2013年「浪人」考

以前「父、祖父の代から3代にわたって東京に住んでいる」という知人に聞いた話です。
3代にわたっているのは東京住みということだけではなく、3代にわたって東大出身で、その他親戚中に東大卒がゴロゴロいるんだそうですが、皆が皆現役で合格したわけではなく、浪人を余儀なくされた人も少なからずいて、浪人が決まると予備校に通うのに便利な東京のお祖父さまの家に下宿して浪人生活を送っていたそうです。玄関脇に北向きの三畳間があってそこが「浪人部屋」となっており、家人であった伯父・叔父も浪人が決まると、それまで勉強していた2階の日当りのよい自室からその三畳間に引っ越しをして1年間受験勉強に励んだとか。田舎の親戚も同様で、浪人が決まって上京すると、入試の時に泊めてもらったお座敷ではなく(昔は受験生はホテルなんかには泊まらなかった)例の三畳間に布団が運ばれて、過去の住人が残した参考書などのあるその部屋で勉強し、そこから予備校に通ったそうです。知人は幼い頃祖父の家を訪れた時、もうその部屋に籠って勉強する浪人生もいなくなり半ば物置のようになっていたのに、その浪人部屋が怖くてたまらなかったそうです、「何だか、浪人の怨念というか、妖気が漂ってくるみたいでさ。」
昔の浪人は妖気を発するくらいの迫力で受験勉強していたのでしょうか?予備校生でも茶髪にしたりお洒落に気を遣うのも当たり前、見た目は大学生とは変わらないようなカジュアルに浪人できる今では想像できませんし、妖気を発する浪人生などもう絶滅しています。今じゃ、浪人するにしてもわざわざ上京する必要もなく、大手予備校のチェーン店が日本全国あちらこちらにありますし、東京の本校での有名講師の授業を、videoだけではなく、リアルタイムの実況中継で聞くこともできます。

もう一つ80年代の思い出話、男女雇用均等法以前の話ですが、当時は就職において不利な三要素は「女子、浪人、下宿」だと言われていて、この三要素を全て兼ね備えていると、例えどんなに優秀であってもいわゆる一流企業から内定を貰うのは不可能な時代でした。今は「女子、浪人、下宿」なんて何の問題にもならないでしょうし、女子の浪人も全く珍しいことではなくなりました。


しかし。
今は今の「浪人中のツラさ」というものがあります(それは後述します)、否、それ以前に「浪人すべきか否か」を決めるにあたって昔とは違った状況も考えなければならないのです。

浪人というのは、本来は、人生において一番やる気に溢れ一番体力のある年齢である大学1年生であるはずの18歳〜19歳の時期に1年学年が遅れることです(便宜上、一浪を前提にします)。浪人したからといって第一志望に合格する人ばかりではありませんが、合格した人も不合格で第二志望以下に進学する人にとっても、この「1年遅れる」ということは共通です。この「1年」というのが、親の世代とは違って結構後々までひびいてくるのです、今は。

「親の世代」即ち1980年代に学生生活・就職活動を行った世代は、大学は「レジャーランド」、就職活動は完全なる「売り手市場」で、企業が内定を出した学生を他の会社に採られないようにするために学生を集団で拘束して「グアム旅行」や「温泉旅行」に強制的に連行する、なんてトンでもない話が仄聞された時代でした。一旦就職してしまえば「終身雇用」が約束されており、仮に大学入学にあたって一浪すると終身雇用の生涯賃金の最後のところの1年間の給与がマイナスになる訳ですがそんなはるか先のことなんて誰も心配しませんでした。学生時代に留学する大学生はごくごく稀でしたし、マスプロ授業で単位を落とす心配もなかったので留年も余程のことがない限り(雀荘に入り浸りで試験を受けなかったとか)聞いたことがありませんでした。ましてや「就活留年」なんて存在しなかった時代だったのです。


今の状況で、浪人以外で、大学に入学してから「1年遅れる」可能性を幾つか。


《留学》
さて、大学生の内向き化、とか、日本から海外に留学する大学生数が2004年をピークに減少中、とか言われていますが、実はそうでもなく、「グローバル化に対応」とか「語学力」を武器にする就活をにらんで留学したいと考えている学生は増えている気もしますし、確かに留学する大学生数は「減少中」ですが、そもそも少子化で大学生の数自体が減っており、同世代の人口1000人に対する留学する大学生の数は「横ばい」即ち、ピーク時の2004年で高止まりしています*1。増えていないのは、学生が内向きになったとかではなく、リーマンショック後の親の懐具合が原因かもしれません。
大学在学中の「留学」(海外の大学で学位を取るのではない留学)でも、浪人と同様1年遅れる可能性が高いです。勿論大学や学部によっては海外の大学で取得した単位を認定してくれるところもありますが、用意周到に準備して、留学先でも必死で勉強して単位をとって、尚且つ帰国後に大学に単位を認定して貰う必要があります。つまり、現役で入学しても留学すると、「1年遅れる」可能性は低くないのです。
一方、浪人して1年遅れている場合、留学してしまうと更に1年遅れて合計2年遅れる計算になります。
「大丈夫、就職は合計2年遅れまでは不利にならない」という意見もありますが、「1浪1留」「2浪」「2留」の学生が、「現役」(留学しても4年間で大学卒業」や留学して「1留」の学生よりも有利にはならないでしょう。
「浪人」しても1年、「留学して留年」しても同じ1年、同級生よりも卒業が遅れます。浪人したから留学を諦めるか、浪人して更に留学もするか。実は浪人することに決めた時には、大学に入学、否、第一志望に合格するところまでのイメージしかないと思いますが、現実の大学生活は、第一志望であるか第二志望、第三志望であるかに関係なく、「1年遅れて」大学に入学したところから始まるのです、その時には、浪人と留学とを天秤にかける時機を逸してしまっているのですが。


《留年》
単位が足りなくて「留年」というのも今はそう珍しいことではありません。前述したように親の世代が大学生だった頃は「レジャーランド」と呼ばれた大学生活ですが、今は全く様変わりしています。「授業には殆ど出ないで、試験の前にチョロっと勉強すれば単位がとれる」「答案用紙に『単位下さい』って書いたら単位貰えた」なんてことはありません。語学をはじめとして毎回出席を取る授業も多いですし、学期末の試験だけではなく、「中間テスト」や「小テスト」を実施して、それらの総合評価で成績をつけるところが殆どです。ですから、大学生になってちょっと気を抜いてサボっていたり、サークルに熱心に取り組みすぎたり、病気をして数週間授業に出られないだけで、必修単位を落として「留年」になるリスクは一昔前より大きくなっています。たったの2単位落としても、1年間卒業が遅れることになります。


《就活留年》
そしてこれも「留年」の範疇に入るのですが「就活留年」というのも昨今は少なくないのです。「内定が貰えない」「内定を貰ったけれども納得できる内定先ではなかった」という理由で、本来は卒業できるはずなのに故意に数単位落として留年して卒業しない学生がいます。卒業してしまうと「新卒」として就職活動できなくなるから、だそうです。


《その他の留年》
資格試験、国家試験、公務員採用試験、院試に挑戦する場合も、納得できる結果が得られなくて故意に留年するケースも少なくありません。厳密には「留年」ではありませんが、最近聞いたのは、法科大学院に進む場合、学部で法学部出身者でも「既習コース(2年)」の試験に落ちてしまって仕方なく「未修コース(3年)」に進む学生もいるそうです。「留年」ではなくても1年遅れることになります。


上記のような状況に半信半疑ならば、とてもよい例があります。
直木賞をとってすっかり有名になった、朝井リョウ氏の「何者」という小説

何者

何者

があるのですが(直木賞受賞直前に私も書評のようなもの→ 朝井リョウ著「何者」の、ネタバレをぎりぎり回避した(回避できてないかも?)感想 を書きました、直木賞は予想できなかったのですが。)、この小説の登場人物たちは正に上述したような状況なのです。語り手である主人公は「就活留年」、二人の女子学生は「留学」で1年遅れ、主人公のルームメイトはサークル活動にのめりこんで単位を落として「留年」、女子学生の一人の彼氏は休学していて「留年」。皆「1年遅れた」状態で就活に取り組んでいます(彼らが「浪人」しているかどうかはわかりませんが)。
つまり、大学に入学してから「1年遅れる」という状況はそんなに珍しいことではない、ということを先ず受験生は勿論、親も理解しておくべきではないかと思うのです。

大学入学前に「浪人」をして既に「1年」を使ってしまったら、大学に入学した後の選択肢が限られるということ、一浪後に大学に入学してからは更に状況をよく考えて一層刻苦勉励しなければちょっとしたことでもう1年遅れてしまうリスクが今は多いこと、を言いたいのです、予備校の先生はそんなことは言ってはくれないと思うので。



私も本当ならば、若い人々には、「若い頃1年2年遅れたって、長い人生から見るとどうってことない!行きたい大学があるのならばもう1年頑張って挑戦してみれば?」と言ってあげたいです。しかし、浪人したからと言って希望した大学に入れる保証がないことだけではなく、大学卒業時に待ち構えている企業や社会では依然として「年齢」を見られる現状を鑑みるとそうは言えないのです。

そして私はどうしても親の立場に立つので、親の経済的負担にも言及せざるをえませんが、浪人することにも、入学してからの大学生活にもかなりの経済的負担を強いられるのが、今の日本です。
予備校に1年通えば、公立高校に1年通うよりも遥かに膨大で、私立高校に1年通うよりも多額の授業料がかかります。「いや、浪人して国立大学に合格すれば、予備校の授業料を合わせても現役で私立大学に4年行くよりも学費は安くつくから浪人する価値はある」という意見もありますが、これは一概には言えません。前述したように、留学するにもお金はかかります。例え交換留学(通っている大学の授業料を払えば留学先の授業料は免除)をしても生活費はかかりますし、帰国して1年遅れればその分授業料はかかります。単位が足りなくての留年、就活留年の場合も同様です。国立大学に行ったからと言って、絶対に私立よりもお金がかからない訳ではないのです。元々日本の国立大学の授業料は、私立大学に比べて破格に安い訳ではないですし。
例えば今は、東大の文一に入学しても、大学の1年生から「伊藤塾」などダブルスクールに通って法曹を目指す学生も少なくありません(ダブルスクールの学費はググってみてください、卒倒しないように)。会計士などの他の資格予備校も同様ですし、恐ろしいことに今は「就活塾」「就活予備校」「院試塾」のようなものまであるとか。
大学に入学するまでの、本来は義務教育である小学校や中学校時代にも膨大な塾の費用を払い、進学校の私立高校の授業料を払いつつ塾や予備校にもお金を払ってきて(今思えば、民主党の「高校授業料無償化」は偉大でした)、浪人する場合は予備校にも更にお金を払い、やっと大学生になった!と思ったら、どこまで続くぬかるみぞ、まだまだ続く親のイバラの道!!!
私はドイツに住んでいた時に聞いて仰天したのですが、長らくドイツでは大学の授業料がタダ!だったんだそうです、何年在籍しても。流石に近年国家財政が厳しくて、州によっては(ドイツは地方分権の国)各学期(2学期制)ごとに授業料を徴収することにしたのだそうですが、それに反対する学生の大規模なデモに遭遇した時には、学生が断固反対している「授業料」の金額が「一学期(たったの)500ユーロ(1ユーロは偶然にも当時も今も120円くらい、つまり60,000円!)」と知って、我が母国日本の大学の学費を思って、腹が立ってきたほどです。第二次世界大戦後、同じ敗戦国から出発して、この差は何?日本はこの先どんなに頑張っても、大学の学費がタダになることはないと思うと。ちなみにフランスの大学もドイツと似たようなものだそうです。
日本を愛する私としては嘆いていても仕方ないのですが、子どもの教育費、就中、高等教育にかかる多額の費用を親が負担しなくてよいのならば、消費税20%でも払えますよね、ドイツ人だってフランス人だって。そういうこと抜きで、政治家や財務省の言う「日本も欧米諸国並みの消費税率」もないもんだと思いますが。


親の立場の愚痴はこれくらいにして、さて、2013年版の「浪人中のツラさ」について。
「浪人部屋」など無くなってしまい、お洒落でカジュアルな浪人生活に見えるかもしれませんが、今の浪人生は、携帯、ゲーム、PC、Twittermixifacebookに囲まれています。これら全部を遮断しての浪人生活など今は存在しません。
私立大学の合格発表は大方終盤を迎え、来週からは国立大学の発表が始まると思いますが、合格した受験生はすぐにTwitterで呟き、mixiに日記を書くでしょう。不合格で浪人が決まった受験生にもその情報は望まなくても流れてきます、読みたくなくても読んでしまいます。検索だって簡単にかけられます。
4月になれば、尚更です。大学に入学した同級生は、入学式や入ったサークル、学科の友人とのコンパ(←未成年ですからノンアルコールでお願いします)の写真やコメントをfacebookにこれでもかと上げてきます。見なければよいのですが、手元には携帯もありPCもあります、見てしまうのです、そして親が知らないところで傷つく。けれども何もなかったように振る舞わなければならないツラさ。これはのどかなアナログ時代に育った親世代は経験したことのないものでしょう。
そのツラさを、殆どSNSとは無縁な親の環境の中で例えれば、企業に勤めていて最近肩たたきされかかっていて次の職場探しが難航しているお父さんの携帯に、知り合いから「役員昇格なう!」というツイートが入ったり、PCを開けた時にfacebookで知り合いが「本部長になった祝いに家族でハワイ旅行に来ています!」とダイアモンドヘッドを背にした写真を上げているのをつい見てしまったり(facebookは実名なので、愛人と銀座のフレンチレストランでディナー、の写真はさすがにアップしませんが)、というくらいの破壊力のあるツラさではないでしょうか(お母さん版はもっと壮絶になりそうなので省略)。
こんな酷薄な環境の中での1年間にも及ぶこれからの浪人生活です、繰り返しになりますが、しかも浪人したからと言って来年第一志望に受かる保証はどこにもないのです。その中で頑張るしかない今の若者が不憫で不憫で。



一方昔と変わらず、「浪人中」ではなく、浪人して大学に入った後のツラさ、というものもあり、それは浪人して見事第一志望に合格しようが、浪人しても第一志望が不合格で第二志望以下の大学に進学することになっても同様に起こることであり、例えば現役で1年早く大学に入学した同年齢の学生を「先輩」と呼び敬語で話さなくてはならないこと、本来は年下である現役で入学した大学の同級生からタメ口で話されることが日常になること、何かの折に「えっ、浪人してるんだ。」と言われること、1年のブランクは体力、運動能力的にはかなりキツいこと、成人式が大学の同級生とはズレること。←これらは以前よりあることですから今更書くこともないでしょうし、これしきのことを覚悟していなければ、そもそも浪人してはいけません。



2013年3月、「浪人」をどう考えていけばよいのでしょう?
医者になるのが目標ならば「医学部に行かなくてはどうにもならない」のですから、現役で医学部に受からなければ何年でも浪人するしか選択の余地、再考の余地はありませんが、そういったケースを除いて、今、大学や学部、浪人するか/現役でいくかを考える時、一昔前のように「大学に入るところまで」しか考えずに決断することは、将来の選択肢を却って狭めることになりかねません。もう一度、大学入学後のその先を見て、様々な可能性を考えてからの決断が必要ではないでしょうか?


大学生活に望んでいることは何なのか?憧れの大学での楽しいキャンパスライフなのか?残念ながら、今は大学3年の12月から就職活動が始まり、実際は3年の夏休みからインターンシップなどの活動に入る学生もいる現状では、その夢のキャンパスライフも実質2年とちょっとです。その2年とちょっとを手に入れるために、今1年間浪人する価値ありますか?
「その」大学に行かないと、希望する就職はできないのか?東大生だって慶大生だって、ES落ち、面接落ちします。有名大学に入ったからと言って希望する就職ができるわけではありません。また資格を取ることを目指しているのならば、「大学名」は貴重な1年を浪人に費やすほど大事ですか?資格試験も難関であり一回の受験で合格できずに何度も受験している人も大勢いるのです、「浪人」という足踏みに1年使うよりは、資格試験の勉強を1年早く始めた方が前に進めるのではありませんか?
留学することが夢ならば、大学の名前やランクだけではなく、どういう留学制度があり、海外のどこの大学と交換留学できるのか、をよく見ることも大事でしょう。浪人してステップアップするのと、大学在学中に留学してステップアップするのと、どちらが自分にとってよいのでしょうか?



今日の夜の(多分)ローカルニュース。
日本に留学している外国人学生相手の就職セミナーのようなものをテレビで報道していました。
彼らを採用しようとしている企業の担当者が「語学を活かして即戦力で働いてほしい」と言えば、留学生彼ら自身もが流暢な日本語で「母国語の他に英語も日本語も出来るので、それを活かして日本の企業で働きたい。」と、目を輝かせて答えていました。
今、日本の大学生が社会で競わなければならない相手は、正に彼らであり、やれ旧帝やら早慶やらMARCHやらがどうとかこうとか予備校が勝手に作ったランクみたいなそんな矮小なことに関わっている余裕などないのではないかと思います。
2013年、人生の岐路に立った18歳の若者が、10代の終わりから20代にかけての貴重な時間を何に使うのかどう生きるのか、納得のいく選択をしてほしいです。