自民党総裁選候補者と民主党代表選候補者の、経歴の耐えきれない軽さ


「デマこいてんじゃねえ!」がタイトルのRootport氏のブログで、
「もうイヤだ日本の政治家バカばっか!」
というエントリーを読んだ後、昨日の日本記者クラブ主催の自民党総裁選候補者公開討論会の中継を見て、わかりやすく整理するために、自民党総裁選に立候補した5人の経歴をはてな記法で表にしてみました。ついでに民主党代表選に立候補している4人についても。


自民党総裁選候補者

候補者 生年 小・中学校 高校 大学
安倍晋三 1954年 私立成蹊小・中 成蹊高校 成蹊大学法学部
石原伸晃 1957年 公立小・慶應普通部 慶應塾高 慶応大学文学部、在学中エルマイラ大学留学
石破茂 1957年 国立大付属小・中 慶應塾高 慶応大学法学部
林  芳正 1961年 公立小・中 県立高校 東京大学法学部
町村信孝 1944年 国立大付属小・中 都立日比谷高校 東京大学経済学部、在学中ウェスリアン大学留学
候補者 卒業後 世襲
安倍晋三 カリフォルニアの語学学校を経て南カリフォルニア大学入学後1年で中退、神戸製鋼入社、3年で退社 父・安倍晋太郎外務大臣、祖父・安倍寛衆議院議員、祖父・岸信介元総理大臣
石原伸晃 日本テレビ入社、8年で退社 父・石原慎太郎都知事
石破茂 三井銀行入行、4年で退社 父・石破二朗鳥取県知事・参議院議員
林芳正 三井物産入社、5年で退社、地元のファミリー企業に入社、ハーバード大学ケネディスクール修了 父・林義郎元大蔵大臣、祖父・林佳介元衆議院議員
町村信孝 通産省入省、その間2年間ニューヨーク勤務、13年で退職 父・町村金吾元北海道知事・元自治大臣衆議院議員参議院議員


民主党代表選候補者

候補者 生年 小・中学校 高校 大学 卒業後 世襲
赤松広隆 1948年 小学校不明、私立東海中 早稲田高等学院 早稲田大学政治経済学部 日本通運入社、8年で退社 父・赤松勇社会党衆議院議員
鹿野道彦 1942年 国立大附属小・中 県立高校 学習院大学政治経済学部 父親の秘書 父・鹿野彦吉元自民党衆議院議員
野田佳彦 1957年 公立小・中 県立高校 早稲田大学政治経済学部 松下政経塾 なし
原口一博 1959年 公立小・中 県立高校 東京大学文学部 松下政経塾 なし


Rootport氏の言葉を借りると

候補者の顔を見ると暗澹たる気持ちに襲われる。

それはそうですよね。
林芳正氏のMPAを除いて、全員が学士止まり。修士号・博士号・PhDを持っている人物はなし。弁護士、会計士の資格、もしくは自身で起業した経験がある人物もなし。どころか、後で詳しく述べますが、高校受験、大学受験の経験すらない人物も、この9人の中には4人もいるのです。

自民党は5人の候補全員、民主党は、松下政経塾出身の野田氏と原口氏以外の2人、即ち9人中7人が「世襲」議員であることは、偶然とは言えないでしょう。しかも、皆なんとビッグなお父様方でありましょう!普通なら、超大物の父親、というだけで反抗したりひねくれたりするところを、グレずにすくすくと素直にお育ちになったということですね。
経歴から見ていくと、この年代(1942年〜1961年生まれ)の人にしては、義務教育である小学校、中学校が公立ではなく、私立や国立大学の附属であることが多いことに気付きます。都会と違って私立小学校がない地方では、国立大学の附属が一種のエリート校になっている面がありますから、或る意味エクスクルーシブな教育を受けたのでしょう。そのような特殊な環境で義務教育を受け、自分の子供を小学校から私立に入れていたりする方が、今の小学校・中学校が抱える様々な問題、学力の問題、いじめの問題、教師の問題、それらを語ることができるのか、大いに疑問です。勿論彼らとて、自分の意志で私立や国立大附属の小学校を選んだわけではなく、多くは既に名も挙げ功も挙げた親の選択だったのでしょうが、政治家になってから、義務教育が行われている公立の小学校中学校の現状について、自分自身の経験の無さをどのように補ったのか?補う努力はしたのか?前掲の表でわかると思いますが、自身が小学校から私立に通い大学まで一度も受験をせずに学校教育を終え、夫人も同じ経歴で、しかも子供がいなくて親の立場ですら公立の学校に拘ったことがない政治家が、「教育の再生」「教育バウチャー制度」という政策を訴えて説得力があったのかどうか?また、中学または高校から私立の附属校に進んで、大学受験を経験していない政治家が今の日本の大学入試制度についてどれくらい知見を述べられるのか?


二世議員については大学卒業後の進路についても、きっと普通の学生とは感覚が全く違ったのだと思います。80年代に学生時代を送ったからわかりますが、バブルといえども当時も超有名企業に入社するのは、それなりに大変でした。そして今以上に「コネ」がまかり通っていたと思います。色々な種類のコネがありましたが、何と言っても最強なのは「国会議員のコネ」でした。学生の人気就職先として抜群だったJALこと日本航空(再上場おめでとうございます)は、「国会議員のコネがあることが最低条件」と噂されていましたし、銀行や商社、テレビ局など、学生に人気がある会社も「コネ」がモノを言うと言われた時代でした。大量採用のバブル時代だったからこそ、「コネ」筋で少々出来の悪い学生が入ってきてもその他大勢の実力組が優秀ならばそれを補えたのでしょう。エントリーシートとウェブテストで篩にかけられ、何度も面接をパスしなければ内定がとれない今の就活では、「親のコネ」だけでは勝ち抜いていくのは無理でしょうし、会社側も限られた人数しか採用できない厳しい状況の中で、お付き合いでボンボンを採用している余裕など今はないのでしょうが。あっ、念のために言っておきますが、私は候補者の皆様が親のコネで名門企業に入社したなどとは、一言も言っていません、あくまでも当時の世相を思い出しているだけですからね!言いたいのは、当時は「コネ」に寛容な世相であった、ということです。それを前近代的というのか、世の中がのどかであった、というのかは意見が分かれるところでしょうけど。前掲の表を見ると、両党のリーダーたらんと立候補なさった皆様は、それぞれ、神戸製鋼(留学途中でやめて帰ってきてすぐに一部上場企業に就職できた時代だったか?)、日本テレビ三井銀行三井物産日本通運、どこも錚々たる名門企業で働いた経験がおありのようですが、政治家になるためとはいえ、勿体ないことに皆様わずか数年で退社なさっています。最初から腰掛けだった、という失礼な(その企業に対して)話ではなかったと信じたいのですが、一方まだ転職が一般的でなく、バリバリの終身雇用が前提で就職していた当時の学生にとっての普通の感覚だと、苦労して入社試験を突破して入った会社は簡単には辞められないのではないかと思いますけどね。仮に、或る日突然政治家を志して辞めたのであっても、安定した企業を辞めても生活の不安もなかったからこそ、辞めることができたのだとも思いますが。



小学校や中学校の選択は、確かに子供自身が主体的に選ぶことは出来なくて、立派な親の意志に従わざるを得なかったのかもしれません。就職だって、実力で勝ち取った内定だったかもしれません、親の名前がどこかで出たとしても。けれども、親の存在とは関係なく政治家を志したのならば、親と違う選挙区から出る、(それだって相当に有利だと思いますが)という選択は、政治家を親に持つ運命の下に生まれてきた子供にも出来ます。でも、彼らはそれをしなかった。昨日の記者クラブでの討論会でも、読売新聞の橋本五郎記者が、
「皆さん全員に共通していることがある。それは全員が二世議員であるということ。総裁候補が揃いも揃って二世議員であるということは、『自民党二世議員でなければ総裁になれない』というメッセージを国民に送ることにならないか?」
と質問していました。それに安倍氏と石原氏が口を揃えて答えたのは、
自民党も候補者を公募している。次の選挙に出る新人候補は全員が公募である。自民党も開かれた党になっている。」
ということでした。が、良く聞いてみると、その公募候補者の中にも、地方の党員の意志で選ばれた、地盤・看板・カバンを親から受け継いだ「二世」がいるとのこと!まあ二世議員である自分たちを否定することになるのですから、「親の選挙区から選挙に出るのは禁止」ということには絶対にならないのでしょうが、例えそれが地方の党員の意志であろうとも、世襲肯定であることには間違いありません。加えて、失言というか舌禍が多い石原候補が、
「かつて公募で選挙に出た候補を応援したことがある。彼が偉かったなと思うのは、自分でマンションを抵当に入れてお金を作ってきた。それくらいの気概がないと政治家はやっていけない。」
とまた一言余計なことを発言していました。「では、あなた自身は、自分がローンを組んで買ったマンションを抵当に入れるくらいの『気概』を以て政治家になったのか?お金の心配をしたことがあるのか?」と、誰しもが思ったのではないでしょうか。他の候補者についても同様ですが。


自民党民主党それぞれの候補者の中で世襲ではない民主党代表候補者の2人、野田氏と原口氏ですが、では彼らが「普通の感覚」からスタートしたリーダーか?というと首を傾げざるをえません。このお二人は揃いも揃って松下政経塾の出身です。これに関しても、私の個人的感覚を思い出してみると、当時(1980年代)、バブル期で景気が良かった時代、今に比べれば就職が容易であった時代に、普通に就活(←という言葉もありませんでしたが)せずに、「松下政経塾」を目指す、という人は、知人の知人まで見渡せば何人かいました。私の極めて個人的印象ですが、一種のブランド志向だったと思います。二世でもない一般人が政治家を目指すとしたら、それまでは大企業に入って組合活動をやってそこから選挙に出るか、官僚になって政治家に転身するか、司法試験受けて弁護士になって政治家を目指すか、しかなかったところに、降って湧いたのが松下政経塾」というブランドでした。
Rootport氏の言葉を借りれば

日本国内という小さな範囲から得られる名声で満足できる:政治家を目指すのは、そういうツマラナイ人間だ。まじめにコツコツと働くこともできず、かといって世界を股にかけるほど優秀ではなく、高等遊民を目指せるほど器用でもない。どうしようもないボンクラたちが日本では政治家になる。

そのような傾向があり、且つ「二世」でない、政治的野心を持つ学生が、「松下政経塾」というブランドを頼ったような気がするのです。

大企業に入って普通のサラリーマンにはなりたくない、ましてや地道に組合活動などやりたくない、司法試験は難関だし、国家公務員上級職の難関に挑戦するのもためらわれる、例え合格しても行きたい省庁に(自分のプライドに合ったところ)に行けるのか、官僚になって同期と熾烈な競争をしながら地道に働きつつ選挙に出るチャンスを何年もうかがうのも気が遠くなる、etc
なる思いが働いたかどうかは、全く私の想像(妄想)ですが、とにかく好景気の企業にも入らず役人にもならず、最初から政治家を目指して、まだ当時は海の物とも山の物とも分からない「松下政経塾」に入る、というのは、少なくとも当時の学生の「普通の感覚」ではなかったと思います。先ほど「ブランド」と言いましたが、その「松下政経塾」という「ブランド」もビミョーでした。高度成長期には「経営の神様」と言われた松下幸之助氏でしたが、会社は娘婿に世襲、安売り店にはナショナル製品は卸さない、等々問題はありましたし、家電は「マネシタ電器」と言う言葉があったほど、若者に人気があったとはお世辞にも言えないブランドで、そんなこんなを引っくるめて「松下」ブランドに心酔して人生の進路を賭ける、ということ自体が、それが若き日の決断であれ、普通の感覚ではなかった、と思うのです。政治家二世ではないのに政治家を志した野田氏、原口氏にとって、政治家への道は松下政経塾の他に幾つもあったはずです。それなのに彼らが「松下政経塾」、というカリスマ経営者が晩年に設立した私塾に入った、ということだけで、私などは「?」なのですね。松下政経塾出身者でも、実際に政治家になった人は地方議員も含めて28,9%だそうですから*1、野田氏も原口氏も、最も優秀なのか最もラッキーなのかは知りませんが、とにかく「勝ち組」です(同じく政経塾の出身でも、地方議員どころかまだ秘書や浪人中の人もいるでしょう)。「与党の代表選候補者」まで上り詰めた勝ち組である、野田氏と原口氏の二人は、しかし民間企業の厳しさも、組合活動の地道さも、官僚の優秀さも経験しないまま、また一つの組織でリーダーシップを担う経験もないまま、国政を担う政治家になったのです。



各党の各候補者をこうやって見てくると、どうしても西の方で話題になっている「維新八策」とやらを引っさげて国政に進出しようとしている「例のあの人 (You-Know-Who) 」「名前を言ってはいけないあの人 (He-Who-Must-Not-Be-Named)」(←ハリー・ポッターに出てくる、英国魔法界を大混乱に陥らせた魔法使いのことではありませんが)を出さないわけにはいきません。

候補者 生年 小・中学校 高校 大学 卒業後 世襲
1969年 公立小・中 府立高校 早稲田大学政治経済学部 司法試験合格後弁護士、タレント、府知事、市長 なし


彼の強みは、大学以外は日本の公教育を肌で感じて知っていることと(大学受験では一浪したらしいので、大学入試制度についても理解はあるはず)、自分が努力する以外には合格を保証するものがない司法試験にチャレンジして合格、自ら法律事務所を経営していた経験。
一方、決定的に欠落しているのは国際感覚。そして駆け足で這い上がってきた道のりでは身につかなかった「深い知恵」「教養」。
教育改革や地方分権では、彼は自民党総裁候補者や民主党代表候補者よりも遥かに知見があり、リーダーシップがあり、発信力があるかもしれませんが、現代の立志伝中の人物とも言える彼が日本の総理大臣になって、外交の場(例えばサミットとか)で、日本の命運を左右する決断をしている姿を想像できないのです。

しかしどうにもこうにも最後の一人を加えた10人の中の誰かが、今後の日本の重要な局面を担っていく訳で、他にこれと言った選択肢があるわけではない、というのは、Rootport氏でなくても、

……あ、詰んでね?

 と言いたくなってしまいます。


さて昨日の午後、NHKで、記者クラブ主催の自民党総裁選立候補者討論会を生中継しておりました。
他の事をしながら、各候補者のあいも変わらぬ選挙用の弁舌を聞いていたら、思わず手を止めて画面に見入ってしまう局面がありました。
それは前半は極めて退屈な討論会だったのですが、後半の更に後半部分で、記者の代表四人、橋本五郎氏(読売新聞)、倉重篤郎氏(毎日新聞)、星浩氏(朝日新聞)、実哲也氏(日本経済新聞)から各候補者への個別の質問が鋭くて、テレビの前に正座してしまったというわけです。
生放送だったので、候補者の本質が映像を通して良くわかったのですが、Rootport氏のそれぞれの候補評(引用部)と記者代表の個別質問(黄色斜体字)を書き出してみます。(記者クラブの公式動画はこちら→ 第一部 https://www.youtube.com/watch?v=sh4GhPRB2uk&feature=plcp  第二部 http://www.youtube.com/watch?v=A2S1YFdjk5A&feature=plcp )彼らが、それらに何と答えたか想像してください。


安倍晋三評 by Rootport氏

小学校から大学まで二流私立をエスカレーター式で卒業し、米国へ留学したものの語学学校しか卒業できずに帰国、親の力で就職した製鉄会社はわずか3年しか続かなかった根性なし……

「5年前、臨時国会の冒頭所信表明演説をした2日後の突然の辞意表明。結果的に病気が理由の辞任であった。画期的な新薬によって今は全快したのはよいが、通常ならば閣僚を経験してから、とか、党の要職をやって、慣らし運転をして、国民にも安心して貰ってから、今回のような大きなポストに挑むべきではなかったか?敢えて今回の総裁選に出た理由は?」


石破茂評 by Rootport氏

砂丘しかないド田舎で生まれ育ち、有名私立大学を卒業後は“腰掛け”で銀行に数年間だけ勤務、親のコネで政界入りしたボンボン。

「候補者の中で、唯一離党経験がある。自民党を出たり入ったりした理由は?」


町村信孝評 by Rootport氏

卒業後、一度も社会経験を積まずに官僚になった戦時中生まれの人物に、21世紀の人間社会や世界経済のことが分かるとは思えない。

「キャリアも政策能力もピカピカの自民党の政治家。しかし遅咲きというには遅過ぎる。それは『町村さんを総裁に推そう』という気運というか、リーダーとしての情に欠けている面があるのではないか?」


林芳正評 by Rootport氏

親に負けじと東大を卒業したのはいいものの、就職先の商社には5年しか勤務できず、クソ田舎の実家で親の会社を手伝いつつ、自分探しのために米国留学へと旅立った男。

「解散権の問題、内閣不信任の問題があるのに、何故衆議院議員ではなく参議院議員として総裁選に立候補したのか?足慣らしでデビューするだけなのか?それとも地元での衆議院への鞍替えが上手くいかないからなのか?」


石原伸晃評 by Rootport氏

有名私立を卒業し、芸能人一家の出身というネームバリューだけで政治家になった男。

尖閣問題では『政府は虎の尾を踏んだ』と発言したが、今回の尖閣問題のそもそもの発端を作ったのは、父親である都知事。地方の首長が日中関係という最大の外交問題に介在してくる。それをどう思うのか?」


これらの核心を突いた質問に対する個々の候補者の全ての答は、是非以下で実際に見て頂くとして(開始後1:47あたりから個別の質問が始まります)。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv107616187

皆様伊達に政治家を長くやっていない、というか、さすが世襲議員、血は争えない!というか、質問に対する華麗なスルーだけはお家芸とはいえ伝統芸能の域に達する上手さです。まともに正面から答えているのは、石破氏だけ。


映像を見た限りでの表面的な感想は、

安倍氏:この人は滑舌が悪く、何を喋っても「お坊っちゃま」になることを、改めて思い出しました。
石破氏:議論に熱が入ると、目つきが悪くなるのはどうしたものか。
町村氏:無難ないい人に見えて垣間見える、どこまで行っても「上から目線」。
林氏 :着ている背広と同様、緩くて締まりがない。本気じゃないのが丸わかり。

そして石原氏についてですが、自民党の長老の中には「選挙の顔」ということで何を考えているのか(きっと石原裕次郎世代の時代錯誤丸出しの感覚?)彼を推す人も多いそうですが、彼だけは自民党総裁、仮にも国政選挙の結果で日本の総理になるかもしれないポストについてはいけない人だということを、今回の討論会を見て確信しました。
石原氏に対して
「問責決議決定の責任は総裁の谷垣氏以上に幹事長もあるのではないか?それなのに谷垣氏を差し置いて、自分が総裁選に出ることにした、という姿は如何なものか?」
という、当然と言えば当然の質問があったのですが、それに答える石原氏の、厚顔無恥で無礼なこと。一回り以上年齢が上であり、ボスである谷垣氏について、石原氏は、下記のような言葉遣いでこう言うのです(開始後58分くらいから)。


「谷垣さんのお人柄、誠実さ、或る意味では実直すぎる政治姿勢。私は好きです、すごい好き。私の性格も総裁は多分好きなんでしょう。そうでなかったら、続けて『幹事長やれ』とは言わないと思います。こんなことになっても谷垣さんを尊敬していますし、非常に漢文の素養があったり、文化的な素養があったり、すごいアスリートなんですね。そういう人を、私は反省するとしたら、十分に売り出せなかった、強いリーダーとしてアピールする谷垣氏を売り出せなかった責任を本当に強く感じています。」


もう一度言いますが、谷垣氏は石原氏よりも一回り以上年上のボスです。最初こそ「お人柄」などと言っていますが、「すごい好き」ですからね。「すごい」というのは幼稚な形容詞でありそれは「すごいアスリート」という表現でわかると思います。また、「お人柄」の丁寧語の「お」以外、谷垣氏に対して敬語が全く使われていないことも特筆すべきでしょう。「好きなんでしょう」(→お好きなんでしょう)、「言わないと思います」(→おっしゃらないと思います)、って、小学生でも普通に使えそうな敬語も使わないなんて、本当に「尊敬」しているんでしょうか?そして谷垣氏を「そういう人」(→そのような方)と呼び、野菜か新商品のように「売り出せなかった」というのは、如何にも失礼千万なのですが、重要かつ肝腎なことは、石原氏にはそもそも自分が「無礼なことを言っている」ということすら自覚がないのだと思います。ましてや、「実直すぎる政治姿勢」「強いリーダーとしてアピールする谷垣氏」というのは、ほめ殺しなのですが、それすら理解していないと思います。彼は前掲の表では、小学校は公立となっていますが、住んでいた石原御殿は逗子市にあるのに、小学校は公立は公立でも地元の逗子市の小学校ではなく、鎌倉市にある名門御成小学校に越境しているのです。誰しも彼が「あの石原慎太郎の息子で、石原裕次郎の甥」だということがわかっている中で小学校に通い、中学からは慶應。都会育ちですから田舎コンプレックスを感じることなく、寧ろ慶應では「裕次郎ブランド」は大きかったでしょう。就職先は日本テレビ。彼は本当の意味で、誰かに頭を下げたり、目上の人を敬ったり、ということをしたことがないのですから、これはもう死ぬまで治らないでしょう。また、別の場所では、生活保護のことを「ナマポ」、福島原発のことを「サティアン」、と失言していますが、本人は「失言」ということが他人に指摘されるまではわからないのだと思いますし、指摘されても本当のところは理解していないと思います。こういう人が、野党の総裁、先々は日本の総理大臣になるとしたら、大変なことになるのは火を見るより明らかです。失言や舌禍で、政治が余計な空転をすることは目に見えています。世俗の苦労も知らず、中学受験以外受験は知らず、挫折も知らなければ、目上のボスに対する尊敬の念もない、そして父親の影響力から永遠に逃れられず、25年も前に亡くなった叔父の影響力にすがり、という彼は、国のリーダーではあり得ません。



これ以上候補者を見回してみても仕方ないので。
Rootport氏は、このような惨状にならないためには、日本において

「政治家」が魅力的な職業になればいい。優秀な人々が、もろ手を挙げてやりたがるような職業になればいい……。

とおっしゃるのですが、その道は気が遠くなるほど遥か、という気がします。

思い出すのは、四半世紀以上前に書かれた、ジェフリー・アーチャーの以下の本です。

めざせダウニング街10番地 (新潮文庫)

めざせダウニング街10番地 (新潮文庫)

イギリスで政治家を目指した若者3人のそれぞれの成長と出世の物語なのですが、名門の貴族の家に生まれたチャールズ、中産階級に生まれたサイモン、肉屋の息子に生まれたレイモンド、の三人の中で最後に「ダウニング街10番地」= イギリス首相公邸 に辿り着くのは誰になるのか?というストーリー展開が面白いだけでなく、実際のイギリスの選挙や議員生活をも知る事ができます。今読み返して思うのは、小説の登場人物であるイギリスの政治家たちが最初から成熟しているわけではない、ということ。生まれつき高潔なわけでは全然なくて、彼らとて、性格は悪いし過ちも犯すしミスもする。しかし、最初に政治家を志した時に誰もが持つ「国のために働く」という気持ちを育てる仕組みが、イギリスにはある、ということです。その仕組みの中で、成長し成熟していった者が、国民に奉仕するリーダーになる、という仕組み。成長しない者、人間としてリーダーとして成熟しない者は、トップに立てない仕組み。それと同時に、出世の階段を駆け上がる時に、一時の成功で高慢の罠に陥った者は、決して頂上へは到達できない仕組み。
それが彼の国にあって、我が国にないのはなにゆえ?二世が親の地盤をそっくり受け継いで政治家になって、どれだけの成長と成熟が見込めるのか?
・・・と考えてくると、結局は、日本では国民がそういう仕組みを作ってこなかった、企業経営者だけでなく一人一人の国民が経済を優先して政治を放置してきたツケなのだと、そのツケが回りに回って、国のリーダー候補の経歴がショボいことになっているのであって、今更ちまちま表にしてみても始まらないことに気付いた、残暑厳しき9月の半ば。