「3.11」後、子どもの学校どうしますか? ②


気がついたら、NHKの天気予報でさりげなく福島県地方の風向きの予想図が出たり、朝日新聞で毎日関東甲信越東北の大気中の放射線量観測値が掲載されているのが、いつの間にか「日常」になりつつある今日この頃。


昨日のエントリーに続いて、具体的に「3.11後」に、首都圏(私が住んでいるので)に住む親は、子どもの教育と安全をどう考えたらよいのか、思いつくまま書いてみます。
再度の確認ですが、首都圏は「3.11」の被災地ではない、私たちが恐れるべき地震はこれから来る、ということを念頭においています。
そうして、「懸念される首都圏大震災」と「いつ収束するかわからない、まだ予断を許さない福島原発事故とそこから放出される放射能」という二つのことを現実的に「想定」しなければならなくなってしまいました。
ヒステリックに過剰反応するというのではありません、寧ろ逆に今こそ冷静に考え直すべきなのではないでしょうか?今まで私たちは、「地震大国に暮らしている」ということからも「首都圏は東海村からは120km、福島第一原発からは200km、浜岡原発からも250km圏内にある」ということからも目を背けてきた、というか、考えたくないことから逃げていた、というか、思考停止になっていたわけです(その限りでは、国や東京電力と同じです)。
でももしかしたら、これから書こうと思っていることは、首都圏に限らず、地震大国、原発大国(技術はそうでもなし?)の日本ですから全国のどこに関しても関係することかもしれませんが。


3月下旬に横浜から京都へ行った時の新幹線の中、私の斜め後ろに3歳くらいの女の子を連れた若いママが乗っていて、3人席のもう一席を占めているサラリーマン風の男の人と話していたのですが、
「私の実家は埼玉で、今住んでいるのも埼玉なんですけど、ダンナは大阪の人で、余震も放射能も本当はそこまで心配しなくてもいいかもしれないんだけど、今二人目も妊娠中だし、周りがみんな声揃えて、『ダンナの実家行ってこい!』っていうから、大阪にしばらく行くことにしたんですよ。」
と喋っていました。
3月下旬、福島原発があの危機的状態で、首都圏でも既に買い占めがそこかしこで起こっていて、しかも東京の水道水が危ないだとか、そういう状態の時に、「妊婦」さんで、しかも小さな女の子がいれば、彼女と彼女の家族がした決断を「過剰反応」「被災地の人々のことを考えろ」と、批判することができるでしょうか。それから一ヶ月経った今も、状況は良くなるどころか、全く先が見えません。その新幹線の中の妊婦さんの言葉に、「幼稚園」という言葉が出てきていたので、一週間か10日ばかりおじいちゃんおばあちゃんに孫の顔を見せた後、その小さい女の子が通っている(通う予定の)幼稚園が始まる頃に埼玉に帰ってまた首都圏で生活しているのではないかと思いますけど。
私が子育て中には、そんなこと(地震放射能)なんて、考えなくてもよかったのでした、否、考えなくてはならなかったのですけど、目を背けているうちに、途轍もない幸運に恵まれて、その時期を無事に過ごしてしまっただけなのかもしれません。
もし今、私が小さな子どもを育てていてしかも妊娠中だったとしたら?この先の子育てをどう考えるのでしょうか?
色々と思いつくまま考えを巡らせてみました。一つ言えることは、今までの「思考停止」な考え方では、子どもを守れない、子どもの安全に関して親として責任を果たせない、ということです。そうしてつらつら考えたことが以下なのですが、キーワードは、
・身の軽さ(モビリティ)
・住んでいる地域(コミュニティ)の重要性
・教育費は重点投下(コストパフォーマンス)
でしょうか。



小学校
首都圏では、かなり以前より「お受験ブーム」というのが恒常的になっていて、それはゆとり教育にも大きな原因があるのですが、教育に対して意識が高く且つ経済的に余裕がある家庭ほど、小学校の時点で既に公教育に見切りをつけて、私立を受験させるケースが増えていたことは事実だと思います。けれども、今回の地震をきっかけにそれを見直すことも、今度こそ必要ではないでしょうか。
もうこれからはもし私立小学校に通わせたいのならば、お受験して合格後、子供が学校まで徒歩で通える範囲、またはバスで数駅の範囲に転居する、ということですね。もしそれが不可能ならば、そもそも受験することをやめるべきです。小学生の我が子を一人で電車を乗り継いで学校に通わせる、というのは、この東北での大震災を教訓にするとすれば、もしもの時のリスクが高すぎます。

また今後の様々な可能性を考えた場合、私立小学校に子供を通わせることは或る意味家族全員のモビリティを制限します。例えばまだ下に小さな弟や妹、特に乳幼児がいて、母親と共に、言ってみれば緊急に「疎開」「避難」をしなくてはならなくなった場合でも、公立小学校ならばどこにでも明日にでも転校できますが、私立小学校だとカリキュラムが独特だったりしますしどうしてもその学校に固執してしまいますよね、安くはない授業料払って通わせていると。

とすると。今まで「私立小学校の方に子供を通わせたい」と思っていても、ここで方針転換もありだと思います。歩いて通える地元の公立小学校に子供を通わせ、地域のコミュニティに参加することも今まで以上に大事だと思いますし、且つ、学校をより良くするために自らも学校やコミュニティの活動に参加し、発言していくことも。

公立小学校に通うとして。その上で中学受験を目指して塾通いをするにしても、小学生を週に何日も電車に乗って通わせる、というリスクを今後も取りますか?電車や地下鉄に乗っている間に地震が起こった時に、子どもが一人で対応できるか?というリスクは、私立小学校に電車通学で通わせるのと同じです。塾通いして中学受験、それ以外に子どもの未来の選択肢ないか?ということをじっくり考えることも必要だと思います。受験しようと考えている私立中学は、様々な犠牲を払って塾通いさせる価値のある中学校ですか?目出たく合格しても、1時間の電車通学の学校にその先中高6年間通わせる間に、大きな地震が首都圏に起こらないと言えますか?もうこれからは、志望校を選ぶ時に、今までは考慮もしなかったことも「想定」してみなければならないのです。


閑話休題
今回原発問題についてネットで調べている時に見た大前研一氏がYoutubeに公開している「ビジネスブレイクスルー」の動画(多分これ↓)

で見た氏の持論の受け売りプラス私なりの解釈ですが・・・
日本は今回の大震災と福島原発の事故からの復興には、これから最低でも5年、もしかしたら10年かかるかもしれなくて、その復興の中心を担うのは現在30歳代〜40歳代の働き盛りで幼稚園〜小学校の子どもがいる世代の人々だということは明らかとして、日本全体ということだけでなくその各々の家庭にとってこれから5年〜10年のスパンで考えた場合、子どもに小学校から莫大な教育費を注ぎ込んで(無償の義務教育以外に)、その間親の消費は抑制され、しかも子どもにかけたその投資が回収できるのは、子ども自身が30歳〜40歳になった時だとすると、余りにもコストパフォーマンスが悪い投資ではないでしょうか?大前氏によると、
「サラリーマンは先ず自分に投資して、今よりも少しでも良い収入の仕事に就く努力をするべきである。子どもに何十年先のリターンを見込んで教育投資するくらいなら、妻が資格取得するのに投資すれば数年後には回収できる。」
とのこと。至極まともなご意見かもしれません。また一人一人が生産性を高めることによって、国全体の生産性も高まり、ひいては子どもたちが暮らす将来の日本が少しでも明るくなるのならば。子どもが小さい頃から、だらだら湯水のように教育費を注ぎ込むのではなく、逆に教育費を抑えてそれを親自身への投資に回し、親の収入を少しでも上げて、やがて子どもが高校生、大学生になる時、言い換えれば「ここぞ!」という時、例えば、遠隔地への進学や医学部の入学金、留学の資金が必要となる時に、お金が貯まっている、お金を出すことができる、というのが、これから(「3.11」後)の理想ではないでしょうか?



中学校
首都圏で私立中学に通う生徒の殆どは電車通学、それも1時間を超える通学時間もさして珍しくない昨今です。けれども、「3.11」が起こった後である今、見直すべきかもしれません。
昨日書いたことと重複しますが、嘗て我が家の息子は、片道一時間かかる私立の中高一貫校に通っていました。ついこの間まで小学生で家から5分の学校に通っていたのが重い荷物を背負って(今の季節たくさんそういう初々しい中学生を見かけますが)、朝7時に家を出て学校に行って授業受けて部活して夜7時に帰宅、という生活でした。最初の頃は相当疲れているようでしたが、それでも当時は親の方もプラスに捉えていましたね、「本人が楽しい学校生活を送っているからいいじゃない」「通学するだけで、結構体力がつくみたい」etc。でも例えば今なら考えてしまいます。それは本当に「想定しなければならない危険から目を背けていた」のであり、息子が在学中に先日のような大震災が首都圏で起こらなかったことは僥倖でしかない、と今更ながら思います。説明会で、学校の災害対策を聞いて学校にいる間に災害に遭うことに関しては、寧ろ安心していました。けれども、石油タンクが林立する根岸線に乗って通学している時に地震が起こったらどうするのか?と思うと、もう以前のような「四谷大塚80偏差値表」」だけでは学校を決められない(勿論、偏差値だけで学校を決めてはいけません!)、否、「大学受験に有利だから」などという理由だけで私立の中高一貫校受験を決められないのではないでしょうか?大人でもパニックになる大災害の中、通学帰宅途中の中学生が自分で判断して安全な場所に逃げられるでしょうか?女の子の場合、交通機関が止まって何日も家族と離れて通学途中で足止めされたとしたら?携帯電話は被災地では何の役にもたたないことは、首都圏が被災地ではなかった「3.11」の地震でも証明されています。
小学校のところで書いたように、「志望校合格と同時に、学校の近くに家族ぐるみで引っ越しする」という対処法はあるでしょう。「3.11」が起こり、そして首都圏に住む私たち自身の地震がまだ来ていない今、これは決して大袈裟なことではありません、実行を検討すべき現実的対処法です。
または、受験する時から、「電車が止まっても最悪歩いて帰宅することが可能な範囲の学校しか受験しない」という考え方もあるでしょう。都心の有名校だと、「新幹線通学」とか「片道2時間通学」なんてことも珍しくない昨今でしたが、もうこんな価値観は終わりだと言えます。
もう一つの選択肢は、首都圏以外で寮がある学校、です。その学校と寮があるところが、これから想定される地震の警戒域にあるのならば論外ですが。私自身は元々勉強以外のことも学校に委ねることに抵抗があったので、そういう可能性(寮のある中学に入れる)は考えたこともなくどちらかというと否定的でしたが、これからはそうも言ってられないかも、と思います。考えてみれば、戦前は旧制中学や幼年学校では、今の中学生の年齢にあたる生徒たちが親元を離れ寮生活や下宿していたのですからね・・・。

もしくは。
トーゼンのことながら中学校は義務教育なのですから、地元の中学校に通う、という選択もあります。大概は徒歩通学でしょうから、朝も馬鹿みたいな早起きをしなければならない私立の電車通学の子どもに比べてゆっくり起きられますし、夕方も部活をしっかり6時までやったとしても、6時半には自宅でテレビが見られるでしょう。時間にも体力にもゆとりができることは事実ですし、何より私立中学に行くよりも教育費に余裕ができます。大前氏の論理に従って、親自身に更に投資できるのです。また高校受験の時には、中学受験の時とは違って、本人自身にも自分が「勉強で生きていくのか、それとも他の才能を伸ばすべきなのか」「理科系なのか文科系なのか芸術系なのか」「共学校か別学校か」ということがわかってきますから、子供自身にかける教育費も効果的に投下できますしね。高校受験のための塾通いも、小学生とは違って、自分で自転車で通うこともできるでしょうし、数駅の電車通学ならばもしもの時にでもまだ対応できるでしょう。
そして公立中学校ですから、何かあった時に全国どこにでもすぐに転校できるというモビリティの高さは公立小学校と同じです。

ただ、今の私立中学校受験ブームも、「公立中学校には通わせたくない」ということがその理由だったりするので、そうなると親が地域の公立中学校をより良いものに変える行動をとらなくては、根本的問題(「公立中はダメである、よって子どもを通わせたくない」という親の意識)は解決しないでしょう。でも、今までは子どもを私立に通わせて公立学校や公教育に無関心であった層の親たち、特に父親たちが、地域の教育に参加することは、とても良いことではないでしょうか?それに、今回の大震災を見るまでもなく、地域の小学校や中学校は、何かあった場合の避難所にもなるところなのです。そして避難所の生活も復興計画も「地域」を単位にして行われるのですから、普段からそのコミュニティの一員としてコミットしておくことは、ごく当然のことではないでしょうか。今までがどこかおかしかった、というべきかもしれません、「その地域を選んでマイホームを建て/買いながら、子どもを地域の学校ではなく、電車通学で遠い私立の学校に通わせる」、ということは。




矛盾しているような誤解を招かないようにここまでの主張を整理すると、

・私立小学校にどうしても通わせたいのならば、その小学校の近くに引っ越しすることも辞さないだけの、親としての心構えが必要なのでは?
・私立中学校も然り。どうしても行きたい学校があるのならば、合格したら、近くに引っ越しすることも考えるべきでは?もう「想定外」という言い訳で、親の責任(通学時の安全について考えること)は減免されないと思いますから。
・義務教育の間は、地域の学校に通わせる、という選択肢についてもう一度再考してみることが重要では?親も一緒に地域に関わることは、万が一の災害の時にも、意味を持つことだと思われるので。
・義務教育の間は、出来る限り「無償」部分を利用して、家計の中で限りある教育費を、その後の高校や大学の進学に際して効果的に使うことも大事になってくるのでは?

というところです。




高等学校
高校生こそ、首都圏では遠距離通学の私立高校の生徒、つまり千葉・埼玉・神奈川県から都心の学校に通う高校生が結構多いのですが、まあ高校生ならば、小学生や中学生よりは、万が一の時も対応できるとは思いますが、それでも学校帰りに渋谷や新宿に遊びに行っていて地震に遭ったら、とこれからは考えてしまう、ていうか、考えてほしいものです、本人も保護者も。もうそれは「想定外」ではないのですよ。

他方、比較的通学時間が短い地元の高校、という選択肢があることも、これからは頭に入れておくのもよいかもしれません。それと。去年から公立高校は「高校授業料無償化」なんですよ。私は本当は、所得制限もつけない民主党のこのバラマキ政策に反対!とか思っていたのですが、いざ去年1年間娘の授業料の銀行引き落としがないと、ほっんと「助かる!」のが実感ですよ、もう大きな声で「反対!」とは言えないくらい私が骨抜きにされちゃってます・・・。教育費を投下すべきは、高校ではなくその次の段階「大学」であり、そう考えると、私立高校に3年通った場合と、授業料が無償化された公立高校に通う場合とでは、教育費の差は歴然ですから、その差額を「大学」でかかる教育費に回すことができるでしょう。そして前から言っていることですが、少し前ならばいざ知らず、今は私立高校に行こうが公立高校に行こうが皆等しく、塾や予備校のお世話になります、それも早い時期から。少し前ならば、私立の有名校だと「予備校要らず」とかいうところもありましたが、今は開成でも桜蔭でも出来る子ほど塾や予備校に行っている時代ですから、「私立は授業料がかかるけどその分学校でちゃんとやってくれるけど、公立は学校では勉強が足りずに予備校に行くから、私立の方が結局はお金がかからない」という理屈は今や崩壊していることも頭に入れておいてほしいですね。大学受験のための教育費は、私立/公立関係なく、必要悪(?)として今はかかります。

更に。
別の道として、中学のところで書いたように、私立に行かせるのでも「地震のない地域にある寮のある高校」へ行く選択肢もあるでしょう。そしてそれに加えて、「留学」という選択肢もあります。「レイコ@チョート校 アメリカ東部名門プレップスクールの16歳」

は、もう10年以上前に出た本ですけど、玲子さんほどのレベルを目指さないとしても、これからは色々な「留学」を考えてもよいのでは、と思います。別にアメリカじゃなくても、留学先は韓国でも台湾でも中国でもロシアでもいいかもしれません。高校生での留学は、奨学金も交換留学制度も、大学でのそれに比べて少ないので、いきおい自費になりますが、ここでこそ今までセーブしてきた「教育費」を重点投下すべきではないでしょうか?小さい頃毒にも薬にもならないお稽古事に月謝を注ぎ込んだり、お受験塾に通ったり、小学校低学年から塾通いさせたり、ということでなく、「費用対効果」という点では、将来を見据える高校生の時期の留学、というのは十分効果があるものだと思います。留学先でそのまま大学に進学するもよし、帰国生の枠で日本の大学に入学してもよいのです(その場合には、日本の高校生が通う塾・予備校の費用が必要ないことになりますし)。


大学
話が逸れるかもしれませんが(いつものことですが)、大震災のお陰で世間の記憶からは消えてしまっているかもしれませんが、受験生が携帯電話を使って京都大学早稲田大学カンニングをした事件があった時、今思えば地震前の平和な時でしたから、ネットでもこの件について沢山の意見が交わされましたが、私は多分他人とは違った見方で(いつものことですが)、河合塾仙台校に怒りを感じておりました。
山形県出身の浪人生で仙台で寮生活をしながら浪人生活を送っていた、カンニングした彼は高校3年生の時に父親を亡くしたそうです。で、1年間家を離れて浪人生活を送って受験した大学が、
早稲田大学立教大学同志社大学、そして京都大学
これって受験料だけで、ざっと145,000円。都合良く受験日が連続して並んでいたとは思えないので、仙台⇔東京、仙台⇔京都の交通費を複数回分、そして同様に東京と京都での宿泊代がかかっていたと思われますから、受験するだけで最低でも300,000円近くはかかっていたとのではないでしょうか。私はとっても疑問に思うのですが、どうして河合塾仙台校で彼を担当していた講師は、例えば、「前期→東北大学、後期→山形大学」という志望校を勧めなかったのでしょうか?予備校の「合格者一覧」の早稲田大学のところには、彼の名前があったそうですけど。大手予備校の仙台校としては、「営業的に」東京や近畿圏の有名大学の名前も欲しかったのでしょうか?その生徒の立場に立って考えれば、「仙台や山形に比べれば物価の高い東京や京都の私立大学に行く」より遥かに地元の国立大学の方が経済的に負担が少なくて済むのは明らかなのに、「君の実力ならば、早稲田や京大も夢じゃない」とか言って勧めたのでしょうか?河合塾のウェブページのトップには「すべては一人ひとりの生徒のために」というコピーが載っていますけど。
もし私が河合塾仙台校で彼の担当ならば(ありえない仮定ですが!?)、彼の学力、彼の家庭の事情を鑑みて、前述の
「前期→東北大学、後期→山形大学
を勧め、その上で、
「もし万が一前期の東北大学旧帝大)が不合格で後期の山形大学に進学することになっても、東北大学の経済学部だと3年次編入という方法もあるし、お金をかけて東京の大学に行かなくても、その分の学費で資格をとる勉強をするという道もある」
と「進路指導」してしまいますけどね!まあいつもの私の持論ですけど、「塾や予備校、って『お商売』」ですからね。


さて。
2012年度新卒の就職活動も山場を迎えようとした時も時に、「3.11」が起こりました。それまでは、
「地方の国立大学よりも、東京にある早稲田・慶応などの私立大学の方が就活には有利」(都市伝説?)
「大学は東京の大学に行って、エンジョイする!」(地方の高校生の多くの願望?)
「下宿させて地方の国立大学に行かせるよりも、家から通えるなら東京の私立大学でもいいかも。」(首都圏に住む親の最近の考え方?)
というムードが最近の流れではあったと思うのですが、「3.11」が起こった今、それを考え直すべきではないでしょうか?「3.11の地震を無事やり過ごしたから、これで安心して今まで通りの大学選びと大学生活」というのは間違ってはいませんか?
今年大学に入学する学生が、4年後卒業するまでに、果たして、
福島原発の事故は安全に収束しているか?
・首都圏直下型&東海地震は起こっていないか?
と考えてみて、「リスクはあるけれども東京の大学に行く価値がある」「リスクを冒してまで東京の大学で学ぶ価値はないから地元の大学に行く」ということを、一度は家族全体で考えてもよいかもしれません。
この春、我が家の娘が受験した大学は全て東京の大学で、私自身「女の子だし、下宿しなければならない地方の大学にわざわざ行くことはない」と何の疑問もなく思っていたのですが、もし、今回の地震が1年早ければ、そうは考えなかったと思います。
平成23年度入試までは、東大を頂点として、早慶上智、MARCH、と東京の大学に学生は集中しましたが、今後は親も子どももそして社会もこれを見直すべきではないでしょうか?
地方に住む親だけでなく、首都圏に住む親にとって、もし東京に一人で下宿している子どもが大震災に遭ったとしたも、また郊外の自宅から都心の大学に通う子どもが通学途中で大震災に遭ったとしても、助けに行くことはおろか、どこにいるか、どこで被災したかもきっとわかりません。携帯電話なんて当てにはできませんし(大学生の子供の携帯にGPS探索サービスつけますか?)、人口1300万人(昼間の人口は1500万人)の東京都で、行方不明の子どもをどこでどう探しますか?下宿生ならば、地方と違って、「町内会長さんが町内の住民全ての顔を把握していて、行方不明者を探してくれる」なんてことはありませんよ、地方から出てきて一人で下宿している学生なんて、地域コミュニティで存在すら把握されていないのが実情でしょう。
じゃあ、それならば。
社会にとっても、将来を担う人材を教育する機関を東京に一極集中させる、というのは、何かあった時にとてもリスクが高いことかもしれません、そろそろ「地震に備えて東京一極集中を廃すべき」という意見も出てきているようですし。
私自身つい数ヶ月前に、「『旧帝大』なんて死語*1とか言っていましたが、前言撤回、今こそ「旧帝大」復活!!!今首都圏に住んではいるけれども親世代が例えば九州や北海道の出身で実家や親戚が九州や北海道にあるならば、縁のある九州大学北海道大学へ子供が進学する、というのはあり、ではないでしょうか?子供というか大学生本人にとっても、大学時代の4年間、大事な時間です。未だにIPhoneアプリの「ゆれくる」*2が頻繁に鳴るような東京(私は最初「震度3以上」に設定していたら、余りに頻繁に鳴るので「震度4以上」に設定を変更したほどです)より、よほど安心して大学生活が送れることでしょう。特にこれから最低でも1年間、もしくは数年間、東日本の地震活動がどうなるか、福島原発の事故がどう収束するのか、を見極めてからでも、「上京」するのは遅くないですよ。この震災後の日本の姿が見えてから、もしくは今後の地震の可能性や福島原発事故が収束する見通しが見えてから、例えば3年次に東京の大学に編入するとか、大学院やロースクールで東京に出てくる、という選択肢もあるのです、勿論、日本の大学に見切りをつけて、留学してそのままグローバルな企業に就職する、という選択肢も。首都圏に住む私の長年の友人の一人は、今回の地震でも全く動じない人で「買い占めしたくないから、家にある食材やストックで地震後10日間スーパーに行かずに済ませた」という人なのですが、「もし首都圏に地震が来るとか、実際に1回軽いのでも来たら、浪人した息子には海外の大学に行ってもらいたいから、その資料だけはせっせと集めてる」と言っていました。
もしかしたら、『旧帝大』システムって、国から見た教育におけるリスク(帝都東京が被災した場合)を考えてのことだったのかも?というのは、うがち過ぎでしょうか?それにしても、各家庭それぞれのリスクヘッジとしても、長男は北海道大学、次男は九州大学、というのは悪くありません。これから、何を好んで危険がいっぱいの首都圏に大事な子ども(それも全員)を送り出さなくてはならないのでしょう?
繰り返しになりますが、私たち親にとって、「想定しなければならない首都圏の地震はまだ起こっていない、今から起こる可能性がある」ということです。



沢山産みましょう!
子どもが二人しかいない私に言う資格はありませんし、こういう話題は多少ならずとも「セクハラ」ぽいと今までは感じていて、また個人各自の生き方に関係することなので、特に意見を持つということもなかったのですが。敢えて断り書きするまでもなく、これは不妊とか女性の「産む産まないを選ぶ権利」の話とは関係ありません。
大震災をきっかけに、今まで「思考停止」して考えてこなかったこと、「想定外」だったことを遅まきながら考え始めて、今こそ「少子化」を押しとどめなくてはならない、と思い至ったということです、それを有り体に言ってしまうと、この「沢山産みましょう!」になってしまうのですけど。
今回の震災、そしてこれから日本が歩復興への道を考えた時に、やはり思うのは、このまま日本の「少子化」が進むと、日本は終わりだということです。4月16日(土)の朝日新聞「be」に「デフレの正体」の著者、藻谷浩介氏が出ていて、そこからも連想してしまったのですが。藻谷氏がこの本を上梓したのは、勿論今回の東日本大震災以前ですけど、「3.11」後は「少子化」をくい止め、出生率を上げることがもっともっと重要になっているのではないでしょうか?
「沢山産みましょう」というのは、即、第二次大戦中の「産めよ増やせよ」というスローガンに連想が直結してしまうのですが、戦争中の軍国主義に対するアレルギーに全身嫌悪の粟粒が立ちつつ、冷静に考えてみると、戦争も大震災も、一度に多くの国民の命、今現在働き盛りの人々の命だけでなく、次の世代の若者、子供の命も奪ってしまい、将来の国力まで失ってしまう、という点では一緒なのです。国家としてそれをくい止める方法は二つだけ、移民(または植民地の人間)と多産。移民(今の時代、「植民地」はありえませんから)は、欧米の国が取り入れていますが、どこも成功していません、労働力は移民で確保しても、移民が社会に溶け込むというのは難しいようです。元々島国で、長らく鎖国していた日本ではそれはもっと難しいでしょう。・・・となると、残る選択肢は「多産」?もしくは、東北地方が復興しないまま、日本全体が衰退するのを待つのみ?


私も夫も高度成長期に育ったせいかお互い「夫婦二人に子ども二人」という厚生省(当時)のモデル家庭に育ち、その刷り込みがしみ込んでいて(思い出せば、クラスメートの殆どが「子どもは二人」家庭だったと思う)「三人以上子どもを持つ」という発想が、はなからなかったのですが、今になって周囲を見回し、色々な家族を見るにつけ、「子どもが多いと家は栄える」という、何時代の話?みたいな言葉は、実は真実ではないかと思うようになりました、もう三人目をもうけるには遅い年齢ですが。
お金と手間をかけて一人っ子を大事に育てても、この時代地震津波に限らずアクシデントに巻き込まれて命を失うかもしれません。二人の子どもが共に東京の大学を出て東京で働いている地方在住のご家庭も少なくないと思いますが、他のこと、例えば交通事故や飛行機事故とは違って、地震という大災害は一度に膨大な数の人命を奪います。今回の震災で、家や車だけでなく、家族の何人もを一度に失った方も大変多いと聞くにつけ、私自身、もう子どもたちに「東京で働きなさい!」とは言えません、否、「東京ではないところで働いてほしい、国内でも海外でも。」と思います、今なら。また高度成長期のように世の中の流れに乗っていけば良い生活ができた時代と違って、これからの厳しい時代、息子にも娘にもそれぞれ同性の兄弟姉妹がいれば心強いだろう、とも思います。今から家族を作っていく方、今作りつつある方、どうぞもしできるならば、二人といわず、三人でも四人でも子どものいる家族を考えてみてください、ご自分の家庭のためにも、日本のためにも(←こういうことは、今までなら私自身言うどころか考えもしなかったのですが、今は切実に思います)。
有名人で子どもが4人以上の家族といえば、不本意ながら一番先に思い浮かぶのが、先般都知事選で4選(多選禁止ってなかったのですね、帝都東京には)を果たした石原慎太郎都知事です。ご存知、現自民党幹事長の伸晃氏を筆頭に、気象予報士でタレントの良純氏、元銀行員で現在は落選中の政治家宏高氏、画家の延啓氏、と、外人には記憶しにくく発音し辛い漢字二文字四音節の名前の4人の息子がいます。石原氏に対する好悪(私は二文字のうち後者です!)は別として、4人男の子がいれば、このように様々な分野に進む人材が出る、ということは否定できませんし、石原氏は他のことはともかく「石原家」を作ったことは事実でしょう。他に4人以上の子どもを持つ有名人といえば、最近知ったのですが、男性デュオ「Chemistry」の堂珍嘉邦氏とモデルの敦子夫人(4人)、そして、つるの剛士氏(4人)も。昔からの定番(?)としては、中村雅俊五十嵐淳子夫妻(4人)、タケカワユキヒデ氏(6人)、もう少し若手(?)では堀ちえみ氏(5人)、薬丸裕英石川秀美夫妻(5人)。政治家では、目下活躍中の橋下徹大阪府知事(7人)、そして民間から管内閣に入閣したこの方、片山善博総務相(6人)、そして故橋本龍太郎元総理大臣(5人)。偶然知ったのですが、グロービス代表掘義人氏は何と男の子5人の父親だそうです。勿論それぞれのご家庭はそれぞれのご苦労もあるとは思いますが、どこからも感じられるのは「力強さ」ではないでしょうか。どんな時代であっても家族全員で乗り切る!みたいな「力強さ」。これこそが、復興を目指さなければならないこれからの日本に必要なものであり、求められているのだと思うのです。
実は私のごく親しい友人にも5人の子どもを育てている人がいます。もう15年以上のお付き合いで、お子様たちが小さい頃から知っているのですが、勿論小さい頃は大変そうでした。けれども年を追う毎に、大変さは等比級数的にどんどん減っていき、逆にどんどん「とってもいい感じのご家族」になっていき、今年一番上のお子さんが大学院卒業、一番下のお子さんが高校入学、ですよ。ご夫婦プラス5人の子ども、というのは、本当に「The・家族」って感じで、この時代だからなのかとてもよいですよ!

貴族の称号と財産を受け継ぐ長男、軍隊に入って出世を狙う次男、聖職者になって枢機卿を目指す三男、というのは革命前のフランス貴族だったか?、やはり爵位と領地を相続する長男、インドやアフリカの植民地で一旗揚げようとする次男、三男、がイギリス貴族?だったような。そしてロスチャイルド家。フランクフルトのゲットーで生まれた初代には10人の子どももがいて、5人の息子は、フランクフルト、パリ、ロンドン、ウィーン、ナポリにそれぞれ支店を出してお互いに助け合って、今日のロスチャイルド財閥の基礎を築いた、という話は有名ですが、前述の5人の息子さんをお持ちの堀氏ならば(残念ながら石原氏には出来ません←と思ったらWikipediaによると、認知した男の子がいるそうで*3、ならばできますね)、実現できますよ。ただ21世紀の今ならば、5つの都市は、上海、ムンバイ、ニューヨーク、サンパウロヨハネスブルグorモスクワ?あたりになるのでしょうけど。
日本でもそう遠くない昔、地方で長男が農業を継ぎ、次男三男は東京に出てサラリーマンになった時代があって、それは「高度成長期」という時代でした。もしかして日本はこれから国全体が必死になって「高度成長期」並の成長をして震災の痛手を受けた東北を再生させるか、もしくは、東北地方の復興どころか、1755年のリスボン地震津波の被害で以後衰退した嘗ての植民地大帝国「ポルトガル」(何かまた経済状況がアブナいことになっているみたいですが)になるのかの二択、になるのではないでしょうか。家族の中で、一族の中で、「東京一極集中」するのをやめて、また「一人の子ども」に全てを賭けるのではなく「助け合える子どもたち」を作ってやることが子どもたち自身のためでもあり、正直にエゴイスティックに言えば親のためでもあり、日本のためでもあるんじゃないかと・・・。
ここで今度こそ「少子化」をくい止めないと、未曾有の大災害に遭っても尚立ち上がろうとしている東北の被災者の人々を助けられない、その立ち上がろうという気持ちを挫いてしまうということになりそうで。そういう理由での、「沢山産みましょう!」つまり「産めよ増やせよ」なんですけど、政治家も識者も、コワくて(この件に関して舌禍起こした方多いですから)言えないと思いますが、復興税より、復興債より、復興院より、日本と東北の復興のためには確実な解決策ではないでしょうか?


思いつくまま、書きなぐって綴ってみました。
勿論「教育」とは、それぞれのご夫婦=両親が決めるものですから、これが良い、これが悪い、ということはないと思いますが、幾ばくかの参考、叩き台になれば幸いです。

ただ、「3.11」から一ヶ月経っても余震はおさまらないのみならず、震源域以外のところを新たに震源域とする地震が頻発している状態、福島原発の事故処理はやっと東京電力から工程表(随分楽観的としか言いようがありませんが)が出された状態、大気中に海中に地中に漏れ出ている放射能はこれからも増えると予想される状態、ということだけは、首都圏に住んでいる人々皆に共通して起こっていると言えます。 決してヒステリックに反応する、というのではなく、仕事があり家がある首都圏で家族でぎりぎりまで生活していく上で、親として考えなくてはならないこと、取り得る選択肢、として考えて頂ければと思います。