とても大事なことは、相談してはいけない 「集中点検会合」のニュースを読んで 雑感
相談する、というのは難しいものです。
AにするかBにするか、で迷っている時、誰かに相談するとします。
その相談相手が「Aでしょ!」と答えてくれたとします。
けれども実は相談主の私は心の中では「Bの方がいいんじゃないかな〜」と思っていたとしたら、迷っている問題に加えて更に厄介な問題を抱えることになります。
私が「A」を選べば問題はないのですが、どうしても「B」を捨てきれずに結局は「B」にしてしまったとしたら?
時間を割いて親身になって相談に乗ってくれた相手は、私が「B」を選んだと知ったら、いい気持ちはしないでしょう。
私としても、重大な問題であればあるほど、相談相手の顔を立てるだけのために「A」を選ぶのは、後々後悔しそうです。
とすると、何がいけなかったのか?
相談したことがいけなかったのです。
重大な問題であれば、自分だけで悩み抜いて、自分だけの責任で決断しなければならなかったのです。
勿論、相談相手が、私がひっくり返っても思いつかないような妙案Cを考えてくれる可能性もあります。
妙案Cで全て解決!というのならば問題はありません。
しかし、妙案Cを聞いておきながら、回り回って結局は妙案Cを選ばなかったならば、やはり相談相手との関係は難しくなるでしょう。
コミュ力を発揮して、「あなたがCと勧めてくれたことは感謝しているけれども、これこれこういう理由で、Bにしたので、よろしく。」という高度な根回しをしたところで、相談相手がそれを理解してくれる保証はありません。
つまり、何がいけなかったかと言うと、AやBだけでなくCまでもひねり出すくらい私自身がその問題について考え抜くことをせずに、「相談」という、自分に対しても相談相手に対しても無責任な方法に頼ったことがいけなかったのです。
「相談」というのは、自分が100%自信がない答を正当化してくれる都合のよい便利なものではありません。
他人に背中を押されてやっと決断できる、というのは、本当はまだ十分に考えが尽くされていないのです。
まだ熟考が尽くされていない時に、誰かに「相談する」というのは、実は危険なのです、自分にとっても、相談相手との人間関係にとっても、そして迷っている当の問題の真の解決にとっても。
というようなことを、長らく人間をやってきてやっと学びました。
私が未熟で安易に誰かに相談して、結果自分の首を締めることになったり、相談相手に申し訳ない結果になったり。
逆に、長電話で親身になって相談に乗ったのに、後で聞いてみたら、私が相手にアドバイスしたことと全く逆の方向に物事が進んでいて、さすがに「あの長電話は何だったの!」と言いたくなる経験をしたりして。
また。
よくビジネス関係の読み物で、「トップは孤独だ」という言葉を見かけます。
以前はこの言葉の意味は、「トップは裸の王様のようなもので、誰も諌言してくれる人がいない」ということだと思っていたのですが、別の解釈もあると思います。
何か決断しなければならない時、トップは誰かに相談してはいけないのです。
勿論、決断する前には、部下から様々なケースを想定したシナリオが幾つも上がってきていることでしょう。
けれども、最後は誰にも相談せずに、一人で決断を下さねばならないのです。
っていうか、あらゆる可能性を加味してあらゆる選択肢を考え尽くして、たった一つ、「これがベストだ」というものを、自分だけで選ばなければならないのです。
自分一人で決断すれば、その決断に至った理由を説明できます。
そして当然責任はその選択をした自分一人が背負うのです。
一人で決断しなければ、結果が出た時に責任の所在が曖昧になります。
例えば部下の誘導やヨイショがなければできない決断、自分一人で責任を負う覚悟が伴わない決断、結果の責任が曖昧になってしまう決断は、問題解決の正しい答の導き方ではないのではないでしょうか。
孤独に耐えて決断できる人こそが、真のトップなのでは?
・・・と、「トップ」などとは過去も現在も未来も関係のない、市井のオバサンが思ったことです。
というようなことを思い浮かべたのは、先週一週間にわたって行われた、「各界代表や経済専門家ら60人から消費増税について意見を聴く『集中点検会合』」の記事を読んだからです。
この60人の方々を選ぶにあたっては、「バランスのとれた人選を行った」(甘利経済産業大臣)とのことですが、人選はともかく、わざわざ官邸に招いて意見を聞くまでもなく、それぞれのポジションから「消費税増税に反対か賛成か」というのは、或る程度想像できるのに、なぜわざわざこのようなセレモニーを行うのか?
各業界団体代表や、専門分野が経済以外の識者の提言は「予想通り」というものです。
しかし、そもそもこのように重要な経済に関する政策決定において、それぞれの団体や識者がそれぞれの立場で意見を述べたところで、絶対に意見が一致するはずもなく、どちらに転んでも不利益を蒙る団体は出るわけです。
問題は、経済の専門家の意見ではなかったのでしょうか、経済の問題なのですから。
この会合に招かれた経済専門家はそれぞれ持説を述べられたわけですが。
さてここで、前述の不肖わたくしによる「相談」理論を持ち出せば、
もし政府が来春からの消費税8%への増税に踏み切ったとすると、浜田光一・イェール大学名誉教授や本田悦朗・静岡県立大学国際関係学部教授は面目丸つぶれでしょうし、
逆に増税を見送れば、伊藤隆敏・東京大学大学院経済学研究科教授や土居丈朗・慶應義塾大学経済学部教授、岩田一政・日本経済研究センター理事長は立つ瀬がないことになります。
私などは、それぞれの意見にそれぞれ「そうなのか」と頷いてしまう節操のなさなのですが、それと言うのも、経済を専門にしている方々の意見が(しかもこのような重大な問題に関して)、下々にもわかりやすい形で比較が簡単にできるように示されたことがなかったからではないかと思うのです。
どうせならば、「エコノミストの部」と「経済学者の部」に分けて、それぞれ自分の名前を背負ってバンバン討論して頂いて、それをyoutubeでもニコ動でも中継して、国民に開示してほしかったですね。
だって、どちらにしてもそう遠くない将来に結果は出るのです。
経済学は、とかく「机上の学問」と言われてきましたが、今回ばかりはどちらかに結論が出るでしょう。
来春から8%に増税して、「元のデフレ・不景気に逆戻り」になるのか、「デフレ脱却に影響なく増収」になるのか、
来春から8%への増税は見送って、「ちゃんとデフレが収まる」のか、「財政不安が増し長期金利が上昇する」のか。
数年後結果が出た暁には、エコノミストや経済学者の方々が名前を出して持説を展開した2013年8月末の討論会の模様を、再度国民はじっくりと見なければなりません、その時日本がどんな経済状況になっているとしても。
安倍首相は「A」と考えているのか「B」と考えているのか、それとも自身では思いもつかなかった妙案「C」を期待しているのか、そして、巷間の人間関係においてさえ難しい「相談」ですが、「集中点検会合」という名の相談を一週間に渡って行って、これをどう捌くつもりなのか。
そして、又しても前述の不肖わたくしの「トップは孤独」理論からすると、安倍首相は10月の半ばには結論を出さなくてはならないというのに、こんな時期に、これ程重要な問題に関して、今更意見を聴いている場合ですか?ということになります。
ゴルフ三昧の夏休み以前に、この会合を開くべきではなかったかと。
出し尽くされた意見をもとに、限界まで考え抜いて決断するというのならば、公務にあたりながら(外遊あり、オリンピック招致が決定されるというブエノスアイレスにも行くそうです)のこれからの一ヶ月そこらの時間ではとても足りないでしょう。
逆に、もう腹が決まっているのならば、この集中点検会合とは茶番でしかないでしょう。
賛成派の方々と反対派の方々、どちらの渾身のプレゼンも単なるセレモニーに使われただけだったということになります。
否、「各界の意見を聞いた」というジェスチャーだとしたら、まだマシと言わねばなりません。
日本のこの先の経済に重大な影響を及ぼす決定であるのに、その決定の責任の所在がうやむやになりかねないものとしての、大掛かりな「集中点検会合」であったのなら、安倍首相の決定に将来を委ねるしかない国民としては、不安の極みです。
願わくば、既定とされている2020年オリンピック東京招致が決定したお祭り騒ぎの中で、どういう見通しで増税をするのか/しないのか、政策が失敗した時には誰が責任をとるのか、が曖昧なまま、ふわふわとずるずると、気がついたら決まっていた、ということになりませんように。