「黒い日傘」考

私見ですが。


先ず「あくまでもファッション的見地から」、という但し書き付きで。

日傘って5歳年齢アップに見えるアイテムだと思います。
「年齢アップ」と控えめな表現をしましたが、直截に言ってしまうと「5歳オバサンに見える」ということです。
黒い日傘だと更に3歳アップ、というところでしょうか。


今は夏の盛りですから、タンクトップにショーパンをはいた若い女の子が大勢街中を闊歩しておりますが、若さの特権「タンクトップ&ショーバン」の女の子が、日傘を差した途端(最近はちょくちょく見かけます)、あら不思議、そこに5歳分のオバサン要素が加味され、更にその日傘の色が黒だったりすると、さらにオバサン度が濃くなります。
大体、「タンクトップ&ショーパン」って、肌を惜しげも無く露出して、夏を寿いでいるスタイルですよね。夏の太陽バンザイ!スタイルです。それなのに「日傘」というのは、ベクトル逆なわけですよ。「じゃあ最初から肌を出さなければいいいじゃない」、ということです。その「わかってなさ」が5歳オバサンに見える所以です。


マダムの場合は、「5歳オバサンに見える」要素が、若い女の子とはまたちと違うのです。当たり前のことですが、日傘を差すと、一方の手は塞がります。もう片方の手でバッグやらを持つことになるのですが、この状態で姿勢良く背筋と膝を伸ばしてすっすっと歩けますでしょうか?同じ夏の道を歩く時、日傘片手によたよたと歩くのと、サングラスでもかけて日傘無しで颯爽と歩くのとでは、どちらが若々しく見えるでしょうか?まあ、近年の猛暑で、若さを犠牲にしても日傘差して歩かなければならない時が40歳過ぎると多々ある、ということは私自身体験的にわかります。しかし、その場合も、「黒い日傘」だと更に3歳分若さを犠牲にしてしまうことを肝に命じておきたいと思います。


日傘というアイテムを追加して、美しさが増す唯一の例外は、「夏着物に白い日傘」の一択だと断言してしまいます。浴衣に日傘ではダメですよ、浴衣は日が暮れてから着るものですからね。難易度の高い夏着物を涼しげにまとって、「手ぶらで」日傘をくるくる回したりして軽やかに差して、荷物はお醤油顔(暑苦しいソース顔はNG)のイケメン(←この言葉はキライですが)の書生に持たせる、というのが、日傘スタイルの唯一無二の最高峰ではないかと思います(幾分妄想入り)。何故「白い日傘」限定かというと、日傘ごしの陽射しがレフ板のような効果を発揮してこの上なく顔を引き立たせるからでありまして、それが「黒い日傘」になった途端、魅力は地の底まで低下、「暑い時に着物きてる物好きなオバサン」になりますので、お含みおきくださいませ。


世界的にファッションのカジュアル化が進む中、上述のように、今の日本では、「タンクトップにショーパン」の若い女の子だけではなく、あらゆる年齢層の女性が、ノースリーブのワンピースや、半袖のTシャツやポロシャツ、といった、夏のバカンス用のカジュアルなファッションに身を包みつつ、黒い日傘を差し、腕には夜会服にまとうような黒の長い手袋、首にも黒い巻物をして、夏の街をお歩きになっている、という倒錯した光景なのです。
腕や首を出したくないのならば、そのようなキテレツな格好をなさらずとも、腕を隠す七分袖や長袖で首を隠す衿がついた多少なりともドレッシーなお洋服や、もしお気に召すのならばブルカを纏われれば(これも日本では十分目立ちますが)よいのではないでしょうか?

(ブルカは一番左です)
当たり前のことですが、パリやミラノのデザイナーは、春夏コレクションのノースリーブのワンピースをデザインする時に、そのデザインに黒い日傘と黒の長手袋と黒の巻物がプラスされると想定してデザインしているわけではないでしょう。
そもそも夏のお洋服は、長期のバカンスに出かける富裕層の「こんがりと日焼けした肌に似合うように」色もデザインも考えられていて、太陽の下で肌を露出して着ることを求められているのです。それは、欧米は「日焼けはバカンスの証明、お金持ちの証明」という社会になっているということもあります。夏のヨーロッパに行くと、若い娘は勿論、迫力あるマダムや、高齢のおばあちゃまたちまでもが、これでもかと日焼けした肌(と、バカンスに行ってきたという財力)を見せつけるように、タンクトップやノースリーブのお洋服を着て街を闊歩しています。またそれがよく似合うんですね。それから余談ですが、私は多くの日本人女性と同様、少女の頃読んだ「赤毛のアン」によって植え付けられた間違った知識、即ち「赤毛もソバカスも、女の子としてはマイナス要因である」という偏見を持っていたのですが、実は欧米では赤毛が「セクシー」であるのと同様、どうやら日焼けの置き土産である「ソバカス」はなかなかにセクシーなものらしいですよ、日焼けした肩先のソバカスとか。日本では「シミ、ソバカス」とセットで害悪のように言われていますが、日焼けを肯定する以上、そうなのでしょうね。

それに比べて。
150年前の明治維新まで、いえ、60年ほど前の第二次世界大戦終了まで、日本女性はずっと着物を着ていて「洋」服を知らなかったのにもかかわらず、元々日本女性がお洒落だったからだと思いますが、洋服を取り入れるスピードたるや素晴らしく、今や欧米の有名ブランドで日本に支店がないものはないところまで、日本女性のお洒落度が高いことは事実です。
けれども、今やファッションセンスも体型も欧米人に劣らないところまできた日本人が、こと夏服に関しては「日本国内独自ルール」の如く、生っ白い肌にバカンススタイルの夏服を着て「黒日傘、黒長手袋、黒巻物」のコンボをプラスしているのは如何なものでしょう?欧米人のファッション文法に則ってパリやミラノでデザインされた夏服を着こなそうと思うのならば、実は「日焼けした肌」は不可欠ではないでしょうか。そして、「日傘」特に「黒い日傘」はミスマッチなのです。
現に女性誌で「パリ・ミラノ・ニューヨーク、夏のファッションスナップ特集」なんかを見ると、日傘、それも黒い日傘なんて差して歩いているお洒落なパリジェンヌ、ミラネーゼ、ニューヨーカーなんていませんよね。若い子もオバサマも、日焼けした肌に似合う色やスタイルのファッションに身を包んでいて、それがまた素敵なんですね。
実際、生っ白い肌で夏のビビッドカラーのタンクトップを着ても、白いノースリーブのワンピースを着ても、何か締まらない、何かピンぼけになりませんか?更に、その上に、「黒い日傘、黒長手袋、黒巻物」って、かなり異様な「なり」なのではないでしょうか?

まあ、「黒日傘、黒長手袋、黒巻物」で街中を歩いても「不審者」として110番されない程度に、もはや日本では普通のこととして認知されていますからね。

しかし、身につけるお洋服とか持ち物とか、実は一旦身につけてしまえば、自分は鏡でもないと全身を見ることはできない一方、すれ違う人、電車の中の乗客、街を歩く通行人からは、その姿がいやでも見えるわけです、黒い日傘に黒い長手袋に黒い巻物で歩く、夏らしくなくて暑苦しい姿が。ガラパコスなファッションの組み合わせ(バカンス仕様の肌の露出の多いお洋服を着つつ、黒小物でそれらを覆い隠す)で歩く、夏の風景には不釣り合いなあなたの姿が。これって電車の中でお化粧している女子高校生と同じではないでしょうか?「誰にも迷惑かけてない」的な?電車の中で周囲の人々の目は無視してお化粧する女子高校生やOLも、彼氏や会社など人目があるところでは、鼻の下伸ばしてマスカラの重ね塗りをしたりしないのと同様、「誰にも迷惑かけてない」から黒日傘に黒手袋に黒巻物に身を包んで電車に乗っている方でも、会社の中や、ご友人とランチしたりする時には、その暑苦しく見える異様な黒小物を全て外して、生っ白い肌ながら本来の夏のお洋服姿で臨むわけですよね。つまり、「友人や知り合い以外の人間は自分にとって風景であるから、自分がどう見えようと頓着しない」という理屈は、同じなのではないでしょうか。
この理屈が通るのか、通らないのかは、人それぞれの考え方、シチュエーションにもよるとは思いますが、例えば以下の例などどうでしょう?
長く北ヨーロッパに家族で駐在していた友人は、駐在中冬は陰鬱な空に閉じ込められて太陽に恋い焦がれる生活をしているので、毎年夏は南の国にバカンスに行くことに決めていたらしいのですが、或る夏、南イタリアのプライベートビーチがあるホテルに逗留したのだそうです。念願の砂浜と海!念願の太陽!を堪能すべく、やはり太陽に飢えてやってきた欧米人と砂浜で、最小限の布を身につけてマグロになって肌を焼いていたところ、そこに登場したのが、
「顔は歌舞伎役者のように白塗り、一応水着は着ているけどその上に長袖のシャツをはおり、何て言うのあの腰巻き、そうそうパレオを巻いて脚は隠し、手には黒い手袋、一番びっくりしたのが、幅広の大きな帽子を被った上に『黒い日傘』差してたことなんだけど!何あれ、今日本で流行ってるの?滅茶苦茶異様で、同じ日本人として恥ずかしかったんだけど。」
という、日本人マダムだったそうです・・・。その黒小物は「誰にも迷惑かけていない」のでしょうか???
私自身も、真冬の横浜みなとみらいで、キャメル色の素敵なムートンをお召しになった女性が、快晴とはいえ真冬に黒い日傘で歩いているのを目撃した時は、びっくりしましたね。
この間は、歩道を歩いていたら、前方から、フレンチスリーブのカットソー着てるのに黒い長手袋をして、顔の前面をヘルメットのようなサンバイザー

で覆い、そして極めつけは、黒い日傘を片手に差して、サーカスのように片手運転で自転車に乗った御婦人(オバサン)がこちらに向かってきまして、あまりの迫力(?)に、逃げ遅れてしまいあわや衝突しそうだったのです、曲芸運転の自転車危ないです。それにしてもあの漆黒のサンバイザー、ちゃんと前方見えているのでしょうか。
またまた先日、都心はどんよりした曇り空だったのですが、それでも曇り空の下黒い日傘を差して歩いている方がいるんですよね。きっと、「曇りの日でも紫外線は降り注いでいる」という紫外線の性質に造詣が深い賢い方なのでしょう。「晴れだろうが雨だろうが、関係ないじゃない。日傘差して何が悪いの、誰にも迷惑かけていないでしょ?」とおっしゃるかもしれませんが、雨の日は、歩道を歩く全員が傘を差していますから、皆、傘の分だけ他人とは距離をとって歩いており、すれ違っているわけです。しかし、日傘を差している人もいれば、他の大多数の日傘差していない人は普通に歩いている、という状況では、距離の取り方が日傘を差している人とそうじゃない人では違うので、一歩間違うと危険、ということもあるんですよね。晴れの日の感覚で車間距離ならぬ「人間距離」をとって歩いていたら、日傘さして前を歩いている人が急に日傘を後ろに傾けてきてこちらの顔に当たってしまった、とか、その他大勢が、晴れの日の「人間距離」ですれ違っているところに、一人だけ日傘を差した人が混じると、危なくて仕方ない、とか。

リゾート地での全身防護服姿も、仮面ライダーばりの異装も、真冬や曇りの日の黒い日傘も、「誰にも迷惑かけていない」と言いきることができるのかどうか。少なくとも周囲を当惑させることは事実だと思いますし、人が密集した都会の道では「迷惑かけている」のが現実です。


男の日傘は、まだまだ一般的ではないようですが、私は既に2年前に「男の日傘」を目撃してしまいましたよ。何かの間違いかもしれないと(歩きながら雨傘を乾かしているとか?)目を凝らして見ましたが、間違いなく「男の黒日傘」でした。年齢不詳のスーツ姿の男性(若いのかオジサンなのかよくわからない)だったのですが、あれは何だったんでしょうか?
・・・と言っていたら、折しも8月28日の朝日新聞の朝刊にこういう記事が出ていました。

耕論  男の日傘ってどうですか

記録的な猛暑となった今年の夏。まだまだ残暑は続きそうだ。女性たちは日傘を片手に涼やかだけど、男性陣はぎらつく日差しを我慢するしかないのか。メディアでも話題になった「男の日傘」。そこから透けて見える日本の今とは――。

ファッションデザイナーのドン小西氏と、哲学者の森岡正博氏が、それぞれ持論を語っていらっしゃいます。まあ、オジサンの日傘について語ることは私の守備範囲を遥かに越えていますので、ここでは述べないことにします。




さて、本題に戻って、以上は、最初にお断りした通り、表面的な視点からのみ、「あくまでファッション的見地から」のみ見た「日傘」考です。
このエントリーのタイトルは「黒い日傘」なのですが、では、「日傘」から一歩踏み込んで「黒い日傘」について考えてみたいと思います。
言うまでもないことですが、黒い日傘の興隆は、「美白」ブームと関係あります。
美白ブーム、即ち、日焼けしない白い肌を尊ぶ流行が、「紫外線が透過する従来の白い日傘よりも、遮光された黒い日傘」の人気に火をつけたのでした。ごく初期はそれまでにはなかった「黒い日傘」というものに対して、「お葬式みたいで変」という声もありましたが、「美白」ブームに押されてやがてその声も小さくなりました。
この美白ブーム自体、それ以前に流行していた女子高生の「ガングロ」やら「ギャルファッション」に対する新たな価値観、という側面がありました。
美白ブームのアイコンは何と言っても、「美白の女王」と呼ばれた故鈴木その子氏です。あの不自然とも言える白塗りに、テレビ画面を通してでさえ病的に痩せたお姫様キャラの鈴木氏でしたが、「ガングロ」ブームの反動なのか、鈴木氏が体現してみせた「色白で痩せているお姫様キャラが美しい」という価値観が、没後15年が経とうとしているのに、今でも日本女性の理想の姿であるのは驚きです。
折しもこの夏、カネボウ「Blanchir」というブランドの美白化粧品による事故が明らかになりましたが、被害者の方の数の多さもさることながら、これだけの被害を出した背景はどこにあるのか?ということを詳らかにしたものを、まだ私は読んでいません、実は根の深い問題であるのに。
これはカネボウ一社だけの問題ではないと思うんですね。今、ドラッグストアで基礎化粧品を買おうとしたら、「美白」をうたっていないものを探す方が余程難しいくらい、どの製品も「美白」と「美白成分」をウリにしています。他社のものは、カネボウと違って安全なのでしょうか?っていうか、考えようによっては、「事故やクレームが起こっていない他社のものは、そもそも『白くなる』という効果がない普通の化粧水・乳液なのでは?」とも言えますけどね。
カネボウだけが特別なわけではありませんし、今回ショッキングな被害に遭われた方々だけが特別なわけではありません。日本の殆どの女性が、他の選択肢が殆どないほど「美白」化粧品を買い/買わされていること、そして、化粧品の口コミサイトには、今回のカネボウの製品を含めて、「すごく美白効果があるから、顔だけではなく首やら手にも使っています!」というコメントが山ほど寄せられていること、これらが、少々常軌を逸していることなのだと、そろそろ気付くべきではないでしょうか。

「Blanchir」というフランス語は、他動詞ならば文字通り「白くする」で、自動詞だと「白髪になる、年をとる」という意味ですが、いくら「白くする」と言っても、「塗るだけで肌が白くなる成分」というのは、それは最早危険な「化学反応」であり「漂白」ではないかと、私たち日本女性が気付くべきなんじゃないでしょうか。
産科の新生児室を見たことがある方ならわかるでしょうが、生まれたばかりの赤ちゃん、まだ太陽の光を1秒も浴びたことがない赤ちゃんが、産着にくるまれて何人も寝ているのですが、もう既にその時点で、色白の赤ちゃん、色黒の赤ちゃん、って感じで一人一人違います。色白の赤ちゃんでも、本当に真っ白な赤ちゃんもいれば、黄味がかった(黄疸にかかっている場合もあるでしょうが)赤ちゃん、赤味がかった赤ちゃん、それぞれです。私たちは生まれた時の肌よりも白くなれるものなのでしょうか?色の白さは、既に遺伝的に決まっていて、顔にいくら「Blanchir」という名の化粧品を塗りたくっても、生まれた時の肌、親から遺伝的に受け継いだ肌よりも白くはなれないことを、理解すべきなんじゃないでしょうか?


日焼け止めクリームを塗ったり、長袖を着たり、という程度ならまだしも、街の景観にもダメージを与えかねない異様な装束で、本人がほんの数分頭上の太陽を遮る以外にはメリットがなく寧ろ周囲の人には迷惑をかける黒い日傘で、どこまで「美白」を目指すのか?どんなに頑張っても行き着く先は「生まれた時の肌」「親から受け継いだ肌」、しかも「値引き状態」(経年劣化がありますから)の肌の白さがせいぜいなのだ、と、ここで自覚しなくてはなりません。身も蓋もなく言ってしまうと、何十年も深窓のベールに包まれている自分の「お尻の肌の色」よりは白くはなれない、ってことです。

そして、言うまでもなく、私たち日本人は黄色人種であり、そりゃ人生の殆どを白人と同じ洋服を着て過ごしている今の時代にあっても、どんなに頑張ったところで、私たちは白人の肌の色にはなれないのです。
数年前のことですが、友人が折角パリに行くのだからフランスの某化粧品会社の美白ラインの化粧品を安く揃えようとリストを作っていざパリのデパートに行ったところ、その美白ラインが見当たらない。見当たらないので、店員(白人)に聞いたところ、「それはフランスでは売っていない。日本と中国向けの製品である。」と、側にいた他の店員(黒人)と一緒に馬鹿にしたように言われた、とのことです。それから数年経ち、今じゃフランスの化粧品会社もチャイナパワーを無視できないでしょうから、お金をどっさり持った中国人観光客相手にパリのど真ん中でも「美白ライン」をじゃんじゃん売っているかもしれませんが、白人から見たら、「黄色人種が肌を白くしたがっている」というのは滑稽なことでしょうし、黒人から見ても同様でしょう。
黄色人種である日本人は、日本人なりの美意識で以て、衣食住にわたる伝統を作ってきたわけで、例えば、白人の輝くばかりの肌を持った白皙の美女が着物を着ても、それは「着物が似合う色白の肌」ではない、全く着物が似合わない、ということはおわかりになると思います。「着物が似合う色白の肌」というのは、黄味がかった、透明感がない、くすんだ、マットな肌の色なのです。繰り返しになりますが、そういった肌を保つために、異装や黒い日傘なんて必要ないのではないでしょうか。そこまで偏執狂的に「美白」しなくても、日焼け止めや長袖のお洋服で、お尻の肌の白さくらいは保てるのではないですかね。更に、メーキャップという最終兵器もありますし。



ファッション的見地と、「美白」的見地以外に、「黒い日傘」ブームに関係しているものとして、「紫外線は健康に悪影響を及ぼす」という最もなお説があります。
そうなんでしょう、前述の「美白化粧品」にも「紫外線A波B波は、云々」という説明書がついていますし、日傘や帽子にまでも「紫外線がいかに危険か」という宣伝文句がついていますから、本当に紫外線は身体によくないのでしょう。
じゃあ。
何で甲子園を禁止しないのですか?甲子園だけではなく、外でするスポーツ、学校の体育をはじめ、陸上競技、テニス、サッカー、等々に励む児童及び青少年は、買い物の行き帰りに日傘を差すオバサンよりも遥かに紫外線を浴びているはずなので、即刻禁止すべきではないのでしょうか?
全身紫外線防護服で、黒い日傘を差して夏の街を歩くオバサンは、彼らのことには考えが及ばないのでしょうか?
それとも、それくらい紫外線を浴びても大したことない、本当に危険ならばとっくに政府が禁止しているはず、ということに気がつかないのでしょうか?
はたまた、実は皮肉なことに皮膚がんのリスクが高いのは日焼け賛美の白人であり、日本人の部位別がん死亡率では女性の場合、皮膚がんは上位から数えて20位に入るか入らないか、という事実は知らないのでしょうか?
そして紫外線による健康リスクを心配するのならば、福島の事故を起こした原発から汚染水が太平洋に垂れ流されていることやら、PM2.5が絶えず西から風に乗って日本上空に達していることに対しては、心配しはしないのでしょうか?


黒い日傘で、何から自分を守っているのでしょう?
黒い日傘の下の自分だけを守れればよいのでしょうか?
黒い日傘の外のことには、目を向けないのでしょうか?




私見ですが。