「世界最高水準の安全性」と言う、「世界最低水準の感受性と想像力」しかない安倍首相


いつからだったか、安倍首相が口にする「世界最高水準」という言葉が、私は引っかかって仕方ありません。

世界最高水準のIT社会を実現
(2013年3月28日 政府IT戦略会議)

福島の事故を乗り越えて、世界最高水準の安全性で世界に貢献していく
(2013年9月25日 ニューヨーク証券取引所

原子力委員会によって、世界最高水準の安全基準が策定された
(2014年1月6日 年頭会見質疑応答)


これ以外でも、国会の安倍首相の答弁で頻繁に使われているような(気がする)。


「世界最高水準」って、ビミョーな語感です。
「世界一」ではないんですよね、意味的には。
「水準」には達している、ということ?
「本当に世界一?」と突っ込まれたら困るから、「世界一」とは断言しないけれど、スゴいんだぞ!的な。
「世界一」のグループに入っているけど、その中でナンバーワンであるわけではない、っていう感じ?
その癖、「最高水準」なんていう風に、漢字を4文字も使って、こけ脅しの権威付けをしているところが、既に微笑ましいですね。



さて。
3年前のこの時期は、桜などそっちのけで、毎日食い入るように、原発関係のニュースを見ていました。
マスコミから報道されるニュースには飽き足らず、東電の会見の動画サイトや、東電のホームページを絶えず見ていたのですが、事故から3年経った今、気がついたら、そういう切迫感はいつの間にか失われてしまって、今回以下のニュースを見た時も、正直「またか」という言葉が頭に浮かんでしまうほどです。

東京電力は4日、福島第1原発放射性物質を含む汚染水を貯蔵するタンクを囲むせきから水があふれたと発表した。あふれた水には東電が定めた暫定排出濃度基準値を超える放射性物質が含まれていた。
 東電によると、高濃度汚染水を貯蔵しているタンクを囲むせき内の水位が3日からの大雨により上昇。せき内の水は別のタンクに移送していたが、間に合わずあふれたという。(2014/04/04-10:55)時事ドットコム

今回の原因は、想定を越える「津波」ではありません、単なる「雨」です。

3日夜から雨が降り続いた福島県内では、各地で24時間雨量が100ミリを超え、東京電力によりますと福島第一原発の観測点では、4日朝までの6時間に70ミリを観測したということです。(4月4日 14時24分)NHKニュース

一日の降雨量が100ミリを越えるというのは、かなりの本降りが何時間も続く状態だと思いますが、それでも日本ではそんなに珍しいことではないと思います。
台風や、梅雨末期の集中豪雨はこんなものではありません。
つまり、堰から水が溢れた原因は、雨などでは全くなく、単に、堰に溜まる水量を計算できなかった、ということではないのでしょうか、それも100ミリ/日程度の雨の。


これまでも同様のことはありました。
今回同様に、タンクから汚染水が漏れた時の原因は、私が記憶しているのは、

汚染水タンクのボルトが緩んでいた
作業員による人為的ミスで「弁」が開いたままになっていた

というものだったと思います。

そして、今までの汚染水が堰を越えた事故も、今回の件も共に、

土嚢を積む

ことで対処しているそうです。
土嚢、ですよ。
世界最高水準の土嚢、なんでしょうか。

(世界最高水準の土嚢)


他にも、福島原発では過酷事故の後も、数限りない小さな「事故」が絶える事なく起きています。
ただ、その報道を目にする私たちの方が、3年前に比べて感受性が鈍化したのか、「景気回復」やら「オリンピック」に目を向けて見たくないものは見ないようにしているせいなのか、関心が薄れていることは確かです。
そして、政府は、総理大臣は、国民の目を「原発事故」から逸らせるように、まさに「パン」と「サーカス」を振る舞い続けているのですから、そうなってしまうのも当たり前です。


昨年の9月に、安倍首相は、福島原発を視察しました。
防護服に身を包んだ視察でした。
安倍首相は、その防護服に袖を通した時、線量計に先導されて構内に足を踏み入れた時、ご自分の目で「世界最高水準」の技術を以て作られた原発の無様な惨状を見た時、何も感じなかったのでしょうか。

防護服の胸に名前を書くのは、万が一原発構内で事故が起こった場合に備えてなのでしょうか、ヘルメットに防護マスクで誰なのか区別がつかないからでしょうか、それはわかりませんが、安倍首相の防護服の名札の漢字が間違っていた、ということは、当時話題になりました。
本来は「安倍」であるべきところが「安部」になっていました。
些細なミスです、名前の漢字を間違うことなんて、同じ読みでも当てる漢字が幾つもある日本では、そんなことは日常茶飯事です。
これは東電が用意したものなのでしょうが、何と言っても一国の総理大臣を過酷事故の現場視察に迎えるのですから、それは周到な準備がなされたことと思います。
それでも、総理大臣の名前の漢字を間違えてしまう。
一人の東電社員が単独で準備したものではなく、複数の社員が出来上がった名札を目にしていたであろうに。
これは単に「漢字の間違い」ということではなく、優秀な東電社員が緊張して臨んだ場でもミスはある、ということをわかりやすく示しているんじゃないかと思います。
3.11の事故も、今回の名札の漢字取り違いも、東電社員が怠慢だったり無能だから起こったわけではなく、真面目で有能な東電社員であっても、重大な判断ミスも些細な作業ミスもどちらも、免れ得ない、のではないでしょうか?

そして、東電の福島原発で、原発事故後もこれだけの人為ミス、事故が起こっているのだとすると、全国の他の電力会社の他の原発でも起こっているのではないか?そして、万が一地震津波によって、過酷事故が起こった場合は、事故後も同じように、判断ミス作業ミスが起こるであろうことは、今福島原発を見ていればわかります。


国民の中でも、もう「原発事故」が「過去のもの」になっていて、4号機の使用済み核燃料の取り出しも、中間貯蔵施設をどこに作るかということも他人事で、放射能に関しても、食品や海や土地の汚染にも、関心がなく、「原発再稼働」に賛成する人も大勢います。
放射能の影響を心配している母親たちのことを、「放射脳」とあざ笑う人もいます。
かたや、今も尚、日々子どもに食べさせるものに気を遣い、心ならずも外遊びを制限している母親たち、自主的避難を続けている人もいます。
福島でない原発の近くに住まいがあって、同じような事故が起きることを日々心配している人もいます。
日本人は、程度の差こそあれ、3年前の3月11日に、大地震とそれに伴う津波と更に原発事故を、同じように体験したのです。
それなのに、たった3年で、どうしてこんなに人々の心が分かれてしまったのか。


感受性想像力の問題ではないか、と最近つくづく思います。

例えば、安倍首相の場合。
過酷事故後も次々と起こる福島原発の状況を、「under control」とオリンピック招致の場で言いきってしまう感受性(の欠如)。
同様に、福島原発で日々、次々と起こるそれらの問題を、「未来からの警告」とは考えない感受性(の欠如)。
核物質の最終処分場が影も形もないどころか、全国の原発使用済み核燃料プールが満杯になっているというのに、「トイレなきマンション」であるところの「原発」を再稼働・新設、と言う感受性(の欠如)。


安倍首相のFacebookのカバー写真。
それを見て、いつも思うのです。
山あいののどかな田んぼの畦道で、安倍首相と女性がお辞儀をし合っている写真なのですが、これって、よく安倍首相が口にする

日本は古来より、朝早く起きて田を耕し、水を分かち合い、秋になればご皇室とともに五穀豊穣を祈った瑞穂の国であります。
第81回党大会演説 2014年1月19日

古来、「瑞穂の国」と呼ばれてきたように、私達日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣を祈り、美しい田園と麗しい社会を築いてきた豊かな伝統があります。
[http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/discource/20140211message.html:title=建国記念日」を迎えるに当たってのメッセージ 2014年2月10日}

他のところでも、似たようなフレーズを出していらっしゃるのですが、元は、2012年暮に発売された月刊誌「文藝春秋」に寄稿したもの(後に、「新しい国へ、美しい国へ、完全版」として出版)の中にあったようです。

日本という国は古来、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた、「瑞穂の国」であります。

これらの言葉をイメージ化したような、カバー写真ですよね。
テンプレのように出てくるフレーズですから、今流行りのゴーストライターの筆によるものではなく、ご自身の中から紡がれた言葉だと信じたいのですが、このお決まりのフレーズと、Facebookのカバー写真が、これ以上は望めないほどよくマッチしているのですよね。
この写真は、「瑞穂の国」のテンプレ通りのイメージですが、写真の中では、安倍氏の周囲にお付きの人も秘書もいないという稀有な状態で、安倍氏堅苦しいネクタイ・スーツ姿ではなく「真面目な青年」チックな白ワイシャツにノーネクタイ、対する女性はモンペに長靴で如何にも「農家のおばさん」という感じ、田んぼの真ん中で出会い、安倍氏の方が頭を低く垂れてお辞儀していて、それを丁度いい距離から撮影したカメラマンがいた、ってことですものね。
いや、これ以上のショットはないでしょう。

安倍氏が目指す、新しくも美しい「瑞穂の国」のイメージがこの写真であるならば、少しの想像力を働かせて頂きたいのです。


嘗てはこのカバー写真とよく似た風景が見られた飯館村では、この先何十年もこの風景は望めないであろうこと。
柏崎原発で事故が起これば、米どころ新潟平野の殆どが、この風景を諦めなくてはならないであろうこと。
福井の原発銀座で事故が起これば、福井平野のみならず、琵琶湖周辺の「瑞穂の国」の風景も失われてしまうであろうこと。
勿論、玄海原発伊方原発、島根原発で事故が起これば、風向き次第では、安倍首相の選挙区である山口4区でも、このカバー写真の風景は消えてしまうであろうこと、上関に原発ができなくても。

ということにこそ、「世界最高水準」の想像力を働かせて頂きたいところです。


トルコとUAE原発を輸出できる原子力協定が衆議院の本会議で賛成多数で可決されました。
恥ずべきことだと思います。

ド素人が考えても、トルコって地震国なんでしょう?
UAEってアラブ首長国連邦のことで、極一握りの王族たちが世襲で統治していて一般国民との格差が凄まじく、確かまだ国民全部に選挙権が与えられていなくて、政情不透明な国なのでは?


「いや、日本が輸出しなければ、アメリカやロシア、イギリスやフランスが日本に替わって輸出するであろう。『世界最高水準』の技術力を持つ日本こそが、輸出すべき。」

という理屈なのでしょうか?
では、日本が原発を輸出したトルコで大地震が起こって原発に過酷事故が起こったら?
UAEに輸出した原発が、テロの標的になったとしたら?
という想像力は働かないのでしょうか?
その時に、今回原子力協定に賛成した議員の方々は、「想定外の状況で起こった事故」と、片付けてしまうのでしょうか?
「世界最高水準」の技術力で作った原発でも起こった事故だから仕方がない、原発輸出に賛成した自分たちには責任はない、と言うのでしょうか?
そうだとしたら、彼らの倫理観と責任感は、世界最低水準としか言えません。
まあ、3.11以前原発政策を推進してきた彼らは、あの福島の事故を目の当たりにしても、同じ決断をしているわけですから、感受性や想像力だけではなく、倫理観と責任感を彼らに求める方が間違っているのかもしれませんが。

想像力が機能していないのは、原発輸出に賛成した彼ら国会議員だけではありません。
都会に住んで電気をじゃぶじゃぶ使っている私たちも、その電気はどこから来ているのか、ということを想像する力はなくしてしまってたようです。
そうでもしないと、今の生活を正当化することはできませんからね。
3年前、「首都圏で使う電気は遠く福島から来ていたのだ」ということに初めて気がついたはずだったのに。


一方で、今まで政府が唱える「安全神話」を信じて封印していた想像力を解き放って、真っ当な行動を起こした方々もいます。

青森県で建設中の大間原子力発電所について、津軽海峡を挟んで半径30キロの範囲内にある北海道函館市が「事故になれば大きな被害を受ける」と主張し、国と事業者に原発の建設中止を求める訴えを東京地方裁判所に起こしました。(4月3日17時46分)NHKニュース

また、全国の原発から30キロ圏内にある自治体が、原発事故を想定した防災避難計画を作成するにあたって、今まではまさに「机上の空論」で現実には不可能な避難計画だったものが見直されつつあります。
迅速には避難しにくい地形だとか、一本道しかない避難道路の渋滞だとか、入院患者や高齢者の問題だとか、どれも本物の避難計画を作るには、「実際に事故が起こったらどういう状況になるか」想像力を働かさねばなりません。
実際に問題に対峙している自治体の長や職員の方々には、感受性の感度を落とさず、想像力を最大限働かせて、もしもの時に実際に役立つ計画を作り上げて頂きたいものです、住民の命がかかっているのですから。
都会の住民が心配している「帰宅難民」とはレベルが違う、命がかかっている問題ですから。
そして、仮に「世界最高水準」の安全性を唱う日本の原発で再び事故が起こった時、そして、苦労して作成した避難計画が大いに役立って住民の命を守ったとしても、それで終わりではないことにも、また想像力を働かせて頂きたいのです。
想像力と言うのもおこがましい、今の福島県双葉郡自治体、双葉町大熊町富岡町楢葉町がどうなっているか、という現実にも目を向けて頂きたい。
事故後に「原発事故で誰も死んでいない」と発言して炎上した有名人がいましたが、事実双葉郡の住民は何とか避難できたのです、しかしそれで終わりではなかったのですよね。
避難計画によって無事に避難できればよいというものではない、というところに思いが至った時に、どうすればよいのか。
その先を想像しなければならないのは、都会に住む私たちにも同じく課せられていることだと思います。


避難計画は自治体に丸投げで、再稼働や新設を叫ぶ、政府や安倍首相や国会議員には、世界最低水準の想像力も感受性も期待できないようなので。