小学校で英語を教科化することが「グローバル人材」を養成する効率的なやり方かどうか?   「帰国子女」を目指してはいけない。

5月23日MSN産経ニュース

政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は22日、国際化社会における人材育成と大学改革について議論し、小学校で英語を正式教科とすることを柱とした提言案を大筋で了承した。来週にも安倍晋三首相に報告する。

 提言の素案は、小学校英語の拡充を掲げ、現在は小学5、6年で週1回の「外国語活動」として実施している授業を、正式な教科に格上げすることを提唱。授業時間の増加、英語専門教員の配置や、4年生以下に英語を教えることも求めた。


既に2011年度から、日本国内の小学校では、5、6年生に「外国語活動」として年間35コマ(小学校では1コマ45分だから、年間26時間15分)、英語が教えられているそうです。
これが何故「外国語」でなく「外国語活動」という名前なのかというと、正式な教科だと、当然のことながら検定教科書を使って、英語を教えられる教員免許を持った教師が教えなくてはならないのが、驚くべきことに文科省でも現場でも全くその準備ができていないので「活動」になっているとか。
もう一つ私の素朴な疑問は、何故「外国語」がイコール「英語」になるのか?ですね。学校によって、「中国語」や「韓国語」、「ロシア語」であってもよいと思うのですが、何故か「英語」だけのようです。



さて、子ども自らの意志や希望とは関係なく、親の海外転勤に従って否応無く海外に住むことになり、現地の学校で英語(にしておきます)で学ぶケースがあります。日本に帰れば、彼らは「帰国子女」と呼ばれます。そして「いいわね〜、英語ペラペラでしょ?」と言われてしまうのです。海外に行った年齢、滞在した年月、そして子どもの適性によって、皆が皆「英語ペラペラ」という訳では決してないのですが(そしてそれも、子ども本人の責任ではないのですが)、そう言われてしまうんですね。でも、帰国した彼ら、とりわけ小さい日本人の子どもが英語を喋っているのを聞いたりすると、「えっ、ウチの子と同じ歳なのにもうこんなに英語が喋れるの?」と、焦ってしまう親御さんがいらっしゃるのもわかります。以前私も、友人が駐在先から一時帰国して遊びにきてくれた時、まだ3歳になるかならないの彼女の娘が、「Much more!」という、「r」の巻き舌が完璧な発音に「比較級に付く副詞はvery ではなくmuch」という完璧な文法の英語で以て、私にお菓子のお代わりを要求してきた時には、舌を巻きましたね(←これは「巻き舌」ではない)、それが「おっとっと」のお代わりを要求するものであっても。
でも、今ははっきり申し上げられます、「小学校の段階で、英語の歌を歌ったり、英語でゲームできたとしても、それは大人になった時の英語力とは何の関係もない。」と。
というのは、その後我が家も海外赴任することになって子どもたちがいわゆる「帰国子女」になったり、それに先だって弟一家も幼い娘二人を連れて海外に赴任したり、ということがあり、親の都合で海外に帯同された子どもたちが、どのように英語を覚え、どのように忘れ、現地で英語を身につける過程で何を犠牲にしたかを間近で見て、色々と感じることがあるから、です。
ですから、最近の政治家の方々の、まるで何かに取り憑かれたような「英語!英語!英語!」という大合唱に私は疑問と違和感を抱いてしまいます。
一体、何を目指しているのか?「グローバル化に対応した日本人」を作ることを目指しているのならば、それは大人になった時に英語が喋れればよい、他の様々な能力と共に語学力も兼ね備えている日本人の大人を作ればいいんですよね?それには、「小学校で英語を教科として教える」ことは、何の効用もないのではないかと、私は思います。



小学校の段階で、母国語の日本語以外に英語を身につける、というのはどういうことか、帰国子女と言われる子どもたちを例にとると。
小さな子どもほど環境順応性が高いので、何もわからないまま現地(英語圏にしておきます)の幼稚園や小学校に放り込まれても、多くの子どもは数ヶ月経つと英語で友達と遊んだり、勉強にもついていけるようになりますが、日本に帰国すると今度は日本語に順応しようとするため、親が意識的に英語を保持させる努力をしないと(努力をしても)、英語は直に忘れてしまいます。
では、英語力ゼロで現地の幼稚園や小学校に入った場合、英語で遊んだり、小学校の英語の授業についていくのに、子どもにとってどれくらい時間が必要なのでしょうか?
親が日本人で家庭内での会話は日本語、家には日本のアニメのDVDが溢れ日本のテレビ番組が見られる環境の場合でも、小学校低学年だと一日5〜6時間、高学年で一日7〜8時間は、親の助けがない「英語環境」(しかも教師は全員「ネイティブ教師」、学校生活全てが「英語」という環境)で子どもがたった一人で立ち向かうわけですが、その場合、小学校低学年では一週間で25〜30時間、高学年で35〜40時間「英語だけの環境」に晒されることになります。
小学校低学年で、一週間で、日本の小学校の「外国語活動」の年間授業時間26時間15分を超えています。勿論、25時間かそこら「完璧に英語だけの環境」にいたからといって、同年代の英語ネイティブの子どもたちが喋っている英語など全く理解できないし、自分の意見を英語で言うことなど到底できません。日本語もまだまだままならない年齢、家では日本語なのに学校では英語、という凄まじい言語ストレスの中、そうして一ヶ月、二ヶ月経って、やがて半年くらい経った頃、気がついたら、英語で友達と遊んでいた、とか、英語で寝言を言った、とか、家の中で兄弟姉妹で英語で会話している、という状態になるのです。半年ということは、周り全員「ネイティブ」ばかりの「英語環境」で過ごした時間は、小学校低学年で600〜720時間、高学年で840〜960時間ですよ。低学年だと、日本語でも「文法」など理解できませんから、英語は、耳を筆頭に五感をフルに使って文字通り「全身」で覚えるのです。よく英会話教室の宣伝などで、「英語が自然に口をついて出てくる」てなことを唱っていますが、それにはこれくらいの密度で半年くらいやらないと、とても「口をついて出て」はこないわけです。子どもは順応性は高く、五感で言語を覚えようとしますが、その反面「文法」などの理屈の助けなしに、日本語とは言語的にかけ離れている英語を修得するのには(ヨーロパ諸国の子どもが、母国語と文法も語源もよく似た英語を学ぶのとは訳が違います)、逆に時間がかかるのです。しかもそれは所詮「小学生レベルの英語」であって、そのままのレベルだと、とても「グローバル人材」にはならないわけです。自民党教育再生本部に属する政治家の方々が言う「グローバル人材」って、小学生レベルの英語が喋れる大人ではなく、ビジネスや交渉で大人レベルの英語が喋れるの大人の人材、のことだ思うのですが、週に1コマ(45分)年間で26時間15分の英語の授業で、どれだけのレベルを達成できるというのでしょうか?そんな無駄な授業よりも、算数や理科を深く教えることとか、国語の読解力養成やプレゼンテーションの授業に時間をさいた方がどれだけ、本当の「グローバル人材」を育てられることでしょうか?


勿論、大人の「グローバル人材」を育てるためには、大人になってからでは遅いのですが、「効率」ということを考えると、小学校からの英語教育は再考の余地あり、だと思います。自民党教育再生本部の方々が「他国でも小学校から英語を教えているから」と、何かに憑かれたかのように、何の準備もされていない「小学校での英語教育」を主張なさっていますが、いやしくも一国の教育を考える時に「他国が・・・」というのを論拠に持ってきてほしくありません。急速に少子化が進む日本で、どうやって「グローバル人材」を効率的に育てるかが問題ならば、文法が理解できる年齢、例えば中学生になって、日本語力も論理的思考力もつき、語彙力をある程度高めてから、集中的に英語を学習させる方が、余程目的にかなっているのではないかと思います。
大体、今から小学生用の英語の検定教科書作って、英語を英語で教えられる教員を養成するって、どれだけ時間とコストがかかるのでしょうか?自民党教育再生本部の政治家の方々の自己満足のような、そんな非効率なものではなく、例えば、韓国の「英語村」*1のような施設を各都道府県に作って、中学生の段階で英語のペーパーテストが良い生徒を選抜して、夏休みや春休みに集中的に泊まり込みで「英語漬け」にする、というのはどうでしょう?今から、小学生向けの英語の教科書や、英語が教えられる教員(←そもそも全公立小学校分の数を確保できるのか?)を養成するよりも遥かに早く、遥かに簡単にできることではないかと思います。自民党教育再生本部には、隣国がお好きでないような方々も散見されますが、これこそ「他国でやっているから」と是非取り入れてほしいものだと思います。
「ペーパーテストで選抜して」というのは、動詞の三単元で躓いたり、現在進行形や現在完了が理解できず、単語力もない生徒を「英語村」に送り込んでも、効果がないと思うからです。「グローバル人材」を育てるのが喫緊の課題ならば、おざなりの平等主義はこの際排して頂いて。
皆が皆、英語に向いているわけではないですし、英語をやる必要ないのですが、どうして自民党教育再生本部の方々は、面子はタカ派の方も多いのに、「日本が戦争で負けて占領されて憲法まで押し付けられた」国の言葉ばかりにこだわるんでしょうか?英語がどうしても好きになれない生徒、英語が向いていない生徒に、他の言語の選択肢を作ってほしいものですね。


そして、英語を小学校で「教科」として教えるという、効果があるのかないのか(ないに決まっています)わからないものに、莫大な予算を使うのならば、高校生や大学生、大学院生の留学をもっと推進してほしいのです。留学に対する経済的補助と、高校生や大学生の場合日本に帰国した時に学年を落とさなくてもよいシステムとか。
何故、高校生以上の留学を推進してほしいかと言うと、それが「英語が喋れる人材」を養成するのに最も効率がよいからです。
私自身は留学できなかったので、高校時代にAFSでアメリカに留学した、とか、大学時代に交換留学でアメリカに留学した、という友人や知り合いに、私はよく尋ねました、
アメリカに行って、どのくらいで英語がスラスラと出てきた?」
と。AFSはホームステイだし、大学の交換留学は大学の寮住まい。つまり寝ている間以外の時間は「全て英語」の世界です。「帰国子女」の場合は親の海外駐在ですから、学校では英語でも家庭内では日本語ですから、それに比べて格段に濃い「英語環境」に入ってどれくらいで英語に馴染めるのか、を知りたかったのです。大抵の人は「3ヶ月くらい」だと答えてくれました。また多くの人が、
「英語で夢を見た時は、感動した!アメリカ行ってから3ヶ月くらいだったかな。」
というのですね。3ヶ月という短い時間で、しかもお子さま英語ではなく、高校生レベル以上の英語を身につけたわけです。AFSで留学する高校生は、日本の高校ではきっと英語の成績は学年一番、いえ、それぞれの都道府県の中でトップクラスの生徒です。交換留学生に選ばれる学生も、かなり英語ができないとそもそも選ばれません。ということは、高校生や大学生ですから、勉強の内容やネイティブの友人との会話のレベルもナーサリーや小学校低学年とは比べ物にならないくらい高いのですが、日本にいる間に英語に関してやれること(文法や語彙力)をやってから英語環境に入れば、寧ろ英語が喋れるようになるのは早いのです。
ある程度の英語力を日本で身に付け、自ら海外で学ぼうという意欲があり、目的意識のある高校生、大学生、大学院生を積極的に海外に行かせれば、日本で必要な「グローバル人材」は確保できるのと思われますし、一番効率的だと思われるのですが。


大体、自民党教育再生本部の方々は国会議員ですから選挙を気にしなければいけないのもわかりますが、この時代に「小学校から英語を教えれば日本人が皆英語が喋れるようになる」という「平等幻想」に基づいた教育改革論なんてやめてほしいですね。
日本の子ども全員が、小学校から年間26時間15分英語を学んで、若しくは、他の教科を犠牲にして更に数十時間上乗せをしたとして、全員が「グローバル人材」になるとでも考えているのでしょうか?いえ、こんなチープな外国語教育で以て子どもたちやその親に「誰でもグローバル人材になれる」という幻想を与えることは、厳に慎んでほしいのです。




そして、「帰国子女」なんて目指してはいけないのです。
「帰国子女」は確かに、英語環境の中にいたお陰で英語喋れるようになるかもしれません。
でも、彼らが失っているもの、犠牲にしたものもある、ということは、なかなか知られていません。
先ず小六、中三で海外に出た我が子たちの恥を晒しますが、小六で海外に出て日本の中学校3年間の教育を受けていない娘の場合、高校から日本の高校に復帰して普通にセンター試験受けて大学受験もして表面上は普通の日本人に戻ったように見えますが、彼女に決定的に欠けているのは、例えば日本の中学で習う「日本の地理」とか「日本の歴史」の知識、四字熟語や故事成語やことわざの語彙ですね。日本の都道府県と県庁所在地全部言えないと思います。大学受験では「日本史」を取っていましたが、中学の歴史で習う一つの流れの中の歴史としてではなくスポット的にやっつけていた節があります。化学や物理などは、用語が日本語より先に英語で入っているので、高校では相当苦労して赤点上を低空飛行。数学は好きだったのに最初から理系へ進む道は諦めざるを得ませんでした。日本の義務教育の最後の3年間が欠けていることはかくも致命的です。
中三で海外に出た息子の場合は一応は義務教育段階を過ぎてからの海外だったのでまだマシですが、彼に欠けているのは高校で習う「古文」の知識や教養です。三国志オタクであるため、中国に由来する故事成語は無駄な知識も持っていますが、如何せん万葉集源氏物語枕草子もどれだけ知っているか怪しいものです。教育ママ(←死語!)の私は、海外在住の間、Amazonから高い送料払って彼らに日本の小説やら取り寄せましたが、それで補えるのには限界があります。息子にしても、ことわざなんかは今でも混乱していることがあります(「机上の空論」と「絵に描いた餅」がごっちゃになって「机上の餅」になったり←実際笑えません)。彼らはTOEFLではそこそこのハイスコアを出していますが、社会に出てからどこかの場面で思いっきり赤っ恥をかくことになるのではないか、と親として心配と覚悟をしています。海外にいた間にも、もっとちゃんと日本の教科に沿って勉強させるべきだったのか?いいえ、英語に慣れることに必死だった彼らの生活を思い出せばそんな余裕はなかったと断言できます。では、帰国後彼らがもっと努力して欠けてる部分を埋めるべきだったのか?いいえ、帰国してすぐに受験が待ち構えていた彼らは、彼らなりに必死で今度は日本にintegrateしようとしていたのでそんな余裕もなかったと思います。そもそも海外駐在は彼らの意志ではなく、親の転勤に仕方なく帯同しただけなんですが。
身内の話が続きますが、0歳と3歳でアメリカに行って5年間現地校に通った姪たちにしてもそうです。彼女たちにしても、もうすっかり日本で教育を受けた年月の方が長いので学力的には全く日本人なのですが、たまに「幼少期に海外に行っていたということはこういうことなのね。」と思わされることがあります。例えば、昨年の夏彼女たちと夜の海を眺めていた時のこと。暗い海の中細長い岩が波に洗われていたのですが、その時の彼女たちの会話:「(岩を指差して)ねえ、あれってあれみたいだよね。」「ほんとほんと、あれそっくり。生きてるみたい。」「あれって何ていうんだっけ?」「何だっけ何だっけ。」というところで二人同時に口にしたのが、完璧な発音の「Alligator!!」・・・彼女たちは「ワニ」という日本語を発することなく会話を終えました・・・。きっと物心つくかつかないかで現地のナーサリーに入れられそのまま小学校に通った彼女たちは、「ワニ」という日本語の単語よりも「Alligator」という英語の方を早く覚えたのでしょう。
我が家以外の帰国子女についても色々なケースを見聞きします。
海外暮らしが長く、小学校低学年から殆ど教育を英語で受けた子どもの場合(日本国内でインターナショナルスクールに通った場合も同じ?)、家庭では日本語なので一見日本語と英語のバイリンガルに見えますが、実は「漢字が殆ど読めない」「日本の文庫本を読んでいるから日本語が読めるのだと思っていたら、ルビがついていない漢字は全く読めない」「メールだと普通に漢字混じりの日本語を書いているけど、手書きの手紙だと全部平仮名」ということも多いです。
単に言語の問題だけではありません。「英語だと論理的文章が書けるけれども、日本語だと日常会話はできても論理的文章が書けない。」「日本語の漫画は読めても、日本語の新聞記事の内容を理解できない。」ということもあります。論理的に考える言語が英語になっているのです。
言語の問題だけではありません。アメリカンスクールやブリティッシュスクールに通うということは、「歴史」といえば「アメリカ史」「イギリス史」ですし、インターナショナルスクールに通ったとしても、そこでは日本の学校で習う「日本史」は無いわけですから、例えば、子どもの口から「真珠湾攻撃は絶対に許せない卑劣な行為」「原爆投下は正当化できる」ということを言われたりして、ショックを受ける親御さんもいます。
更に、私の知っているお嬢さんは、幼稚園の頃から父親の転勤で英語圏を転々とし、家族が日本に帰国した後も現地の高校の寮に入ってカナダの名門大学に進学した「バイリンガル」のお嬢さんですが、彼女は例えば「恋バナ」を母親や日本人の友達と日本語でできないのだそうです。つまり、彼女は自身の感情や気持ちを話す言語は英語であり、日本語では上手く話せないし、話した経験もないのです。ずっと友達は英語ネイティブばかりで、ボーイフレンドの話もずっと英語で話してきたのですから。彼女のお母様は、長く英語圏に住んでいらしたので生活するのには全く困らないレベルの英語ができる方ですが、微妙で繊細な問題を英語でお喋りするレベルの英語力はないわけです。親子ですから、「恋バナ」が出来なくてもどこかで気持ちは繋がっているとは思いますけどね。
更に、帰国子女たちは多くの場合帰国する時期さえ選べません。親が日本に帰任になったら子どもも帰国です。苦労して英語の世界に馴染んだのに、今度は日本語の世界に馴染む努力をもう一度しなければなりません。そして、帰国する時期が小学校低学年ならば彼らが苦労して獲得した英語のレベルはその学年で止まります。小学校6年生で帰国すれば「小学校6年生並の英語」です。中学校でも同様です。中学校3年生(アメリカだと8年生?)並みの英語では、とてもビジネスや交渉を英語でこなす「グローバル人材」のレベルには程遠いことは確かです。とすると、日本の小学校で、貴重な授業時間を割いて少々の英語を教えたとして、どれだけの効用があるのか?


帰国子女のこのような事例は、小学校で英語教育を行った場合の極端なデフォルメだとも言えます。それは母国語それ自体と母国語を用いた教育が幼少期においていかに大事か、ということを表しています。今小学校5、6年生でで教えられる英語の時間は、1年間26時間15分ですが、これは国語だか算数だか理科だか知りませんが、「何かの教科」の時間を奪って確保されています。これを「低学年まで広げる」「時間数を増やす」と自民党教育再生本部は提言したのですが、それもやはり「何かの教科」の時間を奪うことになります。「英語」という教科から見たら、1年間26時間15分も笑っちゃうくらい少ないのですが、時間数を奪われる教科から見たら、年間26時間15分授業時間が削られることは「由々しき事態」ですよ、今まで週に4時間かけて教えていたものを週3時間で教えることになったら?そして結果、これで「グローバル人材」が育ちまくるとは思えませんし、授業時間を奪われた教科で本来は児童に教えられたであろう大事な知識や日本語の運用のレベルが下がる、という、いいこと全然ありません。PISA(生徒の学習到達度調査)の結果では、日本の子どもたちは「数学的リテラシー」も「読解力」も「科学リテラシー」も参加国内で順位を下げる一方ですが、更に「英語」という教科の時間を確保するために「算数」も「国語」も「理科」も授業時間を奪われてしまってよいのでしょうか?帰国子女の子どもたちが親の都合で海外に行って英語を身につけなければならなかったことと引き換えに、日本の学校で教えられることを犠牲にしていることは前述の通りですが、帰国子女の人数は限られているのに比べ、日本全国の小学生全員が、「少しずつ馬鹿になる知識が抜けていく」道を辿ってよいのでしょうか?



これからの日本における英語教育のお手本は、実は世界中どこを探してもないのです。
アメリカやイギリスなど英語が母国語の子どもは、「グローバル人材になりなさい!」とお尻叩かれて「外国語」という余計な負荷をかけられなくていいですよね。自民党教育再生本部の方々曰く「英語が喋れる」ことイコール「グローバル人材」ならば、生まれた時からアメリカ人もイギリス人も「グローバル人材」ですものね。いや〜、教育から「英語のプレッシャー」がないのはどれだけラクなんだ、と思いますね。「英語」の負荷がない分、自然科学の勉強ができますよ。日本では、「大学入試にTOEFL」なんて愚策が自民党教育再生本部によって提言されました。日本の理数系の輝かしい秀才たちが「TOEFL」の勉強にかまけている間、世界に遅れをとらないことを祈るばかりですが、ともあれ、日本の語学教育に関してはアメリカやイギリスは何の参考にもなりません。
幼稚園から多言語教育をしている(←この内容にはびっくりですよ!)ルクセンブルクですが、大国の狭間に位置する小国が生き残るためには、多言語(バイリンガルですらなく、トリリンガル以上)を操る国民が必要だからなのですが、彼らと日本人は違います。家庭ではフランス語を話している子どもが、学校ではドイツ語、又はその反対、そして学年が上がると英語も学ぶのですが、言語は違っても文法大系は同じであり、またそもそも彼らの両親が既にマルチリンガルであることも多いのです。日本人の親で、子どもと英語で会話でき、英語「で」勉強を教えられる親がどれだけいるのでしょうか?ルクセンブルクの語学教育も全然参考にはなりません。
「日本のTOEFL平均点は、アジアでブービーの常連」と檄を飛ばす方々もいらっしゃいます。しかし、平均点上位の国々を見て頂きたいのです。母国語でない英語で大学教育が行われている国(シンガポール、インド、フィリピン等々)です。日本はこういう国を目指すべきなのでしょうか?日本は幸いなことに、明治以降高等教育は全て母国語である日本語で行われてきました。第二次世界大戦後のアメリカ占領期もそれは変わりませんでした。お陰で、論理的に考える言語はずっと母国語である日本語でした。アジアの国の中で、自然科学分野でノーベル賞受賞者を数多く輩出しているのも、それとは無関係ではないでしょう。教育・研究レベルの高さと同時に、母国語である日本語で思考でき、母国語で幼児教育から大学教育までを受けることができたことが大きかったのではないでしょうか?それでも「TOEFL平均点のアジアブービー常連」の汚名を返上するだけのために、小学校から英語を教え、大学入試にTOEFLを導入し、大学教育を英語で行うことにしますか?また、若者の失業率が高い韓国の「アメリカ留学がエリートコースへの第一歩」とされるような国に日本をしたいのでしょうか?私に言わせれば、「秋入学」も「大学入試にTOEFL導入」も、結局は「優秀層からどうぞアメリカへ行ってください」と言って自らの首を締めているようなもので、東大を初めとした有名大学は「アメリカ留学の滑り止め」になって、「ハーバードもイェールもスタンフォードも不合格だったから仕方なく東大」になるのは目に見えているのに、産業だけでなく大学教育まで「空洞化」させてしまうのでしょうかね。



少子化が進む日本ですが、英語が使える人材は必要です。
人口が減るのですから、効率的に人材を育てるべきでしょう。
勿論国家の戦略として、「英語だけ」に外国語教育が偏るのはマズいです。
政治家や財界の方々は、自分の業績作りと、大事な教育改革とを重ねることをやめていただきたいものです。

*1: http://www.english-village.or.kr/exclude/userIndex/engIndex.do ただ、ここまで悪趣味にイギリス風にする必要は全くないと思います。