「日本の」クリスマス雑感

実に何年ぶり?かも思い出せないほどのインターバルを経て、昨日

クリスマスイブに街に出る

という愚挙をやってしまった。
実は昨日はムスメの学校の「保護者面談」の日にあたっていて、私にとっては「クリスマスイブ」というより「保護者面談の日」としてしか頭になく、それに出かけた帰り道に、普段は殆どの物をネットで買っている私が久々にリアルのお店に出向いた、という次第。
まあ、成績が一学期に比べて芳しくなかったり生活態度に問題があったりと色々と先生のお叱りを覚悟していったら、拍子抜けするくらい先生がムスメに理解を示してくださったので、つい嬉しくなって、横浜まで繰り出してしまったのであった。
すると、

世の中、酷いことになっていた!

横浜駅東口のマルイに入っている「ZARA」に行こうと思って、マルイに入ったら、

アクセサリー売り場は、カップルだらけ!

ということは、一緒に選んでいる、若しくは女の子が「これ買って!」とおねだりしているのだろうか。
一体いつから

クリスマスには男の子が女の子に貢ぎ物をしなくてはいけない

憲法で決まったのだろうか?
バイアスのかかった私の目からみても、
計算高そうな女の子(大して可愛くもない)が、
「女性にアクセサリーをプレゼントする」柄なんかではない、真面目そうなもさっとした男の子に、
甘えているというか、媚を売っている、というかその様子がキモチ悪いし、
カノジョ(と少なくとも思い込んでいるのであろう)に甘えられて、高揚しているダサイ真面目くんも、哀れを誘うというかなんというか。

「ちょっと待て!そんなに今日大枚をはたいてよいのか、大枚はたく大義名分はあるのか?キミが必死でバイトしたお金で、指輪かネックレスか知らないけれど、カノジョに貢いでも、来年、いや来月だってカノジョが『カノジョ』のままでいてくれる保証はないのよ。」

と一人一人ダサ真面目くんの耳元で囁いてあげたいくらい、いや、館内放送したい、全く。
しかし、全員マインドコントロールされているだろうから無駄、というもの。

そういえば、ここのところ一種間くらいずっと執拗に朝日新聞に「ティファニー」の広告が出てたっけ。
広告料はんぱない、規模と長さだった。ということは取りも直さず、それだけ広告料投入しても、元がとれるほど、このシーズンは稼ぎ時なのだろう。

隣りのそごうにも用事(茶道具売り場、勿論)があって足を踏み入れたら・・・。

食料品売り場の洋菓子コーナーが酷いことになっていた。

人の列が蛇のように続き、「ここが最後尾」というプラカードを持った店員が汗かきながら応対している。

ここは共産国時代のソ連

というほど、どこもケーキを求める善男善女の行列なのである。
戦後60年以上経ち、「最早、戦後ではない」んだし、きょうびケーキなんて珍しくもないのに、何故、

クリスマスにはケーキを食べなくてはならない

という習慣が、極東アジアの国日本にいつからに生まれてしまっているのか?
大体、これだけの数のケーキ、当日に焼けるはずもないのだから、ずっと前に焼いたものを冷凍しているとしか思えないんですけど。
更にエスカレーターを登っていくと、「Louis Vuitton」やら「Gucci」やら「Prada」やらのブティックの大きな紙袋を持って降りてくる若い男の子がやたら目につく。

12月24日は高級ブランド安売りの日(但し、若い男の子限定)?

の筈ないから、きっとこれも貢ぎ物なのだろう。
どうなっているの、全く!
若い女の子がブランドものが好きでブランドもの欲しさに必死でバイトしてお金ためて買う、というのならばまだわかる。
だけど、男の子にブランドものを、それもクリスマスにねだる、って、そういうのは女として見下げた部類の女の子、だというのがわからないのか。

再び食料品売り場に降りて、入っているthe Gardenに買い物に行った。
と言っても、私が買ったものは、

パクチー(香菜)、豆もやし(以上、夕食用。明らかにアジアン料理)。そして丹波の黒豆150g(明らかにお正月用)。

ところが、レジに並ぶ人のカゴには、

オードブルセット、フランスチーズ盛り合わせ、スモークチキン、シャンパン等々、

やたらハイソな(皮肉)ものが入っているのである。皮肉、というのは、私の前でカゴを下げているお兄ちゃんが、腕にぶら下がっているカノジョ(?)ともども、明らかに普段は栄養の行き届いていない貧相な若者であったから。レストランでなく、(きっと←偏見)貧相なアパートで食べる、というだけマシかな。



デパートの中も地下街も駅前商店街もクリスマス風に一ヶ月前から飾り付けられ、クリスマスソングが鳴り響き、いいトシした店員までサンタの装束でケーキや得体のしれないローストチキンを売りまくり、カップルはレストランでフランス料理を食べ、ホテルを予約し、郊外の一戸建てはこれ見よがしに家を電飾で飾り、またそれをわざわざ見に行く酔狂者もあり、パパもママもおじいちゃんもおばあちゃんも子供へのクリスマスプレゼントに大枚をはたく。

これっていったい全体、とっても、じゃない?

この「日本クリスマス狂騒曲」は、敬虔な信者がキリストの生誕を寿いでいるわけではない、だって、

日本におけるキリスト教信徒の割合、総人口の僅か0,8%。

とすると、信者でもない多くの人々(日本人の殆ど?)がクリスマスを「祝って」いるなんで滑稽なことである。
クリスマスから僅か一週間後のお正月には、今度は神社で八百万の神々に祈るというのに。

しかし。
何を隠そう(?)私も数年前までは、惰性でクリスマスをやっていた、DQNの日本人の一人である。
我が家には、一ヶ月前から東急ハンズで買った180センチのツリーが飾られ、家中、クリスマスの飾り付け。ドアにはクリスマスリース、トイレまでクリスマスのプリントのタオルを始め、赤と緑でデコレーション。窓には外からも見えるようにスノーマンの飾り。
料理は凝り性なので、毎年、生の鶏一羽を買ってきてオーブンで焼いていた、勿論詰め物もして。ブッシュ・ド・ノエルも焼きました。お皿もわざわざクリスマスの絵柄がついたものを揃えていた。ムスコとムスメの友だちをそれぞれ家に招いて、「クリスマスパーティー」のようなものもやった。24日の夜は、真夜中に目覚ましをかけて起きて、子供の枕元にプレゼントを置いたものだ、左手で書いた「サンタさんからのカード」と共に。


ひょんなことからドイツで生活することになって、初めてのクリスマス。その時は、まだ観光客気分でクリスマスマルクトを見て回り、日本では殆どお目にかかれないがドイツでは当たり前の「生木のツリー」を買ってみたり、有名なクリスマス用品の店で飾りを買い込んだりした。まあ、「ドイツ語がまだそんなに話せない」レベルだったので、まさに「観光客」である。
ところが2年目の冬。ドイツ語を習っていた先生に、「何故、日本人はキリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うのか?」と問いつめられて(ドイツ人は概して徹底的に理由を知りたがる)、トーゼン答えられません、語学力ではなくて、文字通り「クリスマスを祝う理由がないのに、日本人は祝っている」から。
「理由がない」のに猿真似のようにクリスマスに狂奔することこそ、恥ずかしい、と気づいた記念すべき第一歩。
突き詰めていけば、「理由」らしきものはある、

金儲け、と、何も考えない享楽、と、何につけても日本人は模倣が上手なこと

だろうか。、模倣を恥だと思わないこと、というのもあるかも。

別のドイツ人の先生にも言われた。彼女はドイツ人だけれど、ずっとトルコで暮らしていて、大学はドイツで、という人で、言葉の端々に、ドイツよりも小さい頃から育ったトルコへのシンパシーが感じ取れる人だったけれど、

「トルコでは、クリスマスの日も全く普通の日。クリスマスツリーを飾っている店も殆どない。何故なら、トルコ人キリスト教徒ではなく、ムスリムだから。」

と言われた時には、我が故国ニッポンのことを複雑な感情で思い出してしまったことだ。
平成の御代は、天皇誕生日が12月23日になってしまったので、家族で祝うクリスマスをその日に済ませる不埒な輩も多いそうだ。
「不埒な」というのは、天皇誕生日という祝日をクリスマスに転用なんぞしていると、子供達は何故12月23日が祭日なのか理解しないまま大きくなるであろうから。


クリスマスのご馳走はパパが会社がお休みの23日に食べる。24日はパパは会社で早く帰れないから(欧米では、そもそもクリスマスは祭日で休み)。でも、もしかしたら24日に会社帰りにパパがクリスマスケーキを買ってきてくれるかも。サンタさんは、24日の夜に来るから、25日の朝はプレゼントを開けるけれども、その時はもうパパは会社に行っている、だってフツーの日だから。

というのが、嘗ての我が家の姿でもある。
「本当の」キリスト教徒の皆様に対しても、失礼千万であることは明らかだけど。

キリスト教徒でもない我が家にかつて膨大な量あった「クリスマス・グッズ」は、ドイツ駐在中はトランクルームにあったのだが、帰国して全部処分した。
今我が家に残る「異教(日本人から見て)」のクリスマスグッズといえば、クリスマス、というよりはドイツの思い出のようなほんの数点である。
けれど。

クリスマス無視すると、これが落ち着く!落ち着く!、これこそゆとり!

それに今考えると、

クリスマスってもの凄い出費

だったと思う、意味もないのに。それだったらお正月にかけた方がずっと正当ではないか。
嘗ては、

クリスマスが終わると一週間でお正月!

ということでやたら忙しかった。ていうか、今でも日本では24日の夕方まではスーパーでもじゃんじゃんジングルベルを鳴らしているのに、明けて25日の朝同じスーパーに行くと、琴の音でお正月っぽい「春の海」なんて流して、売り場はお正月用品一色である、店員さん、サンタみたいに夜中に働いて入れ替えしているんだろうか?何より、本当のクリスマスは25日なのだから、24日でクリスマスを終わらせてしまうこと自体、クリスマスへの冒涜ではないか?
とにかく、クリスマス、という余計なものがないと、年末がゆったりと過ごせる。お正月に集中できる。しつこいようだが、キリスト教徒でもないのにクリスマスに手間暇お金もかけるくらいだったら、お正月をちゃんとやるべきである、お節料理買ったりしないで。

昨日、今日と出かける予定もなくパソコンの前で暮らした青年たちも、何ら暗くなる必要はない、だってクリスマスなんて日本人にとっては何の意味もないことなのだから。お正月は心置きなく祝えばいい。