お金を使わずにお洒落に見える方法

↑見出しのこの一行はこの手のよくある「フツウに考えたらありえないだろう」ネット広告のように、やたら引っ張って引っ張って最後の最後に、

「他では絶対に身に付かない画期的方法が、たったの◯◯円で手に入る!」

というヤツではありませんので、端的に先ず結論から申し上げましょう。


☆靴とバッグの色を揃える☆


これです!たったこれだけでお洒落に見えること間違いなしです。
何か新しく買い足したり、手持ちの服をがらちとイメージチェンジしたりする必要はありません。大体、今更あなたの好みを変える権利は何人にもありませんし、タンスやクローゼットに蓄えたシャツやカットソーやワンピやスパッツやパンツやスカートや何やらかんやらを引っくり返してお洒落かどうか検分するかと思うとうんざり、でしょう。
けれども、手持ちの靴とバッグを仕分けするだけ、ならお手軽にできると思います。しかもそれだけで、お洒落の偏差値がぐぐっと上がるのですから。但し、Vuittonなどの「見てそれとわかるブランドもの」は例外なのですがこれは最後にお話します。

さて、突然ですが、ドイツ人はダサイです。
私は最初から偏見を持っていたわけではありません。寧ろ私は臆見を嫌う人間です。他人が何と言おうが、自分で体験して確かめないと信じない、疑い深い性格です。ですから、今を去ること何十年前、テレビタレントが、「名古屋」や「埼玉」や「千葉」のことを、ダサイ、とかケチ、とかネタかもしれませんが盛んに言っていた時でさえ、私はそんなことは信じませんでした。しかし後にそれらの場所を訪れる機会があったり、あろうことかそのうちの二つに住むことになった実体験により、そのタレントが言っていたことはネタなどではなく、紛れも無い真実だということをやっと納得したくらいです。

例えば、ファッションと言えばパリ。私は今でも信じられないのですが、
ドイツ全土とパリは陸続きです。これは何を意味するかというと、地面をずっーーーっと歩いていくとパリに行ける、ということであり、国境に線が引いてあるわけではないのですから、「ここからがフランス。ここからがドイツ。」と分かれているわけではないのですが、それが見事にファッションやグルメ、という点では、すぱっとフランスとドイツに分かれているのです。
それを感じたのは、たま〜にドイツからパリに遊びに行って花の都の空気を存分に味わって、パリジェンヌたちの洗練されたお洒落を目の当たりにしてドイツに帰ってきていつも車を走らせる目抜き通りの交差点の信号待ち。目の前を左右に横断していく、数多のドイツ人たちを見ていると、どうしてもここがパリと地続きとは思えないダサさ、田舎っぽさ、が否定しようのない現実として目の前にあるのです。ドイツ人は男性も女性もガタイがいいので立体的なことが特徴の洋服=西洋の服が着映えするであろうことは間違いないので、このセンスの無さが勿体ない気もするのですが、勿論極東の国から来た人間にどうのこうの言えることではありません。まあ、ガタイがいい、と言っても、これまた男女問わずお腹周りだけが発達した人々も多いわけで、本当に文字通りの「ビヤ樽腹」というのを、私はドイツで初めて見ました。勿論ドイツ人もお洒落に関心がないわけではないのでしょうが、民族的にファションよりも関心事項が他にあるのかもしれません、車とか(車はドイツの方が断然スタイリッシュ!)。
しかし。
その、お洒落偏差値がそう高くもないと思われるドイツ人でも、私から見ると、やはり腐っても西洋人。しかも、痩せても枯れても(これはレトリックで言っているのであって言葉のイメージとは違うけれども)ドイツ人は、近代ヨーロッパの本流の一つであり、ちゃんとファッションの文法はわかっているのです。だから、批判を覚悟で敢えて申し上げますが、
日本人のファッションセンスはドイツ人よりダサイ!
という事実に私たちは向き合わなければなりません。

何故よ?日本のファッションはアニメ・マンガと共に世界で認められてるじゃない?ゴスロリはどうよ?カワイイ・ファッションはどうよ?AKB48を持ち出すまでもなく制服ファッションはどうよ?

という声があるでしょう。しかし、また批判を恐れずに申し上げますが、

それらは、キワもの、として、キッチュなもの、として認められているだけであり、西洋ファッションの本流には絶対に成り得ない

のです。それだけは勘違いしない方がよいと思います。
その西洋ファッションの文法には色々と目に見えない規則があるようですが、一番簡単なのは、気前良く最初に晒した法則、

☆靴とバッグの色を揃える☆

だと思います。


私のような極東アジア人からも、ネットの片隅で「ダサイ」と言われてしまうドイツ人ではありますが、ファッションのこの基本文法は逆に律儀なほど、守っているんですね、ドイツ人。それは、お洒落に敏感な若い女性に留まらず、いい歳のオバサン、おばあちゃんまでがそうなので、お腹周りの寸法とは関係なく、全身のバランスとしてはとても統一がとれているのです。

例えば、
ティーンエイジャーの女の子で、ジーンズにTシャツ&パーカーでも、小さなピンクのショルダーを抱えれば、足下はピンクのスニーカーを履いていたりするのですが、これは「シンプルな組み合わせでお洒落に見せる」一番簡単且つ基本的テクニックだと思われます。
・貫禄のあるマダム年齢になっても、バッグがゴールドなら靴もゴールド。一度肉屋さんで見て釘付けになってしまったマダムは、白いパンツに黒いジャケット、白黒ストライプのブラウス。それに赤い靴に赤いVuittonのエピの横長バック。
・おばあちゃんの年齢になっても、ドイツ人の服装は、わかりやすく言えば、昔の「ニュートラ」。明るい色、柄(特に花柄)が殆どです。色の組み合わせが単純で、それが、微妙な色合わせを得意とするフランス人とは違うところだと思いますが、痩せても枯れても西洋人ですから(?)、白髪(金髪が白髪になると本当にキレイ)の頭に目の色と同じ薄いブルーのツーピース、首にアイボリーのシフォンスカーフを巻き、それにグレーの靴とバッグを合わせる、という組み合わせ。←これは別に凄くお洒落な人がやっているのではなくて、ごくフツーにドイツの地方都市を歩いているおばあちゃんがやっているのです。

そういう事例を見るにつけ、やはり腐っても(何が?)洋服の国。同じ色のバッグと靴のストックが違うんだな、と思わされます。決してブランドものとかじゃないのですが、長年の蓄積があるのでしょう。

翻って、我ら大和撫子の「洋服」の歴史は、一番ハイカラな明治女を祖に持っていてもたかだか140年。殆どの日本女性は第二次世界大戦が終わるまでは、普段着もよそいきも「着物」だったわけです。っていうか、昭和40年代頃までは、年配の女性は着物を着た方が多かった気がします。だから「洋服」の歴史は途轍も無く浅いのですが、変に経済力がついちゃって(それも或る一瞬だけでいまや膨大な財政赤字を抱え破綻寸前ですが)西洋ファッションの文法を学ぶ間もなく、その中に入ってしまったから、英文法を勉強しないままで英会話しているのと同じ感じになっているのだと思います。
それと私自身、着物を着るようになってわかったのですが、着物の世界はまた別の文法があります。「靴とバッグ」について言えば、冠婚葬祭の時を除いて、「草履とバッグ」は揃えなくて構いません、ていうか揃えない方が粋、みたいな?やはり明治維新は遠くなりましたが、「洋装」の歴史よりも、着物の歴史の方が色濃く残っているのでしょうか?
こういう人を見かけませんか?
・お洋服は流行のものを取り混ぜてまあまあ無難に着ていて、靴はリボンの付いたオープントウのピンクのパンプス、ところがバッグはスタッズの付いた焦げ茶のショルダー。全身像を見ると、アンバランスというかお洒落以前というか・・・。
・入園式なのか入学式なのか、紺のスーツの若いママ、靴は黒。ここまではまあ普通なのだけれども、何故にバッグが唐突に白?
・白黒グレンチェックのスカートに黒のタートル、黒の短めトレンチ、ここまではモノトーンでお洒落なのに、何故か突然茶色いブーツ。とどめが、綺麗な水色のはリザード型押し風トート。
出かける時に靴とバッグを選ぶ時、色合わせなど考えずに、「今一番新しくて気に入っているから」「足に一番合っているから」「とりあえず今毎日このバッグ持っているから」ということで選んでしまうんでしょう。

「それのどこがおかしいのよ?ファッションなんて個人個人が好きなように表現すればいいじゃない?」

という方に反論致します。象徴的ですが、一旦ドレスを身にまとってしまうと、鏡を見ない限り、自分ではそれを見ることはできませんよね。
ファッションとは記号であり、あくまでも自分を他人にどう見せたいかを表現するものなのです。しかもその表現は共通のコードを以て解釈されます。ですから、「自分が好きなように組み合わせて何が悪い?」というのは、野蛮もしくは幼稚な振る舞いにあたると思われます。

度々、例ばかり挙げて恐縮ですが、例えば、今パリで目立つのはお金持ち中国人です。バブルの頃の日本人はこうだったかとも思うのですが、所詮国の大きさが違いますから、バブル期日本人よりもはるかに巨大なパワーでパリを席巻していると言えるでしょう。
どう見ても20歳代だと思われる中国人のカップルですが、ポロシャツはジバンシージーンズはアルマーニ、フェンディのキャップを被り、グッチのバックルのベルトをして、女性はVuittonのダミエの大型ショルダー、男性はモノグラムクラッチバッグ、という出で立ちで手をつないで歩いていたりするのですよ、これが。
「中国って共産主義の国じゃなかったっけ?」という問いは今更脇においておいて、彼らのことをどう思いますか?日本人よりも遥かにお金持ちであるということは、何だかんだ言って、資本主義&民主主義の我が日本の政府の施策よりも、共産主義の彼の国の経済政策の方が数十倍も上手くいっている結果であり、それは我が国の政府を恨みこそすれ、中国人に八つ当たりするものではありませんが、

バラバラのブランドを身につけていると統一感がなくてお洒落じゃないよ

と同じアジア人のよしみで言ってあげるだけの、ファッションセンスと歴史は日本人持ち合わせているのではないでしょうか?何しろ中国人はついこの間まで公称10億実態13億の国民が全員「国民服」を着ていたお国ですから(共産党幹部の国民服は、見かけは国民服だけれども、上等のカシミアである、という説あり)、日本人の方がほんの少しだけ「西洋ファッションの文法」の先輩なのですから。とするならば、先輩である我々自身、

靴とバッグをそれぞれ脈絡もなく選ぶのはお洒落じゃないよ

とそろそろ気がついてもいい頃でしょう、三千年の歴史を持つ中国人がこの地点に到達するのは経済成長と同じで案外早いかもしれませんけど。

簡単なことです。一足しか靴を持っていないわけではないでしょう?ベースは黒と茶色です。自分の足にぴったりくる靴があれば、同じ靴を黒と茶、2足買っておけば、大抵の場合事足ります。それから、「カワイイ」とか「色がきれ〜い!」というだけで、バッグや靴を選ばないことです。綺麗な色のバッグや靴は、効果的に組み合わせると「ばっちり決まる」こと請け合いですが、やはり「侘び寂び」の遺伝子が流れている日本人にとっては、「余りにもキマり過ぎ」という格好は寧ろダサイ、という感覚がありますから、選ぶ時には要注意です。

結論です。
持っている靴とバッグを仕分けして、出かける時には色を揃えてみてください。
それだけで見違える程、全体的にすっきりお洒落になること必定です。
お疑いの向きには、実践する前に他人を観察なさってみてください。如何に靴とバッグがちぐはぐに組み合わされているか、がわかると思います。

一番よくわかるのが、男性です。男性の場合は、「靴とバッグ」ではなく、「靴とベルト」がポイントです。レベルが上がると、それに鞄と時計のベルト、が加わります。
最近流行の細身のスーツを着たイケメン男性。足下を見ると、「スーツに茶色の紐靴」という、本来ならばかなりお洒落偏差値が高い組み合わせ。ところが、ふと見えるベルトは、オヤジ・バックルの黒。持っている鞄はエルメスグレーのトート。馬鹿にしか見えません。逆に、渋いおじさまが、スーツの足下は磨かれた黒の紐靴、ベルトもバックルが目立たないオーソドックスな黒、人目みてどこのブランドかはわからないけれど絶対にどこかの逸品であることが確実視される黒の書類鞄。こういう組み合わせの方が、はるかに素敵に見えることに気がつきませんか?
女性の方が、服装が複雑なので逆に見えなくなってしまっていますが、上から下までトータルに見た時に、男性と同じく「気がつけば、靴とバッグがトンマな組み合わせ」に陥っている場合も多々あるのです。それを悔い改めるだけで、お洒落に見えるのです。

応用としてアクセサリーの統一、もお勧めします。

ネックレスがゴールド系ならば、リングもピアスも時計もゴールドに。逆にシルバー系ならば、シルバーで統一。

ネックレスがパールの入ったものならば、他のアクセサリーに他の石やビーズは使わない方がすっきり。

しかしながら、日本女性の「靴とバッグ」問題について避けては通れない特殊事情があります。それは、

ブランドものバッグの持ち方

です。それは稿を別にしてお話します。