朝ドラ「カーネーション」について、ここぞとばかり言っておきたいこと

ファンとはマニアックなものである、というのをモロ示している長文ですので要注意。




2月1日の朝日新聞「文化面」(←「文化面」ですよ、「文化面」!)に

朝ドラ「カーネーション 
演技秀逸 「業の肯定」も新鮮 大根
人の弱味 不在感 描き方いい 柴崎

という見出しのもと、「大阪出身の作家、柴崎友香」さんと「テレビドラマ・映画『モテキ』監督の大根仁」さんが語っていました。
不明にしてお二人のことを知らなかった私ですが(「モテキ」くらいは知ってますけど)、お二人の発言にはそれぞれ、「その通り!」と膝を打つことが多々ありました。


先ず何と言っても尾野真千子さんの演技です!!!

大根氏
尾野真千子さんの演技について)渡辺あやの脚本の良さもあり、ここ一ヶ月、演技が高みに昇華した「女優の奇跡」を拝見させていただいている。映画でもドラマでも一番幸せな、従来の喜怒哀楽に当てはまらない「何見せられてるんだろう」という瞬間が毎朝あるんですよ。」

実は昨日(2月10日)のNHKの「あさイチ」の「プレミアムトーク」のゲストがまさにヒロイン糸子を演じる尾野真千子さんだったのですが、彼女自身はドラマとヒロイン糸子について客観的に語っているつもりであろうにもかかわらず、彼女は紛れもなく「糸子」が憑依したまま、語っているように私には見えました。
というのは、「カーネーション」以前の、私の中の尾野真千子さんの印象は今と全く違ったからです。同じNHKドラマの「火の魚」(今wiki見たら脚本が「カーネーション」と同じ渡辺あや氏でした!)と「外事警察」のヒロイン、その二つが彼女の印象で、どちらも「糸子」とは全く違ったキャラクターでしたから。しかし尾野真千子さんによる今回の「糸ちゃん」も全然抵抗無くすっと自然に馴染めたのは、やはり彼女の卓越した演技力あってのことでしょう。

柴崎氏
尾野真千子さんの演技が)本当にうまい。娘時代、娘が三人いる時、その時代の顔にちゃんとなっている。

昨日の「あさイチ」でも、初回から始まってこれまでの名場面を放送したのですが、最初のまだ袴をはいておさげ髪の女学生の時の顔は、とても30歳の尾野真千子さんが演じているとは思えない本当に「女学生」の顔そのものでしたし、結婚、出産を経て、今度は自分の年齢よりずっと上の「成人した娘がいる母親である岸和田のオバハン」の顔にちゃんとなっているんですよね。今週くらいからは、来月から(?)バトンタッチする夏木マリさんにどことなく近づいて行く感じさえして(夏木さんの顔の造作と尾野さんのそれとは全く似ていないのにも拘らず!)、彼女の演技にまさに「奇跡」を見てしまいます。



そして脚本の妙味。「ヒロインが爽やかで、ストーリは収まるべきところに予想通り収まる」という、朝ドラの定番を破って(「ちりとてちん」以来だと思います)、嬉しい裏切りばかりを見せてくれます。細部まで作り込まれているところは、これも「ちりとてちん」以来。ですから、単純なストーリーの従来の朝ドラならば、家事をしながらでも筋を追えるところが、「カーネーション」は、7:30からのBSを見て、8:00からの総合テレビを見て、お昼に在宅していれば12:45からのも見る、という3本立て(?)で楽しませてもらってます、勿論朝から忙しかったり外出する時は録画ですよ!予定調和のストーリーを、不自然に優しいステレオタイプの周囲の人々や、予想通りに上手く行きすぎるありふれたエピソードで埋めて行くいつもの朝ドラとは違いますからね。今週のさりげないシーンが来週の伏線になっていたり、とにかくこの渡辺あや氏の脚本は「細部にまで神経が行き届いている」というか「仕掛けが仕組まれている」ので、それを見落とすまいとテレビの前に正座してみてしまいます。

例えば、ピアノ曲ソナタのような「繰り返しのヴァリエーション」、(主旋律が少しずつ形を変えて何度も出てくる)というものがこの「カーネーション」には見られます。
栗山千明演じる奈津が片思いの相手の泰蔵にいちゃんが出征する時、電信柱の影に隠れて見送るシーンがあったのですが、時は流れて、泰三の未亡人八重子が営む美容院で働いていたた奈津の結婚の門出では、泰蔵の長男太郎が今度は憧れている奈津を隠れて見送るのです。同じ形が繰り返されています。
花嫁衣装も然りで、糸子自身の結婚式の時には、奈津が自分が着なかった白無垢を糸子に着せ、奈津の結婚式の時には逆に糸子が奈津のために今度はウェディングドレスを作るのです。
コシノ三姉妹が「ピアノ買うて!」としつこく頼む(あの三姉妹の集団おねだりは迫力あったと思います)のは、糸子自身が父親に「女学校やめてパッチ屋で働かせてください!」と頼むのとパラレルです。

柴崎氏
娘3人に「ピアノ買うて」とせがまれたとき、自分もお父ちゃんに許されなかったことを思い出した。だから「いいよ」って言うんかなと思ったら「あかん」。

そうなんです、「繰り返し」でありながら、全く同じことの「繰り返し」ではなく、変奏曲というか「ヴァリエーション」で描かれるので、視ている方は、また嬉しく裏切られてしまうのです。


そして「決定的瞬間をわざと描かないこと」が逆に効果を高めているのです。従来の朝ドラは、例えばヒロインの「結婚」「出産」「家族との死別」のシーンをことさら劇的に(しかしステレオタイプに)描いてきました。
ところが糸子の結婚シーン、彼女の白無垢姿が映ったのはたった5分もなかったんじゃないか、という具合ですし、ヒロインの幼馴染み奈津に至っては、糸子が気持ちをこめてウェディングドレスを作るわけですから、視聴者は「これを着た奈津が見たい〜」と期待するのですが、奈津が実際にこのウェディングドレスを着るシーンはない、のです、ドレス製作中の糸子の頭の中の想像のシーン(それも数秒)だけなのですよ。結婚届を出しに行く時にそのウェディングドレスが詰められた箱が映るだけ。しかもこの時点で奈津はそれを知らないので視聴者は「奈津がこのドレスを見たらどんな風に喜ぶだろう。」と思っていてもそのシーンはないのです。
出産にしても、従来の出産シーンは「女優さんも仕事とはいえよくやるわ」というくらい、顔を歪めて大声出して苦しんで苦しんで(←このシーンこそが若い女性が出産に対して怖じ気づく原因なのでは?)、というシーンを長引かせてその挙げ句に「おぎゃーおぎゃー」と赤ちゃんが産まれてくる、という、見ている方からしたら「いい加減にしてよ!」(保健教育のビデオを見ているのではないのですから)という気持ちになってしまってうんざりだったのですが、三人の娘の出産シーンは、確かに「痛たた・・・」と痛がる糸子が描かれますが、わりにあっさりと(絶叫シーンなしで)赤ちゃんが産まれてきます。
家族の死別のシーンも描かれません。

柴崎氏
次々に人が死んでしまうけど、死ぬ瞬間が全然ない。それは戦場で家族が亡くなったのと同じで、いっそう不在感が出てる。

そうなんですよね。小林薫演じるお父ちゃんが死ぬのは旅先です。旅立つ時から、視ている側には「このまま旅に出てそこで死ぬんじゃないか?」と予感させるのですが、実際の死ぬシーンはなくて旅先で火葬もされお骨になって帰ってくるのです。夫も戦死ですから、勿論死ぬシーンはなく、ただ夫と父親亡き後の女ばかりの食卓のシーンが一層死者の不在を際立たせます。正司照枝演じるおばあちゃんの死の瞬間もありません、顔に白布がかけられたおばあちゃんの姿が最後に映し出されるだけ。でもおばあちゃんとの「別れ」は、その直前の嫁に行く静子を見送るシーンで如何なく描かれているのです。ほんまによう出来た脚本や!




映像と言う点でも、「カーネーション」は朝ドラとしては画期的ではないかと思います。今同じくNHK大河ドラマ平清盛」について「汚い」と兵庫県知事が発言したらしいですが、衣装が「汚い」というのは知事が「キャラクターデザイン」という、ゲーム世代には当たり前のことをご存知ないからだと思われますが(大河ドラマ平清盛」のキャラクターデザインはこちら→キャラクターそれぞれの人物デザイン )、画面が「汚い」というのは、光の演出を理解していらっしゃらないのではないか、と思わされます。

大根氏
最近、NHKは攻めるドラマを作っていて、それが朝ドラにも結実しているのではないか。一番大変な照明に時間をかけている。夕日が差し込む土間で足を洗い、光の明暗が感情を表している場面のように、周防に恋してからの糸子を、スタッフがきれいに撮ろうとしているのがわかる。

スタジオ撮影のはずなのに、実際岸和田の商店街の裏道でとられたような光の演出、それが素晴らしいのです。「平清盛」にしてもそうですが、私は去年の確か初夏の頃だったかと思うのですが、偶然に休日の昼間BSで再放送していた、仲代達矢が清盛を演じた大河ドラマ「新・平家物語」を見たのですが、余りの不自然さと違和感を逆に強烈に感じました。それは衣装が無駄にきらびやか、ということだけではなく、現実の風景の中にある「光」の明暗が全くなかったのですね。もしかしたら、前述の「汚い」発言をされた知事さんなどは、未だにこういう風な不自然で平面的な「絢爛豪華」な映像がお好みなのかもしれませんが。でも、今この時代に心を奪われる映像は紛れもなく、「光」にも演出が感じられるものです。小原洋装店の店先に差し込む光、店の2階の部屋で人物の背後から当たる逆光、階下の居間では縁側向かって右側からだと「午後」左側からだと「午前」という日光(畳に差し込む光の角度まで計算されている?)、最近では風邪引いて寝ている直子の東京の下宿に差し込む西日、それらの演出が、この朝ドラの見所でもあるんです。前述のように私は一日に「三本立て」で「カーネーション」を視ているのですが、1回目はストーリーを楽しむ、2回目は「過去の伏線が表面に出てきてはいないか?」「これから先の伏線になるようなことが仕組まれていないか?」を探し、3回目は心穏やかに「映像」を楽しんでいます、そういうことができる「朝ドラ」なのですね、「カーネーション」は。





その他今までの「NHK朝ドラ」と異なる点。
まだこの「カーネーション」が始まって間もない頃、読書家の友人がこう言いました、「コシノ三姉妹のお母さんって、確かご主人が戦死した後ずっと愛人がいた、と自伝に書いてあったけど、まさかNHKではそこはスルーよね。」と。私もそう思いました、だってNHKの「朝ドラ」ですものね、清く正しい善男善女のお話に決まってますから。ところが、その後の展開はファンなら周知のことですが。

大根氏
糸子は幼なじみで身を持ち崩した奈津を更正させる一方、自分は不倫する。善悪でない人間の業を肯定するストーリーは、朝ドラでは珍しいかも。

「人間を肯定するストーリー」だけでなく、周防を好きになった糸子が、今までの着物を洋服に変えたり、お化粧もしたり(夫が出征する直前以来?)という外見の演出で、本当にこの、「不倫」と名がつくのも仕方ない、糸子の「恋」を肯定的に描いていましたね、もっとも一番糸子の気持ちを表していたのは尾野真千子さんが内側から輝かんばかりに綺麗になったことでしたが。
本当に朝ドラでは難しい「業」を描いているのです。糸子が「不倫」するようになって、周防さんの子どもが父親である周防さんを探しにきたのか小原洋装店の裏口にやってきて「お父さんを返せ!」とか言ったり、近所のおっちゃんおばちゃんまで巻き込んだ家族会議を開かれて皆が皆、糸子に「不倫」をやめるように諭します。従来のストーリー展開ならば、ここでヒロインが子どものため、自分を思ってくれる家族や周囲の人々のために、不倫を踏みとどまるところですが、糸子は違うのですよね。畳に頭をすりつけて謝りつつも「業」は通すのです。この一歩踏み込んだ描き方は「NHKスゴい!」と思いました。けれども糸子のこの強い「業」こそが、それまで一から洋装店を立ち上げがむしゃらに働いてきたバイタリティーの原点である、ということが自然と視る側に納得されるのです。おじさんやおばさんの忠告を聞いて不倫をやめるようならば、店をあれだけまでにすることはできなかったのだと。

そして細かいことですが、幼馴染みの奈津が身を持ち崩して「パンパン」になった時、糸子自身もそして木之元のおっちゃんも普通に「パンパン」という語を口にしていることです。記憶が定かでない上にGoogleで検索しても出て来なかったのですが、以前やはり他のドラマの中で「パンパン」という言葉を避けて、「『パン』を二つ重ねた商売」という言い方をさせていたのはNHKではなかったでしょうか?ネット上でも、今回糸子たちが普通に「パンパン」と言っているのを受けて、「『パンパン」って放送禁止用語じゃなかったんだ!」という驚きをコメントしている人も見かけました。確かに、今までの朝ドラならば、はっきり言わずにぼかしたりしていたかも。ですけど、今回当時の人々の会話の中で自然に使われていた言葉をそのままヒロインに言わせていることで、「朝ドラ」にありがちな偽善が払拭されている気がします。




今後気になる点。
カーネーション」という花の名前がこのドラマのタイトルなわけですが、この花って一年に一度「母の日」しか日の目を浴びない、っていうと花に失礼ですけど、まあ実際そうなのですが、
この「カーネーション」という花の名がタイトルである意味が、最終回までいってどう説明されるのか?
ということですね。賢明なるマニアの方ならば、今までに「カーネーション」が登場したのは、
・戦死した夫の勝が事実上結婚を申し込みに来た時に持っていた花束が真っ赤なカーネーションであったこと(流石に時代的にこれは不自然だと思いましたが)。(←糸子が周防さんに持っていった花は「カーネーション」ではありませんでしたね。)
・珍しく夫と心斎橋に出かけた時に買ってもらったショールが赤地に「カーネーション」の花の刺繍があるものだった。
・そのショールを肩にかけて糸子が夫の出征を見送る。
という場面だけだったとおわかりだと思います、勿論最初のタイトルバックは牛乳瓶らしい瓶にさしてある「カーネーション

なのですが。
ちりとてちん」の時は毎日のストーリーにおける凝った作りだけでなく、
「母親を否定して自分探しに旅立っていったヒロインが最後に『青い鳥』ならぬずっと自分が探していたものは『おかあちゃんになること』だったと気付く。」
という見事な仕掛けに最後の最後、唸ってしまったものでした、「おかあちゃん」を演じた和久井映見さんの演技がずっと伏流水のようにその結論を支えていたような気がします。
今度の「カーネーション」では最後どういう展開を見せてくれるのか、これだけ丁寧に作ってあるドラマですから、私が想像もできないようなラストが待っているのではないか、と今から楽しみです。


・・・「家政婦のミタ」は一回も見たことがなく、それどころか昔あれほどドラマフリークだったのが、この数年ちっともドラマを見なくなった私の久々のお気に入りの「カーネーション」の話でした。