めいろまこと谷本真由美氏は、AO入試を批判していますが、では大学付属校はどうなのか?


慶応大学法学部の学生青木大和氏が、小4を詐称したサイトを作って即バレした余波といいますか、青木氏が代表のNPOやら、青木氏が慶応大学をA0入試で受験するにあたってお世話になっていた「AO義塾」とやらの予備校の代表の「ポエム」やら、次々と芋づる式に話題が提供され、今朝起きてみたら、元経産官僚の宇佐見氏のこれまた「ポエム」が燃えていて、そして「AO入試」に対する批判が沸騰しておりました。



AO入試偏重は技術立国の自殺であり階層を固定する 谷本真由美Wirelesswire News

日本のAO入試はなぜ上手くいかないのか:人類応援ブログ 小山晃弘


いつもながら、谷本氏ことめいろま氏の書いていらっしゃることには、ものすごい偏向があると思うのですが、先ず、アメリカのAO入試と日本のAO入試は全く違うものです、っていうか、アメリカの入試は全てがAO入試です。
一般入試、推薦入試、AO入試と受験生に選択肢がある日本と違って、アメリカでは全ての高校生が、このAO(アドミッション・オフィス)入試を受けるしかないのです。
つまり、貧乏だろうが裕福だろうが、「せっせと勉強は頑張れるけども、しゃべるが下手だったり、シャイだったり、体が弱い学生」だろうが「馴れ合いやリーダーシップを発揮する事や、ご立派な非営利活動を自慢する」学生であろうが、このAO試験を受けるわけです。
そして、めいろま氏が一言も触れていなくて、小山氏のブログに詳しくかかれていることですが、このアメリカのAO入試のベースは、あくまでもSATという統一試験の成績です。
この試験は、センター試験と違って数回受験可能であり、センター試験よりも遥かに受験料が安く(貧しい家の子は免除)、受験後数ヶ月先にしか受験生本人に自分の成績が通知されないセンター試験と違ってわずか2週間後に成績がウェブ上でわかる、という試験です。
College Boardという、アメリカの高校生が大学探しをするサイトでは、SATの点数が重要なファクターになっています。
SATの点数がある一定のレベルに達していないと、そもそも親がお金をかけて短期留学やボランティアに行かせたりしても、全くお話になりません。
めいろま氏の書きようだと、まるで成績関係なしに、お金をかけて短期留学やボランティアをやった受験生が楽勝のように書かれていますが、それは全く違います。
先ずはSATの点数ありき、なんです。
SATは、日本の高校生が塾や予備校の「センター対策講座」に高1や高2から高い授業料払って行くのと違って(アメリカには予備校や塾ないし)、数少ない対策本や問題集を買って勉強するか、せいぜい高校でやってくれるSAT対策の講座に1度か2度行く程度しか、具体的な対策はありません。Critical readingもWritingもMathも、「努力」よりも生まれつきの「頭の良さ」に依るから、少なくともアメリカ人はそう考えているから、です。変なところで諦めがよいというのか、日本人と違って「努力すればするほど点数が上がる」という幻想を持っていないのです。
難関大学で課されるSATの科目別テストも、学校の勉強が最大の受験勉強になっており、家庭の経済力によって点数が上下するとも思えません。
ハーバードやイェールには、このSATのReasoning test のスコアが満点の2400点の超優秀な高校生が何百人も出願するそうです。いくら親のお金でボランティアや短期留学していても、SATの点数が1600点あたりだと、出願するだけ無駄です。
で、2400点辺りのスコア群に固まった受験生の中から、入学者を選ぶ作業をするのが、AO(アドミッション・オフィス)なのです。
アメリカの大学のAOが目指していることは、シンプルです、"如何に大学の力を最大化するか”、ということに尽きます。
最大化とは、一人でも多く優秀な学生を入学させること、スポーツや音楽に秀でた学生を入学させて大学のチームやオーケストラのレベルをあげること、ジェンダーエスニックのバランスをとりダイバーシティをはかること、などでしょうか。
勿論、その2400点付近で団子になっている大勢の受験生の中から、留学やボランティアをした学生ばかりを採るはずもありません。
また優秀な学生を獲得することに関しては、ここではアメリカ人的な猛禽類の本性を発揮して貪欲です。優秀であれば、学費プラス生活費タダで入学させます、能力的にはビミョーだけれど正規の学費をフルに払えてプラス寄付までもしれくれそうな裕福な学生(例えば、ブッシュ元アメリカ大統領のような)を入学させるのとバランスをとって。


この動画は勿論宣伝です、でも彼女だけが宣伝用に奨学金を貰えているわけではなく、Need-Basedの奨学金で、貧しい家の子どもでも、ハーバードのような難関有名大学に入学できます、否、有名大学であればあるほど、奨学金が充実しており、貧しい家の優秀な子どもを受け容れるキャパが大きいのです。そして彼らは、卒業時に借金を抱えなくてもいいシステムになっています。
それだけではありません。
私は去年、機会があってアメリカのアイビーリーグのとある大学の学生寮を訪れる機会があったのですが、その立派さといったら!各寮に、ハリーポッターの映画に出てくるような天井の高い食堂があり、日本の小学校の教室二つ三つ分くらいの学生専用の「談話室」に革張りのソファーが幾つもとグランドピアノがおかれ、図書室(大学の図書館とは別に各寮の図書室)もオーク材の本棚にちょっとした町や村の図書館規模の本が並び、パソコンが10台くらいだ〜っと並び、ぶつぶつと独り言を言いながら勉強する学生のために個室の自習室のドアが並び、そして地下には学生専用のダンススタジオとジムがある、という環境でした。
この、日本の大学がひっくり返っても学生に提供できない素晴らしい環境の中で、前掲の動画の彼女、父親が庭師、母親がハウス・キーパーの貧困家庭の彼女は勉強し、生活するのでしょう。この環境の中で、エリートとしての社交の仕方や振舞い方も同時に学んでいくのだと思います。

アメリカンドリームは大昔に死んでしまいました。

と、めいろま氏は言いますが、どうしてどうして、アメリカンドリームはまだ、辛うじてしぶとく残っているのではないでしょうか。
動画の彼女が、貧困家庭からハーバードに入学できたように、酷な言い方ですが、めいろま氏のお友達である「貧しいメキシコ移民の二世やフィリピン移民の一世」の学生にも、チャンスだけは公平に開かれています。
それを書かずに、軍隊に入った話だけを書くのは公平ではないのでは?
翻って、日本の片田舎の貧しい天才少年・秀才少女が、親が一銭も学費・生活費を出すことなく、尚かつ卒業時に借金を抱えることなく、東大や京大、早慶の大学に進学することができるでしょうか?
日本の方が、余程、経済的に裕福かそうでないかで子どもの進路選択が制限される社会だと思います。



で、名前はアメリカと同じ「AO入試」ですがまるで違う日本のAO入試について考えてみます。
そもそも、センター試験よりも、一般入試よりも、そして指定校などの推薦入試よりも早い時期(大抵は高3の夏休み)に始まるこの入試に、「AO入試」という紛らわしい名前を付けた、慶応大学湘南藤沢キャンパス(以下「SFC」)に、責任があります。
今は殆ど聞かれなくなってしまった、「一芸入試」の方がよほどぴったりだったのに。
一般入試は1点を争うペーパーテスト、推薦入試も「内申点何点以上」という、点数という尺度がありますが、SFCが打ち出したこの入試は、


筆記試験や技能試験などの試験結果による一面的、画一的な能力評価ではなく、中学校卒業後から出願に至るまでの全期間にわたって獲得した学業ならびに学業以外の諸成果を筆記試験によらず書類選考と面接によって多面的、総合的に評価し入学者を選考するもの
慶応義塾大学 入試制度


という、「多面的、総合的」って何?というものでした。
昨日、今日と、ネットではAO入試は叩かれまくっていますが、当時は、「画期的な新しい入試」「暗記や詰め込み勉強重視からの解放」と、極めて好意的に迎えられていた記憶があります。
それが、何故、ここまで残念な入試制度になってしまったのか?
上記の小山氏のブログにも、理由が分析されていますが、それに加えて、

・SATの点数が前提のアメリカのAO入試と違って、日本の場合は、統一試験にあたるセンター試験の実施は1月、受験生に結果が知らされるのは卒業してから(!)という全く使えない仕様であり、統一試験の成績を日本のAO入試に組み込めなかったこと
・たいていは11月に行われる推薦入試(内申点重視)とは入試の性格を分けるために、選考基準を曖昧な基準にしかできなかったこと

結果、成績や能力を表す客観的数字である、センター試験の点数や学校の成績とは関係がないところで判断される試験になってしまっていたのです。

だからこそ、「AO義塾」というお笑いのような塾商売が成立しえていたのでしょう。

ただ、SFCだけではなく、慶応本体も、早稲田も、その他私大、国立大学までもが、このAO入試に追随し、同じような入試を行い、学生を入学させ、卒業させてきたのです。
それは何故かと言うと、それは「青田刈り」、つまり出来るだけ早く、少しでもマシな学生を確保するため、です。


しかし、何か見落としてはいないでしょうか?
大学の付属校って、壮大な「青田刈り」ではないのでしょうか?


首都圏以外の方には、よく理解できないかもしれませんが、実は、早慶、及びMARCHに入るには、高校で付属校に入るのが一番簡単なのです。
お受験、即ち小学校受験で、幼稚舎(幼稚園ではありません)や、早稲田実業小学校に入るのは、それはそれは大変です。
中学もそこそこ大変です。普通部(教習所ではありません)や中等部にSFC早稲田実業や早稲田学院(中等部ができました)、MARCHの付属中学など、どこも高偏差値の中学への合格を目指して、小学校低学年から首都圏の小学生は塾通いをします。
大学は、全国から、早慶MARCHを目指して受験生が集まります。
一方、首都圏の高校受験においては、先ず、中学受験で既に私立中学に行った優秀層がごっそり抜けています。
そして、全国区ではなく、首都圏だけの戦いになります。
更に、公立中学の進路指導では先ず都立高校・県立高校への入学を中心に行われますから、早慶やMARCHの付属校とはいえ、お受験や中学受験、大学受験にくらべて、相対的に入りやすいのです。
ちなみに慶応義塾高校募集370名、志木高校230名、女子高100名、早稲田高等学院360名、早稲田本庄270名、これだけではありません、明治大学付属、青山学院大学付属、中央大学付属、法政大学付属、どこも募集が何百人単位の人数です。
(小学校、中学校から上がってきた生徒がいるので、各高校の一学年の数はもっと多い)
しかも、これらの大学付属高校は、入試が全て3教科!

2015年受験 予測偏差値 SAPIX中学部

都立高校、県立高校が5教科であるところに比べて、かなりラクな入試です。
つまり、首都圏に住んでいて、高校で早慶MARCHに入るということは、中学受験で優秀層がごっそり抜けた集団において、都立や県立の名門校の5教科受験を目指す層ともバッティングせず、おまけに義務教育の範囲の英・数・国だけで、慶応大学、早稲田大学、MARCH大学への切符を手に入れられるのです。

これは大学側から見れば壮大な青田刈り、付属高受験生にとっては、緩く美味しい受験、と言わずして、何というのでしょう?


めいろま氏は、AO入試を「技術立国の自殺であり階層を固定する」と批判していますが、「技術立国の自殺」という大問題以前に、早慶MARCHの大学のレベルを欧米並みに上げるとしたら、真っ先にやるべきことは、付属高校の廃止、最低でも付属高校の高校での募集の廃止ではないでしょうか。
世界の大学ランキング上位の学校で、「義務教育レベルの英語・数学・国語の試験」の緩いフィルターしか通り抜けていない学生が入学者の何割もいるような大学ってあるでしょうか?
めいろま氏自身、前掲のSAPIXの偏差値表に掲載されている大学付属校(女子校)のご出身で、一般受験ではなくいわゆる「エスカレーター式」で大学に入学された方です。
地方から、早慶MARCHの大学を目指して一般受験する受験生は、めいろま氏風に言うと、

地方の実家はお金がないので、首都圏にある早慶MARCHにラクな高校受験で入学して、「大学入学の予約金」でもあり「保険料」でもある私立高校の高い学費を3年間も払ってもらうこともできません。高校時代に海外に行くこともできませんでした。懸命に勉強して、国語、英語、社会か数学選択の一般受験で入学してからも、裕福な自宅通学の付属高上がりの学生と比べて、バイトを幾つもしないと東京での生活はやっていけません。大学の制度で留学したくても、お金の問題だけでなく、様々な情報を持っていて準備もできる付属高上がりの学生とは勝負になりません。一線に並んで大学に入学したように見えて、地方から大学に入った学生は、入学時での学力では付属高組に勝っていても、その後の学生生活ではいつも惨めな差を感じるしかありません。

ということにはならないでしょうか。彼らから見ると、めいろま氏はさぞ恵まれた学生だと思うことでしょう。


詰め込み教育の一般入試で入学した学生に比べて、緩い入試システムで入学した学生が口先だけで能力レベルが低いことが、ひいては「技術立国の自殺」に繋がるという、めいろま氏のトンデモ論理によると、エスカレーター式の付属高校からの大学入学システムは、AO入試に負けず劣らず「技術立国の自殺」では?

私はAO入試を肯定するものではありませんが、ラクな付属高校への入試を経て大学に入学する学生をよしとするのなら、付属高校への入学が不可能な地方の学生やら、首都圏の学生でも早慶MARCHの指定校推薦がない公立高校の学生が、一般入試にさきがけてAO入試にトライするのを責めるべきではない、と思います、何故なら、付属高校からのエスカレーター式入学制度と同様に、AO入試の制度があるのですから。

都内の私立大学、就中、早慶MARCHが、文科省から競争的予算を獲得するためにグローバル化に懸命なことは理解できます。一方で、大学を経営する上において学生数を確保するため、なりふり構わず青田刈りもしなければならない台所事情も理解できます。けれども、グローバル化と言うなら、世界大学ランキングのようなものの上位を目指すのなら、付属高上がりの生徒が学生の何割をも占める、という状態では無理でしょう。世界の有名大学で、そんな付属校を持った大学はありません。付属校のシステムは今更廃止はできないと言うのなら、グローバル化、先日話題になった用語で言うと、「G大学」は諦めて、「L大学」つまり「東京ローカル大学」に方向転換すべきではないでしょうか。


そもそもAO入試批判が何故か「技術立国の自殺」という飛躍した方向へ迷走しているめいろま氏の文章ですが、この数年彼女が書いたものを読んできて(メルマガ購読しています♡)違和感があったことが、やっと理解できました。
めいろま氏にとっては、いつも自分が正義、正確に言うと自分が辿ってきた道が正義、なのです。
ところが一方、彼女はラディカルとも言える発言をバシバシしている方なのですが、時々彼女の正義とポジションが齟齬をきたしているのです。
つい先日も、めいろま氏が、女子校を肯定しているのを読んで、意外に感じたのですが(だって、めいろま氏なら、女子校や男子校を粉砕しそうじゃないですか)、

あくまでも、めいろま氏個人の狭い体験だけを正義とする発言ですよね。
自分自身の経験は素晴らしかったとしても、本当にリベラルな世界を目指すのなら、共学の中で女子が男子と同等に振る舞える環境を作るにはどうすればよいのかについて発言するべきで、女子校をあと10年?20年?生き延びさせても問題の解決にはならないのでは?
「技術立国の自殺」という飛躍は、多分にめいろま氏のお父様への思いがあるのでしょう。
エンジニアとして長く企業で活躍された方だと、著書だったかブログだったかtweetで読んだ記憶があります。
ただ、そこにも、個人的思いとは別な考察が必要だと思うのです。
不肖私の父も、めいろま氏のお父上より一回りくらいは年上だと思いますが、まさにめいろま氏が書いているように、

外国製品を入手し、それを分解し、外国語の仕様書を解読し、これより良いものを作ってやるぞと真夜中まで研究や実験に励む人でありました。また、コネも何もお金もないが、外国に飛び込んで一生懸命ものを売ってくる人々でありました。政治やマスコミとは無縁でありました。そんなものは仕事や技術には関係ないからです。


こういう世代の人でした。1ドルが360円だった時代に、新製品を持ってアメリカの大学やメーカーを回るわけですが、今なら飛行機で移動してホテルに泊まるのは当たり前ですが、日本の大企業から派遣されていても、移動はなるべくレンタカー、泊まるのはモーテル。レストランで食事をするのではなく、スーパーマーケットで食料を調達して、その物量の圧倒的な量に驚き、「こんな国と戦争したなんて!」と呆れたそうです。「ネイティブ教師の英会話」なんて望むべくもなかった学生時代、豆単を隅から隅まで暗記した英語力を駆使して、ジャパニーズイングリッシュで交渉し、商談をまとめたのです。メーカーのエンジニアも、商社マンも皆、その時代はそんな感じだったのだと思います。

そういう先人を尊敬するのはいいとして。
でも、彼ら、その当時のジャパニーズ・ビジネスマーンに欠けていたことは、ボランティアの精神だったり、公共の福祉だったり、社会活動の意識だったり、ではなかったでしょうか。
ウチの父など、町内会は勿論、政治には全く関心などありませんでした。
また日本国内では「阿吽の呼吸」で決まることが、日本を一歩出ると「プレゼンして主張」しなければどうにもならないこと、製品は素晴らしくても商談が下手だったり売り方がマズいと商売にならないこと、それも日本が経済大国になるに連れてわかってきたことではないでしょうか。
彼らには、プレゼン能力もなければ、人を説得したり、という交渉技術もなかったのです。
そうして、バブルを経て、日本もようやく「衣食足りて礼節を知る」状態にたどり着いた時、その猛烈時代のジャパニーズ・ビジネスマーンに足りなかったことが、日本の社会に求められるようになり、それが教育の中身にも反映された、ということなのでは?

今の若い人は、羨ましいほど何の衒いもなく、「社会に貢献したい」「貧しい国の開発を手助けしたい」「世界の平和に貢献したい」と言うんですよね。理系の人でもそうですよ、「障碍者や高齢者の生活を助ける技術を開発したい」とか言うんです。
これは、ゼニにしか関心がない「エコノミック・アニマル」(←懐かしい)とも呼ばれた昔のジャパニーズ・ビジネスマーンには、決して見いだすことができなかった志です。
この若者の意識は、認めるべきであり、育てるべきものではないでしょうか。
大学生と大学院生の子ども(文系と理系)を持つ私などから見ると、「理系」の成果が目に見えなかった昔と違って今の時代、学生でスマホのアプリを作ったり、プログラムコンテストで入賞したりする理系の学生は尊敬と憧れの的ですし(今回見事過ぎる「小4が作ったサイト」を製作してしまった渦中の人、Tehu氏もそうですね)、そんな技術者の彼らがいる限り、「技術立国の自殺」ということにはならないと思います。

で、当然のことですが、AO入試と「技術立国の自殺」は何の関係もないことで、一般入試で入学した学生にも優秀な人とそうでない人がいるように、また、付属女子高上がりで大学に入学した学生でもアメリカの大学院に入学して国際機関で働いて海外に住みながら日本のネット上でオピニオン・リーダーになっている方もいる、のと同じように、AO入試で入学した学生の中にも「日本国がより豊かになる様、世の中に還元する様な能力を持った人」(めいろま氏)も必ずいるのではないでしょうか?皆が皆、青木大和氏のような学生ではないと思いますよ、AOの制度には疑問がありますが。

ワタクシは個人的には口べただが技術が好きだったり、自分を実力以上に語らない、不器用で朴訥とした人が、楽しく働けて妥当な報酬を得られる世の中になるべきだと思っております。


最後の最後にのけぞってしまったのですが、この ↑ 上の発言は、本当にめいろま氏なんでしょうか?!
彼女が最近揶揄していた、オタサーの姫の発言かと思いましたよ!
日頃、男女問わず専門知識と技術の習得が大事なこと、ハンパな英語では海外では通用しないこと、主張するべきことはきっちり主張すること、などを力強く説いている、泣く子も黙るめいろま氏とは別人のようです。

また、めいろま氏が盛んに秋波を送っているタイプというのが、

家は貧乏だが、勉強が好きで、せっせと真面目に働く地味な青年達

不器用で真面目な人々

口べた   自分を実力以上に語らない、不器用で朴訥とした人

ですが、これって、先日亡くなった、健サンこと、高倉健ですか?


ネット上で影響力が強い方の発言であり、めいろま氏の発言の60%は納得してしまうものであるだけに、時折垣間見える個人的経験のみを根拠にした発言は大変残念だと思いました。