毎日新聞記者・須田桃子氏の「捏造の科学者」を読んでもSTAP細胞問題は見えてこない

前のエントリーで、駄本を3冊紹介したのですが、新年明けて読んだ今年第一冊目の本がこれまた駄本だったので、その残念さを改めて紹介します。
毎日新聞科学環境部の記者で、STAP細胞事件の記者会見でおなじみの(?)須田桃子氏による「捏造の科学者」

捏造の科学者 STAP細胞事件

捏造の科学者 STAP細胞事件


この本の帯には、黒地に黄色の文字で、

誰が、何を、いつ、なぜ、どのように捏造したのか?


と書かれていますが、この本には上記の「5W1H」ならぬ「4W1H」という新聞記者のイロハと言われるものなど、全く書かれていません。
それを期待してこの本を買うのなら、やめた方がいいですね。
この本に書かれているのは、

須田氏が、特ダネの記事を、いつの新聞・ウェブに、どのように書いたか。

という宣伝ですから。
ついでに、「他社(おもにNHK)にいつ、どのようにに特ダネを抜かれたか」、ということは書いてありますが。
この本を手に取る読者が一番知りたい、STAP細胞の捏造について「誰が、なぜ、どのように」ということに関しては、全く書かれていないのです。


科学者たちの不正を扱った名著「背信の科学者たち」

背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか?

背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか?

のタイトルをもじったかのようなこの本「捏造の科学者」(本家と違って「科学者」は単数のようですが)が先ず胡散臭いのは、ちょうど1年前のあの記者会見の時の3人の写真を表紙にしているところですかね。
あの輝かしい発表、派手な記者会見、マスコミや世間が飛びついた「世紀の発見」から1年。
たった1年しか経っていませんが、あの時脚光を浴びた若き科学者、「リケジョの星」小保方氏は、昨年の暮れ理研を退職。
満面の笑みで会見を仕切った笹井氏は、もうこの世にはいません。
それを思うと、どのような立場にあれこの写真を見る人は、複雑な思いを抱かざるをえないと思います。
それなのに、この二人に若山氏を加えた3人(1人は故人)が、手を重ねてポーズをとっている写真を「捏造の科学者」というタイトルである本の表紙に据える、という無神経な印象操作的なことをしておいて、「誰が、なぜ、どのように捏造したのか?」という問いに答えていないのは、ジャーナリストとして二重に卑怯な姿勢ではないでしょうか。
表紙や帯、そしてタイトルでは本の内容以上の意味合いを示唆して煽り、肝腎なことは思わせぶりな記述だけにとどめて安全地帯にとどまる、というのは、ジャーナリストの態度としてどうなのか?
っていうか、それがジャーナリストとしての須田氏の態度なのだと思いました。



この本には格段新しいことは書かれていません。
例の1年前の記者会見から始まって、昨年10月初めまでの一連の報道まで、をまとめたに過ぎません。
故に、昨年12月に記者会見が行われた、検証実験の結果についても、論文不正についての調査委員会の報告についても、全くフォローしておらず、極めて中途半端なものになっています。
なぜ、重要なこの二つの報告を取材してから本にまとめなかったのか、とても不思議です。
この問題を総括したものを書くとしたら絶対に外せないはずであり、それをせずにこのタイトルで本を書く須田氏のジャーナリストとしてのセンスがわかりません。
それらの結果(検証実験と調査委員会の最終報告)を踏まえずに書かれているので、この問題に関心があった人なら誰でもどこかで読んだことを単に時系列に並べただけのものになってしまっています。
寧ろ、新聞記者が書いたものにしては、時系列の整理が不十分だと感じました。
この本における「時系列」は、記者である須田氏自身の「時系列」になっています。
「いつ、こういう情報を得た」「いつ、こういう取材をした」「いつ、こういう記事を書いた」「いつ、こういう特ダネを書いた」「記者会見で私はこういう質問をした」という、ご自分の「時系列」です。
読者が求めているのは、「STAP細胞事件」そのものの時系列です。
その時系列は幾つかあります。
疑義が浮上してから全容解明までの解明の進捗の時系列、その間の理研や調査委員会の対応の時系列。
この時系列をわかりやすく読者に示すことが、先ずジャーナリストに求められることではないかと思うのですが、これらは、須田氏自身の取材や記事掲載の時系列に埋もれてしまっています。
また、解明された科学的事実を踏まえて、更にこの事件の真相、それこそ「誰が、何を、いつ、なぜ、どのように捏造したのか?」という読者の疑問に迫るためには、関係者の時系列を整理することが必須です。
小保方氏、笹井氏、若山氏、丹羽氏、バカンティ氏等、STAP細胞に関わった研究者の時系列、です。
その時系列を整理することによって、明らかになることがあると思うのです。
当初、バカンティ氏の下で実験していた小保方氏がアイディアを得て、小保方氏と若山氏の共著でまとめられ、欧米の科学雑誌数誌にリジェクトされた論文に、笹井氏や丹羽氏が加わり、主旨が変わり、追加の実験をし、遂にはネイチャーに採択された、という大きな時系列の中で、それこそ、「誰が、いつ、どこで、どのような役割を果たしていたのか?」ということに関しての個々の時系列の整理は、須田氏の書いたものには全くないと感じました。
この整理がないと、「どの時点で捏造が始まったのか?」ということが見えてこないのではないか、と思います。
最初の最初からフェイクだったのか、それとも外部からのプレッシャーによってある時捏造してしまったものなのか、大物共著者が加わり論文の主旨が変わったことが関係しているのか、科学雑誌への投稿が目的化してしまったからなのか、小保方氏をはじめ関係者のその時々の役割、研究環境を、時系列で俯瞰したもの、つまり、この本を手に取るような世間一般の人々ーー科学的素養は全くないけれどSTAP細胞問題には関心がある人々ーーが、最も知りたいことを、須田氏は示せていません。
これを行うことこそ、ジャーナリストの仕事ではないでしょうか。
ご自分の「取材日記」もしくは「特ダネ日記」ならば、少なくとも「捏造の科学者」というこの本のタイトルは改めるべきでしょう。



・・・とここまで書いたところで、アマゾンから日経サイエンス 3月号」

が届いて、特集の「STAP細胞の全貌」を読んだら、あまりにもわかりやすく、あまりにも素晴らしい記事なので、須田氏の「捏造の科学者」についてどーのこーの書くのが馬鹿らしくなるくらいなのです。
「幻想の細胞 判明した正体」「事実究明へ 科学者たちの360日」という二部構成の記事を、科学ライターの詫摩雅子氏と、日経サイエンス記者の古田彩氏が書いています。
須田氏の「捏造の科学者」に比べて、事件の経過と解明の経過がわかりやく時系列化されているだけでなく、図や表を効果的に用いて、素人の読者にも理解しやすいように、STAP細胞の正体とは何だったのか?」を説明しています。
古田氏も、今回の事件に関係する一連の記者会見では、「STAP細胞はあるんですか?」「小保方さんの今の様子を聞かせてください」と馬鹿みたいな質問を繰り返すテレビ局の男性記者とは違って、その都度専門的な鋭い質問をする女性記者であったのですが、この日経サイエンスの記事には、彼女が書いてきた個々の記事や会見での質問については全く書かれておらず、徹頭徹尾、科学的な解明の解説に終始しています。
そして、須田氏の本の最終章でもまだ科学的には曖昧で未解決な点が、日経サイエンスの記事では全てクリアになっていますからね。
須田氏が「捏造の科学者」を書き上げたのが11月の末で、それから明らかになったことについては書けなかった、というハンディがあるかもしれませんが、そんな中途半端な時期に本にまとめる、という決断をしたこと自体が、ジャーナリストとしてのセンスの欠如であるとも言えるので、STAP細胞事件の全容を理解するには、須田氏のこの本ではなく、是非とも日経サイエンスの記事を読むべきだと思いました。
特に、今まで小保方氏の肩を持っていた方々、「若い女性科学者」の世紀の発見に見た夢が捨てられなかった方々、小保方氏の会見での真摯(に見えた)な態度を見て同情していた方々、に是非読んでいただいて、「そもそもSTAP細胞はなかった」「『STAP細胞』とは2005年に作られたES細胞であった」という科学的事実を受け止めていただきたいと思います。




STAP細胞事件」については、日経サイエンスの記事が全てだと思うので、「捏造の科学者」に戻りますが、この本の内容で不満、疑問に思う点を最後に二つだけ挙げておきます。


まず一つ目。
今回疑惑の発端を開いたのは、「11jigen」という匿名のブロガーの記事であることは、ウォッチャーならば誰もが知っていることだと思うのですが、須田氏のこの本には、これだけ重要な役割を果たしたこのブログへの言及がありません(日経サイエンスにはある)。また、取材をしたという記述もありません、全て単に「ウェブ上で」という一言で済まされてしまっています。笹井氏には再三のメール取材を行っている(「笹井氏から受け取ったメールは約40通」だそうです)のですから、最低でもメール取材を11jigen氏へ行ってほしかったですね。
そして、この11jigen氏の告発がなければ、須田氏をはじめ既存のジャーナリズムは、2月中旬以降も小保方フィーバーの記事を書き続け、割烹着やムーミンやヴィヴィエンの指輪を番組で取り上げ続けていたであろうに、それに対する危機感が感じられません。


次に二つ目。
本文中には書かれていないのですが、本背表紙裏にある著者の経歴を見ると須田氏は、なんと小保方氏と同窓、同じ早稲田大学大学院理工学研究科のご出身です、但し物理学専攻でいらっしゃるようですが。
公平に書いておきますが、小保方氏の博士論文に対する早稲田大学の対応や会見については、須田氏は中立的に淡々と事実を書いています。

実質的に小保方氏の博士号は維持されることになり、早大の信頼回復は遠のいたと言えよう。

しかし、私は逆じゃないかと思うのです、「淡々と」では逆に不自然ではありませんか?
母校が、それもご自分が卒業した研究科が、「疑惑が指摘されている論文を以って、捏造を疑われている科学者に、博士号を授与している」のですから、卒業生として、怒り、憤り、母校の対応を激しく批判すべきではないのでしょうか?
新聞紙面では、「私は早稲田大学大学院理工学研究科出身」と名乗るのは適当でなくても、自分の名前で出す本には、卒業生だからこその感想があり、取材があるべきだと、私などは思うのですが。
小保方氏以外の博士論文についても疑惑が挙げられている常田聡研究室を、何故取材しないのか?
前掲の11jigen氏のブログによると、常田研究室だけではなく、早稲田大学大学院の他の研究室でも複数の博士論文に疑義が持ち上がっているのですから、これは小保方氏一人の問題ではなく、早稲田大学理工学研究科全体の問題である可能性も大なのですから、早稲田の卒業生としては、ここを突っ込んで取材すべきなのでは?
当初の小保方フィーバーの時には常田教授の記者会見を取材しているのに、論文に疑惑が持ち上がってからは何故取材しないのか?
早稲田大学の調査委員会の報告書について、この本では

常田教授が、小保方氏が草稿を示す直前の約2ヶ月間、個別に指導していなかったことなど、新たに判明した内容を大場あい記者が記事にまとめた。報告書は「適切な指導が行われていれば、博士号に価する論文を作成できた可能性があった。」と、常田教授らの責任を厳しく指摘。

と、これだけのあっけない記述です。
卒論でも修論でもなく、博士論文で「提出前2ヶ月間、個別指導がなかった」とは、一体どういうことなのか?
これについての、卒業生須田氏の見解、感想がないのは、逆に不自然ではないかと思います。
そもそも、かの有名な「陽性かくにん! よかった。」のノートの源流は、常田研究室の指導に行き着くのですよ。
若山氏も笹井氏も、博士号を持ちCDBで研究室を主宰しているような小保方氏のノートを覗いたり、「ノートを見せなさい」などとは言えない段階で小保方氏と実験していたのですが、この世で唯一小保方氏にノートの取り方を指導でき「ノートを見せなさい」と言えるのは常田氏だったんですから、何故須田氏は彼に取材しないのでしょうか?
更には、このような杜撰としか言いようがない論文指導の体制は、常田氏だけの問題なのか、早稲田大学大学院理工学研究科全体の問題なのか、常田氏の出身大学である東京大学にまで遡る問題なのか、について、是非早稲田の卒業生として取材していただきたいと思います、ここはそれ、慶応大学理工学部大学院でやはり物理を専攻された古田氏よりも、一層深い切り込みでお願いしたいところです。





この本の帯の見返しには、これまた黄色の太字で、

「このままの幕引きは科学ジャーナリズムの敗北だ」

と印刷されているのですが、この本のレベルではまさに「科学ジャーナリズムの敗北」でしょう。

科学は、科学の力で、「STAP細胞は存在しない」ことを証明しました。
しかし、「誰が、何を、いつ、何故、どのように捏造したのか?」ということは、科学は解明できていません。
ここからが、ジャーナリズムがその役割を果たすべきところなのではないでしょうか?

前述の「約40通」メール返信をして取材に応えた笹井氏をはじめとして、須田氏は、同様にメールで丹羽氏、相澤氏に取材し、若山氏や理研の幹部には直接取材をしていますが、肝腎の小保方氏へはメール取材も対面での取材も行えていないのです。

当初の過熱した取材、疑惑が持ち上がってからのストーカーじみた取材で、小保方氏がマスコミに不信感を抱いていることもあるでしょう。
マスコミよりも自分を守ってくれる弁護士を信頼せざるをえなかった、ということもあるでしょう。

しかし、本来ならば、ジャーナリストとして須田氏が小保方氏自身と向き合い、彼女自身を何度も取材し、信頼関係を築き本心を引き出し、この問題の真の核心に迫るべきなのではないでしょうか。
2005年に今回の事件とは無関係の科学者によって作成された細胞が、何故「STAP細胞」になってしまったのか、それを説明できるのは小保方氏しかいないのです。
彼女が口を噤んだままでは、真相は永遠に謎のままになってしまいます。
小保方氏が納得できる形での、説明する場、説明する環境を作り、そこに小保方氏に立ってもらうことは、ジャーナリストにしかできないのではないでしょうか。
12月の理研と調査委員会の最終報告書が出たあとでも、未だ小保方氏に同情し応援する人々が多いことに私などは驚いてしまうのですが、そういう人々がいることを小保方氏に伝え(毎日新聞にも小保方氏を応援するような投書が多数来ているのでは?)、そういう人々のためにも、本人の口から真実を話すべきだと、ジャーナリストなら伝えるべきではないでしょうか。
大学も大学院も同窓で、年もそんなに離れておらず、科学アカデミーの世界にも詳しい須田氏ならば、小保方氏を引っ張り出すジャーナリストに一番近い位置にいると、私は思います。
・・・まあ、その時、小保方氏と信頼関係を築く上で、この本「捏造の科学者」がネックになるかもしれませんが・・・。


そして、「科学ジャーナリズム」と言うのならば、STAP細胞について「誰が、何を、いつ、なぜ、どのように捏造したか?」が解明されただけで終わってはいけないと思います。
それは、端緒でしかありません。
早稲田大学をはじめとして大学における論文不正の実態、理研やその他研究機関の組織の問題、等々、科学ジャーナリズムが切り込むべき課題は山積しています。
CDBでのあの輝かしい記者会見からもう1年?まだ1年?
日本中を騒がせたSTAP細胞事件が、単に2014年の「出来事」で終わらないように、須田氏には、ジャーナリストとしての役割を期待しています。