受験に於ける「親の責任」に関して私感(大学)

そして昨日に引き続き今日は大学受験に於ける親の責任について

目下リアルタイムで「大学受験生の親」であるので、ついつい大学受験については言いたいことが沢山あるのですが、先ず。
今の日本の大学受験のシステムは、受験生の処理能力に対して適正規模だった高校受験とはかなり異なります。「大学受験なんだから、自分で考えなさい」と子供に丸投げしたり、今の受験制度や大学の序列がわかっていないのに「ああしろ、こうしろ」と無理難題を子供に押しつけ尚且つ何の手助けもしてやらない、という親御さんが意外に多い気がするのですが、実際はどうなのでしょう。「中学校で高校入試に向けての進路指導があるように、高校では大学入試に向けての進路指導があるのではないか?」と思われるかもしれません、確かにあります、あるにはありますが、中学校の時の進路指導とは内容が異なるように思います。中学校における「進路指導」は前述のように大抵の場合地域の公立高校を中心にして生徒をとにかくどこかの高校に入学させようという、実際的な指導ですが、高校の進路指導というのは、前半(高1〜高2)は、様々な職種についている卒業生を招いて講演してもらったり、事例を冊子にして配ったり、という、「大学」というよりはその先の職業についての指導が主です。つまり「なりたい職業を決めてから、行きたい大学を決めなさい」というごもっともな指導なのですが。しかし、具体的に「どこの大学のどの学部に行きたい」ということは個々の生徒が数ある日本中の大学から自分で探さねばなりません。勿論、予備校のサイトに行けば、大学や学部は全て網羅されています。また今は私立大学だと、従来の一般入試に加えて、センター利用入試、自己推薦入試AO入試、指定校推薦入試、等々あり、国立大学も「センター試験プラス二次試験」以外にも、推薦入試やAO入試を行っているところがあり、はっきり言って高校の先生が、授業や他の学校業務をこなしつつ、これらの大学の情報全てに通暁するのは無理なのです。先生方さえも、生徒から「◯◯大学の◯◯学部に行きたいんですけど」と相談されて、それが地元の大学ではなくよく知らない大学ならば、調べてみるところは結局生徒と同じく予備校のサイト、なのです。高校入試の時のように、「君の成績ならば、県立(都/府/道立)◯◯高校を狙ってみたらどうだ。」てな感じでとても先生の方から大学を勧めたりすることは不可能になっているのです。で、親から「自分のことなんだから自分で決めなさい」と言われた生徒はどうするか?「友達も受けるから何となく」「先輩が行ったから」「ネットで見たら良さそうだったから」になるのです。そして今の日本の大学受験のシステムは開闢以来そして世界でも有数の複雑さです。それを受験勉強をしながらの18歳に一身に背負わすには、かなり無理があると思います。ましてや、敗者復活戦がある中学受験や高校受験と違って最後の受験であり(院試は知りません)直接将来の職業に繋がっていく大事な受験です、親がここで逃げ腰になってはいけないと思うのですね。「子供に任せている」というのは、キレイな言葉ですが、余りにも実態を知らない無責任な態度だと感じます。
仕事が忙しい?→高校生は、学校に行きつつ部活をやりつつ塾にも行きつつ(そして他の諸々のこともしつつ)受験勉強やっているのですが、それに更に負荷を負わせて出願手続きを「ミスするな」と要求するのですか?
複雑すぎてわからない?→それではそもそも子供に「理解して自分で何とかしろ」と言うことはできませんね。
突然ですが、以前訳あって、というかはっきり言ってしまえば、息子がドイツのインターの11年生にいた時に一時「アメリカの大学に行きたい」と抜かしたことがあり、アメリカの大学入試について色々調べたことがあるのですが(勿論お得意のネットで)、びっくりしたのは、アメリカの親って自由放任と思いきや大学受験に関して日本の親なんて足下にも及ばないくらい熱心なのです!その理由としては、「塾や予備校がないから」「SATもしくはACTと高校の成績と課外活動で入学が審査される大学入試システムである」ということがあるでしょうが、とにかく親が大いに関わっているのです、堂々と。私には或る意味新鮮でした。日本だと大学受験にもなって親が「しゃしゃる」とそれだけで「過保護」とかレッテルを貼られ、「ウチは子供の自主性に任せているから」という美しい言葉が錦の御旗のように掲げられて話はそこで終わり!になるのですけど。でもそれってよく考えてみたら、責任放棄というか結局は子供に丸投げ、否、子供でさえなく塾や予備校に丸投げなのですね。親が関わらないから、いつまで経っても大学受験のシステムも変わらなければ、塾や予備校の跋扈で高校という正規の学校教育の影が薄くなっていることもこのままなのでしょう。塾や予備校にとっては、大学受験が複雑怪奇なシステムで、自分たちだけが情報を握っていて親から委託されている状態がいつまでも続くことがお商売上得策な訳ですから。アメリカはそうではなくちょっとググれば、高校生を持つ親の大学受験に関するサイトが幾つもあって、そこを見ると、本当にSATやACTについての基本的な説明から始まって、高校に入学した時からどういう風に子供にアドバイスしたらよいか、大学入試に備えて課外活動を考える際運動が苦手な子供には学校新聞部を勧めてはどうか、夏休みにはどういう単位をとらせたらよいか、大学に提出するESSAYのコーチの仕方、とか細々としたアドバイスを親同士で立ち上げているのです。これって「過保護」ではないと思います。最近ITunes Storeで買ってMacbookにて観たトイ・ストーリー3の映画は、おもちゃたちの持ち主Andyが大学に行くために家を出る準備をするところから始まります。

そしてAndy は自分の荷物を積んだ車を独りで自ら運転して(この辺がアメリカらしい)大学に向かいます、子供時代に別れを告げて。そしてそれはAndyにとって「自立」なのでしょう。

アメリカでは「大学受験」までが親の仕事、その先は子供が独立してやること、という線引きがあるのだと思います、逆に言うと間違っても親がシューカツの説明会に出て行ったりはしないということです。だからこそ、「親としての最後の仕事」である大学受験に子育ての仕上げとして力が入るのかも。大学入学までは、親子なんだから親もとことん関わってやる、ということでしょうか。同じくインターナショナルスクール@ドイツの親も、日本の親から見ると鼻白んでしまうほど、ベタで教育熱心、なかんずく大学受験に関しては相当気合いが入っていましたね。だから学校と関わることについても日本とは比べ物にならないほど熱心です。日本の高校では親は殆ど存在感ありませんよね。平たく考えると、子育ての最終段階である「大学受験」に親自身が関わるのは当然かもしれません。塾や予備校に主導権がある日本の大学受験から見れば、本来は羨ましいことなのですけど。
さて我が日本のこの現状でも大学受験で親ができることは、実務作業で実は色々あるんですよ。大学のパンフレットや受験要項や願書はネットの「テレメール」*1で取り寄せられます、「ポチッ」くらいできますよね、そうネットショッピングの要領です。そして志望校が決まったならば、赤本、青本、黒本、緑本、白本、ってご存知でしょうか?その昔子供たちが見ていたテレビのレンジャーものではありません。メインキャラならぬ赤本は教学社という出版社が出している各大学及びセンター試験の過去問題集、以下はそれぞれ駿台河合塾Z会代ゼミが出しているセンター試験過去問題集です。それでは、青パック、桃パック、緑パック、白パックはわかりますか?まさかとは思いますが、化粧品関係ではないですよ。それぞれ、駿台河合塾Z会代ゼミが毎年出しているセンター試験予想問題集で本番直前に時間を測ってやる受験生が多いようです。これを受験生本人が時間削って自分で買ったからといったって「自主性がある」とは思いませんし。これらを受験生本人に代わって親がアマゾンで買うなり、予備校へ行って買うなり、ということくらいはできるはずです。
そしてそれよりもずっと前の段階で、我が子の性格をわかっている親だからこそ子供と一緒に大学受験を考えることは大事です。前述のように今入試制度は多様化しています。大昔みたいに、国立大学と滑り止めに私立大学、という単純な構図ではありません。早稲田や慶応も新しい名前の学部が出来ています。また国立大学も「センター試験」という第一の関門があるために受験生にとっては「センターで失敗したらどうしよう!?」というプレッシャーが、大人が想像できないほどあるようなのです。例えば我が子が、プレッシャーに弱いタイプならば、高校に来る学校推薦やAO入試で国立大学に挑戦する、という選択肢があることを我が子にsuggestすることもできます、子供の方が寧ろ一元的な「センター→二次」という凝り固まった考えになっているかもしれませんし。勿論私立大学の推薦も考慮に入れるべきです。大多数の同級生が同じシステムで受験していく高校受験と違って、色々な受験方法がある大学受験ですから、我が子の性格や将来の希望に沿った大学受験を一緒に考えらるのは親だからこそ!です。まあそれまでの親子関係次第というところもありますが。
また今年実際に聞いた話なのですが、
・東大の前期の願書は受験生本人が自分で書いて抜かりなく出願した。けれども彼/彼女は「後期」の出願締め切り日はまだ先だと思い込んでいて出願していなかった、実は後期も前期と同じ締め切り日であるのに。彼/彼女は後期の足切りも十分通過できるであろうセンターの得点であったのにも拘らず、後期を受けるチャンスを逃してしまった。「前期で受かれば関係ないよ!」と友人たちは励ますのだけれど・・・。
どうして、こんな優秀な子供を持つ親御さんが、せめて出願時に願書のチェックくらいしないのでしょうか?まあ他所のご家庭のことですけど、本当に今の受験システムは複雑で、受験生本人に全てを任せるのは酷というものです。
・また私立の出願締め切りには道理が通らないものもあるのですね。私立の「センター利用」試験、普通世間一般の常識で考えれば「センターの自己採点が終わってからその点数によって出願するもの」と思いませんか?しかし、センター試験の前に「センター利用」の出願をしなくてはならない、というこの不条理!センター試験で思ったほど点数がとれなかった場合、安くない受験料は泡と消えます。しかも受験生はその出願をセンター試験直前の追い込み時期にやらねばならないのです。それくらいのことを親が一緒になってやるのも「過保護」なのでしょうか?せめて煩雑な願書のチェックくらいはしてあげたいものです。
話は「大学受験に於ける親の責任」からは逸れますが、国立大学の出願にしたって、センター試験の「自己採点」のみの段階で出願させる今のシステムはどう考えてもおかしいとは思いませんか?「自己採点」ですから正確ではない訳です。マークミスも大いにありえます。一点を争うことになるかもしれない大事な試験で、自分の正確な点数を知らされないまま出願させるという奇妙なシステムのせいで、「自己採点」と「実際の点数」のズレで少なからぬ数の受験生が「誤算」のもとに不合格になっているのではないかと思います。大体センター試験と同じくマークシート方式で行われるアメリカのSATは受験三週間後には公式な点数が一人一人専用ウェブサイトに表示されるのです。しかもSATは年に何回もあるというのに!それ故受験生は自分の正確なスコアを知った上で大学に出願できます。何故これが日本ではできないのでしょう?
そして「親の責任」をもう一つ。我が子の受験が終わったら「もう関係ないから」と「教育」に無関心になるのではなく、経験者だからこそ「教育」に関して意見を述べていかなくてはならないということです。そうしないといつまで経っても日本の教育はこのままです・・・。