年末年始に読んだ、駄本3冊 「その女アレックス」「33年目のなんとなく、クリスタル」「フランス人は10着しか服を持たない」

2014年〜2015年の年末年始、本なんか読んでる場合じゃない忙しい中、貴重な時間を割いて読んでしまい後悔している駄本を3冊紹介したいと思います。
年末年始じゃなくても、よほどおヒマな方以外には全くオススメできない本ばかりですが。


先ず1冊目は、「その女アレックス」(ピエール・ルメートル著 文春文庫)

その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス (文春文庫)


1月11日の朝日新聞の読書欄「売れてる本」でも取り上げられていました。

確かに後半に読者を打ちのめすのは、過酷な真実だけでなく、この女性が心に秘めた壮絶な思いである。

と、評者の瀧井朝世氏は書いているのですが、こんなの信用したらダメですよ!

「売れているらしいから」「数々の賞を受賞している作品だから」と、安易に「購入する」をクリックしたり(←これは私)、書店で平積みにされているこの本の「逆転、慟哭、そして感動。今年最高の話題作! 第1位! 週刊文春ミステリーベスト10」という派手な赤い帯につられてふらふらとレジに持っていったりしないことを、心からご忠告申し上げます。
先ずは、Amazonのカスタマーレビューの、星1、星2の方のレビューをじっくり読んでからになさってください。
本の帯にある「逆転、慟哭、そして感動。」ですが、「逆転」はともかく、「慟哭」と「感動」はこの本を読了した感想としては全くありえないものだと、私は断言できます。

ミステリーなので(一応)、ネタバレは避けますが、この本は三部構成です。

第一部で、ヒロインは突然誘拐され酷い方法で監禁されます。絶望的な状況なのですが、ヒロインが脱出できるかどうか、感情移入してしまうのが読者の常でしょう。ましてや、「今年最高の話題作」なんですから。
第二部で、ヒロインの別の素顔が描かれます。この描写で、ヒロインへの感情移入はいとも簡単に断ち切られます。でも、本の表紙の裏に書いてある紹介では「物語は大逆転を繰り返し、最後に待ち受ける慟哭と驚愕へと突進するのだ。」とあるのですから、まだ期待は捨ててはいけないのでしょう。
第三部で、ヒロインの別の素顔のこれまた別の素顔が描かれます。しかし、これはここまで我慢して読み進めてきた手慣れた読者にとっては、「慟哭」でも「驚愕」でもましてや「感動」でもないものです。私の場合、ここまで忍耐強く読んできて、最後に思わず出た言葉は、「何これ!!!???」でした。

このメインのストーリーと共に、この誘拐事件を担当することになった警部の物語も並走するわけですが、ヒロインへの感情移入を諦めてこちらを辛抱強く読み進めても、これまた何の「感動」もありませんし、ヒロインの感情や状況との通底もありません。思わせぶりなだけで終わってしまいます。


そして。

「凄惨で汚らしい」
「下品」
「面白ければなんでもありのモラルハザードを招来しかねないこの様な手法」
「執拗なまでの汚い描写」
「そこまでの残酷さが必要な説得性がストーリー展開に全くない。」

↑ これは、Amazonの星1つのレビューからの引用です。
私が女性の読者だからでしょうか?
この「その女アレックス」は、私にとって「今年最高の話題作」どころか、激しい嫌悪感しか抱けません。
私は、同じフランスの作家、マンディアルグの諸作品、マルキ・ド・サドの作品、「O嬢の物語」が描く世界には抵抗がない読者ですが、「その女アレックス」のプロットや描写は、エロティシズムでもサディズムでもなく、作品と作者と出版社の、何か一線を越えた「下劣さ」しか感じません。
ヒロインのアレックスの背景が、多くの女性に共感できるものならいざ知らず、謎解き、種明かし(陳腐なオチです)は、極めて特殊な状況を根拠としています。
この本の様な描写も「表現の自由」だということは、理解しています、2015年1月7日を経た今、最もホットなトピックです。
しかし、この本が極めて下劣な本であると断言することも、表現の自由でしょう。
だからこそ、朝日新聞「売れている本」の欄での女性の評者、瀧井氏には失望しました。彼女の女性としての読後感を書いてほしかったですね、それは到底褒め言葉にはなりようがないと思うのですが。
この物語を男女逆転させ、アレックスを男性にして、同じ状況で誘拐されあの凄惨な状態で監禁された設定にして、オチも同じにしたとしたら、男性読者はどう感じるのか?を知りたいところです。

余談1: この本の帯の裏には、「読み終えた方へ:101ページ以降の展開は誰にも離さないでください。」と、さも意味深に書いてあるのですが、「101ページ」って第一部の中途半端な箇所なんですけど???この「101ページ」の意味がわかりません。

余談2: 我が家の年末の恒例行事、一泊温泉旅行(スマホ以外のタブレットやPCは禁止!)に、私が持参する本として選んだのがこの本でした・・・最悪!!!




2冊目は、「33年後のなんとなく、クリスタル」


分厚いけれど、中身スカスカ。
そんな予感は十分にしていたのですけど、その予感を確かめるため、そして、あの時代を生きた人間として「見届けねば!」という一種の義務感から、購入させて頂きました。

この「33年後」の体裁は、「由利」という女子大生モデルの一人称で語られた元祖「なんとなく、クリスタル」とは異なり、話者は「ヤスオ」という、筆者を思わせる(っていうかそのまんま)ちょっと前まで政治家もやっていた57歳の作家の男性に変わっています。
「元祖」で由利の恋人だった「淳一」という大学生のミュージシャンは、「33年後」では物語から追放され(ロスに移住、孫持ち)、それどころか、あろうことか、由利も、その他「元祖」に出てくる「江美子」や「直美」や「早苗」その他大勢も、実は程度の差こそあれ「ヤスオ」と仲良しだった、という驚きの設定になっており、オジサンの「いや〜、実はワシも昔はモテてね〜」の如くの見苦しい自慢っぷりです。
おまけにこのオジサンは、「ロッタ」という躾が全く出来ていないトイプードルを飼っているのですが、自分のことは「パパ」、妻のことは「ママ」という呼称で夫婦の会話をしています、「よしよし、ロッタ。いい子にしていてね。パパは少しお仕事するの。」(23ページのヤスオの台詞!)てな具合に。
この気持ち悪さは、この「33年後」全編にわたって見られるので、この手の会話が苦手な方には読み進めるのは苦行であろうと思います。

そして、ヤスオの語りで33年後の由利や江美子や早苗たち、年齢54歳近辺の紛う方なく中年女性の現在が描かれるのですが、これまた、「クリスタル」とは程遠いだけでなく、どれもこれもが薄っぺらいことこの上なし、なのです。
54歳ですよ、54歳!由利は独身のキャリアウーマン、江美子と早苗は子供が二人いる専業主婦、という、「元祖」から33年後、格差社会へと変貌した日本で今でも、経済的に至極恵まれた階層に属す彼女たちですが、都心の高齢化現象、市町村合併、地下鉄のバリアフリー、子宮頸がんワクチンなどの話題を巡る彼女たちの言説はいかにも薄っぺらく幼稚で、読んでいる方が恥ずかしくなるのですが、よく考えてみると、これはヤスオが作ったお話なので、薄っぺらく幼稚なのは彼女たちではなくヤスオなのだと思いました。
実際の50代の女性は、こんな薄っぺらではありません。一人一人がもっと凄味のある人生を送ってきていて、それに基づいた重みのある発言をするんですよ、それは若い女性には真似できないのですが、「33年後」の登場人物たちは、まるであの頃最強だった「女子大生」そのもの。
そして、彼女たちの近況に事かけて、これまた中年のオジサンであるヤスオの"記憶の円盤"とやらが回って、「ワシはこれもやった、あれもやった。」という自慢話が入るのが、本当にウザい。全然「クリスタル」なんかじゃないのです。
ヤスオに、年齢相応に大学生や高校生の息子・娘がいれば、こんなウザいオヤジの自慢話は彼らに瞬殺されて終わり!なんでしょうけど、トイプードルのロッタちゃんじゃねえ。

また、「元祖」では最先端のように見えた、ファッションやグルメの描写も、「33年後」では、食べログにも見劣りするレベルです。
「元祖」の構成では、本文よりも、斬新にして膨大な「註」が注目されたものですが、「33年後」も同じ構成をとっていながら、「註」の中身は最早二番煎じ以上の残念さでした。
思えば、「元祖」の方は、スカスカな文章は単に文章力がないだけなのか、それとも巧者が無駄を落として乾いた文体に仕上げた名文なのか、の判別がつきにくく、「もしかしたら、これは相当クールで現代的な文章なんじゃない?」と錯覚を起こさせるものであったのですが、「33年後」の冗長で贅肉たっぷりの文章を見ると、やはり江藤淳先生も誤読なさったのだと、改めて得心致しました。その江藤淳先生も、最晩年は奥様に先立たれ残念な最期を遂げられたことを思い出し、ヤスオ様の行く末も案じてしまいましたが。

それから、本の帯に寄せられたヤスオ、いえ田中康夫氏のお友達(?)の推薦文が、これまたポエムなんです。
浅田彰氏、斎藤美奈子氏、福岡伸一氏、山田詠美氏、等々の私が敬愛する方々が、それこそワインのボトル1本でも空けて理性を麻痺させてからじゃないととても書けないポエムで推薦していらっしゃいます。

「クリスタルボールの中で旋回する、私的な、また社会的な記憶の欠片。」(浅田氏)
田中康夫は何者にも増して、たえず言葉を紡ぐ人であり続けたのだ。」(福岡氏)
「33年の熟成期間を経て開くブーケが香る物語」(山田氏)


「クリスタル」どころか、頭痛しかしてきません。
同世代の義務感として読んだ「33年後」ですが、私としては、「44年後」(ヤスオ氏68歳)、「55年後」(ヤスオ氏79歳)、そして更なる後日譚を期待するしかありません。
今度こそ、「33年後」では描かれていない、クリスタルな老いや老後、そもそも大学を停学処分になった理由、そして艶福家のヤスオでありながら今回は全く触れられていない最初の夫人のことなど、枯れた境地で綴られるのではないか、と期待するから、です。





最後3冊目は、「フランス人は10着しか服を持たない」です。

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~

この本が駄本だという理由の第一は、この「フランス人は10着しか服を持たない」という日本語のタイトルが詐欺である!、ということですね。
原題は「Lessons from MADAME CHIC.」です、英語を習い始めた中学1年生に訳させても、こんな釣り同然のタイトルにはなりませんよね!
しかも、この日本語詐欺タイトルの主語の大きさ!「フランス人」ときましたからね、これだけで「怪しい」と気づくべきでした。
まあ、釣られる私が悪いのですけど。
書店で手に取って確かめずに、アマゾンでクリックしたのが悪いのですけど。
しかし、この本は、「売らんかな」の手法に長けた編集者がタイトルを意訳したというだけでは済まないのです。
意訳(のレベルを超えている)したタイトルが、本の内容と全く合致していません!
この本は、大いに看板に偽りあり、なのです。
p.63には、こうあります。

ワードローブは10着のコアアイテムを中心に構成される(2~3着なら多くても少なくてもかまわない)。この10着には上着類(コート、ジャケット、ブレザーなど)や、ドレス類(カクテルドレスイブニングドレス、昼用のドレスなど)や、アクセサリー(スカーフ、手袋、帽子、ストールなど)や、靴や、アンダーシャツ(Tシャツ、タンクトップ、キャミソールなど重ね着するものや、セーターやブレザーの下に着るもの)は含まない。 ※赤太字は引用者による


はあ?
読み間違いじゃありませんよね?文末は「含まない」ですよね?
全然「10着」じゃないじゃん?
しかも、シーズン外のものでしまっておくものは当然カウントしないわけで、じゃあ、何が「10着」なの?と思いますよね。
この「10着のコアアイテム」というのは、実は「フランス人」がやっていることではなく、この作者(実はアメリカ人!)が勝手にやっていることです。
作者が例示しているコアアイテムとは、単に今シーズン「旬」で頻繁に活躍しそうな服を10枚に限定しただけのものであり、前掲のように、この他に「上着類(コート、ジャケット、ブレザー含む)」「ドレス類」「アンダーシャツ(Tシャツ、タンクトップ含む)」は、何枚あってもお咎めなし、ということなんですね。

つまり、日本語のタイトルが途轍もない釣りであるだけでなく、内容と全く違うものなのです。

服が溢れるクローゼットに溜息をついて、何かの救済のようにこの本を手に取るとしたら、完全に裏切られてしまいます。


この本が駄本だという第二の理由は、これがアメリカ人の著者によるものである、というところです。

実はこれまでも、何冊もこの手の本を買って失敗しているのです、私。
「パリジェンヌ流〜〜」「パリ風オシャレの〜〜」という名前につられて買った本は数知れず。
オレオレ詐欺に何度も遭う高齢者の方を笑えません。
アマゾンで「パリジェンヌ」と検索しただけで、凄い量の本が出てくるところをみると、このジャンルは、私と同様オシャレに悩める乙女、おっと図々しいにもほどがありますね、オシャレに悩める中年女性の、癒し本として確立されているものなのかも。
まあ、「パリジェンヌ」「パリ」と付いている本を読んだからと言って、ファッションや生活が急にオシャレになるはずもないのですけどね。
しかし一方、確かに、これら「パリジェンヌ」本には、オシャレのヒントが全くないわけではありません。
有益な情報やアドバイスはあるのです、ただ、それが日本で、東京で通用するかどうか、が問題なだけで。
つまり、情報やアドバイスをフィルタリングする必要があるのです。
フィルタリングの方法には二つあって、

・本物のパリジェンヌが書いたもの(を翻訳したもの)を読んで、自分で「これは日本人でもできる、これはできない」と仕分けする
・日本人スタイリストやライターが何十回もパリに通い(中には住みついて)、彼女たちなりに日本人に合うものをフィルタリングして書いた本を読む

になると思います。
ところが、このタイトル詐欺の「フランス人は10着しか服を持たない」の著者は、ジェニファー・L・スコット氏という、カリフォルニア在住のアメリカ人です。
彼女が大学時代にパリにホームステイした時の経験を元にしたのが、この本なのです。

つまり、ファッションセンスでは褒められたものではないアメリカ人、
しかもカリフォルニア育ち、
しかも20歳になるかならないかの女子大生、
しかもたった1年のパリ滞在、
カリフォルニアに帰ってから「パリ出羽守」としてご活躍、
という著者によって書かれたものを、オシャレ偏差値では遥かに高い我々日本人が読んでどーする!ということなのです。


アメリカ人が、パリジェンヌのファッションや生活のノウハウをフィリタリング(実はあまりフィルタリングされていない)したものを、更に日本人である我々がもう一度フィルタリングしながら読むって???
そもそもアメリカ人の女子大生がたった1年間のパリ滞在で学んだことを本にしたものを、わざわざ日本人の我々が読む必要があるのでしょうか?
パリジェンヌに学びたければ彼女たちが書いた本を読んで直接学べばよいのですし、また、すでにスコット氏よりも遥かに高度なプロの目を持った日本人スタイリスト、ライターの方が日本人向けに書いたものもたくさんあるのですから。

カリフォルニアのパリ出羽守がファッションと暮らしについて書いてみた、というのがこの本です。


私がこの本を読んで興味をそそられたことは、オシャレのアドバイスなんかより、アメリカ人の節度なき食生活、です、以下引用。

カリフォルニアでは、わたしは一日中だらだらと間食をしていたから。クラッカーをつまんで、オレンジを食べて、しばらくしてクッキーを食べたら、こんどはヨールルト・・・・・。

パリで暮らす以前のわたしは、よくキッチンのカウンターの前に突っ立って、携帯電話を肩と耳のあいだに挟んだまま、いい加減な食事をしていた。もっとひどいときは、テレビを観ながら。いつの間にか食べ終わっても、食べた気がしなかったくらいだ。

でもじつは、パリで暮らす以前のわたしは、料理の盛りつけなんて、ほとんど気にしていなかった。

カリフォルニア育ちのわたしも、朝食が大事なことはわかっていたけれど、腹ごしらえができればいいと思っていた。だから朝食と言っても、ボウル一杯のシリアルかトースト1枚でおしまい。


だそうなんですよ。このアメリカ人のレベルと同じ読者にとっては、この本は有益かもしれませんが、大概の日本人女性は、この本の著者よりも遥かにダイエットや栄養学や料理の知識があるのではないでしょうか。


また、アメリカ人のオシャレレベル、というか、正確に言うと、カリフォルニアの女子大生である(あった)著者のオシャレレベルも驚くべきもので、これもこの本を読んで興味をそそられた部分ですね。
例えば、パリのホームステイ先にパジャマとしてこの著者が荷物に詰めたものが、「着古した白いスウェットパンツとTシャツ」で、スェットパンツは「ひざの部分に穴」が開いていて、Tシャツは「故郷の大学のTシャツ」で、著者はこれを着て、「貴族の末裔」であるホストファミリーの「アンティークの家具」が溢れるアパルトマンの中をうろうろ歩いているのですから、オシャレ以前のレベルです。



その後筆者は、パリのホームステイからアメリカに戻って、結婚し二児の母になり、「パリ出羽守」としてライフスタイルを売りにしたブログを開設しているようですが(←これも見ました、ビミョーです)、日本人読者の私としては、知っているようで知らないアメリカ人の赤裸々な食生活やファッション感覚を、是非この「フランス人は10着しか服をもたない」の作者であるジェニファー・L・スコット氏に書いていただき、編集者に素敵な日本語タイトルをつけていただきたいところです。

・・・今、初めてこの本のアマゾンのレビューを読んだら、賛否両論なのですが、私と同様、この本の欺瞞を綴っている方も多いので、日本女性の健全さを再確認して安心致しました。
その中で、思わず「座布団1枚!」と言いたくなったレビューを最後に紹介しておきます。

「10着しか持たないフランス人なら、こんな本は絶対買いません。先ずはこういう本を無視するところから始めてください。」



以上、年末年始に読んだ駄本3冊を紹介してみました。

今年2015年は、有意義な読書ができることを願ってやみません。