さかもと未明氏による「再生JALの心意気」と、それに対する非難に関して時間をおいて考えてみること  ③ 赤ちゃんは本来泣くものであること

さかもと未明氏による「再生JALの心意気」と、それに対する非難に関して時間をおいて考えてみること  ① 赤ちゃん連れの母親の大変さが本当に理解されたのか?


さかもと未明氏による「再生JALの心意気」と、それに対する非難に関して時間をおいて考えてみること  ② さかもと未明氏のクレームの真っ当な部分



さて、目下のところ、「赤ちゃん」及び「幼児」という宇宙人に関わりがなくて(とはいうものの、誰しもが嘗てはこの「宇宙人」だったのですが)、

どうして世の中には、泣き喚く赤ん坊、騒ぐ幼児と、はたまた、泣かない赤ん坊と、大人しい幼児がいるのか?

と不思議に思っている方々も少なくないと思います。そういう方々に是非知っていただきたいのは、

親の躾ができているから、赤ちゃんが泣かないわけではないし、親の躾ができていないから、赤ちゃんが泣くわけでも決してない

ということです。

「赤ちゃん 飛行機」「赤ちゃん 新幹線」でググりまくってネット上に出ているアドバイスの全てを実践しても、飛行機の中や新幹線の中で泣き喚く赤ちゃんがいるのです。

もしあなたの目に「赤ちゃんが泣き喚いているのに、親は何もしていない」と映ったとしても、その母親は「万策尽きて、疲れ果てて呆然としている」のかもしれません、否、その可能性の方が高いでしょう。


ハウツー本やライフハックが溢れている昨今ですから、妊娠も子育てすらも「努力すれば上手くいく」「上手くいかないのは努力していないから」と思ってしまいますが、ところがどっこい、この分野だけは人知の及ばない世界なのです。ここでオバサンらしく、自分の経験なぞを語ってしまいますが。



我が家の息子は、赤ちゃん及び幼児の頃、それはそれは大人に都合のよいお利口さんでした。外出してもいつものペースでお昼寝してくれるし、レストランやホテルのラウンジでも、バギーに乗せたまま、或はお子様用の椅子に座らせて、騒ぐことなくおやつを食べて、そして満腹になったら寝てくれていたので、安心してどこにでも連れていけました。
母親である私は、それを当然のことだと思っていて、電車や公共の場で騒いでいる他所の子供を見ると、内心「親は何してるの?」と思っていましたし、スーパーのお菓子売り場でひっくり返って泣いている子供を見ても、「信じられない!」と思っていました。
もし、私が息子しか育てなかったら、ずっとこう思っていたでしょう、「公共の場で泣きわめいたり、騒いでいる子は、親の躾が悪いに違いない。」と。
しかし、その私の誤謬はすぐに破られました、息子と三歳違いのムスメによって。
同じく私のお腹から生まれてきた娘ではありますが、娘は息子とは全く違いました。レストランどころか、ファミレスもファーストフード店へも連れては行けませんでした。というのは、起きていてバギーに乗っている限り、バギーが停車しようものならば、反っくり返って泣く有様で、バギーのままどこのお店にも連れて行けた息子と同じようにはいきませんし、レストランでお子様用の椅子に座らせようものならば、テーブルの上にあるものをニコニコ笑って全て床に叩き落としてしまうので、ファーストフード店のイートインすら行けません。抱っこして電車に乗ろうものならば、私が座ると怒るし、立っていても絶えず揺すっていないとぐずって泣き始める始末。電車を諦めて車の後部座席のチャイルドシートに乗せての移動も、何かの拍子に泣き始めると車内の空気が誇張でなくびんびん響くほどの大音量で目的地に着いて車から降りるまで泣き続けます。極めつけは、スーパーのお菓子売り場で「今日は買わないの。また今度ね。」と私が言った途端に、その場でひっくり返って泣き始めたことです。我が子ながら、信じられないというか、途方に暮れましたよ、私。抱き上げても反っくり返って泣く娘を抱えてスーパーの出口へ突進した私を見て、「虐待?」と思った買い物客の方がいなかったとは言いきれません。
娘と同じような赤ちゃん・幼児を育てているお母様方、ご心配には及びません。今は、立派に「よく気配りできる娘」して成人しております。ていうか、幼稚園に入った頃には、「公共の場での大泣き」はすっかり治まっていました。今になって思うことに多少の親馬鹿を加えて言わせて頂けば、彼女はとても感受性が強く周囲の変化に敏感だったのではないか、と思います。歌を歌ったり、ピアノを弾いたり、絵を描いた時に、彼女の解釈や表現に親(馬鹿)ながら驚いたことが何回もありますし、一番言えることは、周囲に対する気遣いがものすごく出来る子です。「周囲に対する気遣いができる子」が何故スーパーのお菓子売り場でひっくり返って泣くか、ということですが、この「周囲に気遣いができる感受性」が、赤ちゃんの頃の過剰な反応だったのではないか、と今だからこそ思えるのです。
一方、大人しくてお利口で赤ちゃん時代にホテルのレストランやラウンジを総ナメにした息子の方ですが、どうやらそれは「親の躾が良かった」のではなく、彼が全くの「マイペース人間」だったからだと、今では思われます。「マイペース」と言えば聞こえはよいですが、要するに、「周囲が気にならない」更に「周囲に気配りができない(いわゆるKY)」だったからでははないか、とやはり今だから思えます。彼の方は今じゃ、「頑固」の域に達するというか、周囲に呆れられて逆に認めてもらえるほどのマイペース人間です。
思えば、既に生後間もなくの新生児の時期にもうその差はありました。新生児ルームって、我が家の二人の子供ではありませんが、スヤスヤと眠っている新生児がいるかと思うと、オムツは濡れていない、ミルクもたっぷり飲ませたのに、「オギャー、オギャー」泣き喚いて新米ママを困らせている新生児もいますからね。生まれて数日でこの差ですよ?これって、「躾ができている/できていない」じゃないですから。

子供にも生まれながらの個性や性格というものがあって、公共の場に出すと大泣きしたり大暴れした娘の場合は周囲の変化に敏感で、赤ちゃんだからそれ以外に不安を表す術がなかったのでしょうし、どこに出しても動じずにお利口だった息子の場合は生まれながらに(私が上手に躾けたわけではなく)周囲が全く気にならないタイプだったのでしょう。

前述のように公共の場で泣かなかったお利口な息子ですが、彼だって、濡れてもお尻サラサラの紙おむつがない時代、十分に食べ物がない時代、寒くても暖をとる燃料がない時代に生まれていたら、大泣きする普通の赤ちゃんだったことでしょう。

ですから、今やたらと泣き叫ぶ赤ちゃんをお持ちのお母様も、是非安心して頂きたいですし、泣き叫ぶ時期も期間限定です、近い将来必ず終わります(小学生になってスーパーのお菓子売り場でひっくり返って泣いている子供はいません)。今は「鬼」のような形相で泣き喚いている子供が、将来どのように感受性を発揮していくかを楽しみにしていてください。
逆に今どこに出してもお利口な赤ちゃんをお持ちのお母様、それは全くの僥倖であり、あなたの手柄では決してありません。ですから、公共の場で泣き喚いている他所のお子さんを見て、「やあね。躾はどうなっているの?」とか思わないでくださいね。それよりも、将来、「マイペース過ぎて、ガールフレンド/ボーイフレンドができない。結婚できるのかしら?孫の顔は見られるの?」と心配しなくてはならなくなるかもしれないことを覚悟しておいてくださいね。


今回のさかもと氏の一件で思ったのは、離陸から着陸まで1時間半泣き続けた赤ちゃんは、きっと「飛行機の中」という経験したことのない環境に不安で、更に周囲の人々に気を遣う母親の落ち着かない気持ちにも敏感に同調し、その不安感を表すには泣くことしかなかったのだと思いますが、それって、もしかしたらさかもと氏と重なる部分がありませんか?漫画家という表現者であるところの彼女は、嘗て感受性が強く周囲の変化に敏感で、飛行機に乗ろうものならずっと泣き通す赤ちゃんではなかったかと。惜しむらくは、さかもと氏自身にそういう想像力というか余裕がなかったことですが。



現在進行形で赤ちゃんを育てているお母様方に言いたいのは、世間やネット上の世論に過敏になることなく、気楽に子育てしてください、ということです。
大体、ネット上で子連れママに批判的な若い(若くない人もいますが)人々は、自分たちの将来の年金を担ってくれる赤ちゃんの生態についてまるでわかっていないのですし、何れ彼らも子供を持ったら過去の自分の無知と無理解を後悔するでしょうし、口うるさい中高年のオバサマ方はそもそも彼女たちが子育てしていた頃はネットなどないので情報もなければ批判も目に入らない閉ざされた世界でひとりよがりでやっていてそれで済んでいた世代なので、今の時代を理解できないのですから。

子供は生まれた時から立派に一個の人間で、既に個性や性格は決まっているのではないか、と思います。それを撓めたり、矯正したり、大人に都合が良いように変えることは、親とて出来ません。親が出来るのは、理解することと、小さいうちは子供が生きやすいように世界から守ってあげること、くらいでしょうか。もし100年前ならば、飛行機も新幹線もバスも地下鉄もないのですから、周囲の環境の変化に敏感ですぐに大泣きするタイプの赤ちゃんでも、大人の社会の都合に合わないからといって母親が気を遣うこともなかったわけです。翻ってこの21世紀、特に東京で暮らすということは、赤ちゃんにとって、大人の都合に合わせなくてはならないことが満載で、相当にストレスフルなことでしょう。同様に、母親までもが要らぬストレスに晒されてしまっています。

赤ちゃんの個性や性格が今の時代の大人の都合に合うか合わないかは、躾が出来ているか出来ていないかとは無関係ですし、そんなことで「母親」の評価が決まるなんておかしいことです。大人社会の都合のために赤ちゃんを育てている訳ではないのですから!


赤ちゃんは泣く、自分だって赤ちゃんの頃は泣いたはず、今赤ちゃんのこの子がやがて子育てする時もやはり赤ちゃんは泣く、


赤ちゃんに言わせれば、

泣くことが赤ちゃんであるボク/ワタシの属性なんだから、後は大人が何とかしてください!

となるのではないでしょうか?ですよねえ。
問われているのは、100年前とはまるで違う、赤ちゃんを取り巻く周囲の現在の環境でしょう。心の中では赤ちゃんやその母親に同情しつつ、実際は優しくできない大人側の現実があります。それは、スペースにも心にも余裕がない満員の通勤電車であり、飛行機や新幹線の中でも仕事をしなければならない過密なビジネスであり、無策な航空会社や鉄道会社であり、今の自分に不快なものをお手軽に匿名で叩けるネットであり、そしてそれを全部ひっくるめた今の日本の社会でしょう。


さかもと氏の「再生JALの心意気」の最後の部分は、クレームから一転、何故か「JAL頑張ってください、応援します!」の方向に急展開するのですが、ネット上を嵐のように通り過ぎたこの一件を今見直してみると、さかもと氏自身の主張も彼女に対する山ほどの非難コメントも、過ぎ去ってしまうと誰もがそれを忘れてしまい、何も変わっていない日常に戻っていくのかも、と思うと複雑な心境の今日この頃。