントリーを書いたことがあるのですが、今更ながら過大評価だったかも、と深く反省しております。



さて、最後に。
全くの偶然なのですが、青春時代からユーミンのアルバムが出る度に買っていた私が最後に買ったアルバムが、酒井氏が最終章で採り上げ、酒井氏自身もこのアルバムを最後にユーミン断ち」をしたという、1991年リリースの「Dawn Purple」でした。
思えば、ユーミンのアルバムを買うと言っても、最初は「レコード」で、途中の数枚は「カセット」で、そして「CD」になったのはどのアルバムからだったか。
最後に買ったアルバム「Dawn Purple」の1曲目は、「Happy Birthday to You〜ヴィーナスの誕生」です。
この曲について、酒井氏は、

タイトルだけ見ていると、バースデーソングのように思える歌なのであり、1991年当時の私も、歌詞をあまりよく聴かず「誕生日の友達にカラオケで歌ってあげる歌ではないか」と思っていたフシがある。
 しかし今、ちゃんと聴いてみると、これは何と出産の歌なのでした。


と言っているのですが、私も全く同じです。出産の歌と気がついたのは、その後生まれた娘を抱っこして、暇つぶしにこのCDを流した日曜日の昼下がりでした。
リアル出産の実況中継なのです、この歌。
私が当時思ったのは、
「ここまでリアルに出産について歌っているということは、もしかしてユーミンは秘かに子供を産んだのではないか?それも女の子?」
ということでした。
酒井氏は、当時この歌の歌詞「前へ 前へ 前へ進むのよ 勇気だして」という部分を、

赤ちゃんが産道を「前へ 前へ 前へ」と進むべきなのに、我々は六本木通り青山通りを、前へ前へと進む行進曲代わりにしていたのですから。


と「誤聴」していたことは認めていますが、この歌のことは「早すぎた『出産の歌』」としか看做していません。
しかし、その後ネットの力を借りて私が推論するのは、これは親友小林麻美氏に対して捧げた歌ではなかったでしょうか。
80年代、「いい女」の筆頭格であった小林麻美氏ですが、1991年に突然引退発表、事務所社長との間に既に子供が生まれていることがわかり世間を驚かせましたが、未だに伝説的な女優&歌手です。
彼女が引退したのはこのアルバムが出た年1991年ですから、出産は少なくともそれ以前。
元々、この「Happy Birthday to You〜ヴィーナスの誕生」は、小林麻美氏が1987年に出したアルバム「Grey」に収録されていた「遠くからHappy Birthday」という、ユーミンが彼女のために書いた曲が、原曲になっています。
この原曲は、ユーミンのよくある「元カレ」ソングで、レストランで偶然元カレの誕生日に出くわす、というシチュエーションです。
その曲のメロディーをそのまま使って、歌詞だけが「出産の歌」になっているということは、これはユーミンから、出産した「Dear Frend」小林麻美氏を讃えて送った歌なのだと思います。
その小林麻美氏も、今やユーミンと同じくアラ還(アラウンド還暦)で、お子さん(歌詞とは違って男の子らしい)も、もうとっくに成人なさっているようです。
この「Happy Birthday to You〜ヴィーナスの誕生」を除いて、妊娠や出産、子育て、山あり谷ありもしくは平凡で冗長な結婚生活を歌う歌は、ユーミンにはありません。
また、人生の折り返し地点である40歳を過ぎたあたりから感じ始める老いやら死(それは「ひこうき雲」のような美しい死ではありません)について歌う歌もありません。
ましてや、バタバタと同期や後輩の総合職の女性が辞めていくなか、「これが天職」と思い定めて仕事を頑張る40歳女性への応援歌も、もうユーミンは歌いません。

酒井氏は、あとがきの中で、

ユーミンが描くキラキラと輝く世界は、鼻先につるされた人参のようだったのであり。その人参を食べたいがために、私達は前へ前へと進んだのです。
鼻先の人参を、食べることができたのかどうか。それは今もって判然としないところなのですが、人参を追っている間中、「ずっとこのまま、走り続けていられるに違いない」と私達に思わせたことが、ユーミンの犯した最も大きな罪なのではないかと、私は思っています。

嘗ては、女の軍歌を歌い上げ、助手席体質も女子会もストーカー傾向も全て肯定してくれたユーミンは、その後、信者を地上に残したまま、制作費が30億円を超えるという豪華なコンサートツアーやら、スピリチュアルな「永遠ソング」やら、という高みに上っていきました。
晩婚化、少子高齢化が進んだ下界では、崖っぷちまできてやっと、女性たちが自分自身で「前へ前へ」進むことを始めました。
男女雇用均等法制定から実に30年の時を経て。
ぶら下がった人参を追うのではなく、自分たちの速度で、ユーミンの歌が流れない時代を。

*1:エッセイ『ルージュの伝言松任谷由実著からの引用

*2:社民党ホームページより http://www5.sdp.or.jp/vision/vision.htm