避け難い選択を責める権利は誰にもありません:ルーマニアで殺害された女子大生の悲劇に関して

本当に痛ましい事件で、ご両親、そして彼女を見守り育ててこられたご親族の気持ちを思うと、いたたまれません。
亡くなった益野さんは、正に私の娘と同じ歳です。
同じ1992年に生まれ、きっと初節句も七五三も同じ年に祝い、同じ年に小学校に入学。きっと習い事の発表会や、母の日や父の日のプレゼント、夏休みの旅行先での思い出、そうして娘が親に与えてくれる沢山の楽しみを味わって、そして去年震災の後、大学への入学をご両親は祝ったに違いありません。大学入学後も意欲的に物事に取り組むお嬢様の姿を見て、自立していく娘に一抹の淋しさを感じつつそれ以上に頼もしさを感じていらっしゃったに違いないと思います、彼女がインターンシップルーマニアに旅立っていったその日も。

私自身、この夏娘をアジアの某国へ送り出しました。実は「安全」のために親がしてやれることは少ないのです。お金の準備と万一に備えてクレジットカードの限度額を上げておくくらい。常備薬やバンドエイドや湿布や消毒用のウェットティッシュを持たせても、「安全」は保障できません。それでも、「娘の意志を尊重してやりたい」「このまま日本で呑気に安全に過ごしてほしいと願うのは親のエゴで、『可愛い子には旅をさせよ』だから、笑顔で送り出そう」と思うのです、親とは。
娘も、亡くなった益野さん同様、空港から宿舎まではタクシーで移動、ということになっていました。これが一番不安で、ネットで色々と調べてみましたが、「遠回りのルートを通って料金をボラれた」「メーターを倒さずに走って、到着地で高額の料金を請求された」という例は山ほど見ましたが、それを以て彼女を引き止める理由にはなりません、それでも親の心配は尽きなかったのですが。娘の場合は、直前になって同じ飛行機で同じ宿舎に向かう女の子を見つけて(facebookで)、彼女と一緒に行くということで、親の心配は幾分減ったのですが、それでも実際には、空港で客待ちをしている正規のタクシーに乗ったのにもかかわらず、ガイドブックに出ている料金よりはかなり高額の料金を請求されたとのこと。この「タクシーが、乗客が地元民ではなく観光客と見るや、遠回りをして料金をふっかける」というのは、先進国であるヨーロッパの某国でも私自身経験したことがあり、そういうタクシーに当たるか当たらないかは、行き先の国には関係なく全くの「運」なのでしょう。

益野さんの場合は、タクシーに問題があったのではなく、深夜の空港で迎えが来なくて心細い思いをしている時に声をかけてきた加害者とタクシーに乗って、おそらく加害者が「バスに乗り換えた方が良いからタクシーを降りよう」と誘導してタクシーを降りたことが、悲劇に繋がったのだと思います。今回の事件が報道された後、「外国で声をかけてきた男と一緒にタクシーに乗るなんて無防備だ」とか、「外国での危機意識が足りない」といった、被害者の責任を問うかの如くの書き込みがネットでも数多く見られました。ご遺族の心情も考えないこれらの発言に怒りを覚えつつ、では今回の悲劇は被害者である益野さんに責任があったのかどうか、私なりに考えてみました。


人は、如何なる時も「選択」を迫られます。国内であっても海外であっても宇宙空間であっても。その時の状況でベストと思われるものを否応無く選択しなくてはなりません。益野さんの選択は、深夜の外国の空港で言葉(現地語)も通じず、連絡手段も持たない最悪の状況の中では、決して責められるものではなかったと私は思います。責められるべきは、加害者の犯行であり、そして彼女をそういう最悪の状況に追い込んだ団体ーーー東京で机上のプランを立てておざなりの確認で彼女一人を送り出した団体ーーーです。


ドイツに住んでいた時、ドイツの地方空港に深夜最終便で降り立ったことがあります。出発地の離陸が遅れに遅れたのが原因だったのですが、失礼ながらルーマニアよりは遥かに先進国で治安もよいドイツですが、その時日本人の私が感じた怖さは今でも覚えています。その最終便に乗っていたのは、20〜30人でしたが、殆どがビジネスマンで彼らは荷物を預けておらず機内持ち込みの荷物だけですから、Baggage Deliveryでは、荷物が出てくるのを待っている乗客は、私と後は家族連れ一組のみ。飛行機から降りてターミナルの通路を歩いている時には、乗客が通り過ぎたところの電気は次々と消されていくので背後は真っ暗です。地上の係員も私たちが最後の便ですから、帰り支度をして暗くなった通路を私たちと一緒に歩いている始末。心細い中、やっとスーツケースをピックアップして出口に向かうと、いつもは空港内ショップで賑やかな通路も当然のことながら電気は消され全てシャッターが閉まり人気はありません。航空会社のカウンターも人っ子一人いません。私と一緒に荷物をピックした家族は、私が向かおうとしているタクシー乗り場とは反対方向の、パーキングタワーに向かおうとしています。空港まで乗ってきて駐車してあった自家用車に乗って帰るのでしょう。当時アラフォーは超えていた私ですが、既に泣きそうになりながら、スーツケースを引きずってタクシー乗り場まで来ると、いつもはとぐろを巻くようにたくさんのタクシーが客待ちをしているのですが、待っているのは数台のみ、そして私よりも先にタクシー乗り場にいた最後の乗客がまさにタクシーに乗り込もうとしていました。そして残されたのは、数台のタクシーと東洋人の私だけ。空港の従業員の姿も警官の姿もありません。残った数台のタクシーからは、日本では感じたことのない殺気を感じます。この時の恐怖感というのは、経験したことがない人にはわからないと思います。このシチュエーションでは日本人男性でも恐怖を感じると思いますが、女性の場合はそれの数倍も数十倍もの恐怖です。文明国で治安のよいドイツの、ピッカピカの近代的な空港ですら、本能的に全身で感じた怖さです。それでも私は、何と言ってもそこで数年暮らした住人ですし、ドイツ語も何とか喋れて看板や表示も読めて、何より通じる携帯電話がある、という状態でしたが、初めての地で、現地語も喋れず読めず(これはルーマニア語だから当然のことです)、連絡手段がなく、そして娘と同じ20歳という年齢で、彼女はどれだけ怖かったことでしょう。


益野さんを「危機意識が足りない」「知らない男とタクシーに乗るべきではなかった」と書き込む人たちに私は尋ねたいのです。

あなたなら、来るはずの迎えが来なくて連絡の手段もなく、乗り換えるはずの電車の時刻が迫っている深夜の外国の空港、その人気がない空港で一夜を明かすことと、誰も英語を解さない中、片言の英語で「目的地へ行く手伝いができる」と話しかけてきた男とタクシーに乗って駅へ向かう、と二つに一つを選べと言われたら、どちらを選びますか?

「危機意識が足りない」「知らない男とタクシーに乗るべきではなかった」と言う人は、そういう深夜の空港に取り残されることを、その場で本当に選べるのでしょうか?

私自身を益野さんの立場に置いてみると、あの恐怖感を知っているだけに、「人気のない深夜の外国の空港で夜を明かす」恐怖感を思えば彼女と同じ選択をしたと思います。彼女は決して「危機意識が足りなかった」訳ではありません。その状況の二者択一では、避けようのない選択だったと思います。決して軽はずみな選択ではなかったと思います。悲劇的な結果はまた別の話です。

憎むべきは加害者本人とその犯行。ルーマニアルーマニア人のの全てを憎むべきではないことも確かです。


敢えてリンクのURLは貼りませんが、今年の2月に同じ学生団体から同じくルーマニアインターンシップに行った大学生のブログを読みました。と思ったら、昨日はあった記事が今日は削除されていました。コピペしてあった記事を転載します、もうトラックバックも必要ないのですが。
彼が益野さんと同じ空港に着いたところから始まります。



荷物を受け取り、フロアへと出る。
ここで、問題が発生した。
“Hi Jun~ Welcome to Cluj!!!”
となるはずが、誰もいないのである。
自分のマネージャーは2,3人でピックアップしに行くと言っていた。
インターネットアクセスも電話も持っていない(正確には高額請求になるがiPhoneは使える)自分は、何もすることができない。空港には公衆電話なるものがないようであった。1時間くらい待っても現れない。高額請求が来るのを承知でiPhoneGmailにログインし
マネージャーにメール。電話。でない。夜の2時をまわる。さすがに空腹になってきて、それに重なるように焦りが募った。小さい空港なので休む場所も特になく、深夜になって店も閉まっていた。日本からのお土産として持ってきた柿ピー(チョイスへのクレームは受け付けていません)を食べた。しょうがないから助けを求めることにした。まずは、その辺をウロチョロしてるPOLITICA(警官)に電話が使えるところがないかどうかを尋ねてみた。

“I don’t know”
POLITICA使えねーな。

すると、先ほど入国の際に珍しいものを見る目(確かにこの地域に日本人はかなり珍しい)で自分のことをチェックした男性スタッフ(よく洋画に出てくるワルだけど、嫌いになれないやつ的な雰囲気)が他の女性スタッフとともに通りかかった。すかさず助けを求めてみる。
彼はとりあえずタバコが吸いたいらしく、-10°のルーマニア野外に出て、タバコを吸いながらケータイを取り出し、自分のマネージャーにかけた。出ない。何度かけても出ない。
ここで自分が行く先をわかっていればその住所をタクシー運転手に伝えて向かうこともできたのだが、把握してなかったうえに、把握していたとしてもアコモデーションの管理者に現地アイセックメンバーから引き継いでもらわなければ入居できないことは必至だった。

自分のマネージャー以外のメンバーの連絡先を探し、現地のLC(Local Committee)の受入事務局局長に電話をすることに。
ここでようやくつながる。彼はルーマニア語で事情を色々と伝えてくれた。すると、どうやらどこかでアイセックメンバーが待ってくれることになったらしい。彼はその住所を近くにいたタクシードライバーに伝え、自分には伝えず(笑)、「これに乗ってけ」的な感じで自分を送り出した。ありがとう。まじありがとう。

タクシードライバーはあまり英語がしゃべれないらしい。15分くらいで10ユーロ、ジャパニーズプライスだったが、何も文句を言わず、タクシーを降りた。どうやら近くの建物にそのアイセックメンバーがいるらしい。中をのぞいてみるが、受付的なところにおっさんが座ってるだけだ。とりあえず中に入って話しかけてみるが、全く英語がしゃべれない。こちらはルーマニア語がわかるはずもなく、コミュニケーションが成り立たない。建物の近くにいた若者を捕まえて訳してもらう。相手からしても奇妙な客だっただろう。なにせ、「日本から来たのだが、誰かがここに迎えに来てくれる、と言われてここまでタクシーに乗ってきた」というかなり安定性を欠く旅行プランを伝えられているのだから。
そんなこんなしているうちにひとりの女性が現れた。一瞬で分かった。アイセックメンバーだ。自分もアイセックメンバーだからか、雰囲気でわかるところがある。面白い。
これにてようやく一安心。どうやらここは自分のアコモデーションらしい。近場の大学生たちの寮のようなところ。自分の所属するプロジェクトのリーダーが飛ぶようにして部屋の鍵を持ってきた。ようやく部屋に。この時点で夜中の3時半である。
ふたりはものすごく謝ってくれた。自分は特に怒っていたわけでもなかったので、全然OKだった。とりあえず寝たいので、プロジェクトリーダーの方に翌朝また来てもらうことにして、眠りにつくことにした。。。



たった半年前のことです。益野さんと同じく深夜の到着であるにも拘らず、益野さんと同様「迎えがこない」現地の対応も驚きですが(何故この時のことがフィードバックされなかったのか?)、インターンシップに向かう本人に宿舎の住所が知らされていないことは、正に驚愕です。まあ今はこの点については不問に付すことにして(団体から正式なコメントや説明は未だ出ていませんから)、男子学生である彼ですら空港で迎えを待ち続けるということはできなかった、ということに注目して頂きたいです。深夜の空港で迎えが来ない状況の彼がしたことは、益野さんと同じく、多分現場にいた片言の英語が喋れる唯一の現地の見ず知らずの人間(それが税関職員であったことだけが、彼にとっての幸運)に頼って、自分は行き先がわからないままタクシーに乗り(「まじありがとう」ですからね)、そして、彼の賢明な選択の結果ではなく単に幸運が幸いして、彼は奇跡的に宿舎に辿り着くのです、夜中の3時半に。彼がした選択は益野さんと同じです。彼は幸運にも辿り着いた、本当によかったと思います。けれどもそれは彼が益野さんよりも「危機意識が高かった」からではなく、その場で同じく究極の二者択一で同じことを選択した結果なのです。益野さんの責任を問う人は、同じ選択をした彼をも非難すべきでしょうし、彼が無事ついた幸運をよかったと思うのならば、益野さんの悲劇は彼女のせいではないことに気がついてほしいのです。加害者の犯人が金品狙いなのならば、男子学生だろうが女子学生だろうが関係ありません。今回のインターンシップに行ったのが男子学生で益野さんと同じ選択をしたら同じ結果になっていたのではないでしょうか?いえ、学生でなくて海外経験の豊富な大人であっても、深夜の外国の空港で、もうこれ以上客が降りて来ないことを知ったタクシーの運転手(複数)が剣呑な目つきでこちらを睨んでいていつ降りてこちらにやってくるともしれない場所で、来る保障がない迎えを待って夜を明かすことを選択するでしょうか?どんな「常識のある国際人」ならば、そのままその場所で待つという選択をするのでしょう?

ですから、亡くなった益野さんを悼むどころか、彼女に非があったかの如くの心ない発言は全く状況がわかっていない、それこそ「海外での現実がわかっていない」人たちではないかと、憤りを感じます。もう手遅れかもしれませんが、是非そういう発言は慎んで頂きたいと切に願います。




また、彼女を含めた「意識高く」国際交流や海外研修に意欲的な大学生を揶揄する論調もありますが、それは本当に正しいことでしょうか?自分が日本のため世界のために何ができるかを真摯に考えることのどこが「意識高い」(←今や侮蔑語の感あり)と揶揄されなくてはいけないのか?彼女は決して、観光や物見遊山で遠いルーマニアに一人で行ったわけではありません。その彼女の行動力や意志は、悲劇が起こってしまった今でも、変わることなく称賛されるべきではないでしょうか?それを非難する論調には、私は決して与することはできません。
家族に愛されて育って、真面目に物事に取り組んできた彼女を貶めるような発言は、厳に慎むべきだと私は思います。

それでもご両親の悲しみは如何ばかりか。
「行かさなければよかった」と思っていらっしゃるかもしれません。でも、私は理解できます、娘が前向きに取り組んでいる事を応援してやりたいと思うことこそが、本当に娘を愛する親なのです。辛いけれどもこれが親の仕事です。子供がやっていることを頭から否定し、親の庇護の下でただひたすら安全に日々を過ごすことを強制するのは、親は安心かもしれませんが、親のエゴであり、本来親がすべきことでないでしょう。子供を理解しよう、親の手を離れていく子供の成長を喜ぼうと思えば思うほど、親が守ってやれないところに子供は出て行くのです。益野さんも旅立ちの日には、親としての不安を抱えながらも自分を理解して送り出してくれたご両親には娘として感謝していたと思います。その日、旅立って行くお嬢様と送り出した親側との心が通じた瞬間だけを心に留めて、心ない発言には耳を塞いで頂ければと切に願います。益野さんが、真摯に取り組んでいたことを否定することなく。



今回の悲劇を機に、大学生は海外に出て行くのを控えるべきなのでしょうか?親は、「海外に行きたい」という子供の希望を「安全第一」と何が何でも押さえつけるべきなのでしょうか?
私はそうは思いません。勿論渡航先の安全確認は徹底しなくてはなりませんが、それだって予測不可能なことだってあると自覚することの方が大事だと思います。英語研修に行った先のニュージーランドで大地震に遭い富山県の専門学校生が数多く亡くなった、という悲劇が昨年ありましたが、地震や偶発的な事故までは予測も準備もできません。
ただ聞くところによると、昨今の「コミュニケーション重視」と「グローバル化対応」とやらの就活で、「大学時代にやったこと」で他の学生と違ったことを面接で喋るためのネタだけのために、準備おろそかにインドやら世界一周やらの過酷な旅に出かける学生もいるとか(行き先が、アメリカやヨーロッパだと、もはや通用しないらしい)。もしそういうプレッシャーを学生に与えているとしたら、企業や社会も考え直す点があるのでは?

学生に対していたずらに「グローバル化」を煽ってきた今までの勇み足も見直されなくてはなりませんが、これで「海外は危ない」という側に極端に針が振れるのも、また問題です。
益野さんの遺志を継ぎつつ、海外に出て行く意欲ある学生が増えることは、これからも奨励されるべきだと思います。女子学生も同様です。優秀な日本女性はもっと海外で活躍してよいのですから。


彼女を送り出した学生団体が、事件後数日経った今も「ご遺族の意向で」とコメントを出していませんが、或る意味この団体がどういうコメントを出すかどうかで、Alumniも含めて、今まで活動してきたことの真価、そしてこれからが問われると思います。


最後に、益野さんのご冥福を心からお祈り致します。と同時に、慈しみ育ててこられたお嬢様が痛ましい悲劇に巻き込まれてしまったご両親の悲しみと嘆きは尽きる事はないと思いますが、お嬢様がとられた行動はあの状況の中では避けようのないもので何ら責められるべきものではないと申し上げたいと思います。