英語話せないのは日本の大学教育のせい


アメリカ日記14 僕が英語話せないのは日本の教育のせい


示唆に富んだエントリーでした。
この記事を書かれた taichi MATSUMOTO氏本人によるCVによると、氏は、

京都大学に入学と同時にアシスタントプログラマーとして働き始め、
その会社から何人かとスピンアウトして起業、卒業後までその会社でSoftware Developerとして働いた後、
大阪の会社で2012年4月までやはりSoftware Developerとして勤務。
何と奥様がアメリカに転勤になって、奥様と共にアメリカに行くために会社を退社(駐在員ビザの奥様の配偶者として、L-2ビザをゲット、という何とラッキーな!!)。
渡米後就職活動をして、iHeartRadioにモバイルエンジニアとして採用され働いていらっしゃるとのこと。


経歴だけ拝見すると、人も羨む素晴らしい経歴なのですが、そんなtaichi MATSUMOTO氏の目下のお悩みは「英語」のようです。
具体的には、どんな場面での英語に悩んでいるかというと、

まず雑談がキツい
更にキツいのがミーティング
それよりも更にキツいのが飲み会

だそうなのです。そして氏は、

文科省の英語カリキュラムは失敗していると言わざるを得ません。

つまり、エントリーのタイトルにもなっているように、

僕が英語話せないのは日本の教育のせい

と主張なさっているのです。
このエントリーのコメント欄は、「全く同意する」というものと、「自ら会話力をつける努力をしないで、教育のせいにするのはおかしい。」というものと、具体的に会話力をつけるアドバイスをするものとに分かれていますが、私は、taichi MATSUMOTO氏の「英語話せないのは日本の教育のせい」ということに関して、もうちょっと突っ込んで考えてみたいと思います。
氏は、英語に関して、こういうバックグラウンドをお持ちです。

僕は進学校とされてる高校から京大に行って卒業しています。授業もテスト勉強も受験も、自分なりに真面目にやっていましたし、英語の成績も悪くないというか、寧ろ良い方でした。それって文科省が想定してた理想学力に相当近い状態になってるんじゃないのと思うんですよ。

センター試験で高得点をとって、京都大学の二次試験も突破されているのですから、文法も語彙も申し分のないレベルに達していらっしゃることは確かです。しかし、氏の記述にない部分に問題があるのではないでしょうか?氏のように、読み書きにおいては高いレベルの英語力を持って入学してきた学生に対して、大学がどのような英語教育をしたのか?という点です。
・大学に入学した時よりも、卒業する時の方が英語力は向上していたか?
・一、二回生の時に、少人数のグループで英語でディスカッションしたり、プレゼンする授業があったか?
・同じく、一、二回生の時に、英語の論文作法を学ぶ授業があったか?
・三回生以降、専門教育の一部を英語(だけ)で学ぶ機会はあったか?
・第一外国語の英語の教師は、学位(修士以上)を持つネイティブの教師だったか?
・ゼミや研究室で、海外からの留学生と英語で雑談したり、議論したりする機会があったか?
大学は以上のようなことを、学生、しかも京都大学に入学してくるレベルの英語力を持った学生に提供していなかったのでしょうか?
確かに、ディスカッションやプレゼンは「雑談、ミーティング、飲み会」とは違いますが、大学でこういう訓練をしていれば、現地に行ってからかなりの助けになると思います。
大学入学時点では、確かにtaichi MATSUMOTO氏は、「文科省が想定してた理想学力」以上の英語力に達していたと思いますが、問題は、それを活かした実践的英語教育が大学でなされていないことではないでしょうか?


考えてもみてください。今の日本の中学、高校で、「実践的英会話」なんて教えられないですよ。先ず、それを教えられる教師がいません。カリキュラムがありません。もし、実践的英会話を教えられる教員を養成しようとすると、莫大な予算がかかります。全国の中学校、高校に配置するだけのネイティブの外国人教師を海外から引っ張ってくるにしても同様です。高度成長時代に当時の政財界を牛耳っていた方々が、もう少し賢くて先見の明があって、本四架橋を3本も架けずに1本にしておくとか、50年経ったらボロボロになって莫大な補修費がかかるちゃっちい高速道路を造りまくらないとか、新幹線をむやみやたらと造らないとかして、当時潤沢だった国家予算を教育の充実に回していたら、可能だったかもしれませんが(英語における「仮定法過去完了」←過去の事実の逆)、もう今更無理なんです、今の日本では。残る可能性としては、或る程度同じ学力を持った学生が入学してくる大学、しかも京大のように偏差値が高い学生が入学してくる大学でこそ学生のレベルに合わせた英語教育をすべきだったのですが、それさえも怠ってきたために、今頃になって、「グローバル化」だの「秋入学」だの「4学期制」だの、ちまちまとお金を掛けずに(お金ありませんから)やっているのです。この意味では、taichi MATSUMOTO氏の言う、「文科省のカリキュラムは失敗している」ということには賛成します。


一方で、なおざりにされた中学・高校における英語教育(英語が「敵性語」であった戦時中と殆ど変わっていない)は、出来る範囲で精一杯のことをやっていると思いますよ。taichi MATSUMOTO氏は、

文科省は学生にターゲット1900とか速読英熟語とか全解説頻出英文法とか、そういうのに膨大な時間を費やさせるのは、無駄なのでやめた方がいいです。

とおっしゃっていますが、これには賛成できません。氏は、渡米後コロンビア大学の語学学校に通われたとのことですが、日本人以外の英語ノンネイティブの人たち、特に非英語圏出身の欧米人って、驚くほど英語の文法を知らないことに気付かれたのではないでしょうか?不肖私も、海外で、ドイツ人、フランス人、トルコ人、ロシア人、ギリシャ人、ウクライナ人その他の人々に混じって「英会話学校」に行ったことがあるのですが、彼らが「現在進行形」やら「現在完了」をまるでわかっていないことに驚きました。トルコ語やロシア語は知りませんが、フランス語やドイツ語には、「現在進行形」も「現在完了」もないから、なのですが。日本では高校入試レベルの英語で「現在完了は、経験、継続、完了、結果の、4つの『K』である。」くらいは覚えるのに、彼らはそれを全くわかっていないのです。ですから、彼らが自信たっぷりに雄弁に喋っていても、よく聞いてみると、文法滅茶苦茶、ということは多々あります。「文法滅茶苦茶でもとにかく喋れる方がいい」というのは、一部正しいとは思いますが、長い目で見ると、やはり文法を理解していること、お子様レベルのボキャブラリーではなく、せめて「ターゲット1900語」や「速読英熟語」くらいのレベルのボキャブラリーがあることは、決して「無駄」ではないと思います。


コロンビア大学の語学学校に通われた時のことについてのエントリー*1を読むと、日本人の駐在妻の方が5人も同じクラスにいたり、また別のターム(?)では、「僕を含めて東大x1, 京大x2, 神大x1」というやはり日本人が4人もいるクラスだったようですが、これはニューヨークだから仕方ないとはいえ、英語に限らず語学学校に行く時には、絶対に同じクラスに日本人がいない環境でないと、効果は半減、いえ三分の一くらいになると思います。それこそ、休憩の時間、日本人がいれば、自然と日本人同士、日本語で喋ったりしませんか?ランチも日本人で固まって?学校が終わった後も、日本人同士でカフェに行ったりしませんか?休憩時間もランチもカフェも、それこそ「雑談」のチャンス!!!なんですよ。授業が英語なのは勿論、疲れた頭であっても雑談ですら「英語」でしなければならない経験値が大事なんじゃないでしょうか?「窮鼠猫噛む」ではありませんが(比喩が違う?)、語学って「喋らないとどうにもならない」というギリギリ追いつめられた状況に身を置いた時が、一番上達すると思います。
そして、taichi MATSUMOTO氏は、帰宅すれば奥様とは勿論日本語で会話されるわけですよね?日本の英語教育でtaichi MATSUMOTO氏と同じくらいの高いレベルの英語を身につけた日本人の高校生や大学生が英語圏に留学した場合、留学だとホームステイや学校の寮という「24時間寝ている間以外は英語環境」だったりするのですが、三ヶ月くらいで普通に英語が口をついて出てくるそうですよ。駐在員及びその家族で、「外では英語だけど、家の中は日本語」という環境だと、もう少し時間がかかるかもしれませんね。けれども、高いレベルの文法とボキャブラリーの力があれば、加えて、何より「技術的なスキルの観点では通用してる」とご自身でさらっと書けるだけの「中身」があるのですから(仕事の能力を買われて採用されたのですから、自信を持ってください!)、必ずや近い将来、taichi MATSUMOTO氏が、「仕事は勿論、雑談もミーティングも飲み会も英語でOK!」という日が来ると思います!!!


「僕が英語話せないのは日本の大学の英語教育のせい」
と、タイトルを改変して頂きたいです。
京都大学をはじめ、偏差値が高い大学を卒業した方々が、海外で、自分の専門の中身ではなく、コミュニケーション手段である「英語」で苦労しているのだとしたら、それは「日本の教育」全体ではなく、「日本の大学の英語教育」のせいではないか、と私は思うのです。
それを改善するのは、全国の小学校、中学校、高校に「英語を英語で教えられる」日本人教師を配置したり、ネイティブ講師を派遣したり、といったことに比べて、そんなに難しいことではないはずです。
私は寧ろ、「英語!英語!」「実践的英会話!」「大学入試にTOEFLを!」と大騒ぎして、taichi MATSUMOTO氏のようにアメリカのIT企業でも通用する能力を持った人材の卵から、小学校、中学、高校で数学や理科などを学ぶ時間を奪ってしまわないかと心配してしまいます。
忘れてならないのは、taichi MATSUMOTO氏が、iHeartRadioに採用されたのは、氏のエンジニアとしての高い能力があったからこそ、であり、雑談や飲み会で英語で会話できる英語力があったところで、能力がなければそれは叶わなかった、ということです。
重ねて言わせて頂きますが、私は氏が近い将来必ずや「雑談、ミーティング、飲み会でも英語でOK。」になるだろうと思っていますし、またこの先「ターゲット1900」やら「全解説頻出英文法」を「やってて良かった!」と思われる日が来るのではないかと勝手に予想していますし、そして、京大の後輩をはじめ後に続く「アメリカでも通用するエンジニア」を目指す日本の学生たちにとって、勇気づけられる輝かしい先輩としてのエンジニアであってほしいと願っています。