同世代の女性の半生記としての「不格好経営」を読んで 雑感



私は、この本の著者である南場智子氏とほぼ同年代ですが、この「不格好経営」という本を、ビジネス本としてではなく、同世代の女性の半生記として読みました、企業人として参考にするとか、これから起業したいからノウハウを学ぼうとかでは全くなく。そういう読み方からの感想を書いてみたいと思います。



先ず、伝記的な部分についての感想ですが。
南場氏は、ウルトラ厳しいお父様の下で育ち、大学受験も地元の大学以外は認めないというお父様の方針だったところを、「門限に厳しい寮がある女子大」ということでやっと津田塾女子大学に進まれたそうです。
今の若い世代の人からは想像もつかないでしょうが、
1.「東京の大学に行くなんて許さん!家から通える大学へ行け!」(地方在住者の場合)
2.「女子大以外は認めない!」
3.「受験する大学はオレが決める!」
という、「女子に教育は必要ない」というタリバーン並の父親が、昭和の終わり頃1980年近辺になってもまだ日本には数多く生息していたのですよ。関西在住だった私の場合、2と3はありませんでしたが、1は強硬に言われましたね、東京の大学に行くと堕落の一途を辿ってとんでもない「不良」(←今や死語)になるかの如くの言い方で。当時は、南場氏父だけではなく、私の周りでもそういうタリバーン父を持つ友人が多くて、優秀だった彼女たちは、「父親が決めた受験リストに共学の学部も1つ2つ滑りこませて、父親推奨の女子大は八百長受験で全落ちにして、『浪人するよりマシでしょ。』と念願の共学の大学に行く」という、見事な作戦をとっていましたよ。南場氏が卒業した津田塾女子大は、「何でこの方が女子大?」という錚々たる卒業生*1を抱えているのですが、彼女たちも南場氏と同様の立場だったのかも?と、今更ながら思いました。ただ、田中康夫氏がどこかで書いていた記憶があるのですが、タリバーン父たちは「女子大ならば女子ばかりで悪い虫がつくこともなく安心である」と考えがちだったのですが、合コンのお誘いが雨あられとかかるのは、共学よりも寧ろ女子大ですし、津田塾なら一橋大、東京女子大なら東大、日本女子大なら早稲田と、男子学生との合同サークルがわんさかあるのですから、タリバーン父たちの支配もそこまで(受験まで)ということだったんですけどね。


成功された方について、「あの人は運が良かった」という言い方をしたり、成功された方自身も自身のことを「自分は運が良かった」と謙遜されますが、南場氏の経歴を辿っていくと「運はギリギリの努力をして初めて手に入れるもの」だと思わされます。南場氏は津田塾大在学中に学年で一人だけ派遣される留学に選抜され留学したそうですが、もしかしたらこれが全ての分かれ道だったのではないか、と思わされます。南場氏が留学せずに就職していたら、「男女雇用均等法」施行前年の就職になっていたと思いますが、当時は「4年制大卒女子、下宿」という条件では(しかも「留学経験」というセールスポイントなしで)、優秀な南場氏といえども日本の有名企業への就職は殆ど無理(強力な縁故がない限り)だったでしょう。難関を勝ち抜いて留学した結果卒業が1年遅れて「男女雇用均等法」初年の就職になったこと、しかも「留学」というセールスポイントを携えた就活(←という言葉もありませんでしたけど)だったことが、マッキンゼー入社に繋がり、マッキンゼーでのキャリアがあったからこそハーバードのMBAMBAがあったからこそマッキンゼーのパートナー、マッキンゼーのパートナーだったからこそ起業へと、わらしべ長者のように繋がっているのだと思いました(これは「MBAは役に立つとは思わない」という南場氏の感想とは別のことです)。

読み物としてこれだけ面白いのですから、この本は「不格好な経営」というタイトルもそのままで、 映画化できると思います!少なくともFacebook の創成期を描いた「ソーシャルネットワーク」より遥かに人々を感動させるドラマになりそうです。脚本もこの本を何もいじることなくいけるのではないでしょうか。DeNA社に「初の映画製作」として宣伝がてら自ら手がけて頂いてもよいですが、ハリウッドでも通用しますよ、このストーリー。南場氏役は、スレンダーで行動力がありコミカルな演技もキュートなキャメロン・ディアスでしょうか?ラストシーンは、理解ある人生の伴侶である夫の看病で休職していたキャメロンが、再びビジネスの最前線に復帰するところで決まり!です。


次に伝記以外の感想としては、この本はまた、
「『モバゲー』とか『怪盗ロワイヤル』という言葉は知っているけど、DeNA』ってどういう会社なの?
という疑問に答えてくれるものでもあります。南場氏が起業を思い立ったところから、上場企業に成長した今に至るまでの軌跡が、臨場感溢れる筆致で描かれているので、本当に読み始めたら、「巻置くあたわず」、という感じで終わりまで突っ走ってしまいました。
この企業としてのDeNAの成り立ち、について一言で感想を言うとしたら、「学園祭のノリ」だと思いました。意気投合した仲間が、寝食忘れて、何かを達成するためにがむしゃらに突き進む、彼らの前に立ちはだかる壁は粉砕され乗り越えられるためにあるかのようで(あたかもゲームの主人公のように)、一つのプロジェクトを皆で協力して完成させた暁の達成感は何者にも代え難い・・・という点が、「学園祭」と似ているからです。そして更に類似しているのは、「学園祭」は何かテーマがあるものなのですが、実際に模擬店やイベントを企画している学生たちにとってはテーマなど実はどうでもいいことで、その模擬店やイベントを仲間同士で企画し議論し実行している過程にこそ、やりがいや喜びを見いだしている、という点においてです。
Appleの例を持ち出すまでもなく、日本でもSONYやHONDAが創業した時や、古くは松下幸之助が町工場で電球を作っていた頃も同じだったんじゃないか?」
という意見もあるでしょう。けれども。
南場氏と同年代の女性、つまり私くらいの、子どもが中高生や大学生の世代の女性にとって、「DeNA」と「GREE」の区別はつかなくても、「携帯ゲーム」というのは、親の仇とは言いませんが、天敵のうちの一つです。これまで社会問題にもなった、DeNAソーシャルゲームにおける「出会い系」やら「課金システム」の問題については、この本では全く言及がないのですが、それ以外の日常生活においても、例えば子どもがソファーに寝転がって携帯やスマホをいじっているので、「いい加減にしなさい。勉強するかお風呂に入って寝なさい。」と言ったら、「今、宿題に必要な調べものしてるんだから。」と言われて、母は無垢な心で信じていたら、実は子どもはゲームをしていて気がついたら1時間も2時間も経っていた、ということや、食事中は携帯をいじるのを止めさせても、家族でテレビを見ている時も携帯でゲーム、車や電車で移動中もいつもゲーム、寝たと思ったら布団の中でもゲーム、ということは日常茶飯事であり、ゲームとは南場氏のお父様のようなタリバーン父でなくとも「家族の時間を壊すものである」というのが、南場氏世代の女性にとっての認識ではないかと思います。モバイルのゲームは、SNSと並んで「天敵」、なのです。で、先ほどの「学園祭」との類似点であり、松下幸之助さんの町工場との違いですが、
DeNAは、『それ』を創り出したことによって、世の中を変えてしまうほど人を幸せにする物、サービスを作り出しているか?」
ということです。企業としてのミッションが非常に薄いと申しましょうか。DeNAの会社のウェブサイトの企業情報を見ると、現社長守安氏のメッセージとして、

1999年11月29日、私は約26坪のオフィスで11人の仲間とともに、DeNA初のサービスであるインターネットオークションをリリースしました。
その瞬間に感じた、志を同じくする仲間と全力で取り組んで実現できた達成感、リアルタイムでお客様の反応がはっきりとわかるインターネットサービスの醍醐味を、今でも忘れません。
以来、私は飽くことなしに、同様の達成感、醍醐味を追い求め、決して自己満足に終わらず徹底的にお客さまの視点で考え抜き、世の中に新しい価値をもたらすサービスを作り続けてきました。

とあります、まさに「学園祭」の「達成感」「醍醐味」を忘れられなくて、今も尚「学園祭」にのめり込んだままでいるかのようです。これは、この南場氏の著書においても同様です。


また、天敵である携帯ゲームに関すること以外で、私の世代、言い直せば南場氏の世代の女性で、「DeNA」という企業名が話題になるのは、プロ野球関係ではなく、実は「理解できない、『子どもの転職先』としてのDeNAとしてかもしれません。この1年くらいの間、こういう話題に何度か遭遇しました。
「◯◯さんの息子さんが、折角入った△△(←有名日本企業)をたった2年で辞めて、DeNAとかいうゲーム会社に転職したんですって。何でもお給料が前の会社とは比べ物にならないくらいいいんですって。でも◯◯さん、嘆いていたわ、『ゲーム作るために勉強させたんじゃない、大学院まで行かせたんじゃない。』って。」
というものです。色々とバリエーションはありますが、要は、
「超優秀な大学(院)を卒業して、ここ数年の厳しい就職活動も突破して、有名企業に入社したのに、(あの憎っくき携帯ゲームを作っているという他にはよくわからない)会社に、高いお給料につられて転職したらしい。」
という噂話を聞くんですね。確かに、DeNAの採用ベージを見ると、給与は素晴らしく高いのです。揃いも揃って厳しい経営を余儀なくされている日本企業ではとても出せない額でしょう。超優秀な若者にこそ、物作りをする日本企業を立て直して頂きたいところですが、超優秀な若者を雇えるのは、彼らに一番高給を払える企業ですから、「日本のメーカーを2年経たないうちにやめてさっさとDeNAに転職」というのは、当然と言えば当然です。勿論、優秀な若者を会社に繋ぎ留めることができない、今の日本の老舗メーカーにも責任はあります。しかし、これは仕方ないというか、優秀な人材が、彼らの努力と才能に見合っただけの報酬を貰い、彼らが豊かな人生を送ることは当たり前です。ただ、そんな優秀な人材がDeNAという企業で働いて生み出すものが、これらDeNA 事業情報 サービス一覧 であってよいのか、と思ってしまうのです、←この考え方って古いでしょうか。いえ、37歳でDeNAを創業し、ここまでの企業に育て上げた南場氏は、ご自身の子どもの世代にあたる超優秀な若者たちの人生をも預かる立場に今や立っているのです。仲間同士ならば「学園祭のノリ」でもいいでしょうが、この先、若い社員の、給与や盛り上がり要素以外の「働き甲斐」、言い換えれば、「仕事を通じて社会に貢献している実感」を与えられる企業ミッションを是非作り上げて頂きたいものです。それは「DeNAがインターネットの世界で世界一になること」*2というような、煽り系のお題目ではなく、「親が、息子や娘が働いていることを誇れるような会社」であってほしいものです。




この著書とは関係ありませんが、以前NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で南場氏の回を視たことがあるのですが、一番印象的だったのは、氏が自分よりも遥かに年の若い社員とタメ口で話していることでした。彼女のこの飾り気のなさ(「あざーす。」「4年間赤字ぶっこきました。」*3とは、経団連のお歴々にはとても言えないことでしょう)と、「家事もやってます、子育てもしています」ではなくて「仕事しかしていない」と自ら言う潔さこそが、若い社員に愛されるところでもあり(お歴々は愛されているのでしょうか?)、起業して一部上場まで会社を急成長させた原動力ではないかと思います。
逆に言うと、競争の激しいビジネスの世界では、「3年抱っこし放題の育児休暇」をやっていたら生き残れないということかもしれません。南場氏を目指して彼女に続こうと思っている優秀な女性たちには、重要な示唆になるでしょう。

↑ これだけのことができる日本の企業人がどれだけいるでしょうか(お歴々はきっとできない)?男性・女性とか関係なく、こういう人材をどうやったら育てられるか、ということを考えるために、こういう人材はどういう風に育ったのかをこの「不格好経営」で読むことが出来ます。
ともあれ、一気に読まされた「不格好経営」でしたが、再びビジネスの世界に復帰した南場氏がこれから何をやっていくのか楽しみですし、残りの半生記も今から期待しています。