毛皮のコート雑感

以前、Schönes Mai(美しき5月)とドイツ人の顔についての考察というエントリーを書いたのですが、ドイツの冬に感じた毛皮のコートにまつわる諸々。


11月頃からもう気温は日本(首都圏)の真冬以下(日中の最高気温が10度以下)になってずんずん下降し12月〜2月は毎日最高気温が零度前後、そんな寒さが翌年の4月初めまで続くドイツ西南部はデュッセルドルフでは、老いも若きも冬の制服は「ダウンのロングコート+デニム」なのです。そのダウンのロングコートの色も90%以上が「黒」。ドイツ人に多い髪色である「濃い金髪」(Dunkel Blondeというらしい)に「黒」はよく合うんですけど、画一的に制服のように誰も彼も集団で着ていると、ドイツの冬の暗〜い雰囲気とドイツ人の「冬を重ねた剣呑な顔」*1と相俟って何とも陰鬱な風景です。これが、地続きのフランスへ行くと、全然そうではなくて、スカーフやマフラーのあしらいだけではなくコートの色も材質もそれぞれバリエーションがあるのですけど。とにかく冬の街角は、黒いダウンのロングコート一色でお洒落のカケラもないのがドイツです。
ところで。
実は叔母一家が1970年代にドイツ北部のハンブルグに日本企業の駐在員として住んでいたのですが、叔母は何枚も毛皮のコートを携えて駐在から帰国しました。叔母が「ウールのコートなんかでは寒くて寒くて外を歩けない。」と言っていたのを30年以上の時を経てドイツで思い出しました。そして当時はまだ「ダウンコート」が今ほどポピュラーではなかったようですね、日本でも最初若者だけが着ていたダウンジャケット、ダウンコートが全世代に渡って従来のウールのコートに取って代わったのはここ10年以内だと思いますけど。叔母からそう聞いていたので、ドイツでの最初の冬、黒いダウンコートに埋め尽くされた街角を見て、「ああ、やっぱり動物保護の意識が高まって今は毛皮よりもダウンコートなのね。」と思っていました。
ところが。
ドイツに行った初めての冬、朝から気温は零度前後で文字通り氷のような雨が降る格別に寒い日に市内の目抜き通りを歩いて(好きで歩いた訳でなく用事があったからなのですが)びっくり!ロングの毛皮のおばさまたちが、ちらほら、否、ぱらぱら、否、そこかしこに歩いていらっしゃるのです!!!春夏秋冬を問わず少々の雨、否、かなりの降りの雨でもドイツ人は傘などささないのですが、毛皮のおばさまたちも頭にネッカチーフを被ったっきり傘などささずにロングの毛皮コートを惜しげもなく(?)雨に晒しているのです。まあその毛皮のコートの元になった、狐ちゃんだか貂(てん)ちゃんだかチンチラちゃんだかミンクちゃんだかは、雪の平原を毛皮一枚(?)で凍死もせずに走り回っていたわけですから、毛皮は濡れても大丈夫なものなのでしょうけど。そしてその日は更にデュッセルドルフ郊外のメアブッシュという、高級住宅街のスーパーに、ただ「駐車場が地下なので濡れずに買い物できる」という理由で行ったところ、またまたロングの毛皮コートを着たおばさま方がかなりの割合でカートを押してお買い物なさっていたので、再度びっくりしました。「おばさま」と言っても具体的な年齢は60歳以上のご婦人です。若い女性の毛皮ロングコートは見かけません。更におばさまと一緒にお買い物をしているおじさまもロングの毛皮コートの方が数はおばさま方に比べれば少ないですがいらっしゃいました。日本でロングの毛皮を纏っている殿方にお目にかかったことはありませんが、只でさえガタイが大きいドイツ人のおじさまがロングの毛皮を纏うと、殆どイメージは「バッファロー

といった感じ。何頭の小動物の毛皮が使われているのか最早わかりません。厳寒の日に突如出現したこの毛皮軍団を前にして、
やはりここまで寒いとダウンよりも毛皮の方が温かいのか?
と思ったことだったんですが。その後も厳寒の日には同じような光景(毛皮のロングコート率上昇)が見られましたが、私の観察によると、毛皮のロングコートと言っても色々あるようだ、ということです。見るからに柔らかで密な毛皮もあれば(多分ミンク?)、固そうで水をよく弾きそうな毛皮(ビーバーなの?)等々、色々とあるのです。そしてその気になって(?)よくよく見回してみれば、目抜き通りに毛皮専門のお店あり、アルトシュタット(旧市街)にも同じく毛皮専門店あり、そしてそういうお店は真夏でもショーウィンドウは毛皮!!!なのですね。
一時期喧しかった動物愛護団体による毛皮反対運動」はどうなったんでしょう?
毛皮のおばさまたち一人一人にインタビュー(ドイツ語で!?)するわけにはいきませんが、ドイツ語の先生に聞いてみました。彼女は「動物愛護」についてはビミョーにスルーしたのですが、「何故推定年齢60歳以上のドイツ人女性に毛皮のロングコート率が高いのか?」という東洋人の素朴な疑問については答えてくれました。

「今その年代の人たちは、夫が会社を定年になる時に妻に毛皮のコートを買ってあげることが一種のステイタスになっていて、それは『一生の内で毛皮のコートを買う只一回のチャンス』なのであり、その時に買ったコートを着ていると思われる。だから毛皮のコートを着ている人が皆が皆お金持ちではない。」


とのことです。だから、ご予算によって毛皮のクオリティが違うのですね、納得。
それはそうとして、例え夫が会社を定年になる日が来ても毛皮のコートなど買ってもらうことを望めない東洋の主婦である私はですから、おばさま方のように毛皮を着ることなく、その他のドイツ市民と同じく冬の制服ダウンのロングコートを着て毎日毎日外出していたのです。日本でずっと以前に買ったものの大袈裟過ぎて日本では余り活躍することがなかった茶色のロングダウンと、ドイツで買った黒のダウンのロングコート、その二つを毎日交互に、「黒、茶、黒、茶」と着回して、「歩く羽布団状態」であったのですが、いい加減飽きるのですよ、毎日ダウンばかりだと。ダウンコートって着たらそれでおしまい!でそれ以上何のお洒落もできないし(ダウンコートの上にマフラーとかするとモコモコ度が尋常ではなくなります)、ダウンコートの下はコート脱がなきゃ見えないので「何を着ても一緒」状態だし(とても寒いので前を開けて着ることなどできません)、第一冬が途轍もなく長い!ので「黒、茶、黒、茶」のローテーションで布団を着て外出するのにうんざりしてしまうのです。そんな或る日、街角のお店のショーウィンドウに大きく赤い字で「Reduiziert!」と書いた札が付いている、表がバックスキン、裏が毛皮、というショートコート発見。「Reduiziert」というのは、英語の動詞「reduce」に当たる動詞「reduzieren」の過去分詞で「値引き中」と言ったらいいでしょうか?そしてふらふらと引き寄せられるように入っていく東洋人(私)。試着させて貰ったのですが、大体ドイツで売っている服の殆どは日本で言うとLサイズかLLサイズかそれ以上なので、滅多に私のような平均的日本人(9号サイズ&激しく撫で肩)が着てぴったりするものはないのですが、このショートコートは、シンデレラのガラスの靴が彼女の足にぴったりフィットしたように、私にぴったりのサイズだったのでした。
「これは私に、『このショートコートを買え!』というお告げなのだわ!」
と突然、神の啓示を聞いたジャンヌ・ダルクに変身した東洋人の私(夫の実家は浄土真宗)は、手が自動的に動いてクレジットカードを差し出してしまい、このコートを買ってしまったのでした。これがそのコートです。

気になる(?)お値段ですが、昔バブルの時代に代官山のセレクトショップで「一生モノのカシミヤのコートですよ。」という店員のお告げ(?)に従って清水の舞台からダイビングして買ったコート(それもセールで)よりもかなり安く、しかもそのカシミヤのコートは数年後には害虫くんの冬のご馳走に成り果てました。そして今だからわかることは、「カシミヤは一生モノなんかじゃない、着倒すモノである」ということです・・・。見てわかるように表はバックスキン、裏が総毛皮なのですが、どうやら余り高級な毛皮ではないようで毛が固くてしっかりしています。そして重い!ちなみに1.7キロあります、このコート。それが着ると重さを感じないのです、不思議ですが。何よりこのコート、着ると滅茶苦茶温かい!!!のです。ダウンコートも温かいですけど、それを上回りそれとは違った温かさです。何と言おうか、密着した温かさ、という感じ。ドイツのおばさま方が寒い日に毛皮のロングコートを引っ張りだしてお召しになる気持ちが、毛皮ホルダーの末席に座らせて頂くことになった私にもわかりました。「動物愛護」もさることながら、この温かさを捨てることは出来ないのでしょう。
ところが後日この話を当時ロンドンに住んでいた学生時代の友人にしたところ、


ロンドンでは全くと言っていいほど毛皮を着た人はいないわよ。大体ハロッズの前にはいつも動物保護団体の人なんだかが『毛皮反対』のビラを配っていて、余程勇気がないと毛皮なんて着て歩けない感じよ。確かハロッズでも毛皮売っていないんじゃなかったかしら。」


と言うのですね。ロンドンならば裾を引きずる毛皮のコートをお召しになってもおかしくない貴族の奥方もセレブも沢山いるでしょうに。何でもその動物愛護団体が配っているビラには、これでもかこれでもかとミンクや貂が飼育場で毛皮をはがれる様子の写真や、一枚の毛皮のコートを作るために何頭の小動物が殺されなければならないか、が書かれているそうです*2。そのハロッズの前でビラ配っている人が厳寒のデュッセルドルフの街角を見たならば、怒りの余り卒倒してしまうかもしれません。
さてさて娘によるとインターナショナルスクールでも毛皮の襟巻きをしているハイスクールのおねーさまたち一群がいたそうです(勿論西洋人)。その子たちは、「それって何の毛皮?」と聞かれると皆口を揃えて「これはフェイクよ!」と答えるのだそうです、そんなはずないでしょうが!と言いたくなりますね。紛い物のクリスマスツリーがドイツには売っていないように*3、どこのデパートの襟巻き売り場を見てもそもそも「フェイク」なんて売っていないのですから。「本音と建前」は日本人の専売特許ではないみたいです。若い子の方が、「動物愛護」の空気に敏感なだけで、でもそれでもホンモノの毛皮の襟巻き巻いてるわけですからね。毛皮のロングコートを着ているおばさま方は、まさかその重量感あるコートを着て「これはフェイクよ。」と言う訳にもいかず、また内心「夫が退職記念に買ってくれたものを着て、何が悪い。」という気持ちもあったり、「昔から着ていたものを、それを着るべき寒い日に着るのは当然だ。」とも思っているのかもしれません。

ネアンデールタール人*4も住んでいたドイツ平原に住んで私は思いました。冬が長く厳しいこの土地で生き残っていくためには、温かい毛皮を纏ったもん勝ち、だったと思うのです。毛皮になる動物をたくさん仕留めてきてくれる夫がステイタス♡(退職金で買うのとはちと違いますが)だったことでしょう。この寒さです、毛皮なしでは一冬だって過ごせなかったと思います。ですから、寛容な東洋人である私は、毛皮のコートに関しては経験&体感的に(たかが裏が毛皮のバックスキンコート一枚で)納得しましたね。文化なのです、きっと。日本人とは全然違った感覚の。
少し話しはズレますが、学生時代フランス語のフランス人の先生が言っていました。「フランス人がウサギを見て最初に思う形容詞は、『美味しそう』である。日本人がウサギを『可愛い』と言っているのを聞いてカルチャーショックだった。ウサギは食べられるために存在しているのに。」と。東洋人でBuddhistの私ですが、そのフランス人の感覚を頭から非難しはしません。どころか、ジビエの季節になると「そんなにフランス人が美味しいと言うのならば食べてみようか」という気にもなります。
しかし。
私がドイツに住んでいた時期、ヨーロッパ各地で周期的に捕鯨問題で日本をバッシングする報道が何度か為されました。ドイツではそれほど目立ったものはなかったのですが、それこそイギリスでは、日本の捕鯨船の甲板にクジラがぞろ〜っと並んでいる写真が新聞に掲載され*5、「日本大使館に抗議の電話、メールを送ろう」という呼びかけがあったそうです。21世紀のこの時代にあってもヨーロッパの人々の中の多分マジョリティーの人々は異文化に非寛容である、というのが実態であり現実ではないかと思うのです。実際、ヨーロッパ人の殆どは東洋のことなど、東洋の片隅の日本のことなど関心もなく過ごしており、たまさか日本や日本文化に関心があり、理解しようとしてくれる人々はかなり貴重な人々である、ということを肝に銘じておく必要がある、ということです。こちらからすれば、捕鯨問題でバッシングする前に、毛皮のおばさまたちはどーなのよ、肉屋に吊り下げられてる多量のお肉はどーなのよ、どっちが野蛮人?と言いたくなりますが。例え或る文化が自分たちが所属する社会の今の感覚に照らすと残酷なものであったとしても、そこに必然性があって歴史があって生まれたものならば、先ずは寛容の精神で臨むべきだとは思うのですが、これは一方的であってはいけないのです。


さて、私はドイツ滞在中に一生分ダウンのロングコートを着てしまったので、日本に帰国して冬を迎えてもダウンを着たくないのです。確かに日本のダウンは、「歩く羽布団」だったドイツのダウンとは違ってダウン(またはポリエステル綿)の量も押さえてあって細身に出来てはいます。でも。でも。「着るとそれでおしまいっ!」というのは同様ですし、色も「黒」か「茶色」が殆どという点も同様です。「黒」は日本人の黒い髪の毛の頭で着ると見た目がとても重くなりますし、「黒」以外の部分、つまり剥き出しの「顔」の造作やお化粧がとても目立つので要注意だと、「他人の振り見て我が振り直せ」の精神で拝見しております。また「茶色」のダウンでしかも光沢があったりすると、私にとってはあの台所の悪魔であり天敵である◯キブリをいつも連想させらてしまうのです、あの「てかり」が似ていませんか、◯キブリに?そしてデザインも、霧雨でも必ず傘をさす日本では不必要で単なる飾りでしかないフード(それこそ「フェイク」の安っぽい毛皮に縁取られた)、丈は日本人のバランス的にロング丈よりは短め、で全く画一的デザインでヴァリエーションも(へったくれも)ありません。今年は例年になく寒い日も多いですけど、本来は首都圏ならばダウンのロングコートは必要ないのですよね、電車の中は温かいし嵩張るし、行った先のデパートもレストランも温かいですから。という訳で、私はせっせとウールのコートを着ていますよ。同じコートでも11月から12月の終わりまではダークな色のマフラーやパシュミナを合わせ、逆に年が明けたら明るく春らしい色のものを合わせます。それと手袋の色もコーディネートして。また、同じ「黒」色でも、ダウンコートだと「着ておしまい」で何の洒落っ気もないですが、ウールの黒のコートは何通りにでも着こなしができますし、シックです。ただ、呉々も「お葬式帰り」に見えないようにしなければなりませんけど。


最後に私がドイツで見た毛皮のおばさまの中でとびきり印象的な方について語りたいと思います。氷雨降るデュッセルドルフの街角ですが、物乞いはお天気も気温もものともせずに石畳の通りのあちこちに立っています。日本ではホームレスの人はいても、(職業的?)物乞いの人を見る事は殆どないと思うのですが、ヨーロッパではまだいるのです。これも文化の違いでしょうけど、毎日同じ場所・同じ時間に同じ物乞いの人が立っているのです、デュッセルドルフだけでなく、ベルリンでもハンブルグでもパリでもローマでもミラノでも。その毛皮のコートのおばさま、否、かなりのお年のおばあさまだったのですが、見るからに同じ毛皮のコートでも東洋人が衝動買いしたバックスキンで裏だけ毛皮(それも多分ビーバー)とは違ってとても高級そうなチンチラだかミンクだかのロングコート。歩みは多分転ばないようにとてもゆっくり。彼女もドイツ人らしく傘をささず、毛皮とお揃いの帽子を被っているのですが、氷雨中通りに物乞いに立つ人の前で立ち止まると、ポケットから小銭を出して上げているのです。そしてまた数十メートル歩いてまた次の物乞いの前まで来ると、また同じく小銭を上げていました。高齢の人にとってはかなり長い目抜き通りなのですが、彼女はどこから歩き始めたのか、とにかく目抜き通りの端近くまでそのように物乞いに小銭を与えながら歩いてきて、歩道の端で立ち止まりました。すると目の前の黒い大型ベンツの運転席のドアが開き、男性が素早く出てきて彼女のために後部座席のドアを開けました。つまり運転手?そして彼女はその車に乗り込んで走り去ったのでした。
慈善?それともこれは偽善?
東洋のBuddhistである私にとっては、未だにどう考えたらよいのかわからない、どう結論つければよいのかわからない毛皮のコートの老婦人の姿でありました。

*1:以前のエントリー参照 Schönes Mai(美しき5月)とドイツ人の顔についての考察

*2:勇気があれば、Googleで「fur farming」で画像検索してみてください。

*3:ドイツにおけるお生(ナマ)の『クリスマスツリー』の買い方&捨て方in 2004

*4:「ネアンデールタール」はデュッセルドルフ郊外の谷で博物館もあります → Neanderthal Museum]

*5: 多分これ→http://planetsave.greenoptions.netdna-cdn.com/files/2010/06/800px-Whaling_in_the_Faroe_Islands.jpg