親が知っておくべき、帰国受験の大学入試 後編


親が知っておくべき、帰国受験の大学入試 前編 より続く



かつて帰国入試の大学受験をした子どもを持つ親として(少々変則的な帰国生ではありましたが)、各大学の帰国入試をざっと、あくまでもざっと見た感じ、
「海外で高校生活をしてきた受験生の実情を理解し、現地での成績の付け方、統一試験のスコアの見方、論理的に考える言語が日本語なのか否か、がよくわかった上で大学の方針を以て帰国入試を実施している」
と思わされたのは、東京大学と慶応大学です。帰国入試の要項に何故かIB(インターナショナル・バカロレア)のことに言及している京都大学もまた、帰国生に関しての理解と知識はあり、尚且つどういう帰国生がほしいか、ということも(あの学風ですから)明確だと思いました。留学生を最も多く受け入れている早稲田大学は、だからこそSATなどの統一試験やTOEFLの意味付けがよくわかっており、「TOEFLの提出は不要だけれども、統一試験を課す」、という方式で帰国生入試を行っています。上智大学ICUも、それぞれにちゃんと「帰国生の実情」がわかった上で、帰国入試を行っているといえます。
しかし。
大学職員が本当に「帰国生」というものをわかっていない大学も多い、というか上記の大学以外は国内の一般受験と同じような基準で入試を行っているのかどうか、疑問です。上記の大学は、例えば「統一試験の成績の提出」が「必須」か、もしくは「望ましい」と書いてあっても実質提出しないと合格どころか、書類選考で落とされますが、「統一試験の成績の提出」は「不要」で「TOEFLだけ提出」、とか、更には「TOEFL」さえ「不要」で、ガラパコス試験の「TOEIC」や「英検」でもOK、というありえない「帰国入試」もあるのです、そして当日の試験が「英語と小論文」とか。


ちょっと脱線しますが、「海外の高校の教育制度や統一試験をまるでわかっていない例」としてこういう話を聞いたことがあります。
東京のある有名私大の帰国入試の面接でのこと。受験生Aの海外のインターナショナルスクールの成績を見て、或る試験官が、
「君は優秀だね〜。殆どが4と5ばかりなんだね。」
と褒め、同じくインターナショナルスクールの卒業生である受験生Bの成績を見て別の試験官が
「海外に5年もいたんだからもうちょっと頑張ってもよかったんじゃないか?成績5と6ばかりじゃないか。」
とけなす。この試験官は両方ともインターナショナルスクールの成績の付け方を全然わかっていないのです。IBを取り入れているインターナショナルスクールでは全科目「7点満点」の成績が付きます。前者の試験官は「5点満点」と誤解していますし、後者の試験官は「10点満点」だと誤解しているのです。否、誤解というよりも無知であり、その大学の「帰国生入試」自体がお飾りなのではないかと疑いたくなります。SATが旧SAT(1600点満点)から新SAT(2400点満点)に変わった時も、それを知らない試験官がいたそうですから。
勿論「帰国生のことをよく理解してくれている大学に入学したい」のは当たり前ですが、前のエントリーでも述べたように、海外に出た時期が遅ければ本人がどんなに努力しても「時間との戦い」において「時間切れ」で成績や英語力が伸びきれなかった不運な帰国生は、一般受験生と同様「偏差値」に従って帰国受験していくしかないのが実情ではないかと思います。


さて、話が少し長くなりますが、この際「TOEFL」と「TOEIC」について、帰国生の親として得た知識を整理しておきたいと思います(私の英語力とは無関係です、念のため)。


TOEFL」と「TOEIC」はよく混同されますが、全然目的が違うものです。それすらもわかっていない大学職員が帰国入試を実施しているのですから、世間から「帰国入試はチョー楽でしょ?」と言われても仕方ないというか、その無知な大学のお陰で、「帰国入試」全般が誤解されているとしか思えません。

簡単に解説しておきますと、
先ずガラパコス試験のTOEICとは、

1979年、日本経済団体連合会通商産業省の要請に応えて米国ETS(Educational Testing Service:教育試験サービス)(en:Educational Testing Service)が開発した。1981年にはIPテストの実施を始め、1982年には韓国でも実施されるようになった。日本での実施主体は、当初は財団法人世界経済情報サービス(WEIS)であり、1986年2月より国際ビジネスコミュニケーション協会となった。2000年には日本での年間の受験者数が100万人を超えた。
2008年度においては、TOEICのみについては約90ヶ国で実施され、日本で約171万人、韓国で約200万人[8]、総計で約500万人が受検した。
                             Wikipedia

後述する「TOEFL」と同様にETLSが作ってはいますが、全く日本と韓国でしか通用しない「英語資格」なのです。大体、ご存知の方も多いと思いますが、「Listening」と「Reading」しかない「語学能力試験」であり、肝心要の「Speaking」も「Writing」も試験の中には含まれないのですから。これも原発同様利権が絡んでいるのか(ここのところ被害妄想気味)、就職活動における英語力の目安として、唐突に急に用いられるようになったせいで(昔は「英検」だったのです)、急速に広まったテストなのです。経団連と旧通産省にコンビを組まれたら、「英検」もたじたじですよね。就職活動をする大学生の英語力の「目安」(実際の英語運用能力ではなしに、学生時代サボらず英語やっていたかどうか)を見るにはいいと思いますが、「帰国生の英語力」を測るには、いかにも不適切なのですが(理由が後述)、それをわかっていない大学が多いという実態なのです。

TOEFLは、分かりやすく言うと、アメリカの高等教育機関で学ぶにあたっての英語力の目安」、です。ですから、アメリカの大学アドミッションにおいて、アメリカ国籍以外の受験生はこの「TOEFL」のスコア提出を義務づけられますし(アメリカでもFランはこの限りではありませんが)、「何点以上のスコア」としている大学もあります。しかもこのTOEFLは有効期限が2年間!という厳しいものです。そして大学だけでなく、MBA出願に際しても、大学院出願に際しても、英語を母国語としない受験生はTOEFLは要求されます。勿論この場合前述のTOEIC(有効期限なし)は、仮に満点の990点であっても何の役にも立ちません。「高等教育機関で学ぶに足る英語力の目安」ですから、イギリスのオックスブリッジも留学生には要求してきます*1。ちなみにオックスフォードだとiBTで100です。アメリカの大学も有名大学はビジネススクールでも大学院でも大抵iBT100以上が最低ラインです(HBS=ハーバード・ビジネススクールは110という噂も)。つまりそれくらいの英語力がないとその教育機関の授業内容についていけない、ということなのでしょう。
ちなみに、日本の高校からアメリカの名門大学への入学が難しいのは、SATで高得点を取るのもさることながら、このTOEFLで100を取る方が更に難しいからだと思われます。逆に言うと、日本の高校英語もできないのに「向こうに行けば英語なんげ何とかなる」とアメリカの大学に留学する、というのは、受け入れ先の大学のレベルがわかろうというものなのです。


TOEFL」というのはこういう性格をもつ「英語能力試験」ですから、別に英語の高度な授業をしているわけでもなく、日本語で講義を行っている日本の大学が、帰国生入試で「TOEFL」を要求していることは本来はおかしいのではないかと思いますが、「海外で英語力をどこまで身につけてきたか?」を大学が判断できるわかりやすい材料として要求してくるのだと思います。そして、ということは帰国入試でTOEFLの高スコアを要求してくる難関(と言われる)大学が望む帰国生像というのが見えてくるのですが、

①その英語力ですぐにでも海外の名門大学に留学できるレベル(大学の留学実績を上げてくれる帰国生)
②けれども論理的に考える言語は日本語で、一般受験で入学してきた学生と同等に日本語の授業についていけるレベル(大学の足手まといにならない帰国生)

という①と②との両方を満たす、「大学にとって既に都合良く出来上がっている」帰国生なのです。この求められている帰国生像は結構ニッチです。海外での豊富な経験を持つけれども語学力がイマイチな帰国受験生も、論理的に考える言語が英語でネイティブ並みだけれども日本語がたどたどしく漢字が書けない帰国受験生もおよびでないのです。それぞれの大学の帰国生に関する、書かれてはいない「Admission Policy」について、それが良いとか悪いとか、言っているのでは決してありません。それは各大学の方針なのですから、一介の親がどうのこうの言うことではなのですが、、親の都合で中学生〜高校生の子どもを海外に連れて行くのならば、親はここのところをしっかり理解しておく責任があると思うのです。




さて。
帰国生を持つ親の心配として共通なのは、子どもの年齢に関係なく帰国した先の小学校・中学校・高校で
「日本に帰ったら、『帰国生』ということでイジメに遭うんじゃないかしら?」
ということです。恐い話は、まだ海外にいる間に沢山聞きました。

「異質なものを排除する」傾向が極めて高い日本ですから、「外国帰り」というだけで、本やノートを隠されたり、物真似されたり、仲間外れにされたり、といった、まあ「普通のイジメ」と同じようなことがあるのは或る程度想像できますが(それはそれで悲しいことなのですが)、私が聞いたなかで酷かったのは、

幼稚園の時からずっと海外で生活して中学1年生で念願の日本に帰国。日本での中学校生活をそれは楽しみにしていたところ、編入後数週間して何かがおかしいことに気がついた女の子。それは「みんなにこにこしているけど、誰一人として向こうから自分に何か話しかけてくれるクラスメートがいない」ということだった。それはクラス全員が示し合わせて「あのコが話しかけてきたらにこにこして聞いているだけで絶対にこちらからは話しかけない」ということにしていたからだと知ったその女の子はショックで学校に行けなくなり、最後は転校した。

という話。他にも、「実力主義の海外の部活感覚で日本の部活に臨んだら、先輩から滅茶苦茶イジメられた」とか、「先生の発音の間違いを指摘して英語の先生から目をつけられて、英語の成績に1をつけられて、公立高校受験ができなかった」とか、そういう話も聞きましたね。
それらが全て「都市伝説」であることを祈りたいのですが、悲しいことにそれらが事実かもしれないと思わされることが、「東京大学初の公認サイト」で「東京大学の紹介、学生の活躍、キャンパス情報等を、東大生の視点から発信しています。」というサイトであるUT-Lifeに載っている「知っているようで知らない東大のハナシ」の中の「東京大学の帰国子女枠入試」というエントリーです。以下 http://www.ut-life.net/guide/info/kikokushijo.php から引用(つまりは東大生が書いているということです)。
私が後で突っ込みと解説を入れたいところを赤字にしてあります。将来の日本を引っ張って行く(と嘱望される)東京大学の学生たちの中にさえ、帰国生に対する「イジメ」の原型のような偏見があるのです、悲しいことですが。




 「帰国子女」と聞いたとき、何を思い浮かべますか?「英語ができるけど、日本語があまり上手ではない」というイメージを持つ人が多いと思います。果たしてそうなのでしょうか?
 (中略)
 次に、「日本語があまり上手ではない」について考えてみましょう。帰国子女によって海外滞在年数は大きく異なります。それまでの人生18年間を海外で暮らしている人もいれば、数年間だけ滞在している人もいます(但し、東大に出願するには海外に最低3年間いないといけません)。海外に滞在していた期間が短ければ日本語力は劣らないでしょう。余談ですが、平成19年度からは帰国子女枠での出願資格がない帰国生は一般選抜入試を受けてもよいそうです。1年も受験勉強していない帰国生が一般選抜試験に受かるのかどうかは甚だ疑問ですが……。
 こうしたことから、「帰国子女」をひとくくりで見ることはできません。むしろ東大に合格する人たちですから、普通の日本人とは違う「何か」を持っていなければならないでしょう。
 では、この「何か」を持っているか否かの判断材料は何でしょうか。言うまでもなく、東大の課す入学試験です。帰国子女枠入試は、書類選考(一次)、小論文(二次)、学力試験(二次)、そして面接(二次)からなります。これに比べ、一般生はセンター試験で高得点をとらなければいけない上に、4教科5科目を二次試験で受けなければなりません。この二つを比べると、一般生の試験のほうが難しいように見えます。
 しかしながら、書類選考で何を見られるのかは分かりません。書類選考の一つの要素が滞在国の統一試験なのですが、統一試験の成績が良くても落とされる人もいれば、悪くても一次試験を通る人もいます。帰国子女の入試は確実に受かるという保障がどこにもないのです。
 二次試験では、書類、筆記試験の出来、そして面接内容で最終的な評価を下します。帰国子女入試で一番難しいのは小論文です。小論文で合否が決まるといっても過言ではありません。例年、試験1日目(2月25日)の午前9時半から小論文2枚を制限時間150分で書きます。片方は日本語で答え、もう片方は外国語で答えます。この小論文は過去問を解いたとしても、傾向が分かりません。平成19年度の文科一類の問題のテーマは「公正な社会」、文科二類は「グローバル化と固有の文化のあつれきは経済にどう影響を与えるか」、そして文科三類は「迷信」でした。もちろん理系も小論文を書きます。
 東大のホームページに過去問が掲載されていますが、「これを勉強すれば受かる」という決定的な対策はありません。頭を柔軟にし、感性を鍛えるのみです。帰国子女の独特の視点、独特の感性が小論文に問われているといってもよいでしょう。この感性があるかないかによって合否は大きくわかれます。
 2日目(2月26日)には学力試験があります。文系は外国語を一般生と同じ時間帯に受け、理系は数学と理科(4科目のうち2科目)を受けます。従って、理系は文系と比べ若干学力試験の比重が大きくなっています。とはいえ、募集要項にも書いてありますが、「学力試験は、一般の選抜における試験問題と同じものを一定の範囲で課す。その成績は、入学後の学習に堪えうるか否かの判定の資料とするものであって、一般の選抜において合否判定の基準とされるのと同一の取り扱いを受けるものではない」そうです。
 最後は面接です。面接は筆記試験から約3週間後に行われます。この3週間で面接対策を考えなければなりません。実際の面接では、何故東京大学に志願したのか、何故その科類を志願するのか、何を学びたいのか、将来何をやりたいのか……などといった質問がされます。点数があれば受かるという世界ではありません。小論文と同様、面接は受験者に「何か」があるかどうかを見極める場なのです。
 合格発表は後期日程と同じ日に行われます。ただ、サークルの勧誘の陰に隠れてしまい、あまり目立ちません。
 以上が帰国子女入試についての説明でした。東京大学が帰国生に求めているのが、暗記力や要領ではなく、独特の視点や感性といった、一般選抜で合格した学生とは違う能力であることがお分かりいただけたでしょうか。


文章自体が何と言うか偏見の固まりから出来ているようなものなのですが、そもそも帰国入試の仕組みについて取材や調査さてしているとは思えない不正確な記述が多く、又聞きの伝聞と噂と偏見によって書かれたのではないかと疑わざるを得ないのですが(それにも拘らず偉そうに書いてしまうところがいかにも)、それだけならまだ私は許せるのですが(許せますとも!)、前述の「帰国生に対するイジメ」に似た部分を凄く感じるのです。それについて、この文章の私が赤字で示した部分への突っ込みと解説をしたいと思います。



>1年も受験勉強していない帰国生が一般選抜試験に受かるのかどうかは甚だ疑問ですが……。
センター試験と二次試験で高得点をとって東大に合格した自分(たち)が一番偉いのだ」という臭いがぷんぷんしますが、そもそも東京大学は帰国生の実情をとてもよくわかっていてこの措置をとっているのです。「帰国生受験の資格がない帰国生」とは、例えば「海外の高校には最後の2年間しか在籍しなかった」もしくは「海外の高校に3年在籍したが、卒業せずに帰国し日本の高校に編入した」という非常に珍しい(高3で日本の高校に編入する方が東大入るより難しいかも)ケースですが、愚息がまるでどんぴしゃりこの後者のケースで彼はセンター試験も受けたのですが、予定外の後期狙いで理科・社会が間に合わずに突貫工事で受験した彼でも英数国で点を稼いで後は理科一科目、社会一科目(後期は地歴・公民の中から一科目)ですから、理科の化学壊滅でも(SATのSubjet TestsのChemistryの方がまだマシだったという点数)、後期の足切りには遠く及ばずとも合計で8割はとれたと記憶していますから、一般受験で入学あそばされた現役東大生が心配なさることもなく、愚息などよりも計画的に勉強するもっと優秀な帰国生で尚かつ事情があって「帰国生受験の資格がない帰国生」が一般受験で合格することは「甚だ疑問」でも何でもないと思いますし、調査のしようがありませんが、実際にそういう優秀な「帰国受験資格がない帰国生で一般受験で合格した受験生」は、かなりの人数既に東大にいるのではないかと思われます。

>むしろ東大に合格する人たちですから、普通の日本人とは違う「何か」を持っていなければならないでしょう。
ここは爆笑ポイントなのですが、東大生って「普通の日本人とは違う『何か』を持っている」のですね、確かに。

>書類選考の一つの要素が滞在国の統一試験なのですが、統一試験の成績が良くても落とされる人もいれば、悪くても一次試験を通る人もいます。
これは全く間違った認識であると断言できます。「悪くても一次試験を通る人」なんて存在しません。「統一試験の成績が良くても落とされる人」というのは、統一試験の成績が良くても、例えば学校の成績が悪い場合でしょう。これは一般受験生に比べて実は如何にも不公平なのですよ。東大一般受験生の中には、「学校の授業は捨てて、予備校を主体にして高校三年間勉強」という生徒も多いと思います。その結果、高校の定期試験の点数は悪く、「受験に関係ない科目」の「芸術」や「技術家庭」や「保健体育」は最低、「塾の授業をとっているから学校のその教科は捨てている」科目は軒並み冴えない点数だと思いますが、海外の高校の成績でそんな点数が垣間みられたら、どんなにSATの点数が良くても落とされることは確実です。っていうか、日本の「公教育と塾・予備校の二本立て」教育が歪んでいるのですが、普通「勉強を頑張る」ということは即ち「学校の勉強を頑張って成績を上げる」ということであり、それが統一試験の成績に自然に繋がってくるので、「統一試験の成績が良くても落とされる人」というのは帰国生の中には殆ど存在しないと思われますし、いたとしたらその生徒は日本風の「学校の勉強は軽視してひたすらSATの問題集を解いた」人だとしか思えませんが、一般受験生ではそれで落とされることはなくても帰国受験では落とされてしまうのは甚だ不公平かもしれませんが。

>帰国子女入試で一番難しいのは小論文です。小論文で合否が決まるといっても過言ではありません。
な、筈がありませんよね。この一文を書いた筆者が、頭が固くて悪いのは、「帰国生入試=一芸入試」という間違った固定観念があるからなのですが、大学によっても違いますが、東大の場合は合否の殆どは既に「統一試験のスコア」と「現地の高校での成績と所見」によって決まっていると思われます。小論文や一般受験生と共通の問題を解かせるのは、あくまで「確認」というか、入学後に他の学生と一緒に遜色なく日本語で講義を受けられるかどうかを確かめるためなのだと思いますよ。慶応大学が帰国生に課す小論文もそうだと思います。海外では、日本の大学のように「受験生が全国から一同に集まって一発勝負の入学試験を受ける」ということはなくて、「統一試験と成績」が即ち入学試験そのもの、なのですから、帰国生たちは既に入学試験に相当するものを通過済みなのです。その仕組みを知らずに「帰国子女入試で一番難しいのは小論文」という書き方には、「一発勝負」の一般受験を受けて入学する自分(たち)が一番エラい、という勘違いの優越感が見て取れますが。

>この感性があるかないかによって合否は大きくわかれます。
これも、帰国生を「色物」扱いしている記述ですよね、あたかも東京大学における帰国生の存在は、その感性の豊かさを以て、一方で過酷な受験戦争を勝ち抜いて合格した一般受験生の方々を、お慰めし良い刺激をして差し上げるためにあるかの如くではありませんか。一般受験生に「感性」のカケラも要求されないのと同様、帰国生にも「感性」なんて要求されていないと思いますよ。東京大学が帰国生に要求しているのは、一般受験生では学部の間に到達不能の、即戦力としての「海外の有名校に留学してもやっていける能力」だと思います、何故その能力を学部の間に養成しようとしないのか疑問ですが、それは「専門は3年になってからで、1,2年の間のリベラル・アーツこそが大事」という方針と「進振り」が原因でできないのだとは思いますが。


>この3週間で面接対策を考えなければなりません。
この文章の筆者が、帰国生が前年の6月に日本に帰国してからどこで何をやっているかを全く知らないとしか思えない記述です。帰国生は帰国後すぐに、駿台河合塾代ゼミ早稲田塾の「帰国入試コース」に入ります。その時点では既に統一試験も終わっていますし、日本に帰って少々頑張ったところで英語力も日本語力も半年足らずで伸びるものではありません。では、帰国生は予備校で何をやっているか、というと、就活もびっくりの、「自己分析」をして「エントリーシート」ならぬ「入学志望書」を書く作業です、そして面接の練習。半年間延々とそれをやるのですから、帰国生が「帰国入試の時のことを考えたら、就職のエントリーシートの方が格段にラクだった」と言うのを聞いた事があります。何度も書き直してはチューターのチェックを受け、それをふまえた各大学別(!)対策面接の練習をやるのです。「3週間で面接対策を考える」受験生なんていませんから、この文章が何の取材もなしに書かれていることは明白です。

>合格発表は後期日程と同じ日に行われます。ただ、サークルの勧誘の陰に隠れてしまい、あまり目立ちません。
実は、私は確か2007年だったかと思うのですが、嘗てこのUT-Lifeのこの文章にメールで抗議したことがあります。今まで指摘してきたように、余りに不正確で偏見に満ちた内容だったからなのですが、私の抗議は受けつけられず、そのままなのですが、唯一なくなった箇所があります。それはこの「合格発表は後期日程と同じ日に行われます」のあとに「ひっそりと」という、如何にも東大生らしい(?)持って回った陰湿な優越感に満ちた副詞がつけられていて、「合格発表は後期日程と同じ日に行われます、ひっそりと。」だったのが、その「ひっそりと」という単語だけは削除されたのです、流石に恥じたのかもしれませんし、「そこだけ直せばよい」というお役所仕事(!)なのかもしれませんが。「ひっそりと」も何も、後期の発表自体が、前期のあのお祭り騒ぎのような発表とは、合格者の人数が違う(前期2,963名、後期100名)なのですから違って当たり前であり、東大生ならばその事を一番良く知っている筈なのに、明らかに悪意のあるこの書き様なのです。

東京大学が帰国生に求めているのが、暗記力や要領ではなく、独特の視点や感性といった、一般選抜で合格した学生とは違う能力であることがお分かりいただけたでしょうか。
東京大学の一般受験において求められているものがたとえ「暗記力や要領」であっても、帰国生に求められているものはそれらとは程遠く、また「独特の視点や感性」でもないことは、東京大学の学生だからこそ冷静に大学の意図を分析して理解してほしいところですね。




国内で普通に一般受験をした受験生も、合格した瞬間にはそれまでの努力や乗り越えてきた苦労や家族の協力を思い出して万感胸に迫ると思いますが、帰国生もそれがどこの大学であれ合格発表で合格通知を頂いた時には、自ら望んでではなかったけれども海外で暮らし始めた日々、そこでその地に馴染もうとした死に物狂いの努力、親にも日本の友達にも言えない辛い経験、その甲斐あってやっと馴染めたけれども大学は日本に帰国して受験することを決めた気持ち、そして海外で暮らしたからこそ自分の「日本人」としてのアイデンティティを強烈に意識させられ続けた末に、「日本の大学の大学生になる」ということが、どんなに感慨深いことか、私の拙文から想像してみてほしいと思います。
愚息は有り難いことに、高3で元いた学校に復学できたので日本の予備校の帰国生コースには通わなかったのですが、海外で長く暮らして帰国後予備校に通った帰国生から、
「日本の帰国生予備校の教室で、何だか初めてほっとした。海外の高校ではいつも神経張りつめて或る意味いつもoffensiveだった気がする。日本人だけの教室がこんなに居心地がいいなんて。」
と聞いたことがあります。そうやって、海外の高校で統一試験を受けるところまで頑張って、そして日本に帰国して予備校に通い、更に帰国入試を乗り越えて合格しても、それを認めない学生が同じ大学にいるとしたら、余りにも可愛そうとしか言えません。


帰国生に対して底意地の悪い記事を書いている学生も将来自分が海外に赴任して子どもも連れて行くことになるかもしれませんし、自分でなくても甥や姪や親族の子どもたちが海外で生活してそして日本に帰って帰国受験することになるやもしれないのですから、正しい理解を切にお願いしたいところです。


大学の帰国入試も年々様変わりしている中、私自身の経験を忘れないうちに書いておこうと思って長々と書きました。私は「全て何とかなるだろう」という余りにも甘い認識のまま子どもを連れて海外に出ましたが、その無責任さに気がついて集められるだけの情報を集め、親の力には限界があるというものの(最後は子ども自身ですから)、日本に帰国して元のレールの延長線上にあると思われる学校に押し込む、という最低限の親の責任は果たせたかもしれないと思っています。実は息子の場合は、海外の大学に出願するという選択肢もあったのですが、最後には本人が「日本の大学」と決めました。ですからお子さんとご家庭によっては「海外の大学」という進路でも良いと思いますし、これからはその方が良いかもしれませんが、とにかく帰国生の場合は入り口までは親の責任が重い(日本国内の受験と違って、子どもの力ではどうしようもできないことが多過ぎる)ということだけは、お伝えしたいと思います。