「13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。愛を込めて。母より」に関して、日本のおふくろ的雑感

13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。愛を込めて。母より(Hana.bi)-BLOGOS(ブロゴス)


この記事は、ネット上で賛否両論を巻き起こしました。


賛成意見は多くの「素晴らしい」というブックマークを見ればわかりますが、一方「過保護」「気持ち悪い」という意見も目立ちました。例えば以下のお二人。
支配者は、一見正しく愛情深そうな人に見える
iPhoneの使用契約書の記事を読んで感動する人は親になる資格などない。


私はというと、ついこの間までティーンエイジャーの子ども二人がいた(今は成人しました)立場から言うと、この「契約書」を書いたJanell さんというアメリカの母に大いに共感する部分もありましたが、日本語に翻訳された文章には違和感を覚えました、プラスこの件全体に対して何だか理解できない違和感も。
Janellさんが書いたブログを直接読んで、文章に対する違和感は99%解消されました。このブログを日本語に翻訳して紹介して下さったAkira Uchimura氏には申し訳ありませんが(親と子と携帯の在り方に一石を投じて下さったことには感謝します)、翻訳の文章を読んで誤解されている部分も大きいと思います。「過保護」「気持ち悪い」と非難している方々も、文章に関しては、原文を読むと随分印象が変わる方が多いのではないかと思うんですが。特に、非難されている部分こそが、翻訳が微妙なところに当たるので。

原文:Gregory's iPhone Conatract | Janell Burley Hofmann


先ず、契約書に入る前の部分ですが(以下、黄色斜字はUchimura氏の翻訳と原文の引用)、

私の親としての仕事も分かって欲しい。あなたを健康で豊かな人間性を持った、現代のテクノロジーうまく活用していける大人に育てなければならないといことを。

この訳には大事なことが抜けています。本文では

I hope that you understand it is my job to raise you into a well rounded, healthy young man that can function in the world and coexist with technology, not be ruled by it.

となっており、最後の「not be ruled by it.」つまり、「テクノロジーに支配されるのではなく」という部分が抜けているのです。今現在ティーンエイジャーを持つ母親の方々ならば理解して頂けると思いますが、朝起きたら先ず携帯のチェック、朝ご飯の間も歯を磨く間も同じく携帯のチェック、「行ってきます。」と家を出て行く時も携帯から目を離すことなく、それは「ただいま。」と帰ってくる時も同じ、食事中もマナーモードにしてある携帯がブルブル震える度に気もそぞろ、気がつくと、トイレにこそは持ち込みませんが、お風呂に入る直前まで洗面所で携帯をいじっていたりする子どもを常日頃見ていて、「あなたは携帯の奴隷なの?」と言いたい親の立場から言うと、Janellさんは、この部分を強調したいのだと思うのです、これって「過保護」でも「気持ち悪い」ことでもない、真っ当なことだと思いますし、現代の日本のティーンエイジャーを持つ母親の心の叫びです。

さて、肝腎の「契約書」の条文ですが、のっけから一部の方の攻撃の的になった高圧的なこの文章なのですが、

1.これは私の携帯です。私が買いました。月々の支払いも私がします。あなたに貸しているものです。私ってやさしいでしょ?

原文はこうです。

1. It is my phone. I bought it. I pay for it. I am loaning it to you. Aren’t I the greatest?

「It is my phone.」という、誤解しようのない日本の中一の一学期学習レベルの英語の文章の次に、畳み掛けるように「 I 」を主語にした短い文章が続くのですが、「bought」という過去形、「pay」という現在形、そしてUchiyama氏の翻訳では現在進行形のように訳されていますが、実際まだこのiPhoneは息子Gregory の手に渡っていないのですから、「am loaning 」は現在進行形を使った未来として表されているのは、ちょっとした英語のレトリックであり、それを日本語に翻訳したら高圧的な感じになってしまうのではないかと思います。そして、その上での「Are't I the greatest?」なのですよね。この「the greatest」を日本語に訳すとどういうニュアンスになるのかは私にはわかりませんが、だからこそこの簡単な英文はこのまま読むとしたら、この文章は「あなたに貸しているものです。私ってやさしいでしょ?」というUchimura氏の翻訳のニュアンスとはかなり違って、Janellさんが自分のためではなくプレゼント用にiPhoneを買って、契約して、そしてそれをGregory に渡そうとしているJanellさんの今の決意(=「Are't I the greatest?」)みたいなものなのではないでしょうか?Uchimura氏の翻訳通りの文章ならば、私が13歳のGregoryであっても、先ずその文章だけで「うざっ!」ですけど、本文だと、印象はかなり違うと思います。
そして第2項、前掲の「iPhoneの使用契約書の記事を読んで感動する人は親になる資格などない。」を書かれた増田氏(「子には自分だけの空間が必要で、親がそれを奪うことは許せない」と主張されているので、完璧に子どもの立場からのご意見のようですが)に以下のように非難・慨嘆された箇所ですが、

パスワードを母に教えなくてはいけない、ということもありえない。
もうこの子が可哀想で涙が出てくる。 iPhoneの使用契約書の記事を読んで感動する人は親になる資格などない。

2.パスワードはかならず私に報告すること。

というUchimura氏の翻訳なんですが、これも本文だと

2. I will always know the password.

です。この意味は、
「親が常にパスワードを知っていて、子どもが寝た後iPhoneをチェックすることができる」
では決してなくて、
「今現在はあなたのパスワードを私は知らないし教えなくてもいいけど、私が必要があると思った時には、私はいつでもパスワードを知ることができる(私が聞いたら、あなたはパスワードを教えなくてはいけない)。」
ということだと思います。「will」の用法からしてそういう意味だと思いますが(自信なし)、何より親がパスワードを常に把握しているのならば、第10項や第12項のようなことをGregoryに諭す必要は全くないのですから。毎晩親に預ける携帯のパスワードを親が知っているのがわかっていて、ポルノを保存したり、友達を中傷する書き込みをSNSでしたりしないでしょう?つまり、この第2項は、
「あなたがiPhoneに何を保存し、iPhoneで何をしているかを日々干渉するつもりはないけど、もし何かあった時あなたのiPhoneを調べる権利は親にある。」
ことであり、これもまた真っ当なことだと私は思うのです、少なくとも、自分は操作方法もわからない携帯やスマホを子どもに無条件に与える親よりはマシです。


第3項以下は、Uchimura氏の翻訳でも誤解なく読めると思いますし、13歳の長男(彼は5人兄弟姉妹の一番上)に初めてiPhoneを与えるにあたって教え諭すという意味で、決して内容的には「過保護」「気持ち悪い」という非難は当たらないと思います、まあ一番上の子どもということで、以下4人の子どもにも影響することなので親の方にも多少肩に力が入っている感はありますけど。

「過保護」という言葉について、私なりの感想を述べておくと、「過保護」とはどこに基準をおくか、で違ってくると思うのですが、日本の親を基準におくと、確かに欧米の親は「過保護」だと思います。ヒゲの生えたティーンエイジャーの息子を車で迎えに行き、ハグしてキスしている母親なんてザラです、っていうかそれが普通。しかし逆に大学生の親向けの「就活講座」や「就活本」がある日本の親を見て、欧米の親は「過保護」と思うに決まっています。ティーンエイジャーの教育に限って言えば、欧米の親の方が遥かに子どもに対して「保護と支配」が徹底しているように思います。日本の親にはない使命感があるというか、Janellさんも前述のように「 it is my job to raise you into a well rounded, healthy young man (以下略)」と言っているように、子どもの顔色を伺ったり、子どもに「ありえねー」と言われたくないから子どもに日和る、ということはしないのです。「保護」という点では、例えば夜間の外出は女の子は勿論男の子であっても親の送り迎え付き、が徹底していますし、「支配」という点では、つい先日アメリカのテレビドラマ「グッド・ワイフ」

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をシーズン2まで観たのですが(NHKのBSでシーズン3放映中)、その中でも、16歳の長男が自室のパソコンでアダルトサイトを見ていたことを知ったヒロインは、パソコンのコードを引っこ抜き、居間に持っていき、「これからネットサーフィンはここでしなさい。」と言い渡すのです、そしてその16歳の長男はそれには従うのです。親が不在の時もあるので、抜け道はあるでしょうが(ドラマの中でも親の目を盗んで怪しいサイトを見ていたりしますから)、ヒロインと息子とは契約書こそありませんが、それこそ「このパソコンは私が買いました。プロバイダーとは私が契約しています。それをあなたに貸しています。」という状況ははっきりさせているのです。一方、ガールフレンドが家にやってきて、二人でパソコンを使って宿題をするのは認めています。っていうか、欧米の親は、子どもが異性を付き合うことを当然というか、肯定的に認めています。だって、それは「well rounded,healthy young man(woman)」になるためには、必要なことですものね。ただ、異性と付き合うことは肯定しても相手についてや付き合い方については(オープンだから誰と付き合っているかを親は把握)口を出すのも当然、という感じで、まさに「保護と支配」。翻って日本の親は、「ウチの子、彼女(彼氏)ができないの。」と口では困った風に言いながら、異性と付き合っている気配がない我が子に対して満更でもなさそうな母親がとても多いのです、親が知らないだけ、なんじゃないかと思いますが。そして以前も書いたことがあるのですが、欧米の親の「支配と干渉」は、子どもが大学生になるまでの期間限定なのです。映画「Toy Story 3」で、Andyが大学の寮へ入るべく荷物を詰め込んだ車を自分で運転して育った家を後にするように、大学生になると親元を離れ完全に自立することが可能な社会ですから、逆に親の方も子どもがティーンエイジャーの間は期間限定で、大学に入る前に何とか子どもを立派な大人に育て上げるべく「保護と支配」の子育てをするのでしょう。
親と子の接し方について、国や文化によって違いがあって当然だと思いますし、欧米風が良いとは必ずしも思いませんが、ことテクノロジーについては洋の東西関係ないわけで、PCやスマホSNSがある世界で育つ子どもに対する責任を親がどう考えるか、については日本の親も真剣に考えるべきだと思います。


とここで元記事とは離れますが一言言わせて頂きたいことがあって、Janellさんの契約書を翻訳して日本のネットユーザーに公開してくださったUchimura氏が、
13歳の息子へ、iPhoneの使用契約書みたよ。父からの秘密の助言書
というものを書いていらっしゃるんですが、これが最低っ!(失礼)の内容なんです(← 突然のdisり、お許しください)。
大体、父親と母親が言っていることが違う、ってどうなんですか?しかも母親がiPhoneを息子にプレゼントするにあたって例の「契約書」を作ったことを知ってて、こっそり息子にこんなメモを渡すなんて、この父親(Uchimura氏が創作したフィクション上の「父親」であっても)は何を考えているんでしょう?肝っ玉母さんJanellさんのこの契約書の内容に反対・疑義があるのならば、何故Janellさんと先に話し合わないのでしょう?コソコソと自己満足的なメモを息子に渡すくらいなら。こんなメモを息子に渡して、「俺って、物わかりのいいチョイ悪親父。」と悦に入っているなら大間違い!息子からは、「妻に面と向かって物が言えない情けない父親」と馬鹿にされるだけであり、蔭で妻を騙しているのですから夫婦の最悪の見本です。っていうか、仮面夫婦のような緩い日本の夫婦ならともかく、親子関係よりも夫婦関係が優先され、日々是決戦のような「愛が無くなったら離婚するしかない」と真剣に考えられている夫婦関係である欧米で、夫が妻を欺いてまで子どもに媚を売るか?という疑問が湧きますね。Uchiyama氏は

先週ジャンネルさんの13歳の息子に渡した使用契約書を訳してから日本で大反響があったようです。(私はいまチリに住んでいます)新聞やテレビにも出て、たくさんの親がこの契約書を参考に子供達へ渡してるのかと考えると、日本中の13歳を敵に回した気がする。

と書いていらっしゃいますが、それどころか、これが逆に英語に翻訳されたりしたら、全世界の母親を敵に回したことになりますよ。まあ、これはチリ在住とはいえ、日本人の方が書いている二次創作ですから、仕方ないと思いますけど、余りにも酷かったので一言。



さて、このJanellさんの契約書の内容は、テクノロジーの理解については子どもに遅れをとっているが故に無責任に無制限に子どもに携帯やスマホを与えている日本の親に、ガツンと警鐘を鳴らした(のでしょうか?)とも言えるのですが、それでも残る名付けることができない違和感・・・を日本のおふくろである私は拭えなかったんですね。

それが何なのか、は、彼女のブログに直接あたって、わかりました。この息子に提示した「iPhone使用契約書」が話題になり、テレビのインタビューまで受けているのは、勿論彼女がブログ*1に公開したからですが、そのブログが普通の主婦ブログやママブログではないのです。
学生時代に出来ちゃった婚して(その時生まれたのがGregory君)、少子化日本がスカウトしたいくらいの5人の子どもの母であること、そしてその子どもたち、夫、姉妹、両親についてアメリカ人らしく(?)すこぶるオープンに語っていて、「ブログには子どもの写真は公開しない方がいい」とか「住んでいるところも書かない方がいい」とかなんてまるで「何それ?」てな感じですし、極めつけは、これまでご自分が書いた文章で何かに掲載されたものが立派なポートフォリオになって載っています。加えて、文章の依頼や、ゲストスピーカーやワークショップの指導者としての依頼もブログで受けつけているようです。フツーの主婦が日々のつれづれを緩く書いたブログ(このブログのような)、では全くありません。
私が最初感じた違和感とは、「iPhone使用契約書」だか何だか知りませんが、息子との約束を(わざわざ)ブログに書くの?という違和感であり、このJanellさんの自己承認欲求に対する違和感だったのでした。
母親に対する厳しさでは数多のブロガーの中で随一であるyuka-uno氏に、前掲のエントリー( 支配者は、一見正しく愛情深そうな人に見える )で、Janellママは以下のように言われてしまっています。

例えば、「他人への思いやりから気を配る人」と「他人から嫌われたくないために気を遣う人」は違う。「子供に、子供本人にとってより良い道を歩んで行って欲しい親」と「子供に、親を安心させるための行動を取って欲しい親」は違う。「子供にとって良い親であろうとする親」と「自分自身を良い親だと思っていたい親」は違う。
(中略)
この「行動原理」、あるいは「裏メッセージ」とでも言うものは、一見普通の人、ともすると愛情深くて正しそうに見える人から滲み出る「ドロッ」としたもの、そんなふうに感じ取れる。
(中略)
何かしら滲み出ている「ドロッ」を感じたら、その人からはすぐに逃げたほうが良い。

そうなんですよね、yuka-ono氏から見たら「ドロッ」と何かが滲み出ている「自分自身を良い親だと思っていたい親」である「毒親」そのものに、Janellさんのことは見えるのでしょう。
ブログに息子とのプライベートなやりとりをネット上に公開し、それが有名になると息子とテレビのインタビューにも出ちゃうパワフルJanellママですからね。そのうちにインタビュー動画も立派なポートフォリオの一角を飾るのでしょうか?
スマホの操作さえ覚束ない日本のおふくろはついていけませんよ。



しかし。

Janellさんのブログの中をサーフィンしていると、段々とJanell色に感染してくるというか・・・。
まあ、ここまでやられてしまうと、もうあっぱれというか、日本の母など到底達することが出来ない高みにいるJanellさんには、「過保護」とか「気持ち悪い」とか「自分自身を良い親だと思っていたい親」とか「自己承認欲求のために息子とのやりとりまでネット上に公開する母親」とか、太平洋のこっち側の島国からどーのこーの叫んでも、きっと通じません(しかもJanellさんは太平洋ではなく大西洋に面した東部はマサチューセッツのセレブな別荘地Cape Codにお住まいですし)。
それよりも、彼女の「速さ」「パワー」は見習うべきかも、と思えてくるのです。
子育てとは、産んだ瞬間にストップウォッチが押されてカウントダウンが始まり、日々成長していく生き物である我が子をどうにか一人前にしてこの21世紀の世の中に送り出す仕事( to raise him/her into a well rounded, healthy young man/woman that can function in the world and coexist with technology, not be ruled by it. ← 前掲のJanellさんからGregory への言葉より)です。親がぐずぐずして何もしなくても、子どもは日々成長し、気がついたらスマホやPCを使い始めています。親が追いつけなくなって、あらあらおろおろと慌てる状態って、親の責任を果たしていると言えるでしょうか?
「速さ」が必要なのです。児童心理学者や教育者が書いた分厚い育児書を沢山読んで、世間のご高説を拝聴して、そしてそれらの総合知を結集してやおら子どもと向き合う、なんてやり方は今の時代もう間にあわないのではないでしょうか?疾走する子どもよりほんの少し速く走って道案内が出来なければ何の為の親なのか?分かれ道の決断では、知識や世間の有り様でもなく本能に頼って決断しなければならない場面も多々あるでしょう。そんな時に本能を肯定するパワーが必要であり、そして子どもが何のためらいもなく軽々と親を抜去っていくその日まで、親として責任を持って走り続けるのにはパワーが必要なのだと、このJanellさんのブログを読んでいると、ひしひしと感じさせられるのです。

親として携帯やスマホや携帯ゲーム機器を子どもに与える際に、何も考えないのが一番悪いことで、何もしないことがその次に来るのではないか、と思います。Janellママのように、息子との「iPhone契約書」をブログを通じてネット上に晒すパワーはなくても、一先ずは立ち止まって考え、自分の知識を総動員して子どもと話し合うべきでしょう。

Janellさんの息子のGregory君は13歳。日本だと中学1年生です。Gregory君もこれから大学に入り親の「保護と支配」を離れ自立する日まであとそう長くはない期間、ネット社会の中でのテクノロジーとの付き合い方を自分で学んで行くのだと思いますが、彼がどういう付き合い方を自分で見つけていくかはわかりませんが少なくともJanellさんは、親として最低限子どもに教えなくてはならないことは子どもに教えていることは確かです。
翻って日本は今受験シーズン真っただ中ですが、晴れてこの春中学生、高校生になる子どもに、「お祝い」の名の下に(携帯各社が手ぐすねひいて待っています)、何も考えることなく、親の責任を何ら果たすことなく、簡単にスマホが与えられないことを願うばかりです。