「 朝日新聞土曜版「be 」:子どもの声は我慢すべきですか?」を読んで雑感   これしきのことに「寛容」という言葉を使わなければならない日本で子育てするのはツラいですね。

妊婦さんや子育て中の母親に対する世間の非寛容な風潮については、拙論ながら今まで何度もエントリーを上げていて(文末に挙げておきます)、言いたいことは書き尽くしているつもりでしたし、昨年さかもと未明氏の一件の時にもがっつり書いたので(これも同様に文末に)、もう書くことはないと思っていたのですが、今朝の朝日新聞土曜版「be」の「between 読者とつくる」を読んで、またしても懲りずにむくむくと言いたくなってしまったので。


「子どもの声は我慢すべきですか?」というテーマで設問しているのですが、回答者3240人のうち、「はい」が68%、「いいえ」が32%です。
「はい」と答えたその理由は順に、
・子どもだから仕方がない
・お互い様
・子育ては社会全体でするもの
・我慢できる範囲
・気にならない

で、ここまでは、ほっとするものなのですが、反対に
「いいえ」と答えたその理由は順に、
・保護者が無責任だと思う
・ルールを設けるべき
・我慢できる限度を超えている
・病気などで自分の体調が不調
・子どもが嫌い

で、私としてはかなり寒々しい感じになってきているのに加えて、記事の中に紹介されている回答者の声を読むと、何故そこまで子どもと母親に対して冷たくなれるのか、逆に不思議で仕方ありません。

回答者の中のこういう声なんてどうですか?

岡山 45歳女性
買い物は宅配、移動は自家用車、外食はファミレスに限られていたが、子育てとはそういうもの。子の精神年齢に応じた場所を選ぶのは大人の責任。特に公共交通機関で、静かにさせるのは当然。

配送料がかかるネットスーパーで買い物しない人、配送料が無料になる高額の買い物をしない人もいる。自家用車を持たない人、免許を持っていない人もいる。遠方への移動でやむなく(←というのもおかしいのですが)公共交通機関を使っている人もいる。またどんなに親が気を配っても公共の場で騒いでしまう知的障害を持つお子さんとか行動障害を持つお子さんもいる(しかし外からはわからない場合も多い)。ということに対する想像力がないのでしょうか、この子育て経験がある「岡山 45歳女性」は?
そもそも育児って修行なんですか?
子育てを経験しているこの「岡山 45歳女性」の方の言を読んでいると、目下問題になっている大阪桜宮高校や柔道女子チームの体罰に似たものを感じるんですよね。
自分もかつて体罰やしごきを受けた。自分も体罰やしごきはイヤだったが我慢して耐えた。だから今の生徒も選手も体罰やしごきを耐えるべきである。ってな不毛なループの論理と同じようなものを。
自分は子育ての期間、我慢した、おんぶひもで頑張った、布のオムツを洗濯し離乳食は手作りで頑張った、他人に迷惑かけなかった(←思い込みもあり)。だから、今の若い母親も我慢すべきだ、洒落たベビーカーなんかじゃなくておんぶひもで頑張るべきだ、手軽な紙オムツや既成の離乳食なんて許せない、そうやって「楽」している若い母親の子どもが公共の場で騒いで、他人、それも育児を見事に成し遂げた私のような他人に迷惑をかけるのは許せない。という上から目線そのものの狭量な論理。

ほっんと、同じ女性として恥ずかしいとしか言えません。
「岡山 45歳女性」の方は、ご自分の子育てに関して、宅配を頼めて自家用車を持てて子育てが終わればファミレス以外のレストランにも行けるだけの経済的余裕があり、そして子どもが幸いにも騒がない性質の子どもであったことは、努力の賜物というよりは、単純に恵まれた環境であったからだと感謝して、その分、今子育てしている若い母親に優しい視線を送ることがどうしてできないのでしょうか?

回答者のこんな声も「be」には出ていました。

青森 61歳女性
子どもより親の態度に腹が立つ。完全無視の親、怒鳴りつけるだけの親、『あの人に怒られちゃうよ』などとのたまう親。だから子どもが増長する

これがこの「青森 61歳女性」の方の本音なんでしょうけど、何とも狭量な人となりがほの見えています。この手の意見にいつも思うのは、「では、あなたはその『子どもが騒いでいる』という状況の中で何か自分でコミットしたのか?」ということです。「完全無視の親」や「怒鳴りつけるだけの親」(今子育てしている彼らは「61歳女性」の子どもの世代ですよね)に、親世代の人間の一人として注意するなりしたのでしょうか?また騒いでいる子どもに直接話しかけるなりして注意することをしたのでしょうか?もし注意したことによって「あの人に怒られちゃうよ」と言われて腹を立てるのならば、それは見当違いというもので、「親以外の他人に怒られる」経験によって子どもが静かになったのならば、それは子どもが学習したということであり、つまり「騒いでいる子どもを静かにさせる」という目的達成であり、何と言われても構わないではありませんか?ちっぽけな「悪役」になる覚悟さえなくて、子どもの親に腹を立て、挙げ句の果てに「子どもが増長する」、という優しさのかけらもない言葉がよく出てくると思いますよ。「青森 61歳女性」の方はご自身が幼い頃、お出かけ先で嬉しくなって親が止めてもはしゃいだりした経験はないのでしょうか?それを「増長」なんて言葉で言われたら、悲しくはないのでしょうか?


もう一度言いますが、育児って、子育てって修行なんですか?
周囲に気を遣いまくって、いえいえ「岡山 45歳女性」がおっしゃるように出来るだけ引きこもって、近所の商店街やスーパーにも連れて行かず、バスや電車にも乗せず、飛行機に乗せて実家の両親に孫の顔を見せることも控えて、息をひそめて世間様のお邪魔にならないようにやるものなんですか?それってまるで修行僧なんですけど。
非寛容な方々がおっしゃっているのはそういうことですよね?


「いや、周囲に配慮がない親、努力していない親が我慢ならない」とおっしゃる方々。では、そういう方々にはこう言いたいのです、騒いでいる子どもの親が、努力していない親だとその「騒音」に我慢できなくて、努力している親の子どもが立てる「騒音」ならば許せるものなんですか?「騒音」ってそういうもの、その程度のものなんですか?と。「子どもの声に我慢すべきですか?」の問いに「いいえ」と答えた方の理由の中に、「病気などで自分の体調が不調」という方がいらっしゃいますが、そういう方は親が努力している/していないにかかわらず「騒音」は「騒音」で、不調の身では確かに苦痛なのだと思いますし、それは理解できます。が、そうでない健康な方にとって、子どもの声という「騒音」は親の努力で区別できるものなのでしょうか?更に申し上げると、前述のように親の努力は関係なしに騒いでしまうお子さん(知的な障害や行動障害を持つお子さん)もいますし、普通の子どもでも、例えば我が家の子ども二人は同じように私のお腹から生まれ、同じ家庭で同じ親が同じように育てたはずなのに、片方は高級ホテルのラウンジに連れて行っても大人しくできる子どもであった一方、もう片方はスーパーのお菓子売り場では必ずひっくり返って泣き叫びレストランどころかファミレスでさえ騒ぎまくるので連れて行けなかったことを経験した親である私は、「躾」という名の「親の配慮、努力」を、この問題の中心に据えることは、間違っていると思わざるを得ません。

「be」の「『子どもの声』と折り合うために一番必要なことはなに?」という質問の回答でも、「周囲の理解や思いやり」という回答よりも多かったのが、「親・保護者の努力と責任」なんですが、私はこれは真っ当な意見に見えて実は逆に、若い母親たちにプレッシャーを与えるものでしかないと思うのです、それも間違ったプレッシャーを。
若いママたちの大多数は、必死でネットで検索して情報を集め、十分に気遣い・努力していると思います(さかもと未明氏に関するエントリーでも書きましたが)。よく頑張っていると思いますよ。この「be 」の回答者の中にも、こういう声がありました。

神奈川県 40歳主婦
帰省で10ヶ月の息子を飛行機に乗せた時、離陸前に周囲に「迷惑をかけるかも知れません」と挨拶した。幸い静かに過ごせたが、泣いてからわびるより、事前に伝えるだけで心証は違うはず。

こんな間違ったプレッシャーをかけられてそれに応える健気な母親が増えると、近い将来「飛行機や新幹線や電車やバスに乗る時に、事前に挨拶をしなかった」というだけで「配慮・努力の足りない母親」の烙印を押されかねませんし、この方の母親としての必死の気持ちは理解できますが、それは或る意味すこぶる自己満足的なものと受け取る意見もありますから(参照:子連れ海外旅行マニュアル 飛行機内をクリアする方法の「周囲の乗客への挨拶?」部分)。電車やバスはともかく、長時間乗らなければならない飛行機や新幹線に関しては、予測のつかない赤ちゃんや子どもの機嫌は、母親の気配りや努力なんかでは対処の限界を超えていると思います。赤ちゃんや子連れの親からだけでなく、その他大勢の乗客から運賃をとっている航空会社や鉄道会社こそが、何らかの対策を講じるべきだと私は思います、親(特に一方的に母親)の努力や気配りに問題を丸投げするのではなく。


大人の都合で子どもを分類してみると、以下のようになると思います。

・大人が注意しなくても公共の場で大人しくしていられる子
→ノープロブレム、これは躾ができているのでもなく、親の配慮や努力が素晴らしいからでもなく、生まれつきそういう性格なのです。


・騒いでいるけれど、大人が注意すれば大人しくできる子
→大抵の子どもはこの範疇です。注意してわかる年齢ならば、親、親が注意しないのならば周囲の大人が注意し(それによって「あの人に怒られちゃうよ」と言われたところで、それが何なのでしょう!)、わからせることができれば、それで良いのです。注意してもわからない赤ちゃんや幼児ならば、逆に「親の配慮、努力」についても、どんなに頑張っても実を結ばないことがあることを、周囲も当然理解すべきです。


・大人が努力しても、騒いでいるのをやめられない子
→こういうお子さんも或る一定の割合でいることくらい、理解しましょう。そしてそういうお子さんにも温かい視線をかけられる社会、寛容できる社会であってほしいものです。



そして一番大切なことは、どんな子どもであっても無条件で社会の大人から見守られていることではないでしょうか?
「親が平身低頭で配慮して、努力しているから、この子どもは受け容れる」「親が無責任で、配慮が足りないから、この子どもは受け容れない」という、条件付きの「子どもに優しい社会」などはありえないと思います。
これは妊婦さんについても同様で、妊娠したら、周囲に配慮しまくって始発駅まで戻って早い時間の電車に乗って通勤、もしくは場合によっては自腹でタクシー通勤し、妊婦マークを見せて席を譲ってもらうことなどなく、世間様に迷惑をかけないように過ごさないと大事にしてもらえない、っておかしくないですか?どうして、「お互い様」と無条件で大事にしてもらえないのか?


何度も同じようなことを書いて恐縮なのですが、妊婦さんでも子連れの若いママでも、それはかつてのあなた(「岡山 45歳女性」「青森 61歳女性」)のお母さんかもしれないのですよ。あなたのお母さんだから、ご立派なあなたと同様、気配りと努力の方だったとは思いますが、或る日どうしても大きいお腹で、もしくは子連れで電車やバスに乗らなければならなかったかもしれません。お母さんのお腹にいたあなたがお母さんの不安な気持ちを感じ取ってお母さんのお腹を蹴りまくってお母さんが気分が悪くなったり、子どもであるあなたが普段は騒がない良い子なのに何故かぐずって泣き出して止まらなかったかもしれません。そんな時、周囲が席の一つも譲ってくれない、子どもの泣き声にイヤな顔をされる、「うるさい」「躾が出来ていない」「増長している」と罵倒されるような社会だったら、あなたのお母さんはどんな気持ちになったでしょうか?若しくは、それはあなたの娘かもしれないのです、妊婦で通勤したり、子連れで電車やバスに乗らなければならないのは。どんなに配慮してもどんなに努力しても、子どもが興奮したり泣き止まなかったりして、途方に暮れる若い母親は。これをちょっとでも想像してみたらどうでしょうか?



「日本の男性は、妊婦や子連れの母親の手助けをしない」と言われます。また、ネットでは「電車の中のベビーカー、邪魔。乗ってくんなババア。」と若い子が平気で書き込んでいます。でもそれは彼らが本当に非寛容なのではなく、子育てを経験したはずの同じ女性が、現在進行形で子育てしている女性に対して、「体罰やしごき」の如くの冷たい態度だから、なのではないでしょうか?それが、妊婦や子連れの母親に冷たい今の日本の社会の、一番の言い訳になっていないでしょうか?子育てをした母親が、自分の子育て経験が大変だったからこそ、今の若い母親に対してほんの少し手助けするだけで、せめて寛容な視線を向けるだけで、そしてもし息子がいるのならば妊婦さんや子連れの母親に対して優しくすることを教えるだけで、たった一世代でこの日本社会が変わるはずなんですけどね。

日本の高い税金を逃れてより税率が低い海外に移住する人のことを「信じられない、どうして日本で納税しないの?日本人なのに!」という気持ちで見ていたプチ・ナショナリストの庶民の私ですが、これだけ子育てに関して非寛容な世間の意見を見るにつけ、もし将来娘が「子育てしにくいから日本に住みたくない。妊婦や子連れの母親には無条件に優しい海外で暮らしたい。」と言い出したら、それは反対できないかもしれない、と思ってしまいました、日本人としては悲しいことです。


この「be」の記事の見出しが、「しつけか寛容の心か」でしたが、「子どもの声を我慢する」というこれしきのこと(痛みや犠牲を伴うものでもなく、税金を取られるものでもなく)に「寛容」という言葉を使うこと自体、本当に寒々しく感じました、窓の外の東京は季節外れの陽気なのですが。


妊婦さんや子育て中の母親に関して

「情けは他人の為ならず」←くれぐれも正しい意味で。

妊娠・出産・子育てのジェットコースターライフに愛を!

「赤ちゃん連れの母親」を手助けすることに関して、雑感

子育て中の若い母親に非寛容な社会は誰が作っているのか?


さかもと未明氏とJALの一件に関して

さかもと未明氏による「再生JALの心意気」と、それに対する非難に関して時間をおいて考えてみること  ① 赤ちゃん連れの母親の大変さが本当に理解されたのか?

さかもと未明氏による「再生JALの心意気」と、それに対する非難に関して時間をおいて考えてみること  ② さかもと未明氏のクレームの真っ当な部分

さかもと未明氏による「再生JALの心意気」と、それに対する非難に関して時間をおいて考えてみること  ③ 赤ちゃんは本来泣くものであること