安倍首相の福島原発視察のニュースを見て オリンピックとかスペインとかギリシャとか


先週9月19日、安倍首相が福島原発を訪れ、放射能汚染水漏れの現場を視察しました。


ブエノスアイレスでのIOC総会の壇上で、

「(福島原発の)状況はコントロールされている(the situation is under control.)。」

とぶち上げた時も、少なからず驚きましたが、今回、視察を終えて、実際の現場を防御服着て見たはずなのに、

「汚染水は完全にブロックされている。」

と言い張っていたのは見苦しいことだとは思いましたが、それよりも

「停止中の5号機、6号機を廃炉にするよう、東京電力に要請した。」

と重々しく発表したのを見て、又しても驚いてしまいました。

えっ、今の今まで、5号機と6号機はいつの日か再稼働できるって、本気で考えていたわけ?

と思ったからです。

いやいや、5号機と6号機を廃炉にすることは暗黙の了解ではあったけれども、東電に2000億円の損失を強いる2機の廃炉を要請することを今までしなかっただけのこと、

と言われると、少しは納得してしまうのですが。


さて。
フツーの順序、フツーの感覚ならば、ブエノスアイレス以前、もっと言えば、あれだけ壇上で力強く世界中に向けて断言するためには、首相就任後すぐにでも福島を訪れ、今回のような防護服を着て、汚染水の問題のみならず、福島原発の様々な問題の現状を視察し、それを元に関係大臣及び省庁に指示を出す、ということを先にやってからの、「under control」発言になるはずだと思うのです。

「現地を視察」 → 「対策」 → 「安全宣言」
の筈が、実際は、順序が逆で、
「オリンピック招致のためにハッタリで『安全宣言』」→ 「現地を視察」→ 「対策は今から」
ということになりました。
どう強弁しようと、ブエノスアイレスでの力強い発言は福島原発視察前のハッタリであり、これがオリンピックで言う「フェア」なものであったかは大いに疑問です。
安倍首相のオリンピック招致のスピーチをテレビで見た日本の子どもたちも沢山いると思いますが、自身の子どもは持たない安倍首相ですが、一国の首相としては少々「フェア」に欠ける自らの行動について、未来を担う日本の子どもたちにどう説明するのでしょうか。
「何かを勝ち取るために、ハッタリであれ何であれ先に宣言して、後から宣言したことを事実に変えればよい」
ことは、フェアなのか、正義なのか。
サンデル先生にご登場頂くまでもなく、これだけを考えると、「フェアではない」と思う国民も多いのではないかと思います、この勝ち取る「何か」が2020年オリンピック招致、でなければ、という条件付きでは。


とは言いながら、綺麗事ばかりは言えないかもしれません。
先週だったか、国際ニュースでスペインのその後を報道していたのですが、オリンピックで浮き立つ日本とは真逆で、スペインでは大きな失望がマドリッドだけではなく国全体を覆っているようです、3回連続で招致に失敗した、という深い傷ですから。ユーロ危機の痛手からまだ立ち上がっていないところに加えて、失業率は高いまま、特に若年層の労働者に仕事がなく仕事を求めて国外に流出してしまう状態、分離独立の動きを起こしているカタロニアを抱えるガタガタの国内情勢、などなどで、それもこれも「オリンピックが開かれれば景気がよくなる」「オリンピックが来れば国内に仕事ができる」「カタロニアもスペインに留まるだろう」と、3回目のオリンピック挑戦ですから「今度こそ」という思いもひとしおであり、オリンピックだけが希望の星だったところに、マドリッドにとっては、まさかの落選。マドリッド市内に新設した地下鉄には既に「オリンピック競技場」という名前の駅まで完成していたとのことですが、経済的な側面のみならず、精神的な面でも、今回の落選はまだ尾を引いているようです。
それを私はスペインから遠く離れ、オリンピック招致を勝ち取った東京という都市でリビングのテレビで、まるで他人事(←当たり前ですが)のように観たわけですが、日本の方が経済状態は遥かに良いとはいえ、マドリッドイスタンブールが招致に成功していたら、東京も日本も今のスペインと同じような暗いムードに覆われて、しかも今の日本の場合はオリンピック招致に失敗していたら日本人落ち込むだけでは済まなくて、その鬱屈したムードがどこに捌け口を求めたであろうかと考えたら(新大久保あたりを思い浮かべながら)、2020年のオリンピックが東京に決まって本当に良かったのかも、と初めて思ったことではありました。


しかし、
「オリンピック招致を勝ち取るためには、あの安倍首相のハッタリ宣言も、高円宮妃殿下のスピーチも必要不可欠であり、正しいことだった。」
と言ってしまうのは、また別の問題だと思います。
本来日本の首相として在るべき姿とは、ハッタリではなく原発を本当にコントロール下に置いた状態を作ってから、ブエノスアイレスの壇上で宣言することであり、最低限国民的議論を経た上で皇族の方々が招致活動の場で活動されること、だったと思います。
以前から感じているのですが*1、2006年の突然の退陣から二度目の首相に返り咲いて以来、どうも安倍首相は「結果が全て」という行動規範、もしくはお考えのようです。
今回も、
原発についてハッタリ宣言をしようが、オリンピックを招致したからよいではないか。結果が良ければ良い。」
ということなのでしょうか。
これに対して日本国民が無下に反対できないこと自体が、既に安倍首相の「結果が全て」の論理(というか倫理観)に毒されているのでしょう。
理想は、
「フェアな方法で欲しいものを勝ち取ること」
であることは、確かです。
一国の首相たるもの、先ずはその理想を目指し、国民、就中、「子どもたち」にそれを実戦する姿を見せてほしいものです。
首相が率先してみせずして、子どもたちが国際社会の中でフェアに生きて行くはずがないではありませんか。
そして、
「フェアにやって、欲しいものが得られなかった時」
それをどう国民に説明するか、国民の失望を埋めると同時に、「欲しいものは得られなかったけれども、やるべきことはやった、仕方がない。」という、正しい感情の処理を促すことこそが(ナショナリズムの安全な着地?)、国のリーダーであるべきだと思うのですが。
前述のようにスペインはまだ落選のショックの中にあるようですが(開催地決定後まだ一ヶ月経っていませんし)、思い返してみれば、2012のオリンピック開催地を決める時には、パリはヤル気満々で最終投票の時も招致獲得を疑っていなかったということですが、蓋を開けてみれば、「アイツにだけは負けなくなかった」ロンドンに開催地をさらわれてしまいました。2016の開催地を決める時(前回の招致)、シカゴは人気絶頂のオバマ大統領とミッシェル夫人を送り込みましたが、やはりリオデジャネイロに開催地を譲りました。そして、パリもシカゴも、今、何事もなかったかのように、成熟した都市として更に進化しています。もし、東京が落選していても、何ら恐れることはなかったのかもしれません。少しがっかりして(猪瀬都知事は立ち上がれなかったかもしれませんが?)、でも少し経って秋風が吹いてきたら、秋服に着替えるようにまた新しい日常が戻ってきていたのかもしれません。それはそれでよかったのかも。東京は幸いなことにマドリッドほど落選がダメージにならなかったでしょうし。

とすると、安倍首相は、「オリンピック東京招致」という「結果」を求めてなりふり構わず「ハッタリ宣言→辻褄合わせ」という、見苦しく、且つ、とても子どもたちには説明できないようなことをしなくても良かったのではないか、と思えてきます。
「ハッタリ宣言」をしなくても招致を勝ち取れたかもしれませんし、「招致を勝ち取る」ことだけが、良い結果だったのか、そうでなかったか、ということは、もう少し長い時間をかけないとわかりません。
仮に2020年オリンピックが招致できなかったとしても、それに耐えるだけのタフさと柔軟性は、都民も日本人も持っていたはず。←そもそもこれを信じていないと、フェアなオリンピック招致は出来ないでしょう。



まあとにかく、そうして東京と日本は2020年に向かうわけですが、今度は逆にこれから絶対に回避しなくてはならない未来のシナリオもあります。
それはギリシャのその後。
オリンピック発祥の地で行われた2004年アテネオリンピックから、まだ10年も経っていないのですが、オリンピック関連施設(2004年時は、「オリンピックまでにちゃんと完成するのか?」ということのみが心配されたものですが)を大借金をして幾つも建造した結果、ギリシャがどうなったか?は、誰しもが知るところです。
オリンピックからたったの6年後、2010年にはギリシャはユーロ圏を脱退して/追い出されて小アジアの貧乏な小国に落ちぶれかねない経済危機を経験し、北方の文化後進国だったはずのドイツから救済と引き換えにあれこれ注文をつけられ、国と国民のプライドはズタズタ、プライドだけではなく、凄まじい失業率と年金削減、緊縮財政で、街には餓死者が出る始末。
「東京はアテネにはならない、日本は観光以外に産業がないギリシャとは違う。」
のならばよいのですが、現在日本に住む赤ん坊からギネスブックに載る世界最高齢者のお年寄りに至るまで国民一人当たり800万円!の借金を抱えている日本が、オリンピック後ギリシャにならないためには、相当慎重でなければならないのではないか、と、市井のオバサンとしては、維持費が年間1億ユーロかかると言われたアテネのオリンピック施設が、その後どうなっているかを見るにつけ、日本の「子どもたち」のために心配してしまいます。
東京オリンピックの時期に粗製濫造で作られたインフラのショボさと補修費に今、日本の自治体は苦しんでいるということですが、またしても同じツケを未来の世代に残すことがないように、願わずにはいられません。
廃墟になったアテネオリンピックの施設 ↓
Abandoned Olympic Sports Complex in Athens