成功した起業家の方々に「現代の数寄者」になっていただきたい、と思うこと

茶道を始め、表千家に入門して「表千家同門会」の会員になると、毎月会報が送られてきます。

この会報の名前は

ですが、これを愚息(大学生)が「ゲッツ」と読んだことがあるのは身内の恥と申しましょうか、イマドキの大学生にこれを読ませるのさえ無理なのか、という嘆きは置いておいて(「どうもん」と読むのです、左から右に)。
最新号の2月号に、「追悼」というページがあり、東日本大震災でお亡くなりになった会員の方、更には震災後10ヶ月を経た今も安否の確認ができない会員の方が載っていました。被災された会員の方は六千余名にものぼるとのこと。またその右のページには同門会に寄せられた全国の会員からの義援金が被災4県(宮城、岩手、福島、茨城)の支部に渡された旨が載っていました。
インフラの復興でさえ長い年月がかかると思われますが、衣食住が復興した後、この東北の地に震災以前と同様に豊かなな「茶道」という文化が戻ってくるのは更に困難なことではないか、と心が塞がれてしまいます。尊敬すべき経験と知見をもった指導者の方々を多く亡くし、またその先生方について「茶道」に励んでいた方々も被災され、そして津波が破壊した後の町には茶道具どころか「一服の茶」を点てる手だてもない中からの出発ですから。



さて、ちょっと前なのですが(2月4日)、日経新聞の土曜版である「NIKKEIプラス1」の「私のひきだし」という欄に、ローソン社長の新浪剛史氏がコラムを寄せていました。引用します。

心の健康も大事です。ゆとりと言うのでしょうか、ハンドルの「遊び」のようなものがないとダメだとも思っています。そこでお茶を始めました。月に1度ですが、静かな時間を通し、立ち止まって考えるようになりました。落ち着いて意思決定ができるようになったと実感しています。
 ちゃんとした茶道の資格を取ろうとしたわけではありません。最初の頃は「人前で恥ずかしくない程度にできればいいや」と、いい加減にしていました。先生も「あなたの忙しさでは仕方ないから、考え方を理解して、少したてられるようになればいいでしょう」と大目に見てくださっています。
 ところが、山本兼一氏の小説「利休にたずねよ」を読んで茶道の奥深さを感じるようになりました、「すばらしい美意識が作法に備わっている」と心に響いたのです。茶道の無駄のない流れは経営にも通じるとも感じました。

一ヶ月に一回とはいえ、社長業の激務の中お稽古に通われているということは、新浪氏は既に「お茶にはまっている」のだと思いますが。そうなんです、「お茶」って顧客層というかターゲットがすごく広い(←「ローソン」風に言ってみました)のです。70歳超の年代の女性にとっては「お茶」を嗜むことそれ自体が総合的な「女子力」そのものですし、若い女性にとっても「和菓子」は「スィーツ」、「着物」は「コスプレ」感覚で入れますからね。で、未開拓のターゲットが男性だったのですが、実はお点前の論理構成や、集中力や審美眼の鍛錬、という点ではまさに男性、それもビジネスマン向け!ビジネス書を10冊読んで字面だけで得たライフハックよりも、新浪氏も言う「茶道の無駄のない流れ」を実際に自らのパフォーマンスで身体に叩き込む方が、経営上の意思決定に役立つことは明らかです。

加えて。
私はかねがね思っていたのですが、今現在の日本で「富」を持っているとされる方々、それもサラリーマン社長ではなく、自らが起業した結果莫大な「富」を得ていらっしゃる方々(そういう意味では、前掲の新浪氏はちょっと違うのですが)、つまり「成功した起業家」の方々に是非「お茶」をやって頂きたい!のです。例えば、携帯電話会社を作り今は原子力に替わる新エネルギー事業に燃えていらっしゃる方、とか、フリース素材に代表されるカジュアル衣料で世界を目指している方、とか、インターネット上のショッピングモールを経営していらっしゃる方、とか、そして同じくこの激動の時代にチャレンジして財を成したその他の起業家の方々に是非とも「茶道」を嗜んでいただきたいのです。
表千家のホームページに「数寄者の茶の湯」というページがあります。

明治30年代すなわち1900年前後から、財界、政界の富裕な人びとが茶の湯に興味を持つようになりました。彼らを近代数寄者と呼んでいます。数寄者たちは従来の茶の湯にこだわらず、日本美術という観点から茶の湯の名物道具を積極的にとり入れ、ゆたかで豪華な茶の湯をつくりあげました。
その代表的な人物として、三井物産創始者である益田孝(鈍翁)がいます。益田鈍翁は、こんにち国宝あるいは重要文化財に指定されているような数々の美術工芸品をコレクションし、これを展観しつつ多くの人々を集めて茶会をひらきました。その茶会がこんにち大師会として続いています。そのほか根津嘉一郎(青山)、小林一三(逸翁)、五島慶太などのたくさんの数寄者が、そのコレクションを根津美術館逸翁美術館五島美術館といった、美術館という形で残しています。
数寄者たちは茶の湯を趣味として近代的な国民の教養に変貌させることに成功しました。

上記以外でも、原富太郎(三渓)、松永 安左エ門(耳庵)、畠山 一清(即翁)といった偉大な日本の実業家の方々が「数寄者」として茶道を嗜んでいらっしゃった訳ですが、その方々の跡を継いで、今成功していらっしゃる起業家の方々に「現代の数寄者」になって頂きたいのです。
世界を飛び回り、日々ビジネスの最前線に身を置く起業家の方々は、「そんな悠長なことをやっている時間はない!」と思われるかもしれませんが、「茶道」はスポーツや他の習い事とは違って、文字通り「道」なのです。
「道」とはよくぞ言ったもので、何か「作品」を生み出すものではなく、また完成された「型」や「形」があるものではなく、ベクトルなんですよ。誰でも、どんなレベルにあっても歩み始めたらそれは「道」。「道の上に立つ= on the way 」ことをしてしまえば、既に「茶人」です。「道」ですから、「これで終わり」という果てがないのと同様、子育てなどの事情で一時的に休止して再開することも可能ですし、前述の新浪氏のように現在の事情に合わせて「月に1回」というペースでもよいのです、これは少しでも休んだり遠ざかると技量が落ちたりまた最初から始めなくてはならないスポーツや他の趣味ではちょっとないことかもしれません。

お茶の魅力のについては過去にも書いたことがあるので( お茶における「道具の配置」の快感 )、何故今特に「成功した起業家」の方々に「数寄者」(茶人)になって頂きたいかという理由はというと・・・。


「お茶」の先生は、「70歳で若手」「80歳で働き盛り」「90歳を過ぎてやっと『大先生』と言われる世界ですが、現在そのご高齢の先生方というのは、自らは戦争をくぐり抜け、また戦後の混乱期に持ち主から手放されたお茶道具を得、そして世紀を跨いで、各地でご指導にあたってこられた世代なのですね。これから近い将来、戦後以来の混乱期が始まることが予想されます。身内の方が後を継がない先生方も多いですし、教室は弟子が継いだとしてもお道具は「お茶」の嗜みがないご家族が相続されることもあるでしょう。不景気で先が見えないこの時代です。一方インターネット上のオークションなど情報だけは多くてしかもグローバル化しています。蔵のお道具はそのまま保存・保管される、ということは寧ろなく、貴重な茶道具がすぐに市場に出されることも多いのではないかと危惧されます。そういった「お茶道具」が散逸しないように、就中、海外に流出しないように、「数寄者」として尽力して頂きたいのです。過去の激動の時期に海を渡って、現在欧米の美術館に所蔵されている日本美術の至宝は数えられないほどあります。近い将来経済の変動期に再び日本の貴重なお茶道具の多くが海外の美術館のガラスケースの中に収まることになるとしたら、日本文化にとって悲劇であることは勿論、それはお道具にとっても大変不幸なことだと思います、「茶会や茶室で使われてこそ」のお道具(←師の言葉の受け売りですw)だと思うので。

高度成長期でさえ「文化」は後回しになってきたこの国ですから、問題山積み、増税しないと年金も払えないような現状では、国が予算をかけて貴重なお道具の海外流出を防ぐことなど到底期待できません。「民間の力」なんていう悠長なことを言っている暇さえなくて、市場に出回るお道具を片っ端から購入して頂きたい!くらいなのです。そして、是非その名品のお道具を用いたお茶会を開いて広く世の人々に公開して頂きたい!更に更に、東北の地でインフラが復興し文化が再び根付く土台ができた暁には、その道具の幾つかを東北の地に運んで頂きたい!のです。

「企業のフィランソロピー」なんていう、バブルの頃に流行ってバブルがはじけた途端どこかに行ってしまった言葉を持ち出す気はさらさらありません。もっと個人的で、もっと利己的なものであってよいと思います、茶道具のコレクションにはまってしまうとどういうことになるか、というのは「へうげもの*1に詳しいですし。戦国武将も戦の合間にやっていたことですから、それも悪くないかもしれません。
成功された起業家の方々が、日本のために何か貢献しようと思われても、今の政府の状態やらイデオロギーや政策の問題でなかなか自らの意志を実現されるのは難しいと思いますが、「文化」ならばそういうことはありません。是非「21世紀の数寄者」として日本の文化史に名前を刻んで頂きたいと思う、日々是好日。



和樂 2012年 03月号 [雑誌]

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