東日本大震災から2年4ヶ月経った、東京の夏


今日は、東日本大震災から2年4ヶ月、という日でした。
テレビで関連のニュースを見てそれに気付くほど、恥ずかしいことに私の意識も寄る年月で風化してしまっています。


この数日、東京でも連日最高気温が35度を超える猛暑ですが、今年は「節電」のかけ声が何故かしらどこからも聞こえてきません。
寧ろ、「熱中症を防ぐためにエアコンの利用を!」とエアコンの使用を呼びかけられています。
電車に乗れば、寒いくらいの冷房。デパートもスーパーもレストランも、女性は皆「はおりもの」なしでは身体が冷えきってしまうほどの冷気。
冷房だけではなく、眩しい夏の太陽が照りつけ日照時間が長いこの季節なのに、駅やビル内の照明は昼間でも全開です。
2年前の夏には停止しているものが多かった駅のエスカレーターも終日動いています。
コンビニは24時間営業だし、自動販売機は過剰なほどあります。
「電力は足りている」から?
それとも、あの2年前の激烈な「節電」に耐えた首都圏の住民の鼻先に「電気によってもたらされる快適な生活」をちらつかせて、「やっぱり電気は必要」というコンセンサスを作るため?
一番不思議なのは、何故一昨年や去年のように、テレビは電力使用状況を報道しないのでしょうか?過去2年間は、前日から「明日のピーク時の電力使用状況は90%を超える予想ですから、節電に努めてください」という報道があった記憶があるのですが、今年はここ数日ピーク時は軽く90%を超えているのに、全く報道がないのは何故?



たった2年4ヶ月前の3月11日、今まで経験したことのない激しい揺れの大地震を経験し、首都圏に住んでいるので津波の被害には遭わなかったものの、次々とテレビに映し出される映像を、信じられない思いで見ていたあの夜。
そして恐怖はそれだけで終わらずに、翌12日からは、福島原発のニュースに釘付けになり、ニュースが放送されていない時間は、ネットで情報を漁り、1号機と3号機の水素爆発も、「これは何か悪い夢を見ているに違いない」と思いながら見ていたこと。
ミネラルウォーターや電池や食料品が、スーパーの棚から消えたあの時。
すぐに始まった計画停電で、水や空気のように「当然あるもの」と思い込んでいた電気が貴重なものであること、その電気は首都圏から遠く離れた福島県で作られていたことを知ったあの頃。
原子炉の中の核燃料も、プールの中の使用済み核燃料も、未だに1本たりとも取り出されていないということは、原発の状況としては2年4ヶ月前と何ら変わっていない筈なのですから、変わったのは、私を含めた首都圏に住む住民の意識なのでしょうか。



今日NHKでは夜7時のニュースに続いてクローズアップ現代で、「激増する野生動物 〜福島の生態系に何が〜」というテーマをやっていました。
震度6強の激しい揺れに襲われた福島県浜通りですが、津波が到達しなかった地域は、家屋は倒れずにちゃんとそのまま残っています。もし、福島原発の事故がなければ、震災後インフラが復旧すれば、住民の方々はまた以前の暮らしができていたであろうところを、震災後2年4ヶ月経って依然として帰宅できなくて避難生活を送っているのです。「あと何年経ったら帰宅できる」という見通しさえもない状況なのですが、その過酷な状況に更に追い打ちをかけるように、住民である人間がいなくなった地域では、イノシシやらネズミやらが激増しているのです。
地震に対しては持ちこたえて倒れることなく残った自宅なのに、床はネズミの糞で埋め尽くされ、残っていたお米や食料品が全て食べられているのに加えて、柱や壁や電気のコードまでもネズミに齧られ、住民の方の言葉を借りれば、
「ここにものすごく帰ってきたいと思う時期もありました。でも、今は帰りたい場所じゃないですよね。」
という酷い状態です。日本の原風景とも言える美しい里山と田畑に囲まれて、2年4ヶ月前までは普通に暮らしていた方々が、どうしてここまで非情な運命を生きなければならないのか。
地震だけで、原発事故が起こらなかったならば、こうはなっていなかったでしょう。
番組では、原発事故で避難するにあたって放擲された養鶏場の中も映していました。
壮絶でした。
何千羽?何万羽?の鶏がそのまま放置され、つまり同じように放置された牛や豚と同様、そのまま餓死したのですが、それだけでも吐き気を催す事実ですが、死んだ鶏の姿、そして残された卵は、そこには無いのです、ネズミが全て食べてしまったから。
また、警戒心が強く夜間に行動することが多いイノシシが、住民がいなくなった地域で昼間っから群れを作って、街中や住宅地の道路を闊歩しています。取材の車やカメラが近づいても、逃げる気配すらないそれらイノシシの群れですが、その不遜で暗い目をした彼らこそ、放射能に激烈に汚染されているようです。今年の3月に福島県で捕獲されたイノシシの肉から、1キロあたり5万6千ベクレルの放射性セシウムが検出されたそうです。これは実に国の基準値(同100ベクレル)の560倍。


2年4ヶ月前、3月11日からの数週間、「水素爆発」「セシウム」「ベクレル」「シーベルト」という、それまで知りもしなかった言葉が矢継ぎ早にニュースで使われるようになった頃ならば、「国の基準値の560倍のセシウムが野生のイノシシから検出された」という事実に、私はもっともっとショックを受けたでしょう。
イノシシだけではなく、福島原発湾内で獲れたアイナメから1キロあたり74万ベクレルという、気が遠くなるような量のセシウムが検出されたと聞いても、もう以前のようには驚かなくなりました。
2年4ヶ月前には、原発敷地内の「ピット」や「トレンチ」の水位の報道にあれほどハラハラしたのに(水位がトレンチの高さを越えることは、高濃度の放射性物質汚染水が海に流出することを意味したから)、今や「原発内の観測用井戸から経産省が定める許容量の200倍に達するセシウムが検出された」という報道を読んでも、それは「高濃度の汚染水が地下に染みこんで、海にも広まっている疑いが強い」ということを意味していることは明白なのに、どこか遠いところの話のような気がしてしまうのは、感受性が鈍化してしまったのでしょうか。


原発を海外に売り歩く首相を「恥ずかしい」と思うこともなく、
北海道、関西、四国、九州の各電力会社が、原発の再稼働申請をしたというニュースも、あろうことか東京電力柏崎原発の再稼働申請をするつもりであるというニュースも、他のニュースと同じように流れていき、そして別のニュースに話題は代わり、
折しも原発事故以来最初の参議院選挙だというのに、与党自民党の公約では、原発問題について何一つ触れられておらず(暑さで私の頭がぼーっとしているから見つけられなかったのだと思いたいですが)、勿論選挙の第一の争点ですらなく、
その与党の公約の第一の目玉は誰が命名したのか首相の名と英語をくっつけた奇妙な名がついた「経済政策」であり、そのために「異次元のスピードで政策実行」「世界最高レベルの制度を整備」するというのなら、その「異次元」やら「世界最高レベル」やらの胡散臭い言葉の裏には、「原発を再稼働させる」ということは折り込み済みで当たり前のことなので、わざわざ書かれていないのだと察するべきなのか、
選挙公示日第一声を「復興を応援するために福島から」と福島で行ったのにも拘らず、原発については何も触れなかった首相(自民党福島県連は「県内の全原発廃炉」を掲げているため)を糾す報道もなく、


そして、
この最早亜熱帯のような東京で生活するための、エアコンをフル稼働して得られる快適さは麻薬のようなもので、
何故なら、リモコンの「運転」ボタンをほんの数ミリ押すだけで、電気によって作られた冷気がすぐさま吹き出てくるわけで、
しかも、「熱中症になったら大変だから」という立派な言い訳を毎日テレビで聞かされているので、罪悪感などあるわけもなく。
エアコンがないと夏は生活できないこの東京を作り上げるために、長年福島のあの土地で電気が作られていたこと、その土地に住んでいた住民が地震津波の被害故ではなく放射能汚染故ににその土地を離れて過ごさなければならなくなった年月は既に2年4ヶ月になろうとしているのに、リモコンのスイッチを押して電気を消費するのはたったの0.1秒もかからないということ、この酷い落差に心が麻痺しているとしか言いようがなくて。


例え、アベノミクスが大成功して、日本の経済が豊かになり、賃金が上がり、雇用が増え、TPPで日本の言い分も全て通り、戦略的農業が発展し、管理職に占める女性の割合が30%になり、世界で勝てるグローバル人材がボコボコ育ち、尖閣は保持して竹島は奪還し、憲法を変えたとして(以上、全て自民党公約より。ところで「消費税増税」についての記述も、暑さでぼけている頭では探せませんでしたが)、
そうやって全てが安倍首相が言うように上手く行ったとして、私たちは自分を誇れるのでしょうか?
あの暗い目をしたイノシシ、小さい体で全てを食い尽すかのような不気味なネズミは、そんなことに関係なくこれからもあの地で一層増え続けることでしょう。
それから目を背けて、東京に夏が来る度にどんどん心の麻痺は進んでいくのでしょうか。
何より、そこで普通の人間の暮らしを営んでいた福島原発周辺の住人の方々にも毎年同じように夏は来るけれども、エアコン抜きでは夏を暮らせない東京に住む私たちとは大きく違って、故郷にいつ帰還できるともわからないままこれからの人生を歩まれるという事実の前に、同じ日本人である私たちが何を誇れるというのか。



原発事故の起こる1年前くらいに読んだ本