反日デモの長い夏が終わって ① 鬱々としてしまうのは

鬱々としています。
朝起きて、ご飯を食べて、人と会い、買い物をし、テレビを見たり本を読んだり、以前と何も変わらないはずなのに、鬱々としています。


何故にこの秋の日々に鬱々としているのか?
それは9月半ばの、中国各地の反日デモの映像が頭から離れないから、です。

テレビの液晶のこちら側、即ち絶対的な安全地帯で見ても、中国の街を埋め尽くして反日を叫ぶ、目眩がするほどの大勢の人々の顔。
渾身の力をこめて、手近にある自転車や椅子や金棒やありとあらゆる道具を使って、日系のスーパーや飲食店、工場を破壊する人々の顔。
「憎しみ」という表情は、怒っている顔というよりも嬉々とした顔をするのだ、とさえ思われるその表情。
日本製品をボイコットせよ!」と叫んでいる若い女性の「誇らしげな」としか形容できない顔。

「私たち(日本人)がここまで憎悪されている」という、これ以上わかりやすいものはないでしょう。新聞や書物やその他印刷物、そしてネット上に書き込まれたものならば、「これは一部の意見」と自分に言い聞かせることもできるのでしょうが、映像は圧倒的です。

8月に香港の活動家が尖閣諸島に上陸した時には、「毅然とした態度を!」と勇ましく国会で叫んでいた国会議員の方々や、そもそも尖閣を買い取る」と宣言して騒動の火種を作った超本人の都知事の方は、夏の間は喧しかったのにいつの間にか静まった蝉時雨のように、本格的な秋の気配と共に静かに鳴りを潜めていらっしゃるようですが、そりゃそうでしょう、あの映像、圧倒的規模の人数の中国の人々が圧倒的な憎しみを剥き出しにして、中国に住まう日本人の同胞の築いた商店や工場や道を走る日本製の車までを、破壊している映像を見れば、「毅然とした態度」もしぼもうというものです。攻撃され略奪された商店や飲食店の被害、自宅待機を余儀なくされた日本人学校の子供達(彼らが外国で感じている恐怖に関してケアはできているのか?)、背水の陣で中国に進出しこれから先も中国で生きていかなくてはならない日系中小企業、等々に関して、国会議員として、また地方の首長として、少なからず責任を感じてくださっているのでしょうね、きっと?

日本政府や日本国内の新聞やテレビの解説は、意外に冷静なもので、私たち一般国民が不安に陥らないように(←原発事故の時にも聞いた台詞)ご配慮頂いているようです。たった1年半前の原発事故以来、政府の発表やマスコミの報道は信用できないということはわかっていても、それでも彼らの言う「反日デモには、色々と裏があって、報道を鵜呑みにしてはいけない」というご意見、私は寧ろ貪るように探して読み漁りましたし、ネットの中でそういう見方をしているものを探して読んでは不安を抑えてきました。

反日デモに当局の影 中国、組織的に動員か
「100元(約1200円)をもらってデモに集まった人もいる」。福建省のデモに参加したという男性が打ち明けた。中国シンクタンク研究者は「全国のデモを支援する出資者がいるのは間違いない」と述べ、大規模デモが組織的に行われている可能性を指摘する。             2012/09/20 08:30 【共同通信

反日デモは「中国当局が仕組んだ」、美術家の艾氏発言

中国の反体制的な現代美術家艾未未アイ・ウェイウェイ、Ai Weiwei)氏が20日、同国各地で起きている反日デモは中国政府指導者たちの後押しを受けているとAFPの取材に語った。
(中略)
 艾氏は、「(反日)デモ全体が当局によって仕組まれていることが、あからさまに分かることに驚いた」と述べた。    【9月20日 AFP】

政治コメンテーターのLi Weidong氏は、「もちろん日本との問題は存在する。ただ、政府はそれを国内の不満のガス抜きに利用している」と指摘。「政府は不満の度合いを見計らっている。統制不能にはしたくない」と語った。                      [北京 19日 ロイター]


上に挙げた報道のように、今回の過去最大の規模の中国民衆の反日デモを「官制デモである」「知識人は参加していない」「格差に不満を持つ層のガス抜きである」等々、ここに解説されていることを信じたい、すがりたい、のが私たち日本人の心情だと思います。しかしその見立てが仮に100%事実だとしても、ではあの映像の中の人々の果たして何%が、「動員された」人々であり、「経済格差への怒りを反日に転嫁した」人々なのか?と思う時、また不安が頭をもたげてきてしまいます。仮にあの大群衆の半分が「中国政府にコントロールされて参加している」としても、では残りの半分の人々は、やはり「日本憎し」なのかと思うと、やはり、依然として鬱々としてしまいます。


デモ行進する大勢の中国の人々を見ていて、デジャヴ感がありました。それは辿っていくと、1989年の民主化運動の時のデモです。あの年の夏、衛星放送が受信できるテレビに買い替えたばかりだったのも手伝って、中国の学生達のデモを伝える映像を見るために、私は毎日テレビに張り付いていました、今だとネットなのでしょうが。あの時は、世界中の人々と同じように日本人も多分殆ど全員が、民主化を求める学生達の応援をしていたと思います、あの時も、絶対的に安全なテレビの画面のこちら側でですけど。あの有名なシーン、戦車を前にして一人で立ち向かう中国人男性の姿は、今でも目に焼き付いています。

今回の反日デモに関して上述のように、「あれは実は中国政府に対する不満の表れ」「『反日』を隠れ蓑にした反政府運動」と言う人がいるのですが、映像を見る限り、あの時の学生達の顔つきと、今回の反日デモに参加している若者たちの顔は明らかに違うと思います、今回の参加者の顔には物凄くシンプルな「憎しみ」が見てとれませんか?
領土問題、歴史問題があるにせよ、一方で同じアジアの隣国であり経済的に切っても切れない関係にある日本に対して、ここまでの「憎しみ」を表現する若者たちが、中国の都市の広い通りを埋め尽くすほどこんなにも無数にいて、デモに参加し(「参加しない」選択肢もあるのに)、日本大使館に向かってペットボトルや石を投げ、日系の商店を破壊し略奪している、これは今進行している事実なのです。
デジャヴと言えば、その昔1980年代に「日米自動車摩擦」というものもあり、工場が閉鎖されることになったアメリカの自動車会社の労働者が、ハンマーで日本車を壊している画像も思い出されます。

でも、この時ハンマーを振るっているアメリカの労働者は、日本車の輸入のせいで失業してしまったわけで、職を失った彼の「怒り」が日本車に向けられるのももっともなことであると、理解はできます。しかし、誰も住まないあの東シナ海に浮かぶ小島を、日本が国有化したことで、あれだけの中国の人々があれだけの怒りと憎しみを持つに至った、ということはどうしても理解できないのです。
鬱々としてしまいます。

デモ自体は沈静化したとはいえ、あの映像の数々が残像のように焼きついています。中国の反日デモについて書いてきましたが、韓国の人々の反日感情もこれまた長く止むことなく続いていることも、これまた事実なんですね。

さて、私は元々選挙ではなるべく(候補者がどうしようもない輩である時を除き)自民党に投票し、興味があったので嘗て扶桑社が出した「新しい歴史教科書」もわざわざ買って読んでみたこともありましたし、おまけに海外で数年暮らした人間にありがちなことに「プチ・ナショナリスト」になって帰国し・・・という道を辿ってきたので、
尖閣については「そもそも領土問題は存在しない」、
竹島については竹島は日本固有の領土」、
北方領土「四島返還あるのみ」
と思ってきたのですが(と言うより、日本人の大多数はこう思ってきたのでは?)、ここに来て揺らいでいます。
「毅然とした態度」というお題目を唱えていれば、とにかく内外平和だった時代はもう終わったのではないか?
ということです。
ぼろぼろの財政と、お粗末な福祉と、老朽化したインフラと共に、これら領土問題と、隣国である中国韓国からの憎しみを実際に背負うのは、次の世代なのです。
次の世代とは、「毅然とした態度を!」と叫んでいた国会議員の方々の子や孫の世代であり、尖閣問題のトリガーを引いた都知事の子や孫の世代であり、そのまた次の世代です。
隣国からこれほどまでに「憎悪」されている国である日本を、次の世代に残すことになってしまうのでしょうか?
鬱々としてしまいます。

原発事故の後の放射能のように、目に見えないもの、取りあえず身の回りに害が及んでいないものに関しては、忘れてしまおう、なかったことにしてしまおう、と自然になってしまうのが人間なのかもしれません。
安全な日本に住んで昨日と変わらない生活をしていたら、あのデモの群衆のことは現実感がないだけに、記憶の方が「忘れたい」という方向に向かっていて、「時間が経てば、元に戻る」と何の根拠もなくお気楽に思いたい気持ちになってしまいそうです。事実、今までも、教科書問題や靖国問題日中関係に軋轢が生まれた時は、そうだったのですから。
しかし、今回だけは違う、ということだけは、認めたくなくても認識しておくべきことなのだと思います。
東シナ海海上のあの島々が水没してしまわない限り、政府がどう強弁しようと「領土問題」はあり、中国では愛国教育を受けた若い国民が次々と莫大な人数で生まれている限り。


まだ脳裏から消えないあの映像、中国のあの圧倒的な数の民衆のあの「憎悪」を、私たちの子や孫の代までが受けなくてはならないかと思うと、何をしたらよいのか、何を考えなくてはいけないのか、途方に暮れてしまうのです。


反日デモの長い夏が終わって ② そもそもこんな展開になったのは

反日デモの長い夏が終わって ③ 次の世代には隣国の言語を学ぶ選択肢を