朝井リョウ著「何者」の、ネタバレをぎりぎり回避した(回避できてないかも?)感想

2012年の暮から2013年のお正月にかけて、年を跨いで読んだ本。


何者

何者


「作者の朝井リョウって誰?」とおっしゃる向きには、「去年映画化されて話題になった桐島、部活やめるってよの原作小説の作者です。」とお答えしますが、これでもわからない方、多分推定年齢を最小に見積もっても40歳以上の方は、この「何者」という小説を読み進めるのは、かなり大変かもしれません。

今を遡ること30年前、田中康夫氏が書いた「なんとなく、クリスタル」という小説がありました。今度は逆に、「何それ?聞いたことない。」という向きには、「昨年暮れの選挙で『新党日本』から兵庫8区に立候補して落選した元長野県知事田中康夫氏が学生時代に書いた当時『カタログ小説』と言われた小説です。」とお答えしますが、それでもわからない方、多分推定年齢を最大に見積もって30歳以下の方は、Wikipedia*1を見るか、amazonでレビューを見て頂ければ、と思いますが。


何故「なんとなく、クリスタル」を持ち出したかというと、この通称「なんクリ」という小説の本文は文藝賞受賞作に相応しいとは思えない凡庸以下の文章なのですが、本分に付されている442個の「註」こそが、作者の本領発揮というか、この「註」にちりばめられた作者の感性や鑑識眼、批評精神が、それまで誰も書いたことがない「新しい小説」としてベストセラーになったのでしたが、この「註」に出てくるブランド名やショップ名がわからなければ作者の批評精神がまるで理解できないように、この「何者」という小説もやはり形式を理解していないと、物語を読み進めていくのが難しいのです。「なんクリ」は「註」があってこそ成立した小説でしたが、今度は、「註」ではありません。Twitterです。この本を開いて、タイトル「何者」の次のページをめくると、普通なら小説の第一章が始まるところが、いきなり横書きで、6つのプロフィールが現れます。これが何なのかが全く理解できない方は、それ以上この小説を読み進めるのは時間の無駄というものですし、これが理解できないということは理解する必要がない世界でちゃんとまともに生活できているという証拠でもあるので、躊躇も後ろ髪を引かれることもなくもっと有意義なことに貴重な時間を向けられるとよいと思います(真顔)。

さて、この6つのプロフィールとは登場人物6人の紹介なのですが、それはTwitterのアカウントのプロフィールという形で表されているのです、ご丁寧にアイコン付きで(カラーだったらもっと良かったかも)。そしてこれがTwitterのアカウントだということがわかった方でも、登場人物のキャラクター設定を作者が細かくしていることをどこまで読み込めるか、という次のハードルがあります。


・アカウントの「名前」に戸籍上の自分の名前をそのまま表記しているのは6人の登場人物のうち2人で「田名部瑞月」と「宮本隆良」。平仮名ばかりの「にのみやたくと」(←この小説は彼の視点から彼のモノローグで語られる)、片仮名ばかりの「コータロー!」(「!」が入っていることに注目)、苗字はそのまま名前だけ片仮名にしている「烏丸ギンジ」。そしてローマ字大文字の「RICA KOBAYAKAWA」(三文字目が「K」ではなく「C」であることに注目)。現実世界ではtwittererが6人いればその半数は「名前」を氏名ではないものにしているのが実際のところだと思われますが、そこはそれ、小説の登場人物紹介だとそうはいかないので表記を工夫したのだと思われますが、作者の朝井氏がそれぞれの登場人物のキャラクターによって表記を変えているところは巧みです。

・アカウント名は、上記の順番でいくと、「@mizukitanabe」「@takayoshi_miyamoto」「@takutodesu」「@kotaro_OVERMUSIC」「@account_of_GINJI」「@rika_0927」
・プロフィールをスラッシュで区切っているのは@kotaro_OVERMUSICと@rika_0927

・自撮りアイコンにしているのが@accout_of_GINJIで、他の5人には珍しくアニメアイコンが一人もいなくて、@kotaro_OVERMUSICはラジカセ、@mizukitanabeは猫、@takayoshi_miyamotoは重ねられた本、@rika_0927は、外国の子ども二人の後ろ姿、のそれぞれ写真のアイコンで、@takutodesuは、Twitterのデフォルトアイコンである卵のイラストに、わざと割れ目を入れたアイコン


ここまででも相当のことがわかるのです。
・語り手である@takutodesuは、男子なのに(←というとバイアスがかかっていますが)ひらがなで自分の名前を書いたり、アカウントを「自分の名プラスdesu」とお茶目な感じにしたりしつつアイコンでは「他人とはちょっと違う」感を出している
・@kotaro_OVERMUSICは、アカウントに自分がやっているバンドの名前「OVERMUSIC」を入れ(思い入れがあるってことでしょうか)中高の名前と部活名まで書いていて(←これも思い入れがあるからこそ)、スラッシュで好きなことを羅列
・@mizukitanabeは一番自己アピールが薄いように見えつつもそれでも好きな物(@kotaro_OVERMUSICに比べてあまり具体的でない事に注目)の羅列や留学アピールはしている
・@rika_0927の「0927」は多分誕生日が9月27日であり(自己愛の表れ?)スラッシュで区切られた、読む人を鼻白ませるこれでもかの意識高いアピールの連発、トドメが最後に訳のわからない格言(「夢は見るものではなく、叶えるもの」)めいたものを書いている
・@takayoshi_miiyamotoもまた「自分は他人とは違う」アピール満載の羅列
・@account_of_GINJIは、この「account_of_自分の名前」という気の利いた風に見られたいアカウントを作り(ほんの少し@takutodesuと似ている)自分のオフィシャルブログのアドレスも載せている
Twitterのアカウントのプロフィールを使って、登場人物の性格や嗜好を見事に提示しているのです。勿論この冒頭2ページの6人のプロフィールからそれらを読み取れなくとも心配は無用です、心優しい作者である朝井リョウ氏が、文章の力で彼ら登場人物のキャラクターを書き分けてくれていますから。

いざ物語が始まってからも随所に登場人物のTweetが散りばめられていて、それはそれらTweetが物語を助けるというよりは、Tweetと現実(リアル)の落差を表すものになっています。更に後半部分では、登場人物のうちの二人が持っている「裏垢」つまり「裏のアカウント」でのTweetも挟み込まれていて、なかなかコワいお話になっています。


桐島、部活やめるってよ」という小説における形式上の妙味は、何人かの生徒によって語られる「桐島」という、バレー部の部長にして一方美人の彼女もいるリア充男子高校生が、語り手としては小説の最後まで登場しないことにありました。ベケットの「ゴドーを待ちながら」のいつまでも現れないゴドーの如くに。「何者」という小説においては、文章だけで描くには不可能である重層的な現実や、その現実と登場人物の内面との乖離を、Tweetを使って描いていることが、今まで読んだことのない新しさであり衝撃でした、とは言いながら、ショックを受けているのは私のようなオバサンであり、登場人物世代である現代の大学生にとってはこれは「当たり前の現実」でその中をまさに生きているのだと思いますが。


次に扱っているテーマについでですが。
桐島、部活やめるってよ」のテーマは、スクールカーストでした。又してもこの言葉が理解できない向きには、先ず事前知識を入れて頂きたいところですが、不思議なことにWikipedia*2の記述よりもアンサイクロペディア*3の記述の方が的確なのではないかと思います。アメリカのドラマである
「新ビバリーヒルズ青春白書

新ビバリーヒルズ青春白書 90210 シーズン1 DVD-BOX Part1

新ビバリーヒルズ青春白書 90210 シーズン1 DVD-BOX Part1

や「ゴシップガールなども参考になるかもしれません。共学の高校のスクールカーストは経験者でないとわからないようです、男子校出身の息子などは理解できなかったようですし、また同じ共学でも古き良き時代の共学高校に通っていた世代の方にも理解されるものではないでしょう。辛酸なめ子氏が
「女子の国はいつも内戦」
女子の国はいつも内戦 (14歳の世渡り術)

女子の国はいつも内戦 (14歳の世渡り術)

の中で女子校のスクールカーストについて書いていますが、同性だけでなく異性の存在もある中での共学のカーストの形成は、女子校とはまた違った複雑さがあるのではないかと思います。にしても、現代の共学高校に通ったことがある人以外には理解されにくいこの「共学高におけるスクールカースト」というニッチなテーマを、章ごとに違う語り手に「桐島」を語らせるという形式を用いることによって巧みに描いた朝井氏ですが、「何者」は更に「都会の大学(Fランではないようです)の文系学生の就活」というテーマにTwitterを絡めてある、という点で、テーマ自体がどれだけの読者層が望めるのか、心配してしまうほど限定的なテーマを扱っていますし、読み進めるのに「Twitterを理解していること」というのが必要になってくると、ますます読者層が限定されそうです。


さて、この「都会の大学の文系学生の就活」というテーマですが、「就活モノ」だと、直木賞作家三浦しをん氏のデビュー作)で、
「格闘するものに◯」

格闘する者に○ (新潮文庫)

格闘する者に○ (新潮文庫)


という名作があって、既に「就活」の理不尽さやその中でもがく学生の姿は描かれているのですが、「何者」は現代の就活を批判しているかというと、そうではありません。確かに登場人物の一人の@takayoshi_miyamotoにはこう言わせていますが、

突き詰めて考えると、俺は、就活自体に意味を見いだせない。何で全員同じタイミングで自己分析なんか始めなきゃいけないんだ?ていうか、自己分析って何?誰のためにするもの?俺なんかはちょっと色々引っかかっちゃうんだよね。


一方で、主人公と目される語り手の@takutodesuには、その発言に対してこう語らせていますから。

たくさんの人間が同じスーツを着て、同じようなことを訊かれ、同じようなことを喋る。確かにそれは個々の意志のない大きな流れに見えるかもしれない。だけどそれは、「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。自分はアーティストや起業家にはきっともうなれない。だけど就職活動をして企業に入れば、また違った形の「何者か」になれるのかもしれない。そんな小さな希望をもとに大きな決断を下したひとりひとりが、同じスーツを着て同じような面接に臨んでいるだけだ。


「アーティストや起業家にはきっともうなれない」一般の就活生から見れば、在学中に文学賞を受賞し作品も出版されている朝井氏は、@takayoshi_miyamotoのように就活をdisる側と思ってしまうかもしれませんが、実は自身も就職活動を経て東証一部上場企業にしてマスコミ並みの難関である映画会社「東宝」に就職をした朝井氏にとっては、@takkutodesuが語る就活観の方が経験に即したものなのかもしれません。
就活に対する前向き(前のめり)度は、
@rika_0927 > @mizukitanabe >@kotaro_OVERMUSIC >@takayoshi_miyamoto > @account_of_GINJI
で、それを@takutodesuが観察している、という構図なのですが、それぞれの性格や考え方と就活に対する取り組みが説得力を以て描かれており、よく書き分けられていると思います。
詳しくは書きませんが、6人の登場人物の全ての印象が、読み始めて中盤にかかる頃までと、読み終わった後では激しく変わると思います、それは作者朝井氏の筆力と巧みなストーリーテリング故なのですが。

中でも前半部分では「意識高い」学生である@rika_0927を揶揄するような描写が@takutodesuによって語られているので、単純にして素直な読者である私など、つい@takutodesuに同調して、@rika_0927のことを「痛い人」と思い込んでいたら、クライマックスのどんでん返しで俄然この@rika_0927ちゃんの健気さに涙が出るほど応援したくなってしまうのですが。

語り手@takutodesuが、ルームメイト@kotaro_OVERMUSICに片思いする@mizukitanabeに秘かに抱く恋心なども繊細な描写と共に描かれてはいますが、しかし「何者」が就活を巡る青春群像小説かというと、実はそうではないかもしれません、一種のミステリーなのです、この小説。登場人物それぞれの現実とTweetの落差を描きつつ、ミステリーのように伏線が張り巡らされているのです。最初読んだ時には気がつかなかった伏線やヒントが、最後まで読んでもう一度読み直すとちゃんとあるんですね、例えて言えば、アガサ・クリスティー
アクロイド殺害事件

アクロイド殺害事件 (創元推理文庫)

アクロイド殺害事件 (創元推理文庫)

ですか。昔この推理小説を読んだ時のように、私はこの「何者」という小説を最後まで読んでから作者の朝井氏に騙されたことを楽しく確かめるために、何度も前の部分のページをめくりましたよ。「留学、バンド、演劇、休学」というキーワードの共通点は何か、とか色々(これ以上は書くのを我慢します)。

さて、登場人物の印象がひっくり返るクライマックスシーンですが、それはPCと携帯とSNSの現代ならでは、の二つの偶然が重なることによって起こります。
一つ目は、物語上では巧みに自然な成り行きになってはいるものの、@takutodesuの携帯を@rika_0927が借り、@rika_0927のパソコンを@takutodesuが借りる、という偶然。
二つ目は、お互いの携帯とPCを借りた二人が、片方は残っていた検索画面で、もう片方は予測変換で、相手が直前に何を検索していたのかを知る、という偶然。
アガサ・クリスティーの時代には、想像もできなかったような偶然です。
この二つの偶然によって、優しさに溢れお互いを傷つけない今の大学生らしくそれまで封印してあったことが白日の下に晒されていくのが、まあ何とスリリングなこと(オバサン目線)。晒された事実の幾つかについては、ここで書いてしまうと面白くないので、実際に読んで頂くとして。



ただ、一つだけ私が疑問に思ったことだけを書きますが、それは、このクライマックス場面で@rika_0927によって、@takutodesuの「裏垢」が暴露されるのですが、そこで納得できない部分があるんですよね、オバサンとしては。その疑問はこういう流れになっています。

@takutodesuは、メールアドレスからアカウントを検索できることを知らなかったわけではない。
何故ならば、作者はちゃんと物語中盤で@rika_0927に

プライベートのメールアドレスがわかれば、それでアカウントが検索できたりするから。

知らないの?メールアドレスからツイッターのアカウントって検索できるでしよ。

と重ねて言わせているのに、何故@takutodesuは、自分の「裏垢」に鍵をかけるか、アカウントを消してしまわなかったのか?その答として、作者は@rika_0927にこう言わせてはいます。

私、あんたはもうひとつのアカウントにロックかけたりツイートを消去したりなんかしないってわかってたよ。
だってあんた、自分のツイート大好きだもんね。自分の観察と分析はサイコーに鋭いって思ってるもんね。どうせ、たまに読み返したりしてるんでしょ?あんたにとってあのアカウントはあったかいふとんみたいなもんなんでしょ。精神安定剤、手放せるわけないもんね。
たまーに見知らぬ人がリツイートしてくれたりお気に入りに登録してくれたりするのが気持ち良くて仕方なかったんでしょ?だから他人から見られないようにロックもしなかったんだよね。

つまり「裏垢」をロックしたり削除したりしなかったのは、偏に@takutodesuの強い承認欲求だと、作者は説明しているのですが、では、素朴な疑問を呈したいのですが、


就活生ならば、先ず就職活動に入る前に、それまで学生時代に都合の悪いことや社会的にアブナいことをtweetしていたアカウントは削除、または最低でも鍵をかけてから就活に臨むのではないか?何故なら採用担当者に「メールアドレスからアカウント検索」される可能性が高いから。


という点に、この部分が整合していないと思うのです。この6人の登場人物が、「馬鹿発見器」と言われるTwitter上で社会的に問題があるtweetを平気でしてしまうFランの大学生ならともかく、「御山大学」という設定はどうやら朝井氏が卒業した早稲田大学やら上智大学やらをミックスした設定になっているのですから、
「就活中なのに、承認欲求故に、採用担当者にメールアドレスから検索されてしまう裏アカウントを消さなかった」
というのは極めて不自然だと思うのですけど。過保護なばかりに就職の面倒を見てくれる大学のキャリアセンターでも、就活前に既にウェブ上での身辺整理も指導があるんじゃないか、昨今の色々な事例(外資コンサルに受かった嬉しさにESに書いたTOEICの点数を「盛っていた」ことをmixiだったかtweet だったか告白してしまって内定取り消しになった一橋大生の例やら、レイプを擁護するようなtweetをして大手デパートの内定が取り消しになった立教生とか)を鑑みると。
ですから、彼ら(@takutodesuと@takayoshi_miyamoto)が、メールアドレスで検索できる「裏垢」をそのままにしているのはとても不自然だと思うのですけどね。まあ物語の構造上、どうしても「裏垢」で呟かれる登場人物の本音が必要だったのだとは思いますが・・・。朝井氏の説明を聞きたいものです。


それと、何と言っても結末がしっくりきません、私。マトモすぎるでしょ、これじゃ。@takutodesuが抱える「毒」はこんなにも簡単に解毒されてしまうものなのでしょうか?それとも、今ドキの大学生は、SNSとリアルを行き来する複雑で繊細で重層的な人間関係の中に日々生きているのですが、実はこんなにも素直だったりするのでしょうか?
朝井氏には、次作もまた新しい手法を使って頂きたい、そうですね今度はFacebookを絡めての小説をお願いしたいところです、写真もふんだんに入れて。


「何者」という小説の帯には、幾つかのコピーが並んでいますが、

影を宿しながら
    光りを探る
就活大学生の
 切実な歩み


というのは、この小説の説明とはちょっと違う気がして、私なら寧ろ

あなたの心をあぶり出す
書き下ろし長編小説


という方を選びたいですね。
息子や娘が就活生の年代で、「最近のシューカツってどんな感じなのか、この小説でも読んでみようか。」という読み方は見当違いではないかと思います。
「この小説はミステリーである。」と言いましたが、更に私が連想したのが、庄司薫氏が20歳の時に本名の福田章二で書いて中央公論新人賞をとった
「喪失」

喪失

喪失

の心理小説です。今読み返しても色褪せない緻密な心理描写ですが、この懐かしい短編である「喪失」と同じ濃密さが、長編小説である「何者」の中でも、Twitterを絡めることによって可能になっています。
扱っているテーマやSNSを絡めていることを考えると、「何者」は広く長く読まれる小説ではないかもしれません、テーマや形式が時代遅れになってきっと数年経たないうちに忘れられるでしょうが、「2012年の暮から2013年の新年に読んだ小説」、まさにテーマも形式も「今」の小説として感想を書き留めておかずにはいられない小説なのです。