*「英語」はそんなにスゴい言語か?① ・・・「日本語が亡ぶとき」「日本語は亡びない」雑感  

私は最初に水村美苗氏の「日本語が亡びるとき*1を読んだ時に、強烈な違和感を感じた。「違和感」はかなり控え目な表現で、殆ど
「それは違うだろ!」
と優雅なマダムらしくもなく(?)頻繁に突っ込みを入れつつの読書であった。ところが、他ならぬ小飼弾がブログの書評で
「今世紀最重要の一冊」*2
といたく褒め上げていたので、もう一度読み直してみたのだったが、感想は最初と全く変わらず、それどころか私の個人的感想などとは相反して「日本語が滅びるとき」は洛陽の紙価をかなり高めたようだ。当時(2008年秋?)は圧倒的にこの本を絶賛する書評が多くて、市井の一読書家としては自信喪失してそれなりに凹んだ。
今回どうしたことか、同じ書評家が評しているとは思えないのだが、小飼氏の「日本語は亡びない」*3の書評*4読んで、再度驚いた。小飼氏は以前水村氏(の主張)を絶賛した姿勢を翻して、「日本語は亡びない」を「『日本語が亡びるとき』を完全に論破した」と評し、「過去834点あったちくま新書の中で、最も感動した一点」と持ち上げている。これって、どうなんでしょう?
改めてネットで「日本語の亡びるとき」の批評を拾ってみて、それなりにアンチの書評もあることがわかったのだけれども、それらには書かれていなかった個人的見方をかいてみる。

日本人は、というか、人は「初めて行った外国」に大いに影響されるのではないだろうか。ここで言う「行った」というのは数日間の旅行レベルではなく、数年間の留学やら駐在レベルで。


件の「日本語が亡びるとき」の中にも出ていたが、水村氏は12歳で家族と共にアメリカに渡り、そこで最初に「お馬鹿さんのクラス」に入れられた、とあるが、その経験が「英語は偉大だ」という刷り込みになったのではないか、本人は「英語とアメリカに馴染めなかった」と言っているが。
この「お馬鹿さんのクラス」というのは、外国人を受け入れる欧米の学校では普通のもので、ESL(English as Second Language)と呼ばれているクラスで、英語が母国語でない生徒が「普通のクラスについていけるレベルになるまでケアしてくれる」クラスであり、いきなり英語のクラスに入っても学習が困難であろうということで作られているのであって、決して「お馬鹿さん」のクラスではないのである。
「12歳」という年齢も微妙だと思う。我が家は、娘はまさに「12歳」でインターナショナルスクールの「お馬鹿さんのクラス」なのかどうかは別にして「ESL」のクラスに入った。数学、理科、音楽、体育などは籍のある普通クラスで授業を受けるのだが、インターナショナルスクールの教育言語である英語と社会はそのESLで受けるのである。日本で12歳と言ったら、小学校6年生、そろそろ中学生で背伸びしたい年頃。その時期に、「英語がわからない」「英語ができない」から、という理由で、「お馬鹿さん」とは言わないが「お子様」クラスに入れられる、というのは親が想像する以上にプライドを傷つけられるらしい。そのクラスでは、本当にありがたいことに、数の数え方や式の読み方から始まって、「Aから始まる単語を10個書く」とか、とにかく普通クラスでやっていけるように速習で色々なことを叩き込んでくれるのである。親としてはこのESLでしっかり英語の基礎を学んで普通クラスに入ってほしいのだが、本人は「いつになったら普通のクラスに行けるの?」とそればっかりだった。12歳という時期に、
英語が出来ないということで、目に見える形の劣等感
を味わった、というのは結構後々残るようで、ず〜っと日本で英語教育を受けた私が聞くと、娘の英語の発音は、ネイティブみたいとはいかないがとても自然に聞こえるのだが、本人は「私はどうせ英語の発音がよくないから」と謙遜でなく、半ばいじけてそう信じているのだ!
15歳でやはりインターナショナルスクールのESLに入った息子の方はちょっと違う。最初はやはりプライドはいたく傷ついたようだが、同時に客観的に周りを見ることもできる年齢である。数学が天才的にできるロシア人も、ドイツ人とフランス人のハーフの子(既にドイツ語とフランス語のバイリンガル)も同じく「お馬鹿さんクラス」ならぬESLにいるので、これは「お馬鹿さんのクラス」ではなく過渡的なもの、とわかっており、だからこそ英語以外の科目で頑張ってプライドを維持、というプラスの面も出てくる。更に、日本で言うと高校生の年齢だから、ESLを出て普通クラスに入ってからも、例えば歴史などのレポートの評価は、英語が正確に書けているということも勿論大事なのだが、一番高く評価されるのは「内容」なのだ、ということがわかってくるのである。英語ネイティブの子よりも、そうでない子の方が歴史や数学、理科では成績優秀者に入ることが多くなるので、自然「英語は単なるツールだ。」という意識が出てくるようで、「英語をより上手く喋ろう」という身構えたところは逆に全くない。なので、3年間インターナショナルスクールで学んだはずの息子の発音は私が聞いても、ジャパニーズイングリッシュ、なのだが、彼のTOEFLは104、英検1級も持っている。
少女時代の水村氏にとって、「お馬鹿さんクラス」に入れられた経験はかなりのトラウマになっていることは想像に難くない。しかも、我が家の娘はその後日本に帰国して女子高生になり日本社会に復帰したので、そのトラウマはかなりマシになったとはいえ(それに住んでいたところはドイツ語圏だったし)、水村氏はその後もずっとアメリカで過ごし教育を受けたわけだから、トラウマどころか、それが氏の成り立ちの大きな部分となっているのだろう、何故ならそれが氏を、明治の日本文学の読書に向かわせ、日本語での創作に駆り立てたのだから。

思えば、水村氏のこの著作を絶賛した、
小飼弾氏も梅田望夫氏も、「最初に住んだ外国」はアメリ
なのである。乱暴に言ってしまうと、そういう人は「英語は偉い」という錯覚に捕われてしまうのではないか?
英語を過大評価しすぎ!
(ここからは、アメリカでの英語と、イギリスでの英語を区別するために前者のみを指す場合は、「アメリカ英語」と呼ぶことにする)
銀行勤めの愚弟は5年間アメリカ駐在だった。姉弟ながら、彼の色んな感覚は、フランス語を大学で学び何の因果かドイツに3年住んだ私とは、言語感覚や世界の見方が全然違う。弟のお嫁さんである義妹は更に小学校高学年から数年アメリカで暮らした「帰国子女」であり、筋金入りのアメリカ贔屓。
総じて、最初にアメリカに留学した人、駐在した人は、アメリカ人と同様、
アメリカ英語さえできればいい、世界中どこに行っても通じるのだから。」
アメリカ最高!アメリカ英語最高!世界の人々も当然そう思っているはず。」
という感覚じゃないだろうか。
アメリカに住んでアメリカ英語ができるようになれば、例えばヨーロッパを旅行することになっても、片言さえフランス語もドイツ語も覚えようとしない、
アメリカ英語で全て通じるから。」
という理由で。
最初の駐在がアメリカで、それからヨーロッパに来た人も同様である。もう現地の言葉を覚えようとはしない、ドイツだろうがフランスだろうが、レストランであろうがホテルであろうが全てアメリカ英語で押し通す。
それでもって日本に変えれば「英語が喋れる」だけでステイタス!なのだから、ますます
アメリカ英語万能感」に陥ってしまう
のも不思議はない。


だけど、はっきり言ってヨーロッパでは
アメリカ人」「アメリカ英語」っていうのはコケの対象
である。私が習った語学の先生たちは、アメリカ人イコール「押しが強くて傍若無人、マナー知らず、教養がない」というステレオタイプで捉えていてそれをジョークの種にし、アメリカ人を真似た英語の発音は、発音記号の[æ](アとエの中間のような音)を殊更強調して発音することで表される。片仮名で書くと、「イッツ トゥー ベャ〜ッド(It's too bad.)」って感じ。「美しく尊敬されるべきもの」として「アメリカ英語」が捉えられていることは、先ずなかった。
アメリカ人、アメリカ英語は「揶揄される対象」
でしかなかったのである。
フランス人でもドイツ人でも英語ができる人がどんどん増え、フランス語もドイツ語も英語と同じアルファベットを使っているのだから、ウェブページも英語にしたらいいようなものだけれど、日本と同様勿論ネットの世界でもフランス語、ドイツ語で、水村氏の言うような「英語に置き換わる/浸食される」ということは全くなく、何よりショップで売っている
パソコンが、「ドイツ語仕様」*5「フランス語仕様」*6
で、逆に英語配列を探す方が大変なほどだ。つまりウェブの世界では、「英語が世界標準」であるとしても、同じアルファベットを使っていながら英語に置き換わっていない、そちらの方がずっと簡単で便利だろうに。そして言うまでもなく彼ら(ドイツ人/フランス人)は、思索したりそれを言葉で表す時に、英語を使ったりは決してしない。ここで英語にとっては皮肉なことに、「インターネット上の世界言語」になったが故に、逆に
「ツール=道具としての言語」、
としての面だけが強調されている感じがした。曰く、英語とは、ビジネス上の言語、ホテルマンが宿泊客と話すための言語、ウェイターが外国人のお客のオーダーをとりお金を請求するための言語、土産物屋が品物を売りつけるための言語であって、それだけの位置付けなのである。


ということで、英語はたまたま成り行きで「インターネット上の世界言語」であり「ビジネス言語」ではあるが、それ以上のものではないのだから、我が日本語が英語に負けて亡びるということはあり得ないし、それでも日本語の現在と将来を憂うる人がいるとしたら、その「憂い」の原因は、「英語」ではなく、現代の人々の「言葉」や「文学」との関わり方が、古き明治や近い昭和とも違ってきていることに尽きるのではないか、と思ったことであった。