夫のiPhone道 「カエルの絵文字」から「音声入力」まで


一昨日の日曜日の夜、ここのところ多忙を極めていた夫(文系バリバリ)に、同じく文系バリバリ不肖わたくしがiPhone4Sの機能についてレクチャー致しました。
メールの音声入力について指導したのですが、
「フリック打法を覚えたから、音声入力なんて必要ないよ。そもそも本当にiPhoneに語りかけるだけでメール打てるの?」
と21世紀を生きるビジネスパーソンとも思えぬ発言をする夫に、先ずSiriで「◯◯に△△とメール。」とお願いするところから実践してみせ、次にメールアプリのマイクボタンをタッチして音声で入力するやり方を「どうこれ?」と見せましたならば、夫はまるで、黒船を見た江戸幕府の役人顔、でありました。ついでにAppleのサイトのSiriの動画
http://youtu.be/KrTE6b_bJHE
(格好良すぎ!ですけどね、この動画)
も教えておいたら、後で夫の自室からうめき声と申しましょうか、未開人が文明に打ちのめされた声がしていたので、私の布教は先ず成功したようでした・・・。

ところが、昨日の夕方、夫から

と「帰るコール」のメールが来ました!!!
「コワっ、どこでiPhoneに向かってどなった(明瞭に発音するためについつい声が大きくなりますよね?)んでしょう?まさか女子社員の前で得どや顔でやっているのでは?」
と心配になってしまいました。帰宅後に聞いてみたら、
「えっ、オフィスから駅へ行く道で。」
というのです、女子社員集うオフィス内という最悪の状況ではなかったようでほっとしましたが、どう想像しても前掲のSiriの動画の格好良さからはほど遠い怪しいおじさん誕生!です。考えてみれば、Siriの動画ではジョギングしながらSiriを使っている様子はすこぶる格好良かったですが、実際路上のあちこちで老若男女がiPhoneに話しかけている光景、というのは、どうなんでしょうね。

日本人は器用なのでメールを打つのが苦ではないですよね。しかも老若男女ことごとく恐るべき学習能力ですし。世界でも例を見ない「器用さと学習能力」だと思います。ですから、逆に手先が不器用な国民が多い国(西洋とか、西洋とか、特にドイツとか)では、音声入力が歓迎されて、街のあちこちで人々がiPhoneにどなっている(元々怒鳴っているように聞こえる言語もありますよね、ドイツ語とか)のではないか、と想像すると、なかなかシュールなものがあります。


私は2004年の5月に日本を後にしてドイツに上陸し、2007年の8月に帰国するまで、故国日本の地を踏む事はなかったので、ずっと日本で暮らしていたら気付かなかったであろう変化、日本における携帯電話の普及ぶり(但し神奈川県を走る横須賀線内限定w)、というものをモロに肌で感じた、という経験があります。
2004年までの日本では、携帯電話を持っている層というのは、第一に大学生や社会人の若者。当時は高校生でも持っていない生徒がいたり中学生だと携帯もっている子は珍しかったかも。出かける機会が多い主婦は持っていましたが、学校の役員名簿(個人情報にうるさくない時代でした)に携帯番号を書いてもらおうとすると、10人に1人くらいは、
「私、携帯持っていません(キリッ」
という母親がいましたね。夫は持っていましたが、家に「帰るコール」をする時に使うくらい。オジサン世代は会社の営業や業務連絡に必要だから会社に持たされて使っている、という感じでしたね。その他の世代、特に中高年の方々は、「テレホンカードで公衆電話」がデフォルトでした。電車の中では、中高年の方は読書か「じっと前を見ている」ものでした。ただ、若い子は既に写メも含めて携帯を使いこなしていた感がありました。電車の中でも、待ち合わせ場所でも携帯をいじり、写メにしても有名人に遭遇したら「パシャッ」、ペットの写真を「パシャッ」、そして友達に送信して共有、は普通だったと思います。

ですから、ドイツに行った時に、ドイツのみならずヨーロッパの携帯後進国ぶりには驚きました。日本ではJ-PHONE(←懐かしー)を使っていた私はドイツでは、キャリアはVodafon、携帯はNOKIAを使っていましたが、先ず携帯電話そのものが日本に比べて超ショボい。そして電車に乗っても、携帯をいじっている人々は殆どいなくて、逆に電車の中でも普通に通話をしている人が多いのにびっくりしました、日本では「マナー違反」なわけですが、そもそもどうして「マナー違反」になったのでしょうね。歩きながら「通話」をしている人は逆にスゴく多くて、ドイツ人の大好きな散歩(それも必ず犬を連れて)ですが、散歩しながらず〜っと携帯で通話している人は沢山見かけました。中にはわざわざヘッドセットで通話している人も見ましたね。でも携帯メールは普及していないようで、「メール」といったらパソコンの「メール」でした。我が家の子供たちが通っていたインターナショナルスクールの父兄とも、フランス語やドイツ語の先生とも、会社のドイツ人の秘書の人とも、日本ならば携帯メールで済ますような簡単なことでも、パソコンのメールでした。逆に今でも日本では「後でメールするね!」といったら携帯の「メール」ですよね、PCのメルアドではなく。逆に言うと、ドイツ人はかなり年配の女性でもパソコンのメールで連絡をくれたりしていましたから、痩せても枯れても(←という言葉はドイツ人の体格を形容するものではありませんが)先進国のドイツでは、PCは日本よりも普及している感じでした。っていうか、ヨーロッパの携帯で送れるメール「SMS」(後述)の字数内(140字)では収まらない内容はどうしてもPCメールになるからだったと思います。

日本で「後でメールするね」と言って、そこそこ長い内容でも携帯でメールできたのは何故かというと、当時日本ではiモードなどを使って携帯電話宛に何千字ものメールが送れたからです。ヨーロッパの携帯メールの主流は、当時の日本で言えば、「スカイメール」や「ショートメール」である「SMS(ショートメッセージサービス)」だったのでした。この文字数制限は今隆盛を極める「Twitter」と大いに関係があるのですが、このSMSは「1回のメッセージで送信可能な文字数は最大140字」というもので、この縛りで英語でメールを書いてみればわかりますが、英語の140字じゃ碌な事が書けないのです(日本語はまた別の話)。このSMSにローマ字表記の日本語(はっきり言ってものすごく字数を食います)をぶち込んで強引に家族でメールのやり取りをしている駐在日本人のご家庭もありましたけど・・・(我が家は子どもが英語でメールしてくるので、親も意地で英語で返していましたw)。だからして、携帯メール即ち「SMS」だと、すぐに字数オーバーして伝えたい内容が伝えきれないので、ヨーロッパでは

携帯メールの使い勝手が悪いのでPCのメールを使う(手先が不器用だし) → だからPCを使える人が多い

ということになっていたのでした。日本は真逆で、

携帯メールが至れり尽くせり → 専ら携帯でメールする (手先が器用だし)→ PCを使う必要がない → PCの普及が頭打ち(使う人は使うが、使わない人は全く使わない)

ということになっているような気がします。
「携帯メール」といえば「SMS」しか存在しなかった当時(2004~2007年)のドイツには、ですから、「携帯メール文化」というものは存在せず、僅かに2006年後半ころから、ヤンエグ(という言葉もありました)っぽいドイツ人(♂)が、ブラックベリーでタッチペンを使って街角や電車の中で得意そうに入力しているのをチラホラ見かけましたかね。結局、手先が不器用な欧米人にとって、また、嘗ての英文タイプのキーボード配列が骨の髄まで染み込んでいる欧米人にとって、そして「皆が持っているから私も」という同調傾向が薄い個人主義の欧米人にとって、いわゆるガラケーでのメールは取っ付きにくいものだったのだと思います。それのまたしても真逆が日本人だったのですよね。老若男女問わず手先が器用、英文タイプのキーボードよりも整然ととした「あいうえお」の五十音順が得意で(思えばどこで「いろはにほへと」から「あいうえお」に転換したんでしょうか?)、「皆が持っているから私も」という国民性。それらが相俟って、ガラケーの普及が進行していたのでした、丁度私がドイツにいた間、2000年代半ば頃。ずっと日本に住んでいたならば、その変化に気がつかなかったかもしれません。

2007年に3年ぶりに日本に帰国して電車に乗った時に、その劇的な変化に驚きました。
電車に乗ってロングシートの向かいの一列全員、老いも若きも携帯いじってるんですから。仏頂面でぼ〜っと座席に座っているドイツ人に比べて、何という未来的な光景だったでしょう!嘗て(と言っても2004年頃まで)は携帯電話を親の仇のように敵視していた中高年のオバさま方も、皆メタリックピンクの携帯(らくらくフォンでしょうか?)を片手に、老眼に鞭打ってメールをしていらっしゃるご様子。オジサンも負けてはいません。耳にイヤホン突っ込んで、ワンセグで野球中継を見ています。高校生に限って言えば、携帯普及率は100%になっているのではないか?、と思わされるほど。高校生は友達同士で電車乗って来ても、それぞれがメールの返信やらゲームやらで携帯に没頭していました(今もそうですが)。
大学生のみならず高校生も高い確率で携帯を持ち、私立で電車通学していたり塾に通っていることを理由に中学生や小学生までが携帯を持たされて使いこなし、オバサン、オジサンは勿論、中高年のおばあさま、おじいさままでが、この「携帯」というメカを買えるだけの経済力&学習能力を持っている日本てスゴい事だと、海外で暮らすとプチナショナリストになることも相俟って私は大いに感動致しました。おまけに日本のメーカーは、キッズケータイとか「らくらくフォン」とか、欧米ではありえない配慮細やかな(過保護、とも言う)製品を作っていたわけです。
ハードだけではなく、ガラパゴス的に急速発達していたのが「顔文字」「絵文字」、そして「着メロ」。こんな繊細なもの(瑣末的、とも言う)世界中のどこを探してもないですよ、日本だけ。いにしえの歌人は、紙や墨の種類にも気を配り、匂いを薫き込め、花の枝を添えて和歌を送ったらしいですが、それが脈々と続いているのですね、日本人の中には。


さて、夫の話に戻りましょう。
子供たちの受験で一足先に帰国した私たちに遅れること2年。「携帯と言えばもっぱら通話」の携帯後進国ヨーロッパはドイツから、携帯文化超先進国の日本に帰国した夫をお察しください。行き先は竜宮城ではありませんでしたが、5年ぶりに日本に帰ってきた夫は「今浦島」そのものでした。帰国後に最初に夫が買ったdocomoの携帯は、「帰るコール」にのみ使われ(「今から」という文字列の後にカエルの絵文字を入れる、というオヤジギャグ的技は覚えたようでしたが)、当時女子高生で月間500万パケット超えは余裕だった娘に比べて、夫は100パケットもいかないw、という、同じパケホーダイなのにこの差は如何に?というくらいの、夫は携帯電話下層民だったのでした。
その半年後、私と子供たち二人がiPhoneに変えた時に、迷ったのですが夫も道連れにしました、docomoに解約料4人分払った乗り換えでした。しかしこの時に道連れにして本当によかったと思います。あそこで置いてきぼりにしていたら、今頃夫は「らくらくフォン」まっしぐら、だったと思います。今ではそれなりに色々とアプリを入れ、体重や歩数やゴルフのスコアを管理したり、娘とBumpして喜んでいます。「使いこなせないならスマホは要らない」という人がいますが、「使いこなし方」は人それぞれだと思うのですよね。夫はかなり使いこなせていると思います。ICカードがホールドできるiPhoneケースを買ってPasmoを入れて、「お財布ケータイ」と自称しているのは(かなり本気で得意そうですw)ご愛嬌として。

[rakuten:maccrescent:10002868:detail]

思えば、「カエルの絵文字」からiPhone音声入力まで長い道のりでした。


ここで終わろうと思っていたら、以下のような記事を目にしました。
http://blogos.com/article/36375/
書いてきたことと大いに関連するので、色々と言いたいことはあるのですが、それは別のエントリーにて。