「英語」はそんなにスゴい言語か? ③ 第一外国語にアジアの言語+アラビア語の選択肢を!

私が不明にして考えが及んでなかった点があったので、「『英語』はそんなにスゴい言語か? ②」に追加。
中学校からの第一外国語の選択肢として「英語」以外に「中国語」「韓国語」に加えて、アラビア語も加えることを提案。

アラビア語」が抜けていた。

「英語」は(いいとは思わないけれども)世界で最も通用する言語のうちの一つ、という理由で。
「中国語」「韓国語」は「隣りの国」という理由で。
アラビア語」も世界の大変広い地域で話されている言語、ろいう理由で是非、加えてほしい。

ちなみに「母語」として喋る人口は「アラビア語」よりも「ヒンディー語」の方が多いみたいだが(インド、ですから)*1、インドは他にも言語があるのに比べて、「アラビア語」は逆にイスラム圏で共通の公用語として多くの国で話されているらしい*2ので。


調べてみると、大学入試センター試験は、

「英語」「フランス語」「ドイツ語」「中国語」「韓国語」

で受験できるらしい(「中国語」と「韓国語」は不明にして知らなかった私)。でもこれだって、「英語」以外は本当に人数が少ない。例外的な人が受験する、といった感じ。何故なら、公立の中学校、高校に行っていたら到底この言語では受験できないから。
先ずセンター試験を「アラビア語」で受験できるようにすべし。
センター試験で受験科目に入っているのならば、大学も国公立大学は二次試験で、私立大学も独自入試でも「アラビア語」を「外国語」の受験科目で選択できるようにするべき。そして、中高と公立の学校に行っていても、大学受験で外国語として「中国語」「韓国語」「アラビア語」で受験できるだけのカリキュラムを作るのである。

例えば公立中学校で中一から「外国語」として「英語」でなく「アラビア語」を学べる学校を先ず各県に1校ずつくらい作る。作って3年後が第一期生の「高校受験」。それまでには、国公立の高校を中心に「アラビア語」で受験できる枠を作り、高校入学後も、大学入試のセンター試験、そして2次試験レベルまでの「アラビア語」を教えられる態勢を作るのだ。これは「中国語」や「韓国語」についても同様にやるべきことだけれども。中学校、高校で「アラビア語」を教えてもらうために、イスラム圏から先生を全国の中学校高校に招き、直接教えられつつ交流するのも、計り知れないメリットがあるだろう。

英語が喋れない日本語教師に明治以来ずっと英語教育を任せてきた結果、中高だと6年間、大学までだと10年間も一つの外国語に専念するにも拘らず、ちっとも英語が喋れる人材が育っていない日本なのだから、もういい加減「全員が揃いに揃って、第一外国語として英語を勉強する」のをやめてみてはどうかと思うし、「英語」一辺倒だった外国語教育を多様化する、というそれ自体にも計り知れない意味がある。
アメリカ追随はやめてアジア重視」といくら総理大臣が言っても、現に教育において、第一外国語の選択肢に事実上「英語」以外はない、というのでは建前と思われても仕方ないが、
日本の公教育のシステムの中で「中国語」「韓国語」「アラビア語」も同じく第一外国語として選択できる、
という事実があればそれが何より総理大臣の言葉に信憑性を与えるだろう。

教育現場でもいい方向に向かうのではないか?中学生高校生が、学校で英語を習っているにも拘らず(?)、更に塾で「英語」を勉強している、というか、させられている、というか、それが既に異常でもなくフツーになっていて、これだけ塾が乱立しているのだが、例えば「アラビア語」だと教えられる人が当然いないであろうから、生徒は逆に学校でしか学べない、学校の授業を真面目に聞き、学校で配られる教材を使って自分で勉強するしかなくなる。が、
もしかしてこれ(「学校の授業と教材で勉強する」ということ)が本来の姿、なのではないか?
日本の英語学習環境は過剰なほどで学校の英語の授業に加え、本屋に行けば山のような参考書と問題集、英語の通信添削に英語の塾、子供向けから大人向けまで英会話教室が林立しているのにも拘らず、2009年のTOEFLの統計によると*3、アジア35ヶ国の中で
日本人受験者の平均得点は最下位から数えて3番目。
ちなみに最下位はラオスラオスは元フランス植民地だし、最下位から2番目のカンボジアも然り。つまり、
「英語」が第一外国語ではない国と、英語が第一外国語である日本の英語力はどっこいどっこい、
ということである。日本よりも「アメリカ一辺倒の」韓国よりも勿論遥かに低い得点だし、
「アンチ・アメリカ」では世界一の北朝鮮よりも英語力が低い日本
なのである。この程度の得点を上げるために、公文やら塾やら通信添削やら「ネイティヴが教える」英会話教室やらに行かねばならないのか?もしかしてそういうものが一切なくて、学校の授業と自分でやる勉強だけでも、あまりこの点数は変わらないのではないだろうか?この「割の合わない支出」こそ、国庫も国民も見直して仕分けすべきなのだ。
学校で学ぶ外国語を「英語」独占から多様化するだけで、義務教育の始まりから高等教育の終わりまで「塾頼り」の異常状態も、「塾では対応できない科目」の存在に少しは緩和されるかも。高校くらいになって、同じ学校の中に外国語として「英語」を学ぶ生徒がいれば「中国語」を学んでいる生徒もいる、というのは、今までの日本の学校にはなかったような雰囲気と、何より生徒の新しい意識を作るような気がする。


制度ができてから6年後には、例えば「高卒でアラビア語が少々/かなり/よくわかる」人材、10年後には「大卒でアラビア語がぺらぺら」という人材が育ってくるわけで、種を播いて芽が出て大きく育つのを見守るような感じだときっと思う。中国語や韓国語ならば、もっと上達が早いかもしれない。

日本語は亡びないし、英語は単なる一言語でしかないし、様々な言語を外国語として学ぶ日本人が増えれば、日本の未来は明るいはず。