帰国生の英語力と日本語力の表れ方 ④

そろそろこのシリーズ( 帰国生の英語力と日本語力の表れ方 ①帰国生の英語力と日本語力の表れ方 ②帰国生の英語力と日本語力の表れ方 ③ )をまとめて終わりにしようと思う。

順序から言って最後に義妹のことも書かねばなるまい(私は小姑だから許してもらうことにする)。

義妹:
小学校高学年から中学校2年生までアメリカ滞在。現地校。私は一緒にハワイに行った時に彼女の英語を身近で聞いたのだが、私のようにいつも頭の中で英語を必死で組み立てて、といった感じではなく、本当に自然に「口をついて」英語が出てくる。発音もこれまた自然できれい。彼女は帰国してからずっと「英語力維持」のために英語を習わされていたそうである。英語圏で普通に暮らすには、必要十分の英語力である。しかし、我が娘と一緒で、高校からは日本で日本の英語教育を受けたわけだから、所詮「ミドルスクールの英語」止まりなのである。仕事や大学(院)留学に必要なレベルに達するためには、普通の日本人同様の努力が必要になるのである。


さて。
我が子二人と姪二人プラス義妹(それも全員に無断でサンプリングしている)を観察した結果、独断的に導きだされるのは、


英語力
・年齢が低いほど、英語環境に慣れるのも早く、同じ年齢の英語ネイティブの子どもと同じレベルの英語力に達するのも早い。
・その能力はどうも「8歳」あたりが境目らしい。しかもその中で「聞く」能力は身に付いてしまうと、英語を忘れた後でも残っている(らしい)。
・しかし、年齢が低いと、帰国後英語を忘れるのも早い。
・中学校頃に英語環境にいると、発音もそこそこきれい、英語力も、コミュニケーションをとるには十分なレベルが身に付き、身に付いたものは9割方忘れない。
・高校生で英語環境に入ると、発音はもう手遅れ。大人になってから学ぶのと変わらない。また「耳」の方も、英語が完璧に聞き取れるようになるには時間がかかる。
・一方、真面目にやれば、かなりアカデミックなレベルまでの英語を学ぶこともできるし、同じくアカデミックなレベルまでの歴史や哲学や数学を英語で理解することができるようになる。


日本語力
・就学前に海外にいる場合だと年齢的に字もまだ書けないし、従って日本語の読み書きを教えられないので、どうしても日本語が遅れる。しかしそれは何の心配もいらなくて、帰国後十分に取り戻せる。
・小学校前半で英語環境に入った場合が一番親の正念場。平仮名片仮名漢字の読み書きを必死で教えなくてはならない。日本語の本も意識して読ませて母国語である日本語を少しでも豊かにして、日本語で論理的思考ができるようにしなくてはならない。
・中学校に入ってから英語環境に入る場合は、日本語の読み書きは心配しなくていい。けれども、機会を捉えて日本で同じ年代の子どもが読む本はどんどん与えて読ませるべき。また「日本語の音読」をやらないと、家族の会話などの緩い日本語だけだと、ちゃんと喋ることができなくなる。
・高校に入ってから英語環境に入った場合は、日本語に関しては何の心配もない。寧ろインターネットが発達した現代では、学校から帰ってきてずっと日本のサイトを見てばかり(時差があるのでチャットは難しい)、というのでは逆に英語力がつかないのだが。日本にいたならば高校生として自然に身に付くであろう、論理的思考力をサポートするような読み物は、アマゾンにいくらお金を貢いででも能う限り与えるべきである。


というのが結論だろうか。

獲得できる英語力、という点だけ見ると、後々役立つのは高校生の年代に海外にいることだが、一方高校生の年頃で海外にいると、勉強と違うところで親は神経をすり減らすことも多い。現地校での、ドラッグや喫煙、アルコールが許される年齢、日本とはモラルの考え方が違う男女交際、等々、親が「一夜にして白毛女」になってしまうような問題も恐ろしいほどあるのも事実。幼稚園や小学校くらいの、親も子も無邪気に英語環境にいられる年代の方が、「楽しい」海外生活かもしれない。
理想的なのは、幼稚園の頃までに一度海外の英語環境にいて、日本に帰国。再度高校生くらいでまた海外に出ると、発音もアカデミックなボキャブラリーも獲得できる、ということになるだろうか。
けれども、どのタイミングで家族で海外に出るのか、悲しいかな宮仕えのサラリーマンには選べない。世界のどの地域にでも、どのタイミングであったにしても、考え方は「ポジティブシンキング」で、その時に子どもにとってベストの選択をするしかない。また「親の都合」で普通の日本人の子どもとは違ったイレギュラーな教育を受けることになるのだから、親は全力で子どもの勉強をサポートすべき、だと思う。
子どもに「英語、頑張りなさいね」と口で言うだけで、自分は英語や現地語を勉強しようともせずに、日本人だけで固まっている親、それではサポートには全くならない。子どもは、全くの異言語、異文化の中にいきない放り込まれて、不安を抱えつつも否応なしに頑張るしかないのだから。自分も現地の英会話教室や現地語を習いに行くと、少しは子どもの気持ちがわかると思う(自分だけ異質、自分だけ言いたいことが表せない、というのは心細く、もどかしいものなのだ)。
願わくば、駐在員の子どもとして海外で暮らした日本人の子どもが一人でも多く外国語を身につけ、異文化の中で生きて行く経験を積み、その後帰国して大人になってから、その経験が自分のためだけでなく、日本のため、ひいては、世界のために生かされますように。