茶人とペットボトルと顔認識自動販売機

お茶のペットボトルが、現在のようにどこでも買えて何の抵抗もなく飲めるようになったのは、そんなに久しいことではない、と思います。
調べてみると、それまで業界が自主規制(「ゴミの増加を懸念して」らしいです)していた500ml以下の小型サイズのペットボトルが解禁されたのが1996年ですから、まだ15年くらい前のことです。

今でも覚えているのは、お茶のペットボトルが売り出された頃、識者と言われる方々(特に女性)から、

「お茶なんて、家で急須で淹れるもの。」
「お金を払って、わざわざ買うものではない。」
「近頃の若い主婦は、お茶を淹れるのさえ手抜きする。」
「ペットボトルは環境に悪い。何故水筒を持たないのか。私たちが若い頃は・・・(以下省略)」

という意見が声高に言われていたものです。

ところが時は過ぎて、今や中高年の方々のウォーキングや山歩きに欠かせないのは「コンビニのおにぎり」(←これも発売された当時は、『おにぎりは家で作るもの』と非難ごーごーだったような?)と「お茶のペットボトル」です。よい時代になりました。
薬缶で煮出して冷蔵庫に入れておいた麦茶さえ、2日もすれば味が変わるというのに、色も味も変わらないプラスチックボトルの中のお茶はなかなかに不気味ではありますから、水筒派は水筒派でよいと思いますし、また水筒派であってもその時の都合でペットボトルのお茶を買ってもよいではないか?と思います。要は、自分の狭くて古い価値観を他人に押し付けない、ということでしょうか?特に、世の中の流れが早い昨今は。


ただ、私は個人的に「これはありえない」と思っていることがあります。それは、

着物姿で、お茶のペットボトル立ち飲み

です。あれは何年前だったでしょうか?初夏を思わせる気温の、鎌倉駅のホームだったのですが、多分お茶会帰りの立派なお着物をお召しになった女性の4〜5人のグループが、立ったままで「暑いわね〜」「暑い、暑い。」とハンカチやお扇子でぱたぱた扇ぎながら、ペットボトルのお茶をぐいぐいお飲みになっていたのです。いや〜、理屈抜きに、美しくありませんでした、例えそのオバサマ方が、若尾文子サンと岩下志麻サンと十朱幸代サンと吉永小百合サンの「和服美人」のカルテットだったとしても!!!(←実際はそうではありませんでしたし)
洋服だと何の抵抗もないのに、また浴衣の若い女の子がペットボトル立ち飲みしていても今や普通ですけど、何故か「着物でペットボトル立ち飲み」に対しては、私は抵抗があるんですね。
綾鷹」のCM「お作法編」でも、着物姿の若い女性たちが、ペットボトルを回しているシーンはありますが、ボトルから直接飲んでいる画はありません。それはやはり画として、美しくないから、だと思います。


また、一種ファンタジーのような「伊右衛門」の宮沢りえさんと本木雅弘さんのCMシリーズも、この↓ 長いCM集を見ても、最後まで直接ペットボトルを口飲みしているシーンはありません。必ず、お盆にペットボトルと華奢なガラスのお茶碗が置かれていて、お茶はそのお茶碗から飲んでいるのです。


(それにしても、古きよき日本を表現している映像の中にペットボトルはかなり無理ありますよね。この夫婦これだけスローライフやっているのなら、急須でお茶淹れるでしょ、ってことですし、冬でもガラスの湯呑み、ってお茶の色を見せたいが故の苦肉の策にしても不自然極まりない・・・)

ところが、「お〜いお茶」のCMでは、あろうことか中谷美紀さんが、ペットボトルから直接お茶を飲んでいるシーンがあるのです!!それも立ち飲み!!!

中谷美紀さんの透明感が好きで、昔「Mind Circus売野雅勇作詞、坂本龍一作曲)」*1 のCD買ったくらいなんです、私。
「着物姿でペットボトル立ち飲みはありえない、何故なら美しくないから。」
というのが持論だった私なんですが、正直な感想を述べると、このCMだけに限って言えば、あまり抵抗はありませんでした。それは何故なんでしょうね?前述の、「綾鷹」や「伊右衛門」のCMと違って、極度にイメージ化された映像の中での「ペットボトル立ち飲み」であるから、と、やはり中谷美紀さんの透明感、というか、凛と一種突き抜けた雰囲気が為せる技なのでしょう。しかしそれはとても際どいライン上にあって、一歩間違えると、下品で美しくないものになってしまうのは明らかです。とにかく、一般のオバサンは決して真似をしてはいけない、中谷美紀を気取って着物姿でペットボトル立ち飲みしたらとんでもない醜態を晒すことになる、と深く胸に留めたのでありました。


ところで。

顔認識自動販売機、というものをご存知でしょうか?

↑ こういうのです。

JR東日本の子会社JR東日本ウォータービジネスが開発したこの自販機は、大型でしかも操作がタッチパネルで電力を食うらしく、2010年末から首都圏主要駅に設置が始まったものの、東日本大震災後の節電期間は稼働していなかったのですが、節電のほとぼりが冷めた東日本では、この夏は堂々と稼働していました。
この自販機は、大型タッチパネルの上部に据え付けられたカメラで、正面に立った人間の性別、年齢を識別し、更に季節や時間帯から、その人に合った商品を「おすすめ」してくる、という、お節介でハイテクな自販機なのです。
さて先日、私は早朝、着物姿で、首都圏某駅に置かれたこの「顔認識自動販売機」の前に立っておりました。着物の時は、時間に余裕を持って路線検索して出かけるのですが(首都圏の鉄道は事故が多いですし)、余裕をかまし過ぎて、 失礼、着物を着て言う台詞ではありませんでした、余裕をとり過ぎまして、乗り換え駅で時間を潰しておりました。すると見つけたこの顔認識の自販機。折角着物を着ているんですから、このハイテクな自販機に見せびらかそう認識してもらおうと、タッチパネルの前に立ってみました。
するとヤツが「おすすめ」してきたのは、何とレッドブルと「ソルティライチー」と「アセロラドリンク」なんですね。何で私に「レッドブル」?妙齢の(←これが指し示す年齢の上限は無視します)女性が、しかも着物着ているっていうのに、「レッドブル」はないんじゃないか?もう一度試すべく、一度自販機の前を離れ、気持ちも新たにもう一度タッチパネルの前に立ってカメラに向かって婉然と微笑んでみたところ・・・やはり「レッドブル」「ソルティーライチ」「アセロラドリンク」の組み合わせは同じ。こっちは、残暑厳しき折にもかかわらず、淡い紫の万筋の単衣の着物に、水引草の柄の絽綴れの帯を締めてるんですのよ!ちゃんと見えてる?せめてレッドブルだけは外して貰いたくて、三度目の正直でもう一度改めて挑戦してみました。タッチパネルの左上には、「朝の茶事」という、着物を着た妙齢の女性にぴったりな商品があるんですよ!わたくし、立ち飲みは致しませんが。「次は絶対に自販機にこの『朝の茶事』を『おすすめ』させてみせる!」とばかり、タッチパネルの前に立って目をぱちぱちさせて視線は「朝の茶事」に集中させてみたのですが・・・腹立つことに結果は同じ。

しかも、レッドブルに加えて「ヴィーダーインゼリー」まで「おすすめ」してくる!!!
顔認識馬鹿なの?
その日帰宅して大学生の娘に事の顛末を話したところ、
「その顔認識の自販機、すごく精度いいんじゃないの?早朝から頑張って着物着たおばさんが、ヤバいくらい疲れていることを見抜いたんだから!おススメしてくれたレッドブル素直に飲めばいいじゃない?」
・・・若者の言葉は、残酷なまでに正鵠を射ているのでした・・・。見方を変えれば、何度も親身になって「レッドブル」を勧めていてくれたのでしょうか、あの顔認識自動販売機は?・・・なわけはない、ですが。


ということがあって、数日後、今度は別用で朝早い時間に駅のホームに私は立っておりました。出で立ちは、着物ではなく、ポロシャツにデニム、という軽装で。すると私の目の前を、着物姿の年配のご婦人が、裾さばきも見事に通っていかれます。お召しになっているお着物は、訪問着に二重太鼓の帯。盛装です。こんな早朝から披露宴やパーティーがある筈はなし、朝帰りでもなければその筋のお商売の方でもない。さて一体?と世間一般の皆様は不思議に思われることでしょう。正解は、と言いますと。もし早朝から気合いの入った着物姿の方を見かけたら、100%茶人がお茶会に行くところだと思って頂いて間違いありません。茶人の朝は早いのです。ということで、世を忍ぶ仮の姿(?)のポロシャツとデニムの私は「今からお茶会に行かれるのね〜」と思って、凛としたお着物姿をちらちら拝見していたのですが、すると、そのおばさま、自販機(顔認識ではなくフツーの自販機)の前でハタと立ち止まり、お財布を出して小銭を投入。そして取り出し口から出てきたのは、何とオロナミンC」!おばさま、腰に手こそ当てていらっしゃいませんでしたが、見事な一気飲み!そして何事もなかったかのように、元気ハツラツ爽やかにホームを進んでいかれたのでありました。
お茶をなさる方ならわかると思うのですが、大寄せのお茶会は優雅に見えても実は結構ハードです。招かれて伺うだけでも高揚感と共に疲労も半端ではありませんが、特に自分の先生がお席持ちの場合、早朝の準備から始まって後片付けまで着物姿で力仕事を含めて働きまくるわけで、本当にドリンク剤でも飲まないと体力が持ちません。実は私もお茶会の時には、家を出る時に「グロンサン強力内服液」

【第3類医薬品】グロンサン強力内服液 30mL×10

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というのを一気飲みして出かけます(箱で買っています・・・)。ですから、あのお着物姿のオバサマが、お茶会の前にオロナミンCで一発気合いを入れていかれたのは、とてもよくわかります。そして何より、あのオロナミンCのオバサマは、一気立ち飲みでも(ペットボトルではありませんでしたが)、少しも醜くありませんでした、寧ろ逆。清々しい気合いさえ感じてしまったほどです。格好良かった!
「着物姿でも、品位を損なうことなく、自販機でドリンク剤を立ち飲みすることができる」
という稀有な見本だったような気がします。
現在の私が同じことをして、下品に見えない自信は全くありません。あのオロナミンCのオバサマは、鎌倉駅のホームの上でペットボトルのお茶を飲んでいたグループとどこがどう違うのか?私のどこをどういじれば、どう精進すれば、あのオロナミンのオバサマの境地に至れるのか?

茶人の道は険しいのです。それでもいつの日か、「レッドブル」を着物姿で美しく一気飲みできるようになることを目指して日々精進していきたいと思う、茶会の季節になった秋も深まる今日この頃。

*1: これを「小学生の男の子を育てる時のテーマソングとして聞いていました。