放射能汚染の不安の中で子育てしている若いママたちに申し訳なさでいっぱい

自治体が子供一人一人に線量計を配布

公園の砂場閉鎖

校庭での体育・部活動自粛

屋外プールでの水泳授業自粛

衣替えの季節であるが長袖登校を推奨

・・・。どれもこれもが、半年前には日本人の誰一人として考えもしなかった異常な事態です。


この次には、どんな皺寄せが子供たちに負わされるのでしょうか?


日本という同じ国に生まれながら、「昔は暗くなるまでトンボ採ったり、近所の川でメダカ釣ったり、遊んだもんだ。それに比べて今の子供は部屋の中でゲームばっかり・・・」と永遠の「今どきの若者はダメだ」論者である60歳以上の方々とは、全く違った子供時代を送っている、否、送らされているのです、福島原発事故放射能汚染に晒されている地域の子供たちは。
子供たちは文句を言いません。黙々と、この現実の中で生きています。実際は世界の他のどこの地域でもこんな過酷な環境で生活している子供たちはいないはずなのに。
「日本は物質的に豊かな国だからいいじゃないか(「それは我々が苦労して作ってきたもの」と言いたいわけですが)。少々の被曝は身体によい。」という人がいたら(いるんですよね、これが!)、では「電気にどっぷり浸かった生活はなくていいから、校庭で部活ができて、海で泳げて、おばあちゃんが庭で作った野菜が食べられる生活を返してください」と言われたらどうするのか、考えてみてほしいです。


そんなに遠くない昔。


今大学4回生の息子は、無類の「お砂場好き」で、直立歩行できる以前から近所の公園の砂場に通い詰め、雨の日以外は暑さ寒さ関係なく日参していました。その雨の日でさえ、「今日は砂場に行かなくて済む!」とのんびり構えている母の私が油断していると、玄関でシャベルとスコップを持って「毎日のお勤め」へと今にもドアを開けて出て行きそうな彼の姿を見つけて慌てたこともありました。先日ご主人が認知症であるという年配のご婦人が、
「主人が毎朝、パジャマに靴履いて鞄持って玄関に立っていて困るのよ。」
とおっしゃっておりましたが、まあそれと同様でした・・・。

そして今年から大学生になった娘も、兄に負けることなく、幼稚園では「砂場の女王」でした(息子は、わくわくさん*1の影響で、幼稚園では「工作派」に属す)。幼稚園の間に娘が砂場で作り上げた「泥団子」の数は誰にも負けないのではないでしょうか。

子供たちが小さかった当時、湘南地方の逗子という海辺の町に住んでいたのので、夏は当然、海!です。といっても、暑い日中に行くのではなく、夕方5時過ぎて、海水浴客が帰る頃に海岸に行くのです。「ママと子供たち」の組み合わせが3〜6組くらい集まって、子供たちは幼稚園生から小学生まで入り乱れて皆で砂遊び!砂のお城やトンネルや基地や落とし穴など、何せ場所は広すぎるほど広いのですから、幼稚園や公園の砂場ではできないダイナミックな砂遊びができたのでした。それに飽きると、今度は「宝探し」です。じゃんけんで勝った子供が、他の子が反対方向を向いている間、砂遊びに使っていたスコップとかをどこかに埋めるのです。それを残りの子が広大な砂浜を掘り返して探す遊びです。それにも飽きると、今度は2チームに分かれてスコップをバトンにして砂浜の端から端までのリレー競争。年長の子がリーダーシップをとってくれて、上手く均等に分かれたそれぞれのチームで、幼稚園の子も自分の番になるとスコップを持って一生懸命砂場を裸足で走っていましたね。その間、ママたちは海水浴客が帰って人気がなくなりかけた海の家で、丁度富士山のシルエットあたりに夕日が落ちていくのを見ながら、一日の疲れを吹き飛ばしてくれるビール片手におしゃべりです。今思い出しても、言葉通り「私の人生の夏」だったかもしれません。


「砂まみれになる」ことに何の心配もなく、何も考えずに子供たちを遊ばせることができた子育てでした。それが10年かそこらで、「とても幸せで貴重なこと」になるとは。


我が家のスポーツ系お稽古事は、偶然ですが、スイミングと合気道で、どちらも屋内でしたが、サッカー教室や野球のリトルリーグ、テニスなど、「戸外で長時間のスポーツ」「地面の砂と接触することが多いスポーツ」に通っているお子さんも沢山いました。当時、親の頭にあったのはただ一つ、
「子供自身がやりたがっているから、子供自身が好きだから、やらせてあげたい。」
という気持ちだったと思います。それはとても普通のことだったのです。



ところが今やどうでしょう!
福島県では、公園の砂場遊びも禁止、校庭の土は入れ替え、戸外のプールは今年は使用見送り、そしてこの夏に向けて海水浴場は砂浜と海水と両方について放射能汚染度の検査をする、とのこと。
子育てにしても、「子供が『やりたい』と言うからやらせてあげたい。」というシンプルな動機では、サッカー教室も、少年野球も、テニスも、親はさせてあげられなくなっているのです。
どれもこれもものすごく異常なことです、「3.11」以前ならば想像もつかないような、別世界のような。当事者である福島県の母親たちが感じているであろう不安と恐怖を思いつつ、そういった報道を毎日テレビで見ることに慣れていく私たちの感受性の麻痺もまた恐く感じます。

或る日気がついたら、
日本人は生まれた時に一台ずつ線量計を持たされて、一生涯自分の被曝量を計算しながら生きていかなくてはならない、
ということになっていても、もう驚かなくなっているとしたら、それはホラーです。


東日本に住む子育て中の若いママたちは、住んでいる場所で程度の差はあれ、子育てが始まる以前の妊娠中に自分自身の身体の心配から始まって、
水や食べ物、洗濯物は外に干すべきか否か、
日光浴はさせてよいのか、
外遊びや砂場遊びはどうなのか、
半袖よりも長袖を着せた方がよいのか、
「サッカー教室行きたい」という子どもの希望をどうしようか、
・・・、

といった、今までの母親たち(含む、私)が子育ての中で考えることすらなかった心配、誇張でなく人類史上「母親」が初めて経験する心配事が永遠についてくるのです。放射能汚染の不安と共に生きることが普通の状態になる、という環境の中での子育てを始めています。
不安を持っているのは、福島県の避難区域に住む母親だけではなく、福島県全体、隣県の茨城県、千葉県、東京都、・・・に住む母親にも広がっているようです。



先日(と言ってもかなり前の6月6日)のNHKの朝の番組「あさイチ! "避難”する?しない?ママたちの決断」でもこのテーマを扱っていました。

冒頭に、イノッチだったか有働アナウンサーだったかが、
「今日は西日本の方々も、ご覧になって考えて頂きたい」
と言っていました、まさに!
それは、福島で子育てするママたちを理解し、また番組終盤で話に出るのですが「夏休みだけ、福島の親子を受け入れる」ような仕組みや受け入れ態勢が西日本の各地に望まれる、ということに繋がるのでしょうが、私は寧ろ「災害に遭った人とそれを助ける人」という図式ではなく、「他人事ではなくいつ自分も同じ立場になるかもしれない」という冷静な危機感こそ抱くべきだと思ったことでした。

福島第一原発の近くのママたちは、「3.11」以降いきなり「子供を連れての避難」「放射能汚染の心配」という状況に乱暴に放り込まれたのです。これは彼女たちだけに起こることではなく、原発がある地域の近くに住んでいる全ての母親にも「起こる可能性がある」ことなのです。
今回のような「大地震と大津波」のセットは日本中どこでも起こりうることであり、福井県や風向きによっては兵庫県北部と京都府に住む母親も、積丹半島下北半島能登半島に住む母親も、新潟県茨城県静岡県島根県愛媛県佐賀県と鹿児島県とその隣県も(以上、原発のある県と地域です)、みな全て、今の福島県と同じ状況になる可能性は高いのです、この地震国日本では。就中、福島⇄東京は約250kmですが、福井県原発銀座⇄大阪は僅か100km超なのですよ。つい最近、江戸時代の初めに若狭湾でも「異常に巨大な天変地異」(←この文言で、東電が免責される?)である地震津波が起こった、という記録があると報道されたばかりです(しばやん様という方のこのブログに詳しいので参照)。しかもそれを関西電力は知っていて住民には説明していなかった、というどこかで聞いたような話なのですが、今回の東日本大震災と同じように若狭湾近辺で、「1000年に一度」だかの地震津波が起こったら、福井県原発のうち何基が無事に冷温停止できるかわかりません。その時は、京都・大阪・神戸の大都市は、今、東京や千葉・埼玉・神奈川の住民が感じているよりもずっとずっと身近に放射能の恐怖を味わうことになりかねません。そういう意味で、西日本に住み「3.11」以降も以前と変わらぬ子育てをしているママたちにとっても他人事ではない、と思ってほしいのです。


ところで。
皆様のNHKの番組ですから、偏り無く色々なパターンの「福島から"避難”したママたち」を取り上げていましたし(番組ホームページ参照)、視聴者からのファックスも、好意的なものとそうでないものとの両方をちゃんと取り上げていました。その中で私が気になったファックスが二件ほどあって、どちらも以下のような論調のものでした(なるべくそのままのニュアンスを思い出したつもりですが、正確ではないかもしれません)。

福島に残って必死で復旧・復興しようと頑張っている人に対して、そこからの”避難”は失礼である。人がいなくなれば町は復興しない。
福島から"避難”する人がいるから、益々『福島は危険』という風評被害が立つ。福島から逃げて行くこういう人たちを取り上げることが不愉快である。

という趣旨でした。こういうファックスもちゃんと有働アナウンサーが読み上げていました。


さて、こういう意見についてどう考えるか。

「子育ても子供の教育も、それぞれの家庭が考えればよいこと」

これに尽きます。しかし昨今違和感というか、少々気になっていることを書いてみます。


被災地を応援することと、子供たちを放射能から守ることは別物

ということです。それを意識的なのか無意識なのか、ごっちゃにしている印象が拭えません。

どこが安全でどこが危険なのか?
どれくらいまでの数値ならば安全なのか?
「ただちに健康に被害がない」の「ただちに」はどれくらいの年数なのか?
実際現実に今我が子が浴びている放射線量はどれくらいなのか?

これらの疑問のどれもがわからない現状の中、母親は皆それぞれが日々悩み、出来る範囲で少しでも子供を守ろうとしているのではないでしょうか?私が違和感を感じたファックスは、肝心の「放射能汚染」については少しも触れず、子供たちが生活していく上での安全性についても触れず、あたかも放射能汚染がないかのような物言いなのです。
今回の地震津波に関しては、早くから「正常化バイアス」ということが言われてきました。

「正常化バイアス」
正常性バイアス (Normalcy bias) :自然災害や火事(山火事、放火など)、事故・事件(テロリズム等の犯罪、ほか)などといった何らかの被害が予想される状況下にあっても、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」などと過小評価したりしてしまう人の心の特性。「正常化の偏見」、「恒常性バイアス」とも言う。          Wikipedia認知バイアス」より


「5分間もの地震の激しい揺れを感じた後でさえ、すぐに高台に逃げなかった人々も少なくなかった」というのは、災害時における典型的「正常化バイアス」だと思いますけど、原発事故災害において、「国が大丈夫と言っているから避難する必要はない」「国の基準値以下だから地元の野菜を子供に食べさせても大丈夫」というのもまさに「正常化バイアス」のように私には思えてしまうのです。
まさにこのNHKの「あさイチ!」で作家の室井佑月氏が
「『地産地消』といって福島の子供に基準値ぎりぎりの野菜を食べさせることはない」
と発言していましたが*2、まさに正論だと思います。


今、我が子である息子も娘も大学生の私は、今の若いママたちと違って、殆ど何も気にせず(気にしないフリをして)生活できているということです。若いママたちに対して、何だか申し訳ない気持ちになります。彼女たちの現実の不安を本当には理解できていないかもしれませんが。
私ですらこうですから、60歳以上の大人、就中原発を推進してきた年代のオヤジ(失礼、でもこの際使わせて頂きます)は、今の若いママたちの不安も苦労も全然わかってないと思いますよ。こういう人たちが、原発の将来を決定する現状の日本のシステムに、思いっきり理不尽さと怒りを感じます。


今現在、私が小さい子供の子育て真っ最中だったら?と考えてみました。
血液型A型の天秤座で(←占い信じていませんが)かなり冷静というか冷めているというか、の私ですが、それでも水や食品の放射能汚染には敏感になっていたと思います。政府の発表は信用せずに毎日パソコンで自分で野菜や水や空気の放射線量をチェックしていたのではないでしょうか?線量計も無理して手に入れていると思います。洗濯物も外に干さないかもしれません。少々暑くても外出時には子供に長袖を着せるかもしれません。
でも、その次を想像して、私は図らずも泣いてしまいました。

今や憎たらしい口答えをする大学生の息子が砂場遊びに命を懸けていた3歳当時の可愛らしい顔と声で、
「ママ、どうして砂場に行ったらいけないの?行こうよ!いつになったら行けるの?」
と母親である私に聞いたとしたら、私はどう答えればよいのか?
娘の幼稚園生活から「砂場でのお団子作り」を奪ったとして、それは何で埋め合わせができたのか?
と考えると、暫く涙が止まりませんでした。

でも、今現実に若いママたちは、我が子のこの問いに答えなくてはならない状況に置かれているのです、それもこれからずっと。
本当に若いママたちには、長く生きてきた大人の一人として申し訳なさで一杯です。
あなたたちに過酷な子育てを強いているのは、原発を放置して長く生きてきた日本の大人全員の責任です。


以下は元東京電力副社長にして元参議院議員原発推進派の代表的人物である加納時男氏が、5月5日の朝日新聞の朝刊でインタビューに答えていた悪名高い記事からの抜粋です。

太陽光や風力というお言葉はとってもロマンがある。しかし、新増設なしでエネルギーの安定的確保ができるのか。二酸化炭素排出抑制の対策ができるのか。天然ガスや石油を海外から購入する際も、原発があることで有利に交渉できる。原子力の選択肢を放棄すべきではない。福島第一原発第5,6号機も捨てずに生かす選択肢はある。

東電をつぶせと言う意見があるが、株主の資産が減ってしまう。金融市場や株式市場に大混乱をもたらすような乱暴な議論があるのは残念だ。原子力損害賠償法には「損害が異常に巨大な天災地変によって生じたときはこの限りではない」という免責条項もある。今回の災害があたらないとすると、いったい何があたるのか。全部免責しろとは言わないが、具体的な負担を考えて欲しい。

低線量の放射線は「むしろ健康にいい」と主張する研究者もいる。説得力があると思う。私の同僚も低線量の放射線治療で病気が治った。過剰反応になっているのでは。むしろ低線量は体にいい、ということすら世の中では言えない。これだけでも申し上げたくて取材に応じた。


これを読んだ時も呆れてしまいましたが、更に原発事故が深刻化した今読み返すと、醜悪ささえ感じると同時に、放射能汚染に怯えながらの子育てを現在強いられている日本の若い母親たちに、決して彼の論理は通用しない、だとしたら、日本がとるべき道はひとつしかないと確信させられます。





*1:http://www.nhk.or.jp/kids/program/tsukutte.html ←まだ放映されています!

*2: