【大学新入生へ】今、大学生活に不可欠なことは何か? 


【大学新入生へ】大学生活に不可欠な良き学生街とは-Togetter


まあ、何とノスタルジックというか、どこの時代遅れの戯言?と思ってしまいました。
私は大学生の母なので、この一連の呟きの主であるnabe_yas1985氏よりも年齢は上だと思いますが、それにしても「古き良き時代」ならぬ「古くて愚かだった時代」への郷愁でしかないのでは?・・・と思ったら、プロフィール見たら、おじさんどころか、まだ「7年生」の学生さん(大学院生の方のようですが)の言でした、息子年齢じゃないですか、もう一度びっくりです。

嘗て私が学生時代の頃(四半世紀以上前ね)、早稲田の学生が
「早稲田では卒業するよりも中退する方が格が上」
「4年で卒業するなんて以ての外、6年、8年かけて卒業してこそ早稲田生」(発言主は2浪1留でした)
雀荘とジャズ喫茶が自分の研究室で、卒業単位がかかった最後の試験は顔を見たこともない先生だったけど答案用紙に『就職が決まっています、単位下さい』と書いたら貰えた」
等々、国立大学へのコンプレックスとエリート意識の不思議なミクスチャー丸だしの発言をしているのを、温かく見守っていたものなのですが、21世紀になって未だにそれと似たようなこと↓

を言う方がいることに正直驚きました。世の中では一応、東大>早稲田という評価が一般的であるのですが、「偏差値秀才」の牙城東大と同列に論じさせないところこそが「早稲田」が「早稲田」である所以なのに、それでも自分のことを「偏差値秀才」と思っている早稲田生がいるなんて驚きです。


早稲田松竹よりも、iTunesで映画ダウンロードしてiPadで見るでしょ、今なら。せめてTSUTAYAで。
芳林堂で文庫を仕入れるよりも、iPhone青空文庫だし。紙で読みたいならブックオフで買うでしょ。
喫煙=不健康、不経済、というか喫煙自体がDQNを表すメルクマールになっている今、紫煙もうもうの雀荘で麻雀するって???


まあ大学生活に求めるものは人それぞれですから、nabe_yas1985氏の古風な「良き学生街」観はそれはそれで良いのでしょう、但し、私も氏が批判している「大学評論家」*1のように全国津々浦々の大学を巡ったわけではありませんが、しかし少なくとも「早稲田通り」も「神保町」も「池袋」も決して美しくアカデミックで文化の香り溢れる大学生街でないことは確かだと思いますよ。それこそファーストフード店、チェーン店のコーヒーショップ、パチンコ屋がひしめいていますし、そして「香り」といえば寧ろ何十軒あるのかわからないほど乱立しているラーメン屋、韓国料理店、カレーショップから流れてくる香辛料の香り溢れる猥雑な通りです、唯一「歴史ある大学生街」を感じさせるのは立ち並ぶ趣きある古本店の存在ですが(←現状は学生のお客よりも中高年のおじさまを対象にしている感あり)。どう強弁しても、世界に誇れる大学生街とは言えないと思うのですが、「だからこそ愛している!」という捻りが欲しかったですね、都会コンプではなく。


前置きがとっても長くなりましたが、ところで大学新入生のみなさんの前には無限の未来が広がっています。
「大学生の間に留学したい」「大学の間の留学は考えていないけれど、将来欧米の大学でMBAをとってグローバル企業で働きたい」、と考えている新入生の方、ではGPAって言葉を知っていますか?一言で言えば、大学時代の成績を数値化したもの、です(各大学によって算出方法は違いますが)。
例えば早稲田大学在学中に留学したいと思ったとします。日本でも名前の知られている欧米の大学は、大抵「GPA◯◯点以上」という条件がついています。更にその大学に留学生の人数枠があった場合、当然ですが学内選考があるのですが、そこでも「GPA」は重要です。そして留学を具体的に思いついてから「GPA」を上げようと思ってもそれは大変であることは想像できると思います。他の大学でも同様でしょう。
また「GPA」という言葉に縁がないまま、体育会やサークルの幹部をやって就活本を山ほど読んでどうにか「勝ち組」就職出来たとして、さて25歳も過ぎて更にステップアップするために「人もすなるアメリカのビジネルスクールへMBA留学をしてやろう」と思った時に、ネックになるのがこの「GPA」です。ハーバードやスタンフォード、シカゴやペン大のビジネルスクールに行こうと思うのなら、必ずこの「GPA」が問題になります。当然理系留学でも同様です。PhDを取りに留学したいのならば高いレベルの「GPA」が勿論必要です。少しぐぐれば、「GPAが低いです、2.5しかありません。アメリカのトップスクールに行けるでしょうか?」とか「GPAが2.0しかありません。どうしてもビジネルスクールに留学したいのですがどうしたらよいですか?」といった、悲痛な質問をそこかしこで見ることができます。これらの質問に対する答えは、「GPA2.5ではトップスクールは無理」「エッセイやGMATで好成績を上げても、低いGPAをカバーすることは無理」というのが正しいでしょう(SATを受けたことがない日本人がGMATの点数を上げるのは、これまた大変です)。

ですから、前途ある大学新入生の皆さんの中で、夢をかなえるのに足るだけの「GPA」を取っておきたいのならば、先ず学生の本分として最低限「講義に出席する」ことはしてほしいのです。大学1年生の4月にして「『留学』も『アメリカでMBA・PhD』の可能性も捨てる」、というのならどうぞ早稲田松竹にでも雀荘にでも通ってくださって構いませんが。またガイダンスで言われるかどうかわかりませんが(私は大昔大学のガイダンスで言われました←早稲田ではありませんが)、大学における「単位」の定義を知っていますか?
「単位なんて、サークルの先輩を頼ってテストの過去問貰えば、出席していなくても楽勝」
というのは愚か者の言ですよ。最低でもその先輩がその科目でとった成績を聞いてからにした方が賢明というものです。
単位の定義については以下を見て頂ければ詳しいのですが。
大学における単位の定義-4403 is written(終了しました)
再び「単位」の意味について
つまり、「1単位」というのは、「1回1時間の授業と教室外における準備・復習の2時間」を前提とした半期15回の授業分について与えられるものです。語学ならば、1時間の授業につき1時間予習して1時間を復習にあてて初めて「1単位」に相応しい内容を会得でき、その結果「1単位」を獲得できるのです。もし「GPA」を捨てるつもりがないのならば、先ず授業に出席するところから始めてほしいものですね。最高に気が乗らない時でも教室に座って講義を聞いていれば、教官の「偶然の」脱線話の中に「偶然に」あなたにとって何か閃くものがあるかもしれませんし(「偶然」の出会いが大事だとnabe_yas1985氏もおっしゃっています ↓ )。

さて、大学には早稲田通りのラーメン屋のメニューを全て合計したより遥かに多い講義がシラバスと共に用意されています。
語学に関して言うと、先ず必修になっている英語。高校までの英語の授業を「あれは受験英語、実際には役に立たない」「いくら文法やっても喋れない」とdisっていたとしても、大学では実践的な英語を身につけられる英語の授業がいくらでも開講されています。語学の授業は出席してなんぼ、です。大学の英語の授業をサボって、就職に必要だからTOEICの問題集を買う、語学学校に通う、というのは大いなる無駄ですし、就職してから会社が要求するTOEICのレベルに英語力を上げるのに苦労するくらいなら学生の間に授業を利用して勉強すべきではないですか?更にすぐにでも英語が必要になるビジネスの世界だけでなく、もし政治家になって或る程度の地位についたとして、サミットで各国首脳とサシで話し合うためにそれから英語を勉強する、なんてできません(だから日本の首相はいつもサミットではボッチでしょ?)。英語は道具です。たかが道具、されど道具です。あなたが社会に出てやりたいことの本質は大学を出てからも学び続けなくてはならないかもしれませんが、やりたいことを実現させるための「道具」くらいは、せめて学生の間の「今」身につけておきませんか。
そして折角の第二外国語です。小説や文献を読むレベルは無理としても(←「偏差値高い学生」なら是非このレベルを達成してほしいものですが)、日常会話レベル、いやそれも無理ならせめて観光や旅行に役立つレベル、くらいは身につけてほしいものです、中国語でもスペイン語でもイタリア語でもアラビア語でも何でも構いませんので。これは社会に出てからは特に難しいのですよ。それはビジネスに役立つかもしれませんし、全く役立たないかもしれません。しかし何より人生の幅を広げてくれます、名画座雀荘よりもね。大学という環境、大学生という立場だからこそ「第二外国語の修得」は出来ることです。しかも第二外国語を学ぶことによって、今まで「唯一の外国語」であった英語を客観的に見ることができるようになります。これは大学で学ぶ者の知的な特権だと思いますよ。
専門科目についてもそうです。仮にもその学部を志望して願書を出して試験を受けて入学したんですよね。あれだけやった受験勉強は、この教室に座って講義を聞くためだったはずです。それを忘れて「あの講義は楽勝だから授業出る必要なし」となってしまうのが不思議です。じゃあ、何のために大学に入学したのでしょうか。高校までと違って、あなたが受ける講義の全ては自らが選んで登録したものです。自分が選んだ授業への出席を、名画座雀荘と引き換えにしてよいのでしょうか?
少子化の影響を受けてどこの大学も生き残りを賭けて教育改革をそれなりに必死で行っています。今の大学生は昭和の時代の微温湯のような大学教育(大学が「レジャーランド」と呼ばれた時代でした)に比べたら遥かにレベルの高い大学教育を受けているとも言えるでしょう。その恩恵と未来の可能性を自ら放棄することなく大学生活を送ってほしいですね。何より親が大学に納める安くはない授業料に見合った大学教育を享受しないまま大学を卒業するとしたら、それは古風に言うと「親不孝」ですしね。
サークル活動もアルバイトも大事です。そこでの出会いや経験はかけがえのない貴重なものです。大丈夫、授業に真面目に出てもサークル活動できますし、アルバイトもできます。逆に言うと、サークル活動やアルバイトの忙しさは、授業に出ない言い訳にはならないということですけどね。

「意識の高い大学生」という言葉がどうやら揶揄になっているようですし、「起業」「ベンチャー」「インターン」「ボランティア」「勉強会」という言葉だけが「意識高い」こととされているのなら、揶揄されても仕方ないと思います。けれども真の意味で「意識の高い」というのは、
大学の講義に出ること、講義の外に準備・復習をすること、大学が用意している全てのことを存分に利用すること(留学を含む)、
という至極真っ当なことなのではないでしょうか?


大学生活は実は短いのです。就職活動が3年生の12月から始まるという現在のシステムがおかしいのですが、どんなに理不尽に感じても今現在そうなっている以上、そのシステムの中で動いていくしかないのも現状でしょう。としたら、本当に「大学で勉強する」時間は短く限られています。入学したばかりの新入生には、その現実から目を反らすことなく「自分は大学で何をすべきか?」を考えて大学生活をスタートされて頂きたいです。
文字通り「老婆心」まで。

*1:この方のことのようですが→http://tyamauch.exblog.jp/