「英語」はそんなにスゴい言語か? ② 第一外国語にアジアの言語の選択肢を!

人は「最初に行った外国」に影響される、
と数日前に書いたのだが*1
「最初に習った外国語」にも影響される、
と思う。
殆どの日本人にとって*2
「最初の外国語=第一外国語」は英語、
である。大抵の場合、中学校から学校で習い始める(あれ、小学校でも英語を教える破目になったんだっけ?)。これも、もうそろそろ改めてもいい頃だとも思うのだが。
中国語や韓国語を「第一外国語」として、学校で学べるようにしたらどうだろうか?
日本人の好きな「ネイティブ」の教師を確保するのも(ドイツ人なんて「ネイティブ」教師なんて全然拘らない)、英語に比べたら簡単だろうし、近隣の国々の言葉を中学校から学ぶ生徒が増えれば、十年も経てばビジネスにおいても外交においても随分な変化が出ること間違いないし。中学校から中国語をネイティブの先生に学んだ子たちが、その先どれだけのメリットを受けるかと思うと本当に何故それが行われていないのか、勿体なくて。例えば、
公立の中学校に最低1人の中国語を教える中国人教師、韓国語を教える韓国人教師をおく
としたら、生徒たちの世界観も変わってくることは間違いないだろう。これこそ民主党の言う
東アジア共同体の構築」*3
に欠かせないのでは?
思えば一億の国民が皆揃って、「第一外国語」として「英語」を学ぶ、なんて誰が決めたのか。大袈裟に言えば、国家としての戦略という意味でも、できるだけ多くの言語を使える国民を育てておくべきだと思うのだけれど。

ドイツに住んでいた時に、韓国人の友人ができた。彼女とは偶然にも共通点が多かった。先ず、夫同士が同じ業種で顔見知り、娘同士はインターで学年が1つ違いで同じクラブ活動に属していて日本の漫画を貸してあげる仲。私と彼女は同じドイツ語学校に通い、同じ料理教室に通っていたところから友だちになった。
しかし。日本と韓国という極東の2国からそれぞれ来た私たちが、何語でコミュニケーションをとっていたと思う?
何と、ドイツ語!!!
私の英語も、サバイバルオンリーでhorribleだけれども、彼女も英語よりはドイツ語の方が話しやすそうだったので。と言ってもお互いにドイツ語もまだまだ勉強中ではあったのだけど。これが例えばヨーロッパだったら、フランスという大国の周辺のベルギー国民とかルクセンブルク国民とかお互いにフランス語でコミュニケーションをとる、とか、イタリア人とスペイン人ならば、お互いに言っていることは何とかわかる、とかあるのだろうけれども。昔、加藤周一氏が書いていたのだけれど、フランスに留学中、夏期講座を南フランスのどこかの大学で受けた時に、ヨーロッパ各国から来た学生を前にして、教授がフランス語で話し始めたらフランス語がわからない生徒からブーイング、教授が英語に変えたらまたブーイング、ドイツ語にスイッチしてもまたまたブーイング、最後に教授がラテン語で話し始めたら、教室は水を打ったように静まって学生たちはさらさらと鉛筆で書き取り始めた・・・。ヨーロッパも今はエリート校でもラテン語ギリシャ語を必修にしているところは少なくなっているみたいだから、こうはいかないだろうけど。あっ、それからヨーロッパでは「三ヶ国語話す」人など珍しくないので。

このラテン語の位置をアジアにおいては中国語が占めていても決して不思議ではないはず。けれども悲しいかな、私と韓国人の友人との間には共通のアジア言語はなかった。当然ハングルがわからない私は、耳で聞き取って片仮名で欠いた彼女の名前を覚えるのはイメージが湧いてこないので、彼女に「名前を漢字で書いてくれる?」と頼んでみた。すると驚いたことに、「家に帰ったら手帳に漢字が書いてある紙があるから今度持ってくる」と言われてしまった。そうなのである、私とほぼ同世代の彼女は、「漢字追放の時代」に教育受けた世代で、殆ど全く漢字の知識がないのである。彼女がその後たどたどしく漢字で書いてくれた名前は「秋子」、日本だと小学校1年生でも書ける漢字である。彼女の親の世代は、漢字が読める世代でその名前を付けたのだろうに、当の本人は読み書きできないとは。他所の国のことながら、韓国のこの「漢字追放」の政策がいかに愚策であるか、と憂えてしまう。もし彼女が漢字の読み書きが出来れば、私たちは漢字だけでどんな筆談をしたのか、想像してみるのだが。韓国は日本以上に、英語ができることがエリートへのパスポート、という風潮のようで、韓国人のママたちは皆インターナショナルスクールに通う我が子の成績に、日本人など比べ物にならないくらい熱心だった。ところで「秋子=ChooJA(彼女が書いてくれたアルファベット表記)」の娘は、我が娘によると「語学の天才」で、英語は勿論、必修のドイツ語もペラペラ、その上「日本の漫画大好き」で、娘が貸した日本語の漫画で日本語も覚えてしまって簡単な会話なら日本語でできると言う!日本と韓国の文化交流という点では、韓国でも日本に興味のある子供たちが、学校で「第一外国語」として日本語を学んでくれたら、もっともっと交流できるのに、と思うが、勿論韓国において「学校で日本語を教える」というのは、歴史的経緯からいって殆ど無理かもしれない。だけれども、先ず日本から先に「中学から習う第一外国語として韓国語も選べる」ということにすれば韓国も変わってくるのではないだろうか、勿論中国の場合も同様である。

隣国の言語を何故「第一外国語」として学ぶことができないのか?

中国語や韓国語が読めて話せる日本人が増えたら、日本語は衰退するだろうか?とんでもない、寧ろ、中国から漢字を取り入れた時以来のダイナミズムで以て豊かになること間違いないのではないだろうか?それは、水村氏の言うような「漱石が創作したくなるような日本語」ではないかもしれないが。
更に、国家戦略としても極めて大事なことではないだろうか?政治的効果は勿論、経済面でも文化交流という面でも、「お互いの言語を学ぶ」ことが最初に行うべき最重要の課題だと思うのだけど。

元に戻って。
私が主張したいのは、例えば「第一外国語が中国語」でそれを中学・高校でネイティブの中国人から学び、大学も中国語で受験。英語は自然に覚えるか(それこそネットの世界で)、大学で極めて実用的な「第二外国語」として学ぶか、というのではいけないのだろうか?
何も英語だけが外国語ではないし、ましてや英語だけが日本と日本人にとって有益な外国語というわけでもないと思うのだが。

*1:http://d.hatena.ne.jp/souheki1009/edit?date=20100310

*2:「暁星」や「白百合」のように小学校からフランス語を教えている学校を除いて

*3:http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/pdf/manifesto_2009.pdf:title=民主党マニフェスト