*「ドイツ、2022年までに脱原発」というニュースを聞いて、雑感

ドイツに駐在していたごく初期に、部屋のペンキの塗り替えに職人さんが来たことがありました。本来ならば入居する前に塗り替えをしてもらうはずだったのですが、塗料が欠品とか何ちゃらで、娘の部屋になる予定の小さな部屋のみ入居後に塗って貰うことになりました。その狭い部屋には、前任者(前々任者?)が置いていった、IKEA製のかなり大きな本棚が壁一面にありました。当然、部屋のドアからは高さも幅も出し入れできないサイズです。また、天井が低い屋根裏部屋で斜め天井なので、部屋の中で本棚をずらして後ろの壁を塗ることもできません。これをどうやって作ったのかもなかなか興味あることですが、多分IKEAで買ってきた部材を部屋の中で組み立てたのだと思われます。しかし、部屋の中で組み立てたが故に、二度と部屋からは出せなくなってしまっていました。それが見て取れたので、心優しい東洋人の私は、「本棚の後ろの壁は塗る必要はない」と職人さんたちに伝えました。当時、ドイツ語はまだできなかったのですが、二人いる職人さんのうち若いけれどもどうやらボスの方は片言の英語を喋りたがるおにーさんだったので、そう英語で伝えたところ、「No problem! 」(ドイツ語でも同様に「Kein Problem」というのですけど)と取り合ってくれません。日本の中学校で習うレベルの英語とジェスチャーで意思疎通したところによると、その本棚を分解して2階の廊下に並べて、壁にペンキを塗って、その後また分解したものを部屋の中で組み立てる、と言うのです!技術立国日本から来た私にとっては、「そんなこと、絶対に無理!」と思ったのですが、問答無用状態でそれどころか、「あなたは買い物に外出しても構わない。私たちは4時に帰るから。」と言うのです。ドイツ人のおっさん、失礼、外人の職人さん二人を自宅に残して外出するのも如何なものかとも思ったのですが(実はドイツでは私の方が「外人」だったのですが)、用事もあったし、日長一日ドイツ人の職人さんと同じ家の中にいるのも気が滅入るので、外国に来て変に肝が据わった私は、職人のおにーさんの仰せの通り外出しました。そして4時前に帰宅してみると・・・。ボスの方の英語を喋る職人が、得意そうに私を案内して見せることには、きれいにペンキが塗られた壁と、壁から20センチほど離れたところで最後の棚板を本棚に据え付けているもう一人のおっさんの姿でした。IKEA の家具を作ったことがある方ならばおわかりになると思いますが、あの安物の廉価の家具のネジ穴は、一度ネジを打ち込んだら穴がつぶれてしまうような代物で、一度抜いてまたネジを嵌めることは殆ど無理ゲーできないことなのです。そのIKEAの本棚を分解して廊下に出し、そして再び部屋の中で組み立ててしまったのです、彼らは!そして「今晩は窓を開けて寝てくれ」「明日の夕方壁が乾いた頃、本棚を元に戻しにまた来る」と言って、マリオ&ルイージの二人組みたいな







(ドイツ人の労働者はまさにこういう感じ)
そのドイツの職人のおじさんたちは去っていったのでありました。
「ドイツ人はそれが何であっても必ずやり遂げる」
ということを、私が初めて実感したことでありました。



これに類することはその後も何度かありました。
強風で隣家の巨大なヒマラヤ杉が我が家の方に倒れてきてこちらの庭全体を塞ぎ、市の負担で我が家の側からそれを運び出さなくてはならなくなったことがありました。しかも表の道路から我が家の裏庭に通じるドアは、ドイツ人の男性は勿論、平均的身長の日本人男性でも首をかがめてくぐらなければならない小さなドアで、そこから倒木を運び出すなど想像もつかない狭さだったのです。この時も私はとても残念なことに用事があって出かけてしまって彼らの作業現場を見ることができなかったのですが、帰宅してみると、ヒマラヤ杉の枝一本、我が家の庭にも、表の道路に通じる通路にも残さず、彼らは跡形もなく巨大な倒木を運び出していたのです!留守にしていた時間は4時間くらい。なのに隣家との間でへちゃげていた金網までも全て元通りになっていたのです!
「ドイツ人はそれが何であっても必ずやり遂げる」
のですよ。





大学でフランス語を専攻した私は、ですからドイツに対して思い込み(「ドイツ大好き!」「今度はイタ公抜きでやろう」という片思いの親近感などなど)が全くなく、正確に言えばそれまでドイツにさしたる関心もなくドイツに住み始めました(憧れのパリの都の方角を拝みつつ)。それで逆に、先入観ゼロでドイツ人を観察することができたとも思うのですが、私の目に映ったドイツ人とは、
「デカイ(物理的に)」
「単純」
「とにかく食べる、一説には『食べ溜め』ができるらしい」
「半端ないアルコール摂取量」
「普段仏頂面でド真面目なのに、破目を外すときはとことん恐ろしいくらい破目を外す」
「一般人は実は英語が喋れない」
「ヨーロッパの田舎者」
等々、印象はさまざまですけど、いやいやドイツ人というのはとにかく、言葉通りに凄い国民です。
味方にするにはこの上なく頼もしいけれども、敵にしたくない国であり、隣国であってほしくない国かもしれません。
人間何か困難なことをやり遂げるには、
① 不屈の意志、
② 実行する能力、
③ 資金・資材などの経済力、
が必要ではないかと思うのですが、ドイツ人はそれを全て持っている稀に見る国民です。
第二次世界大戦で敗戦国になって分断されたものの、40年以上かけて機会を伺い、東西ドイツを統一させたのはドイツ人だからだったのだと今更ながら思います(日本のお隣の半島の分断国家は、統一までにあと何年かかるのだろうかと思えば、ドイツ人のすごさがわかるような気がします)。
それ以前にドイツは第一次世界大戦でも敗戦国で、その後のハイパーインフレを経験し、そしてヴェルサイユ条約で決められた賠償金を実に92年(!)かけて昨年完済した国であり国民なのです*1
ドイツ人と日本人は似ていると言われますが(誰が言ってるのか)、日本人は①の不屈の意志がドイツ人並みにはない代わりに、これまたドイツ人の特質である「真面目さ・勤勉さ」は同じく持っているような気もします。経済力では同じようなものだと思いますが、やはり「不屈の意志」、そして「実行する能力」という点ではドイツ人のパワーには及ばないかも、特に近年増大する軟弱な日本人は(含む、私)このドイツ人の「それが何であっても必ずやり遂げる」という、一種マシーン的な遂行能力は持ち合わせていないかも・・・、とつい最前まで思っていたのですが、そうでもないかもしれません、震災後の日本人を見ていると。


しかし一方有り体に言ってしまうと、その「何であっても必ずやり遂げる」というドイツ人の驚くべき国民性に触れて尊敬の念を抱くと同時に、ドイツ人はこの三つの要素を全て兼ね備えていたから、ユダヤ人迫害をあそこまで徹底してやることが出来たのではないか、とも思ったことでしたが・・・。


それで、昨日のドイツのメルケル首相の
「2022年までにドイツ国内の全ての原発を停止させる」
という決定です。
念のためにおさらいをしておくと、そもそもは2002年にシュレーダー首相(当時)が連立与党(SPD緑の党)の首相として、「2022年までに原発廃止」と決定していたところ、昨年の10月にメルケル現首相(CDUとFDPの連立政権)が、「2040年まで原発廃止を延期する」という、「原発廃止」からは後退した政策を打ち出していたところ、昨日そのメルケル首相自身が半年前の自分の決定を覆して上記の決定をして元に戻した、ということなのです。
シュレーダー氏のSPD(Sozialdemokratische Partei Deutschlands)というのは「ドイツ社会民主党」で、もの凄くざっくり言えば、イギリスだと「労働党」、アメリカだと「民主党」です。
メルケル氏のCDU(Christlich-Demokratische Union Deutschlands)は、「ドイツキリスト教民主同盟」は、イギリスだと「保守党」、アメリカだと「共和党」(←これは少し違うかも)にあたります。
つまり、本来ならばイデオロギーや政策が異なるはずの二大政党が同じ結論に至った、ということなのです。
5月6日のエントリーでも書きましたが、多少の立ち位置の違いはあれど、ドイツにおいて原発問題はイデオロギーの問題ではないようです。言い換えれば、
原発廃止」とはイデオロギーを超えてドイツ国民が合意できるもの、
なのでしょう。

マスコミが指摘しているように、「原発を廃止」するためにはドイツ国民の前に山ほど難題が待ち構えています。大幅な省エネの必要性、好調なドイツ経済への影響、自然エネルギー転換の不透明性、隣国から「原発で発電した電力」を買うことの矛盾、等々。IKEAの本棚を解体して運び出してまた組み立てるのとは比べ物にならないほどのハードルです。

でも。

でも、私は確信してしまいます、

「ドイツ人はそれが何であっても必ずやり遂げる」

であろうと。2022年には、必ずや原発のない国ドイツ、放射能汚染とは無縁の国ドイツ」が実現していることでしょう、もっとも隣国のフランスや東欧の原発が過酷事故を起こしていなければ、のお話ですけれど。



翻って、日本ではどうでしょう?
今日も午前と午後、サミットから帰朝したばかりの菅総理大臣も出席して粛々と衆議院予算委員会が開かれておりましたが、どうやら福島第一原子力発電所のこれだけの大事故を起こした国であるのにも拘らず、原発問題」というのは依然として日本ではイデオロギーの問題であるようです。私は、自民党支持、というよりも、演歌と浪花節臭さのしない保守、の立場で、政権交代民主党が政権をとっていることを常日頃苦々しく思っている一市民なのですが、予算委員会で毎度毎度質問に立つ自民党の国会議員の言説を聞いていると、自民党も救いようが無い、というか、万が一自民党が今後政権の座についたら、浜岡原発も稼働OKにしてしまうことは明らかのようです。
大体、中部電力浜岡原発の即時停止を「要請」したことを、「独断」だとか「法的根拠がない」と批判している一方で、福島原発周辺地域の住民への措置について「総理がリーダーシップをとって政治指導で」というのですから、この矛盾はサルでも(私でも)わかります。それに、菅総理大臣が震災の翌日福島原発に視察に行ったのは確かにリーダーとしては適切ではなかったと思いますし、注水問題もお粗末だと思います。が。それからもう三ヶ月も経とうとしている今、わざわざ大型クリップを作ってきてくどくどと得意そうに言い募るほど重要なことかどうか。では自民党の誰が総理大臣だったならば、菅総理大臣よりもまともな対処をしていたというのでしょうか。

最近趣味の悪い青緑色(ネット上で「初音ミク色」と呼ばれているのはこのネクタイのこと?)や蛍光黄緑色のネクタイを愛用していらっしゃる自民党の谷垣総裁ですか?私は谷垣総裁を見る度、どうしても「加藤の乱」の時に泣きながら「大将なんだからひとりで突撃しちゃ駄目ですよ!」と極めて優柔不断な台詞を叫んでいた姿*2を思い出さずにはいられないのです。この台詞は即ち、谷垣氏自身は「大将」(の器)ではないと如実に示すものですし、本当に加藤紘一氏のことを思うのならば、党除名になろうと不信任案に賛成票を投じようとしている「大将」を止めてはいけなかったのですよ、「参謀」(の器でしかない)は。ですから、もし震災時に谷垣総裁が総理大臣であったとしても、素晴らしいリーダーシップをとれたとは到底想像できないのです。




ではこの人が総理大臣になったら「政治指導」と「独裁」の区別がつかないのではないかと危ぶまれる、菅総理大臣よりも遥かにポピュリストである小沢一郎氏でしょうか。すごんでみせること、徒党を組むこと、政策に一貫性がなく国民受けすることを優先すること(しかも取り巻きも老若男女問わずそっくり「ミニ・小沢」ばかりなのですが)、が今の菅総理大臣よりよいとは思えません。






菅総理大臣には、嘗ての「市民活動家」だった頃の何かがまだほんの少し残存していて、これから政府が原発問題に取り組んでいくにあたって、他のことはさておき(平時における経済政策などなど)、こと「原発問題」に限っては、
長年「原発推進」の立場をとってきた自民党の政治家よりは、総理大臣の座にいて悪くはないのではないでしょうか?例えば、民主党自民党のごく僅かの例外的政治家を除いて、菅総理大臣の他に誰が総理大臣だったら、浜岡原発を止めていたでしょうか?顔が浮かびません。
地震被災地の経済復興は、リーダーなんて不在でも日本人は細やかに素早く驚くべき力で必ずややり遂げてみせるのではないかと思います、或る意味ドイツ人のように。
だから、非常時に政局に走る政治家たちよりは、3.11以来修羅場をくぐり抜け、激務をこなし、サミットもこなし、帰国すればすぐに野党は勿論あろうことか与党からも地震当日のことを今更ねちょねちょ聞かれても何とか耐えている菅総理大臣で(世襲の2世3世政治家だとここまでタフでいられるか?)このまま行って頂いてよろしいのでは、と思うようになってきたのですけど、私。


それにしても、脱原発」に舵をとったドイツにあって日本にないものは何なのか?と、「がぎぐげご ざじずぜぞ」の濁音が多いドイツ語を喋っているメルケルさんをニュースで懐かしく見ながら考えてしまう今日この頃。