再びの安倍政権誕生に寄せて


それは2007年の10月初旬のことだったと思います。
私は翌春に高校受験する娘のために、東京は武蔵野市にある成蹊高校の説明会に出席しておりました。
吉祥寺駅からバスに乗って成蹊学園前で降りると、武蔵野の面影が残る歴史ある広大なキャンパスは秋色濃く、親ならば誰しも「こんな学校に子供を通わせたい」と思ってしまうような学園の佇まいでした。
説明会の入り口で、カラー刷りで紙質も高級な立派で分厚い冊子を渡されました。学校案内のパンフレットです。数ページもめくらないうちに私はのけぞってしまいました。パンフレットをめくってすぐのところに大きな写真入りで載っていたのは、突然の辞任会見からまだ間がない「卒業生 安倍晋三第90代内閣総理大臣だったからでした。

安倍氏は2007年の9月10日に所信表明演説をして、その2日後に辞任表明をしたのですが、その時には既にそのパンフレットは印刷済みだったと思われます。各方面から非難ごーごーだった(←でしたよね?)辞任表明から一ヶ月も経たない時期に、「卒業生 安倍晋三」というのは、マイナスイメージしかなかったと思うのですが、お金をかけたパンフレットを刷り直す、という選択肢も時間的余裕も学校側にはなかったのでしょう。小学校から大学までお世話になった母校に5年前このような迷惑をかけたことを、安倍氏はご存知ないでしょうが。

この成蹊高校を娘は受験することはなかったのですが(如何せん通学時間がかかり過ぎた)、素晴らしい環境だけでなく、その校風と進学実績が、親にとってはとても魅力的な学校でした。
小学校から大学までの一貫校でありながら、中学、高校でも一定人数を外部募集し、更に帰国生入試も行っています。そしてエスカレーター式に成蹊大学に進学する生徒ばかりでなく、6〜7割の生徒が、東大京大一橋大といった国立大学、医学部、早稲田慶應上智、といった私立大学を受験して進学するのです。これは、同じような私立の一貫校ではかなり珍しい傾向だと思います。親としては、先ず目の前のこの素晴らしい環境で子供に学んでほしいのと同時に、可能性は出来るだけ開かれている方が好ましいので、状況さえ許せば、そして勿論偏差値70を超える成蹊高校の入試を突破できれば、是非行かせたい学校でありました。

小選挙区東京17区選出の平沢勝栄氏は、東京大学の学生だった頃に、当時小学生だった安倍晋三氏の家庭教師をしていたことで知られていますが、親の立場で想像してみると、晋三氏の両親は成蹊では普通のことである他の学校の受験も考えていたのでしょうか(鳩山兄弟は、小中は学習院で高校で外部受験し大学は東大)?まあ周知の通りそれはかなうことなく、そのまま親が敷いた路線に乗って今まできたのでしょうが。


さて。その2007年当時に戻ってみますが、
「首相を唐突に辞任した理由は、後に発表される病名潰瘍性大腸炎という病気であった。」、
そして
「その後、新薬『アサコール』によって劇的に症状が改善したので政治活動を再開した。」、
ということに今ではなっていますが、辞任当時の印象はそうだったでしょうか?癌や心臓病などの命にかかわる疾病ではない病気での辞任は単なる口実ではないか、と世間は思っていたのではなかったでしょうか?参議院選での敗北には責任をとらなかったのに所信表明のたった2日後に何の根回しもなく辞めたことに対して、野党からは「ぼくちゃん投げ出し内閣」(by 福島瑞穂社民党党首)と言われ、与党からまでも「無責任極まりない」と批判されたのでしたよね?私の記憶だけでなく、Wikipediaにも書いてあるので、私の記憶違いではない、やっぱりそうだったのだと思います。けれども、非難の時期はほんの短い時期で終わりました、誰もいつまでも「本当に病気が原因で辞めたのか?それとも単なる投げ出しか?」などとは殊更に言い募らなかったですよね、それは武士の情け、というか、どんな人物であっても総理だった人に対する礼儀というか優しさというか憐れみのようなものだったと思います。今回自民党の総裁選に出馬した時の説明では、「新薬『アサコール』で劇的に症状が改善した」とのことですが、ゼリア新薬工業協和発酵キリンアサコールを発売したのは2009年の末ですが、その発売以前に安倍氏は既に政治活動を再開していることから(政権交代の選挙だってありましたし)、潰瘍性大腸炎とは、「総理の任には耐えないけれど、普通の政治家は何とかやれる」病気だったのでしょう、少なくとも安倍氏にとっては。

私が不思議なのは、2007年9月の辞任から先だっての自民党総裁選までの丸々5年間、安倍氏は何をなさっていたのか?全く存在感がなかったですよね、少なくとも一般国民にとっては「過去の人」だったのではないかと思います。2009年に発売になった新薬で病が全快(実際はそうではなく寛解らしいですが)したのならば、何故すぐにでも政治活動の表舞台に復帰しなかったのか(党の役職に就くなど)?
もっと不思議なのは、2009年8月の総選挙で民主党に政権を奪われて辞任した麻生首相の後を継いで3年にわたって野党自民党を引っ張ってきた谷垣氏こそを、民主党から政権を奪還した後の自民党の党首であり総理大臣に据えるべきだったのではないかと私などは思うのですが、何故自民党所属国会議員は(地方票では石破氏がリードしていたのを国会議員の投票で安倍氏が逆転した)、下野した自民党を支えて踏ん張った谷垣氏ではなく、この3年間何の汗もかいていない、苦労もしていない安倍氏を選んだのか?理解に苦しみます。


9月の自民党総裁選の候補者討論会の時に、記者クラブの代表が安倍氏に問うたことを思い出します(安倍氏は明確な回答をしなかったのですが)。

「5年前、臨時国会の冒頭所信表明演説をした2日後の突然の辞意表明。結果的に病気が理由の辞任であった。画期的な新薬によって今は全快したのはよいが、通常ならば閣僚を経験してから、とか、党の要職をやって、慣らし運転をして、国民にも安心して貰ってから、今回のような大きなポストに挑むべきではなかったか?敢えて今回の総裁選に出た理由は?」


「健康上の理由で仕事を離れてその後復帰した時には、慣らし運転をしてから本格的に業務に復帰」、というのが世間一般の常識だと思いますが、自民党内では、安倍氏的にはこの常識は通用しないようです。総理を経験したから、もう閣僚なんてやってられないのか?党の要職のように、人望と人を見る目との両方が必要とされる、肝の据わった人でも胃が痛くなるような役職には就きたくないのか?本当に何故、いきなり総裁だったのでしょうね?謙虚さとか、重責を担う責任感故の慎重さ、というものはなかったのでしょう。


安倍氏を全く支持できない私ですが、彼を自民党総裁に選んだのは、国民が選んだ国会議員ですし、彼が総裁である自民党に今回の選挙で歴史的大勝利を与えたのも有権者である国民です。それは最も尊重されるべきことなのだと思います。
とならば、私が心から願うことは、5年のブランクを経て首相に返り咲いた自らのことを、一度失敗した人でも再び復帰できる「再チャレンジ」の見本と言うのならば、今度は絶対に投げ出すことはしないでほしい、ということですね。思えば何だかんだ言って小泉政権までは「首相が1年で交代する」ということはなかった訳で、安倍氏が簡単に辞めたりしなければ、福田康夫氏だってあんなに簡単に辞めなかった(ところで辞めた理由何でしたっけ?)でしょうし、鳩山氏だって菅氏だってそうです。そんな過去があるのですから、安倍氏が今度投げ出したら、しかもその理由が同じ「潰瘍性大腸炎」だったら、難病として厚労省から特定疾患に指定されているこの病気と同じ病に苦しむ多くの患者さんたちだけでなく、今回安倍自民党に投票した多くの国民が深い深い絶望と回復できないかもしれない自己嫌悪に陥ってしまうでしょう。今度は下痢を我慢して脂汗をかこうが、外遊先で「お粥と点滴」で過ごすことになろうが、根性見せて石に齧りついてでも総理の職を全うしてほしいものです、それが例え「自分自身の力だけを頼りに何かを成し遂げる」という安倍氏の人生初の挑戦であっても。