お茶の宗匠とルイ・ヴィトン

ルイ・ヴィトンと言えば忘れられないことがあるので、昨日のブランドバッグの話(続・お金を使わずお洒落に見える方法 ブランドバッグの正しい持ち方)に続いてもう一席(?)。

落語調になったついでに、話の枕は、茶道表千家というヴィトンとは縁もゆかりもなさそうなあたりから始めさせて頂きます。
私は表千家でお茶をやっていて茶歴はやっと10年を超えたか超えないかのあたりで、それはこの世界ではヒヨッコもヒヨッコ、組織の末端の末端、ヒエラルキーでいうと最下層となります。何せお茶の世界は、
60歳代は「若手」、
70歳代で「中堅」、
80歳代前半で「ベテラン」、
そして80歳代後半になってやっと「大先生」
と呼んでもらえる世界ですから。話がぐぐっと逸れますが、最近新聞の投書欄などでも年配の方が「最近は年寄りを尊敬する気持ちが薄れているのではないか?年寄りをないがしろにしているのではないか?」と嘆いていらっしゃるのをよく見かけますが、そういう向きには是非とも茶道の世界を知って頂きたい!と思います。この世界では、今も昔と変わらずに、年長者の言うことは拝聴され尊敬されます。しかし、そうであるのは、一つの「道」に何十年精進していらしたことが滲み出るからであって、無条件に敬われているわけではないのですけれどもね。
さて、知っている人は知っているけど知らない人は知らない(←当たり前)と思いますが、表千家では、年に2回、「全国大会」というものがあります。いわば、お茶の世界の「国体」のようなもので、各県を順繰りに回っていくのですが、それは決して「お点前の茶筅を振る速さを競う」とか「濃茶を連続何杯まで飲めるか」の団体戦個人戦が行われるわけではなく、各県にある表千家支部が、当地のお寺や有名な茶室で茶席を持ち、それを目当てに全国からお茶の先生方、並びに弟子、並びに茶人と数寄者が集まる、という会ですので、念のために申し添えておきます。
さて今を遡ること何年前でしょうか、私の住まいする県にてその国体、じゃなかった、全国大会が開かれたのであります。しかも、私が師事する先生が、支部として設ける茶席の中の一つを担当なさることになったのです(言い添えておきますと、それはこの世界ではすっご〜く名誉で晴れがましいことなのです)。勿論最下層の私も社中(お茶の世界では一人の先生に習う弟子を総称して「社中」という)の末端のお手伝いとして参加致しました。いよいよ翌日が国体開会式、じゃなかった全国大会の初日(大抵2日間に渡って開かれる)、という日、私たち社中一同は、会場となる茶室で翌日の準備に大わらわでした。春の日が少し夕刻に傾いた時刻、茶室の入り口に立つ、一見その「和」の場にそぐわない、スーツ姿の紳士の姿がありました。鉄紺に近いネイビーブルーの背広の上下、シャツは白でネクタイも地味な紺色なのだけれども織のせいなのか光線の加減によって光沢が僅かに出る生地のもの、靴は磨き上げられた黒。私がそれまでの人生の中で見た最高にダンディーで渋いこの紳士は、実は、翌日の大会の茶席の検分に京都から来られた「宗匠だったのです。ちなみに「宗匠」というのは、お家元だけを指す言葉ではなく、門下の高弟で地方などに出向いてご指導なさる方々のことを言います。そのダンディーブランメル宗匠*1は、茶室のお道具の設えなどを予め見にいらっしゃった、という訳です。お付きもお連れにならずお一人で京都から新幹線に乗られてそのままふらりと来られたということでした。と、紳士の後ろには、Louis Vuittonのダミエ(Ebene)のトローリーが!

(↑この中に、お着物などが入ってるのですね。)
何て素敵なんだろうと思いました。ダミエのチェック柄って実は市松模様にも通じますよね。流石、京都人。茶道という日本文化の極致に関わりつつ、美意識はこんなにも柔らかくていらっしゃるのだと心底感服してしまいましたね。ヴィトンの温暖化防止キャンペーン広告で、カトリーヌ・ドヌーブゴルバチョフソ連元大統領やショーン・コネリーフランシス・コッポラ、キース・リチャードが出たものがありましたが、私はこの宗匠こそヴィトンの広告にご出演されても全く遜色のない方、いや、彼ら以上に深みと凄みとインパクトを与えることができたのではないか、と強く思っています。また機会があれば、是非ルイ・ヴィトンは、この宗匠を広告に起用してほしい、と思っているのですが。「環境を考える」というテーマから言っても、お茶の世界はぴったりだと思うのですが。
ショーン・コネリーの広告写真を撮った時のメイキング映像を貼っておきます。ショーン・コネリーに対抗できるのは、あの宗匠だけ!

*1:参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・ブライアン・ブランメル