ドイツにおけるお生(ナマ)の『クリスマスツリー』の買い方&捨て方in 2004


ドイツ(人)はエコじゃない!
というのが、ドイツに住んだ経験から私が実感したことでありますが、例えば来るべき降誕祭(クリスマス)用のクリスマスツリー。目下クリスマスに狂奔中の日本で飾られているクリスマスツリーはほぼ100%プラスチック製の人造の木だと思いますが、ドイツでは、逆に本物の「生(なま)の木」が普通です。一般の家庭は勿論、お店などに飾ってあるかなり大きなツリーも全て本物の木です。常識と良識のある東洋人ならば、すぐに考えてしまいますよね。
一体ドイツ全土では、このシーズンだけでどれだけツリー用の木が切り倒されているのか?
そうなんです、
ドイツ(人)はちっともエコじゃない!
のですよ。
あっ、常識と良識の東洋人である私はそれを非難している訳ではありません。日本人だって、お正月のお飾りに稲藁や橙や裏白で作ったものを飾るではありませんか。そもそもそういう宗教的なものは、「エコ」とかいう言葉が生まれる何千年も前に生まれたものなのですから、そう簡単に変えられるものでもないとは理解しております。但し、2mにも達する木を何万本も切り倒すのと、橙や裏白のようなものを山からむしってくるのとでは、全然話が違うとは思いますけど。

さて。
2004年5月に夫の転勤により家族でドイツ生活を始めたわけですが、その年の12月。ドイツ人が皆買うといふ「生木」のクリスマスツリー(ドイツ語では、Weihnachtsbaum)を買ってみようと思ったわけです。当時の私のドイツ語力を考えると、殆ど無謀に近いものだったのですが、さてその首尾や如何に・・・。

ドイツはさすが「ギルド」の国というか縄張りがはっきりしているのか、お生のツリーは日本では何でも売っているスーパーやデパートでは売っていません。ちなみに紛い物のツリー(日本で売っているクリスマスツリーは全てこれですが)も血眼になって探しましたが、デパートで聞いた時も「Keine=カイネ(ドイツ語で、ない、ということ)」と言われ、スーパーでも飾りであるオーナメントは山ほど売ってるのに、人工のツリーは売ってないのです。
そこで郊外の園芸センターのようなところに行くわけです。園芸センターでなくてもこの時期だけ急遽「ツリー売ります」みたいな看板を出している農園のようなところもあります。そこの駐車場に車を停め、暫し物色。そこの巨大な温室のような売り場には、大きさも種類も様々な「クリスマスツリー用のお生の木」がゴマンと売っているのです。全てつい数日前まではドイツの大地にしっかりと根ざしていた木々でありましょう。それを根こそぎ引っこ抜いてきて、クリスマスツリーとして売買し、そしてシーズンが終わったら・・・(これはまた後で書きます、悲しすぎるので)
さて。クリスマスツリーと一口に言っても、木の種類が色々あるのです。勿論値段も違う。大きさ、種類、そして値段も色々ありすぎて、私が思考停止していると、出ました、話好きのドイツのおばさん(但し客)が近寄ってきて、東洋人の私に説明するわけです。ちなみにこういう状況はドイツでは珍しくありません、最初はびっくりしましたが。困っている東洋人を見て黙ってはいられないドイツのおばさんの如何に多いことか!!!
さて、そのよくありがちな話し好きのドイツのおばさん(但し客)は、あっちこっちのツリーの葉っぱをちぎっては私に強制的に匂いを嗅がせたり(一応商品なんですけど)、こっちの方角からも見ろ、と反対側から見せたり、何だか理由はわかりませんが木を揺すってみたり、
「あの〜、そんなに早口で喋られても、私は、ベッサー(better)とかシェーン(beautiful)とかほんの少ししかわかってないんですよ〜」
という渾身のテレパシーが通じたのか、そのドイツのおばさんが退散した後、エコノミックアニマル(古っ!というか今となっては懐かしい言葉)の東洋人の私は、停止していた思考が突然運転再開し、先ず値段優先!値段で選んでからその中でマシなものを買うという、先ほどのおばさんの好意を土足で踏みにじるような選び方をさせていただきました。39オイロ(ドイツではヨーロッパ共通通貨のEURO=ユーロをドイツ語読みで「オイロ」と流石ヨーロッパの田舎らしく発音します)、
高さは180センチ、東洋人は異教の祭り(クリスマスのことね)にこれ以上はお金は出せない、これ以上の大きなものを買う度胸はありません。かくして買いたい木は決まりました。
そして今度は店員の女の子を呼びます。『屈強な若者』という言葉がありますが、『屈強な若い女の子』という感じのおねえさん(オリンピックでいうと、砲丸投げかボートの選手タイプでしょうか)がやってきて、私が指差した木を支えの台からいとも簡単に引っこ抜き、ずるずると引きずります。そしてここからが圧巻!私はこの歳にして初めて知りました、『生木のクリスマスツリーの包装の仕方』!直径80センチ、長さも80センチくらいの土管が地上50センチくらいのところに固定してあるわけです。イメージとしては大きな和太鼓の中をくり抜いたものが固定してある、という感じでしょうか。そしておねえさん、そこに引きずってきた180cmのツリーを根元の部分から軽々と突っ込むのです。そして土管の反対側に回って突っ込んだ根元を引っ張る(かなりの怪力、もとい、力が要求されます)。っていうか、おねえさん、つまりドイツの若い女の子、清々しいほど腕がハムみたいに肉付きがよいのです。そして突っ込まれた木は、広がっていた枝が土管の中で傘をつぼめるみたいにぎゅーっと圧縮されるわけ、そこをネットでぐるぐる巻きにして、はい、一丁上がり!てなもんです。
そしておねえさんは私に「あなたの車はどこですか(ドイツ語基礎の基礎編)?」と聞くので「私の車はあそこです(同じく基礎の基礎編)。」と答えると屈強なおねえさん、ネットでぐるぐる巻きに包装された180cmのお生のクリスマスツリーをそこまでこれまた軽々とずるずる引きずっていき、一応後部座席と助手席は予め倒してあったものの、大型車とはいえない我が愛車VolkswagenのBORAに、よいしょっ、とばかり積んでくれました。ツリーはトランクから後部座席を斜めに突き抜け助手席のフロントガラスの手前にちょうど剥き出しの根元の部分がくる、という態勢で車に収まりました、私一人じゃ絶対に乗せられねー、失礼乗せられないことですわ。

さて、帰宅してガレージから運んで、更に家のドアから運び入れて、リビングで立てるまでの苦労というか労働量は筆舌に尽くしがたかったのですが(家族をびっくりさせるために全て私一人で敢行)、さて部屋の中に立てると、何と言うか流石の貫禄なのです。広告のコピーで「本物だけが持つ存在感」とかいう言葉がありますが、まさにそれ!です。香っているのかいないのか、わからない程ではあるけれども、確かに香ってくる木の香り。部屋の床に落ちる木の影。日本のトランクルームにも、大きさこそ同じ180センチの東急ハンズで買った「紛い物の」クリスマスツリーがあるのですが、それとは、全く別ものでした、さすが「エコ」を犠牲にて木を伐採しまくってまで「本物の木」のツリーにこだわるだけのことはあると言えるでしょう。そしてそのクリスマスツリーにデパートやスーパーで売っているオーナメント(これがまた「ドイツサイズ」というか、巨大なものばかり)をしこたまたくさん飾ったのでありました。合掌(私はあくまでもBuddhistなので!)。


そしてキリスト教徒たちのクリスマスの日々は過ぎていき・・・。
くどいですが、私はBuddhist(一応浄土真宗、らしい?)ですからね、祝ったりはしないんですけどね(海外にいって、妙にナショナリストになったタイプ)!

さてクリスマスの休日と新年の休日が終わって、その後の我が家のクリスマスツりーの運命について。
私が住んでいた地域だけなのかもしれないので一般化はしませんが、使用済みクリスマスツリーは「クリスマスツリーを捨てる日」に捨てることになっています。毎年年末に次の年の「ごみ収集カレンダー」がゴミを集める衛生局みたいなところから各家庭に配られるのですが、それにちゃんと使用済みクリスマスツリーを回収する日が地区ごとに書いてあるのです。注意書きには、
「2メートル以上のものは切って出してくれ」
Aus betriebkuchen Gründen können nur Tannenbäume bis zu einer Länge von 2m mitgenommen werden. Grössere Bäume bitte kürzen!
とか
「飾りは必ず外して出してくれ」
Die eingesammelten Bäume müssen frei von Lametta und sonstigem Weihnachtsschmuck sein.
とか書いてあります。
大体、「2メートルのクリスマスツリー」って日本の家屋及びマンションじゃありえませんよね。それにどうやって2メートルの大木をお店から車に乗せて持ってかえってくるのか???まあ、ドイツ人ならやるでしょうけど。
「飾りを外す」ことについてですけど、そもそも私が思うに、勿論取り外して大事に保存して来年も使うオーナメントもあるでしょうけど、1年毎に使い捨てのオーナメントも結構あると思われます。だからそれを木につけたまま「ゴミに出す」輩がいるからの注意書きだと思われます。
そして地区毎の「クリスマスツリーを捨てる日」が決まっているようです。でも。でも。回収日のかなり前から、ドイツ人、街路樹の根元や通りの角に実に無造作に打ち捨てています、あんなに愛した(?)クリスマスツリーを。昼は勿論夜でもカーテンをしない家が多いドイツでは、クリスマスシーズンには部屋の中に美しく飾られたツリーが通りや道からも見えるし、マンションの玄関などには必ず立派な生木のツリーが飾られていたのに、それらの木を古女房を捨てるように、否、くたびれた亭主を追い出すように、シーズンが過ぎるとさっさとお払い箱にしているのです。この辺が情緒豊かな東洋の国から来た日本人である私がドイツ人に対して違和感を抱くというか、彼らを理解できないところです。

「合理的」を超えちゃっているこのあっけらかんとした冷たさ、
欲しいものは毎年何十万本も木を切って手に入れそして用が済んだら捨ててしまう行動?力(回収して気休めに結局コンポストにするらしいですが)

のがどうしても私には理解できないのです。
で、じゃ、ところでそんな冷たいキリスト教徒の国においてBuddhistである我が家のツリーの行く末はどうなったのか?まさかドイツ人並みに、ポイ捨てしたのか、東洋人?という疑問が湧いて当然ですね。
私が前述のように苦労を重ねて買ったクリスマスツリー。お金をケチって買った割には葉もそれほど落ちず(その代わり暖房でカラッカラに乾いて最後は葉の先が茶色くなっていました)、さてクリスマスも終わりました。
ここでまた話が大きく迂回しますが、我が家がドイツで住んでいた古い家には暖炉がありました。しかし亜熱帯日本のしかも温暖な関西地方が出身の我々夫婦が、暖炉の使い方などを知っているはずもなく、しかもドイツは8月の終わりから暖房(灯油で燃やすセントラルヒーティング←これ自体、エコじゃない!)を入れるのですが、暖炉燃やさなくても充分暖房だけで家の中はぽかぽかなのですから、暖炉の必要性は感じなかったのです。ところがこの年の末、「せっかくだから使ってみようではないか」ということで暖炉を使い始めたわけですね。会社のドイツ人の秘書の人に聞いて薪も買いました。その結果12月の中頃から暖炉の前で一家団欒・・・じゃなくて夫婦喧嘩!なのでありました。というのは、夫と私では薪の組み方、燃やし方において、ユダヤ人とパレスナ人の関係よりも双方到底歩み寄れない点があり、お互い相手のやり方を非難・中傷、ののしりあった結果、住み分けというか、それぞれの流儀で交替に暖炉を燃やすことに妥協点を見いだしていたのですが(イスラエル問題もこうあってほしい)。しかしそれでも小競り合いは絶えず(これも中東問題にはありがち)、最後には「日本に帰国して老後には、暖炉が二つある家を作りそれぞれがそれぞれのやり方でそれぞれの暖炉を燃やす」というとんでもない合意には達していたのです(←守れるはずのない合意、という点でやはり中東問題との類似性が見てとれます)。しかし、年末年始の休みの間、二人が競争で燃やすものですから(おいおい何歳なんだ、と突っ込んでください)、蓄えていた薪が年明けにきれちゃったんですね。小笠原流暖炉師範の私は、薪以外のもの、就中クリスマスツリーを燃やすことなど邪道中の邪道、という立場だったのですが、成り上がり流派の夫は薪がなくて暖炉が燃やせないのが我慢できずに、何と神をも恐れぬ所業なのですが、クリスマスツリーの枝を切って燃やし始めた!のです、このバチあたりが。ところが意外にパチパチと音をたてて燃える元ツリーの枝、得意そうな夫。で調子にのって結局全部燃やしちゃったわけです(勿論3日くらいかけて)。でも生の木は、いくら乾燥しているっていっても結構煙いのです、家中まさに『焚き火』の匂いで、自分が薫製になった感じでした、やはり成り上がり流派ですわ、優雅さが微塵もありません。ということでとにかく我が家は、クリスマスツリーを舗道にポイ捨て、ということははしませんでした、おしまい。これって、エコ?ですか?


追記:
その翌年からプライベートレッスンを受けていたドイツ語のドイツ人の先生に聞いた、更に衝撃の事実!

ドイツの市内の建物は高さが大体揃っているのですが、マンションというかアパートだと4階か5階建てでしょうか。とにかくその建物において、1階に住んでいない人は「クリスマスツリーを捨てる日」に窓からツリーを道に目掛けて落としてもいいんですって!!!
それを聞いて驚く私に、先生がマジな顔で、
「但し、人にぶつからないようにね。」
と付け加えてくれました、そーゆー問題じゃなかったんですけどね、私の驚きは。
クリスマス・ツリーはドイツ人にとって神聖で特別なものだから、これからも本物の木のツリーで私達は祝うと思う、プラスチックのツリー(日本で売られているヤツ)を使う人は殆どいないだろう。」
と一方ではその先生言っているのに、終わったらポイ、なのですね、ドイツ人。