「あさいち!」9月30日放送「ベビーカー論争」詳細


9月30日放送の「あさいち!」で「ベビーカー論争〜ママの言い分 周りのホンネ〜」という特集をやっていました。

何でも7月と8月にも同様の特集をやっていて(見てないか、あの暑さで忘れた)、それに寄せられた意見も踏まえての番組のようでした。
番組には3,594通(!)の意見が寄せられたそうですが、そのうちの7割が「ベビーカー批判」の意見だったそうです。
その「ベビーカー批判」の急先鋒は、何と「子育てが終わった40代後半〜50代の女性」なんですね!
まさに、私の世代です。
ちなみに、私はその世代でありながら、意見としては少数派3割の「ベビーカー賛成!」派であります。
しかし、まさに私の世代の女性から、バンバンと「「車内ではベビーカーを畳むべき」「マナーが悪い」という「ベビーカー批判」が寄せられているようなのです。

「ベビーカー批判」を繰り広げるその世代の意見を集約するような形で、番組では先ず、顔を隠した仮名の49歳の女性(2人の子どもを育てた経験あり)がインタビューを受けていました。

・私たちの時代では、ベビーカーを畳まずに乗るということは非常識極まりないことだった。
・私もベビーカーを畳んで荷物を持って乗っていた。
・ベビーカーを畳むためにおんぶひもを愛用していた(ここで赤い「ねんねこ」?で子どもをおんぶしている、昔子育て中だった女性の写真)。
・「子どもを連れているから自分たちは弱者なのよ」と、少子高齢化で子どもがいれば大事にされるということを、勘違いして受け取っているんじゃないかと思う。
・ベビーカーは本当に必要なのは2年か3年だから我慢すればできる。自分たちが我慢してきたのでそう言える。


この49歳の女性と同様の「ベビーカー批判」の意見が、番組中にもFAXで寄せられていました。


この日の「あさいち!」は、全体を通して見ると、7割に達するこういう批判的な意見に反論する、という、視聴者層を考えれば実に勇気ある構成になっていました。
自分の不愉快だった経験にのみ即したこの世代の感情的な批判的意見に対して、手を替え品を替え、できるだけソフトに穏やかに反論する、という形をとっていました。
若いママのマナー違反、非常識な行動を上げつらって、7割の意見に媚びることもできたのに、見事な構成だと思いました。


先ず、昔と今とではベビーカー自体が大きく変わっている、ということを、私の世代の女性に示していました。
番組では、わかりやすいように、80〜90年代のベビーカー(「バギー」と言われていた形のもの)と、今のベビーカーを並べて比較していました。
今のベビーカーは昔と違って、車輪の振動が伝わりにくいように頑丈にできています。
従って、軽量化を図られても尚80〜90年代のものよりは重いですし、巨大化しているので畳んだ状態でもかなりかさばります。
私が使っていた90年代のものは、畳むと辛うじて腕にぶら下げることもできましたが、今のものは重さ的にも大きさ的にも不可能です。
ベビーカーがこのように変化したのは、要するに昔のベビーカーは赤ちゃんのことを考えていなかったから、ということらしいです。
昔の方が寧ろママに便利なようにできていても(畳んだら片手で持てるほど軽くてコンパクト)、赤ちゃんにはいい迷惑だったかも。座面が低いのに加えてちゃっちいので、乗っている赤ちゃんは言葉には出せなくても暑いし寒いし、ごろごろとした振動が身体は勿論頭にもモロ伝わっていたことでしょう。
赤ちゃんのことを考えて改良が重ねられた結果、今のベビーカーは重い、畳んでもかさばる、昔とは違う、いうことを、アナウンサーも説明していました。
こうやってわかりやすく説明することによって、ベビーカーに批判的な、20〜30年前に子育てした女性たちの、「畳めばいいじゃない。私たちの頃はそうした。」という意見は、今じゃ通用しないということを、NHK的にソフトに遠回しに伝えていました。




そしてその後も番組としては、ベビーカー批判世代へのソフトな反論がその後も続くのですが、こういう加熱している問題で、いくら顔を隠していても、実際に生の声を取り上げると、批判する方もされる方も生々しくなってしまうと賢明なるNHKは判断したのでしょうか?
番組の中では、「あさ耐え子さん」という、「子育てを我慢して乗り越えて来た上の世代の女性」というキャラクターを使って(男性アナウンサーがそのキャラに扮して)、「ベビーカー批判」を代弁させていました、NHK考えましたね。

その、あさ耐え子さんの言い分曰く、

「おんぶできる人はしたらいいんじゃない?」
お決まりの台詞ですね、オバサンの。
これに関して意見を聞かれた、ゲストであり1児の母である藤本美貴さんは、はっきりとは答えられず、「抱っこひもならしますよ、自分の足下は自分で見えますし。」と煮え切らない反論でした。
藤本さんに代わって、不肖わたくし、あさ耐え子の世代ながら若いママたちに代わってお答えしますと、
「胸バッテンのおんぶひもは、イヤなの!恥ずかしいの!」
というのが若い世代のママのホンネだと思うなんですが、どうしてこれが、あさ耐え子の世代にわからないのでしょうね?
20世紀の昭和の時代ならいざしらず、21世紀平成の今は夫だって、自慢の美しい妻が胸バッテンでおんぶして天下の公道歩いてほしくないわけです。
それも理解できない、あさ耐え子さんには、こう言うとどうでしょうか?
じゃあ数年後、あさ耐え子さんが、預かった孫を胸バッテンのおんぶひもでおんぶして、お友達と待ち合わせたデパートや知人に会うかもしれない近所のスーパーに行けますか?
昔のおばあちゃんは、おんぶしてましたもんね〜、出来ますよね、ヤル気になれば。
これでも、「私は断固として、孫を胸バッテンのおんぶひもでおんぶしてどこへでも出かける。」という、真性あさ耐え子さんと若いママとの間には、乗り越えられない文化の壁があることは明らかなので、これ以上の論争は無駄というものです。
でも実際、あさ耐え子さんも、あと数年もしたら、娘や嫁が「ママ」になり、彼女たちはベビーカーを使うようになると思うのですが、その時になってもまだ「おんぶひもを使いなさい」なんて言っていたら、そんな頭が固い時代錯誤のおばあちゃんには誰も育児の助言を求めたりはしなくなると思いますよ・・・。


次に、あさ耐え子さんがぶつけてきたのは、

「わざわざ遠くに行かなくても、近くの公園でいいんじゃない?」

というものでした。これに対しては、藤本さんはきっぱりと、
「近くに公園がない。あっても小さな公園で、歩けるようになると公園が小さいからすぐにそこから出ていってしまう。やはり大きい公園など、走り回っても危なくないところに連れていってあげたい。」
と反論していました。
本当にそうです、大都市近郊に住んでいて、「近くの公園」といったら、マンション建設の時に気休めに併設された猫の額ほどの公園、くらいですよ。徒歩圏に、公園や、子どもを自由に遊ばせるところなんて、本当に少ないのが現状です。
そういう世の中、そういう都市計画を作ったのは、若いママたちではありません、念のため。
そして、毎日同じ公園に行き、親子共々同じメンバーで顔を合わせるのも良し悪しなので、賢明なる今の若いママたちは、一週間に一度くらいは敢えて近くではない公園や遊び場に子どもを連れて行く、ということもあると思います、賢いんですよ、若いママたちは。
更に、あさ耐え子さんは、
「ショッピングモールや繁華街にも、ベビーカー押したお母さんがいるじゃない?あれって自分が買い物をしたかったり、ランチしたかったりしたいだけなんじゃないの?それって若いお母さんたちのワガママなんじゃないの?」
「意地悪っぽい」(←私が言っているのではありません、専門家ゲストである、恵泉女学園大教授・大日向さんの言です)質問をしてくるのですが、ここで私が思うのですが、「買い物やランチ」って「ワガママ」なんでしょうか?
あさ耐え子さんだって、日常の一部として、電車に乗って買い物に出かけたり、友人とランチするでしょう、それと同じなんですけどね。
ここでまたまた「昔は我慢したものだった。私たちの世代は子育て期間は我慢した」と言われるかもしれませんが、あさ耐え子さんには、美化された過去よりも、現実的な近未来を想像してみてほしいですね。
やはり近い将来、ワーキングマザーの娘や嫁から孫を預かって面倒を見る間、数年間買い物にも出かけない、友人とランチもしない、という生活を、今、あさ耐え子さんはできるのでしょうか?
「子ども(孫)のために我慢」と、全てを断って生活なんかしていたら、ストレスがマックスになり、結果、娘や嫁に当たり散らし、子ども(孫)にも、余裕を持って接することなんかできなくなるんじゃないでしょうか?
あさ耐え子さんと同じ世代でありながら、高齢出産で2年前に出産した49歳の女性が、「体力的におんぶで出かけるのは無理」とインタビューに答えていましたが、今はこういう方も多いと思います。あさ耐え子さんには、もっと想像力を働かせてほしいものです。若い時に専業主婦として子育てした自分の経験のみに基づいて感情的に意見するのではなく、今は高齢出産であったり、働きながらの子育てであったり、色々なママがいるということを理解すれば、「ワガママ」とか「我慢が必要」という台詞は出てこないと思うのです。

そしていつも思うのですが、あさ耐え子さん以上の年齢の女性が言うこの台詞、
「私たちも我慢して子育てしてきたんだから、我慢して当たり前」
これって、「オレたちも昔はなぐられて成長したから、生徒/後輩をなぐる」という、先般来問題になっている運動部や柔道界の体罰と酷似していませんか?
「私たちが我慢してきたこと」が改善されて、より良い環境になることのどこがいけないのか?
自分たちがなぐられて痛い思い、理不尽な思いをして耐えていたことを、何故自分が上の立場になったらやめないのか?
同じようなメンタリティだと感じます。


その次に番組で「ベビーカー批判」の意見の一つとして取り上げていたのは、顔を出さずにインタビューに応じた51歳の女性のもの。
通勤ラッシュの電車の中に、ベビーカーの赤ちゃんがいて、ベビーカーの上に倒れ込まないようにするために持病の椎間板ヘルニアの腰で踏ん張って大変だったそう。
で、同じ腰痛ながら椎間板ヘルニアではなくぎっくり腰持ちの(←関係ないですが)私が一番不思議で理解できないのは、その女性のこの ↓ の発言。

「『ごめんなさい、ベビーカーがあるので押さないでもらえますか。』とせめてお母さんが言ってくれれば違ったのかな。」

つまり、この女性は、ベビーカーに倒れ込まないように踏ん張りつつも、自分は「ここにベビーカーがありますから!」と声を上げることはしなかったわけです。
彼女が声を上げなかったのは、日本女性としての慎み深さだけではなく、「そんな状況の中でも、赤ちゃんの母親は周りに対して知らん顔。赤ちゃんのことを気遣う様子もなかった。」からのようです。
けれどもこれは、この女性の主観ですよね。その母親が「知らん顔」だったのか、子連れ出勤は避けたくてあちこちに頼んでみたけれど預かってくれる人が誰もいなくて電車には乗ったものの放心状態だったのかも。大体、誰が好き好んで、赤ちゃん連れて出勤したいと思うでしょうか、致し方ない事情があったのでしょう。
「気遣う様子もなかった」というのも、満員電車の中でどう気遣うのか?何よりベビーカーに乗っていてくれることがその過酷な状況の中では一番安全なわけですし。
要するに、この女性も、それまでFAXで送られた数多の意見やら、あさ耐え子さんと同様、

ベビーカーの若いママが、ぺこぺこ申し訳なさそうにしていないのが気に入らない、我慢して苦労していないのが気に入らない

ということなんじゃないでしょうか?
だから、満員電車の中で自分が一番状況をわかる位置にいたのに声を上げることさえしないんでしょうね。

今回の「あさいち!」でも、「ベビーカー批判」の意見の中には、この女性のメンタリティと似たようなものが多く見受けられました。

・ズカズカ乗り込まれたら気分を害します。
・子育ては優先と勘違いしてるんじゃないの?

というものです。
「ズカズカ」も主観ですよね。元々ベビーカーを批判的に見ている人にとっては、ママがどんなにひっそりとベビーカーで乗ってこようが「ズカズカ」と見えてしまうんでしょう。
「子育ては優先」じゃないんですかね?社会的に子育てよりも優先順位が上位にあるものって何ですか?私、同じくアラフィーですが思いつきませんが。今この社会に生きているということは、将来の世代に少しでもより良い社会にして受け継ぐことだと思うのですが、「子育て」ってその大元ですよ。


この、「条件付きなら認める」というのは危険だと思うのです。
「平身低頭しているベビーカーのママなら、こちらも優しく見守る」
「周囲に迷惑かけまいと必死で我慢している様子のママなら、許容する」
というのは、何かおかしくありませんか?じゃあ、子どもは?
つい先日、遺産相続における婚外子差別は違憲、という判決が出ていましたが、「ママが平身低頭しているベビーカーに乗っている子ども」には優しくするけど、「ママがスマホ片手にズカズカ乗り込んでくるベビーカーに乗っている子ども」には冷たい視線を送るのでしょうか?
婚外子であるかないかは生まれてきた子どもの責任でないのと同様に、ベビーカーを押す母親の態度は乗っている子どもとは関係ありません。
その母親の態度にしたって、「スマホいじってる」というのは、降りる駅でのエレベーターの位置を検索しているのかもしれませんよ。
要するに、批判している人たちは、そういう事情を想像することもなく(スマホ持っていない人も多いし)、ただ「態度が気に入らない」ということで、批判をしていると思われても仕方ないですね。


ここで私は思うわけですが。
今までベビーカーを批判していた方々も、この辺で発想を転換した方が幸せに生きられると思います。
・子育て中でも赤ちゃんをベビーカーに乗せて出かけられるのは、誠に良い時代であり、喜ばしいことである。
・それでもまだまだ駅や交通機関では困ることも多いだろうから、困っている若いママがいたら、手助けしてあげたい。
・私が困っている若いママを助ければ、やがて私の娘や孫が同じように困っている時に誰かが助けてくれるかもしれない。

そういう風に発想を転換したらどうでしょうか?
昔の自分の苦労や我慢は忘れて、どこかの外交関係ではありませんが、未来志向になればどうでしょうか?
電車に乗ってきたベビーカーを般若の形相で見つめているあなたの顔を、第三者の目で想像してみてください。
きっと醜いはず。
アラフィーの女性が、考え方を変えるだけで、ベビーカーを取り巻く社会に大きな影響を及ぼすでしょう。
子育てが終わった女性が、今子育て中の女性を助け、暖かく見守れば、卑怯にも他人事のように構えているオジサンやら(←あなたの夫です)、目の前に困っている女性がいても助けることさえせずにスルーする偽グローバル人材(←あなたの息子です)も、まともな人間、グローバルスタンダードな真のグローバル人材に生まれ変わることでしょう。


番組では他にも、独身男性アナウンサーが、赤ちゃんと幼児を連れた重装備のお出かけを実体験してみせたり、バスの中でベビーカーを畳んだ方が安全なのか、畳まない方が安全なのかを実験してみせて、あさ耐え子さんの世代に、噛んで含めるように反論していました、ほ〜っんとエラいです、NHK

そして特筆すべきは、司会の一人の「いのっち」です。
今回に限らず感心しているのですが、彼は本当に頭が良くて、頭が良いだけではなく、誰に対しても衷心から気配り気遣いできる人物です、ナルシストが多いジャニーズの一員とは思えないくらい(ナルシストは、最後は自分が可愛いから、他人より自分を優先させる)。
どう育てたらああいう人間になるのか?(←母親目線になってしまいますが)
今回も、この難しいトピック、煽ればいくらでも煽れるトピック、双方がいくらでも感情的になれるトピックにおいて、常に冷静であり、議論が加熱しそうになると常に冷静な地点に議論を着地させる、という、神の技としか思えない捌き方でした。
「私はこういうイヤな思いをした」「こういう非常識なママがいた」と、ベビーカーを批判する側の個人的経験の羅列によって議論が成立しなくなりそうな時、また若いママたちがあらぬ被害妄想に陥ってしまいそうな方向に議論が進みそうな時、ちゃんと冷静な方向に軌道修正するのです、彼は。
この言葉 ↓ なんか、感動してしまいます、アラフィーのオバサン(私です)でも言えないことですよ。

子育てを終えた世代でも、当時傲慢な人はいたはず。今子育てしている人にもちゃんとやっている人もいる。だから、寄せられるそういうこと(FAXで寄せられた「マナーが悪い」とされるベビーカー使用の例)は、一部の人のことだと受け止めていいんですよね。だって、「(ベビーカー)OK!OK!」って言っている人もいるわけだから。


最初「あさいち!」が始まった時には、「何でこの人が司会?」と思った私ですが、今では、このトピックに限らず、彼を抜擢したNHKのスタッフの慧眼にただただ感嘆するばかりです。
そうして、瀬戸朝香さん、いつまでもお幸せに。