「情けは他人の為ならず」←くれぐれも正しい意味で。


爽やかな秋空の日にこういうものを読むと、一気に気持ちが減退してしまうのですが。

発言小町「妊婦です。優先席でお願いすることついて。」

乳母車バリケード Hagex-day.info


以前にも書いたことがあるのですが*1


妊婦や子連れのママは、周囲への出来る限りの気遣いと自助努力と「迷惑かけて申し訳ない」オーラを出しまくらないと、この社会では助けの手さえ、優しい眼差しさえ、貰えないような、そんな存在なんでしょうか?

どうして無条件でいたわって貰えないのでしょうか?



やれ「自己責任」だの「自助努力をせよ」だの「妊婦/子連れというだけで図々しい」と言っている人たち男女を問わず、問うてみたいのですが、

人間誰しも母親のお腹にいた時期がある訳ですよね。あなたも嘗てそうであり、あなたのお母さんも大きなお腹を抱えながらもどうしても電車やバスに乗らなければならない時があったかもしれない。そしてあなたが生まれてきた後も、あなたの記憶がないくらい幼い頃、お母さんはどうしても事情があって或る朝幼いあなたを連れて通勤電車に乗ったかもしれないし、大きな荷物を抱えてバスに乗ったかもしれないし、ベビーカーの中で寝入ってしまったあなたと多量の荷物を持って駅の階段下で途方に暮れたことがあるかもしれない。

そういう時に、周囲から全く手助けしてもらえないだけではなく、冷たい視線を投げかけられたとしたら、と考えたら悲しくなりませんか?
大きなお腹を抱えて電車に乗っている妊婦さんはあなたのお母さんであったかもしれないし、ベビーカーでぐっすり寝入っている小さな子どもはあなただったかもしれないのです。

あなたのお母さんも、精一杯肩身の狭い思いをして周囲に気を遣いまくってへとへとにならないと周囲から優しくしては貰えなかったのでしょうか?

あなたの「お母さん」でなくても、あなたの目の前の妊婦さんや子連れの母親は、あなたの「妻」であったり「娘」であったりするかもしれないではありませんか。あなたが見知らぬ妊婦さんや子連れの母親に優しくすれば、どこかであなたの「妻」、遠くない将来あなたの「娘」が無条件に優しくされるかもしれません。


仮に電車の中で普通座席に座っている私の前に立った妊婦さんが、

茶髪で革ジャン&ミニスカートにヒールを履いてガムをくちゃくちゃ噛みながらかなりの音漏れiPodを聞きながら携帯いじっている妊婦

だとしても、私は席を譲りますよ。トーゼンじゃないですか、彼女は妊娠中なんだから。
「妊娠は病気じゃない」という意見はごもっともですし私もそう思いますが、健康な妊婦さんでも優先席に座っていいと思いますし、普通の座席でも席を譲ってもらって当然、ではいけないのでしょうか?
妊娠期間と言っても妊娠がわかってからは8ヶ月くらい?一人の女性が一生の間に出産する回数は日本では既に以前から2回を切っているのですから*2、その僅かの期間くらい周囲が無条件で優しくしてあげることさえ、もうこの世の中はできなくなっているのかと思うと、ほんっと寒々しい思いです(その1回目の妊娠で辛い思いをしたら、2回目に踏み切ることを躊躇してしまうかもしれませんし)。
しかもこうして3.11以降の世界の中、放射能の心配をしながらの子育てが待っていることがわかっているこの時代に子どもを産もうという奇特な妊婦さんたちにはどんなにエールを送っても足りない気がします。彼女たちはその勇気を称賛こそされるべきであるのに、妊娠中から「自己防衛しろ」「他人に甘えるな」というのは酷だと思います。


ベビーカーでバスに乗ることに関しても然りで、先ずバス会社の社員全員が
「10キロの米袋とバギーと荷物でぱんぱんのマザーバッグ」
を持って自社のバスに乗る、という研修を行って問題点を洗い出してほしいものですね。更に「加えて3歳未満の幼児(バスに乗るので興奮している幼児なら最適)も一緒」というケースについても実行してほしいです。これはバス会社が解決すべき問題であって、断じて子連れの母親の方が肩身の狭い気持ちになって気を遣うべきことではないと思いますが。
バスの中のベビーカーを疎ましく思う人たちに聞きたいですが、「では、どうしろと?」
母親皆が皆免許を持って自家用車を持っているわけでもありませんし、子連れの母親は「バスだと200円かそこらで行ける場所にタクシー代2000円(例えば)で行く」ように周囲の人たちにそこまで気を遣わなければならないのでしょうか?

ベビーカーの数台くらい許容できないインフラしか作れなかった政治が悪い、地方自治体が悪い、配慮のないバス会社が悪い、

としても、政治に働きかけなかった一有権者である自分には微塵も責任はないのか、乗客としてバス会社に要望の一つもしない/してこなかった自分には責任はないのか、と考えると、何も出来なくても、何一つ自分では手助けできなくても、せめて暖かく見守ることくらいできませんか?否、せめてネットで醜い発言をするのを止めてはもらえませんか?


それと、同性としてまた「子育て」を過去に経験した者として一番理解できないのは、


「自分が妊婦だった時/子育てしていた時には◯◯◯したものだ。今の母親にはそれがない。」という、育児経験者であるはずの同性の女性からの冷たいお言葉。
◯◯◯に入るのは例えば、

妊婦編:
「私が妊娠中は」
・始発駅まで戻って座って通勤した
・6時前に家を出て時差通勤した
・「妊娠は病気じゃない」から普通に満員電車で通勤した
・お腹の子どもを守るのは母親だから自分で努力した
・通勤にはタクシーを使った
・仕事を辞めた

子連れのママ編:
「私が子育てしていた頃は」
・ベビーカーじゃなくておんぶ紐で外出した
・だっこバンドやスナグリじゃなくて、両手が使えるおんぶ紐を使った
・電車やバスの中では必ずベビーカーは折り畳んだ
・スーパーやデパートの宅配を使って、外出は極力控えた
・通勤ラッシュ時間には公共の乗り物には乗らなかった
・そもそも子育て中は行きたいところがあっても我慢した


文句なしにご立派です。それは誰も異議はないでしょう。でも皆が皆同じことができるとは限らないのです。
あなたのようにこんな立派な心がけの妊婦や子育てママじゃないと、この世の中では糾弾されなければならないのですか?
何と寒々しい世の中なんでしょう。


妊娠したことのある女性ならばわかっているはずですが、

「妊娠中、悪阻が軽いか重いか、体調が良いか悪いか、ということは、本人の努力とか精進とは関係ない」

のですよ、実際。
悪阻はモロ「体質」であり、本人が努力して軽減するようなものではありませんし、妊娠前にどんなに健康的生活をしていても妊娠中に快調かといえばそうではなく、不摂生な人が「妊娠中の方が体調がよい」場合もありますし、反対に日頃健康オタクの人が妊娠中殆ど寝たきりの「お座敷妊婦」の場合もありますし、こればっかりは信賞必罰とは全く違うものなのです。ですから、妊娠中、偶然に体調が良かった方のご立派な為されようを幾ら承っても全く参考にならないのです。

「妊娠中、全く他人に迷惑をかけなかった。」という方は、実はラッキーであっただけなのですよ。

私は先ず子育ての経験がある母親そして父親が、今妊娠中の妊婦さんだとか子育てをしている若い母親を助けるべきだと思うのですが、それがそうでもないんですよね。

「自分も苦労したから/努力したから/我慢したから、今の若い母親も苦労/努力/我慢すべきである」
という中高の部活動の先輩が後輩をいびるような、いや〜な雰囲気があるのです、どうも。

「自分が苦労したから/我慢せざるをえなかったから、今の若い母親にはそんな思いをさせたくない/させてはいけない」
という気持ちになれないのか、とっても不思議です。


まあ、私が妊娠中のプレママや子育て中のママに言えることは、


「自分が母親のお腹にいたことも忘れているような、嘗て自分もベビーカーに乗った赤ん坊だったことを忘れているような、エゴイストの人間ばかりでなく、普通に妊婦や子連れの母親に優しい日本人も世の中には大勢いるので、それを忘れずに!」

ということです。Good luck!!