武蔵中・高が始める英語の課外授業のニュースを読んで 雑感

5月18日の日本経済新聞夕刊にてこういう記事を読みました。
見出しは

海外大学狙い英語漬け

本文は以下抜粋。

 私立の有力進学校、武蔵中学・高校を運営する学校法人、根津育英会武蔵学園(東京)は英語圏への大学の進学を目指す中高生向けに、英語だけで科学を教える5年間の課外授業を2014年夏から始める。進学に必要な英語力とグローバル人材にふさわしい知性や教養を磨く。他の中高一貫校に参加を呼びかけ年間定員24人で発足させる。
 武蔵は開成、麻布とともに東京の「私立御三家」と呼ばれる進学校。補習扱いだが、有力進学校が他校にも門戸を開き海外進学を後押しすることは高校生の選択や有力大学の学生募集に影響を与えるのは必至だ。


同じ内容の同日の朝日新聞夕刊の見出しは、もっとセンセーショナルです。

東大?海外進学でしょ 私立武蔵、課外コース創設へ

いつもながら、品がないこと甚だし、ですが。


今の中学受験に詳しい方からは、「武蔵が『御三家』っていつの時代の話?」という突っ込みが入ったり、「『有力大学の学生募集に影響を与える』の『有力大学』って東大だとしたら、武蔵って東大合格者30人切ってるんじゃ?」という指摘があるかもしれませんし、以前武蔵出身の人に、「武蔵はものすごく自由な校風で、他の進学校のように大学受験や東大合格だけを目指した教育をしていないところが『売り』でありそれを在校生も卒業生も保護者も誇りにしている」と聞いたことがあるのですが、東大ではなく海外の大学ではあっても「有力大学に入学するための準備」を武蔵がやる、というのは「あの武蔵が!」と隔世の感ありなのですが、それは置いておいて。


最近塾や予備校が、「海外の有名大学進学指導」という新手のお商売をしているのですが(予備校の宣伝をしてあげる義理はないので具体的には挙げませんので、ググってみてください)、それを私立であれ「学校」という教育機関がやる、というのは画期的な取り組みだとは思います。

まあ、以上のようなことは、まだどうでもよいことです。
一番「潮目が変わった」と、親や大人が認めなくてはならないことは、「親の経済力で子どもの選択肢が決まる」ということが、もう後戻りできないレベルで確定することです。

不況下にあったこの20年の間に、少しずつそれは進んではいました。
高度成長期の大昔には、塾や予備校に通う子どもは極々限られていました。私や夫の世代だと、「学校の勉強ができない生徒が、退職した元教師がやっている塾で勉強を習う」「予備校とは大学受験に失敗した浪人生が通うところ」というイメージでした。中学受験もまだ一般的ではなく、裕福な家庭の子弟でも都立高校や県立高校に進んでいる子も大勢いた時代です。
やがて首都圏では、「公立中学は荒れている」とか「ゆとり教育で学力が落ちる」ことを心配して、経済的に余裕のある家庭から私立中学に子弟を進ませるようになりました。それに伴い中学受験塾がお商売を拡大しましたが、当時はまだ5年生からの塾通いが一般的でした(四谷大塚日能研)。そして、進学校の私立中学に入ってすぐに塾通いする子どもなどいませんでした。中学受験を煽っていた日能研の先生の言を思い出しますが、「公立中学は英語だって週に3時間しかないんですよ。だから高校受験のために塾に通うしかないんです。その点私立の進学校は毎日英語の授業があるんですよ。『予備校要らず・塾要らず』なんです。結果的に私立の中高一貫校は経済的なんです!」ということだったんですが(1990年代終盤)、その状況は直に全く変わりました。
受験が「競争」である限り、少しでも早くスタートさせたいという親心と、塾に在籍してくれる年月が少しでも長い方がお商売上都合がよい塾の思惑とが、見事にマッチして、今や、小学校に入ったらすぐに、中学受験のために塾通い。私立中学に見事合格して入学しても、また今度は大学受験を目指して塾通い。一昔前は「面倒見のよい」私立の進学校は「塾要らず」で、学校が受験に向けた授業をするわけですから、そんな早い時期から塾・予備校通いはしなかったものですが、今はレベルの高い進学校ほど生徒は早くから塾に通います(鉄緑とか)。一方中学受験をしなかった子どもは高校受験を目指して中一から塾通い。そして高校に入学すれば、また大学受験を目指して塾・予備校通い。大方の子どもがずっと学校教育と平行して塾や予備校に通う(←この状況こそがどこかおかしい)ということは、大方の親がその授業料を黙々と払っている、ということです。
小学校(その前からかも)から大学入学までの12年間、絶えることなく年間数十万円を学校教育以外に払い続けられる親を持つ子どもと、一方では、民主党政権の「高校授業料無償化」によって中退者が減った今でも、「授業料」ではなく、施設費や教科書代や修学旅行積立金や卒業積立金などの「授業料以外の経費」が払えず、経済的理由で高校を中退する子どもは依然としているのです。
生まれてからたかだか十数年でこの差!

一方では、私立学校である武蔵中・高の授業料とその他通っている塾・予備校の授業料に加えて、ハーバードやらイェールやらMITを目指す英語のプログラムの費用を親に出してもらえる子どもがいて、他方では、授業料が無償化されても尚経済的理由で高校を中退する子どもがいる。これって、高校中退した子どもが将来挽回するチャンスってあるんでしょうか?「もし今自分が経済的理由で高校を中退せざるをえない立場に立たされたら?」と想像してみてください。どう頑張っても既に人生の勝負がついてしまってはいませんか?
「親の経済力で子どもの人生の選択肢が決まる、それも敗者復活戦なしで」ということが、とうとう日本でも確定してしまったと感じてしまったのでした、冒頭の武蔵学園のニュースを読んで。


その冒頭の記事をもう少し詳しく見てみると。

参加費はレギュラーとサマー(筆者註:レギュラーとは武蔵中・高で放課後の「補習」の形で行われる週2~3日、180~360時間行われるもの、サマーとは夏休みに集中的に20~40日、120~240時間行われるもの)の両方で年約100万円。サマーのみで同40万円を想定。

このプログラムは、武蔵生とその他放課後に通学可能な首都圏の中高一貫校の生徒が受講するレギュラーと、サマー両方で年間100万円。5年間で500万円。夏だけの「サマープログラム」だけに参加しても年間40万円。5年間で200万円。このプログラムに参加する生徒の保護者は、私立の学費や諸々の経費や他の塾・予備校に通うためのお金以外に、この金額を払える親でなくてはならない、ということであり、武蔵生の親は勿論、首都圏だとそういう親を集めるのは簡単なことでしょう。
また、

企業に支援を呼びかけ特待生制度の導入を目指す

とはありますが、果たして特待生とやらの枠は何人になるのか。この只でさえ高額のプログラムに、そう何人も特待生を入れることは出来ないのではないでしょうか。

まあ、そんなことは瑣末的なことです。
この試みは、「私立の有名進学校に通う生徒が更に海外の大学への進学も視野にいれた教育を受ける」ということを、もう世の中が「不公平である」とか「羨ましい/妬ましい」とか思ってはいけない、ということ、世の中がそういうレベルまでに至っていることから目を逸らさずに認めなくてはいけないことを、示しているのです。
殆どの子どもにとっては諦めるしかありません。地方在住の生徒はレギュラープログラムははなから無理ですし、夏休みに東京に宿をとって宿泊しながらサマープログラムを受講できる生徒も限られるでしょう(夏休みに部活できないのは自明)。このプログラムに参加できるのは、特に選ばれた生徒だけ、ラッキーの星の下に生まれて来た子どもだけです。

首都圏に生まれ、小学校低学年から塾通いをし、中高一貫校に進み、このプログラムに参加できる経済力があり(親が)、数年後にハーバードやスタンフォードの高額の授業料(奨学金なしだとざっと年間400万円超←円安が進めば更に高額に)もさらっと親が払ってくれる子ども、そういう子どもがこのプログラムに参加できるのですし、すべきなのです(もしくは既に両方の祖父母から、1500万円×2=3,000万円の教育資金を贈与してもらっているか)。あっ、勿論、本人の能力も必要ですが。
子ども本人が努力してどうにかなる問題ではありません。
「頑張って特待生になればよいのでは?」と言うのならば、このプログラムで特待生になっても、親が海外の大学の莫迦高い学費を払えないのならば、結局は国内の大学に行くことになるのですが、やがて待ち構えるそういう「格差」がわかっていて、子どもをプログラムには参加させる決断を親はするのでしょうか。


余計なお世話ですが、武蔵中学・高校にとっても、これは良いことなのでしょうか。
今までは日本は格差が小さい社会でした。武蔵のような私立の有名進学校は、実は想像されるほど授業料は高くありません。授業料の額で言えば、大学付属校の方がずっと高いですし、偏差値がぐぐっと低い私立校にも高額な授業料を徴収する学校は沢山あります。今までは、いわゆる中間層の親であっても、母親がちょっとパートに出れば、子どもが優秀ならば有名進学校に通わすことは出来ました。そうして、東大をはじめとする一流大学に入学して、一流企業に就職すれば、裕福な家庭の出身者と同じスタートラインに立てました。中学受験塾に通う時期から母親がパートに出て、そのパート代がそっくり塾代、そして入学後は進学校である私立中学の授業料になっている生徒は、武蔵でも少なくないと思われます。そういう家庭が、母親のパート代では絶対に賄えない金額がかかる英語プログラムを掲げる武蔵中学に、みすみす息子を進学させたいと思うかどうか?


断っておきますが、私はこの武蔵中・高の取り組みに反対しているわけではありません。
大学のグローバル化だの、留学の推進だの喧しい昨今の時代の要請だと思っています。
しかもこういうエクスクルーシブなプログラムは、公立学校では難しいでしょうから、私立学校がやるしかない、ということもわかります。
ただ、偶然ですがつい昨日、我が家の二人の子ども(学生)が二人ともTOEFLのスコアがexpireして(スコアが2年間しか有効でない!許せぬ)、受け直すために1回225$するTOEFLアベノミクスの円安のお陰で、過去何度も払わされた中で円換算にして最高に高かった!)の受験料をせびられて、「いつまで続く教育費の泥沼ぞ!」と暗い気持ちになっているので、ついつい僻みっぽい書きっぷりになってしまっているのですが。
武蔵のこのプログラムは中1から始まるそうですが、子どもたちが中学生になったばかりの頃を思い出すと、その頃は我が家もまだ住宅ローンを抱え、勿論塾代やお稽古事の月謝が家計を圧迫し、それでも「今しか行けないから」とプライスレスの思い出作りに家族旅行にも出かけ、という時代で、例え子どもに能力があり(←ここは大いに疑問の余地あり)、この武蔵のプログラムに是非行きたいと言われても、経済的に可能だったかどうか。無理すれば、このプログラムには参加させることができたかもしれないけれど、夫か私が病気になったり、会社が傾いたり、というリスクを考えると、一歩間違えればローン破産、という危ない橋を渡ってまで行かせることはできなかったかも。それにその先、仮に「ボクはハーバード」「ワタシはイェール」などと言われても、それには到底応えられなかったかも、ですね。今、たかだか(でも痛かった!)225$×2人分=450$のTOEFL出費で、気分が落ち込んでいるようじゃ、そもそも無理でしょうけど。しかし、子どもに「どうして、ウチはこの武蔵の英語プログラムに応募できないの?」と聞かれて、親は何と答えるのか?「ウチはお金が無い訳じゃないけど、でもこのプログラムに参加するお金は無いのよ。」ですか?←この台詞を、首都圏でどれだけの親御さんがこれから優秀な息子や娘に言わなくてはならないのでしょうかね。


・・・とつらつら、とうとう日本にも「親の経済力で子どもの将来の選択肢が決まる」時代が来たのだと、認識させられていたところ、アメリカの教育格差について書いていらっしゃるものを読みました。

米国で教育機会の不平等を感じるとき 統計学+ε: 米国留学・研究生活

なるほどなるほど、アメリカも色々とあるのだと思いますが、でも日本よりはマシ!だと思います!

・日本では小学校低学年から、公教育と平行して塾にもお金を払って教育を受ける。
・義務教育の小中学校でさえ、教材費や修学旅行のお金や給食費がかかる。
・高校は義務教育ではない。
・国立大学でさえ、入学金が30万円弱、授業料は年間50万円強かかる。奨学金制度は色々あるが、need-basedの奨学金はない。

それにアメリカの大学アドミッションには、「アファーマティブ・アクション」というものがあるではありませんか(アジア系には不利だそうですが)?
日本では、有名大学の理学部とか工学部で「女子が一人もいない学科」ってありますよ。
日本人の高校生は裕福な家庭の子も困窮している家庭の子も制服を着ていれば見た目は皆殆ど同じに見えますが、今や格差は増大しており、「親の経済力で子どもの将来の選択肢が決まる」レベルに至っているのに、例えば、「東大は、一定数の経済的に困窮している学生を優先的に必ず受け入れる」ということには、なっていません。女性枠については九州大学の理学部数学科でそれをやろうとして非難ごーごーで頓挫しましたし。
親の経済的格差をゼロにするのは不可能であるだけでなく、今後も増大することが予想されますが、日本のように、各家庭の経済力の中に「教育格差」が埋め込まれてしまって、一度レールから外れると敗者復活戦がない社会と、日本よりも更に大きな格差があるけれども、経済的に困窮する家庭の子どもにとって色々なチャンスの選択肢は辛うじて用意している、アメリカのような社会と、どちらが良いと言ったら・・・。


少し前までは「受験評論家」の立ち位置のトップにいたのは、自身も灘中・高から東大の理三に合格し精神科医である和田秀樹氏でしたが、国内の受験界では最高ブランドの彼すら最近では時代遅れに見えるほど(流行りの「グローバル化」の視点がないですものね)、「東大よりもハーバード」「日本の大学でなくアメリカの有名大を目指そう」ということを煽る主張する新手の「グローバル受験評論家」の方々の勃興が見られる今日この頃。
親の経済力も本人の能力もトップクラスの恵まれた子どもの将来を考えていただくのは、彼ら新手の「グローバル受験評論家」に任せるとして、また、経済的に高校さえも中退しなくてはならない貧困層の子どもたちの救済は、是非とも政治にやってもらわなければならないとして、さて、どちらでもない層に属する親は、我が子の将来をどう考えればいいのか、これから難しい時代になると思います。