帰国生の英語力と日本語力の表れ方 ③

シリーズ第三弾 (参照 帰国生の英語力と日本語力の表れ方 ①帰国生の英語力と日本語力の表れ方 ② )

息子:
彼も彼の妹と同じく、小学生の時公文絡みで英検3級取得していた。しかし、中学に入学した時には、丸っきり忘れていた\(^O^)/。公文ってこんなものである。
彼の入学した中高一貫校の英語は、主に文法的なことを学ぶ時間と、英文を読む時間に分かれていた。息子は、「文法大好き♡」のこの母には全く似ず、文法大嫌い!で、既に中二の頃から、文法の定期テストでは赤点をとっていた。赤点をつけられた生徒は、ノートに問題の正解と、「文法的に何故違っているか」を書いて先生に提出、だったのだが、それは彼が最も忌み嫌う作業だった(じゃあ、赤点とるな!と言いたい)。逆に、若い英語の先生が受け持つ英文を読んだり、自分なりに英語で作文する授業は好きだったようだ。しかし、はっきり言って、英語の成績は良くなかった。
そんな状態で渡独して、インターナショナルスクールの9年生、勿論ESLに入ったわけである。
日本での英語の成績が悪かったとはいえ、曲がりなりにも少しは英語をわかっている状態だったため、私は殆ど娘(英語力ゼロ)にかかりっきりで、最初から彼は一人で何とかしていたようだ。
最初の半年、彼は帰宅すると寝てばかりだった。帰宅して夕飯まで寝て、宿題やった(自己申告)と思うと、「今日は疲れたから寝る」と言って毎日妹よりも早く寝ていた。「一日中学校で英語を聞いて脳が疲れる」と言っていた。
息子は当時15歳。幼児のように自然に英語が入ってくる年齢ではないし、内容的にも3歳年下の妹である娘よりも、遥かに高度な内容の英語を、英語嫌いの息子が英語をシャワーのように浴びる環境に入ったのだから、今考えても無理はない。ESLの先生は、後一年で定年、というアメリカ人の男の先生で、この先生とどうも相性が良かったらしく、宿題は律儀なほど真面目にやっていた。同じESLでも、娘がいたミドルスクールのESLに比べて、ハイスクールのESLは最初から読ませる英文の量が半端ではなかった。また、彼にとってはラッキーなことに、同じESLにロシア人の男の子がいて、彼とコミュニケーションをとるために、滅茶苦茶であろうがなかろうが英語で話すしかなかった、ということがある。息子は元々3歳まで全く言葉を話さず、そんなに口先が器用に回る方ではないのと、「上手に発音しよう」という気が全くないので、ずっと
「ジャバニーズ・イングリッシュ」の発音だったのだが、意外に意外、息子の方が娘よりも結果的に早く(1年2ヶ月)でESLを出て普通のクラスに合流した。私の見たところ、娘の場合とは違って、英語の発音よりも、普通クラスに移ってその内容(英語)が理解できているかどうか、により重点がおかれていたようだ。この年代になると、そんなに簡単に「ネイティブ並みの発音」にはならないのだろう、またしても「8歳で耳ができる説」である。
それと彼の英語に対するやる気を作ったのは、偶然だったのだが、Mac関係の英語の雑誌かもしれない。ドイツ国内では意外にも英語の雑誌はなかなか手に入らない。空港や大きな駅の売店でやっと売っている、という感じ。渡独してまだ1年経つか経たない頃、偶然私が空港で見つけたMac関係の英語雑誌、「Mac People」だったか、「Mac Word」だったかを息子に買って帰ったことがある。彼はそれを隅から隅まで貪るように読んだ、雑誌が2倍の厚さに膨れるほど。「必要は発明の母!英語はツール!なのである。好きなことだと英文法キライな子でも必死で読むのである。
ちなみに、息子も娘と同様に、インターナショナルスクール入学と同時に、週に3回のドイツ語の授業があった。「ドイツ語までやってらんないよ〜」と言いながら結構気晴らしにやっていたようだが、不思議や不思議。3年間学んだ、という条件は娘と同じなのに、娘はまだドイツ語覚えているのに、息子はすっかり忘れてしまっている、ということだ。これを私はこう解釈している。15歳という、
適応能力においては既に硬直化している年代だったため、「一度に二つの言語」は脳に入らなかったのかも、と。

15歳から18歳にかけて英語環境にいた場合、日本語が退化することは全くない。勿論日本語の読書量は激減。日本にいる時には通学の電車の中で文庫本を読むのが習慣だったが、ドイツでは同じく電車通学でも僅か2駅だったので本を読む間もなかったからだと思うが、もし日本にいてもiPodNintendoDSに読書が取って代わられたかもしれないから何とも言えない。また一日遅れで配達される朝日新聞の衛星版を隅から隅まで読んでいたのは、海外ならではの「日本語に飢えている」状態が生んだ産物で、日本に帰国したら新聞を読む時間は半分以下になったことである。
英語力の方は、前述したように、もう「ネイティブ並みの耳と発音」は到底無理、のようだ。流石にセンター試験のリスニング程度は困らないようだが。一方、高校生にあたる年代で英語環境にいるメリットは、やはりボキャブラリーの量の多さとそのレベルの高さだろう。日本語でも、中学3年生が背伸びして書く作文と高校3年生が書く小論文では、格段に語彙が違うように、高校生で英語圏で英語で勉強することの意義は大きい。インターナショナルスクールでは、教科書や問題集が中心の日本の教育に比べて、ものすごい量の本やプリントを読まされる。いちいち辞書を引いて読んでなどいられないくらいの量を各科目で宿題として与えられる。勿論、それについてレジュメや自分の考えを書かなくてはならない。息子はESLを出た後入った普通クラスのHistoryで予想外にいい成績をとってきた。その時たまたま提出して点数が付いて返却された彼のレポートを目にする機会があって、私は驚愕した。内容はともかく、日本の中高で英語習った私が見てもわかる文法的ミスが山ほど!年に2回ほどある、日本でいう各科目の教師との「面談」で訊いてみた。「文法上のミスを見逃さないで注意してほしい。」と。すると先生(オーストラリア人)の答えは、「文法のミスは気にすることはない。彼が何を書くかが採点対象だ。」だった。娘がいるミドルスクールとはスタンスが違っているのが明らかだった。ミドルスクールは、発音とか書いたものの文法的間違いをかなり厳しく指摘されたが、ハイスクールになると、発音とか文法の正確さよりも、生徒が書いたり話したりする「内容」が大事になってくる、ということだ。
インターナショナルスクールでは11年生になると大学入試を控えてガイジンの子たちも目の色を変えて勉強するようになる。その中で揉まれたことも英語力を高めたと思う。更に息子は日本に帰国してからの帰国枠受験のために、SATを受験した。SATのボキャブラリー

Merriam-Webster's Vocabulary Builder

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は独特で、見た事もないようなペダンティックな単語が目白押しである。それらの単語を暗記していないと高得点がとれないので、必死で覚えるわけである。日本語だと、大学卒と高校卒で語彙が明らかに違う、ということはないと思う。漢字が読める読めない、といってもそれは個人個人の問題であって(某総理大臣を思い出してしまうけど)、学歴とは関係ないと思うのだが、SATのボキャブラリーの中には、「これが本当に英語の単語かいな?」と思えるような単語が山ほどあり、日常会話では使わないそれらの単語を暗記しなければ高得点は望めないのだ。これは目に見えない学歴バリアーになっていて、例えば「The New Yorker」のようなスノッブな雑誌にはその手の単語が散りばめられていて、大学入試で有名大学に合格するくらいの英語力がなければ読めない、という。そういう単語は日本の高校英語には出てこない。まあ、日本人が英語を使う殆どの場合、必要のない単語であるが、アメリカの有名大学に留学するつもりの人や、GMATを受けてMBA 留学を考えている人には是非とも必要である。ちなみに、TOEFLは、英語が母国語ではない人のための英語能力を測るテストなので、SATのような難解な単語を覚える必要はない。以上はアメリカの大学入試に沿ったものだが、他にもIB(インターナショナル・バカロレア)や、イギリスのAレベル、など、高校生で英語圏で学ぶと、大学レベル、即ち文学的な文章や学術的な文章を読むための一応の基礎ボキャブラリーを身につけることができるのだと思う。
しかし、息子本人に限ったことかどうかわからないが、反面日本の高校で文法を学んでいないので、そもそも文法用語を知らず(例えば、『独立分詞構文』とか、『時制の一致の例外:不変の法則など』とか全く知らない)、TOEFLのスコア104(iBT)、SAT1920持っているのに、日本の塾で英語の先生や英語の家庭教師ができない(何で!?)。


まとめると、中三まで日本にいたので、日本語力は何の問題もなし。
しかし、英語の発音は全く駄目。大人になって学ぶのと同じ。ボキャブラリーはかなり高度なところまで獲得できる。英語で歴史や数学や哲学の勉強をするので、「自分の言いたいことを英語で表現する」というのは嫌でも身に付く。
一方、文法知識が身に付く前に英語環境に入っているので(しかも現地では文法やらない)、体系だった英文法の知識が欠落している。
以上、高校生の年代に英語圏に初めて行った息子の場合、をまとめてみた。


帰国生の英語力と日本語力の表れ方 ④ に続く。