「社内言語完全英語化」を始めた楽天の三木谷社長は理想的な「帰国子女」であること

昨日(7月5日月曜日)の朝日新聞内の別紙「GLOBE」。特集記事は、

「脱日本」会社の葛藤(←の訳は、Struggling with Globalization 、だそうだけど)

その中のCase 3として内言語の「完全英語化」で話題の楽天社長の三木谷氏のインタビューが出ていた。社内言語の「完全英語化」を始めた理由をこう語っている。

・日本の技術者は海外の集まりに出て行かない←英語ができないから。
・同じく文献も読まない←英語ができないから。
・ノウハウを日本→中国→米国と持っていく時に、スタッフレベルで共有できることがグローバル企業の強さで、そこでの言語は英語であるから。

一番目と二番目の理由は、???がつきまくりです。日本の技術者は確かに英語を流暢に喋れる人はごく僅かかもしれませんが、大学入試の理系学部の英語配点が詐欺であったかのように、実は理系学部こそ学部の段階から英語を読まされ、大学院に入ると「英語学科に入学した方がマシだった」ばりに英語を読まされると聞いたことがありますが。実は英語の読解力は相当ポテンシャルがあるのではないでしょうか、日本のエンジニア。企業に入ってから数年留学か海外勤務をすると、英語力は全然問題はないのではないでしょうか。社員をどんどん留学させること(楽天の会社持ち、即ち返済不要の社費で)こそが、三木谷氏が目指すところに到達する一番の近道ではないかと思われますが。

三番目の理由は、蓮舫氏みたく言うと、「何故英語じゃなくちゃ、いけないんですか?中国語じゃ駄目なんですか?」という突っ込みを入れたくなる。英語ができる社員もいれば、中国語やロシア語ができる社員もいる、というのが真の「グローバル企業」なのじゃないかとも思うのですが。


まあ、企業経営は私なぞがエラそうに言えたものではありませんが。
実は三木谷氏は、「帰国子女」という観点から見るとものすごく恵まれた環境で育った方なのである。

小学校2年時に父がイェール大学研究員に就任したため家族で渡米、アメリカで2年間過ごした

                 三木谷浩史 Wikipedia

しかも、

母は戦前に小学校時代をニューヨークで過ごした帰国子女
                 三木谷浩史 Wikipedia

先ず最初に渡米した時期がいいです。小学校2年生という時期は年齢でいうと7~8歳。「ネイティブ並みの発音」が出来るようになるためのヒアリング力が確実につく最終年齢である。詳しい年齢は諸説あれど大体6~10歳までが「ネイティブ英語耳」が出来る限界のようである。これが幼稚園の頃だと遊び言葉の英語だけ覚えて日本に帰国してすっかり忘れてしまうし、逆に10歳を過ぎてしまうとどんなに頑張っても無理らしい 。まさに理想的な時期に渡米して英語世界に入っている。そしてお母様は「帰国子女」。これは同じ2年間アメリカに滞在するにしても「子供の英語力のつき方」という点では、ものすごいメリットだったと思われる。英語圏に駐在しても、子供の生活は親、それも特に母親によって行動範囲が大きく違ってくる。昼間は会社に行っていて不在の父親はあまり関係ないのだが、想像してほしい。母親自身が海外生活が初めてで、英語も覚束なければ、子供を現地の子供と遊ばせるアレンジもできなければ、現地の学校の勉強を見てやることもできないし、学校の先生に子供のことを相談することすらできない親と、最初から英語が堪能な母親とでは、子供が吸収する英語の情報量は雲泥の差がつく。どこかに出かけても、英語がわかる親と一緒とそうで無い場合とは、子供が受容するもの全てが違うだろう。三木谷氏のお母様は帰国子女でいらっしゃるからしアメリカでの生活も、他の英語が出来ない/まだ上達していない母親の家庭よりは遥かにスムーズなアメリカでの生活だったと想像される。そして2年間滞在した場所がイェール大学のあるニューヘイブン。ここは、ニューヨークとボストンの中間という絵に描いたように理想的な場所で、周囲は名門イェール大学関係者。本当に望んでも普通は得られない垂涎モノの、英語環境です。

そして三木谷氏は大学卒業後入行した、嘗ての日本興業銀行から、天下のハーバード・ビジネススクールMBA留学した、というのは有名な話です。何でも氏は、ハーバードを愛すあまり、自らの企業グループを、ハーバードのスクールカラーの「クリムゾン(深紅)」からとって「クリムゾン・グループ」と名付け、買収したヴィッセル神戸のチームカラーもクリムゾンに変えさせたそうです。(←全部、Wikipedia で読みました!)
Wikipediaに出ていない話で、私が是非知りたいと思っていることがあります。今現在だと、アメリカのトップビジネススクール(Harvard, Wharton, Stanford, MIT, Kellogg)あたりだと、2年間の学費プラス生活費で1,500万円ほどかかります。20年ほど前までは、日本企業は社内で選抜して社費でMBAをとらせるべく社員を上記のような多額の学費がかかるビジネススクールに送り込んでいました。が、今は余り聞きません。それはその後不況になったから、ということもあるでしょうが、当時折角社費を投じてMBAを取らせた社員が、帰国して復職したら次々と会社を辞める人が出てきたことが原因だとも聞いています。留学する前に「帰国しても◯年間は会社を辞めない」と一筆書かせたり、「MBA取得後に退社する場合は、留学にかかった費用を会社に返還すること」と約束させたりする会社もあったとか。Wikipediaによると(←こればっか!)三木谷氏は、

1995年
1月17日 阪神・淡路大震災で故郷が瓦礫と化し、敬愛していた叔父叔母を失ったことが人生観に大きな影響を与えた。間もなく起業を決意。
11月 日本興業銀行を退職

ということですが、MBA留学させてくれた天下の(←当時)興銀を辞めることに葛藤はなかったのだろうか?、ということが私の知りたいことなのですけれども、三木谷氏の著作を読めば出ているのでしょうか?つまり私が言いたいのは、MBA留学もすごくいい時期で、今よりも遥かにいい環境(まだMBAがここまで有名でない、社費で行ける)で留学したのも、三木谷氏の幸運の一つだということなのですが。
どちらにせよ、小学校の時の2年間のイェール大学環境での英語体験に加えて、トドメがハーバードでの教育ですから!!!二度の海外生活が両方とも、アメリカ東部のエスタブリッシュメントが多いアカデミックな場所、というのは素晴らしい。また日本からのMBA留学者の中には、海外旅行はしたことはあっても海外に住むのは初めて、という人の方が多いと思われますが、ここでもイェール大学のあるニューヘイブンでの海外生活経験は、三木谷氏にとって大きなアドバンテージだったことは間違いありません。

以前にも書いたのですが英語学習という点から理想的な「帰国子女」とは、以下の条件が揃えば、ということになるでしょうか?
・幼少期母国語の日本語を損なわない時期に海外で暮らす
・そして「ネイティブ並みの発音」に欠かせないヒアリング力がつく、6~10歳の時期に海外で暮らす
英語圏でもできればアメリカかイギリス 住む地域もできれば訛りの強くない地域
・論理的思考や抽象的思考は母語の日本語で行い、日本の大学受験を突破できるだけの学力を身につける
・高校〜大学院のどこかで、アカデミックなボキャブラリーやアカデミックな英語の使い方を身につけつつ海外で専門教育を受ける
ということなのですが、この条件の全てを備えているのが、三木谷氏です。

勿論、氏本人の努力はあったのでしょうが、英語に関して三木谷氏は、頗る折り紙付きの恵まれた環境であったことは断言できるでしょう。「帰国子女」界の王道中の王道、理想的な英語学習の道を歩んだ三木谷氏。彼のレベルの英語力を身につけようとしたら、フツーにドメス(domestic)で育った日本人はどれだけ努力をすればいいのか?努力をしたら得られるものならば、また努力のし甲斐もあるでしょうけれど、大人になって、しかも日本に住みながら仕事しながら「会議で英語で熱い議論ができる」「英語で書類をさくさく作ることができる」レベルに英語力を上げるのは、並大抵ではできないでしょう。


このGLOBEのインタビューはとても短いものなので、真意がよくわからないのですが、三木谷氏によると
グローバル化」のための「社内言語の完全英語化」
とのことなのですが、また
グローバル化はマルチドメスティック化」
とも述べている三木谷氏。まあこれは、世界基準を国によってカスタマイズする、という意味だとは思いますが、それが何故「社内言語の完全英語化」になるのかは、私にはわかりません。この特集記事の冒頭に大きな見出しがあって、それは三木谷氏談で、
「やってみたら日本のやり方って意外にいいよね、となる」

なんですが、これはどういう意味なんでしょう?
まあ、社員6,000人が英語で意思疎通するようになるのが2012年度末、ということなので、どういう風になるのかとても関心があります。

三木谷氏自身の英語はこのNHKのページで聞けます。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100630/t10015459281000.html



※英語を特別視することに対する疑問を綴った、
「英語はそんなにスゴい言語か? ①〜⑤」
も読んでくださると有り難いです。