*「中高の英語の授業を英語で行う」という、きっと誰も責任とらない愚行について

安倍政権になって下村文科大臣のもとで発表される、教育改革に関するニュースは、毎回毎回、日本の将来を思うと溜め息が出るような暗いニュースばかりです、大学入試を「達成度テスト」に替え「人物重視」の試験にするだの、「道徳」を教科化するだの、小学校から英語を「教科」として教えるだの・・・。

その暗いニュースの中で、今日はこの記事を見て、溜め息です。

中学校での英語の授業は英語で行うとし、高校の内容も一部採用。生徒の目標となる達成レベルを英検「3級程度」から「準2級程度」に引き上げる。高校も授業内容をより高度にし、卒業時に「英検2級か準1級程度」の力が身につくことを目標とする。

 教員の指導力を高めるため、都道府県ごとに英検「準1級レベル以上」の英語力を持つ教員の割合を定期的に公表するほか、中高の全英語教員に英検準1級や英語能力テスト「TOEFL」の受験を促す。指導の充実を図るため、高い英語力を持つ一般の人が小学校の英語の授業を行えるよう特別免許状を新設する。  MSN産経ニュース 2013/12/13


このニュースのソースを見に、文科省のウェブサイトに行ってみて、更に深い深い溜め息です。
この
「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」
の中で、何が嘆かわしいかといって、

・中学、高校の英語の授業を英語で行う

ですよ。日本の大学の教育学部を卒業して英語の教員になった先生方に、英語の授業をまるっと「英語で」行わせるそうなのですよ、文科省の実施計画とやらによると。
そうやって
「高校卒業時に、英検2級〜準1級、TOEFL iBT57点以上の英語能力を取得することを目指す」
んだそうです。
この英語のレベルはかなり高いと思います、いえ、殆ど無謀と言ってもいいくらいの、はったりレベル。
東大合格者を何十人も出す中高一貫校の生徒でさえ、卒業生全員をこのレベルに持って行くのは無理でしょう。単純な話なのですが、「英語が合わない」生徒っていますからね。
そして、文科省が言っているのは、優秀な中高一貫校の高校生についてだけではなく、全国津々浦々の様々なレベルの高校生についてまでなのですから、「英検2級〜準1級、TOEFL iBT57点以上」って、絶対的に無理でしょ、これ。

お上からの無理としか思えないそのようなお達しを達成しなければならない教育の現場、即ち中高の英語教員には、

「全英語科教員について、必要な英語力(英検準1級、TOEFL iBT80点程度以上)を確保」

なんだそうです!
この笑止千万なこと、情けなくて涙が出てきます、「原発はコントロールされている」とぶち上げた発言レベルの恥ずかしさ。
見比べてみてください、高校卒業時に取得を目指す英語のレベルと、中高の英語の先生に求める英語のレベルを。

高校卒業時 → 英検2級〜準1級、TOEFL iBT57点以上
英語科教員 → 英検準1級、TOEFL iBT80点程度以上

殆ど変わらない!のです。
そもそも高校卒業時に課すレベルが高過ぎです、そもそも高校生全員に課すべきものでしょうか。
そして、その高いレベルを目指して英語教育を行う教員に課すレベルが、「英検準1級、TOEFLiBT80点以上」って!
これって、中学1年生に中学3年生が数学や古典を教えるようなものなんじゃないでしょうか。


私は、このTOEFL iBT80点の教師に、『英語で』英語の授業をさせて、TOEFL iBT57点の高校3年生を作る」という、下村文科大臣の発想が、全く以て理解できません。
「理解できない」というのは、文部科学大臣の任にありながら、教育とは何か、生徒に何かを教えることはどういうことか、をわかっていらっしゃらないようだからです。
乱暴に言うと、下村大臣の発想は、全てにわたってショボい!「教える」とか「学ぶ」ということを舐めているとしか思えません(だって大臣は、元塾経営者ですから)。

「全英語科教員に課す」という、TOEFL iBT80点って、TOEICに換算すると730点ですよ。
下村大臣にはピンとこないかもしれませんが、就活を控えた大学生の方や、昇進や配属を決めるためにTOEICが導入されている会社にお勤めの方なら、おわかりだと思います、TOEIC730点というのは、なかなかかなりの高得点です。
企業が求めるTOEICスコア一覧
あと70点頑張れば、「英語社内公用語化」を実施している楽天で、役員にだってなれます、楽天では、役員にはTOEIC(←TOEFLでないところに注目!)800点以上を要求しているらしいので。*1
ビジネスの世界では十分なスコアです。
言い換えると、これだけの点数があれば、さっさと教員を辞めて、民間企業に「グローバル人材」として就職できるレベルなんですよ。
果たして、「英検準1級以上、TOEFL iBT80点以上」の英語力を持つ教員が、数的に質的に確保できるのか?
この英語力を持っていれば、誰が好き好んで、イマドキの生徒の生活指導やら、モンスターペアレントの対応に追われる教員になろうとするのか?

そして、これが重要なところですが、ビジネスの世界では、TOEFL iBT80点(=TOEIC730点)は、立派に通用しますが、生徒に「外国語としての英語」を教える、しかも「英語で」、ということに関しては、それでは全く足りない、ということです。T0EFL120点(満点)でも足りないでしょう。
それほど、「教える」ということ、特に「外国語を教える」ということは奥が深く、文法やボキャブラリーだけではなく、その言語を話す国についての造詣、文章が書かれた時代背景や作家についての知識が必要であり、それらを雑談や現実の時事問題とも絡めて生徒のレベルに合わせて伝えなければなりません。
TOEFL iBT80点じゃ、TOEIC730点じゃ、とてもとても足りないのです。
ウチの子供たちは帰国子女なので、TOEFL100点超え、110点超え、のバイリンガルの友人もいますが、海外で3年〜10年過ごして、どっぷり「英語で」学校生活を送ってきた彼らとて、何十人を相手に「英語で」英語という科目を教える、ということはできないでしょう。
少なくとも、学校で習う英語は、単に喋れればいいという「英会話教室」とは違うはずです。
いや、私はそう思っていますが、文科大臣は違うのかも。教科としての「英語」を、「英会話教室」にしたいとしか思えません。
日本語とは違う英語の文法構造を「日本語で」わかりやすく説明できる先生、英語の評論やエッセイの文章の構造やレトリックを「日本語で」解き明かしてくれる先生、英語が話されている国への興味を「日本語で」かき立ててくれる先生、どうして、そういう教員やそういう授業を文科省は大事にしないのか。
それを全て「英語で」できる人材は、残念なことに日本では殆どいないでしょうし、いたとしても中高で英語を教えたりはしないでしょう。
だとしたら、選択肢は二つに一つです。
・授業は日本語で行われるが、内容の高度な語学教育。会話はまた別の方法で。
・授業は英語で行われるが、内容は低レベルな語学教育。

英語科教員に無理難題押し付けて、形だけ「英語で」教える授業を行ったとしても、それは同じ先生が「日本語で」行う授業よりも、内容的には遥かにレベルの低い(幼稚な)授業になってしまうでしょう。
授業中に、英語で、単語や熟語に関する蘊蓄や、イギリスやアメリカを旅した時の雑談を生徒に話そうとしても、TOEFL iBT80点(TOEIC730点)の英語力では、困難というものです。
勢い、全国一律のテンプレの、雑談も蘊蓄の披露もない無味乾燥な授業が、「英語で行われる英語の授業」になることでしょう。
生徒の目は節穴ではありません。先生が、「英語で行う授業」のマニュアル通りに「英語で」授業をしていることなど、見抜いてしまうでしょう。
先生の雑談もなければ、蘊蓄も聞けない、脱線もない授業なんて、「英語の授業はつまらない」と思う生徒が増え、結果的に「英語は嫌い」になり、数年後には、英語の文法はわからない、単語力はない、文章読解力もない、悲惨な英語能力を持った生徒を多量に生み出すことになるのではないか、と危惧します。
そうして、一見英語をぺらぺら喋っているように見えて中味は空疎なテンプレの英語だけしか喋れない生徒が生み出され、大学に進んでそれぞれの専門分野の文献を読む力が不足して最先端の海外の知見が理解できない、語彙や文法の知識がなくてちゃんとした英語の文章が書けない学生が増産され、日本の技術力や国力は落ちてしまうのではないでしょうか。



二つ前のエントリー(年長児から塾通いをしなければならない日本の公教育と、下村博文・現文部科学大臣)でも書きましたが、結局は、元塾経営者である下村博文文部科学大臣に、国家の教育を考える能力も、そもそもビジョンもないのです。
全ては、社内では英語能力を測るのにTOEFLではなくTOEICを使っている楽天三木谷社長の受け売りで、「英語能力の評価には、TOEFLなどを積極的に活用する」と下村大臣はおっしゃいますが、では何故楽天は社内の英語能力の指標にTOEFLを使わないのか、一度三木谷氏ご本人に聞いてみたら如何でしょう?
TOEFLの受験料が高いからに決まっているじゃありませせんか、楽天の若手社員が、一回$225するTOEFLアベノミクスの円安で更に高騰中)を楽天から貰えるお給料から払うのは無理だからなのでは?
で、このTOEFLというテストを「活用する」とおっしゃっていますが、受験料は生徒の個人負担なんでしょうか?
$225のテストは、高校生のそれぞれの家庭で負担するのですか?
国が負担して、アメリカの非営利団体ETSに巨額の受験料を払ってくれるのですか?
それとも、三木谷氏がETSから、「一回3000円くらい」で請け負ってくるんでしょうか?
それを当てにしているから、三木谷氏の影響力が強いのでしょうか?
アジアのあちこちの国を歴訪し、何千億円を気前良く円借款として供与したり債権放棄なさっている安倍首相ですが、大盤振る舞いの原資は税金なのですから、ほんの少し、国民の英語力を測る試験の受験料に回して頂けるとよろしいのですが・・・。
日本国民の英語力は、それらアジアの国々よりも劣っている現状ですゆえ。
現地の語学学校に1年通って南カリフォルニア大学に入学された安倍首相ならば(その後1年で退学)、TOEFLの重要性も、受験料の額もわかっていらっしゃるはずだと思うのですが。



さて。
溜め息ばかりついていないで、この「英語教育」ということに関して、不肖一介&市井のオバサン、である私のビジョンをお示し致しましょう。
ポイントはたったの二つです。

一つ目

話す(プレゼンする、討論する、を含む)能力をつけるのは、大学教育で行う


大体、みんなでおててつないで全ての高校生には卒業時に「英検2〜準1級、TOEFL iBT57点」って、幻想です。
難関大学や留学を目指す生徒には、それではとても足りないレベルだし、高校を卒業してすぐに就職する生徒にはそもそも必要のないレベルであり無理なんです。
中高では、今の日本の英語科教員の体制に見合った、「読み・書き・文法・語彙」の基礎語学力をつけ、それぞれの生徒がそれぞれのレベルに合った大学の、将来の仕事に繋がる学部に入学してから、英語の能力の中の「話す」能力を身につける方が、「英語でプレゼンする・討論する」という目的のためには、余程合理的ではないでしょうか?
受験勉強で覚えた単語が5000語(←かなり多い方)で、文法は完全に理解しているのならば、5000語とその文法能力に見合う「話す」能力を身につけさせるのが、そういうレベルが高い学生が集まる大学の使命です。
逆に、ボキャブラリーも貧弱、文法も穴だらけ、の学生が集まる大学では、そのレベルを最大限引き上げる「英語を話す」教育をすべきでしょう。
また法学部なら法学部の、工学部なら工学部で、英語でプレゼンや討論するボキャブラリーも違うでしょう。
大学ならば、外国人講師を雇うことも簡単だと思います。
本物の「英語で行う」授業は、大学でこそ行われるべきでしょう。
大学卒業時にどれだけの英語力を身につけているか、を卒業要件にしてもいいかもしれません。
そして一方、高校を卒業してすぐに社会に出る生徒には、彼らに本当に必要な英語を教えるべきでしょう。
英文解釈などではなく、観光業や小売業の現場ですぐに使える英語です。
彼らには、「英検2級」もましてや「TOEFL iBT57点」は必要ありませんし、プレゼンやら討論する「英語」は必要ないはずです。


二つ目は、

英語以外の「外国語」の選択肢を作る

大体、「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」と言いながら、真の意味で全く「グローバル化」じゃないのです、単に「英語オンリー」の、寧ろ「反グローバル化」と言えるものなのです。
今のこの「一億英語総玉砕」の状態こそが、問題なのです。
英語圏以外の欧米諸国の人々が、どうして軽やかに英語を喋るのか、考えてみてください。
勿論、言語体系が似ているから、ということもあるでしょう。
けれども、EUテクノクラートの人々は別として、テレビのニュースなどでインタビューに英語で答えるフランス人やドイツ人、北欧の人々、ハンガリークロアチアの人々の英語を、小難しく日本語に訳している字幕に気を取られずに聞いてみると、簡単なボキャブラリーで気軽に答えています。そして、その発音は、私たち日本人にとっても、アメリカ人の巻き舌の英語に比べて、遥かに聞き取りやすいことに気がつきませんか?
彼らには、英語という言語自体にコンプレックスがないのです。
「英語を喋ること」が全能力を測られることでも、学力を測られることでもないのです。
西ヨーロッパ人は、母国語の方が、色々な言語の寄せ集めで「言語」としての完成度はアレな英語よりも、遥かに言語的には優れていると思っていますから、英語が喋れることは、ちょっとしたアクセサリーではあっても、それがイコール「賢い」とは思っていないでしょう。
寧ろ、「漢字が読める」こと、即ち中国語や日本語が喋れる方が、頭の「賢さ」としては上に評価されている感があります。
聞き取りにくいことでは定評があるインド人やシンガポール人の英語も、他の意味で特別ではありません。
彼らがマシンガンのように喋る英語ですが、よく聞いてみると、やはり文法はかなりいい加減で、スマートに喋ることよりもとにかく自分の意見を主張する「道具」と考えていることがわかります。
所詮「道具」として考えているから、多少手荒にも扱うわけです。
ところが、日本人は、戦争でアメリカに負けたこと、また戦後アメリカ文化に圧倒されまくったこと、がトラウマになっているのか(特に、下村大臣より上の世代)、「英語」というよりは「米語」に、全ての価値をお預けしているとしか思えません。
経済だけでなく、政治的にも文化的にも、アメリカがエラい、アメリカ人が喋る言語がエラい、と思い込みすぎてはいないでしょうか。
そして、受験や就職に際しても、「英語」の点数で合否が大きく左右されるとなると、「英語」は、単に「一つの言語」の範を越えて、特別且つ神聖なものになってしまってはいないでしょうか、本当は「歴史が浅いのに偶然世界の覇者となった国で喋られている言語」に過ぎないのに。

そして、「英語が性に合わない」生徒もいると思うのです。
今、「英語が性に合わない」生徒は、例え理数系がどんなに賢くても、受験をくぐり抜けるのは大変でしょう。
アルファベットの羅列がどうしても頭に入らない、現在完了とか現在進行形って何?という生徒でも、簡体字の中国語やハングルの韓国語は頭に入るかもしれません。
また、何か個人的な環境から、ロシア語やアラビア語に興味を持つ生徒がいるかもしれません。
そういう生徒に、中学校から(小学生から、とは言いません)英語以外の選択肢を与える、という考えは、安倍首相、下村文科大臣にはないのでしょうか?

隣国である中韓に対して、何故かフレンドリーでは「ない」両氏ですが、それならば尚更のこと、隣国の言語を中学校から学ばせることは有効ではありませんか?
言語を学ぶということは、当たり前のことですが、その言語が話されている国の文化や歴史や人々について学ぶことです。
隣国を理解することは、友好や経済活動に役立つのは勿論のこと、関係が危機的状況に陥った時も役に立つのではないですか?
尖閣竹島や半島の北の問題に関して、中国語や韓国語のエキスパートは、どうやって養成するのでしょう?
「米語」だけを神格化して、他の言語、隣国の言語にさえ目を配らないことは、或る意味「亡国」であり、国を預かる政治家がやることではありません。

そして、「英語/米語」を神格化から解放することこそ、日本人の英語能力向上に繋がる一番の妙薬だと思うのです。
ネットで、「何故日本人は英語が下手」「何故日本人は英語が喋れない」で検索すると、そりゃあもう沢山の意見が出てきます。
皆、薄々はわかっているのです。日本人が馬鹿だから英語が喋れないのではなく、別のところに原因があるのだと。
「発音の悪さ」を挙げる人もいますが、インド人やシンガポール人は「発音」なんてお構いなしです。
同調圧力」や「羞恥心」を挙げる人もいますが、それは一体何故なのか、そこを探っていけば、行き着くところは「米語が神格化されているから」ではないでしょうか?
「英語/米語」以外の言語だと、もっと気軽に喋っていませんか、日本人も?
フランス語やドイツ語や中国語の方が、例え初心者であっても堂々と、そして楽しそうに喋っている気がします、慎み深い日本人であっても。
それは、「押し付けられた外国語」ではなく、「自分で選んだ外国語」であるからだと思いますし、その言語が喋れる/喋れないで、別に、全人格的に評価されたり、頭の賢さを測られたりしないからだと思います。




以上が、私の拙い提言ではありますが、本気で心配してしまうのは、下村大臣がぶち上げてしまった、高校卒業時の英語能力のレベルやら、英語科教員全員に課すという英検やTOEFLのレベルが、達成できなかった時(←私はこの可能性大だと思います)、誰が責任をとるのか?
優秀な英語科教員が現場からいなくなり、「英語で」行われるレベルの低い授業を受けた生徒が惨憺たる英語力しか身につかなかった時、一体誰が責任をとるのでしょうか?
文科大臣でしょうか?「グローバル化に対応した、英語教育改革実施計画」の素晴らしいPDFを作った官僚でしょうか?現場の英語科の先生なのでしょうか?
蓮舫さんが、白いスーツで事業仕分けしてくれるんでしょうかね?
きっと誰も責任とりませんね。
それなのに、教員の経験もないどころか、元塾経営者であった下村文科大臣に、理念もビジョンもない「英語教育改革」をこんなに簡単に決められてしまっていいのでしょうか。


実は、前掲の文科省のPDFですが、「英語教育改革実施計画」というタイトルなのに、ページが進むと、何故か「日本人としてのアイデンティティに関する教育の充実について」という、何やら怪しい小見出しが出てくるのです。
最初は、英語教育とは関係のない違う項目のものが一つのPDFの中に収まっているのかと思いましたが、そうではないようです、何とこの「英語教育改革実施計画」の中の一環、ということらしい。
私にはもう中味を紹介する気力は残っておりません。
文科省のPDFを皆様ご自分でご覧になってみてください。
溜め息を通り越して、余りのキナ臭さと息苦しさに窒息しそうです。